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神話風景画と寓意 : ニコラ・プサンの《オルペウスとエウリュディケーのいる風景》をめぐって

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Academic year: 2021

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(1)Title. 神話風景画と寓意 : ニコラ・プサンの《オルペウスとエウリュディケー のいる風景》をめぐって. Author(s). 古川, 俊英. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 48(1): 81-95. Issue Date. 1997-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2074. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . . 北海道教育大学紀要 (第1部A) 第48巻 第1号. 平成9年8月. lo fHokka i i do Un i fEduca j t Sec i i l t t ourna ver s onIA)Vo on( yo .1 .48 ,No. Augus t ,1997. 神話風景画と寓意 - ニコラ・プサンの 《オルペウスとエウリ ュ ディケ ー のいる風景》 をめ ぐっ て - 古. 川. 俊. 英. 北海道教育大学札幌校美学美術史研究室. ルーヴル美術館所蔵のプサ ンの作品 《オ ル ペ ウス と エ ウリ ュ ディ ケー の いる 風 景》 (図1) は, 前 景 に物 語の主役たちを配し, 中景には大きな川 (あるいは 湖) と日常的な行為にいそしむ人間たち, 後景には. r ′. 三 義繁. . . 堂々たる城塞のある都市の姿が描がかれている。 前 景やや右側で, 岩の上に座るオルペウスは竪琴を演 奏している。 その周囲で人々が音楽に聴き惚れてい る。 さらに右側には, 結婚の贈物と思われる黄金の 壷 が置 か れ, そ の傍 ら にオ ルペウス とエ ウリ ュ ディ. ケーの結婚を象徴する二つの花冠がみられる。 中央. ¥ 詩」 罰 罫 好 解 説瞬き ; 。 ・ . ・ ’ ‘ ~ 二 - 二 :. に ひ と り の 男 が立 っ て い る。 こ の 人 物 は 婚 姻 の 神. .- , .. 1 ‐ - - ・. ヒ ュ メ ナイ オス で ある。 こ の男 の左 に ひ っ く り 返 ,. レペウスとェウリュディヶ‐のぃる風景 ルーヴル美術館 パリ さ れた花篭 の そ ば の 草叢 に鎌 首 を 持ち あ げた蛇 そ 図T プサン オノ , してそ れに驚く エウリ ュ ディ ケ ー の 姿 がある。 川 岸. で釣り糸をたれている男がこの光景を目撃している。 前景の暗がりと対照的な明るい光に満ちた人物集団の なかで,ただ一人動きを示す彼女の恐 布の身振りは音楽に陶酔している幸福そうな集団と鋭く対立する ヒュ 。 メナイオスの立ち姿は, オルペウスを含む集団が結婚の情景であることを指示する。 プサンはまったく意味 合いが違い, 時間を異にする出来事を風景の連続のうちに結びあわせ 至福の瞬間と悲劇の時を並置 し 劇 , , 的な表現をつくりあげた。 死の場面の目撃者である釣りをしている男の謎めいた視線は観者に向けられてい るようにみえる。 描かれた虚構の世界へ現実界の人々を招き入れ ふたつの世界を一体化させる効果をもつ , 見事な配置である。 虚と実, 明と暗, 斜行線と垂直線や水平線が見事 に均衡を保っている すべての形態は 。 観 者の 眼 に完全 な 形 で提 示 さ れ 明快 な 空 間 が現 出 し , て い る。. かつて, オットー・グラウトフは, 崩9年む こ「シャ. 爾% 総繰灘. . し 闘圏 醸 腰. . 滋麹 嬢 騰 勢 繋ぎ - . -. う 醜翻馨 ′ 舷棚灘霧 誌 圏鰯潮騒 群舞扉 跨. ルル.ル ブラ ンのため に風景画を描いた P と Y. d翻 フエリぎ三 年著 をキザ窄蜜結ヤキ たギキ 議灘園‘ 鞭臓圏-講滋 圏 … ・ 鮮 湖綴 ” のフサ ンの作鳳とは全く異なっており グラウ ′. ’. トフの 所見 は 現在 で は否 定さ れて いる。 ル ブラ ンの た. めに塙かれ. 風暑面はぜ-人のニンフシ姉のいス固 蔀. 圏 闘霊 園. 欝‐ ,.楓塾 ”聾醒 繋 軽 震 誌 漏麹. . . 獅, 鯉. 圏園圏 圏諺覇 一帖,. 81.

(3) . . 古 川. 俊. 英. 所蔵の く聖家族) のための習作の裏側に描かれている素描 《燃えている城のある風景》 (図2) が重要な手 649年に描かれた 《ポリ ユ ペ ー モス のし る 風 景》(エ ルミ ター 掛かりとなった。 この素描の丘や樹木の表現が1 ジ ュ 美 術 館, サ ンク トペ テ ル ブル グ) にも み ら れる こ と, く聖 家 族) のス ケ ッ チ が1650年 頃 の 作 と考 え ら れ る こ と か ら, プラ ン トは くオ ルペウス とエ ウリ ュ ディ ケ ー のいる 風景》 を1650年 の作 と 断定 し, こ の 説 は広 ) )1660年12月 の ポ ワ ンテ ルの 死 の 際 につ く ら れた 目 録 が1978年 に発 見 さ れた 5 く 受 け 入 れ ら れて いる。 4 。 こ. の目録からこの絹商人がオルペウスの風景画を所有し, 彼がローマにいた時期にこの作品を注文したことが 65 0年頃の作品である という推論を補強 明らかとなっ た。 こうした事実も様式分析にもとづいた制作年代, 1 する こ と とな っ た。 ポ ワ ンテ ルの 目 録 には, この 絵の 大き さ は 縦4 ピ ピ エ1/2 146c mX200c m) と 記 さ れて いる。 , 横6 エ (. . ・. ′-- r. ・. , .. . ,. . . Jユディケーによる版画 図3 エティエンヌ・ポーデ ブサンのれレペウスとエウI. フランス国立図書館 版画室 パリ. しか し, 現在, ルー ブルの 所蔵 して いる 作 品 の寸 法 は124cm X20 0c m短 い。 こ の mで あり, 縦の 寸 法 が22c. 大きさの違いは別作品ということではなく, 上下で 一部分が切断されたことによって生じたものと考え ら れて いる。 1709一1710年の バイ の 目 録 には 現在 の. 寸法が記載されている ところから, 切断はそれ以前 に行 な わ れた こ と になる。 グラ ン・ パ レにお ける プ )で は 1994年 2月 ~1995年)の カ タ ロ グ6 サ ン展 ( , ブル ジ ョ ン・ ド・ ラ ヴ ァ ニ エ の 主 張を受 け入 れ, こ. 685年以前, すなわち 《オ ルペ ウス》 の絵 の切断が1 が王宮 のコ レク シ ョ ンに入る 前 に行 な わ れた と して. )しか し 1701年 に ルイ14世 に献 上 さ れた エティ エ ンヌ ・ ボー デの プサ ンの くオ ルペ ウス とエ ウリ ュ いる。 7 ,. 1年の献上の少し前の制作, パリ, フランス国立図書館, 版画室) 1 70 ディ ケー の いる 風景} にもとづく版画 ( (図3) と比 べる と, 上部 と下 部 が切 断さ れている よう にみ える。 こ れを根 拠 に して, テ ュ イ エ は, 1701年 )切 断の 理 由 は プサ ンの他 の 絵 と対 と して飾 る ため 以 後, 1709・10年以 前 に切 断さ れた と推 定 している。 8 , であ っ た と思 わ れる。 こ の 絵 の 主 題, 「オ ル ペ ウス とエ ウリ ュ ディ ケ ー の物 語」 の原 典 を, フリ ー ドレ ン ダー は 『変 身物 語』 に )第十 巻の 冒頭 で オ ヴィ ディ ウス は 次の よう に語 っ て いる 求め て いる。 9 。 , こ の 地 をあ と に した 「婚 姻神 (ヒ ュ メ ナイ オス)」 は, サ フラ ン色 のマ ン トに包 ま れて, は て しな い 大 空 を 分 ける。 目 的地 は, キコ ネス 族 が住 む トラ キ ア の 国 だ。 オ ルペウス の婚 礼 に招 か れて い たの だが, こ の 旅 は, 結局, みの ら な か っ た。 なる ほ ど, 行く には行 っ たの だ が, 祝 いの歌 をう たいもせ ず に, 陰気 な顔 を している ばか り で, 何 ひとつ め で た い 兆 しをも た ら しは しな か っ たの だ。 彼 が手 に している 松明 も, しじ ゅ. うぶすぶすとくすぶって, 涙を出させる ばかりで, いくら振っ ても燃えあがらなかった。 結末は, こんな前 兆よりももっとひどいものだった。 新妻のエウリュ ディケが, 水の精たちの群れを引き連れて, 草原を散策 o ) していたとき, 足首を蛇に噛まれて, 命を落としたのだ。l こ の記 述 にも と づ い た物 語の 再 現 であ る という フリ ー ドレン ダー の説 明を受 け入 れる と す れ ば, オ ルペ ウス の 一 族の 住 む トラ キ ア の 地 を舞台 に起 こ っ た悲劇 の 表現 という こ と になる。 しか し, この 絵の細 部 に は, オ ヴィ ディ ウス の 記 述 と一 致 しな いもの が かなり 認め ら れる。 例 え ば, ヒ ュ メ ナイ オス と想 定さ れている 前 景 82.

(4) . . か 水 絵. . 神話風景画と寓意. 中央に立つ人物は, 『変身物語』 に記述されているようなサフラン色のマントではなく, 赤みがかった長衣 の 上 に ゆ っ た り と した 白 いマ ン トを 身 につ けて いる。 エ ウリ ュ ディ ケ ー の死 の場 面 に して も 「水 の 精 た ち , 中 役. の群 れ を引 き連 れて, 草原 を散 策 して い た とき」 であ っ て, た だ一 人で 蛇 に脅 かさ れて いる こ の 絵の 光景 と. し 何. は一致しない。 その上, プサンのオルペウスの風景画にはなにか謎めいた雰囲気が漂っ ている。 中景に散在 する人物たちはいったい何を意味しているのだろうか。 彼らの仕草もきわめて暗示的である。 主役たちの対. 岸で,帆を巻き取られた舟を骨折って曳いている人々(図4)やその背後で,川に飛び込もうとしているのか , 着物を脱ぎ, 舟に向かって何やら意味ありげな身振りを示している一団の人物たち (図5) は 何を意味し ,. 図4 プサン 舟を曳いている人々. 図5 プサン衣服を脱いでいる人々(同左) 図6 読書をする人と城を見上げている男(同左). (オルペウスとエウリュディケーのいる風景部分). ているのだろうか。 画面のいちばん奥には城塞が聾え立つ。 その左手前には 座って読書に耽っている人物 , が見られる。 その奥に, 興味ありげに城を見あげている人物が立っている。(図6) その男の視線を辿ると , 円形の城が煙をあげている。 その煙は太陽の光をおおい隠しつつある雷雲と混 じりあって 不気味な雰囲気 , を強化する。 オルペウス の物語へのこう した付加物 -- 舟 水浴びする人々 都市風景 煙のあがっ てい , , , る城塞 ■- などは先例のない奇異なものであり, プサン独特の表現である。 「……薄明の中でう ごめき 水 , を浴びる男たち, 大きな渡し舟を操り, その舟を曳く男たちは 冥府の亡者のよう に奇怪であり 夢の中の , , 1 )と こ の 場 面 を三 途 の川 (ス 光景 の よう に幻 想 的 である。 … …」1 テ ュ ッ クス) あ る い は冥 府 の沼 (ユク トス) , と 交錯 させ て, 近 藤 氏 は 『絵 画 の 父 プ ッ サ ン』 で そ のイ メ ー ジの 奇 妙さ を 語 っ て いる こう した要 素 を 考 , 。. 慮すると, オルペウスの風景画を 『変身物語』 の単なる図解と解することはできない 。 プサ ンは, 初期 ロ ー マ 時代 に 《ナ ルキ ッ ソス とエ コー》( 1629一30年 頃,ノ レー ヴル美術 館, パ リ) や 《曙 の 女 神 ア ウ ロー ラ とケ パ ロス》 ( 1630年 代 は じめ, ナ シ ョ ナ ル・ ギ ャラ リ ー, ロ ン ドン) な ど オ ヴィ ,. ディウスに題材を得た作品を何点も制作している。 またそれ以前にパリで描かれた作品, 所謂 「マリー ノ素描集」( 1 62 2一2 3年, ウインザー城王立図書館) 『 においても, 変身物語』 に取材した作品が9点含 2 )こう した 事実 か ら 彼 がオ ヴ ま れてい る。1 ィ ディ , ウス の物 語に精通 してい た と 考 え て よ い。な かでも , 図7 プサン 冥府の れレペウス ウインザー城 王立図書館. 《冥府のオルペウス》(図7) は同じ物語から取材 して い る 点 で 注 目 に 値 す る。 つ ま り 《オ ル ペ ウス ,. と エ ウリ ュ ディ ケ ー のい る 風景》 は逸話の前半を 《冥府のオルペウス》 は後 半 を扱 っ ている エウリ ュ ディ , 。 83.

(5) . 古 川. 俊. 英. ケ ー の 死後 の物 語, つ まり 以 下 の部 分 にか かわ っ ている。. オルペウスは妻の死を思いきり嘆いた後, 地下の亡者たちにも訴えかけてみよう と考え, タイナロスに ある下界への入り口から冥界へ降りて行く。 オルペウスは悲嘆に暮れ, 冥府の世界に降り, 竪琴の調べでそ の 王 の ブ ルー ト ン と 王 妃 ベ ル セ ル ポ ネ の 心 を和 ら げ, エ ウ リ ュ ディ ケー を 地 上 へ 連 れ 戻 す 許 しを え た。 ) 13 .”. . .. 《冥府のオルペウス》 で は, 画面左側 に ベ ルセ ル ポネ を従 えた ブルー トンが掛 け布 を背 に 座 り, ケ ル ベ ロス は 足元 に縛る。 エウリ ュ ディ ケー は彼 らの前 に立 ち, オ ルペ ウス は 中央 で竪琴 を演 奏 して いる。 冥府 の場 面 が物 語 のまま に図示 さ れている。 30年 近 い年月 を経 て, プサ ンは再 びオ ルペ ウス の物 語 を描 い たの だが, 前. 回とは異なり, 『変身物語』 の忠実な再現ではなく, テキストには記述されていない多くの場面をとり入れ てこの作品を完成した。 オヴィディウス の 『変身物語』 ばかりでなく, 16世紀中頃以降, 非常に人気のあっ た神話の百科事典的集成に編入されたオヴィ ディウスの著作の注解を参考にして, 自由な変形を加えて, そ ) 4 の物語の独自の解釈を表現したのである。1 16 , 17世 紀 絵画の オ ル ペ ウス の 表 現 には, 比 較的 決 ま り 切 っ た 型 が 認 め ら れ る。 最 も 一 般 的 な 型 は, . 、 に北 ヨー ロ t ”. ッ 十 パ の 芸術 . ら 一…家 “ たち rによ っ て 発展 “ “ させ. *噌ノ ,. ー ‐ く き帯 きデ ” ▼ *‐ ーー さ, ,呈: , . ‐ T三 等 ;. r -・ -. 〆. ・ ・. ●. .「 せ ま - 」 楠. . ′≧ l , ▼~. .. ′. ′ . ・ , 、. . 、 一V .. ペウス は右 の 奥 に小 さく 描 か れている に過 ぎな い。. 1. . . - . ▲ , ./ -. . 図8 ァントニオ・マリーァ・ヴァッサロ オルペウス プーシキン美術館. 動物たちをも魅了した音楽を奏でているオルペウ ス の姿 が好ま れた理 由 は, 他 の 場 面 に比 べる とユ ニーク な 光景 だっ た か らであろう。 例 え ば, エウリ ュ ディ. ケーが養蜂家アリスタイオスに追いかけられる場面はアポローンがダプネーを追跡する情景と重なり合い, 冥府 か らの帰 途, エ ウリ ュ ディ ケー の 姿 を確 かめる た め に後を 振り 返る オ ルペ ウス の 光景 は プロ セ ル ピー ナ の物 語と視 覚的イメ ー ジが一 致する から だ っ たの で はな い か。 そ の上, オ ル ペウス と彼 の演 奏 に 陶酔 する 動. 物たちという画題は, 自然を描く能力を最大限に発揮する機会を画家たちに与えた。 それ故, 風景画を得意 とした1 7世紀の北方の画家たちが, オルペウスの物語のなかで特にこの場面を好んだのは当然だろう。 ブサ ンもこの伝統的表現を知っていたと思われる。 しかし, 彼はオルペウスの物語の表現にあたってこう した伝 統 から逸 脱 して い っ た。 そ の原 因 は何 だっ た の だ ろう か。 フリ ー ドレン ダー は, オ ル ペ ウス の物 語 に取材 した絵 でエ ウリ ュ ディ ケー が蛇 に咳 ま れて 死 ぬ と いう 光 景 6 )かつ て は ジ ョ ル ジ ョ ー ネ の 作 と さ れ 現 を 描 い た の は, ブサ ンの こ の 絵 が最 初 で あ る と 述 べ て いる が, 1 , 在 はテ ィ ツィ ア ー ノ に 帰属 さ れ て い る 作 品 《オ ル ペ ウ ス と エ ウリ ュ ディ ケ ー) (ア カ デミ ア ・ カルラ ー ラ, )の よう な 先例 も 存 在 する しか し オ ルペ ウ ス と エ ウリ ュ ディ ケ ー の 結 婚 は こ の 時代 7 ベ ル ガモ) (図 9)1 。 ,. では, 珍しい画題であり, 『変身物語』 の注釈書の挿絵を除けば, エウリュ ディケーの死と二人の結婚を結 びつけた作例はプサンの絵以外は知られていない。 ア カ デミ ア. カルラ ー ラ の 所 蔵す る 《オ ルペ ウス と エ ウリ ュ ディ ケ ー》 では, 左前景にまるで竜のような 84.

(6) . . 神話風景画と寓意. 姿の蛇に襲われているエウリ ュ ディケーの姿がある。 また右隅の奥には炎と煙をあげている建物がある。 中 景には冥府からの帰途, 約束を破り, 後を振り向く オ ルペ ウス と その 結 果, 消 え去 りつ つあ る エ ウリ ュ. ’ き ノ こぎ=; ま - 二剥ぎ 錦織 .こご 導 ・, .選 . . . . . . . . . . 剛 ティッイァーノ れレペウスとェウリ 好 け- ァヵデミァ・かけ‐ラ ベルガモ. ディ ケ ー の姿 が認め ら れる。 こ の煙 をあ げて いる 建. 物は明らかに冥府の入口である。 プサンがこの絵を 自分のオルペウスの絵の参考にしたと断定する根拠 はな い。 しか し, 両 者 は 共通 の 源 をも っ てい た と考. えてよいだろう。 冥府の入口を燃えあがる家あるい は城であらわすことは, 中世後半の劇の舞台で常用 され, ディス (地下界) あるいはハデス (冥府) の. 地獄の都市を表示するための伝統的舞台装置として 重用 さ れた。 16世紀 になる と, 燃 えあ がる 地獄 の 門. はオヴィ ディ ウスの 『変身物語』 の大衆向けの翻訳 本の挿 絵 に, 採用 さ れる にい た っ た。 ジー グラ ー は, この 種 の 出 版物 で頻 繁 に採用 さ れた ヴ ァ ー ジル . ソリ 8 ) ス によ る 挿 絵 に, この モ ティ ー フの原 型 をみ ている。 1 「冥 府 の オ ル ペ ウス の挿 絵 (ヴ ァ ー ジル ・ ソリス オ ヴィ ディ ウス の 『変 身物 語 よ り 冥府 の オ ルペウ 」 』 , ス の 挿 絵, リ ヨ ン, 1559年, 国立 図 書 館, パ リ) (図10 ) で, ソリ ス は ブルー ト ンと ベ ルセ ル ポ ネ の 面前 で 竪琴 を奏 でる オ ルペウス. の背後に, 煙に包まれた 山 を 配 して いる。そ して, この 煙 をあ げている 山 は. 地獄の 入口と 考え られ る。 ま た, 「エ ウ リ ュ ディ. ケ ー の 死」の挿 絵(ヴァ ー D ヴァー労し 図I ・ソリス 冥府のれレペウス 国立図書館 パリ. ・ ソリス ェ剥 げイケーの死の挿絵 国立図書館 パリ 団 ヴァージル. ジ ル・ ソ リ ス , オ ヴィ. ディ ウス の 『変 身物 語』 より エ ウリ ュ ディ ケ ー の死, リ ヨ ン,1559年, 国 立 図書館 パ リ)(図11 ) に は蛇 に襲 わ れて いる エ ウリ ュ ディ ,. ケーとそれに気づかずに花を摘んでいる女性たち (ナーイデス) や地面に置かれた花篭が描かれている。 こ の エ ウリ ュ ディ ケ ー の ポー ズ は ブサ ンのオ ルペウス の 風 景 画 に描 か れた彼 女 の ポー ズ と 酷似 している。 ブサ ン がソリ ス の挿 絵 入り の 『変 身物 語』 を知 っ て い た と ジー グラ ー は推 論 して いる が 若 年 時代 に描 か れた 「マ , リ ーノ 素描 集」 の 一 部 がオ ヴィ ディ ウス の物 語 の挿 絵の ため の作 品で あ っ た とも い わ れて おり ブサ ンが挿 ,. 絵に関心をもっていたことは事実であろう。 さらに, 1 6世紀初め に出版された書物の挿絵が先行作例として )1501年 に ヴ ネ 9 注 目 さ れる。 1 ェ ツィ ア で 出 版 さ れた ジ ョ ヴ ァ ンニ ・ デイ ・ ボ ン シ ニ ョ ー リ の 『オ ヴィ ディ ウス 変 身物 語注 解』 の 「オ ルペ ウス と エ ウリ ュ ディ ケ ー の結 婚 と エ ウリ ュ ディ ケ ー の 死」 を描 写 した挿 絵 (作. 者不詳, 国立図書館, パリ) (図12 ) は, ソリスの作例よりもさらにブサンのオルペウスの風景画の全般的 な情景に近い表現を示している。 左側には, パビリオンで進行中の結婚の儀式が描かれ 右方で 一団の女 , , 性 を引 き連 れたエ ウリ ュ ディ ケ ー はま さ に蛇 に襲 わ れつ つ ある。 異 変 にま っ たく 気 づ い て いな い オ ルペウス は, 中 央 奥 で音 楽 を奏 して いる。 ス テ ュ ッ ク ス 川 を横 切 っ て 渡 し守カ ロ ンが舟 を操 っ て いる ま た 同 じ 。 , , く ヴェ ネ ツィ ア で1553年 に刊 行 さ れた ル ドヴィ コ・ ドルチ ェ による オ ヴィ ディ ウス の物 語 の翻 訳 に挿入 さ れ 0 ) (作 者不 詳 国立 図 書館 パ リ) (図13 た 木版 画2 ) は, 同 一 のテ ー マ を扱 っ て いる が, ボ ンシ ニ ョ ー リ の , , 85.

(7) . 古 川. 図12 作 者不 詳. の死の挿絵. オ ル ペ ウス の 結 婚 と エ ウ リ ュ ディ ケ ー. 国立図書館. 俊. 英. 図13 作 者 不 詳. パリ. の死の挿絵. オ ル ペ ウス の 結 婚 とエ ウ リ ュ ディ ケ ー. 国立図書館. パリ. 挿 絵 のモ ティ ー フ に加 えて, 三 途 の川 の 対 岸 で 燃え ている 街 がみ ら れる。 こ こ には, プサ ンの 《オ ルペ ウス とエ ウリ ュ ディ ケー の いる 風 景》 の骨 格を なす すべ ての モ ティ ー フ が存 在 して いる。 このよう な 両者の 類似. 点から, プサンの絵はエウリュ ディケーの死と冥府をあらわした挿絵の表現の系譜に連なっている と考えざ る を得 ない。 そう である とす れ ば, フリ ー ドレン ダー の いう よう な 「エ ウリ ュ ディ ケー の 町とキ コー ン族の )の 岸 辺 で 起 こ た オ ヴィ ディ ウス の 物 語 の 再 現 で ある と いう 意 見 を そ の 1 城 (ア ルク ス) の 間 にあ る 湖」 2 っ ま ま 受 け入 れる こ と は で き な い。 あ る い はま た, 城 塞 か らた ち の ぼる 煙 に して も, 婚礼 の席 で, 「ぶ す ぶ す く す ぶ っ て, … … いく ら振 っ ても 燃 えあ が らな か っ た」 ヒ ュメ ナ イ オス の松 明の 比 職 的 表現 である と いう よ. りも, 冥府の入口と解するほうが素直であろう。 プサンがルネサンス以来のオヴィディ ウスの挿絵の伝統に したが っ て こ の 絵を描 い た の であ れ ば, 前 景 に死 を目前 に して 恐怖 す る エ ウリ ュ ディ ケ ー と そ れに気 がつ か ず に音 楽 に興 じて いる オ ルペ ウス, 中景 は渡 し守カ ロ ンのいる ス テ ュッ クス 川 がこ の 世 と冥 府 を 分 け, 画 面. の最深部では煙をあげる冥府の入口とその都市がたち並ぶということになる。 ジーグラーが指摘した通り, プサンがこう した挿絵の伝統からヒントを得たことは認めるとしても, 両方 に共通する細部から,プサンの絵と挿絵が同一の表現であると断定してよいのだろうか。煙をあげている堂々 たる城塞は本当に冥府の入口なのだろうか。 同じような細部を鎮めながらも, 両者はまったく違った意味内 容を伝えているように思える。 異なった時間に異なった場所で起こった出来事を並置するという方法は, ど ちらの場合にも用いられている。 しかし, 挿絵の場合, この方法は説明的に物語の出来事を追うために使わ れている。 プサンは, 異時間の出来事の並置を挿絵に使われている続き漫画のような効果ではなく, より複 雑な目的, 効果的に寓意を暗示するために役立てている。 エ ウリ ュ ディ ケー の死 と燃 える 城 の 組合せ が寓意 表現 を意 図 したも のである こ と は, オ ルペウス の 風景 画. と密接な関係をもつほぼ同じ時期に描かれたプサンの他の作品と比較することで確認することができる。《エ ウ ロー ペー の 誘拐) の 絵画作 品 は現在 で は失 わ れて し 1649年着 手, ス ま っ た が, 完成 度の 高 い大 き な 素描 ( ) が残 さ れている。《エ トッ ク ホ ルム 国立美術 館)(図14. 誠・. ウローペーの誘拐〉 の前景左半分では, この物語が伝. 【. 統 的 な 形 で示 さ れて いる。 背 中 にエ ウロー ペー を乗せ. 総馨 J縄 謎. た牡牛に乙女が花環を掛o ナ , メルクリウスが空を舞っ ている。 しかし右側には, 大きな蛇に追われて恐怖に. - - 、ゴ. お の の き な が ら逃 げて いる 若 い女 の 姿 がみ ら れる。 こ. 4 プサンエウローペーの誘拐 ストックホルム国立美術館 ストックホルム 図1. の 女性 のモ ティ ー フ はエ ウロー ペ ー の物 語 と はかか わ. 1 ;、‐. . 86.

(8) . 神話風景画と寓意 り をも たな い。 そ の 上, 遠 景 に はオ ルペ ウス の 風景 画 の 城 塞 とよく 似 た城 があり, そ の城 か ら は煙 がたち の ぼっ て いる。 蛇 に襲 わ れて いる 女 生は エウリ ュ ディ ケ ー であ る と思 わ れる。 オ ヴィ ディ ウス の物 語 で は関係 の な い エウ ロー ペ ー と エウリ ュ ディ ケ ー を 同 一 場 面 に描 いた 理 由 は, 寓 意 をあ らわす も の と しか考 えよう が な い。 生の 喜 びと死 の 恐怖 の対 比, す なわち 豊鏡 と不 毛 のモ ティ ー フの 並 置 によ っ て寓 意 を示 唆する の は,. プサンの比轍表現の常道である。 「喜びと豊かさと平和の物語のなかに, 絶望 と身を脅かす死を挿入するの ) 《エ ウロ ー ペー の 誘拐》 は神 話 に巧 み に寓 意 を ひそま せる プサ ンの 表 現 方 法 の 典 型 である こ 2 であ る」。 2 。 の 二つ の モ ティ ー フ から, オ ルペ ウス の 風景 画 とこ の 素描 は共 通 の 基盤 をも っ て いる と判 断さ れる。つ ま り, この 素描 は単 なる物 語の 再現 と は い えな い。 エウリ ュ ディ ケ ー の 死 と燃 え上 がる 城 の 組合せ は特 定 の 寓意 を 1657年 頃, フ ォ ッ グ美 術 館, ハ ー ヴ ァ ー ド 示すものと考えられる。 それは晩年の作品 《バ ッ コス の 誕 生》 ( 1664年, ルー ヴル美 術 館, パ リ) と 大 学, ケ ン ブリ ッ ジ, マサ チ ュ セ ッ ツ) や 《ア ポロ ー ン と ダ プネー》 (. )オルペウスの風景画の場 3 同様, 死と再生, 豊鏡と不毛の対立を象徴するとプラントは解釈しているが, 2 合も同じ寓意の表象なのだろうか。 ゴ ン ブリ ッ チ がナタリス ・ コメ ス の 『古代 神 話 集 (ミ ソロ ジ ア)』 を 手 掛り に して, 《盲 目 のオリ オ ンの い る 風 景》 ( 1658年, メ トロ ポリ タ ン・ ミ ュ ー ゼ ア ム, ニ ュ ー ヨー ク) の 寓 意 を解 明 して 以 来, プサ ンの神 話. 画とコメスの神話解釈にみられるような自由思想との関連がしばしばとり上げられるようになった。 プサン が神話を主題と した絵を描く時, 彼の生存中にたびたび再出版されたコメスの 『古代神話集』 が, 神話の知 識や解釈の全体的な枠組みを提供したというのである。 マクタイ もこう した見地から, オルペウスの風景画 4 )コメ ス が 繰 り 返 し述 べ て いる も コメ ス な どの 自 由思 想 家 た ち の 思 想 にも と づ く も の で あ る と 主 張 す る。 2. ルネサンス時代の最もありふれたオルペウス像, つまり都市主義の発明者ヘラクレス同様最初の偉大な都会 )を 継 承 す る と いう オ ル ペ ウス の もう ひと つ の 顔 は ホラ ティ ウス の 『詩 につ 5 人 オ ル ペ ウ ス と いう 考 え2 。 , い て』 の 一節 に求 め ら れた。 「神 の 祭 司 そ して 通 訳 と して, オ ル ペ ウス は, 獣 た ち に 森 に住 む 人 を殺傷 する. ことや腐敗した食物を食べることをおもい止まらせた。 そして猛り狂っ た虎やライオンをもおとなしくさせ )オ ルペ ウス の音 楽 が 人 間 ばかり で なく 野 性 の動 物 ま でも 従 順 にさ せ た と いう 伝 説 か ら 自 然の す 6 た… …」2 , べ て を沈 静さ せる オ ルペウス の音 楽の力 は,人々 を集 め,すべ ての 争 い を調 停 する 能力 と 結 びつ け ら れた。「彼 ) 7 はよ り 礼儀 正 しい, 人間 的な 生 活 方 法 に (人々 を) 従 わせ, 彼 らを都 市 の 城壁 の 中 で 一緒 に生活 させた。」2. このようなオルペウス像は神話の注解書ばかりでなく, ルネサンスの象徴解釈の書物にも記載され, 1 7世紀 に は非 常 に普 及 したも の で あ っ た。 エ ウリ ュ ディ ケ ー と の 結 婚 も 人 間の 文 明化 に 一 役 演 じさ せ ら れた。 「オ ル ペ ウ ス は 人々 に 建 物 を つ く る こ と を 教 え, 公 の 法 に 従う こ と や 結 婚 の 規 定 のう ち に と どま る こ と を 教 え. )このような前提から プサンは北方画家たちの常用する動物の聴衆を人間に代え 都市の景観の前 2 8 た。」 , , 面にこの音楽家の結婚を配置し, 文明社会で一緒に平和に暮らす人間の原動力オルペウスという概念を具現 した と いう の である。 《オ ルペウス と エ ウリ ュ ディ ケ ーの いる 風景》の 中景 に,人力 によ っ て曳 かれて いる 帆の 巻 か れた舟 がある。 こ れは プサ ンの 他 の 絵 に は み ら れ な い珍 しい モ ティ ー フである ばかり で なく オ ヴィ ディ ウス の テ キス トに , も, ル ネ サ ンス の神 話の 注 解 にも 根 拠 を もた な い。 しかも, この舟 は画 中 で, 視 覚の 要 と して機 能 して いる。. 画面中央より, 少し右より前景 にはヒュメナイオスの立ち姿, それに呼応するような遠景の塔は, ともに垂 直線を示唆する。 中景の帆柱は, これらの垂直線よりほんの少し左よりにあり, 画面を右と左に分ける役割 を果た して いる。 と す れ ば, こ の舟 に はな に か重 要 な 意 味 が隠さ れて いる の で は ない か。 マク タイ は ピ エリ オ . ヴ ァ レリ ア ーノ の 『ヒ エ ロ グリ ヒ カ』 を援用 して, 次 の よう に述 べ て いる。 「ヴ ァ レリ ア ーノ は歴 史 家 アミ アヌ ス ・ マ ルケリヌ ス か ら二つ の象 徴 をつく り だ した。 ひとつ は 開い た 帆をもつ 舟 であ り, こ れ は共和. 国における人間の自由な参加を意味した。 もう一つの綱で曳かれる舟は, 偽りによって支配された嫌々なが 87.

(9) . 古 川. 俊. 英. 9 )プサ ン は 人 に よ て 曳 か れる 舟 を こ の 象 徴 に結 びつ け ら の 共 同 社 会 にも と づ い た 政治 の 形 を意 味 した。」2 っ た。 16 , 17世紀 には ヴ ァ レリ ア ーノ の 象 徴の 注解 書 は非 常 に普 及 した もの であ っ て, 当 時の作 家 や芸術 家 が 舟 を 国家 の 象 徴 と して使う こ と は 珍 しいこ と ではな か っ た。 プサ ン がこの 書物 を知 っ て い て, その 象徴 を利. 用したことはあり得る。 帆柱 の右側 にオ ルペウス の 結婚 の 情 景 と平和 な 町の たた ずま い, 左 に はエ ウリ ュ ディ ケー の死 の 光景 と炎. 上する 城塞 (火災による町の破壊) と幸福と悲運を対照させている。 つまり, 舟の帆柱は文明と野蛮の二つ の 極 の 分 岐点 と して働 いて いる。 楽 人 オ ルペウス の 創 造 する 調和 の 世界 が片 方 にある。 こ こ で は, オ ルペ ウ. スの音楽が, 男と女の関係を規律正しいものにする結婚の制度同様, 大衆を平和な共存に向かわせ, 人々の 間に協調の紳をつくる。 こう した人間のあり方に対立する極は, 死に行くエウリ ュ ディケーと釣人の姿に連 なる 煙 をあ げて いる 城 によ っ て 表現 さ れる。 こ れ らのモ ティ ー フ は都 市 の 破 壊 と 人 間の 辞の破 壊 を示 す。 こ. の絵の寓意は都市の盛衰を意味 し, それらは風景のうちに二つの極の均衡を保ちながら, ひっそりと秘めら 0 )ヴ レリ ア ー ノ の いう よう に 帆 を 巻 か れ て 人力 に よ て 曳 か れる 舟 が 「ごま か しの 政 治 れて い る。 3 ァ っ 」 ,. の象徴であるとすれ ば, この風景画は破滅に瀕した当時の政治情況の暗噛ということになる。 遠景の空の凶 運を示すかのような雲の姿とオルペウスを中心としたグループの光に包まれた光景の対照は画面を支配する 強い明暗の対比とともに, 暗示的な雰囲気をかもしだしている。 風景それ自体もこの緊張に対応している。 切 迫 して いる 嵐 の 雰 囲気 のう ち に, 画面 全体 に複雑 な 事 象 が散 在 して いる こ の 絵を,1648一50年 頃, ヨー ロ ッ. パに頻発した政治的な動乱と関連した比輪であると解釈する研究者もいる。 近藤昭氏は 「……あの不気味な 硝 煙 を 吹き あ げる 聖 ア ン ジ ェ ロ 城 のま ば ゆ い ほ どに鮮や かな 映像 … … こ そ は フ ロ ン ドの乱 の勃 発 を告 げる 寓. 音……」 であり 「オルペウスの軽率さを語る中景は死を選ぶ時に和を請うた民衆の無知への悲しみと微妙 , ) 1 に交 錯 し… …」 と当 時 の 政治 的 な混 乱 への 言 及 を読 みと っ ている。 3. 同時代の事件を直接とり上げたということが明確に立証されているプサンの作品は存在しない。 彼の画題 の選択方法からすれば, 当然のことである。 しかし, プサンの絵が当代の政治問題を間接的に表現していた という 指 摘 も ある。 オー ベ ル フ ー バー は 《テ ィ トゥ ス の エ ルサ レム 占領》 (原 作 は失 わ れ, プサ ンの 素描 に 1625一26年, ミ ネ ア もとづく作者不祥の版画により全体の構図が知られている) を 《ゲル マ ニク ス の 死》 (. ポリス美術協会,ミネアポリス,ミネソタ)の対画である と考え,これらの絵から特定の政治的意味を読みとっ て いる。 つ ま り, カ トリ ッ ク と プロテス タ ン トの 間 に続 い てい た 支配 地域 をめ ぐる 交戦 を, 国境 問題 で争 っ. ていた昔のゲルマン戦争の英雄の置かれていた情況と重ね合わせた。 バルベリーニは, 東方に使節として赴 き, そこで非業の最期を遂げた英雄の姿に, ふたつの信仰の間の争いに翻弄されている自分をなぞらえ, 徳 と慈 悲 の 人 であ り, 人望 の厚 か っ た 人物 ティ ト ゥ ス と ゲルマニ クス を信仰 の ため の 戦 い で特 別 な任 務, つ ま. り教皇に最も近く, 国の秘書でもあっ た枢機卿の高度に政治的で, 聖職的な使命を結びつけたと推測してい )こ の 推 論 に 関 して も プサ ン 自 身ある い は バ ル ベ リ ー ニ の 意 向 で 予 め そう した 意 味 を あ ら わ す こ 2 る。 3 , , と を意 図 して こ れらの 絵 を描 い た の か, そ れとも バ ル ベ リ ー ニ が プサ ンの意 図 に かかわり なく そう 感 じと っ た の か はさ だか で はな い。. オーベルフーバーの解釈は, プサンが当代の政治問題についての寓意を作品において表明していた可能性 を指摘 する もの であ っ ても, 直ち にオ ルペウス の 風 景 画 と結 びつ く も の で はな い。 この 問題 を直 接 的 に証 明. する証拠はない。 また, たとえ, ブサン自身がこの絵で政治に関係する寓意を表現しよう としたとしても, 彼自身の作画態度から考える と現実の束の間の出来事よりも, 普遍的な真理を示すことを選んだと考える べ き であろう。 プサ ン がオ ルペ ウス の風 景 画 を描 い た 時, そ の全 体 のイ メ ー ジを決 定 した の は 誰 だ っ たの だろ う か。 パ トロ ンたち, ポ ワ ンテ ル の属 する パリ 人たち の 発想 したも の であ っ たの か。 シ ャ ン トルー と プサ ン. の間にとりかわされた手紙からみる と, プサンが制作の主導権を握っていたと考えるほうが妥当であろう。 88.

(10) . 神話風景画と寓意 で は, プサ ンは当 時の 政治 上の 事件 につ いて どのよ う に考 え て いた の だろう か。 1648年 8月 2 日付のシャントルー宛の手紙で, 「あなたも御存知のように. , この破廉恥な男 の没落が私を. 喜 ばす こ と はま っ たく あ り ま せ ん。 と いう の は私 は続 いて 起 こ らな け れ ばな らな い出 来事 を待 っ て いる か ら )と フ ラ ンス の 政 治 情 況 に対 す る 関 心 を 述 べ て いる 「破 廉 恥 な男 の 没 落 と 3 です」3 いう 言 葉 は 民 衆 の 不 満 」 。 に押 さ れて, 1648年 7月 9 日, 宰相 マ ザラ ンが 腹心 の 部 下, 財 務 長 官の パ ル ティ セルリ ・ エム リ 卿 を解任 し た こ と を示 唆 して いる と考 え ら れて いる。 プサ ンの 反 マ ザ ラ ン感 情 と 政治 上 の 立場 を表 明 したも の で ある。 こ の後 も, シ ャ ン トルー 宛の 手紙 で, フロ ン ド党 の乱 な どの 事件 に言 及 して いる。 1649年 1月 5 日 幼 い ル , イ 十 四 世, 摂 政の任 にあ っ た ア ンヌ ・ ドー トリ ッ シ ュ, マ ザ ラ ン がパリ を捨 て サ ン. ジ ェ ルマ ン・ ア ン. , レイ エ ヘ 逃 亡 した。 しか し,1649年 1月 下旬 か らコ ン デ公 に率 い ら れた軍 隊 がパリ を完 全 に封 鎖 したた め に ,. 3月20日パリ郊外リ ュエーユ・マルメ ゾンで反乱軍は無条件降伏をし, フロンド党の舌 Lは悲劇的な幕を閉 じ た。 プサ ンはこ の結 末 につ いて 「… … しか し 今すべ て の 人々 が驚 き しかもま た 我々 の完 全失 墜 を予 言 し , , て いる の は, 死 を選 ぶ とき に, 敢 え て和 を請う た と いう こ と で は ない で しょ う か。 最 も精 強 な 人々 であり ,. 充分な準備も整っていたはずなのに, これはまたどう したことでしょうか。 我々は誠にあっ けなく鯛されて しまっ たというわけです。 確かに物笑いの種であり, この上はもう世界中のありとある不幸がわが国民に降 り か か っ て き て も, ひと り と して 同情 する も の は いな い こ と で しょ う」 ( 1649年 5月24日, シ ャ ン トルー 宛 ) 3 4 の 手 紙)。 こう した 手 紙 か ら, プサ ンお よ びシ ャ ン トルー は フロ ン ド党 の 乱 に強 い 関心 をも っ てお り 動 , 乱 を起 こ した民 衆 の側 に共 感 を抱 い て い たこ と がわ かる。 一 方, 《オ ル ペ ウス と エ ウリ ュ ディ ケ ー の いる 風 景》 の 注 文 主 で もあ っ た ジ ャ ン・ ポ ワ ンテ ル の 政 治 的 立 場 につ いて は, 彼 と プサ ンの 間 でと り 交 わ さ れた 手 紙 がす べ て失 わ れ て しま っ た の で 彼 の 立場 を直接 的 に , 知る こ と はで き な い。 た だ1649年 5月 2 日付 の シ ャ ン トルー 宛 の手紙 で 「ポ ワ ンテ ル氏 が和 平 条 約 の 後 に , , )と フロ ン 5 私 に書 き 送 っ てく れた。 そ して, そ の 包 囲の 間 に起 こ っ た多く の 驚く べ き こ と を語 っ てく れた」3 ド党 の 事件 の 経過 のニ ュ ース の 入手先 を 記 している。 この 手紙 か ら ポ ワ ンテ ル も プサ ンと 政治上の 意見 を , 同 じく して いた と推 定 して も よ い だ ろう。1640一1642年 のパリ 滞 在 以 後 プサ ンは貴 族の パ トロ ン カ シアー , , ノ ・ ダル・ ポ ッ ツ ォ の よう な ロー マ を 中心 と したイ タリ ア 人よ り も フラ ンス の 中産 階級 に属 する 人々 の た , め の制 作 に重 点 を 移 して いる。 シ ャ ン トルー も ポ ワ ンテ ルも プサ ンの代 表 的な フラ ンス 人の パ トロ ンであ っ た ばか り で なく, 親 しい 友 人 仲 間で もあ っ た。 1640一42年 の パ リ 滞在 時代 には ポ ワ ンテ ルはセリ ジ ェ と , , 6 )そ して ポ ワ ン テ と も に, プサ ンの た め に 銀 行 家 と して 便 宜 を 図 り 遺 言 執 行 人の 役 目 も 勤 め て いる 3 , 。 , ル は1640年代 お よ び1650年代 中 頃ま で に し ば し ばロ ー マ に滞在 し その 間 に二 人の 友 情 は さ ら に深 ま っ て , , い っ た。彼 ら が フロ ン ド党 の乱 の 間 に どんな行動 をと っ た か は知 ら れてい な い しか し 新 興 の資 本家 たち は 。 , , パ リ の古 い 型の 富 裕 階級 のよう に 絶対 主 義 を品 贋 に して い た わ けで は な か っ た 彼 らの 繁 栄は 政府の財 , 。 ,. 政の健全な運営と国家の安定に依存していた。 当時の政府に蔓延していた腐敗や朝令暮改が日常的な摂政の 無 定見 は, 彼 ら を マ ザラ ン憎 悪 に駆 り 立 て た に違 い な い。 1647年 の 「物 品 税 の増 額」 や 「毛 織物 と レース 編. み材料の輸入禁止令」などの増税政策にも, ポワンテルの属していた陣営は積極的に反対したと考えられる 。 )こ の 7 プサ ンと パ リ の パ トロ ン た ち は 芸 術 上 の 関心 ばか り で なく 政 治 的 経 済 的意 見 も 共有 して い た 3 , , 。 時期 の プサ ンの作 品 は, こ のよう な画 家 とパ トロ ンをつ な ぐ共 通 の 関心 か ら生 ま れ たもの と思 わ れる さ ら 。 に不 安 定 な 政治 情 況 はパリ だ けの特 別 な 事情 で はな か っ た。 カ ス トロ の 戦争 ウ ル バ ヌ ス 八世の 死 を め ぐる , 権力 闘争, バ ルベリ ー ニ家 の フラ ンス へ の 逃避 な ど ポ ワ ンテ ル がロー マ旅 行 を した1645年 頃は パ リ 同様 , , にロ ー マ も動 乱 の 時 を迎 え て いた。 プサ ンもロ ー マ の権力 者の パ トロ ンから離 れ パ リ の 新 興の 商業 資 本家 , と の結 びつ き を強 化 しな け れ ばな らな か っ た。 こう した 事情 によ っ て プサ ンは 政 治 に無 関心 で はい ら れな ,. かった。 しかし, それが彼の絵に直接的に反映したという 確証はない。 89.

(11) . 古 川. 俊. 英. プサンの理想的風景画の特徴は, 両側あるいは片側にルプソワールをもち, 垂直線 (樹木や建物の線) と 地平線あるいは水平線 (大地や川や湖の岸の線な ど) が幾何学的な骨格を形成する。 さらに, 斜行線が画面 の深奥部に広がる開口部に視線を導く。 すべての事物は秩序正しい空間を構成するために配置される。 晩年 の非常に多くの風景画で, 繰り返し採用した構図は幾何学的性質を示しているが, 実は現実の地形に根拠を も っ て いる こ と がた びた び指摘 さ れて きた。 この よう に プサ ンは特 定 の場 所 を描 い た 時です ら, そ れら は想. 像された自然, 心に描いた情景として, 主題に相応しい虚構の世界を構成するために使われた。 こう した風 景 画の 背景 に, 彼 は しば しばロー マ の モニ ュ メ ン トを 配置 した。 た だその 使 い方 は 「……ク ロ ー ド・ ロ ーラ ンがロ ー マ のよく 知 ら れた建物 を心 に描 い た情 景 にあ わせ て自 由 に使 っ て い たの とま っ たく 同 じ方 法 で, そ れ らの 建物 を 実 際の 地 形 的, 時 間 的な 関係 か ら切 り は な した。 1649一50年 頃, (オ ルペ ウス の 制 作 に非常 に 近 い時期 の) プサ ンの 《ディ オゲネスのいる風景》 の 背景 にあ る ヴァ ティ カ ンの ベ ル ベ デー レ宮 を思 い 起 こ 3 8 ) させる 建造物 は,地 形 的 では なく,概 念 的な 目 的 に使 わ れて いる」 の であ る。オ ルペ ウス の 風景 画 の 背景 で, 3 9 )そ して そ の 隣の 建 造 物 は 煙 をあ げて いる 城 塞 は ロー マ の サ ン. タ ン ジ ェ ロ 城 で ある と い わ れて いる。 , ミリ ウス の 塔 によく 似 て いる。 プサ ンは こ れらの 建物 をよく 知 っ てい た し, その 雄姿 をこの 絵 で使 っ た と し て も 少 しも 不思 議 で はな い。 しか し, プサ ンがこ の 絵の舞 台 がロー マ である こ とを 限定する ため にこ れらの 建物 を使 っ た わ けで はな い。 オ ルペ ウス の物 語 がロー マ で 起 こ っ た と記 して いる テ キス トは, 現在ま でま っ. たく知られていないからである。晩年の風景画において,プサンが場所を得定するために実在の建築物を使っ た と いう 例 はな い。 上 にも 述べ たよう に, その使用 法 は一般 的で, 概 念 的なも の であ っ た。 例 外 と して, オ ル ペ ウス の 風景 画 にお ける サ ン・ タ ン ジ ェ ロ やミリ ウス の塔 が特 別 の 意 味 をも ち, 特 定の 地 域ある い は出 来. 事に言及しているということがありうる だろうか。 あるいはこの絵の寓意の真の意図を知らせる役目を担っ ている と 言 いう る の だ ろう か。 オ ルペ ウス の 風 景 画 だけ がそう した特 殊 なケ ース である という こ と を証 明す る 資料も な い。 この 絵 に よく 知 ら れて いる ロー マ の 建築物 を配 した 理 由 は, 古代 ロー マ, ある い は プサ ンが. 生きていた時代のローマへの言及ではなく, 都市そのものの理念, そして古代それ自体に視覚的具体性を与 える た め であ っ た と一 般 的 には解 さ れて いる。 この 作 品 には奇 妙 な沈 黙 がつ き 纏 っ て いる。 1685年, ルイ14世 の た め に画 家 の プラ ン ジ ョ ン が3,500リ ー ヴルで購 入 し, 王宮 の 所 蔵 品 とな っ た が, そ れ以 前 の こ と につ いて はほ と ん ど記 録 がな い。 伝記作 者 ベルロー )で この 絵 につ い てま っ たく 触 れてい ない ま た フ ェ 0 リ はそ の著 書 『現代 の 画家, 彫 刻 家, 建築 家 の 生 涯』4 。 , ,. )のプサンの生涯を記 1 リ ビァ ンの 『最も優れた画家たちの生涯と作品についての対話 (最優秀画家列伝)』4 述 した最 終巻 にも, そ の作 品の名 はな い。 フ ェ リ ビ ァ ンは, 1650年 の次 の年, ポ ワ ンテ ルの ため に嵐 と 静穏 の 時 を 表現 した2 枚の 風景 を描 いた こ と を記 した 後, 同 じ年 に 「ポ ワ ンテ ルの ため に, 二 枚の 大き な 風景 画 2 )と述 べ て いる このう ちの 一 枚 がオ ル ペ ウス の 風 景 画 に該 当 する と推 定 さ れて いる 彼 は 《蛇 を描 い た」4 。 。 1648一51年, ナ シ ョ ナ ル・ ギ ャ ラリ ー, ロ ン ドン) につ い によ っ て 殺 さ れた男 の いる 風 景 (恐怖 の効 果)》 ( て は説 明 して いる が, もう 一 枚 の 風景 画 に はま っ たく 言及 してい ない。 ま た, こ の 絵 が制 作 さ れた 時期 に, プサ ンと頻繁 に文 通 して い た シ ャ ン トルー ヘ の 手 紙 にも,この 作 品 に触 れた箇 所 は見 当 らな い。シ ャ ン トルー と ポ ワ ンテ ル が, プサ ンの 絵の 収 集家 と して 張 り 合 っ て い た こ と はよ く 知 ら れて いる。 1650年5月29日 付 の 手紙 で, プサ ンの 《自画像》 に関 して, 「ポ ワ ンテ ル氏 も 同 じ頃に, 私 が約 束 した も の を手 に入 れる だろう。 そ の こ と につ いて, あ な た は少 しも 嫉妬 する こ とはな い。 何 故な ら, 私 は約 束 を守 り, よ い ほう の 絵 を, あ 3 )と妙 に気 を使 て いる こ と か らも 明確 で ある こう した 二 な た に最 も相 応 しい も の を 選 ん だ か ら で す。」4 っ 。 人の 関係 を考慮 す れ ば, シ ャ ン トルー ヘ の 手紙 で, ポ ワ ンテ ル の所有 する 作 品 に言 及する こ と を, プサ ンが 意 識 的 に避 けた という こ とも あ り得 る だろう。 しか し, ベ ルローリ や フ ェ リ ビァ ン には どん な理 由 があ っ た の だろう か。 い ず れ に せ よ, こう した情 況 はい か にも 奇妙 である。 そ れ以上 に, ア カ デミ ー のメ ンバー が プ 90.

(12) . 神話風景画と寓意 サ ンの 絵 に大 い に注目 して い た 時期, この 絵 が比 較的公 的な ルイ14世 の 王宮 のコ レク シ ョ ンに収蔵 さ れてい た にも かか わ らず, こ の作 品 は ほ と ん ど論究 さ れてい な い という の も 不思 議 で ある。 1660年 に ポ ワ ンテ ルの. コレクショ ンに残されていたプサンの作品の多くが木枠 を取り去られ, 巻かれ, 屋根裏部屋に隠されてい )それ故に人の目に触れる機会が少なく 文書資料がほとんどないという情況を生みだしたとも考え 4 た。4 , ら れる が, フ ェ リ ビァ ンの場 合 に は, ポ ワ ンテ ル所 有 の 他 の 作 品 につ いて 記 述 して いる の で, そ れを原 因 と す る こ と は で き な い。. これらの事実は, オルペウスの風景画にはそれに触れることを避けなければならない何らかの理由が存在 したこ と を物 語 っ て いる の だろう か。 1650年 頃に この 作 品 がパリ に到着 した 時点 で, パ リ の 人たち は何 を読. )は 非常に興味深い ばかりでなく 沈黙の理由解明の 5 みとっ たのだろうかというマクタイの問題の設定4 , , 鍵 となる と思 わ れる。 プサ ンは, パ リ の 友 人や パ トロ ンたち か らの 連 絡 か ら, フ ロ ン ド党 によ っ て生 み ださ. れたフランスの激動の様子をある程度理解し, 彼らの政治的立場に共感を覚えていた。 画家がこの絵で伝え ようとした本来の寓意は彼の所属するサークルの共通の認識に立脚するものであり, 容易に解読されるもの であ っ た。 しか し, 1650年 頃 に, そ の 絵 がパリ に到 着 した 時期 に は, フ ロ ン ドの 乱 は 終篤 し, マ ザラ ンの 陣. 営は権力を奪回していた。 このようなパリを取り巻く政治情勢の変化が, この絵の特殊な読みとり方を生み だした可能性はある。 1647年, 当 時権力 の 頂点 にあ っ た枢 機卿 マ ザラ ン は, パリ で華々 しく 上演 さ れたオ ペ ラ 『オ ルフ ェ オ』 の ス ポ ンサ ー にな っ た。 こ の オペ ラ の 上演 と そ れ に対 する 反響 か ら, 当 時のパリ 人 たち がオ ルペ ウス の物 語 に 抱 い た 特 殊なイ メ ー ジを知 る こ と がで きる。 オ ペ ラ 上 演 の ため, マ ザラ ンは生 れ故郷イ タリ ア か ら, 劇 場 の 6 )舞 台装 置 小 道 具や 機械 仕 掛 けの デザイ ナー, ジ ャ コモ . トルレリ ー と作 曲家 ルイ ギ. ロ ッ シ を招 略 した。 4 や 背景 幕 は, プサ ンの 知 り 合 い で, 後 にロ ー マ の フラ ンス ・ アカ デミー の長 にな っ た シ ャ ル ル・ エラ によ っ. てデザインされた。 それは今までパリで上演されたことのなかっ たような大規模なものを目指したので, 複 雑な機械仕掛けや舞台装置のために, パレ・ロワイヤルにある劇場の徹底的な修理を必要とした。 市民たち の窮乏が危機的状態に達しつつある時期に, 莫大な費用の支出が人々の怒りをかったばかりでなく, 古い劇 場の徹底的な補修はフランスの記念建築物の破壊として非難された。そして, 反マザラン感情と同じように, 反イ タリ ア感 情 を高 める こ と と な っ た。 オペラ 『オ ル フ ェ オ』 は劇 のす ばら しさ を 誇示 し, 政治 問 題 か ら,. パリの貴族や商人階級の注意をそらすための牽制のためである と人々は考えた。 このオペラの上演は六回行 な わ れた が, 1647年 3月 8 日のテオフィ ル・ルノウ ドの記事から判断すると, 観衆を楽しませることと枢機. ) 7 卿の政治権力の意味を知らせることに成功したようである。4 オペラはオルペウスの神話と関係を持たない情況で開幕された。 機械仕掛けにより開かれた天井から降り てきた 「勝利」 がフランスの全能を宣言し, 若き王と摂政の讃歌を歌うことからはじまる。 それに続く場面 も 凝 っ た 締想 によ っ て潤 色 さ れて い た が, 基 本 的な物 語 は オ ヴィ ディ ウス や ヴ ェ ル ギリ ウス にも とづく も の. であっ た。 機械仕掛けを大いにに活用し, 華麗な舞台を展開した。 オルペウスを魅力的に描きだすために, エウリュ ディケーを求めての冥府への悲惨な探索行が開始される前段階に, 嫉妬に駆られた好色なサテュロ スが蜂飼いアリスタイオスを打郷し, いじめる といった場面を導入し, 話の筋を錯綜させ, 観衆を戸惑わせ る 工夫 も用 い ら れた。 ま た, 蛇 に咳ま れて死 に行 か んと して いる エ ウリ ュ ディ ケ ー は, 過剰 なま で の慎 ま し. さから, 咳まれた傷を治療しようとするアリスタイオスが足を剥出しにして, 足首に触れるようとすること を拒絶するという場面などをとり入れ, 大衆好みの田園好色物語という趣向も活用した。 しかし, オペラの 最終的な教訓は, 「徳を愛するものは, この世界の快楽から自分たち自身を完全に遠ざけ, 天上においての )ということであった マザランが国家を犠牲にして自分自身を富ませつつあったと 4 8 み報酬が期待される」 。 いう当時の大衆の意見を考量すると, 莫大な費用をかけた気晴らしに, この敬度な感情を表明していること 91.

(13) . 古 川. 俊. 英. はち ょ っ と した皮 肉以 上 のも のと とら れた であろう。 こ の オ ペ ラ は早 速, パ リ の 町に毎夜あ らわ れた反マ ザ ラ ン派 の パ ンフ レ ッ ト作 者 によ っ て 攻撃 さ れる こ と にな っ た。 彼 ら はパ レ・ロ ワイ ヤ ル で上演 さ れたこ の催. 物を皮肉化した。 しかし, フロンド党が組織されると, オペラ 『オルフェオ』 を公然と中傷する者は国事犯 ) 9 と して追 求さ れ, 投 獄 さ れる よう にな っ た。 4 『オ ル フ ェ オ』 の 公演 に続く 年 ジ ャ ン・ シ ャ ポ トンの劇 『オ ルペ ウス とエ ウリ ュ ディ ケー の結 婚』 が上 , 演 さ れて いる。 こ の演 劇 は 本来 『黄 泉 の 国へ のオ ルペ ウス の 降下』 と題 さ れ, 1640年ま で に書 き上 げら れて いた。 当 時, 『オ ル フ ェ オ』 の 公演 によ っ て高く な っ たオ ルペ ウス の物 語 の悪名 に目 をつ け, そ れ にあ や か っ. て利益を得よう と した再演だったようである。 現在パリの国立図書館に保存されている台本から, その劇が マ ザラ ンの 支 援 した ルイ ギ・ ロ ッ シ の オ ペ ラ に 対 す る 風刺 的 な 意 味 をも っ て い た こ と が 明 ら か に な っ て い )こ の 作 品 が官 憲 の 検 閲 を 免 れた の は 寓 意 が 非 常 に 念 入 り につく ら れて い た か ら で あ た こ の 劇 0 る。 5 っ 。 ,. は法の制定者で都市の創設者オルペウスという考えを一貫して使っている。 シャポトンは市民戦争の理念を 公然と述べているが, その比嚇的表現は 「嫉妬」 の人物像を巧みに使うことで, 漠然としてとらえどころな い も の に 隠 蔽 して いる。 「嫉 妬」 は 女 主 人の ユー ノ ー に 「あ な たの 目 の 前 で宮 殿 に 火 をつ ける で しょ う か?. 私が国家を破壊し, 休戦協定を破るでしょうか?」 と尋ねているのは, プサンのオルペウスの風景画の寓意 によく 似 て いる。 シ ャ ポ トンの劇 と ブサ ンの 絵 が 表現 して いる オ ルペ ウス 像 は, 法 の制 定 者 で都 市 の創 設 者 であ っ た。こ れが, 当 時, 一般 に広 ま っ て い たオ ルペ ウス 観であ っ た という こ と はあ り得る だ ろう。だ が, シ ャ ポ トンの演 劇 は1640年 に書 か れて いる の で, フ ロ ン ド党 の 寓意 を意 図 して いる こ と はあ り 得 な い。 そ れ が復. 活され, 上演された時期との関連で, 時事問題の比峨的表現として現実の市民戦争に関係 づけられ, パリの ) 1 観 衆 に特別 の意 味 をも つ も の とな っ た。 5 プサ ンの 《オ ルペ ウス とエ ウリ ュ ディ ケー の いる 風 景》 にも 同 じよう な 現 象 が起こ らな か っ た と言 い切 る こ と は で き ない。 オ ルペ ウス の 風 景 画 の背 景 に は噴煙 をあ げる ロ ー マ のサ ン・ タ ン ジ ェ ロ 城 とミリ ウス の 塔 が葺 え ている。 先 に述 べ た よう に, こ れ らモ ティ ー フ は. f 燐舜 に ニョ. プサンの他の作例と同じように概念的な目的に使われて , ‐ . おり, 特別の意味をもたされてはいなかっ た。 これらの. jコ. 建物は 例え ば, 1557年 の ドイ ツ の新 聞 でも, テ ベ レ河 の. L 親÷-. ~. 堤 防 決壊 による 大洪 水 を 報 じた 際, サ ン・ タ ン ジ エ ロ 城. を示す木版画を掲載しているし , 難0年頃の作者不祥の ペン画 (図1 ) などにみられるように, ヨーロッパ世界 5 )教 養 あ る プサ 2 で は 有 名 で あ っ た。 5. へ ドふ.. 」 ‐詩鰐艶 熱 さ 仲一 」 ゑ 謎雫要 三 露緩 み “ -ー - , - 「 - ヒコ 雰 達癖 デ 平 履か 需 鞍 懇 メ 陸 ・. の絵の愛好家た , . ち はこ の種 の知 識 に は通 暁 してお り, サ ン・タ ン ジ ェ ロ. : i 言 上 長キ 二 ● ー . ,.r 一・ , ,. Lふ. 灘 醸 醇 蝿 . ‐幽. 鯵ざ$g謡 --- - ニ ー, --.錫. 城 が教 皇の 墓であり, 砦 であ り, 悪名 高 い 牢 獄 であ っ た 図15 作者不詳 ローマのサン・タンジェロ城 個人蔵. ことやミリウスの塔もトラヤヌスの軍隊を収容するため に建 て ら れ, こ れもま た牢 獄 につ く り かえ ら れた とい う こ とな どは当 然知 っ て いた であろう。 した が っ て, こ れ らの 建物 の 姿 か ら, 権力 と 死 につ い て の二 重 の 意 味 を感 じとる こ と も あり 得 た。 「こ の 風 景 の 中 で ヴ ェ )と 3 ル ギリ ウス の 主 題を 現 実 のロ ー マ の 光 景 と麗 しく 交錯 させ, ま こ と に美 しい 心 象 風 景 を創 造 して いる」5. 言う言葉のように, オルペウスの風景画に導入された著名なサン・タンジェロ城は, 神話物語の寓意と実際 のロ ー マ の 光景 を 交ぜ 合わせ た。 つ まり, 神 話 の世 界 と 現実 を結 びつ ける 効 果 をも っ たの である。 遠 い ロー マ の地 で, 文 明 につ い て の 腹想 と その あ り 方 に対 する 懐 疑 か ら生 ま れ た 一 枚 の 絵, 《オ ルペ ウス. とエウリュ ディ ケーのいる風景》が,政治の腐敗に苦しみ,未だに戦闘の跡をなまなましく残している街では, ローマとはまるで異なった感慨を与えた。 都市と結婚の場面, 死, 煙をあげている建物, まるで奴隷のよう 92.

(14) . 神話風景画と寓意 に舟 を 曳く 人々 な ど, 複雑 な モテ ィ ー フの 交錯 のう ち で宙 ぶ らり ん にな っ て いる プサ ンの オ ルペ ウス の 風景 画 のイ メ ー ジが, パ リ にお いて は 自 分 たち の置 かれ て いる 情 況 と重 ね合 わせ る こ と によ り, 直 ち に特 定 の意 味 をもつ よう にな っ た。 パ リ の 愛 好 家 たち が ポ ワ ンテ ルのコ レク シ ョ ンで, オ ルペ ウス の 絵 に出 会 っ た 時 の. 理解は時事性と党派的政治への不快感にもとづくものであった。 そして, プサンの古典的形態と静かに秩序 だてられた風景の姿と正反対の最近の大混乱の記憶, 不安定な政治的状態, 近づく革命の予感, 最終的敗北 な どのイメ ー ジ を重 ね 合 わせ た に違 い な い。 こ の 絵 につ きま とう 人々 の 沈黙 の 源 は フ ロ ン ド党の乱 の年月 , に, パ リ で, オ ル ペ ウス の物 語 に与 え ら れた特 殊 なイ メ ー ジと 『オ ルフ ェ オ』 批判 に対 する 弾圧 に起 因する も の であ っ たの か も しれな い。 そ れ がフ ェ リ ビ ァ ンが自 分 の著 作 の な か でそ の 絵の名 前 を記 載 しなか っ た 理 由 だっ たの だ ろう か。 こ の件 につ い て は何 も 言 及 さ れて い な い故 に 云々 する こ と は不 可 能 であ る。 しか しこ れほ どの名 作 が17 , 世紀 末の フラ ンス にお い て ほと ん ど知 ら れる こ と がな か っ た と いう こ と は興 味深 い 問題 である マク タイ の 。. 言うように 「……少なくとも, フロン ド党の事件の間にその物語に与えられた注目は, 芸術の主題としてそ れへの関心を汲み尽くしたよう である。 多分, 我々がいえることは, 当時の人々がこの絵からきわめて容易 3 )が故 に こ の 絵 に読 み と っ た こ と は, ま さ にそ の 理 由 で何 の 注 釈 も 必 要 と しな か っ た と いう こ と であ る」5 , を 沈黙 が 取り 巻く こ と にな っ たの である。 プサ ンの 《オ ルペ ウス とエ ウリ ュ ディ ケ ー の いる 風景》 が 何らかの意味でフロンド党の乱のような当時 , の ヨー ロ ッ パ の 政治 的な動 乱 へ の応 答 であ っ た と して も ある い はパリ の 人々 がそう 読 みと っ たと しても , ,. そのような直接的反応を表現しているとは信じられない。 直接的に証明することは困難ではあるが 政治に , 対する自由思想的寓意を含んでいることは否定できない。 《オルペウスとエウリュ ディケーのいる風景》 の 全体の雰囲気は, 当時の政治的情況 に刺激された一般的, 普遍的な意味で政治についてのプサンの見解を示 して いる こ と は 明 かのよう に思 える。 しか し, フロ ン ド党 のよう な 時 事問題 に対する 見 解 が示 唆さ れている と いう 根拠 はな い。 こ の 風景 画 はオ ヴィ ディ ウス の物 語の 注解 書 の 挿 絵か らヒ ン トを得 て いた こ れ らの 挿 。. 絵は川によって隔てられた地獄の都市を背景に, 物語の主要場面を展開している。 プサンの絵と挿絵の設定 の類似性は先に指摘した通りである。プサンが必要としたのは川を前に奪える城であった。その条件にサン. タ ン ジ ェ ロ 城 は ま さ に 適 合 して い た。 こう して 煙 を あ げる サ ン・ タ ン ジ ェ ロ の 城 が 画 面 に登 場 す る こ と に な っ た。 こ れ がサ ン・タ ン ジ ェ ロ 城 で な け れ ばな らな い 理 由はな か っ た 煙 をあ げて いる 城 が都 市 の崩 壊あ 。 る いは死 を 暗示 する。 こ の 意 味は, 前 景 にお ける 音 楽 に陶 酔 し 悦 楽 に耽 っ て いる オ ルペ ウス の グルー プと , 死 に瀕 して いる エウリ ュ ディ ケ ー と目撃 者の 釣 人が 後 景 にお いて も 繰り 返 さ れて いる 座 っ て 本 を読 み耽 っ 。 , て いる 人物, 煙 をあ げて いる 城 塞, そ の 光景 を 見 上 げて いる 人物 が そ れである こ の 絵の 寓意 の 中心 がここ 。 にある こと を強調 して いる。 つ ま り オ ルペ ウス の物 語の 本来 の 意 味 幸福 の真 っ 只 中 で の悲 運の死 悦 楽 , , ,. と不幸の対比であり, 死あるいは不運は幸せの盛りにさえ訪れるという 教訓である その陰にプサンと親し 。 い友人やパトロンたちのサークルが共有する自由思想にもとづく政治的寓意が秘められたのである 。. 註 1) AndreFe l i bi i t i en l r e enssurl tl l l i esv ese esouvragesdesp l i usexce 4;moderned 1 enspe i i nt r es s Par s 1669-88 vo t ,Ent oned .4vo ,. ,. ’ C1 i Fe l i b i i f fPous i a rePa ce en sL eo s n , ,London .125 ,1981 . ,p. ,. .. 2) ot f f l t i in werkundse t o Grau i o co asPouss i n:se l nLeben ch s ,Ni ,Mun .2vo . 工,p ,1914 .282 . 3) Anthony B1unt T h P i i fN i l t P i A C i i IC l t s oussn: rtca a a ogue , e an ngso coa ,London 1966 p .143 ,. ,. .. i 4) B1unt dり A Cr i i ICa l l i t t t laenderandAnt ca hony Bu a ogue l erFr ed l in unted「TheDrawi ngsofNi t凄 ,122and wa co asPouss ,lb ,p ,Ca l i V,pp l ogueRa sonne .I ,London .47-48 ,1963 ,vo .284 . ,No. 93.

参照

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