外形と相(うらない) : 中国古代における身体観について
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(2) 北海道教育大学紀要(人文・社会科学編)第68巻 第2号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 68. No.2. 平 成 30 年 2 月 February, 2018. 外形と相(うらない) ― 中国古代における身体観について ―. 竹 内 康 浩 北海道教育大学釧路校史学(東洋史)研究室. The Looks and Physiognomy TAKEUCHI Yasuhiro Department of History, Kushiro Campus, Hokkaido University of Education. 概 要 他者理解と人間関係形成の際に,人間の外形が与える印象は意外に重要であり,それは単純 な美醜の問題を超えて中国古代にあっては大きな意味を持っていたと思われる。一つには外形 は「天」が与えたものであるという認識であり,もう一つは外形にその人の持つ運命が表徴さ れているという認識である。したがって外形に表徴されたものを読み取る術を身につけていれ ば,さまざまな場面に当たっての選択基準,人間の行動の原理へとつながってゆくのであり, その意義は重いものであったと言わねばならない。 本稿は中国古代の人々の人間の外形についての意識と行動様式について検討し,人間関係形 成や組織構築の際の思考様式・行動原理について考えたものであり,「この世界を支配する天 の力が人間にも作用し,個々人の外形をも形作っている,そしてその外形には天がその人に付 与した意味が象徴されている。その意味を解読する占いがあり,将来を予見するとともに,当 該人物との関係の持ち方を定める根拠となる。また,占いの必要もなく,見た目の与えるイン パクトが周囲を威服する力を持ち,人間関係形成や組織構築に影響を与える場合もあった」と いう結論を得た。. はじめに 人間には精神と身体の二つの要素がある。キリスト教的には霊と肉と表現されるであろうこの二つは,人 間存在の本質に関する重要な問題として,古来,数多くの議論を重ねてきた。しかし,形而上的な議論とは また別な次元で,一般人にとっては自身が関わりを持つ生身の人間の性格と容姿という言わば形而下的な次 元において,気になるところではなかったであろうか。即ち,自分自身から始まり,身近な周囲の隣人たち,. 33.
(3) 竹 内 康 浩. 何らかの目的をもって接触を求める人たち,さらには不意に目の前に現れた人物,そうした自分がまさに直 面する人間を如何に理解しどのような関係を形成するか, それこそが生活者としての関心であったと思われる。 他者理解と人間関係形成の際に,時間をかけて相手について熟知していければよいことはもちろんではあ るが,全ての場合にそうした態度で臨むことができないこともまた言うまでもなく,まして相手の性格をよ く理解するのは(近しい者同士であっても)難しい。そうした意味からも,人間が持つ容姿,外形が与える 印象は,意外に重要であるということができる。しかもそれは単純な美醜の問題ではなく,中国古代にあっ てはさらに大きな意味を持っていたと思われる。 一つには外形は「天」が与えたものであるという認識であり,もう一つは外形にその人の持つ運命が表徴 されているという認識である。したがって外形に表徴されたものを読み取る術を持っていれば,自分にとっ ては使命や未来を信じた行動をとることができ,他者については当該人物を支えかつ付き従っていけば自ら も運が切り拓けるかもしれないという,さまざまな選択に当たっての人間の行動の原理へとつながってゆく のであり,その意義は重いものであったと言わねばならない。 本稿は,中国古代,秦漢時代を中心に,そうした人々の意識と行動様式について検討し,人間関係形成や 組織構築の際の思考様式・行動原理について考えてみようとするものである(1)。. 1.『荀子』非相篇をめぐって 本稿が問題とする「人の外形に対する古代中国における意識」について記した資料として注目すべきは, 『荀子』非相編である。その趣旨は,当時流行していた「人相鑑定」を迷妄として否定し,学を志すものは 内面の修養に勤めよというものである。即ち,荀子の主張としては「人の外見には何の意味もない」という ことであるけれども,そこでの挙例や行論に注目すべき点が多数ある。そこでまず,この資料を読むことか ら始めよう。以下に,読み下しと現代語訳を掲げる。 人を相るは,古の人,有ること無きなり。学者も道わざるなり。古は姑布子卿あり,今の世,梁に唐挙あ り。人の形状顔色を相て,その吉凶妖祥を知る。世俗,これを称す。古の人,有ること無きなり。学者も道 わざるなり。故に形を相るは心を論ずるに如かず,心を論ずるは術を択ぶに如かず。形は心に勝たず,心は 術に勝たず。術正しくして心これに順えば,則ち形相悪しと雖も心術は善にして,君子となるを害さざるな り。形相善と雖も心術悪ければ,小人となるを害さざるなり。君子は之を吉と謂い,小人は之を凶と謂うな り。故に長短・小大・善悪の形相は,吉凶に非ざるなり。古の人,有ること無きなり。学者も道わざるなり。 蓋し,帝堯は長,帝舜は短,文王は長,周公は短,仲尼は長,子弓は短なり。昔,衛霊公に臣有りて公孫 呂という。身長七尺,面長三尺,広三寸,鼻目耳具わり,名は天下を動かす。楚の孫叔敖,期思の鄙人なり。 突禿長左,軒較の下,楚を以て霸とせり。葉公子高,微小短瘠にして,行くに将に其の衣に勝えざるが若し。 然れども白公の乱におけるや,令尹子西・司馬子期は皆な焉に死せるに,葉公子高は入りて楚に拠り,白公 を誅し,楚国を定むることは手を反すが如きなるのみにて,仁義功名は後世に善し。故に事は長を揣さず, 大を揳せず,軽重を権せず,亦将に心に志るすのみ。長短・小大・美悪形相,豈に論ぜんや。且つ徐偃王の 状は,目は馬を瞻るべく,仲尼の状は,面は倛を蒙るが如し。周公の状は,身は断菑の如し。皋陶の状は, 色は削瓜の如し。閎夭の状は,面に見膚無し。傅説の状は,身は植鰭の如し。伊尹の状は,面に須麋無し。 禹は跳び,湯は偏し,堯・舜は参牟子なり。従者は将に志意を論じ,文学を比類せんや。直に将に長短を差 し美悪を弁じ,相い欺傲せんとするや。 古は,桀・紂は長巨姣美にして,天下の傑なり。筋力は越勁,百人の敵なり。然れども身は死し国は亡び,. 34.
(4) 外形と相(うらない). 天下の大僇となり,後世に悪を言えばすなわち必ず稽えるなり。是れ容貌の患に非ず。聞見の衆からず,論 議の卑なるのみ。今世俗の乱君,郷曲の儇子,美麗姚冶,奇衣婦飾し,血気態度は女子に擬せざるはなし。 婦人は得て以て夫と為さんことを願わざるはなく,処女は得て以て士と為さんことを願わざるはなし。其の 親の家を棄てこれに奔らんと欲する者,肩を比べ並び起る。然れども,中君は以て臣と為すを羞じ,中父は 以て子と為すを羞じ,中兄は以て弟と為すを羞じ,中人は以て友と為すを羞ず。俄かにして則ち有司に束ね られ大市に戮せらる。天を呼び啼哭せざるはなく,其の今を苦傷しその始めを後悔す。是れ容貌の患に非ず。 聞見の衆からず,論議の卑なるのみ。然らば則ち従者,まさに孰れを可とせんとするや。 人を相る(うらなう)行為は古の聖人は言わなかったもので,学問に勤めるものは口にしないことだ。か つては姑布子卿が,この頃では梁に唐挙がいて,人の姿かたちや顔の精彩を見てその人物の吉凶や禍福を見 抜いた。世間では賞賛しているけれども,古の聖人は言わなかったもので,学問に勤めるものは口にしない ことだ。それ故,形を見ることは心を論じることに及ばないし,心を論じることは術の選び方を見ることに 及ばない。形は心に勝たないし,心は術に勝ちはしない。術が正しくて心がそれに従うならば,たとえ見た 目が悪くても心と術は善いのであるから,君子と呼んで何の問題もない。逆に形が善かろうとも心と術が悪 ければ,小人として問題はない。君子なら吉,小人なら凶であるから,長短・大小・善悪といった見かけの 様子などは吉凶とは無関係である。古の聖人は言わなかったもので,学問に勤めるものは口にしないことだ。 思うに,帝堯は長身で帝舜は短身,文王は長身で周公は短身,孔子は長身で仲弓は短身であった。昔,衛 の霊公の家来に公孫呂がおり,彼は身長七尺だが,顔は長さ三尺なのに幅は三寸,そこに鼻・目・耳がみな ついていたというありさま。しかしその名声は天下にとどろいていた。楚の孫叔敖は期思という地方の田夫 野人の出で,頭頂部が突き出た禿で,左足がアンバランスに長いという姿であったが,軒較の下に在って(意 味不祥)楚の国を覇者にのし上げた。葉公子高は短躯にしてやせぎす,衣服ですら重くて耐えられそうにな いほどであったが,白公の乱勃発時には,令尹子西・司馬子期らが倒された中,葉公子高は楚に入るやリー ダーシップを発揮して白公を誅殺し,まるで手を裏返すくらいの容易さで国の安定を取り戻すという大事業 をやってのけ,その仁義功名は後世にも評価されている。だから背の高さ,体の大きさや重さなどは気にす る必要はなく,心延えに留意するべきなのである。見た目の短長・大小・美醜などはまるで論ずるに足りな い。また,徐偃王は馬をやっと見られるほどの目,孔子は鬼やらいの面をかぶったような顔であった。周公 は枯れ木のような体つき,皋陶の顔は皮を剥いた後の瓜のような青緑色,閎夭は満面のひげ面で顔の皮膚が 見えないし,傅説は魚の鰭のような姿で,伊尹の顔にはひげも眉もない。禹は足が不自由で,湯は半身不随 であったし,堯・舜は瞳が三つあったという。さて学問に勤めんとする者としては,人の内面を評価し学ん で近づこうとするか,それとも体の大小や美醜を問題として見た目を偽りおごり高ぶるか。 その昔,桀や紂は立派な体躯と美貌では天下に抜きん出た存在で,しかもその肉体のパワーは百人力と言 えるほどであった。しかし,我が身は死に国も亡び,天下の笑いものとされることとなり,後世,悪につい て論じる際には必ず引き合いに出されることとなった。だがそれは見た目のせいではなく,見聞が狭く考え が貧しかったからに他ならない。目下,世の不心得者や田舎の軽薄男子は,見た目を美しく飾ってはファン シーな服を着,女性のようなアクセサリーを付け,心も身振りもまるで女性の真似をしているかのよう。婦 人たちはこんな夫がいたらと願い,未婚女子はこんな恋人がいたらと願い,家を棄てても付いて行こうと逸 る者が続々と現れるありさまである。しかしながら,そんな男どもは,並の君主でも家来にはしたくない, 並の父でも子にはしたくない,並の兄でも弟にはしたくない,並の者でも友達にしたくない,そんな程度の 存在に過ぎない。突如役人に捕縛されてみなが見る中で処刑されるといった事態になると,天に向かって号 泣し今日の苦衷を訴え昔日の行いを後悔する,といったはめになる。これもまた見た目のせいではなく,見. 35.
(5) 竹 内 康 浩. 聞が狭く考えが貧しかったからに他ならない。学問に勤めんとする者としては,(心延えと見た目と)いず れを選ぶのがよいであろうか。 以上が『荀子』非相篇の根本的主張と思われる部分である(2)。上でも段落として区切っておいたように, この部分は三つに分けることができる。最初の部分では,見た目よりも心,心よりも術が大切であり,見か けが悪くても心術が善ければ君子たりえるのであるから,見かけは全く問題とならない,という一般論を言 う。次の部分では,古の帝王や賢臣に異相奇相がいたことを多くの挙例によって紹介し,見かけはその人の 賢愚優劣と無関係であることを言う。そして最後の部分では,見かけの優れた者や見かけを飾る者には愚か で人の笑いものになっている例があることを言い,やはり見かけは問題とならないことを主張している。な お, 「見かけ」と訳した語につき,『荀子』の用いる語について確認しておきたい。登場順に該当語をならべ ると,形状顔色,形,形相,状,容貌,ということになる。このうち,状と容貌とは顔のみならず身体にも 及んで使われており,形相もまた全身に関わって用いられているので(長短・小大・善悪の形相という), 当時「相」として対象とされているのは顔面だけではなく全身であることがわかる。現代日本語で「容貌」 とすると顔に限定されるので,以下,統一的な訳語は用いず,それぞれの事例に応じてかつ文脈の上で適当 と思われる訳語を当て見た目・外見といった語であらわすこととしたい。また,「相」という語についても 確認しておく。非相篇のタイトルの「相」は「視る」の意である(楊倞注)。本文中で「相人之形状顔色」 という場合の「相」は「視る」でも構わないが実際には「うらなう。見立てをする」の意に近い。また「形 相」の「相」は「姿,形,様子」の意である。以下,統一的な訳語は用いず,それぞれの事例に応じてかつ 文脈の上で適当と思われる訳語を当ててゆく。 では, 『荀子』のこの文章からわかることを挙げてみよう。一つには,一般的傾向では外見を大変気にす るということ,それも美醜にこだわるということである。『荀子』は,美麗なる外見のアピールに励む男子 がおり,それを大いにもてはやす女子がいるという当時の趨勢を記しており,衣装も含めて美を求める風潮 があったことは明らかだ。次に,見た目はその人を表徴する要素として重要な特徴であった,ということで ある。もし人間の価値評価がその資質や能力によって測られるのであれば,聖人賢臣についても,民への慈 愛ある治績や困難を切り抜けた手腕について記すのみで充分ではないか。異相奇相としてでもその記録が残 されたのは,当時においてやはり外見についての興味関心が強かったのだということを明瞭に示していると 見ねばならない。異相奇相もその人の実は重要な要素なのだということが,逆に示されていると思われるの である。三つ目に,それ故にこそ,その外見の特徴にその人の持つ力や将来の可能性(善悪共に)が表わさ れているという考え方,占いとしての「相」が成り立つ根拠があったとみられることである。 外見による占いについては,後世にそれに関する書が存在している(3)ことで,往時においてそれなりに信 頼されていたことは想像できる。荀子の主張の内容は,人間には外見と内面という二つの要素があるけれど も,重要なのは内面でありそれを磨くことが大切であるという,ごくありきたりのことに過ぎない。荀子は 「人の相を占って吉凶などを見ることはできない」というが,非相篇においてはそのことの証明には成功し ていないと思われる。人間の持つ相とたどる運命(吉凶)の間に対応する関係が成り立っているとする占い の論理に,荀子は有効な反論を示せていないからである。外見的特徴とたどった人生運命に何の相関関係も ないことを,荀子は結局例によって示せていないのである。初めの部分で一般論として「見た目よりも心, 心よりも術が大切である」と言ってしまったところに,実は彼の主張の弱さが露呈していると言ってよい。 何より問題なのは,彼の意図に反して,むしろ見かけと内面の間に何か関係があるのではないかと思わせ てしまう結果となってしまったことである。即ち,過去の帝王や賢臣の異相奇相を荀子が多数列挙したため, 皮肉にも「内面の優れた者は異相奇相を持つものである」という傾向が存在するのではないか,見かけには. 36.
(6) 外形と相(うらない). その人の内面や能力が現れているのではないか,という印象を受けてしまうのである。要は「天は二物を与 えず」という傾向を,荀子は内面と外見の間に見いだしてしまったことになる。一方で,美貌や体力で傑出 していた者が破滅に陥ったことを述べるが,こちらは桀や紂以外の著名な具体的挙例はなく,いかにも説得 力に欠ける。外見・内面とも優れた例,及び外見・内面ともに劣った例,を示せていないこともまた,やは り弱みと言ってよいであろう。また,相について「古の聖人は言わなかった」と荀子は繰り返し言うが,周 公や孔子らの文化創造に携わったとされる古の聖人こそが上記のように異相奇相の持ち主であったのである から,自分に深く関わってくる相の問題(外見と内面・運命)について聖人が語るはずはない,という反論 もまた成り立つであろう。聖人が相に言及していないことは,相が不確かであることの証明にはならない。 このように,非相篇の荀子の主張については,遺憾ながら説得力は薄いように思われる。 非相篇に繰り返し現れる「古の人,有ること無きなり。学者も道わざるなり」という文が「昔の賢人は言 わず,学に志す者ならば言わない」という意味であるとすれば,相なるものの存在の完全否定ではないと解 ・・・ せられよう。 『論語』にある有名な孔子の「怪力乱神を語らず」と同じく,存在否定にまでは踏み込まない が自分としては取り上げる価値を認めない,という態度である。世間一般の人々に抜き難く相への関心や信 頼があるならば,いたずらに否定して反感を買うのも得策ではなく,他に勤めるべき重要なものがあるとし て突き放しておくのも一つの立場である。 『荀子』非相篇は,総じて説得力の薄い文のように見られるが, それはこうした突き放した態度,きちんと相手にしようとしない姿勢に由来するものとみることもできよう。. 2.相(うらない)の持つ意味 ここではあらためて,荀子が否定した「相(占う)」という行為とその意味について検討する。人の外見 を見てそこからその人の将来を予見するという行為は,いくつもの事例が資料に見えている。 『荀子』非相篇において,荀子はかつては姑布子卿,近頃では唐挙が相を行ったと記す。彼らが行った相 について確認してみよう。 姑布子卿については『史記』趙世家にその記述がある。 異日,姑布子卿,簡子に見ゆ。簡子,諸子を徧く召して之を相さしむ。子卿曰く, 「将軍と為る者無し」 と。簡子曰く, 「趙氏は其れ滅ぶか」と。子卿曰く, 「吾れ嘗て一子を路に見る。殆ど君の子ならんや」と。 簡子,子の毋卹を召す。毋卹至り,則ち子卿起ちて曰く,「此れ真に将軍なるかな」と。簡子曰く,「此れ 其の母賤し。翟の婢なり。なんぞ貴しと道わんや」と。子卿曰く,「天の授けるところ,賤しと雖も必ず 貴とならん」と。是れよりの後,簡子尽く諸子を召して与に語るに,毋卹最も賢なり。簡子乃ち諸子に告 げて曰く, 「吾れ宝符を常山の上に蔵す。先に得るものは賞す」と。諸子,之を常山の上に馳せ,求むれ ども得るところなし。毋卹還り,曰く,「已に符を得たり」と。簡子曰く,「之を奏せよ」と。毋卹曰く, 「常山の上より代を臨まば,代,取るべきなり」と。簡子,是に於いて毋卹果たして賢なるを知り,乃ち 太子伯魯を廃し,而して毋卹を以て太子と為す。 太子となった毋卹が,のちの趙襄子である。毋卹は母の出身が賤しかったので,父の趙簡子からは相手に されなかったのであるが,姑布子卿の「相」によって注目され,その後その賢者ぶりをよく発揮したのでつ いには趙の太子となった,という。趙世家のこの部分の直前に,趙簡子が夢の中で自家の将来について知ら された話があり,趙襄子が簡子の後継となったいきさつの伏線をなしている。この趙襄子の時に晋が韓・魏・ 趙に分かれるという歴史的事件が起こったことは縷説の要はあるまい。趙を建国し,戦国時代を開くことと. 37.
(7) 竹 内 康 浩. なる重要人物である。 唐挙については『史記』蔡澤列伝にその記述がある。 蔡澤なる者は燕人なり。游学し諸侯に干むれども小大衆くして遇されず。而して唐挙に従いて相せしむ。 曰く, 「吾れ聞く,先生,李兌を相して曰く, 『百日の内に國秉を持たん』と。これ有りや」と。曰く, 「こ れ有り」と。曰く, 「臣の若き者は如何」と。唐挙孰(熟)視して笑いて曰く, 「先生は曷鼻,巨肩,魋顔, 蹙齃,膝攣。吾れ聞くに聖人は相ならずと。殆ど先生ならんや」と。蔡澤,唐挙之に戯れるを知り,乃ち 曰く, 「富貴は吾れ自ら有するところ,吾れの知らざるところは寿なり。願わくはこれを聞かん」と。唐 挙曰く, 「先生の寿,今より以往なること四十三歳なり」と。蔡澤,笑い謝して去る。 蔡澤は目が出ないのでかつて李兌の未来を占って当てたという唐挙を訪ね,自分の相を見てもらう。結果, 曷鼻(蠍のような鼻),巨肩(うなじよりも飛び出た肩),魋顔(額が出っ張った顔),蹙齃(鼻筋にしわが寄っ たさま) ,膝攣(膝が曲がっている)という全身の奇相を指摘されつつも聖人に近いのではないかと言われ るが, それを冗談と見て取った蔡澤は寿命の事だけを聞いて帰る。『史記』によれば蔡澤はのちに秦へ行き, 昭襄王の信任厚く,宰相にまで上りつめ始皇帝にも仕えることとなったという。大出世と称してよいであろ うが, 彼の建策や活躍の詳細についてはなぜか列伝には記すことはない。蔡澤についての記事のほとんどは, 出世の糸口となる応侯との会見の際の問答である。 以上,二つの話につき,注目すべき点を挙げてみよう。いずれも「相」の話であることに間違いはなく, 明らかに外見による鑑定である。それは特に蔡澤において明瞭であり,ここでは先に『荀子』で多数見たよ うな異相奇相がやはり挙げられて,しかもそれが聖人に関係するかのように言われている点に注目せねばな らない。毋卹の場合にはそうした異相があったか否か不明ながら,姑布子卿がかつて路上に見たに過ぎない 毋卹について言及したところよりすれば,一見して記憶に残るような大きな特徴を持ったものであったと想 像はできる。 この二つの話で最も注目すべきは,相の結果によって上下の秩序が崩されることになった,ということで ある。前者では,翟の婢が母であるために「賤し」として問題にされなかった毋卹が,姑布子卿の相により 俄然注目を浴び,最終的には元の太子であった伯魯を廃して毋卹を太子にするに至った。後者では,長く目 が出なかった蔡澤であったが, (冗談混じりながら)聖人と言われまたその後の寿をも予言され,将来的出 世の予告の意味合いを持った発言を受けて,秦の宰相にまで上ることとなる。 なお,唐挙がかつて「百日の内に國秉を持たん」と相した李兌は,趙の人で,主父(武霊王)の後継者を めぐる争いを収拾し(主父を餓死に追いこむこととなる),趙の司寇の地位に就いた人物である(『史記』趙 世家) 。その行状よりすれば「聖人」でないことはもとより逆臣の要素すらあるわけだが,国の困難を事前 に予測し事件が勃発するや速やかに事態を収拾したその手腕は評価されてよいであろうし,年少の王のもと で政を専らにするに至ったことは栄進というべきである。つまりこの唐挙の相は,資質の賢愚や行為の正否 といった評価とは別の次元で,当該人物の将来の活躍を予測して適中させたものなのである。 あらためて荀子が相を否定したことについて検討しよう,人の運命が「天によって」決まっていてそれが 見かけの上に表われるといった主張について,荀子が認めずに否定してかかることには,主に二つの理由が あると思われる。一つは,人の運命についてである。ある人の「我は賤しきよりして貴く,愚よりして知に, 貧よりして富まんことを欲す,可ならんや」との問いに対し,荀子は「其れ唯だ学か。彼の学なる者は,こ れを行えば曰ち士なり。焉を敬慕すれば君子なり。之を知れば聖人なり。」と言い,貴賤・知愚・富貧の差. 38.
(8) 外形と相(うらない). をつくるのは「学」であると明言している(儒効編)。そうした立場からは,生まれつき運命が決まってい てしかも見かけの上でそれが判断されるなどとは到底認めがたいことである。学こそが人の運命を切り開き 将来を決めるものである,というのが荀子の儒家的な信念である。もう一つの理由は,相の結果が,下位の 者が上位の者を凌ぐ事態を正当化する根拠になっていることである。姑布子卿の相の結果は,嫡子を棄てて 庶子を選ぶという異常な事態を招来することとなり,しかもその判断の尋常ならざることに当事者たちは自 覚的である。唐挙の相でも,李兌の場合では旧君殺害という行為の道徳性は問われないままに栄進を適中さ せ,蔡澤の場合では異相奇相ゆえに聖人かとも見紛われるほどの上位者に扱いかつ寿まで得られるという高 評価である。いずれも,本来ならば低位に置かれるしかなかった者が上位へと昇ってゆくというストーリー なのである。特に,姑布子卿の「天の授けるところ」という発言は重要である。人間の見かけ(肉体)につ いては,荘子が「道これに貌を与え,天これに形を与う」(『荘子』徳充符)というように,天がそれを与え たものとする考え方をとるならば,誰も抗うことのできない必然的定めが形に表現され発露していると考え たとしても,それは決して飛躍ではない。そして,その形状が凡人と異なる異相奇相であるが故に,その人 物の非凡さを一見して相手に伝えることができるのである。 荀子の否定的評価にもかかわらず,相を見ることがごく当たり前の行為であったことやその鑑定結果を 人々が信じたことは,資料に多くの例を見る。『史記』に徴しても,秦漢の際の人物に特に顕著である。劉 邦は妻子ともども高貴の相を持つとの見立てを得る(高祖本紀)。黥布は「刑せられてのちに王となる」と の予言を得る(黥布列伝) 。武帝期に匈奴遠征で功を立てる衛青についても貴人であり官は封侯に至るとの 鑑定を刑徒が行っている(衛将軍列伝) 。また相とまでは言えなくても,印象によって相手への待遇を変え ることもある。韓信は斬られそうになった際に自ら「壮士」と号し,それを聞いて「滕公,其の言を奇とし, 其の貌を壮と」して彼の命を助ける(淮陰侯列伝)。例の鴻門の会においても,場に乱入した樊噲に対しそ の容貌剣幕に驚いた項羽は彼を「壮士なり」として受け入れるのである(項羽本紀)。一方,かつては人に 相を見られた劉邦が,甥の呉王濞の顔を見て「なんじが状は反相あり」と自ら人物の見立てを行ってもいる (呉王濞列伝) 。いずれも相の具体的な見立て方については一切触れることはなく,単に印象を恣意的に仕 立てたかのようなものであるし,さらには正体の知れぬ人物や刑徒が見立てを行ってもいて,果たしてどの ように相を学びその方法が伝わったものであるのか,ますますいかがわしいと言わねばならない。しかし問 題は,上記の話の真実性ではなく,人の外形は「天」の与えたものであること,そこに何らかの意味を読み 取ろうとする行為が一般的に行われていたこと,が当時における一般的な信念として存在したということで ある。. 3.人物判断としての異相奇相 ある人物の人格を判断するために見た目を根拠としている事例が資料にはいくつも見られるので,ここで はそれらについて検討する。 見た目についての表現において気が付くのは,動物に擬える事例が多いことである。大変に古い例からま ず掲げておく。 初め楚の司馬子良,子越椒を生む。子文曰く,「必ず之を殺せ。是の子や,熊虎の状にして犲狼の声, 殺さざれば必ず若敖氏を滅ぼさん。諺に曰く,『狼の子に野心あり』と。是れ乃ち狼なり。其れ畜うべけ んや」と。子良,不可とす。 . 『春秋左氏伝』宣公四年. 39.
(9) 竹 内 康 浩. 嬰児の見かけを熊や虎に,声を犲狼に喩え,いずれ災いをなすが故に殺害を勧めるという話である。この 予言は成就し,越椒(闘椒)の時に荘王に逆らい,若敖氏は滅亡することとなる。 声から人物を判断する話は他にもある。叔向の子,伯石(楊食我)が生まれた際のことである。 姑(叔向の母),之を視んとす。堂に及び,その声を聞きて還る。曰く,「是れ犲狼の声なり。狼の子に 野心あり。是れにあらざれば羊舌氏を喪すはなからん」と。遂に視ず。 . 『春秋左氏伝』昭公二十八年. 生れたばかりの嬰児の声にその性格と将来を読み取り,祖母が否定的な態度をとった例である。ここでも その声(泣き声か)を「犲狼の声」と表現し,その声の人物が将来行うであろうことやたどる運命を予見し, 不吉なものとして捨て去ろうとしているのである。 動物ではなく,虫に喩える例もある。楚の成王が商臣を太子としてよいか否か悩んだ際に,令尹子上が反 対して次のように言う。 (商臣は)是の人たるや,蠭目にして犲声なり。忍人なり。立てるべからざるなり。 . 『春秋左氏伝』文公元年. 蠭(蜂)のような目で犲の声といい,おそらくはいかにも凶悪な人相ということを言っているのであろう。 のち,商臣は王を殺害し即位する(穆王)こととなるので,令尹子上の見立ては当たったことになる。外見 を蜂に喩えられる人物としては,始皇帝もそうである。尉繚子が始皇帝(当時はまだ秦王)のもとを去ろう として,次のように言う。 秦王の人たるや,蜂準,長目,摯鳥膺,犲声,恩少なくして虎狼の心なり。約に居りては人の下に出易 く,志を得ては亦た人を軽んじ食らう。. 『史記』秦始皇本紀. 蜂準とは,蜂のように鼻が高いこと。長目は切れ長の目のことか。摯鳥膺とは,摯鳥(猛禽類)のように 突き出た胸を言う。そして犲声であるといい,恩が少なく虎狼の心を持つという。 蜂はさそりと共に蜂蠆と言われ(4),人間を攻撃し害する存在として嫌われる存在である。人でありながら そうした害虫の形質を持った者は,まさにその内面が発露したものという見方であろう。 始皇帝については鳥の外形も喩えに使われている。こうした例としては,越王勾践もそうである。呉を滅 ぼし,范蠡が勾践のもとを去ろうとする際に大夫種に手紙を送って次のように言う。 越王の人たるや,長頸にして鳥喙。与に患難を共にすべきも,与に楽しみを共にすべからず。 . 『史記』越王勾践世家. 勾践は首が長くて鳥のくちばしのような口つきをしている,という。首が長いというのも,鶴や鷺などの ような鳥を連想させる相であり,併せて鳥を連想させるような見た目だということになろうか。苦労を共に することはできても楽しみはともにできない人物として,ここではネガティブな評価を与えられているので あるが,鳥という動物自体にそうした意味合いがあるか否かは不明である(5)。 先に相によって趙の太子とされた趙襄子の話を引いたが,彼はのちに三人の神から予言を受ける。予言の. 40.
(10) 外形と相(うらない). 書に次のようにある。 後世に至りて且に伉王あらん。赤黒,龍面にして鳥噣,(以下略) . 『史記』趙世家. 略した部分に「左袵界乗」すなわち「左襟の服を着,武装して馬に乗り」とあるので,この伉王(強い王) が胡服騎射を取り入れた武霊王であることは言うまでもない。この武霊王についてもやはり「鳥噣」すなわ ち「鳥のくちばし」という(6)。武霊王はのちに自ら破滅を招くこととなり人物としては問題があることは確 かであって,鳥のくちばしという外形がそれを表徴しているとみてよいのであろう。「龍面にして鳥噣」と いう表現は,帝王の資格として龍面を有しているのだが鳥噣という否定的な要素もあるという,まさに武霊 王の後の運命を表徴するアンビバレントなニュアンスであろう。単純に顔の様子を描写しただけでというの であれば,わざわざ神からの予言をもらうほどの意味はないからである。なお,ここにも見える「龍面」あ るいは「龍顔」は,帝王の外見についての一つのフォーマットというべきものであり,動物に見た目が似て いるという表現ではあるが,これについてはここでは言及しない。それは,龍がイメージ上の存在であるこ と, (龍顔だから帝王となったのではなく)帝王であればすなわち龍顔であるという逆方向の表現定型であ ること,という理由による(7)。 上記,始皇帝と越王勾践の例について,改めて検討してみよう。始皇帝については蜂と鳥,勾践について は鳥が, それぞれ外形の特徴として挙げられており,そして文脈上はそれが彼らの性格を表徴するものとなっ ている。勾践の「越王の人たるや,長頸にして鳥喙。与に患難を共にすべきも,与に楽しみを共にすべから ず」という文は,その人格的要素のみを言うのであれば「長頸にして鳥喙」という句は不要である。その句 に意味があるとすれば,その後の「与に患難を共にすべきも,与に楽しみを共にすべからず」を導くためで あること,要は「長頸にして鳥喙」であることが「与に患難を共にすべきも,与に楽しみを共にすべから」 ざる人物であることを示している,と解するほかない。始皇帝については「摯鳥の膺」すなわち「(鷹や鷲 のような)猛禽類のように突き出した胸」と表現されている。この「摯鳥」については,例えば『淮南子』 覧冥訓に「虎狼不妄噬,摯鳥不妄搏」あるいは「猛獣食顓民,摯鳥攫老弱」とあるように,虎狼や猛獣と類 比されるもので凶暴にして人を害するマイナス評価の存在であることは疑いない。さらに豺声を加えて,始 皇帝の形状は獰猛な動物に似ており,そのことがその後の「約に居りては人の下に出易く,志を得ては亦た 人を軽んじ食らう」という陰湿な性格の表現につながることは文脈上明らかである。このように,動物に外 形を喩えることは,見た目の上での類似を言うよりも,むしろ動物の性質がその人にも見られることを表現 しているものというべきである。喩えに用いられる動物は虎・狼など少数の猛獣に種類は限定されており, 人の容貌の写実的な描写を目的としていたのであれば,喩えられる動物は多種類であって然るべきであろう。 そして実在の動物イメージによる類似の相がネガティブ評価であることは,以上の挙例によって明らかであ る。実在する動物に喩えられる事例は,上記のように否定的評価に尽きる。言及される動物自体が猛獣猛禽 害獣害虫であることで,それは確かである。 以上,声も含めて見た目の形容に動物を用いて喩えている事例を挙げた。上の挙例は,人に危害を加える 害獣の類(犲・狼など)に似ている場合に不吉な将来を予測してその人物を退けるべきことを判断したもの とまとめることが出来よう。ということであれば,実は人物の外形は,その人と交際するか否か,その人を 尊重すべきか否か,につながる重要な判断材料になっている,ということである。. 41.
(11) 竹 内 康 浩. 4.人間の外形についての考え方 あらためて, 中国古代において形状がどのような意味を持っていたかについて参考となる資料を拾い上げ, 検討を加えることとしよう。 先秦資料において人間の形状に非常に注意をしているのは『荘子』である。容貌の美醜はもとより,病気 や刑罰によって生じた身体の障害に言及することがしばしばあり,基本は道家の主張を端的に表現しようと する手段ではあるが, 『荀子』と同様に,形状を他者がどのように評価するかという点で注目すべき話が多い。 まず,そうした例をいくつか掲げよう。 まず,見かけの重要さを述べた記述を掲げておこう。孔子が盗跖に会いに行く話の内に次のようにある。 孔子曰く,丘これを聞く,凡そ天下に三徳あり。生れて長大,美好双ぶはなく,少長貴賤,見て皆これ を悦ぶは上徳なり。知は天地を維ぎ,能は諸物を弁ずるは此れ中徳なり。勇悍果敢にして衆を聚め兵を率 いるはこれ下徳なり。. 『荘子』盗跖. 天下には上中下の三つの徳があると言い,見かけがよいものが上徳であるという。これを踏まえて孔子は 盗跖につき, 「将軍はこの三者を兼ね,身長八尺二寸,面目光あり,唇は激丹の如く,歯は斉貝の如く,音 は黄鍾に中る」とその姿をほめそやす。寓話のデフォルメはあるにせよ,身体形状の重要さをこれほど露骨 に言うものも少ない。 しかし,形状ではなく,人はやはり中身が重要だとする言説ももちろんある。 陽(=楊)子,宋に之き逆旅に宿る。逆旅の人,妾二人あり。其の一人は美,其の一人は悪,悪き者貴 くして美なる者は賤し。陽子,その故を問う。逆旅の小子対えて曰く,その美なる者は自ら美とす,吾れ その美なるを知らざるなり。其の悪なる者は自ら悪とす,吾れその悪なるを知らざるなり,と。 . 『荘子』山木. 旅館の主人の二人の妾のうち,一人は美しく,一人は醜い。醜い方が尊重され,美しい方が粗末にされて いるので,陽子が尋ねてみると,美人は自ら美人だと思っているから美しくない,醜い方は自ら醜いと自覚 しているからそこに醜さを感じない,と主人が答えたという。容貌の美醜と心延え及び態度をめぐる話であ り,容貌の美はその人の価値を高める要素にはならないということを(やや強調して)述べたものである。 『荘子』徳充符にはさらにデフォルメした話がある。魯の哀公と孔子の問答になっており,やや長いのでそ の趣旨だけを簡単に示す。 哀公が孔子に尋ねた。 「衛の国の哀駘它という者は絶世の醜い男だが,男も女も彼を慕うものは甚だ多い。 特に物知りでもなく強い自己主張をするでもないが,何がしか人を引き付ける。自分も逢ってみてその不 細工なのに驚いたが,慣れ親しむと心惹かれ彼を慕うようになった。いったいなぜだろうか」と。孔子は 「見かけは無論大事ながら,その元である徳こそがいっそう大事です。哀駘它の場合には,才能として完 全でありつつ,それが見かけの方に反映されない,というものなのでしょう」と答えた。 容貌の醜さにもかかわらず人望を集める哀駘它なる人物を材料として,内の徳と外の形とのありようにつ いて述べたものである。絶醜の容貌は彼の最終的評価には何の関係もなく,大切なのは内面であるという点. 42.
(12) 外形と相(うらない). で,先の『荀子』が列挙した聖人たちの異相話と違いはない。孔子の最後の言葉は原文「是必才全而徳不形 者也(是れ必ず才の全くして徳の形われざる者なり)」である。一見,「内面の徳は形状に反映される(=心 の良いものは見た目もよい) 」という趣旨にも受取れようが,内面と外見は別個の要素であり相互に関係は ないというように解釈するのが適切であろう。 『荘子』は「道」あるいは「天」の意味をことさらに強調しようとして,病気のせいで身体が大きく変形 した子輿をして「偉なるかな,夫の造物者」と言わしめる(大宗師)など,表現には極端さがみられるもの の,外見と内面の関係の理解の仕方においては,先に見た『荀子』と共通していると見ることが出来よう。 さて,先に見た『荀子』は相を否定し,心術を貴び学に勤めよとの主張を行っていた。その荀子が尊敬す る孔子についても,人の外形に惑った話がある。澹台滅明は「状貌甚だ悪し。孔子に事えんと欲するも,孔 子は以て材薄しと為す。 」という印象であった。しかし彼が業を修めてゆくにつれそのレベルは上昇し,弟 子は300人にもなり諸侯に名を知られることとなった。評判を聞いて孔子は,「自分は,言葉で判断して宰予 でしくじったし,容貌で判断して澹台滅明でしくじってしまった」といったという(『史記』仲尼弟子列伝)。 このエピソードは,徳や学問の大切さを大いに重んじた孔子にあってさえも外形に基づく人物判断から逃れ られなかったことをよく示している(8)。孔子については,有名な喪家の狗の話でも,「形状は末なり」とし て過去の賢人たちとの外形の類似は退けつつも,自分が置かれていた状況境遇が見た目の上に表徴されてい るということには「然り」と同意しているようである(『史記』孔子世家)。 弟子たちも外形へのこだわりから免れられない。孔子の没後,弟子たちは亡き師を追慕し,有若の容貌が (9) ,みなで孔子に対すると同じように有若に師事するこ 孔子に似ているため(「有若の状は孔子に似たり」). とにした。しかし,弟子たちの質問に有若は答えることができず,結局は「そこ(師席)はあなたの座るべ き場所ではない」として退けられることとなった(『史記』仲尼弟子列伝)。孔子の代わりであれば学問にお いて最も優れた者を選ぶべきであろうに,容貌が似ているという理由で有若を選んだ弟子たちの行いは,い かにも愚かにして彼らは孔子から何を学んだのかと疑わしくも思われる。しかし,学問的に師の代わりにな る者は本来居ようはずもなく,そして当時の人にとって外形の持つ意味が大きかったのであれば,姿の似た 有若を師の位置に据えて孔子存命中の教室の様子を再現しようとした弟子たちの想いは,むしろ理解しやす いものであろう。 外形は,美醜の問題ではない。美男美女であれば尊重されたということではない。『荀子』の記述で確認 したように,かつての聖人賢者たちは見事なまでの奇相異相であって,「美」なる形状で言われるものは皆 無である(一方「醜い」と表現されることもない)。聖人賢者たちは凡人とははっきり区別される姿形を生 まれながらにして持っている,ということが重要である。『論衡』講瑞篇に, 相の奇なるを以て之を言えば,聖人に奇相骨体ありて,賢者もまた奇骨あり。聖賢倶に奇なるも,人以 て別ける無し。 というのはまさにそのことを示している。聖人賢者は確かに普通の人と違う姿をしているが,一般人にはそ の違いをきちんと弁別できる力はないという。また同じく『論衡』講瑞篇に, 聖人は人の奇なるものと聞く者は,身に奇骨ありて知能博達なれば,すなわちこれを聖と謂う。其の之 を知るに及んで,ついに見蹔く聞きて輒ちこれに名づけて聖と為すに非ざるなり。 とあり,世間には聖人は珍しい特徴のある人のことを言うものだと聞けば,奇相をもち知能が優れていると. 43.
(13) 竹 内 康 浩. もうそれだけでその人を聖人だとみなしてしまう(ちゃんと付き合ってよく知らないと本当は判断できない のに) ,という傾向があることを指摘する。人々が注目するのはまず外形だということであり,しかもそこ に聖賢であることの表徴を見ようとしているのである。 さて,人間の外形については別に,ある立場(地位)にある人はそれにふさわしく立派な体格でなければ ならない,という見方もあった。やや後の時代ながら,次に掲げる曹操についての話はそのことをたいへん 明瞭に示すものである。 魏武,将に匈奴の使を見んとするに,自ら形陋にして遠国に雄たるに足らざるを以て,崔季珪をして代 わらしめ,帝自らは刀を捉りて牀頭に立つ。. 『世説新語』容止. 背の低かった曹操は,匈奴の使者に会う際にそのことを気にかけ,風采が立派な崔琰(崔季珪)を代役に 立てる。注目すべきは「形陋にして遠国に雄たるに足らざる」という部分である。ここには遠く匈奴を従え るほどの雄者は体格も立派でなければならない(あるべき)だという前提がある。また,後漢の馮勤の祖父 である馮偃についての話も面白い。 曾祖父楊は宣帝の時,弘農太守となる。八子あり。皆な二千石となり,趙魏の間,之を栄えとし「万石」 と号す。兄弟は形みな偉壮なるに,ただ勤の祖の偃は長七尺に満たず。常に自ら短陋と謂い,子孫之に似 るを恐れ,乃ち子の伉のために長妻を娶せしむ。勤を生み,長八尺七寸なり。 . 『太平御覧』巻三七七引『東観漢記』. 馮勤の祖父である馮偃は身長が七尺未満と小さく,自分の子孫が自分同様に低身長になってはいけないと 思い,息子の馮伉には背の高い女性を選んで結婚させ生れた勤は身長八尺七寸にまで成長したという,話柄 としては笑い話にも類するものである。この話で注目されるのは,馮偃が自分の低身長を気にし子孫が同様 になることを恐れた理由である。兄弟たちは皆立派な体格であるのに偃一人だけ背が低かったという個人的 コンプレックスのせいともみられるが,兄弟八人がみな二千石の高官となったという直前からの文脈の中に 位置づけるならば, 「他の兄弟たちは二千石の高官にふさわしく体格が立派であったのに彼だけは小さかっ た」という意味的な流れと解することが出来よう。高位高官にふさわしい立派な風采が求められたというこ とではないであろうか。 こうした考え方は『史記』の中にも頻見する。張良の容貌について留侯世家の賛には 余おもえらく,其の人たるは魁梧奇偉ならんと計るに,其の図を見るに至り,状貌は婦人好女の如し。 と言い,張良が戦いにおいて示した神策からは彼はきっと偉丈夫に違いないと想像していたところ,図では 婦人女子のような外形であったと,その意外さに驚いている。裏返すならば,戦場での活躍よりすれば,軍 師張良にふさわしい外形は偉丈夫にして異相奇相でなければならないのだ(10)。やはり軍人では李広につい ても「余,李将軍を睹るに,悛悛として(つつましくて)鄙人の如し。口には辞を道う能わず」と言い,名 声人望に風采が釣り合っていないという印象を述べる(『史記』李将軍列伝)。また,遊侠列伝では郭解につ いて, 「太史公曰く,吾れ郭解を視るに,状貌は中人に及ばず,言語も採るに足らざる者なり。」と言い,大 侠である郭解の実物を見たところ,見た目は普通の人以下であり,話すことも大したものではなかった,と. 44.
(14) 外形と相(うらない). の否定的な印象を受けている。これも裏返せば,天下にその名が知られるほどの大侠はいかにもそれにふさ わしい偉丈夫にして異相奇相を持っているであろうという先入観があった,ということである。外形はその 人物のキャラクターと対応するものでなければならないのである。 そして外形はセールスポイントにもなる。東方朔が武帝に自分を売り込んだ上書には, 「臣朔は年二十二, 長九尺三寸,目は懸珠の若く,歯は編貝の若し」と容貌を自慢げに記す(『漢書』東方朔伝)。また,巫蠱事 件で大患をなすことになる江充については, 「充の人たるや魁岸,容貌甚だ壮なり。帝,望み見て之を異とし, 左右に謂いて曰く,燕趙,固より奇士多し,と」(『漢書』江充伝)とあり,武帝が江充に注目したのはその 壮なる容貌のせいであった。煩雑なコミュニケーションや時間のかかる交際を経ることなく,一目でその人 物の内面やポテンシャルを評価する基準として人間の外形は意味を持っていたということだ。そして,まだ よく知らぬ相手に対して自分のアドバンテージを一瞬でアピールすることができる「道具」として外形を利 用することもあったのかと思われる。 次に掲げる陳平の話ほど容貌が良い方向に活きた話もないであろう。 (陳)平の人たるや,長大にして美色なり。人或いは陳平に謂いて曰く,「貧にして何を食らいて肥な ること是くの若きや」と。其の嫂,平の家の生産を視ざるを嫉み,曰く,「また穅覈を食らうのみ。叔の 此の如き有るは,有る無きに如かざるなり」と。伯之を聞きて,其の婦を逐い,之を棄つ。平の長ずるに 及び,妻を娶るべきも,富人,与えるに肯ずる者莫く,貧者は平もまた之を恥ず。之を久うして,戸牖の 富人張負あり。張負の女孫,五たび嫁して夫輒ち死し,人敢えて娶るもの莫し。平,之を得んと欲す。邑 中に喪あり,平は貧なれば喪に侍し,先に往き後に罷るを以て助を為す。張負既に之を喪所に見,独り偉 なる平を視,平はまた故を以て後れて去る。負は平に随いて其の家に至るに,家は乃ち郭を負い窮巷なり て獘席を以て門と為す。然れども門外に多く長者の車轍あるなり。張負帰り,其の子仲に謂いて曰く, 「吾 れ, 女孫を以て陳平に与えん」と。張仲曰く, 「平は貧にして事を事とせず。一県中尽く其の為す所を笑う。 独りなんぞ女を予んや」と。負曰く, 「人は固より好美なること陳平の如くして長じて貧賤なるものあら んや」と。ついに女を与う。. 『史記』陳丞相世家. 陳平は究極に近い貧乏であったが,張負に見込まれてその孫娘と結婚することになる。のちに彼は劉邦の 下で大いに力を発揮し,文帝の治世まで活躍することとなる。その出世の糸口は張負の孫娘との結婚にある。 並の富家が陳平を相手にしなかったのに対し,張負は彼を評価したのであるが,その理由は「人は固より好 美なること陳平の如くして長じて貧賤なるものあらんや」というところに尽きる。先の文章では,人より先 に来て最後に帰るという陳平の精勤ぶりが叙述され,また路地裏住まいながらも長者と交際しているという 陳平の人望にも触れられている。しかし,張負が陳平に注目するきっかけはその容貌を見たことであり,孫 娘を嫁する理由としては「陳平のような美なる容貌の者は将来必ず富貴になる」という見立てに尽きるので ある。陳平の運を開き,また彼の交際が広がってゆく理由は,まさに陳平の容貌なのである。張負が陳平を 見込んで述べた言葉をさらに深読みすれば,容貌が美であるから能力があるとか優れた人物であるとかいう ようなことは言っていない。陳平自身が自ら能力を発揮してのし上がってゆくとも言っていない。張負の言 い方は,つまり陳平のような容貌が美なる人物は周囲に人が集まって自ずから道が開けてゆくものなのだと いう,経験に基づく人生訓的な物言いである,と思われる。人間の持つ魅力,交際を求めるきっかけについ て,まことに興味深い話であると言えよう。なお,陳平は,家の稼ぎに貢献しないので嫂からは疎まれたと あり,その意味では容貌の美なることは家族にとって意味があることではなく,他人・社会に対して意味が ある(アピールする)ものであったとも言い得よう。のち,陳平は魏無知の推薦で劉邦に仕え,高い地位に. 45.
(15) 竹 内 康 浩. 就く。それを妬んだ周勃らに「平は美丈夫なりと雖も,冠玉の如きなるのみ。其の中は未だ必ずしも有らざ るなり」と中傷される。気に病んだ劉邦は魏無知に陳平のことをただすと,魏無知は「臣の言うところのも のは能なり。陛下の問うところのものは行いなり」と答え,必要なのは役に立つ策士であるとして陳平を弁 護する( 『史記』陳丞相世家)。周勃らが陳平は見かけだけで中身はないと非難したのであるが,逆に言えば その見かけだけでも重視されることがあったということである。実際には陳平は策士として大いに力を発揮 するのであるが,しかし傍目にはその美丈夫振りのみが注目されたということであろう。 したがって,いかなる階層であれ,個人と個人の人間関係を形成したり,あるいは組織作りの際に本来無 縁の多くの人を糾合したりする力として,人間の外形は意味を持ち,現実的な力を発揮したのではないか, というのが,ここまでの検討によって得られた見通しである。筋の通った理屈や博大な知識,慈愛に満ちた 態度や気前の良い施し,そういったものが他者を引きつけて人間関係・組織を形成し,ひいては人々を動か す力,歴史を展開させる動因として働くという理解は,無論一面の真実である。しかし,理屈や知識はリテ ラシーの問題にもかかわって全ての人を対象に納得させられるものでもなく,慈愛や施しも困窮時の助けと して感謝こそしても人を威服させるものではあるまい。外形は一切の説明を不要とし,一瞬にしてアピール する力を持ち,それを人智を越えた神秘性の発露とでも言い換えれば,一種のカリスマ性を持ったリーダー として,それこそ人を威服しまとめ動かしていく強い力を持ったものであったとも見られよう。 後世,科挙において,身体に障害を持つ者は省試・殿試を受けることができなかった⑾。学力を重んじる 高等文官試験としての科挙の精神よりすれば,それはいかにも不当にして酷薄な扱いのように見える。また 多くの聖人が異相奇相の持ち主であったとされることを想起すれば,いっそう不思議な態度のようにも思え る。しかしながら,地位立場にふさわしい容姿が求められたのであれば(そうした暗黙の雰囲気があったな らば) ,彼らが排除されてしまったことに当時にあってはそれなりの価値観のベースがあったとせざるを得 ないであろう。身体はその人物を表徴する要素(本質ではないにせよ)として,注目されるポイントであり, 意味を持たされ,社会的な機能を果たしていたのである。 人間の身体に関わるこうした考え方は,無論,現代人にとっては非合理的なものである。しかし,「天」 なる力を信じ,それと人との関係を信じた往時の人々の思考や行動様式からすれば,それはむしろごく当然 の論理であった。君主制自体を支える論理がまた天と人との関係なのであるから,そこには何の不思議も飛 躍もない(12)。亀卜や易も現代人的には迷信に類する非合理的なものでしかないが,古代中国ではそれは聖 人によって開発された世界の真理を把握する信頼できる「科学」であった。人間の外形,見た目に「天」が 表徴されるという考え方もその同じ土俵の上にあるものと見れば,社会的な意味を持ち現実を動かす力とし て機能したのではないかと思われるのである。. おわりに 以上,中国古代における,人間の見かけに関する認識を取り上げ,初歩的な考察を加えてみた。結果をま とめると次のようになる。 この世界を支配する「天」の力が人間にも作用し,個々人の外形をも形作っている,そしてその外形に は「天」がその人に付与した意味が象徴されているのである。その意味を解読する占いがあり,将来を予 見することによって,当該人物との関係の持ち方を定める根拠となる。また,占いを通す必要すらなく, 見た目の与えるインパクトが周囲を威服する力を持ち,人間関係形成や組織構築に影響を与える場合も あった。. 46.
(16) 外形と相(うらない). 人間の外形について,中国古代においては大変に重要な意味があったことが,以上の検討において察せら れるのではないであろうか。外形とその占いについて,理屈などないと言えば,ないかもしれない。また, 見た目で人を威圧する「はったり(中国語でいう虚張声㔟)」に類する迷妄とも言えよう。しかしそれはや はり現代人の目にはそう映るということであろう。天の力の存在,天と人の関係についての当時の理解・常 識からは,上記のような認識は当然にして,かつそれこそ合理的であったと考えられるのである。 今後の課題としては,中国における身体観を改めて確認することがある。身体観については,西洋史にお いて研究が大いに進んでいるが(13),それに匹敵するような業績は,中国を対象としてはまだないのではな いか(14)。漢方に示されるような一つの体系(ないしミクロコスモス)としてではなく,また即物的な見方 でもなく,上下貴賤に関係なく誰もが有する身体の持つ意味について検討を加える必要があるが,それは今 後,引き続き行ってゆくこととし,本稿はこれにて閉じることとする。. 注 ⑴ 私は先に『「生き方」の中国史』(岩波書店,2005年)なる書を著わし,歴史を形成してゆくモメントとしての人々の価値 観や意識について考察を試みた。本稿も,基本的にはそうした問題意識の上にある。 ⑵ 現在通用している『荀子』非相篇はこの後もまだ長い文が続く。しかし,この部分以降にはもはや「相」のことは一切見 えず,盧文弨は栄辱篇の錯簡かと疑っている。栄辱篇との関係は措くとして,非相篇はここまでとする見解には十分に理由 があるので従いたい。テクストは王先謙『荀子集解』 (中華書局)により,金谷治訳(岩波文庫)を参照した。なお,多く の人名が見えているが,それに対する注記はここでは省略し,荀子の主張の基本的な筋を追うことに勤める。 ⑶ 『漢書』芸文志には,形法家の中に『相人』二十四巻の名が見える。そこにはまた「大いに…人及び六畜の骨法の度数… を挙げ,以てその声気貴賤吉凶を求めるなり」という。形法家には他に『相宝剣刀』や『相六畜』といった名が見え,鑑定 を行うマニュアルなのかと想像される。なお,『相人』の二十四巻というヴォリュームは,同じく芸文志所載の『左氏伝』 三十巻,『公羊伝』『穀梁伝』各十一巻という数字を参考とすると,ずいぶんと多いもののように想像される。 ⑷ 『春秋左氏伝』僖公二十二年に「蠭(=蜂)蠆有毒」 , 『国語』晋語に「蚋蟻蜂蠆,皆能害人。 」とある。 ⑸ 『太平御覧』巻八二,皇王部,夏帝禹,に引く『尸子』には「禹は長頸にして鳥喙,面皃(貌)亦た悪しきも,天下従っ て之を賢とす。学を好むなり。」という。禹についても鳥喙と言い,しかも人相としては悪いと明言しているものの,この 場合には内面の悪さの発露とはみなしていない。先述のような聖人も悪相であるという文脈に位置づけられるに過ぎないと 見られよう。なお,老子についても,「身長九尺,黄色,鳥喙」という記述もある( 『抱朴子』内編・雑応) 。 ⑹ 趙の祖先である中衍は「人面鳥噣」であったと『史記』趙世家にはある。しかしそれが持つ意味は分からない。 ⑺ このことについては,拙著『「正史」はいかに書かれてきたか』 (大修館書店,2002年)の第4章 記録する側の論理,の 「1 歴代創業皇帝の異常な出生に関する話」に述べておいた。 ⑻ 澹台滅明の容貌について,『史記』は「状貌甚だ悪し」と明言するものの, 『韓非子』顕学には「澹台子羽(=滅明)は君 子の容なり。仲尼幾してこれを取るも,与に処ること久しくして,行い其の貌に称わず。宰予の辞は雅にして文なり。仲尼 幾してこれを取るも,与に処ること久しくして,智其の弁に充たず。故に孔子曰く,容を以て人を取らんか,之を子羽に失 せり,言を以て人を取らんか,之を宰予に失せり,と。 」とあり,澹台滅明はむしろ美なる容貌であったとする。宰予が口 先だけの人物であることは一致しており,さらに見た目の良さ・辞の良さに孔子ですらだまされたという事例の類比として は『韓非子』の方が釣り合ってはいる。但しここでは,澹台滅明についての情報が詳しい『史記』の方に従っておく。 ⑼ 『史記』仲尼弟子列伝によれば有若は孔子より四三歳若いという。孔子は七十歳前後で没しているから,その時に有若は 二十代ということになる。明らかに老人の孔子と青年有若とを並べて「有若の状は孔子に似たり」というのは,何とも不自 然で不審ではある。 ⑽ なお,張良の容貌について,『漢書』を引用しつつ, 『太平御覧』は美丈夫と醜丈夫の両方に記事を掲げている。 『御覧』 が引く『漢書』は同じく張良伝のはずであるが,前者は「美婦人の如し」 ,後者は「婦人の若し」という違いがあり,かつ 現行の『漢書』では「婦人女子の若し」となっていて,一致しない。それはひとまず措くとして,注目すべきは「婦人のよ うな容貌」ということが,丈夫にとっては美ともなれば醜ともなり得るということである。客観的に美醜を問えば張良の容 貌は美としてよいのであるが,戦場で無類の功を立てた軍師の容貌としては婦人のようでは醜とせざるを得ない,という判 断基準であるかと思われる。本文での考察の参考として,紹介しておく。. 47.
(17) 竹 内 康 浩. ⑾ 荒木敏一「宋代の科場と不具疾患の進士」(『東洋史研究』第三十巻第二・三号,1971年) 。なお,荒木氏の論考は,かか る差別の規定が次第に空文化していく経過をたどったものである。 ⑿ 竹内,注1前掲書,第4章「天,民を生む」,を参照のこと。 ⒀ 代表は,A・コルバン他監修『身体の歴史』(邦訳は藤原書店,2010年,全3巻)である。 ⒁ 林素娟『美好與醜悪的文化論述―先秦兩漢観人・論相中的礼儀・性別與身体観』 (台湾学生書局,2011年)は,本稿と同 様な問題意識を持った研究である。但し,書名にあるとおり美醜を問題としており,本稿が美醜を問題とはしていないのと は根本的に異なるので,検討結果はだいぶ異なる。林氏の該著についてはいずれあらためて評を試みたい。. . 48. (釧路校教授).
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