あ ご ら 第320号 2008年1OFl2011発行 197J{f-ll)128n第三純郵便物辺、可本体17
∞
1'1+税 ISBN978-4-89306-175-1 新宿発3
2
0
号f
9
条世界会議
J
に参加して
憲 法 九 条 の 改 悪 を 許 さ ず、 ア メ リ カ の 世 界 戦 略 に 奉 仕 す る た め の 軍 隊 を な く そ うr
9
条 世 界 会議」 9条世界 会 議 に 取 り 組 ん で 「握手」は「武力Jを 遥 か に 超 え る 体 で 動 か す9条、9条で 動 か す 体! 「シンボルとして の9
J
r
9
条 世 界 会 議 」 に 辿 り つ く ま で 痛感したメテtイアへの期待 一国際自主企画「憲法9条とメテ.イア」を開催して いままた浮かび上がる[錆国J
の闇 9条世界会議r9条・ヤスク二・歴史I和解JJシンポジウムから 憲法9条世界会議、参加者あふれる一場外でも演説、 異例の幕開け-9条世 界会 議 に 行ってきました 9条 世 界 会 議 に 参 加 し て 命 を 大 事 に し あ え る 世 界 に -9条 世 界 会 議 に 参加して 9条 と世 界 「世界J
会 議 だ か ら出会 え た!r
9
条 世 界会 議」を終えて、考 え る 人 間 存 在 の 度 し がたさと9条 土 屋 公 献 松 村 真 澄 小遣 久 L 、ちだまり 安 藤 博 成 瀬 慧 綿 津 靖 子 丸 山 重 威 古 川 美 佳 岩 垂 弘 浮田 久 子 松 本 和 美 春田 朋 子 主令ヰ守 系ヲ 保 坂 治 男 古川 博 資 成 瀬 政 博 イラク支援ボランティア 高 速 菜 穂 子 ドイツで広がるr
9
条 」 の 輪 木 戸 衛 一 仁 コ 戦 争 を 廃 絶 す る た め の9条世界 宣 言 団│核不拡散(
NPT
)
再検討会議準備委員会に対する9
条 世 界会議の声明 川ヰ│ じ斗G8に 対 する9条 世 界 会 議 声明に
コ
2008年 反 サ ミット運 動 幸寝│ 哩引大学と運動の交差する地点から言葉を G8対抗国際フォーラム 入 江 公 康 ・ 白 石嘉 治u
反サミットキャンフ。に 見 た ゼ‘ネストの情景 栗 原 康 コ ス タ リ カ 通 信 「軍 隊 の な い 国 」 か ら 笹 本 潤 j 7こ の ひろい宇宙に ひろい宇宙に たったひとつの地球 こ の たったひとつの地球 たった一度きりの人生だから その大きな地球に 思い切り のびやかに生きよう たった一人のわたし そして あなた かけがえのない地球 だれもが だれをも かけがえのないわたし ふみしだくことなく かけがえのないあなただから 胸の奥まで深く息をし あ あ 生きていてよかったねと たいせつに たいせつに しよう ほほえみあえる地球にしよう あなたも わたしも ︿ あ ご ら ﹀ 人と人の出会うひろば 地球も ︿ あ ご ら ﹀ 人と人の共に生きるひろば
'VY8JVVV
憲法九条の改悪を許さず、
アメリカの世界戦略に奉仕するための
軍隊をなくそう
土屋公献
側 抑 制 移 締 役 段 段 跳 関 取'81: 去る五月四日から六日にかけて、千葉県の幕張メッセで﹁9
条世界会議﹂という、大規模な 集会が催されました。ここにはノーベル平和賞の受賞者の方がたも見えて、非常に立派なスピ ーチをやってくれました。初日の全体会には一万数千人(うち三千人は会場から溢れた)の聴衆 がおられました。私もこの集会に行き、次のことを話しました。 ﹁日本は、世界に一つしかない立派な憲法、誇るべき窓法九条を持っていながら、大きな軍隊 を持っている。これはおかしい、矛盾している。この矛盾の解決は、九条をつぶすか、自衛隊 をつぶすか、どちらかしかありません。数十年の経験から、自衛隊というものが自国を守るた めのものではなくて、アメリカの世界戦略に奉仕するための軍隊である、ということが、皆さtZtV'/.,z,z,'/.,z,z,z,々々々々々々''/.''/.''/.''/.''/.I'/.I'/.I'/.I'T'/.l't'/.,z/il/'/.IWI1/'/.,ztSl'/.,々々々々々々々々々tSlW'/.I'/.I'/.l't'Jl ん十分わかってしまっている。今さらどう一一什いわけしようと、災紛が示しております。このわ かっている段附で、附界の人びとが集まって﹁
9
条世界会議﹄をおこなった。もはや圧倒的に 九条のほうが大切で、軍隊のほうが必要ないことが、人びとの意志であることがはっきりして いる﹂というような内容です。 もはや九条は世界的存在となっているのです。 自衛隊は、日本を守るためではなく、アメリカの世界戦略を守るための軍隊であり、とくに アジアをターゲットにしています。アジアはもともと日本が侵略して非常に大きな迷惑をかけ た問ぐにです。それを敵にまわすようなアメリカの動きにたいして、日本の軍隊がお手伝いを する、これは、とんでもないことです。 京京造形大学教授の前回朗さんが脅かれた﹃軍隊のない国家﹄によれば、軍隊のない国家が、 第二次世界大戦の前は七つだったのが、現在二八に増えている。こういう趨勢から見ても、 日本は誇るべき滋法九条を持っていながら、大きな軍隊を持っているのは矛盾しているのであ って、軍隊をなくしていかなければならない。これまでは、軍隊を持たないのは﹁たんなる理 想﹂とされていたが、この理想が現尖化してきでいる。 実際に軍隊のない悶ぐには、ほとんど弱小国ですが、それぞれの国の歴史や事情によって、 その道を選んだのでしょう。共通して言えることは、周聞の強弱すべての回ぐにの国際信義に 頼っているからです。弱小国がさらに自信をもって軍隊のない現状を保つには、日本の悲法九必巡浴場沼港湾活必活必必泌物'lì1lftllt!5t8ゆ15t.J5tg/~g~g浴必ゆ叡&段以制?ゆ叡ZゆZ砂防,gt~~gl.jfjgl.gl.gt.gt 条と同文の憲法を取り入れるべきです 。 そのような 憲法 を持つ国にたいして不正な野心を抱く ことは、国際社会が許さないはずです 。 もちろん強大国も同様の道へ進 むべきです 。 いま大切なのは、日 本 は決して仮想敵国をつくらないこと 。 とくにアジアと仲良くすること 。 i9条世界会議Jであいさつする土屋公献氏 (シューレ大学映像プロジェク 卜作製 f土屋公献一平和と人権 を守る弁護士jより) 仲 良くすれば、戦争 はなくなる 。 仲良くするためにはどうするか 。 かつての戦 争 で彼らにたいしておこな っ た大きな 罪 を 清算する ことです 。 歴史を正 し く見つめ直 すこと 。 これを しないで ﹁未来志向でいこう じ ゃ ないか ﹂ と呼ぴ かけるのはゴマカシです 。 正 し い 歴史 をは っきり と認識 し 、その歴史に 立 っ て、現在を・将来を見 つめ直す 。 そしてそれにふさわしい行動を起こす 。 これが正しい平和への道です 。 恒久平和を築く道 はただ 一 つです 。 これをいよいよ 実現 できる時代 が近づきつつある 。 力を合わせて 実現 しましょう 。 ( 弁護士 ・ 元日本弁護士連合会会長)
平和の思いをこめて実現
-E F 三 日 目 、 ま と め の 総 会 元 イ ラ ク 兵 、 力 │ シ ム ・ 卜 ウ ル キ さ ん ( 左 ) と 、 元 米 兵 、 エ イ ダ ン ・ デ ル ガ ド さ ん が 肩 屑 多 並 べ た 広島から幕張メッセまで12∞キロ を71日かけて歩き通したr
g
条ピ ースウオークJ0活者たち、そして 日蓮蔚姑寺のお坊さんたち ピースボートによるダンスチームのパフォーマンス オープニングj~ーティ (前夜祭)で交歓する 世界41か国から来日したゲストたち9
条 世 界 会 議
2008
年
超;首員となった全体会会場の幕張メッセ・イベントホール 全体会で行なわれた音楽ライブ r9ALIVEJ 年代を超えた来場者が、総立ちに なり、音楽に酔った 写真提供: 9条世界会議実行委員会* 時4的4吟唱時4時4時q時4時4時4時4時4時4時4時4時4時4時4吋4時4時 骨 何 時4
園
﹁9
条
世
界
会
議
﹂
に
参
加
し
て
-3
2
0
号
目
、
hν
、
思 法 九 条 の 改 悪 を 許 さ す 、 ア メ リ カ の 世 界 戦 略 に 奉 仕 す る た め の 軍 隊 を な く そ う ・ ・ ・ ・ 土 屋 公 献 ﹁ 9 条 世 界 会 議 ﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 松 村 真 澄 9 条 世 界 会 議 に 取 り 組 ん で ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 小 津 久 ﹁ 握 手 ﹂ は ﹁ 武 力 ﹂ を 遥 か に 超 え る ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ い ち だ ま り 体 で 動 か す 9 条 、 9 条 で 動 か す 体 ! ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 安 藤 博 ﹁ シ ン ボ ル と し て の 9 ﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 成 瀬 慧 ﹁ 9 条 世 界 会 議 ﹂ に 辿 り つ く ま で ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 綿 津 措 子 痛 感 し た メ デ ィ ア へ の 期 待 │ 国 際 自 主 企 画 ﹁ 愚 法 9 条 と メ デ ィ ア ﹂ を 開 催 し て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 丸 山 霊 威 い ま ま た 浮 か び 上 が る ﹁ 問 国 ﹂ の 悶 9 来 世 界 会 臨 ﹁ 9 東・ヤスクニ・歴史﹃和佳﹂シンポジウムから・・・・古川美佳 思法9条世界会議、参加者あぶれる│場外でも演説、異例の幕開け│・・・・・・岩垂弘 9 条 世 界 会 議 に 行 っ て き ま し た ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 浮 田 久 子 9 条 世 界 会 議 に 参 加 し て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 松 本 和 美 命 を 大 事 に し あ え る 世 界 に │ 9 条 世 界 会 議 に 参 加 し て l ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 春 田 朋 子 9 条 と 世 界 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 鈴 村 彩 ﹁ 世 界 ﹂ 会 議 だ か ら 出 会 え た ! ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 保 坂 治 男 ﹁ 9 条 世 界 会 議 ﹂ を 終 え て 、 考 え る ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 古 川 博 資7
7
7
5
7
3
6
8
6
1
5
2
4
8
4
4
4
1
3
7
3
5
2
4
1
9
1
1
8
時倍。4吋4時4時4時4時4時4時4時4時4時4時4時4時4時4時4吟唱時4時4時4時4時4 人間存在の度しがたさと
9
条 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 成 瀬 政 博 印 イ ラ ク 支 境 ポ ラ ジ テ ィ ア ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 高 遠 菜 穂 子 邸 ド イ ツ で 広 が る ﹁9
条 ﹂ の 輪 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 木 戸 衛 一U
同岡国戦争を廃絶するための9
条世界宣言::::::::::::::::::::::回 核 不 拡 散 条 約(
N
P
T
)
再 検 討 会 議 準 備 委 員 会 に 対 す る9
条 世 界 会 議 の 声 明 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 叩G8
に対する9
条 世 界 会 議 声 明 ・ •••••••••••••••••••.•.• 嗣 四 回 二OO
八年反サミット運動・ 大学と運動の交差する地点から言葉をG8
対抗国際フォーラム・・入江公康・白石嘉治制 反 サ ミ ッ ト キ ャ ッ プ に 見 た ゼ ネ ス ト の 情 景 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 栗 原 康 問 詩 同 盟 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 堀 場 清 子 間 コスタリカ通信2
﹁ 軍 隊 の な い 国 ﹂ か ら ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 笹 本 潤 捌 窓﹁自衛隊イラク派兵は憲法九条一項違反﹂と宣言した名古屋高裁四・一七判決・・田巷紘子協 岩 手 か ら 未 明 の 激 震 に 驚 く ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 伊 藤 工 ミ 子 叩 沖 縄 か ら ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 桑 江 テ ル 子 叩 新潟か5
中 越 震 災 か ら 四 年 目 の 山 古 志 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 押 見 操 子 叩 ︿ 台 所 の 科 学 力 ﹀ 第 4 話 足 も と か 5 賀 子 し よ う ( 微 生 物 と 仲 良 く し て ス テ キ な 喜 5 しを!)・・松崎早苗叩 読 書 室 ﹃ 軍 隊 の な い 国 家 幻 の 国 々 と 人 び と ﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 矢 野 秀 喜 間 ﹃ 不 在 者 た ち の イ ス ラ エ ル 占 領 文 化 と パ レ ス チ ナ ﹄ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 中 野 真 紀 子 制T
O
P
I
C
S
-.
会 と 催 し ・ ・ ・ あ と5
の あ と5
・••.••阻害~昭吾直勤哩岡田租-葺 H~Oo哩子陣争咽 r-.:柳田刊~町田!ÞOO町田H炉咽四回初回-蝿耳r-.:蝿壬l3fl!蝋由唱箆
﹁
9
条
世
界
会
議
﹂
松
村
真
澄
二O
O
八年五月四1
六 日 、 千 葉 ( 幕 張 メ ッ セ ) 、 大 阪 、 仙 台 、 広 品 に て 、 ﹁9
条 世 界 会 議 ﹂ が 行 わ れ た 。 四一か問、一五O
名以上の海外参〆加者を合め、三万人以上が参加し、戦争放棄をうたった慾法9
条 の持つ多様な窓味を話し合った。 こ れ は 、9
条の理念を世界へ広げようと活動してきた︿グローバル9
条キャンペーン﹀と、日本の 軍事化に反対する国内市民迎助の融合ともいえる。 主催の﹁9
条世界会議﹂日本実行委貝会は、六O
以上の市民団体、労働組合、研究者、一般ボラン ティアで形成され、二O
O
七年一月から、この大規模なイベントの準備を行なってきた。 拡張メッセでは、一日目、マイレッド・マグワイアさん(北アイルランド/一九七六年ノーベル 平和賞)や、コl
ラ・ワイスさん(アメリカ/ハl
グ平和アピール)による基調講前はじめ、多彩な アーティストによる音楽ライブなどで雌り上がり、二日目には、﹁紛争予防﹂や﹁核問題﹂、﹁持続可 能な未来﹂など、さまざまなテl
マのシンポジウムで立見交換が行われた。 マグワイアさんは、﹁日本は唯一の被爆問として、悲惨な原爆体験を恭に、世界中に核兵器がもた らす苦しみゃ被告を訴え続けてほしい﹂。そして﹁9
条は全世界にとって重要なもの。紛争は、話し 合うことで解決できる﹂と訴えた。 イラクから参加した元兵士のカl
シム・トゥルキさんは、家族や友人を失った戦争の経験を語り、﹁軍隊は国民を守ると教えられたが、そうではなかった。非暴力こそ、人びとを守る最善の方法だ﹂ と 発 言 。 アプグレイプ刑務所の虐待を目の当たりにし、その後、兵役拒否をした元米兵のエイダン・デルガ ド さ ん は 、 ﹁
9
条は国際的な問題。同じ道を歩いて行こう﹂と決意を示した。 日本には、七千以上の﹁9
条の会﹂がある。戦争経験者、その意志を継いでゆく人びとが、各地で 活動し、比較的年齢層が高い。とりわけ、政府の改忠指向(軍隊保持を合法化する動き)が激化した 二、三年前からは、﹁9
条を守らなければならない﹂という悲壮感さえ感じられた。 しかし、今回の﹁9
条世界会議﹂の参加者は、﹁9
条の会﹂+一般市民+若者+子ども+海外参加 者 か ら 成 っ て い た 。9
条の理念を引き継ぎ、未来へつないでいく新しい世代を、強く惹きつけ、従来 存 在 し た ﹁9
条を世界へ﹂という言葉に現実性を与え、﹁世界は9
条を選び始めた﹂ことを確認させた。 そして、﹁本当に胸を張って9
条を世界の人びとに差し出していくことができる﹂と、実感した人が 増 え た に 違 い な い 。 事務局を担って 私 は 、 ﹁9
条世界会議﹂に足かけ三年、関わってきた。キャンペーン部に属し、富士市(静岡)や久喜市 ( 埼 玉 ) な ど 、 各 地 の ﹁9
条 の 会 ﹂ に 呼 ん で い た だ い て 、 ﹁9
条世界会議﹂の話をしたり、小学校や大学に 出向いて出前教室をしたりした。各集会でグッズを頒布させてもらい、多くの人びとにお世話になった。 事務局では、国籍・年齢、さまざまなスタッフやボランティアのみなさんが、夜遅くまで作業した。 私は、素晴らしい仲間と、タフで充実した時間を過ごした。笹ffi型炉0-噌E子l3!o宅診E干~有者ヨ00咽目f 一方、この一年の川には、改践の手続き法集が強行保決されたり、防術庁が特になったり、インド 洋での給油を再開したり、﹁日本﹂の体制に、かなりの変化があった。原爆投下は﹁しょうがなかった﹂ という政治家まで登場した。こういうたぐいのニュースは、すぐに全世界を飛び回り、海外の友達か ら、﹁日本は、アメリカについて行くんだね﹂﹁アジアの住民としては、怖いものを感じる﹂という便 りが周いた。彼らが受け止めるニュースの中の﹁日本﹂には、政府だけではなく、日本の市民も含ま れている。世界が日本社会に注目していることを実感した。 私は、どれほど多くの人びとを集めることが可能なのか、不安だったし、激務のためにこの会議の 意義を見失うこともあった。しかし私たち市民が、﹁武力を掲げて世界に侵攻するアメリカ政府﹂に、 ついていく意志は全くなく、﹁対話を掲げて世界のみんなと付き合いたい﹂という気持ちでいること をアピールをするために、多くの人びとと幕張メッセに集まることの重要性を思った。 そして当日、予想以上の人が集まったことに、心から感動した。 当日、会場にお入りいただけない方がたがいたことは、厳しく反省し、心からお詫びしたい。 その後、不手際というおしかりを受け、何をすべきか考えた。そして、今後の企岡で、このような ことが起こらないよう、細心の注意を払うと同時に、この﹁
9
条世界会議﹂の成果をまとめた DVD ﹃9
条世界会議の DVD ﹂と公式報告性﹃9
条世界会議の記録﹄を紹介し、最終日のまとめの総会で 採択された﹁9
条世界宣言﹂を活かしていくことを約束したいと思っている。 二回TOO自 問H酔 咽 , - - 園 時 ' 申 書 叫 骨 骨 昭 + 事 。 串i * ﹃ 9 条世界会鵠のDVD﹄ならびに﹃ 9 条 世 界 会 鵠 の 記 録 ﹄ は こ ち ら で お 求 め い た だ け ま す 。 z n u u ¥ ¥ ω 2 0 3 ・2 2 苫 O B ・ 宕 ¥ ま た は 0 3・
3363・
7967( 担 当 一 松 村 ) ( ﹁9
条世界会議﹂日本実行委員会事務局)9
条世界会議に取り組んで
浮
久
二OO
八年五月四i
六日、幕張メッセ、大阪、広島、仙台で開催された﹁9
条世界会議﹂共同代表 池田香代子・翻訳家、新倉修・国際民主法律家協会、吉岡達也・ピ l ス ポ l トは、海外から四一か国、 地域から一五O
人を超える参加者を迎え、幕張二万人、大阪八OOO
人、広島一二OO
人、仙台二五OO
人の、のべ三万人を超える人たちの参加で、別掲の宣言文を世界に発信し、大きく成功した。 私は、日本のうたごえ全国協議会・音楽九条の会として、当初から実行委員会に参加、会議・プロ グラム委員会のメンバーとして、最終的には全体会の企画・進行スタッフとして関わった。 こ の ﹁9
条世界会議﹂の取り組みから見えてきたものを、主に幕張メツセを中心に、レポートする。 幕張メッセでは、全体会をはじめ、シンポジウム、フォーラム、パネルディスカッション、ワーク ショップ、自主企画、9
条 ラ イ ブ 、9
条シネマ、展示販売プ l スが、いずれも超満員の盛況で、まさに 多彩で豊かな取り組みとなった。 イベントホl
ル(七OOO
人収容)で開催された全体会には、一万二OOO
人が参加二3
0
0
人 が、会場に入れない状況も生まれた。三部構成の全体会は、第1
部の最後に﹁ねがい﹂と﹁第九﹂の 大合唱を配置し、第2
部では、スピーチと音楽・パフォーマンスを交互に、第3
部 は 、 ﹁9ALIVE
﹂ と 称 し て 、U
A
、FANKIST
、原田真ニ、加藤登紀子らが出演するコンサートとして企画した。予定の時間を九
O
分もオーバーし、州市者みんなで欣うイマγ
ンのフィナーレは、夜の十時三O
分 にもなったが、日以後まで多くの参加者が残り、出向の峨り上がりの中で終了することができた。 会場に入れなかった方がたを対象に、急きょ野外集会も間悦され、メインスピーカーのマグワイア さん、ワイスさんも参加し、大熊啓(東京のうたごえ)のギタl
で ﹁ 君 。 岳 山 田2
R
B
E
O
﹂の大合引 で 締 め く く ら れ た 。 日本山妙法寺のお坊さんらを先聞に、広島から東京までを歩き過す9
条 ピi
ス ウ ォl
クも、識もが 気粧に参加できるスタイルで取り組まれ、多くの参加者を得た。 お者の姿が目立ち、これまで9
条についてあまり考えていなかったという参加者も、たくさんいた こ と も 、 大 き な 特 俄 で あ る 。 虚子日富岡"""面持惨OOO!I!引自動0<田?目IÞOO串間酔唱縄問砲酔~.F~初回T 思同同H @oOo唖ヨ 私がこの取り組みの情報を得たのは、二O
O
六年六月のパンクl
パl
世界平和フォーラムに参加し た時である。パンク1
パ1
9
条の会主恨の交流会に参加、そこで﹁9
条世界会議﹂の事務局団体とな る ピl
ス ポl
トのスタッフや、国際民主法作家協会の弁護士たちと、名刺交換をしていたのである。 年が変わって、二O
O
七 年 、 ﹁9
条世界会議﹂の実行委貝会の呼びかけがあった際に、日本のうた ごえ全間協議会から小沢が、また、音楽九条の会としても、複数の実行委貝を出すことにした。また、 センタープロダクションが、制作・ディレクターとして関わり、東京労昔、音楽センター、センター プロなどの音楽九条の会事務局メンバーは、アーチストのプロデュース、第九合唱団事務局、ねがい 合唱団事務局、ライブハウスプロデュース・ディレクターなど、重.嬰な役割を果たした。この取り組 みを通じて、新たにオーケストラの事務局からも音楽九条の会に加わっていただけたことも、うれしい 出 来 事 で あ っ た 。 当日の舞台進行スタッフには、音楽九条の会、東京・関東のうたごえ、東京労音などから人
O
人が かかわり、裏方の仕事をこなした。 この﹁9
条世界会議﹂の成功は、参加者に大きな確信と希望を与え、また、世界の国ぐにの中で、 武力によらない紛争の解決を模索している人びとに、あらためて9
条(のような考え方)の持つ意義 を確認できるものとなった。メディアの取り上げ方は、まだまだ少ないとはいえ、これまでのこの手 の集会の報道から見ると、間違いなく露出が増えている。 また、さまざまな市民団体、労働組合、文化団体、弁護士団体と個人が﹁9
条を大切にしたい﹂と いう一致点を大切に共有し、成功させたことの意義も大きい。 これらの成功をもたらした嬰因を、企画・運営と参加者組織の両国から、考えてみたい。 実行委員会は、﹁さまざまな団体個人が一堂に会して﹂ということもあり、当初は、どこかギクシ ャクしたところも見られたが、取り組みが進むに従って信頼感が高まり、一つの目標に向かって共同 してつくりあげていく喜びを感じることができた。何より、事務所で黙々と作業するピl
ス ボl
ト や ボランティアの若いスタッフの姿を見ると、われわれおじさんたちも、ひと肌もふた肌も脱がなくて は、との思いが大きくなったのかもしれない。 企画も運営も、白紙の状態から始まった準備は、さまざまなチi
ムが立ち上がり、時間を経て、そ毎若干廻~咽干骨骨香子子沼"""炉唾回 1 骨骨岨 l 団阿惨明 E 目H予咽 f 骨蝿主岬ヨ 1 目怪喧...町時-0<0目?骨骨咽て陀~f@>",予哩I琵ÞO-咽= の チ
l
ムが同制されていくという、 私の今まで関わったイベントではあまり考えられない運営体制で 進 ん だ 。 企岡でも、組織でも、大切にされたのが、﹁参加型﹂の姿勢である。手を挙げ、意見を出せば﹁では、 そこの部分をお願いします﹂というノリは、一見、あぶなつかしくもあるのだが、言い出しっぺの責 任で、進まざるをえない。ここでも﹁参〆加型﹂が武かれたと言える。 企阿についていえば、﹁世界会議とは言っても、話を聞くだけではどうなのだろう。たとえば﹃ね がい﹂や﹃第九﹄といった大合唱、アーチストの演奏なども配置したものは?﹂という提案。﹁ブー スを充実させてミニステージでパフォーマンスも?﹂﹁﹃シネマの部屋﹄﹃ライブの部屋﹄もできると いいね﹂﹁広向から拡張までパレードしたいと思うけど、どうだろう?﹂﹁岩波ホ1
ルの協力で実写版 ﹁火来るの基﹂の試写会ができないだろうか﹂などの企画提案が、ことごとく実現していった。自主 企阿や、展示プl
スの巾し込みも、日を迫うに従い数を増し、調整に悲鳴をあげる状況も生まれた。 前述したパンクl
パl
世界平和フォーラムの開会集会が、まるでコンサートの合同にスピーチが入 るというプログラムを凡て、日本でもこういうものをと思っていた私としては、力の入れようが述った。 文化企聞は、日以近少しずつ改普されてきたとはいえ、客入れと送り出しというような扱いで、ほぞ をかむ思いをしてきた経験をお持ちの方も多いと思う。この﹁世界会議﹂のシl
ンを、多くの人に見 て、感じてもらうことができたことは、今後のさまざまな運動に与える影響は大きいであろう。ニ
O
O
六年に﹁がんばれ9
条!弁護士と市民が集う第九コンサート﹂を成功させた若手弁護士たち が中心になり、﹁9
条世界会議﹂で、あの感動をもう一度と提案された﹃第九﹄の企画も、経費やオーケストラの日程の関係で断念せざるをえない状況が、一度はあったが、川崎哲(ピ
l
ス ポl
ト)事 務局長の、﹁こういう企画が参加組織のエネルギーになる。日以後まで可能性を追求してほしい﹂との 後押しも受け、音楽九条の会としても全面的に協力する体制をとり、実現できた。テナl
の ソ ロ を 、 元最高裁判事がつとめたのも、話題となった。 ﹃ねがい﹄は、今、世界をつなぐ平和の歌としてひろがり、﹁9
条世界会議﹂にぴったりの企画とし て提案し、オl
ケストレl
シヨンの監修と当日の指揮を、池辺晋一郎先生(音楽九条の会代表呼びか け 人 ・9
条世界会議呼びかけ人)にお願いし、快諾をいただいた。 ﹁ねがい合唱団﹂の公募にも、多くの方がたが応じ、新宿では、地域の9
条の会の人びとが、﹁どう せ参加するなら、﹃ねがい﹄を歌って﹂と、独自の練習会もやっての参加、ということも生まれた。﹁第 九﹂の練習会にも、うたごえメンバー中心に数度にわたって出かけ、貴重な練習時間を割いていただ き、一緒に歌ってもらうことができた。 当日は、インターネットで世界中と﹃ねがい﹄でつながる活動をやっている﹁ねがいコネクション﹂ の長田寿和子・横山基治両先生の努力もあり、ケニヤのゴードン、イランのマリアム姉妹、アメリカ のディナさんらも、参加が実現した。第2
部のゲストでもあるウクライナのナタl
シャ・グジーさん も加え、それぞれが母国語で歌った、オーケストラと九O
O
人の大合唱は圧巻で、超満員の参加者の 大 拍 手 を 得 た 。 ﹃第九﹄を歌った弁諜士さんが﹁本番で﹃ねがい﹂を歌ったら、もうグズグズになって、あんなに 練習した﹃第九﹂がポロボロになっちゃった﹂と﹁恨んで?いた﹂との話も聞いた。何となく、先生 と一緒に参加した学生が、﹃ねがい﹄と﹁9
条﹂に、はまってしまった、ということも、生まれた。優主1をP吃歩唾耳Fモ~唖ヨ干@o喝:..0日 I 医曽-0電811~惨蝿ヨ 1 ,,",叫〉錫弓 l 関与屯〉廼弓 1 ...:>0噌問 t 巴験-0-趨弓 l~砂毒ヨ l笠~喧ヨ4 図>ô唖当TlE惨だF宅韮 ピースポ
i
トダンスチームのパフォーマンスも合め﹁参加別背部﹂は、集会そのものを成功させる 力 と な っ た 。 第2
郎では、沖悦三味線の向締竹山、チェルノブイリ原発事故の被害者でもある歌手ナタl
シ ャ ・ グ ジl
、アイヌ民族の師りAINUREBELS
、沖拠出身の歌手、普天間かおり、そして、ゴス ペルの第一人者、他削山香&VOJA
と、世界会議呼びかけ人でもある湯川れい子率いる東京女戸合m
聞 の ジ ョ イ ン ト 企 両 が 、 各 国 か ら 参 加 者 の ス ピ ー チ や 、 高 速 来 秘 子 ・ 雨 宮 処 ・ 泌 さ ん ら が 参 加 す る ﹁ イ ラク・アメリカ・日本﹂のトl
クセッションなどの聞に配世された。音楽・パフォーマンスと、スピ ー チ ・ トl
クが交互のプログラムは、参加者を飽きさせることなく、右脳と左脳をバランスよく活性 化 し 、 相 来 効 果 を 生 み 出 し た 。 的3
部 の ﹁9ALIVE
﹂ は 、 若 者 に 認 知 さ れ て い る ア ー チ ス ト に 、 最 後 ま で こ だ わ り を も っ た 。 ﹁9
条を守ろうとしている人たちだけが集まっても、ダメなんだ。これまでそんなことを考えてなかった 人も参加できるようなものに﹂という、主似者の姿勢が、この企聞に表れた。U
A
の山演は、日以後まで見えなかったのだが、彼女の出演が決定したことが、若者中心に参加組織 が広がった一因ともいえる。妊版中の彼支が、あえて休引がくっきり見える衣装を選び、命をはぐく む思いを﹁9
条世界会議﹂で語り、歌うシl
ンは、大きな感動を呼んだ。公式の坊では初めての妊娠 発表を、翌日のスポーツ報知が報じている。このコンサートを目当てに、全体会の最初から歩 J加して い た 若 者 が 、 ﹁ こ れ ま で 考 え て い な か っ た け ど 、9
条って、考えてみなくちゃね﹂と会話していたという話を聞き、主催者の思いは、確かに実現したと確信した。 主催者も想定外の、三千人が溢れる参加者組織も、この世界会議の注目点である。 前日まで、五
OOO
人か多くて七OOO
人かと読んでいたため、溢れた場合を誰も考えていず、遠 方からの参加者も含め、会場に入れない人を生み出したことについては、実行委員の一人として、心 からお詫びしたい。 団体に参加(動員)目標を割り当て、点検していくやり方ではなく、あくまでも自主的な﹁参加型﹂ を貫いたからの現象でもあるのだが、何より最後の一週間で参加を決めた人が多かったということも、 一 因 で あ る 。 一 方 、 ﹁9
条世界会議﹂があることは知っていても、内容がよくわからないし、参加目標の割り当 てもないし、参加したものかどうか迷っていた人びとが多かったのも、事実である。紙の媒体より 話各中心の発信に、とまどいを持ったこともある。しかし、この想定外の参加者を実現した一番の要 因 は 、9
条をめぐる世論の変化と、七OOO
を超える﹁9
条の会﹂の存在。六O
年以上にわたり憲法 を守り活かすために奮闘してきた諸国体の運動と、9
条を守ろうという人たちだけではない、参加者 をという発想と企画が一体となったところにあるのだと思う。﹁既成の運動を乗り越えた﹂との評価 をする論者もいるようだが、一面的であろう。ただ、﹁動員型﹂ではなく﹁参加型﹂に、という発想 と実行力については、今後の企画にも、大いに活かしたい。 ひとつ、おもしろいエピソードがある。事前の宣伝で、四月一日のエイプリl
ル フl
ルに新聞の号千百...嗣'1 国同例聞 flEÞE:柳田市画。岨'国Þ04Ð干田I!>OO晒干aOE:御園壬~拐で国同蝿~ 外を装って﹁
9
条世界会部﹂を知らせよう、というキャンペーンの提案があった際に、何人かの経験 豊かな人びとから、普立ではあるが中止したほうがよい、という意見が得せられた。﹁9
条を快く思 っていない人びとに、攻撃の材料をつくる﹂﹁世界にはウソという文化が通用しない国もある﹂﹁地道 な宣伝と組織を黙々とやるべきだ﹂などなどである。 わたしは、﹁若者の発想とエネルギーを応援します。9
条があってもユーモアが通じない社会では 暮らしたくはありません﹂と、エールを送った。 結果は大反響である。共同通信社が写真付きで配信。多くの地方紙の紙面を飾った。日本のうたご え全国協議会の若い事務局員も、新宿の行動に参加したが、﹁﹃号外!号外l
﹄ と 叫 ぶ と 、 我 も 我 も と 、 新聞を取っていき、あっという聞に、さばけてしまった。こんな駅頭宣伝は、初めて﹂と、興奮して 報告していた。若者の発想と行動力に拍手である。 ﹁9
条世界会議﹂は、多くの成果と教訓を残して終わった。 し か し 、9
条をめぐる情勢は、決して安心していられるものではない。﹁世界会議が三万人を超え る参加者で成功した﹂とは言っても、﹁たかが三万人﹂とも言える。しかし、この取り組みに参加し た若者たちが、自分の言葉で、﹁9
条﹂を世界に発信していく取り組みも始まっている。﹁されど三万 人﹂でもあるのだが、なによりも﹁9
条を考える﹂一点で広がった共同の取り組みは、今後のさまざ まな運動に、大きな確信を与えた。 私自身、ここで得た経験と、文化の力への確信、新たな人びととの出会いを財産に、今後も、がん ばっていきたい、と決意している。(︿日本のうたごえ全国協議会﹀事務局長︿音楽九条の会﹀)﹁
握
手
﹂
は
﹁
武
力
﹂
を
遥
か
に
超
え
る
いちだまり
それは合コンから始まった││私の場合
バブル全盛の学生時代ならいざしらず、合コンのお誘いに少々戸惑った三年前秋。 集まった顔ぶれは、いずれも核問題にかかわる NGO の関係者たちだった。ほどよくアルコールも 回ったところで、︿ピl
ス ポl
ト﹀のK
君が早口で言った。﹁二OO
人年に憲法九条をテl
マ に し た 、 一万人規模の世界会議をやるつもりなんだ﹂ やや唐突な感じもしたが、﹁へえ、いいじゃん。そのときはぜひ、参加させてよ﹂などと口走った(気 がする)。私の平和運動は、いつだってノリが優先だ。二度目に9
条世界会議の構想を聞いたときに、 私はあろうことか﹁協力するよ﹂と言ってしまった(らしい)。﹁ただし、一参加者として﹂と、言う つもりだったのだが:::。私の人生は勘違いが多い。文
化
祭
的
パ
フ
ォ
ー
マ
ン
ス
チ
l
ム
四、五O
人が参加する実行委員会では、大づかみな方向性は議論するものの、具体的な動きは、つ くれない。間もなく企画、財政、広報など、作業グループが発足し、私はプログラム委員会に所属す園子l3!oぜ歩電軍司士-顕著芸事--回一時'‘~目?田野《捗唖ヨ H~唱白'"・>O"Í副長~,-ヨ t 沼静。‘!lH 賢'噌〉場当 H;~<:捗唾;)-陪-壬 ることになった。網搬する舵聞は広い。そこで全体会および分科会の担当と﹁その他﹂に分けられた。 石塚早出さんをチ l フに、ライブハウス、シネマ、プ l ス 、 ピ l ス ウ ォ
1
クなどを担当するパフォー マンスチl
ム の 誕 生 だ 。 コンセプトは﹁9
条をひろげる﹂。世界会議としてのクオリティは保ちつつ、ヘピl
で多言語の会 議で疲れた参加者が、ホッとしたり、笑ったり、リラックスして参加できる坊をつくろう!文化祭の ノリでいいじゃんl
当 V 吋 ロ O 円 。 司(
9
条でいいじゃん!)というのが、メンバーのコンセンサスにな った。だから終始、﹃ランチタイムを兼ねたプログラム﹂や、﹁コーヒーを飲みながら参加できる企岡﹂ はできないか、と模索してみたり、最寄り駅から会場まで、ストリートパフォーマンスでジヤツクで きないかとか、会場近くの海浜公国でキャンプはできるのかとか、同じ敷地で開催されるイベントの 容が、﹁うっかり﹂参加できる隙間はないかとか:::アイディアという名の妄想が百出したのだった。今だから言える、苦しみの日々
﹁映岡が好き﹂という理由のみで、私はシネマの担当に。しかし予非はない。確保されているのは 部屋と設備だけだ 0 ・作品選定の器準も、﹁内容が﹃9
条的﹄で、かっ、ほほ無料で使えるもの﹂とい うハードルの向きだった。さらに、長編をじっくり制てもらうのではなく、会議の合同の息抜きもか ねて、三O
分程度の作品をというしばりを自らに課してしまった。そのうえ、公募の自主企画などが 出揃うにつれ、会場や時間の調整に難航し、シネマは午後からの開映になった。 パズルのようなプログラム調整と自分の仕事の合間を縫って、プロデューサーに会い、映画会社に足を運んだ。﹁映画はフィルムで観たい﹂という哲学も封印し、
DVD
の 試 聴 を 続 け た 。 ぞして六作品に決まった。泣く泣く落とした作品があるのは、言うまでもない。いや、本当に泣く のは、それからで、日本語以外の配慮が必要なことから、日英の内容紹介も、つくることになった。 どんどん追い込まれていくなかで、さらに自らの首を絞める企画が持ち上がった。﹃
火
垂
る
の
墓
﹄
プ
レ
ミ
ア
ム
上
映
故黒木和雄監督には、私が所属している﹁平和博物館を創る会﹂でも、短編﹃ぼくのいる街﹄を撮っ ていただいている。その黒木監督の生前の企画で野坂昭如原作の﹃火垂るの基﹂を、長く助監督を務め ていた日向寺太郎さんがメガホンをとるという。七月に束京・岩波ホ l ルで封切られるため、五月上 旬 の ﹁9
条世界会議﹂は、いいタイミングだというところから話が進み、プレミアム上映会が決まった心 日向寺さんも岩波ホl
ルの担当者も、仕事を過しての知人でもあり、私がこちらも担当することに なった。しかも舞台挨拶には、主演の子役・吉武怜朗君、品山彩奈ちゃんに加え、映画美術の巨匠・ー 木村威夫さんが駆けつけてくださることになった。宣伝と鑑賞者の募集、独自の広報が発生し、大量 の作業を背負いこむことになってしまった。言い方を変えれば、﹁9
条一色﹂の、充実の日々となづた。そして当日
9
条シネマ
五月四日の﹃火垂るの墓﹄は、大盛況。実行委員会から、出演者と観てくださった方へ、歌﹃ねがい﹄~拘竪羽:国惨宅排需主1て国岡~t;IIO骨噌ÐI 骨骨喝割問島。‘自 f J30暗唱目 I 国勤〈除毒窃 H31'GEHsIOOO‘目I告書TGCiH-l1聾珂:!>CD干l3>E歩l!G をプレゼントし、命を慈しむ気持ちで、場内は温かい空気に包まれた。 明けて五日のシネマである。﹁忠政き合同﹂のはずが、﹁息つく暇もない
9
条シネマ﹂となった。とにか く人、人、人:::。ふらりと立ち寄ってふらりと出てもらうことしか念頭になかったため、入れ替えは不 可能。というより、誰も動こうとしないのだ。それどころか、どんどん人が増え、通路をつぶして椅子を 補充し、スクリーン間際の床にも座ってもらったのだが、それでも、びっしりと立ち見である。熱気で空 気が薄くなったのでは、と感じるほどだったが、体調を崩す方などが出なかったのが幸いだった。 熱気は人数のためだけではなかった。最初の上映作品﹃戦争をしない国日本﹄では、片桐直樹監督 が 、 ﹁9
条世界会議に集った人びとに勇気をもらった﹂と激励し、参加者が拍手で応えた。﹃テロリス トは誰?﹂では、立ち見で見づらい人のために、きくちゆみさんが、急きょ、弁士のように字幕を読 み上げながら熱く解説をした。西谷文和さんの﹃イラク戦場からの告発﹂では、場内がすすり泣き で包まれた。私の会の作品で、東京大空襲のアニメ﹃君知ってる?首都炎上﹄、そして元兵士が、日 本軍の加者耶尖という戦争の事実を告発する、日中友好協会のドキュメンタリー﹃泥にまみれた靴で﹄ では、涙とため息で、さらに室温が上がっていった。協会には﹁作品紹介のしおり﹂の印刷でお世話 になり、上映後に作品解説もしていただいた。 途中、人の列をかきわけでなんとか外へ出て驚いた。部屋の前から近くの階段の下まで長蛇の列な のだ。﹁映画の分科会﹂とか﹁映聞で考える9
条﹂とか、並んでいる方が、それぞれ独自の名称で呼 んでいるのも聞こえる。青ざめつつも、感激で胸がいっぱいになった。 最後の作品は、呼びかけ人でもあるジャン・ユンカl
マンさんの﹃映画日本国憲法﹂。制作・配給 の側シグロからは、英語版の DVD を、海外ゲストへのお土産としてプレゼントするという、サプライジングな協力も得ていた。上映後、ユンカ
l
マン監督の挨拶に続き、別のシンポを終えた膨脱却蜘監 督 も 、 ﹁9
条は誇りです﹂とスピーチしてくださった。 しかし、反省も多い。ご存じのように、全体会では入場できない方が三千人もいらした。不手際や、 読みの甘さを率直に謝りたい。シネマについても、﹁ホっとする﹂作品というには緊張感に満ちたテ ーマで、事実を直視するドキュメンタリーばかりとなった。六作品すべて過して観た方も相当数おら れたが、終了後には﹁観たいと思っていた作品が観られてよかった﹂﹁ぜひ地元の集会でも紹介したい﹂ ﹁希望を持てました﹂と声をかけていただいた。ハ
グ
(
抱
擁
)
と
握
手
と
この二日間、どれだけ握手をしただろう。初めて会う人や、一緒に泣いたり謝ったりした仲間との ハグも数えきれない。それは、これまでの私の中にはない経験だった。 ロ ピl
で、いくつもの車座分科会が生まれ、階段の踊り場で、プl
スやミニステージでも、さまざまな パフォーマンスが展開されていた。顔見知りに会えば、その友だちの友だちとも、握手を交わした。 たくさんの通訳ボランティアに助けられて生まれたハグもあった。けなげにひたむきに裏方作業を こなす、たくさんのステキな仲間とも知り合えた。 結局、﹁武力で平和はつくれない﹂というのは、﹁握手は武力をはるかに超える﹂ことなんだと思う。 これまでも、きっと目にしていたはずだけど、私は9
条世界会議で﹁9
条﹂という希望をみつけた。 大 好 き な 映 画 と 握 手 を と お し て │ │ 。 ( 平 和 博 物 館 を 創 る 会 )体で動かす
9
条 、
9
条で動かす体!
安
藤
博
人間、何年たつでもあまり変わりません。が、﹁変わらないようで変わる﹂ものでもあります。 失言辞職の問僚のように、﹁指名した段階では適任だった﹂と首相が言う、その任命の日から五日で、 ﹁ひとが変わって﹂しまう例もあります。 わたくしも、﹁9
条世界会議﹂に関わった一年ほどの問に少し変わりました。駅構内の雑踏などで 配られるティッシュペーパーや、ちらしの類を受け取るようになったことです。 ﹁未亡人紹介﹂﹁すぐ借りられる﹂など、ろくでもない広告がほとんどで、以前は見向きもしません でした。それを、すぐゴミ箱ポイであっても、とにかく受け取るようになったのです。ほかでもない、 二O
O
八年五月初めの﹁9
条世界会議﹂のために駅頭などでチラシ配りをした、そのとき群集の大方 から受けた、にべもない拒絶が、ひどく堪えたからです。 少しもっともらしい能書きを加えれば、それが﹁9
条世界会議﹂の目指したことにつながるからです。 つまり、﹁平和的手段で平和を求めようとする﹂日本国滋法第9
条の理想を、内輪のお念仏から世 界に広げていくことです。﹁9
条﹂は、自分だけでは諮れない。9
条だけでは護れない。﹁ピンク広告 であれ、宗教活動の宣伝舎であれ、日本国憲法第9
条集会のチラシであれ、もらうもの、渡されるも のは、なんでも受け取るに如くはなし。自分がそうだつたように、渡そうとするひとには、とにかく 伝えたい、訴えたいという気持ちがあるのだから。﹃波されたものなら、なんでも﹄と、こころを開くことから、非暴力平和の世界が創られる﹂││こう言ってみると、たいした変わり方かもしれません。
雑用が世界を救う!
﹁世界会議﹂に関わったのは、端的に言って偶然です。 ﹁ 非 暴 力 平 和 隊 ・ 日 本 ﹂ ( V E X ¥ ¥当者当日E
也o σ
0
・ ロ 立 ℃ ¥ a ロ包¥)という団体の事務局長をしていて、各 種の平和活動につながりがあること。また﹁市民立悲フォーラム﹂という、憲法に関する小グループ ( 宮 吾 川 ¥ ¥ 当 者 声 。E
N
O
B
-F
O
門 間¥
w
g
u
o
¥
)
のメンバーとして、﹁平和﹂﹁人権﹂などに関する討論、提言 ( z n x ¥ ¥ 巧 当 者 - n 志N
O
B
-v
o
a
¥
w
g
u
o
¥
U
8
0
5
u
s
o
-v
g
ユ)を行なってきたことなどから、﹁世界会議﹂の 実行委員の一人となったのです。 ﹁実行委員﹂とは、少し体そうですが、実行したのは、要するに雑用です。この会議のことを、で きるだけ広く多くのひとに知らせて賛同金を集め、T
シャツ、缶パッチなどの﹁9
条 グ ッ ズ ﹂ を 販 売 。 そしてチケット売りをすることです。ニO
O
七年の瓦からは、毎週木曜日の夜二時間ほど、実行委事 務局のある東京・高田馬場のピl
ス ポl
ト事務所で、ポストカl
ド、缶パッチなどを、各種の市民団 体集会などに出かけて売るのに備え、九枚、九個の語呂合わせでそろえて袋に入れたりする作業を、 五、六人のメンバーでしてきました。 ﹁ あl
らアンドウさん、一枚足りないわ﹂と、テレビ工場などのアセンブリl
ライン末尾でチェッ クをしているような仲間の女性が院みます。他のメンバーに比べてカl
ドをそろえたりする作業のス ピードがずっと遅いのも悔しいけれど、﹁年をとると指先のアプラがすくなくなるんだって﹂とあっ~重好隆恒岡田唾暗唱J.!3ÞO晒?骨骨司1 尽-閉 1 l3Þ(蝿ヨ けらかんに一日ってくれるのが、さらにこたえます。 ﹁これなら、﹃多い少ない﹂の川迎いがない﹂と思ったのは、加パッチ九例を九筒所の貼り付け場所 の決まったボール紙台紙に取り付ける作業です、これをしながらふと出たひとことが、また悪かった。 ﹁これ、老人ホ
l
ムに持っていって、ポケ防止作業にやらせるといいね。誰でもできそうだから﹂と 言うのに、チェック係がぴしりと決めつけます、﹁アンドウさんの、ぼろぼろ外れちゃう﹂。﹁ああ、 なにをやってもだめなんだな﹂と嘆いてみせれば、ついに止めをさされます、﹁いいのよ、そうやっ てがんばってくれてるだけで、みんな元気が出るんだから﹂ この雑務はしかし、冗談ではすまない、なかなか深刻なものなのでした。実行委員会メンバーとし て、人集め・カネ集めの責めを負っていたからです。 ﹁世界会議﹂開催予算は、当初以下のようになっていました。 ・会場借り上げ科二六O
O
万円、海外などからのゲスト旅費一一O
O
万円、通訳科一二O
万 円 、 印刷費三五O
万円、広報技三O
O
万円、人件費六三O
万円など、合わせて五七五O
万 円 の 支 出 を 、 ・賛同金(一口が、団体一万円、個人二000
円)三二OO
万円。カンパ四O
O
万円。グッズ販売収 益六八O
万円。入場料(一人一o c
o l
-五O
O
円)一三OO
万円など、を合わせた収益の合計で ま か な う 。 二OO
八年二月の実行委貝会では、いよいよわれわれ四O
人ほどの実行委メンバーそれぞれに、一 五O
枚のチケット(各日、前売り一枚一000
円)が波されました。自民党議員のパーティ券と同じ です。ひとたび受け取ったら、居酒屋で一旦くちを開けた焼酎ピンを返せないのと同じく、もう返すことはできません。﹁しっかり売ってこい﹂ということです。 問題は、都心からかなり速い幕張メッセの大会場に、一万人を集めるという目標に合わせて、人集 めができるかどうかです。長測、桑田のコンサートではない、﹁憲法﹂です。旧来の﹁護憲派﹂の枠 を大きく超えて、鼠法をひとごとと思いかねない若者なども引きつけられるようにと、実行委の主要 メンバーは、そのためのイベント企画などに知恵をしぼりました。 実行委に名を述ねる自分には、﹁財政責任﹂が負わされています。つまり、グッズ販売などがもく ろみどおりにできず、たとえば二
OOO
万円の赤字が出れば、それを約四O
人の実行委員で、約五O
万円ずつ分担して埋める責任がかぶってきます。﹁そうなったら、もう夜逃げです﹂と、平和活動団 体などでちょっとした講演をするような機会があると、その終わりに、こうした﹁泣き﹂を入れて、 賛同金集めを試みていました。 わたくしは、海洋植物学者でもあった昭和の天皇の、記憶する限りで一つだけの良い言葉、﹁雑草 という植物はない﹂を思い出し、﹁雑用という用事はない﹂と念じて雑務に精を出していました。﹁雑 用﹂なしには、どんなに高い理想も実現しょうがないからです。﹁雑用が世界を救う﹂と自らに言い 聞かせつつ、しかし﹁缶パッチ一個二OO
円をいくら売ったところで、一OOO
万 は お ろ か 、 一OO
万円にもなるまいな﹂と、心中かなりの赤字を覚悟しながら、五月四日の開会の日を迎えました。前 日の三日の夕刻、来場者に会場入り口で渡すプログラムなどをそろえる作業を、四OOO
部になった ところで﹁もう十分だろう﹂と打ち切っていたからです。来場者は、﹁多く見ても三五OO
人 ぐ ら い か ﹂ という、くら1
い 予 想 だ っ た の で す 。大誤算の大盛況
E弔 問 T 0 4 竃 摂 骨 骨 覇 岡 崎 明1 _同 司 国 間 同 町T9004葺lt酬 関 西lt!TOo咽T 意外や意外の大盛況となったことは、新聞などで広く伝わっているでしょう。 ﹁ 世 界 会 議 ﹂ ホl
ム ペl
ジに、大盛況は以下のように報告されました。 ﹁ 五 月 四1
六日、幕張メッセで開催された﹃9
条世界会議﹂には、のべ二万人を超える人たちが来 訪しました。初日の全体会には一万二OOO
人が参加し、三OOO
人が満貝のため入場いただけませ んでした。二日目の分科会には六五O
O
人 が 歩 J 加し、当日券完売のため五O
O
人が入場できませんで した。三日日のまとめ総会には、三O
O
人が参加しました﹂ この大誤算に基づく大盛況の理由を、わたくしたちはいまだに測りかねています。全国(東京、広 品、大阪、仙台)で、来場者三万三九O
O
人(うち幕張では、四、五日合わせて三五O
O
人が入場不能) といっても、﹁様子見﹂のような特殊な目的を持った人を除き、﹁改窓派﹂までを引き込んだものでは れんも φ ん なかったでしょう。しかし、旧来のいわゆる﹁誕滋派﹂、つまり前日一一一日の憲法記念日集会と。述荘。 するような人びとだけではないことも、確かだったでしょう。もう少し広い、﹁9
条﹂に関する﹁浮 動府﹂ともいうべき部分を、かなり引き付けることができたのです。会場を見渡した感じでは、それ は、若者、中高年者双方です。 ひとつ言えることは、﹁9
条﹂護忠のためだけではなかろうということです。迫感判決まで出たイ ラク戦争加担を日本政府が続行していることのような、怒法に直結する事柄だけではありません。自 民党内でも﹁残酷な姥拾て﹂と強い批判を呼んだ﹁後期高齢者﹂の医療制度や、道路利権につながる ガソリン税問題などに関して、政治への不満・不安が広がっていることが、﹁9
条﹂を護持し世界に向けて広げていくというこのイベントへの共感につながったのでしょう。二
OO
七年来の、建築構造 手抜きや食品の産地偽装などの企業悪がいまだに跡を絶たずにいるなかで、エネルギー価格高騰によ り各種の生活物資が値上がりしていることなども、政治への﹁怒り﹂に上乗せされていたでしょう。 そうしたさまざまなことに対する不満・怒りをぶつけるシンボルとして、﹁9
条を世界に﹂が空前と も言えるほどの人の流れを生み出したのではないでしょうか。 もちろん自民党政権に対する欝秘したものが、その中心だったでしょう。それは、二OO
七年秋の 参院選に現れた反自民の潮流につながっているに違いありません。 ﹁ 鼠 法9
条の世界化﹂以前の、日本の政治・社会状況に対する不満・不安・怒りを借景として、主 催者の予測を超えた大盛況を勝ち取った、とすればその最大の貢献者は、﹁後期高齢者姥捨て﹂制度 を導入したことなどで、いまでは自民党内でも﹁負の遺産﹂をあからさまに言われるようになった、 純ちゃん、小泉政権でしょう。 と は い え 、 患 法9
条を改変しようとする勢力は、表面上浮き沈みしても、極めて根強いものです。﹁世 界会議﹂での﹁9
条世界化﹂に向けての高拐をよそに、いつでも政治的に浮上する可能性があります。 改憲勢力を、﹁兵器産業利権につながる者﹂﹁右翼・軍国主義者﹂などと、限定・単純化するのは、 大間違いです。すぐ隣に住んでいる普良な人たちの中に、しっかり根を下ろしているはずです。 ﹁9
条﹂が唱える﹁戦争の放棄﹂﹁非暴力の平和﹂は、下手をするとそうしたひとたちの持つ﹁世間 の常識﹂から上滑りした独りよがりに陥る危険さえあるのです。 選 挙 と 同 じ く 、9
条の﹁浮動層﹂も、一つ状況が追えば改患に振れていくでしょう。有事法制や改 憲のための国民投票法制定を強く後押しした﹁北の脅威﹂は、言い古されてこのところ緊迫感も槌せ子園-.c;汗13M:初唖拝沼惨01墜韮~ ています。しかしたとえば﹁またもや峡災験﹂といった思さを﹁北﹂が敢行したりすれば、﹁幕張メ ツセの感動﹂は、一時の市ゃぎに終わり、-紙、﹁
9
条﹂を﹁現尖蹴れの空論﹂とする流れが勢いを 持 つ で し ょ う 。 インド・米国の原子力協力協定に関連して、核不拡散条約(
N
P
T
)
に加わらず、核実験を強行(一 九七四年)したインドに、原子力関連物質輸出を解禁する例外措置が、原子力供給グループ(
N
S
G
、 日本など四五か国)の総会で決まったことも、﹁世界会議﹂三万人の高揚に水を差すものでしょう。 これで、北朝鮮、イランの核開発阻止は、まず望み薄です。米国がこの総会決定を強く後押ししたの は、詰まるところ、軍事力明強を急ぐ中国を﹁背後﹂から牽制するため、インドの核保有を事実上認 知して述携を図ったのでしょう。核拡散が、かくして動かし難い流れになったという判断から、日本 の﹁核保有﹂を模索する動きが、外交・安全保障問題のプロの問では強まりつつあるのです。たとえ ば、﹁非核三原則﹂のうちの﹁持ち込まず﹂を崩し、米国との核兵器共同利用を図るようなことです。 I!Effi~Hl'ilO堤同耳fao<!:l拘_l!ÞO<晒:問惨争画Fお詫びの毎日
二OO
七年一月二九日の第一回から数えて一二回目の実行委員会が七月三O
日に行なわれ、実行委 を解散しました。この時点で、開催抗は収支とも当初より一五%ほどふくらんでいたことが明らかに なりましたが、幾分の黒字になっていました。。夜逃げ。は、めでたく免れることができました。 締めくくりの巾しあわせ事項に、﹁二OO
九年末までの聞に﹃9
条世界会議﹂の第二回を開催する ことはしない﹂とあります。これは、﹁満員につき入場お断り﹂にまで至った大盛況に図に乗ったかのように、﹁来年は後楽園ド
l
ムで五万人集会﹂といったデマが飛んだのに対するものでした。 ただ、﹁世界会議﹂が一発の打ち上げ花火ではなく、﹁次﹂をまともに考えられるだけのものであっ たことも確かでしょう。﹁次回は、今回同様、オリンピックの年、つまりは四年後に、日本国外で。 日本の囲内法である9
条が、真に世界の共有財産として平和を創るために活用されるよう、たとえば 朝鮮半島を南北に分断する非武装地帯で、軍人も含めて世界のあらゆるひとが集うことができるよう に﹂と、わたくしは願っています。 それはともかく、夏にかけて、わたくしたち実行委メンバーは、御礼というよりお詫びに追われま した。﹁会場がらがらの恐れ﹂を繰り返しては切符を買っていただいた。狼少年。の街に加え、一部 は﹁チケットを持ちながら入場お断り﹂という。詐欺。の罪です。貸し切りパスを仕立てて遠方から 来場した団体や、沖縄からの人の中にも、この酷い仕打ちを受けた方がいました。 わたくしは、自宅近くの教会の神父・牧師様と信者の方たちに、お詰びをせねばなりませんでした。 ﹁世界会議﹂実行委員になった二OO
七年の初めから、にわかに自宅近くの教会で毎月集会を聞いて いる﹁市川宗教者の会﹂という会に加わりました。そこで、心優しい神父・牧師様、そして人徳高く ひとを集める力のある信者の方がたにおすがりして、地元の憲法集会での﹁世界会議﹂キャンペーン、 グッズ、チケット売りと、大変にお世話になったのです。 ここの神父様は、俗世の俗人であるわたくしよりずっと前から、ずっと熱心に、人権擁護・平和・ 憲法の活動に携わってこられた、その方面ではよく知られた方です。それがアダとなりました。﹁憲 法で幕張に一万人、そりゃムリでしょう﹂と、﹁消息通﹂だけに、わたくしを含めた実行委メンバー の大方が内心恐れていたのと同じ悲観的見通しを﹁宗教者の会﹂の集会のたびに言っておられました。﹁枇県会議﹂当日は、日ごろれ宥の方たちと会川柳近くの J R 駅に消かれ、﹁開会には問があるし、どう せガラガラだろうから﹂と、駅前で小作を食べてこられた、そのご一行が、いまだに災行委一同身も 細る思いがする、あの﹁前日につき入場お断り﹂を食らわせた約三五
O
O
人のなかに入ってしまった の で す 。聞報lI!OOO宮崎Hテ軍司:画。覇市国同拘田 I 哩H惨晒 1 沼同訴晒 I~昭 l 閏ii'O<閉 t 骨骨晒 HPJ>Go咽必
﹁