教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1)
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(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第60巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.60,No.1. 平成21年8月 August,2009. 教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1) 羽根田 秀 実. 北海道教育大学函館枚数青学教室. FundamentalProblemsofEducationandCulture HANEDA Hidemi. DepartmentofEducation,HakodateCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 本論は,2008年10月25日に開催された教育哲学会第51回大会の研究討議「『教育問題』としての文化」を うけ,このテーマについて当日の報告者とは若干違った視点から考察したものである。第一章では,文化の 一般的な定義について見た上で,第二章以下で文化の問題を考える際に準拠することになる基本的な枠組み を設定した。第二章では,文化・教養の問題について,ヨーロッパにおける教養概念の歴史を振り返りなが ら,考察した。(第三章以下については,次号において論じる予定である。). はじめに 本論文において私は,教育と文化・教養をめぐる基本的な問題について考察することにする。この間題は,. 2008年の教育哲学会の第51回大会の研究討議のテーマであった。教育哲学会の第51回大会は,2008年10月25 日∼26日に,慶應義塾大学三田キャンパスで開催された。第一日日の研究討議のテーマは「『教育問題』と しての文化」であった。当日の報告者は,生田久美子(東北大学),桧下良平(金沢大学),桧浦良充(慶應 義塾大学)の三氏であり,司会は,坂越正樹(広島大学),船山俊明(慶應義塾大学)の両氏であった。こ のテーマは大会開催校の設定したもので,そのテーマ設定理由として,船山俊明は次のように述べている。. 「文芸評論家の唐木順三は『現代史への試み』(筑摩書房,1963)のなかで『教養は無形式である。無形 式な教養が,形式,型,生活体系の代用として通用したといふ一種特異な時代が我々の生きて来た時代であっ. た。』として,明治末から大正期にかけての精神史上のいわゆる『教養主義』の思潮を『型の喪失』時代の 産物として批判したことはよく知られている。……古今東西の古典籍を『あれもこれも』読破することで, 人格主義的で理想主義的に,個性と普遍性を無媒介的に繋げることで精神形成を図ろうと目した教養派は, 結局のところファシズムの提起する新たな『型』の前にはまったくもって無力であったと言うのである。そ. して彼は『日本の教養という言葉の意味していたものが,マルクスとキュルケゴールという試練を経て,ど.
(3) 羽根田 秀 実 こへ突き抜けるか,或いはその前に消え失せるか,問題は今後に残されている。』と結ぶ。論述スタイルや 用語はいかにも昭和20年代の精神を顕わにしているものの,投げかけられた課題は今日まで本質的には解か れてはいないと言える。つまりは彼の課題は依然として私たちに課せられたものでもあることに変わりはな いであろう。」. 1. 船山はここでは「教養」の問題を出している。そしてこの文章に続けて,R.S.ピーターズの例を挙げ ながら「『教育』概念には,価値や知識あるいは文化といったことが論理必然的に含意されている」と言って, 教育と文化の結びつきという問題は「教育学研究にとっては本質的でかつ『懐かしい』テーマであることは 言を要しないであろう」としている。2 そしてさらに,現在の学問の状況について次のように述べる。 「1960年代末から学問世界のみならずジャーナリズムにおいて,果ては今日多くの人々にとってさえも常 識にまで達したかの感のある,ポストモダンやニューアカデミズムの知的影響は,この間題に対して積極的 に,あるいは建設的に発言する勇気を失わせているかにさえ見える。……こうした学問状況下で,つまりは ポスト・ポストモダン状況に於いては,教育における『文化』や『文化伝達』の可能性を論ずることは,そ れが従来のあり方とは異であるにしても,陳腐であるよりもむしろ反動的で犯罪的な試みに思えるかもしれ 3. ない。」. このような学問的状況にあるにもかかわらず,船山はあえて,教育と文化の問題という教育学にとってき わめて根本的・基本的な問題を正面から論じることを碇案している。. 「すなわちこの研究討議を介して吟味したいことは,人間にふさわしい『総合性』ないしは『全体性』(昔 ママ 日の『百学連環』の理念や今日の『ネットワーク』型の知を想定も含まれるかもしれない)を確保した知識. ママ や文化とはいかなるものなのかということかということ,さらには『人が人となる』ことにとってそうした 文化活動一般はいかなる機能と意義を有しているのか,つまりはそうした知的活動を培うにはいかなる人間 形成の仕組みを必要としているのかということである。それが『教育問題』としての文化,という表題でもっ. て示そうとしたこの研究討議の趣旨である。」4 当日の報告者の発表題目は次の通りである。. 1.生田久美子「教育を文化的視座から捉えなおすことの意味−『文化』と『思考』に着目して−」 2.桧下良平「文化衰退の時代における教育のゆくえ」 3.桧浦良充「教育問題としての『教養/文化』−その陸路と展望−」. 生田は,当日配布の発表用レジュメに次のように書いている。. 「本シンポのテーマの下で筆者は,『文化』をあたかも了解済みの事象であるかの如く,つまり伝統的な 見方に立ち『[高度のあるいは質の高い]価値あるもの』として捉えた上で教育との関係について論ずるこ とを超えて,あらためて『文化』とは何かを問うことによって,そこから生起する『教育問題』について論 じたい。特に,ここでは教育における『思考』をめぐる問題を『文化』という視座から捉えなおし,新たな 『思考』についての議論の可能性を碇起したい。その際,J.S.ブルーナーの『文化』と『思考』をめぐ.
(4) 教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1). る議論を手がかりにして筆者の論を展開する。」5. 松下は,当日配布の発表用レジュメに次のように書いている。. 「本発表で問題にする文化とは,自然と対置される人間的活動の所産のことではなく,自然と人間のかか わりの一つの様式としての文化のことである。ここでは,消費資本主義の社会において,前者の文化が爆発 的に増大していくのに反比例するかのように,後者の文化が衰退していく事実に注目し,それが教育のあり 方に与える影響について考えてみたい。」6. 松浦は,『発表要旨集録』に次のように書いている。. 「筆者に与えられた課題は,『高等教育における教養形成』という観点から,いま『教養』が問題とされ る背景要因や意味を考えることを通して,く教育問題としての『文化』〉という本研究討議のテーマにアプロー チすることである。. これまで筆者は,戦後日本の大学・高等教育における『教養教育』や『一般教育』をめぐる議論が,教養 を教育によって(のみ)形成可能なものとして捉える前碇にたち,現在に至るまでその傾向を強めてきたこ との問題性を批判してきた。‥…・. こうした観点から筆者は,(大学・高等教育における)教養形成を,教育によって可能なものと,そうで ないものとに仕分けを試みることを,教育哲学の役割として主張してきた。今回の報告と提案においては,. 教育問題に収赦しない教養形成の多様性と広がりを視野として確保しつつも,教育の問題・課題としての,. すなわち教育によって形成可能なものとしての教養の現代的な意味とあり方を考えることにしたい。」7 上で見たように,報告者の三氏は,それぞれの観点から,教育と文化の問題にアプローチしている。この 研究討議によって,船山が望んだように「教育と文化の連関を巡る基本問題を多面的で立体的に浮かび上が らせること」8がなされたと言ってよいであろう。. 本論においては,特に報告者の松浦,松下の碇示した問題,つまり,教養の問題,文化衰退の問題を手が かりにしながら,両氏とは若干違った視点から,改めて教育と文化をめぐる問題について考えてみたい。. したがって,本論においては,(i)どのような文化・教養概念がどのような教育問題を導き出すのかとい うこと,そしてまた,(i)の考察の中で,文化の維持・継承の担い手としての社会・集団の問題が浮かび上 がってくるということをうけて,(ii)文化と,その文化を担う社会・集団との関係がどのようになっている のか(特に現代社会において)ということを,考えることにする。これらの点は,松浦と桧下の提示した問 題に関連したものであり,船山の碇示した問いに直接答えることにはならないかもしれないが,その間いの 一部に対して間接的に答えることにはなるだろう。. 船山の問いは,「人間にふさわしい『総合性』ないしは『全体性』……を確保した知識や文化とはいかな るものなのか」「『人が人となる』ことにとってそうした文化活動一般はいかなる機能と意義を有しているの か」「いかなる文化内容にいかにして学習者を対峠させることが『教育』にふさわしいことなのか」「つまり. はそうした知的活動を培うにはいかなる人間形成の仕組みを必要としているのか」というものであった。 これらの問いは,それぞれが非常に大きな問いなので簡単には答えることができないが,その間いの一部 に対しては(「総合性」「全体性」,文化の機能と意義,「人間形成の仕組み」という問題の一部に対しては) 間接的にではあれ答えることが出来るであろう。.
(5) 羽根田 秀 実. 以上のことを確認した上で,いま述べた(i)(ii)についてこれから考察していくことにするが,これらの. 問題について考察することは,現在問題になっている教育と文化をめぐる問題の整理をすることであり,同 時にそれは,この間題についての理解を深めるための基本的な視点を得ることでもあるのである。. 第1章 「文化」とはなにか 1 「文化」の定義. 「文化」とは何かという問題を考えるにあたって,まずWoodsとBarrowの言に耳を傾けてみよう。. 「一般に人がある社会の様々な文化(cultures)について言及するとき,そしてしばしば人がある社会の 文化(culture)について言及するときでさえ,人は『文化』という語を,人類学者が用いるのと(あるいは, 社会学者が『サブ・カルチャー』という語を用いるのと)同じように,用いている。このような使用法は, 美的に高度な水準にある作品・業績への関連を暗示する,エリオットの言う上位文化が,あるいは私の言う 大文字の文化(Culture)が意味しているところのものを指し示す言葉の使い方からは,明らかに違っている。 人類学者が,或る社会の文化に,あるいは或る社会の中の或る集団のサブ・カルチャーについて言及すると き,彼は単に,その社会あるいは集団に特有の生活様式,あるいは生活の規則を取り出すことを意味してい るにすぎない。……理論的には,このような『文化』の使用法は,純粋に記述的なものである。それは,言 及されたどのような文化についても,その価値等に関する暗示は含んでいない。」9. このような人類学的・社会学的な語の使用法以外に,次のような使用法もあることを,彼らは次のようド 言っている。. 「大文字の文化(Culture)は,規範的な観念である。大文字の文化は,何がそれを構成するのかについ ては我々の間で意見の一敦を見ることはできないけれども,ある意味において,望ましいものである。人は, 社会学的な意味において同一の文化を備えた集団に単に属するだけでは,教養のある人であるわけではない。 ……特定の種類の生活の規則,特定の種類の生活様式のみが,非一社会学的な意味における教養ある生活様 式として重要なのである。そして,少なくとも,教養ある人の生活様式のひとつの側面は,芸術の領域への 関連を持たねばならないのである。……大文字の文化へ加入させるということは,おそらくほかの何にもま して,芸術的な質の作品・業績と見なされたものへと導き入れることなのである。」10. このように述べて彼らは,「文化」の意味には大きく分けて二つあることを確かめる。ひとつは人類学的・ 社会学的な意味,もう一つは規範的な意味である。彼らは「文化」の意味をこのように捉えたうえで,それ に続く論述においては,規範的な意味において「文化」を理解するという立場から,文化的エリート主義に 向けられた批判に対して,論点を限定しながら慎重に反論している。 「文化」の理解については,WoodsやBarrowの言う規範的な理解よりも,むしろ人類学的・社会学的 な理解の万が一般的であるように思われる。竹内芳郎は,「文化」について次のように述べている。. 「最初に く文化〉 の初発的な定義を呈示しておけば,『文化とは,他の動物の生活から区別されるかぎり. での人間生活の有機的総体だ』,と一応は言うことができるだろう。もとより,これは作業のための初発的 な仮説的定義にすぎず,より精密な定義は,作業の過程で次第に獲得されてゆくべきものだが,いまさしあ.
(6) 教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1). たって必要なことは,通念がく文化〉概念にまといつかせているもろもろの価値的なニュアンスを,きれい さっぱりと払拭しておくことである。‥…・. 第一に,文化とは人間生活の有機的総体なのであるから,旧 く文化哲学〉 などがよくおこなったように, 宗教とか芸術とか哲学とかといったもののみを文化と考えたり,それらを具体的日常生活の有機的連関から とり外して個々バラバラに考察したり………といったことを拒否せねばならない。」. 11. 竹内は,「文化」をめぐる問題について考察を始めるにあたって,まず「文化」を「人間生活の有機的総体」. と捉え,そこに「価値的なニュアンス」をまといつかせないことが大切だと言っているが,この点について は,多少表現が違うが松浦もほぼ同様の「文化」の捉え方をしていると言ってよいであろう。. 「『文化』の定義に関して,人間が自然を加工することによって形成してきたものごと,あるいはその過 程において人間がつくりあげてきた生活や行動の様式をさす,ということに極端な異論は見いだせないだろ 12. う。」. このように「文化」を定義したうえで,松浦はさらに続けて,「文化は,多義的というよりは,多層的で 領野の広い概念である。」と述べ,「文化の多層性」の例として,「主流文化(正当的・支配的文化,常識・ 日常・大衆文化=mainculture)」「下位文化(subculture)」「対抗文化(counterculture)」「上位文化 (highculture)」などを挙げている13。. 松浦のこの「文化の多層性」という視点は注目に催する。なぜならば,我々が一般に「文化」について論 じようとするとき,我々の文化には様々な層・相があるにもかかわらず,我々は,それらのものを乱暴にも ひとくくりにして「文化」という一語で表現してしまっているからである。文化をめぐる様々な問題につい. て多角的に考察しようとするには,「文化」という語はあまりにも一般的,包括的な概念でありすぎる。桧 浦の言う. 「多層性」という視点は,「文化」という一般的,包括的な概念によって,これまで抽象的,概括. 的にしか論じることができなかった点を克服するうえできわめて有効な視点である。少なくとも,上位文化 と下位文化との関係はどのようになっているのか,あるいはまたこれらの上位と下位の文化が子どもの人格 形成にどのような影響を与えているのか,さらにはまた下位文化・対抗文化がどのように主流文化に取り入 れられたり,影響を与えたりしているのかといった点等について,これまでより具体的かつ詳細に,そして より生産的に論じることを可能にするであろう。. このような桧浦の視点の有効性を認めつつも,私は,以下の論述を進めるにあたって,幾分松浦とは違っ た角度から文化を捉えるために,次のような視点を設定したい。桧浦は「層」と言っているが,私は文化の 「構成要素」あるいは「相」というかたちで,「文化」を捉えてみたい。つまり,「文化」を,①人間の知的・. 精神的創造物(その成果は,文字あるいは記号によって記述し,蓄積することが出来る),②技術・技能(意 識的な反復練習等によって身につけられたもの,身体化されたもの),③生活習慣といった意味での人間の 行動様式(日々の生活の中で自然に無意識のうちに身につけられるもの)といった「相」において捉えてみ たい。. もっと厳密なかたちで「文化」を定義することも可能であろうが,ここで問題にしたいのは,「文化」の 厳密な定義というよりはむしろ,このような素朴な捉え方であっても,このような視点がどれほどの有効性 を持つのかを確かめてみることの方なのである∩.
(7) 羽根田 秀 実. 2 枠組みの設定. さらに以上のような「文化」の定義をもとに,文化と教育の問題を歴史的・理論的に考えるために,次の ような枠組みを設定してみよう。. まず,歴史的な時間として,それぞれ違ったTl,T2,T3の三つの時点を考えよう。Tlは,時代とし て最も古く,T3は,現代の我々の時代を示していることにする。そして,それぞれの時点における社会を, Sl,S2,S3としよう。また,文化をCで表せば,このCは,前述したように①+②+③から成り立つこと になる。そうした場合,Slが持っている文化C(Sl)は,C(Sl)=Cl①+cl②+cl③となる。さらに,こ の文化C(Sl)のそれぞれの相を示すcl①,Cl②,Cl③には,さらにそれらを構成する下位区分が成り立つ。 つまり,Cl①=Cl①(i)+cl①(ii)+・・・Cl①(n)が成り立つ。. このような枠組みのもとで考えてみれば,T2の時点における社会S2が持っている文化C(S2)は,Tlの 時点における社会Slが持っていた文化C(Sl)の或る部分〔C(Sl)′〕を受け継いだものと,このT2の時点 におけるS2の社会に特有の文化C2とから成り立っていると考えることが出来る。そうすると,C(S2)=C (Sl)′+C2となる。ただしこの場合,C(Sl)′は,C(Sl)′=〔cl①(i)+cl①(iii)+cl①(Ⅴ)+cl①(n)〕 +〔cl②(ii)+cl②(iv)+cl②(v正i)〕+〔cl③(iii)+cl③(iv)+cl③(vi)+cl③(n)〕とい. うようなイメー. ジで捉えることが出来るであろう。 同じように,現代の我々が持っている文化C(S3)は,C(S3)=C(Sl)′′+C(S2)′+C3となる。ただし, 上と同様にC(Sl)′′は,C(Sl)′′=Cl①(i)+cl②(iv)+cl③(n)というようなイメージで捉えることが 出来る。. ここまでの説明では,社会を単一で均質のものというふうに見てきたが,この社会は様々の階層および集 団から成り立っていると考える場合には,階層・集団をも取り込んだモデルを作らねばならない。この階層・ 集団は,現実にはタテとヨコの両方の構造を示すが,ここではそれらを厳密に区別しないで,そのどちらで もあるというふうに横やかに捉えておくことにする。階層・集団をGで表すとすると,S=Gl+G2+G3 +G4+……となる。. これでこれ以降の考察のための準備が整った。これらの枠組みをもとに,文化と教育の問題について考え ていくことにしよう。. 第2章 文化と教養をめぐる問題 1 「教養問題」を考えるための前提 松浦は,教養問題の困難さについて,次のように述べている。. 「いま教養(形成)が教育問題として焦点化されるのは,多文化状況によるところが大」である。そして, このような多文化状況により「教養としての文化内容が確定できないがために,内容一方法の分裂傾向はま すます強ま」り,その結果「教養の方法的技術化が進み」,教養は「単なるコミュニケイション技術に接小 化される恐れがある」。「こうしたなかで,現在の教養論は混迷を極めている。教養概念は,いまやあらゆる 意味を包摂しようとして,もはやなにものをも意味することができなくなってしまっている」14。 松浦が言うように. 「教養概念は,いまやあらゆる意味を包摂しようとして,もはやなにものをも意味する. ことができなくなってしまっている」のかもしれない。しかしながら,「文化と教養とは,Cultureという 概念を媒介にして意味の重なりをもつ」15とするならば,つまり,我々の日本語の「文化」および「教養」.
(8) 教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1). という二語(我々は一般にこの二語の意味とニュアンスを互いにはっきりと区別して捉えている,あるいは 捉えてきたのであるが)の概念を英語の“culture”という一語で表すことができるとするならば,教養形 成の問題は,文化伝達の問題に他ならないと言うことが出来るのである。そうだとするならば,教養概念が あらゆるものを「包摂」して「なにものをも意味することができなくなってしまっている」にしても,もう 一度この教養問題を,英語の“culture’’という語が指し示すところに立ち返って考えてみれば,この間題 をより統一的・全体的な視点から眺めることが出来るようになるのではないだろうか。(たとえそのことに よっても,問題の複雑さ・困難さを解消することが出来なくても。). 2 「教養」の歴史. 以下において,文化と教養をめぐる問題について,いま上で述べたような視点から考察していくことにし よう。この間題の考察をすすめるにあたって,まず阿部謹也の所説を手がかりにするところから始めること にする。阿部は,我々が常識的に「教養」だと思っている教養の概念は,西洋の長い歴史の中から生じてき たと言う。. ・十二世紀頃になってはじめて『いかに生きるか』という問いが実質的な意味をもつことになった。この 頃に都市が成立し,そこで新たな職業選択の可能性が開かれていたからである。……. このような可能性が開. かれたとき,はじめて人は『いかに生きるか』という問いに直面したのである。それまでは父親の職業を継 ぐことが当然のこととされていた。いまやなにを職業とすべきかを考える中で『いかに生きるか』という問 いが重要な意味をもったのである。 これが教養の始まりであった。この頃多少知的関心がある人はこの問いをローマ末期の作家たちに問いか けていた。当時の俗語としてのフランス語やドイツ語ではこのような問いに答えることはできなかったから である。ラテン語の能力はこの頃洗練され,人々は文法的な誤りなくラテン語を話せるようになっていた。. …… この時以後西欧社会の特に都市社会の住人にはローマ末期の人々の文献がこのような問いに対する基. 本的な答えとなった。その結果,後においても. 『教養』はなによりもまず古典語と結びつくことになったの. である。」16. 阿部は,教養には「個人の教養」と「集団の教養」とがあるとし17,上で見た十二世紀における革新は, そのうちの「個人の教養」という面での展開であるとする。その代表的な人物として,個人の教養の成立の 転機に立っていたサン=ヴイクトルのフーゴー,および個人の教養と集団の教養の混交を体現していたヴオ ルフラム・フォン・エツシュンバッハを挙げている。. フーゴーやエツシュンバッハ以後,「個人の教養」の理念はさらにはっきりとした形に高められていく。 「個人の教養の理念はそれ以後西欧各国で様々な形を取りながら,年を追うごとに強化されていった。基 本的にはまず財産があり,幼年時に働く必要がない人々の間で読み書き,算術の教育から始まって,古典語 の学習まで進み,徐々に教養の形が生まれていった。そしてやがて個人の教養以外に教養はあり得ないとい う形にまで至るのである。」18 このように「個人の教養」の歴史的展開を辿ったあとで,阿部は,ドイツ観念論がどのような教養の理念 を作り上げていったのかについて述べる。.
(9) 羽根田 秀 実. 「教養という言葉はドイツ観念論哲学の中で徐々に作られていったものらしい。. ドイツ観念論哲学と新人文主義者たちの考えでは教養は孤独の中で身につけられるものであり,それは『ひ とり人間の自発的活動によってのみ獲得され,人間の知的な自己教育という形の中でのみ獲得され,人間の 知的な教育という形でのみ達成されるもの』(ヴイルヘルム・フォン・フンボルト)とされている。 孤独の中で身につけるべき教養は孤独の中で営まれる学問によってはじめて実現されるのである。しかも. その学問は『純粋な学問』でなければならないという。『純粋な学問』とは一体どのような学問か。それは『純 粋な認識』といってもよいが,人間の自己形成の第一の手段であり,『純粋な学問』はなによりも特定の目 的から離れて自由に,それ自身のために修得されなければならないという。それはいいかえれば世界認識と. しての哲学ということになるが,観念論哲学者たちはそれを大学で行われるべきものとしたのである。」19 「学問に基づく教養を身につけた人々は学者あるいは高級官吏として上層階層を構成し,学問的教養を身 につけていない人々はフィヒテによればすべて民衆と見なされたのである。ドイツの観念論・新人文主義は はじめから社会の上層階層と密接に結びついていたのである。これらの階層は啓蒙思想の影響下で生まれた 産業育成のための教育を低く見なしていた。. こうして十人世紀末から十九世紀にかけてドイツで特定の市民階層が生まれていった。それは以上述べた ような教養理念を中核として生まれたエリート階層身分であり,基本的にはギムナジウムと呼ばれた高等学 校を卒業し,大学を出た人々から成り立っていた。……比較的経済的にも恵まれた人々であった。一人一人. の個性を尊重するという主張のもとで実用主義は排され,学問も人格形成の見地が重視されていた。」20. このようにして我々が一般にヨーロッパの教養理念と考えているものが成立した。阿部の説明を参考にし ながら,先に作った枠組みを用いながら,教養概念成立のモデルを作ってみよう。 阿部によれば,「教養の始まり」は十二世紀頃にあるという。それはまた,「個人の教養の成立」でもある。. このことを,先の枠組みを使って説明すると次のようになる。 この時代の文化は,当然のことながら先に述べた①+②+③から成り立っているということができる。そ うすると,この時代の文化C(S2)は,C(S2)=C(Sl)′+c2①+c2②+c2③とい. うことになる。そしてこ. の場合,今問題になっているこの時代(T2)に伝えられてきた古典古代の文化C(Sl)′は,C(Sl)′=Cl①′+. cl②′+cl③′となる。現実にはこのような形の文化が継承されているのであるが,「個人の教養の成立」を 担った「都市社会の住人」は,この古典古代の文化C(Sl)′のうち「ローマ末期の作家たち」の著作に注目 し,これのみを重要なものとして取り出したのである。つまり,この「都市社会の住人」は,古典古代の文 化のうちcl②′とcl③′をまったく無視し,Cl①′のみを彼らにとって重要なものとして取り出したのであ る。. 「個人の教養の成立」を担った「都市社会の住人」たちは,「ローマ末期の作家たち」の著作を読み,そ こから「いかに生きるか」という問いに対する答えを汲み取った。「ローマ末期の作家たち」は「都市社会. の住人」からすれば時代状況や文化的状況がまったく違う中で生きていた人々である。それにもかかわらず, 「ローマ末期の作家たち」から学ぶことが出来たのは,ひとつには,注目し取り出したのが①の文化であっ たからである。文字によって記された書物は,これを解釈するという困難な作業を経なければ理解すること は出来ないという難点があるが,しかしこの作業を経た後にはそこに記された思想等を時代や場所の違いを こえて伝える・学ぶことがH来るというある種の普遍性を持っている。そしてふたつ目には,この「ローマ 末期の作家たち」の著作が,「都市社会の住人」が生きていた社会・文化の中から生じてきたものではなく,.
(10) 教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1). 彼らの社会・文化とは切れたものであったにせよ,彼らにはこの著作を何のために,どのように用いるかと いうはっきりした問題意識・課題意識があったこ. と。しかも彼らは,彼らの時代の文化の中にきちんとその. 生活の根を下ろしていたのである。つまり,C2②やc2③の部分の文化の中で生き,それらを意識的・無意 識的に身につけていたのである。したがって,彼らはc2②やc2③の文化によって彼らの日常生活のふるま い(広い意味での)を確固とした形で支えられていたがゆえに,遠い時代の作家の著作であっても,そこか ら学んだことを実生活の中で(意識的にであれ,あるいは無意識的にであれ)応用することにさして困難を 感じることはなかったはずである。 そして,このような形での文化を身につけた典型的な人物が,フーゴーやエツシュンバッハなのであった。. 彼らが身につけていた文化は,すでに上で見たようにC(S2)=C(Sl)′+c2①+c2②+c2③であったとい うことができよう。阿部によれば,教養には「個人の教養」と「集団の教養」があるということであるが, これを私の枠組みによって説明するならば,「個人の教養」はC(Sl)′[およびc2①]であり,「集団の教養」. はc2②+c2③であるということができよう。私の枠組みで言えば,「個人の教養」と「集団の教養」は,相 対立するものというよりは,文化[C(S2)]の構成要素なのであり,そのあり方・特質が違っているにす ぎないのである。そしてすでに見たように,フーゴーやエツシュンバッハにおいては,「個人の教養」と「集. 団の教養」が一人の人格の中で統一されていたがゆえに,彼らは教養ある人であった,ということができる のである。. しかしながら,後の時代になって,フーゴーやエツシュンバッハが教養のある人であったということで, 彼らを真似すべきひとつの理想像とするようになると,彼らの行動・活動を支えていた文化的基盤の全体性 が見失われてしまい(特にc2②+c2③にあたる部分の意義が認識できなかったり,あるいはそれ以上にこ の部分の存在それ自体が認識できなかったりして),比較的わかりやすい①の部分,つまり古典古代の著作 にだけ目がいってしまい,結果としてこれらの著作を読み,知っていることこそが,教養そのものを形作る のだと誤解されるようになる。. そしてこのような誤解をさらに推し進めたのが,ドイツ観念論哲学と新人文主義者たちであった。彼らが 言う教養は,観念論哲学,「純粋な学問」,「『制約のない』『絶対的な』知識21」を学ぶことによって身につ. けることが出来るものとされた。そして,これらの学問・知識は,すでに述べた①の部分を構成し,この① は「上層階層」「教養市民階層」によって占有されていたのである。「民衆」はこれと違ったところで彼らに 固有の文化を持ち,その中で彼らの生活を送っていたのである。したがって,この時代のドイツの社会は, 少なくとも阿部の言うところに従えば,「上層階層」(Gi)と「民衆」(Gii)とに分かれ,それぞれが持っ ている文化にははっきりした違いがあったということになる。この状況をあえて図式的に示してみるならば, 「上層階層」が持っている文化はC2(Gi)=C2①となり,「民衆」が持っている文化はC2(Gii)=C2② +c2③となる。. 「民衆」には彼らに固有の文化(c2②+c2③)があり,彼らはこの文化の中で彼らの生活を送っていた のである。彼らの文化は,「上層階層」の文化・教養のようにはっきりと目に見えるような形(c2①=ドイ ツ観念論哲学)をとることはなかったが,しかし彼らの文化は彼らの日々の生活に根ざし,彼らの属する社 会・集団によって支えられ,伝達されていた。その意味では,彼らの文化(c2②+c2③)はその発生の母 体である社会・集団(Gii)と緊密なつながりを保っていたのである。. これに対して,「ドイツ観念論哲学と新人文主義者たちの考えでは教養は孤独の中で身につけられるもの」 であったとするならば,ここで言う教養とは,①の部分であり,しかもこの①は「上層階層」「教養市民階層」 の人々によって担われるものであった。しかしこの「教養」が「孤独の中で身につけられるもの」であると. いうことは,「民衆」の文化の場合と違って,文化・教養の母体であり,これを支える社会・集団から切り.
(11) 羽根田 秀 実. 離されたところで,ひたすら個人の内面においてその個人の努力によって「教養」は「身につけられる」べ きものと考えられた,ということを意味している。つまり,教養のある人,教養を身につけた人というのは,. 「上層階層」「教養市民階層」に属しておりながら,この階層の人々が当然持っているであろう独自の生活 とのつながりを欠いたところで,自己を形成した人ということになる。そしてこのような形の教養概念に基 づき自己形成を推し進めれば進めるほど,言い換えれば,学問が個人の中で完結すればするほど,教養のあ る人というのは現実社会からますます遊離していくことになる。その結果,一方では人格の高い理想を目指 しながら,他方では実用的であることを低く見,蔑視するような,現実社会とは隔絶したところに生きると いうような人間像が成立することになった。. 3 「教養」の囲証性 山崎正和は,阿部とは幾分ニュアンスが違う形で,教養について次のように述べている。. 「教養のもっとも常識的な定義は,よく身についた人文学(ヒューマニティーズ)のことだと言ってよい だろう。身につかないたんなる知識の記憶は教養ではないが,逆に知識の裏付けのない人格の陶冶は修養と 呼んでも,教養とは言わない。教養人はまずものを考える人であり,考えることを通じて,情緒や道徳感情 を含めた人格の全体を訓練する人だといえる。」22. 山崎は,「教養」とは「よく身についた人文学(ヒューマニティーズ)のこと」だと言う。そして,この「人 文学」の「知識」を習得することを通して「人格の陶冶」「人格の全体を訓練する」ことが,教養の中核を なすと捉えている。それゆえここでは,「知識」は単なる「記憶」であってはならず,身についたものになっ ていなければならないとされる。このような山崎の「教養」の定義は,阿部が西洋の歴史を振り返る中で示 したように,ヨーロッパのある時代において成立した教養概念の影響を受けていると言ってよいだろう。 しかしここで注目しなければならないのは,山崎が「教養」の中核をなすものとして「人文学」という具 体的な学問の名を挙げていることである。山崎がここで言う「人文学」とは「もっとも広い意味」において 捉えられており,「今日の分類によれば,社会科学や自然科学の一部も含むものと考えなければならない。 それは知識の視野の点では十人世紀以前の学問のすべて,『科学(サイエンス)』という言葉が生まれ,自然 や社会の科学が分立する以前の知識の全体をさすもの」23とされている。このように「人文学」という名を 出すことによって,教養の持つある種の問題を我々は認識しやすくなったということができよう。. 「現在では人文学は学問のすべてではないし,その範囲は他の学問の発展によって侵食される一方である。 教養とは身についた人文学だといっても,そのイメージはたしかに漠然としている。そしてじつをいえば, 今日の教養の危機のはるかに遠い芽生えは,問題の『科学』の誕生の時期,人文学が拡張して分裂し,もは や学問のすべてでなくなった時期に始まっていたのである。」24. 「人文学」が「学問のすべて」であった時代においては,少なくとも「人文学」を修めることが教養のあ ることの証であった。しかし現在のように学問が分裂・分立していくにつれ,学問は「求心性」「体系性」25 を失ってしまい,旧来のような形で教養を身につけようとしても,それは不可能になってしまったのである。 かつては教養があるということを保証していた「人文学」が「求心性」「体系性」を失い,これを学んだだ けでは人格の全体性を作り上げることがH来なくなってしまったのである。 学問が「求心性」「体系性」を持っていた時代においては,我々はその学問を学ぶことによって,人格の. 10.
(12) 教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1). 全体性を陶冶できると「信じる」ことが出来たが,しかし今や,それも不可能になってしまった。だがしか し,現在の学問が直面している困難はそれだけにとどまらない。. 「そもそも顔見知りのない社会を社会として統一したのが近代国家であるが,この知識人の資格が普遍性 を得たのも近代国家の成立によってであった。国家が直接間接に大学を認定し……. 知識人にも,ギルドでは. なく国家が資格を認定するようになった。……知識人の権威を保証するものは個人から普遍的な法に移った。. それと同時に知識を権威づける根拠も,王侯貴族の趣味的な感覚から国家の利益へ,宗教的な信念から世俗 的な実用性へと変わったのである。. いわば,教養とはじつはこのとき制度の外に置かれ,実用性を認められずに資格授与を許されなかった知 識だといえる。教養とは制度化された知識の余白にほかならず,逆説的に近代国家によって生みだされた私 生児だったのである。」26. 山崎の言うところに従えば,近代国家になって知識・学問にも制度化されたものとそうでないもの,実用 的なものとそうでないものとの区別が導入され,有用な知識・学問が制度によってその「権威」「正統性」「実. 用性」を保証されることになった。このようにして知識・学問が国家に絡めとられていくにつれ,我々の時 代において教養は軽視され,ますます危機的な状況に置かれることになった。 このような時代状況の中で,それでも「教養」の形成を行なおうとする場合(少なくとも①の部分におい て),我々には何が求められているのだろうか。. 我々にとっての課題には,阿部の所論との関連で言えば,「教養は孤独の中で身につけられるもの」とい う教養概念をどのようにして乗り越えていくのかという問題がある。これを一般化して言えば,個人の教養 形成における社会・集団の意義をどのように捉えるのか,あるいはまた,教養形成における個人と社会・集 団との関係はどうあるべきかという問題がある。そして山崎の所論との関連で言えば,人格の全体性を陶冶 することができるような学問とはどのようなものなのか,あるいはまた,このような学問があるとするなら ば,現在の学問的・社会的諸状況の中で,このような学問をどのように構築していったらよいのだろうかと いう問題がある。そしてまた,実用的な学問とそうでない学問(より一般化して言えば,専門教育と一般教 育・教養教育)の分裂・対立をどのようにして乗り越えていくのかという問題がある∩. 4 教養概念の拡張 いま上で述べた課題は,私の枠組みで言えば①の部分にあたる問題である。しかしながら,既に述べたよ うに,文化や教養の問題には,②や③に関わる問題がある。. 阿部はこれまで上で見てきたような教養概念は①にあたるものでしかなく,それは「教養概念の一部でし かない」として,新たに「教養」を次のように定義することを碇案している。阿部の定義は,私の枠組みの ②と③にあたるものを含んだものと考えることができよう。. 「これまでの教養概念の中JLりこは,文字があり書物がおかれていた。『教養がある』人とは多くの書物を. 読み,古今の文献に通じている人を指すことが多かった。……しかし歴史的に辿ってみると,それらは個人 の教養に過ぎず,教養概念の一部分でしかないことが解る。『いかに生きるか』という問いを自ら立てる必 要がなく,人生を大過なく渡っていた人々は数多くいたのである。それらの人々のことを考慮に入れ,『教養』. の定義をするとすれば,次のようになるであろう。 『自分が社会の中でどのような位置にあり,社会のためになにができるかを知っている状態,あるいはそ. 11.
(13) 羽根田 秀 実 れを知ろうと努力している状況』を『教養』があるというのである。そうだとするとそのような態度は人類 の成立以来の伝統的な生活態度であったことが解るだろう。」. 27. また山崎は,私が先に引用した著書とは別の著書で「文化」について次のように述べている。. 「文明の話が長くなりましたが,では一方の文化とは何か。それは文明が人間の身についた姿である,と 私は考えています。この先で詳しく説明しますが,文化とは『身体化された文明』,あるいは逆に『意識化 28. された習慣』ともいえるでしょう。」. 阿部と山崎の捉え方のうち私は,阿部が個人と社会の関係をはっきり意識しているところ,そして山崎が 「訓練」「身体化」といっているところに注目したい。というのは,阿部がすでに述べているように,現代 の我々が教養だと思っているものは,西洋の歴史のある時点において作り出されたものでしかなく,しかも 一面的な教養概念でしかないからである。阿部の定義はその一面性を克服するための手がかりを与えてくれ. るだろう。確かに,文化の継承・創造は個人によって担われている面があることを否定することはできない が,同時に文化の継承・創造は社会によって担われているということもまた真実なのである。この社会とい う要素を欠いたところで文化伝達の問題を考えることは非常に難しいであろう。. さらに私が,山崎の「訓練」「身体化」に注目するのは,私の枠組みにおける②と③に特に関連している からである。以下においてこの点について説明してみよう。山崎はこれをピアノや茶の湯の例を挙げて説明. している。つまりピアノの例で言えば,ピアノや楽譜は文明の典型であり,ピアノが弾けるということが文 化であるという。. 「ピアノが弾けるとはどういうことか。たんにマニュアルに従い,順を追って鍵盤を押すということでは ありません。キーの前に座ったら,もう指が動いてしまっているという状態になったとき,つまり身につい た行動になったとき,真の意味でピアノが弾けるといえます。」. 29. 「行動がまるで技術のように規範に従いながら,しかも文化として身につくという営みは,日常生活の一 部にも現れます。一般にこれは『作法』と呼ばれますが,そのもっともいい例が日本の『茶の湯』でしょう。. ……手順が人の目に見えるようではまだ上達したとはいえない。水の流れのように,自然に見えるまで練 習を重ねなければならない。いいかえれば,第二の習慣となったときに,上手な茶の湯,つまり文化として の茶の湯が成り立つのです。」. 30. このように山崎は,ピアノや茶の湯の例を挙げながら,文化や教養には「訓練」「身体化」「練習」「型」31 といったものが不可欠の要素として含まれているのだということを述べている。そしてこのようなことは, ①の教育にも当てはまるが,特に②や③の部分においてこそ大きな比重を占めているのである。阿部の次の 文章も,②や③に当たるものについて述べていると理解することが出来るだろう。. 「フーゴーによる哲学の区分の中には,音楽の実践や狩猟,手工業,個人の実践などが含まれている。こ れらは必ずしも言葉や文字を必要としない分野である。フーゴーがこれらの分野を哲学の中に入れているこ とはきわめて重要なことである。なぜなら,近代になって学問はほとんどすべて言葉や文字,記号などによっ て営まれるものとされているからである。. 12.
(14) 教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1). ……中世においては言葉や文字よりも遥かに重要なコミュニケーションの手段があった。それは動作や身. ぶりである。」32. 「現代の世界と違って,文字以上に身ぶりが人と人の関係の全体を拘束していたのである。実際,文字は 聖職者の占有物であり,一般の大衆にとっては全く無縁のものであった。一般大衆を含めて当時の人々は皆 何らかの団体に属していたから,すでに述べた石工の組合のようにその団体の中ではすべての関係が儀式化 されていた。その儀式は基本的に身ぶりであったから,身ぶりによって社会関係が保たれていたのである。」33. 阿部はここで「身ぶり」について述べているが,ここで私が注目するのは,「身ぶり」そのものというよ りは,「身ぶり」に代表されるような「必ずしも言葉や文字を必要としない」ものがあり,それによって「社. 会関係が保たれていた」という事実である。石工たちは彼らの階層・集団に属する人たちで「組合」を作り, その集団のなかで共有される「儀式」「身ぶり」によって,その集団の中で生きていた(「社会関係」を結ん でいた)。この「儀式」「身ぶり」は,この石工たちの「文化」であると言うことが出来,このような「文化」 の保持・継承の担い手になるのが「組合」という集団なのである。この石工の「組合」の例からも分かるよ. うに,「文化」はそれを保持・継承していく「集団」の存在があってはじめて存続できるのである。 上の例からも分かるように,文化の保持・継承には②と③の相にあたる部分があることが分かる。そして, この②と③にあたる部分の文化の保持・継承は「集団」の存在によって支えられていたのである。人々は彼. らの階層・集団に固有の「文化」を作り出し,文字による伝達とは違う形でこれを若い世代に伝えていたの である。したがって,このような領域での文化の修得においては,①の文字による学習の仕方とは違って,「身. につける」,つまり「身体化」するような形での修得の方法が大きな位置を占めていたのである。. 5 教養の複合性. 以上において見てきたように,阿部や山崎の所論を参考にすれば,①のみで教養の問題を片付けてしまう のは,一面的とのそしりを免れないであろう。我々の(広い意味における)文化的活動の中には,①の知識・. 学問の伝達・習得の問題以外にも,文化・教養の問題として取り上げなければならない問題はたくさんある からである。 山崎の言う「訓練」「身体化」「練習」「型」,阿部の言う「身ぶり」,これらは私の枠組みで言えば,これ. まで何回も繰り返し述べてきたように②や③の相に特徴的なものであるということが出来るだろう。山崎も 阿部もこれまでの教養概念の狭さ,一面性を乗り越えるための手がかりとして,以上のような点に注目した ということが出来る。 そこでこれまでの文化概念を,阿部や山崎の考えを考慮しながら拡張するならば,すでに述べたように,「文. 化」は①+②+③から成り立つものであるとするのが妥当な捉え方であろう。そうであるならば,教養はこ の「文化」を学習し,身につけることから成立するのであるから,教養ある人になるためには,これまでの 伝統的なやり方(つまり①の学習)のみならず,②や③にあたる部分の習得をも十分に果たしていなければ ならないことになる。. しかし,このように文化概念を拡張したとしても,これまでの教養がもっていた弱点(現実の世界におい てもっていた弱点)を直ちに克服できるわけではない。というのは,②や③にあたる部分は,これまで人々 の日常生活の中で無意識のうちに自然な形で行なわれてきたのであり,フォーマルな教育が駆使するような 確固とした(はっきりと意識化された)教育方法を持っていない(あるいは②や③に固有の「教育」方法を,. フォーマルな教育のように「学問的」な形で殊更に意識化することをしてこなかった)からである。. 13.
(15) 羽根田 秀 実. ②や③に固有の「教育」方法を持たない,あるいは意識化していないというのは,それがこの領域の文化 伝達が,「集団」の活動の中に「埋め込まれている」からである。この領域においても,(丑とは違うが,文 化伝達のための方法が存在していた。それは,阿部や山崎が言うように「訓練」「身体化」「練習」「型」「身 ぶり」といったものであった。これらの方法の特徴は,大雑把に言えば,反復・繰り返しというところにあ る。. この領域における物事の習得は,手本を見せられたり,教えられたりすることから始まるが,しかしその 手本が「分かった」としても,それで学習が終了したわけではない。それだけでは,到達すべき目標が何で あるかが分かったに過ぎない。「分かる」ことと「できる」こととはまったく違った事柄なのである。学習. 者本人には,反復・繰り返しによって,示された手本に限りなく「近づく」ことが求められるのである。つ まり,手本によって示されたことが「できる」ようになること,言い換えれば,手本が求めているものが「身. 体化」され,ことさら意識しなくても「自然に」できるような状態になっていることが求められるのである。 このように見てくれば,文化を身につけているというのは,極めて複合的な要因から成り立っていること が分かる。我々の伝統的な「教養」におけるように,①の部分の知識・学問を修得している状態がそのひと つである。さらにそれに加えて,技術・技能の習得の場面に見られるような,反復・繰り返しによってある 技術・技能が「身体化」された状態もある。そのほかには,我々の日常生活の中で自然に身についた行動様 式といったものもある。文化を身につけているというのはこのように複合的な状態なのであり,これらの諸 要素を自己の人格の中で調和させていることが,文化を身につけている人,そして同じことだが教養のある 人であるためには必要になってくるのである。. しかしながら,このような形での文化修得,教養形成を支えてくれるような社会・集団が存在するのであ ろうかというのが,現在の我々が直面している問題なのである。. 註 1.船山俊明(2008)「『教育問題』としての文化」『教育哲学会 第51回大会 発表要旨集録』教育哲学会,44頁。 2.同上,44頁。 3.同上,45頁。 4.同上,45頁。 5.生田久美子(2008)「教育を文化的視座から捉えなおすことの意味−『文化』と『思考』に着目して−」大会当日配布の レジュメ,1頁。 6.桧下良平(2008)「文化衰退の時代における教育のゆくえ」大会当日配布のレジュメ,1頁。 7.松浦良充(2008)「教育問題としての『教養/文化』−その陸路と展望−」『教育哲学会 第51回大会 発表要旨集録』 教育哲学会,50頁。. 8.船山俊明(2008),45頁。 9.Woods,R.G.,Barrow,R.St.C.(1977);Anlhtroductiontomilos坤hyq′Education,Methuen&CoLtd,p.160. 10.ditto.p.160f. 11.竹内芳郎(1982)『文化の理論のために一文化記号学への道−¶ 岩波書店,6頁。 12.松浦良充(2008)「教育問題としての『教養/文化』−その陸路と展望−」大会当日配布のレジュメ,1頁。. 13.同上,1頁。 14.同上,3頁。 15.同上,2貞。 16.阿部謹也(1997)『「教養」とは何か』講談社,53∼54頁。. 17.阿部謹也(1997),55∼57頁。 18.阿部謹也(1997),60∼61頁。 19.阿部謹也(1997),62∼63頁。. 14.
(16) 教育と文化・教養をめぐる基本問題について(1) 20.阿部謹也(1997), 69∼70頁。 21.阿部謹也(1997), 67頁。 22.Ill崎正和(2007a) 『歴史の真実と政治の正義』中央公論新社,96頁。 23.山崎正和(2007a), 96頁。 24.山崎正和(2007a), 96∼97頁。 25.山崎正和(2007a), 98頁。 26.山崎正和(2007a), 106頁。 27.阿部謹也(1997), 55∼56頁。 28.山崎正和(2007b) 29.山崎正和(2007b),. 『文明としての教育』新潮社,47頁。 48頁。. 30.山崎正和(2007b),. 50頁。. 31.山崎正和(2007b),. 27∼28頁。. 32.阿部謹也(1997), 78∼79頁。 33.阿部謹也(1997), 80∼81貞。. (なお,2009年3月31日現在,教育哲学会第51回大会の研究討議のまとめ等を載せた『教育哲学研究』はま だ発行されていないので,報告者からの引用は『教育哲学会 第51回大会 発表要旨集録』(2008年),およ び大会当日に報告者が配布した「レジュメ」によった。). (函館校准教授). 15.
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