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俗文学資料による中国近世音の研究

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全文

(1)

俗文学資料による中国近世音の研究

著者

花登 正宏

(2)

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(3)

研究組織

研究代表者:花登正宏(東北大学大学院文学研究科教授)

研究分担者:な し

交付決定額(配分額)     (金額単位:千円) 直接経費 俘xヌb 平成12年度 都 700 平成13年度 テS 1,500 平成14年度 田 600 2,800 テ

研究発表

(1)学会誌等 花登正宏 「劉照載『四音定切』における反切理解(『中国文人の思考と 表現』所収、汲古書院、平成12年7月18日) 花登正宏 「関於李鄭《切韻考》的反切理解」 (『漢語音韻学第6届国際学 術研討会論文集』所収、香港文化教育出版社、平成1 2年 8月18日) 花登正宏 「漢字往昔法「反切」について」 (『京都産業大学国際言語科学 研究所所報』第22巻、平成13年3月31日.) 花登正宏 「中国近世の共通語」 (『人の移動にともなう社会と文化の変動 についての総合的研究』所収、東北大学大学院文学研究科、 平成13年3月30日) 花登正宏 「『古今韻会挙要小補』の刊行について」 (『集刊東洋学』第8 8 号、平成14年10月31日)

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-1-研究の経過とその成果 本研究は、俗文学関係資料を利用することにより、中国近世音の実態の一 斑を解明しようとするものである。中国近世音研究は具体的には唐末五代より 清末に至る間の音韻状況を解明するところにその目的があり、その解明に当た っては、従来『韻鏡』・『七音略』等の等韻図あるいは元代の編纂になる『古 今韻会挙要』・『中原音韻』、さらには『韻略涯通』・『韻略易通』等明清以来 陸続と刊行された当時の地方音を反映する韻書等が主たる資料として使用され てきた。本研究はこれらの資料に加え、変文等の教壇文学資料、宋詞そして元 曲、さらには白話小説あるいは説唱文学資料に見られる押韻・別字異文等を分 析・検討することにより当時の音韻状況を明らかにしようとするものである。 平成1 2年度・ 1 3年度は、 『古本小説叢刊』 (劉世徳等主編、中華書局) ・ 『古本小説集成』 (古本小説集成編集委員会編、上海古籍出版社)所収の小説 資料を中心とする俗文学資料を調査検討し、そこに見られる音注及び俗字・別 字異文等近世音研究に有用と考えられるものを抽出・カード化する作業を集中 的に行った。また、これら影印資料の中の不鮮明なものについては国内及び中 国の図書館に出向き、確認する作業も行った。 平成1 3年度は、カード化した資料の内『三国志平話』 ・『三国志志伝評林』 ・ 『勢灯新詩句解』・ 『埋剣記』 ・ 『列国史』 ・ 『唐書志伝』さらには『明史弾詞』 等について、精密に音韻学的分析を加え、その反映する近世音的特色について 解明し、公表の準備を進めている。また、小説に付された音注や別字異文と戯 曲・弾詞等の韻文文学の押韻というような、音韻資料としての性格の相違が、 これらを近世音研究のための資料として使用する際にどのような相違をもたら すかについても検討した。 本研究成果報告書は、三年間にわたる本研究の成果として公表される。蒐集 した資料については今後さらに継続的な研究を行う所存である。 2003年(平成15年) 5月1日

花登正宏

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学会誌等に発表された研究成果

(1) 「劉照載『四音定切』 (2) 「関於李鄭《切韻考》 (3) 「漢字注音法「反切」 (4) 「中国近世の共通語」 (5) 「『古今韻会挙要小補』 における反切理解     5頁 的反切理解」      22頁 について」       31頁 58頁 の刊行について」    60頁

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一3-劉紫載r四音走切」における反切理解(550)33

劉興載『四書定切』における反切理解

花 登 正 宏 壷 反切というのが書中園における漢字注書法の一種であること、そして反切成 立以前より使用されてきた「直音」・「讃若(如)」あるいは「菅況」等が往昔 法として持つ鉄鮎を克服すべく、漠末貌初のころに考案されたものであること はよく知られている。注書法としての反切は漢字2字によって別の1字の音を 示すものであるが、例えば求める昔が「東」である場合、はじめは「徳紅反」 のように、後になると「徳紅切」のように昔注が施されるようになったため、 このような注書法が反切と呼ばれるようになったこと、また、停続的な中国の 書記法では、 「徳」は上に書かれるところから反切上字、 「紅」は下に書かれる ところから反切下字、さらにこれら2字によって往昔された「東」が反切蹄字、 あるいは被切字と呼ばれることも周知の通りである。そして、反切上字である 「徳」は反切蹄字の聾母を表し、 「紅」はその聾調を含めた韻母を表すこと、つ まり帝字と上字とは襲撃、蹄字と下字とは畳韻の関係にあることもよく知られ ている。 では、この襲撃・畳韻をその構成原理とする反切から、いかにして昔を取り 出してきたかということになると、賓は従来あまり明らかにされてこなかった ように思われる。ところで、筆者は先に「反切の賛際的研究序説」を公にし た(1)。筆者は明晴時代、ことに晴代に至って陸積と刊行された韻書・韻畢書

中に、反切の取り出し方に関する記述が激増する現象に注目、普時における反

切からの昔の取り出し方の賓態の解明を企園し、収集してきた関連資料の分析 を行いつつあるが、この前稿は、筆者の企園する明晴時代の韻書及び韻草書に

(8)

-5-34(549) 記載される反切による音の取り出し方の解明、言い換えれば反切の賓際的研究 の序説として革されたものであった。以下の論述と関わるところを要約すると、 次のようになる。 反切はその成立以来しばらくの閲は口唱することによって求める昔を得てい たものと考えられる(2)。しかし、唐代になり等韻撃が成立すると、その知識 が反切による昔の取り出しに鷹用されるようになる。昔初はF韻鏡」に見られ

る「蹄納助紐字」の様に、これを利用して反切上字の聾母の青草的イメージを

浮かび上がらせるためにこの新たな知識は用いられたようであるが、近世、こ とに明代・晴代になると、五音及び清濁、あるいは等や呼、さらには韻圏を利 用するものなど、等韻拳の様々の知識を磨用した反切の概説書、あるいは反切 について解説した文章が数多く出現する。筆者は、このような書物、文章が書 かれなければならなかったのは、口唱のみによる反切からの音の取り出しが講 書人にとって容易ではなくなってきたからであるとし、それは、宋代以来の講 書人膚の摸大ということもあろうが、それにもまして時代による音韻襲化、そ してその地域による相違によって、停束の反切を利用して昔を取り出すことが 困難になってきたことをその大きな理由として指摘した。ところで、晴代の学 者陳淫も指摘するように、請書人の草間の基礎は小学であるが、その小学の最 も基本にあるのは文字の昔を知ることである(3)。従って、停束の反切による 音の取り出しが困難となったからといって、それをなおざりにしておくことは 出来ない。そこで反切から何とかして容易に昔を取り出したいという要求が出 てくるのであるが、その結果として、いかに容易に昔を取り出し得る反切を作 るかという方向と、博束の反切からいかにして音を取り出すか、その方法を指 南するという方向とに分かれるo前者の方向は、 r慧林一切経音義j (784年製作 開始)に始まり r音韻開微』 (1726年)に至る反切改良の流れであり、その最後 に位置する r音韻閲微」においては、音を容易に取り出すということを極限ま で追求した反切である「合掌切」を生み出した(4)。そして、後者の方向は、 明晴以来、反切の原理をわかりやすく説明しようとした数多くの韻書・韻草書 を生み出すこととなったが、その際には「合掌切」のような被切字を容易に取

(9)

劉県載r四書定切1における反切理解(548)35 り出せる反切も反切の原理を説明する一手段として用いられた。 以上が前稿の必要部分の要約であるが、ここに陳浬の言を引いて述べたよう に、小学が草間の基礎であるとするならば、さらにその根底にある字音を知る と言うことは、士大夫・請書人さらには文人を問わず、中園の知識人の営みを 最も下のところで支える土童とも言うべきものである(5)。その手投としてあっ た反切からの昔の取り出し方を、人々はどのようにして学んだのか、本稿では

その最初の試みとして晴・劉輿載のr四音走切Jを取り奉げ、本書の著者であ

る劉県載そして本書の内容全般についての紹介を行うとともに、とくにそこに 記載された反切による昔の取り出しの賛際を明らかにしようとするものである。

本論にはいる前に、先ず、 r四昔定切jの著者及び全書の髄裁について説明 を加えることとしたい。 先ず著者劉興載について。 劉無我は江蘇省輿化解の人。嘉慶18年(1813)正月莫巳に生まれ、光緒7年 (1881) 2月乙未に卒した。享年69歳。字を伯簡といい、融密と壊した。造光 19年(1839)の拳人。造光24年(1844)進士となり、翰林院編修を授けられ、 その後同治3年(1864)には園子監司業に補せられ、同年秋には簾東学政を命

ぜられた。ついで皇帝の侍従官たる左春坊左中允に補せられたが、同治5年

(1866)病を理由に官を辞した。その後官に就くことはなく、それ以降14年の 長さにわたり、上海の龍門書院の主溝として後進の指導に普たったという。講 書を好み、 r四書走切jのほかに、 r持志塾言1 2巻・ r蛮概J 6巻・r説文筆聾1 2巻・ r説文畳韻1 2巻・ r昨非集J 4巻等の著があるoこれらは最近r劉県載 集j としてまとめられて刊行され、使用に便となった(6)。なお、劉輿載の停 記資料としては、愈梅に「左春坊左中允劉君墓碑」 (『春在堂難文四編ヨ)、粛穆 に「劉融斎中允別停」 (r敬斎翻削巻12)があり、またr清史稀儒林停」には侍 が立てられている。これらはいずれも、 r劉県載集jに附録として収載されて

(10)

-7-36(547) いる。ここの記速は、これらに記載するところによった。 つぎに、 r四音走切」について。 原刊本は2冊で、巻首のほかに、巻1より巻4に分巻されている(7)。 本書胃頭には、光緒4年(1878)の著者による自鼓がある。この「四音定切 叙」では、主客問答健の形式により、本書編纂の目的が述べられている。それ によると、本書編纂の目的とするところは、切字法、つまり反切の原理をわか りやすく解き明かすところにあること、そして、著者劉県載は反切の原理を理 解するためには、開口呼・斉薗呼・合口呼・撮口呼のいわゆる四呼の耕別こそ が最も重要と考えていたことがここから容易に看取されるのである。劉輿載は この四呼を「欺・意・烏・干」の4字で代表させる。この4字は本書中では

「四昔」と呼ばれるが、この言葉が本書の書名r四書定則中に取られた理由

はここにあるのである。 本書全髄の構成についてみてみると、本書の内容は、巻首の「園説」と巻1 より巻4に至る「韻樺」とに分かれ、 「囲説」部分において反切について説く。 この反切について説いた部分については後ほど詳しく説明することとしたいが、 そこでは反切には反切下字に尊母ゼロの文字を用いて音を取り出しやすくした 「合軍法」と、普通の反切である「切昔法」との2類あることを逸べ、 「韻梓」 はこの「合掌法」を用いて、 r侃文辞韻J所収の文字に音注を施した韻書となっ ている(8)0 本稿は、反切による昔の取り出しについて、 r四書定切j はいかなる説明を 加えているかについて考察しようとするものであり、従って、韻書である「韻 樺」そのものについてはこれ以上解れないこととする。ただ、 「韻滞」冒頭の 「韻樺提綱」は「囲説」に説くところと関わるところが多く、必要に磨じて参 照した。

本章以下では、巻首「圏説」に述べるところに従い、劉興戦の反切について

(11)

劉輿載陀可昔定切」における反切理解(546)37 の説明を示すこととしたい。なお、 「園説」はいくつかの候目に分けられてい るが、 〔 〕にくくって示したのはその僚目名である。 前章に示したF四書定切」の自毅に自ら逸べるように、著者劉無我にとって、 「四昔」は反切を理解するかなめの位置を占めるものであった。 「園説」はまず この「四書」の説明から始まる。 〔四書標目〕では、前章にも示した「欺・意・ 鳥・干」が「四音」であることをまず明らかにする。ついで〔四書蓉明〕では、 その内容について説明する。そこではまず、 「四昔」とは「能く一切の字音を 統べる」ものであるとし、 「切昔」、つまり反切を畢ほうとするものが字音の開 口呼・斉薗呼・合口呼・撮口呼の四呼の別を知りたいと思うならば、この「四 書」によるほかないとする。ここでは、必ずしも明言されているわけではない が、この「欺・意・鳥・干」がこの順に開・斉・合・線に相曹する。さらにこ の「四書」の各々について、任意の4種類の「韻」 (いずれも聾母ゼロ)とその 韻に屠する漢字2字とを圏示した上で、 「欺昔」を例として取り奉げ、詳細な 説明を加えている。いま、 「欺昔」に奉げられている4韻を〔 〕内に、各韻 に所属する漠字2字を( )内に入れて示すと次のようになる。 【欺昔】 〔誼〕 (鈎鬼) 〔安〕 (千着) 〔過〕 (渇葛) 〔益〕 (侃昔) このように「欺音」では、聾母ゼロの誼・安(以上平聾)、益(去聾)そして遇 (人草)を任意の4種類の韻として取り奉げている。そして、この4種の韻が 皆「欺昔」であるのは「欺字今の尤韻に叶すれば誼と為る」、つまり昔時通行 の平水韻尤韻の「欺音」、つまり開口呼のうち聾母ゼロのものは「罷」である ように、欺字と「韻を異」にはするが「(四)昔を同」じくする、つまり四呼 を共通にするからであると言う。他の3字、 「安・過・益」についても同様の 説明を加えた上で、さらに「釣兜」より「侃昔」に至る8字をも「欺昔」であ ると言う。それは、例えば、 「釣」の字を長くのばして尊書すると最後の方に は「謳」の普のみが残るような感がある。この「詣」は「欺昔」であるから、 従って「鈎」も「欺昔」となるのであるとの説明を加える。そしてこのことは、 「兜」以下の7字も同様であるとし、長くのばして費音した時、最後の方に残 る文字の昔が「教書」 (介母ゼロ)であれば「開口昔」と定めてよく、同様に

(12)

ー9-38(545) 「意昔」 (介母i)であるならば「斉歯音」、 「鳥音」 (介母u)であるならば「合 口音」、 「干昔」 (介母屯)であるならば「撮口音」と定めてよい.そして、末尾 に「能く四音を定むれば、則ち切昔に於いて何をか有らん」と述べて、四呼の 直別こそが反切理解の肝心要の鮎であることを力説する. ここで、この「四音」の理解に口頭で費音することを求めているのは重要で ある。ある文字の音を長くのばして尊昔したとき、 「意」の音〔i〕があるの は斉歯呼「意音」、 「鳥」の昔〔u〕があるのは合口呼「鳥音」、 「干」の音〔屯〕 のあるのは撮口呼「子音」、そのいずれもがないのは、開口呼「欺音」である というのである。 「四書」についての説明が終わると、ようやく反切についての説明が始まる こととなる。 「切昔」つまり反切を撃ぶには、先ず「叶書法」から始めるべきであるとい うところから〔切昔綜貫〕の反切の説明は始まる。この「叶書法」と言うのは、 任意の1字をとって字母とし、様々な韻と「叶」して音を得るをいう(9)。こ こに「叶」と言うのは、 「岡、佳韻に叶すれば則ち街と為り、寒に叶すれば千 と為り、豪に叶すれば高と為り、歌に叶すれば歌と為り、庚と叶すれば庚と為 る。是れ即ち岡佳・岡寒等の切法、街・千等の字を切出するなり」とあるとこ ろから、字母として採り上げた字の軍母といろいろな韻の字の韻母とを結合さ せることを言う。さらに、この「叶音法」には、ここに例を拳げたような反切 上字相昔の文字は襲えずに下字相昔の文字のみを襲える「換韻不換母叶法」と、 「岡佳」イ千住」 ・「庚佳」というふうに上字相昔の文字自健は「岡・千・庚」 の棟に変わるが、聾母は同じであるため、これらでもって下字相昔の「佳」に 「叶」された音は皆「街」となるという「母韻倶不換法」とがあると言う。こ の「叶音」においては「切音滑息」、つまり反切の根本原理と言うべきものが 明らかとなっているが、 「切昔之法」、つまり反切の法はこの「叶音」に比べて

(13)

劉無我r四音走切」における反切理解(544)39 厳密である。それで、音を「叶」することは出来ても、 「切」することの出来 ない者がいる。それは音の開合と聾の清濁にどうしても食い違いがあるためで あると言う。開合については「四昔蓉明」を参照せよとした上で、聾の清濁は 字母により定まっているとして、次のような「清濁圏」を示す。 純晴 見 端 知 常 非 精  照  影 次晴.渓 透 徹 涛 敷 清 心 穿 審 暁 純濁 郡 走 澄 並 奉 従 邪 林 蹄 匝 次濁 疑 泥 妓 明 微        喰 来 日 そして、どの韻も清濁の2聾を棄ね備えているとし、平孝一末韻では「供通」 は清華、 「紅同」は濁聾と言う風に、上掌一重韻・去孝一迭韻・入讐一足韻の 晴軍・濁聾を示し、そのあとに「能く此れを耕ずれば、則ち一切の字の軍推す 可きなり」と逸べる。さらに、ある文字の聾母の清濁が決められない場合は、

その文字が何という字母に展するかを槍べ、上の「清濁囲」と照合しさえすれ

ば、すぐに明らかになるとも逸べる。 「叶昔法」というのは、いわばある文字の昔を表す反切を自由に自分で作っ てみて、そして費昔してみる、いわば反切遊びとも言うべきものであろう。上 字は襲えずに下字をいろいろ襲えてみる。あるいは同一の文字の音を表す反切 を、上字・下字襲えて色々作って見る。このようなことは普然のことながら、 昔を口の中で韓がして作り出したものと考えられる。また、ある文字の清濁が どうしても決められない場合、その文字が三十六字母のいかなる字母に属する かを調べ、その上で「清濁囲」と照合せよ、と言うのは等親撃的知識の反切理 解への鷹用とも言うべきものである。このようなことを通して、聾母について、 四呼について、韻母について、さらには反切についての認識を深め、次の段階 に進むこととなる。

(14)

-ilil-40 (543)

以上のような記述のあった後、ようやく「切字法」、つまり反切の解説に入 る. 「切字法、上の一字は母為り、下の一字は韻為り、母は清濁を耕じ、韻は 開口合口を排ず。清濁圏及び四音尊明に熟さば、則ち切昔に於いて何をか有ら ん」と述べて、反切は上字が草母及び清濁、下字が開口合口を含む韻母を示す とし、それは先の「清濁圏」と〔四書費明〕に熟達しておきさえすれば何でも ないことであるとする。ついで、 「切字法」に、 「合拳法」と「切昔法」のふた つの方法のあることを述べ、この両者は基本とするところは同一であるが、異 なるところもあると遮べる。いま、そこで奉げられている異なるとされる鮎を 箇健書きにして示すと次のようになる。 「合掌法」は、 (1)反切下字のみならず上字も、反切掃字と開・斉・合・操の四呼を共通 させる(10)0 ( 2 )反切上字のみならず下字も、反切蹄字と聾母の清濁を共通させる。 ( 3 )反切上字としては反切蹄字と四呼を共通にする、韻尾ゼロまたは人草 の文字である「字頭」を用いる(ll)0 ( 4 )反切下字としては聾母ゼロである「収聾之字」を用いる(12)0 この「合掌法」は注(4)に示したr音韻開微Jの「合掌切」の特色にほぼ同 じであり、ここの(1)は「合掌切」の特色の(1)に、ここの(3)は「合掌 切」の(2)と(5)に、ここの(4)は「合掌切」の(3)に相普し、ここの (2)は「合掌切」の特色の(4)にほぼ相昔する。 ついで、 「切書法」については、 ( 1 )反切上字は蹄字の開合には拘わらないこと。 ( 2 )反切下字は蹄字の聾母の清濁には拘わらないこと。 (3)反切上字として必ずしも「字頭」を用いないこと。 (4)反切下字として必ずしも「収掌之字」を用いないこと。

(15)

劉紫載F四音定切」における反切理解(542)41 をあげ、上記「合掌法」の特色を備えない反切が、 「切書法」つまり通常の反 切であるとしている。 ところで、 「合軍法」による反切は(以下、 「合掌反切」と稀し、 r音韻開微』の 「合掌切」と直別する(13))、通常の反切に比べてより昔の取り出しやすい反切で あることは容易に想像される。反切というのは、上字よりは聾母を、下字より は韻母と聾調を取って、求める蹄字の昔を得るのであるから、上字の韻母、下 字の聾母は元来不要なものなのである。ところが上に述べたように、合掌反切 では、上字に韻尾ゼロまたは人草の文字を用い、下字に草母ゼロの文字を用い る。さらに、上字と下字とで四呼が共通していると言うことになると、口唱し た時上字より下字へスムースに移行して求める音を得ることが出来るからであ る.一方、 「切昔法」による反切、つまり通常の反切から音を取り出すのは必 ずしも容易とは限らない。この通常の反切からいかにして音を取り出すかが著 者劉県載に輿えられた大きな課題であったはずである。ところで、通常の反切 にも合掌反切に近いものから、速いものまで様々ある。劉輿載は次章以下に示 すように、反切による音の取り出しの説明を、合掌反切に近い反切から遠いも のへ順序立てて、しかも賓践的に行っている。 陸 反切による昔の取り出しの説明は、 〔合掌囲〕において、具膿的に合掌反切 4例を園示し、その構成を説明することから始まる。ここで奉げられている合 筆反切は「都翁合東」(14) ・ 「得誼合兜」 ・ 「西国合新」 ・ 「渠句合筆」の4例であ る。その構成上の特色について説明する部分は、前章で述べたところと重複す るので省略する。これに績けて、字音には聾母ゼロの「収聾」、別名「住昔」 と聾母を持つ「過昔」とがあると述べる。そして、 「過音」である「鈎・兜」 を長く費音すると、その最後は必ず「住昔」である「誼」に終わると述べるの は、聾母を持つ音から聾母ゼロの字、いわゆる「収孝之字」を取り出す方法を 説明したのもので、注目しておく必要がある。

(16)

-13-42(541) これに績く、 〔合掌切昔同好園〕では、 「古瑛切公」 ・ 「苦適切佳」イ実現切菅」 ・

「特杭切堂」と言う通常の反切例4例を園示し、これらは合掌反切では各々

「古翁切」 ・ 「苦易切」 ・ 「莫昂切」イ特昂切」となると述べる。これら合掌反切 の反切下字「翁」・「昂」は住昔で、これを用いることにより、 (上字により示さ れる葦母と)青草がぴたりと合わさるのである(15)。しかし、過音と住音とは反 切下字としては元来同じもので(16)、ここに示されている過音の反切下字「供」 ・ 「通」の住音は「翁」、 「浪」・「杭」の住昔は「昂」に他ならない。また反切上 字については、必ずしも「字頭」が使われているわけではないが、その上字に 野麿する「字頭」は必ず存在しているのであり、結局のところ通常の反切と合 掌反切とは賛際上の直別はないのであると説明する。 ここでは、ある文字の昔は合掌反切でも、通常の反切でも表すことが可能で あることを逸べる。従って、通常の反切は、必要な場合、例えば過音を住音に 遼元すること等により、より容易に音を取り出すことが可能であることを逸べ ているように思われる。

〔合掌切昔同好圏〕の次にある〔切書直韻直母国〕、そしてこれに績く〔切昔

特報圏〕 ・ 〔切昔韓母園〕 ・ 〔切昔樽母韓韻園〕は通常の反切である「切書法」の いくつかの型について説明したものである。ここに言う「韻」が反切下字、 「母」が反切上字を指す事は言うまでもない。ここでは、 「直韻直母」による、 最も合掌反切に近く、昔の取り出しやすいものから、 「蒋韻韓母」という、最 も合掌反切より遠く、従ってそれより昔を取り出しにくいものまでを順序立て て配列し、賓践的な説明を加えている。 〔切昔直韻直母園〕では、前章に示された「古供切公」 ・ 「苦通切佳」 ・ 「実現 切菅」 ・ 「特杭切堂」の4つの反切が「直韻直母」反切の例として再度園示され 説明を加えられる。それによると、 「直韻直母」反切の特色は以下のようにま とめられる。

(17)

劉無載r四書走切lにおける反切理解(540)43 ( 1 )反切下字のみならず、上字もその蹄字と開合を同じくする。 ( 2)反切上字のみならず、下字も蹄字と尊母の清濁を同じくする。 このように、反切上字・下字の韻母の開合と軍母の清濁が反切蹄字と共通して いるものを各々「直母」・「直韻」と稀し(17)、そうでない「韓母」 ・ 「韓韻」と 直別しているのである。反切上字と下字とで開合が共通していれば、反切を口 で唱える場合にも、上字から下字へめ移行がスムースに行われることになり、 また、下字の聾母の清濁と掃字の清濁とが同じであれば、軍調の陰陽も同じと 言うことになり、この「直韻直母」による反切は口唱によって音を取り出しや すい、したがって望ましい反切と言うことになる。 〔切音樽韻圃〕では、 「既郁切基」 ・ 「戸公切紅」の2つの反切を例として圏示 し、反切の「樽韻」につき説明する。この2例の反切では,聾母が晴軍である 反切席字「基」、濁聾である蹄字「紅」を各々聾母が濁聾である「郁」、清聾で ある「公」を反切下字とする反切によって切したもので、 「直韻」によるもの ではない。このようなことが可能なのは、本来帝字の聾母の清濁を示すのは反

切上字であるため、反切下字「郁」は上字「駄」が摘草の讐母であるため清華

に樽じ、反切下字「公」は上字「公」が濁挙の尊母であるため濁聾に轄じるた めであると述べる。これが「直韻」に野する「特報」で、反切下字の清濁(従っ て反切好字の清濁も)は反切上字の清濁に従うことを説明する(18)0 〔切昔韓母圏〕では、 「徒了切兎」イ鈎須切駒」の2つの反切を例として園示 し、反切の「樽母」につし、て説明する。これらでは、反切蹄字である「宛」は 斉歯呼、 「駒」は撮口呼であるが、その反切上字は各々合口呼の「徒」、開口呼 の「鈎」とされて、 「直母」とはなっていない。このようなことが可能なのは、 本来蹄字の四呼を表すのは反切下字であるため、上字「徒」は下字である「了」

が斉歯呼であるため斉歯呼に韓じ、同様に上字「釣」は下字「須」が撮口呼で

あるため撮口呼に韓じるためであるとする。反切上字の四呼は下字の四呼に従 うのである(19)。これが「直母」に野する「韓母」である。 〔切昔樽韻韓母園〕では、 「恰均切句」 ・ 「安回切隈」の2つの反切を園示して 奉げ、ひとつの反切中に「韓韻」と「韓母」を同時に備える反切からの昔の取

(18)

ー15-44(539) り出しについて説明する。これらについては個別にはすでに説明済みであると ころから、ここでは極めて具髄的・膏践的な説明の方法を採る。例えば、 「恰 均切」の例では、この反切から得られる昔は「困」かと言う問いに暫し、濁軍 の「恰」は晴聾である「因」の反切上字とはならないと答え、では「寅」の書 かという問いには、撮口昔である「均」は斉歯音である「寅」の反切下字とは ならないと答えるなど、得られる音として類似の昔を措定し、それを逐一つぶ していくという方法で反切による音の取り出しを理解させようと試みるのであ る。あとの例についても同様の説明を加えた後、 線之、清濁想母、開合想韻、方鳥合法、 と述べて、反切蹄字の清濁は反切上字による、開合、つまり四呼は反切下字に よって決められる、との反切による昔の取り出しの根幹を為す原理を示し、さ らにそこに「切昔直韻直母園」 ・ 「切昔韓韻圏」 ・ 「切音捧母囲」 ・ 「切普韓母韓韻 圏」において示した反切の4類型は仝てこの根本原理から外れるものではない との注を加えている(20)。この反切の根本原理を理解し、それを4類型でさら に確認することにより反切による音の取り出しは寓全のものとなったと言うこ とであろう。 捌 ところで、反切の原理の説明という観鮎から言えば、 r四書定切」の著者劉 輿載は以上で筆をとどめてもよかったのである。しかし、彼はそうしなかった。 反切の原理を説明した巻首「園説」を終えるに昔たり、 〔切音韓韻韓母圏〕の 後半に再度「四昔」、つまり四呼の賓践的な修得方法について説明を加えてい るのである。自己の著をr四昔走切」と命名した著者劉紫載にとって、この 「四書」こそが反切理解、反切による音の取り出しの要というべきものであっ たからであろう。 ここでの説明は、極めて賓際的なものである。 「直母」でない反切、つまり

反切下字と四呼を同じくしない文字を反切上字とする反切では、反切上字の四

(19)

劉輿載r四音定切lにおける反切理解(538)45 呼を下字の四呼に捧ずることによって、上字と下字はスムースに結合し求める 蹄字の昔を取り出すことが可能となる。その反切上字の四呼をうまく別の四呼 に樽じさせる方法について、次のような圏を用意し、説明を加える。 簸昔 愛 恩 瑚 安 海 亨 整 看 開 埠 岡 干 該 借 康 悪 意昔 衣 因 幽 掩 嬉 欣 香 華 欺 晶 敬 堅 基 辛 軽 軒 鳥昔.郎 塩 江 轡 呼 昏 荒 寛.枯 尊 瓜 開 孤孫 誇 歓 干昔 於 提 督 淵 呼 乗 組 棒 結 駿 絹 洞 居 肴 屈 喧 この圏は、上から下に「四音」で開斉合撮の四呼を定めたものであると述べた 上で、これらを縦に、例えば「愛・衣・郎・於」等を上から下に謹み、その4 字の韻が同じであるとかないとか、その掌調がどうであるかと言うことにはと らわれずに、もっぱらそれが開賛合操の順に並べられているということを直別 することが肝要であると述べる。そしてここに奉げられた計16組の4字句を口 頭で唱え、それに習熟したならば、全ての字音の開合(四呼)の韓愛は必ず自 得することが出来るとし(21)、以下に具膿例を用いて、その方法を説明する。 例えば、 「海段切」から得られる昔については、 「海」は「簸昔」、 「股」は「意 昔」であるが、 「切書法」では、開合(四呼)は反切下字に従い(開合凌韻)、上 字には従わないから、 「海」を下字に従い「意音」に樽じさせる。上圏で「海」 の「意昔」は「嬉」であるから、 「海段切」は「嬉段切」となり、この反切よ り蹄字として「欣」音が得られる。また、 「誇該切」から得られる昔について は、同じく潰韻法により、上字の「鳥音」である「誇」を下字に従い「欺昔」 の「康」に韓じると(上園参照)、反切は「康該切」となり、ここから得られる 昔は「開」となるという。なお、上記の例では、 「海」の「意昔」として「嬉」 に、 「誇」の「簸音」として「康」に韓じさせたが、 「海」と同軍母の「意普」 でさえあれば「休・軒・欣・椅」等のいずれに韓じさせてもよく、 「誇」と同 輩母の「欺昔」でさえあれば「張・珂・看・鐙」等のいずれに韓じさせてもよ いと付け加え、 「鎗韓四書法放此」と述べて、 「囲説」を締めくくる。その最後

(20)

-17-46(537) は次のような「賛」で終わっている(22)。 書を讃むには先ず須く字を識るべく、切音の異訣は宜しく求むべし、 四昔の要妙を枯出す、是れ清水の源頭為り、 玖 本稿にいままで述べてきたことからも理解されるように、彼は様々の反切の 具健例を園の形式で示し、それについて個別に説明するという方法で反切の原 理を説いてきた。園の形で示したのは、そのようにした方が後になって確かめ ることが容易であるため、ことさらにそのようにしたのではないかと思われる。 さほどに劉無我はこのr四書定切Jを賓機的な書たらしめるべく努力したもの と考える。 このような賓践の書である r四書走切」における反切説明の特色をまとめる と以下のようになろう。 (1)反切理解の中心は「四書」、つまり四呼を理解するところにある。 (2)反切は口で唱えることにより昔を取り出すものである。 (3)反切より昔を取り出す方法は、まず容易に音を取り出せる「合掌反切」 より始め、徐々に「合掌反切」より遠いもの、つまり昔の取り出しの 難しいものへと順序立てて学ぶ必要がある。 (4) 「合掌反切」に外れる反切は、本書に逸べた方法により「合聾反切」 に轄じさせれば、音の取り出しは容易となる。 r四昔走切lは合掌切により昔注を施したF音韻開徴Jより150年ばかり後に

成立した。通常の反切を理解させる手段として、合掌切に酷似する「合掌法」

による反切から始めるのは極めて有数な手段であったと言えよう。では、合掌 切の考案される以前、反切による音の取り出しはどのように修得されて来たの か、あるいは以後においてもほかの方法によるものはなかったのか、更なる検 討を績けたいと思う。

(21)

劉無載r四昔定切Jにおける反切理解(536)47 注 (1) r中国拳誌j否境(1998年2月)o以下、前稿と稀する。 (2)前稿注(14)において、現代でもなお、反切を口で唱えることによって求める 昔を取り出すことがある、ということを清澗地方を例に奉げて紹介したことがあ る。その時、滑潤を青海としたのは駅西の誤りであった。訂正する。 (3)ほ塾集l巻4 「輿連子朝六首之-」に次のようにある。 小草本鳥識字、然目謄其字、而不能諌其昔、謂之識字、可平、 (4)帽瀧開削において新たに考案された反切の特色は、以下の敷鮎にまとめる ことが出来る。 (1)反切蹄字と上字は開・奔・合・撮の四呼を共通させる。 (2)出来得る限り、反切上字には韻尾ゼロの字を用いる。 (3)出来得る限り、反切下字には軍母ゼロの字を用いる。 (4)反切下字の聾調は、平聾で陰陽に分ける。 (5)反切上字・下字は出来得る限り固定した文字を用いる。 なお、 r音韻開微jには各小韻毎に「合掌切」等新たに考案された反切のほかに、 r鹿削・ r集割等停束の反切も同時に記載されており、この事自慢が停束の反 切によって示された字音がどのようなものであるかを教示する書となっている○ ( 5 )ここに奉げた中歯知識人の類型については、村上管見「文人・士大夫・講書人」 (r未別第7競、 1988年12月。のちr中歯文人論l (汲古書院、 1994年3月)所 収)参照。 (6) r劉県載剰(華東師範大草出版社、 1993年3月)。 (7)本稿を草するにあたっては、光線4年9月劉照載叙刊本を使用した。 (8) r四昔定切J鼓に次のようにある。 今余念園説既成、又因及門黄接三錬研親筆、輿之準備文辞韻字数、輯鳥韻帝 四巻、事固有難巳者、 なお、本書冒頭の「凡例」には、 各韻字数蓮照侃文韻府、惟廟辞・御名敬遮、至相似之字、亦閲有未編入者、 以其為場屋所軍用也、 とあり、 「韻辞」は賛際にはr楓文韻府J所収の字を基本とする平水韻による鶴 書と言うことになる。 (9)原文には、 叶昔法、任拳一字以普字母、叶各課領之得音、 とある。

(22)

-19-48(535) (10)原文には、 切開口字、用開口韻、井用開口母、切合口字、用合口韻、井用合口母、 とあり、斉歯呼・撮口呼について言及するところはないが、次項の〔合掌園〕の 所の記述等によるに、ここは斉歯呼・撮口呼をも含む、四呼すべてについて述べ たものと判断する。 また、注(ll)参照。 (ll)ここの原文には、 「字母必取字藻」とあり、反切上字として「字頭」を用いる とある。 「字頭」については、ここに績けて「字頭亦名出口昔、如粛出於西、尤 出於移之類」とあり、そこの注に「粛必作西要切、尤必作移由切」■とあるところ から、 「酉」・「移」がその字頭であることが分かる.さらに次項〔合草固〕のと ころに、 「叉都鳥東之字頭、得鳥兜之字頭、西鳥新之字頭、渠食草之字京」とあ り、そこの注に「如讃鬼字、則出口之昔、必先是得字、飴字頭放此」とあるとこ ろから、反切上字として最連な「字頭」は反切掃字と四呼を共通とする、韻尾ゼ ロまたは人草の文字であることが分かる。この「字霧」は各賢母毎に開・粛・合・ 操の四呼各々について決められ、それらは本書巻1 「韻帝濃網」の「四音字母線 目」の所に掲出されていて、 「欺昔字母」 (開口呼)には27字、 「意昔字母」 (斉歯 呼)には32字、 「鳥昔字母」 (合口呼)には31字、 「干昔字母」 (撮口呼)には24字 が奉げられている。例えば、見母では「格・記・古・倶」、端母では「得・抵・ 親・O」が字頭として奉げられている。端母には撮口呼はなく、 「有音無字」と して「O」と記される。 (12)ここの原文には、 「取韻必直取収孝之字」とあり、それに席けて、 「如必以翁字 烏親切東字、以蔦字鳥親切先字之類」とある。そこの自注に「東必作都翁切、先 必作西寄切」とあり、さらに、 〔合掌囲〕の項に、 「又翁・誼・図・句、皆収聾之 字也」とあり、そこの注に「亦稀字尾、如翁郎東字之尾軍也、鎗牧草放此」とあ るところから、 「収聾」の聾母ゼロの文字であることが知れる。 (13) 「合掌切」の名は『音韻開微J凡例に見えるが、この合掌切と合掌反切は共通 するものが多いが、異なるものもないわけではない。例えば、第陸章で奉げる合 掌反切4例についても、 r音韻開微1では、 「兜」字については「今用」切で「徳 誼切」とあり、 「華」字については「今従鹿韻」とあって『贋韻lの反切「渠云 切」を襲用するとして、合掌切を示してはいない。 (14)反切では「切」とあるところが、ここではことさらに「合」としていることに 注意。ただ、これより以降では、例えば次項の〔合掌切昔同時園〕において、 「公」に野する合掌反切を「古翁切」とするように「切」を用いている。また、

(23)

劉県載r四昔定切』における反切理解(534)49 注(ll)に示したように、巻1 「四書字母線日」では、端母の合口の「字頭」は 「親」となっていて、ここの「都」とは異なっている。 (15)原文には、 蓋易昂管住普之字、用之為韻、始得聾合也、 とある。 (16)原文には、 蓋過昔住音、原是-貢、 とある。ここの「一貫」は反切下字としては同じと言う意味であろう。上に逸べ たように、過昔を長く鷺昔することによりその住音を得ることが出来る。 (17)原文には、 母親輿本字、音(開合一原注)響(清濁)並同、不須ヰ襲、故謂之直、 とある。 「本字」は反切帝字を指す。 (18)原文には、 推之切一切之字、其韻曹随母之清濁也、 とある。 (19)原文には、 推之切一切之字、其母皆随韻之開粛合撮也、 とある。 (20)原文には、 直母直韻以下四式、切音之法、均不外此、 とある。 (21)原文には、 照竪行讃、但耕音之次第、勿執韻之同異及草之平伏、譲熟後、連詩仝韻、則 於一切字音之開合韓襲、必能自得之奏、 とある。なお、この部分の自注には、 式中曹清孝字、濁著可以類推、 とあり、濁聾の場合も本文中の摘草の圏のごときものを想定すればよいと述べる。 (22)原文には、 謹書先須識字、切青畳訣宜求、姑出四昔要妙、是烏活水源頭、 とある。

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-21-芙干李畔≪切駒考≫的反切理解

花登正宏

(日本泉北大学丈学部,日本仙台980-8576)

中国音駒学研究会第十一届学木村砲会

汲唐音駒学第六属国除学東研村会

砲文集

Proceedings of

the 1 lth Symposi1- 0f Chinese PhonologicalSociety & the 6th

hternationalSympositm on Chinese Phonology

中国音商学研究合

徐州押絶え学尊号研先帝

Wted by

chese PhonologicalSociety

Language R捗eardh btitute of XuQou Nomal thiversity

香港丈化教育出版私有取谷司

(25)

夫子李畔≪切駒考≫的反切理解

花登正宏

(日本東北大学丈学部,日本仙台980-8576) 降千明清以后,特別是有清一代,根多駒弔和親学弔得到丁銘茶。我爪比安達些弔銀明清以 前的有美音勧学的制勺吋候,可以描出以下丙十特点・.第-是有不少是根据某一十方言両端幕 的,第二是砲及反切的原理或者悦明如何用反切取出壊音的方法激増起来。由干第・一点趨辻本 文所要考察的苑臥現在菅且不淡。現在探村第二十特点。中国旧吋壊弔人的学同基地是小学, 而小学的最重要而且最基本的目的在干了解文字的壊音①。因此盈然由干耕朴理由用反切取出 演音感到丁困姫,但是也不能忽視反切的存在。明清以后,稔及反切的鞄弔或者勧学弔出現了増 加的傭向,先非是遺産了越乗越多的人憩要理解反切的原理和用反切取出演音的要求。亀者以 前曽描出軌明清以后稔及反切的駒弔和親学弔的増多,是由子随着吋代的変化音鞠本身也在変 仏而且其音親交化的情況有着一定的地方性色彩,困此,用《切駒》以来侍銃的反切取出共棲音 己威力戟力困雅的事情。◎ 美干用反切取出演者的方法,我飢可以推測在反切成立以后的一定的吋同,是通辻念起反切 来宜接取出其反切所表示的濠音。到了唐代,等親学成立以后,比如五首、清池、等、呼或者等駒 国等所謂等親学的知堺牙始軒佐虚用干用反切取出湊音。⑳但是天聴在口共上念起反切来宜接ヽ 取出其壊音速是虚用等勧学的知現来用反切取出湊音,当吋的壊弔人是忠樺用反切取出湊音的, 聾者臥力仇文献上述根堆了解其取出湊音的英除情況。近年来,電着注意到清代所刊行的駒弔 或者勧学弔中増加丁稚多如何用反切来取出硬膏的記載,磐斌着想要用迭些資料来陶明当吋用 反切取出湊音的英除博配。在整理分析電着所竣集的有美材料的同吋,己友表了部分的研究成 果。①在此基拙上本文准各地鎮採村李輝く切駒考》里所記載的用反切取出演音的実際情況。 村聴く切鞠考》的内容之前,先帝要悦明其撰考李畔和〈切駒考》其串的内容。 美子李邸的生平事迩留下乗的記載微少。⑤《切倒考》封面記載者"江都李衝山著'',又巻首自 序末尾等着"「陵李邸" ,仇此二点可以知道他是江赤江都人,其字是衝山。又此弔后両者他剛1 人沈瀧等的《現校刊切勃考后》,仇此内容可以知遇他当辻沈潜的家塾的傍姉。但沈澱十人的事 速也元仇了解,因此除7上面所述約九点以外,我m逐不能知遇李邸的全部事速。 美子く切葡考》的出版年代,弥殿起所鏡乗的く敗弔偶妃》悦・. 先刻弔年月、鈎薙正岡清刊J 弥氏没有表明推測《切鈎考》是的在来正年同刊行的理由。'《切駒考≫速都市,薙正11年臓州府 志》巻35(撰述) 、乾隆6年《江都鼻翻巻30く盤籍) 、嘉庚15制重修扱州鹿部巻62(乞文恵)及 嘉庚16年《江都鼻鎮志≫巻8く灸簿)都没有著乗,到了同治13年所刊行的傾宰扱州府志》巻22 (乞文恵上)オ著景"切鈎考李邸撰''.其后光緒10年《江都農鎮志》巻20上く乞文考)也著乗法部 軌仇此来着,弥氏推測《切鈎考≫的出版年代的在干薙正年伺不是没有疑阿臥但是現在没有其 官材料能移用来碗定法都市出版的年代。

(26)

ー23-下面悦明《切釣考》仝・満的内容o 〈切駒考〉四巻一冊,第1巻是く集悦),◎其内容就是引用前 人有美的文章来晩明(帆/ll) 、(人声) 、く人声有尤) 、(四声通辞) 、(五声) 、(方音・)、く反切之始)、(蘇 北朝反培) 、く反切之名) 、(姪堅持法) 、(古皆音和) 、(演者)利く主音)等有美音勧学的本番。法皇 所被引用的有隊第、方以智和頗炎武等人的有美文章,其中原炎武的文章的引用比較多,比如く反 ● 切之始) 、く南北朝反涛) 、く反切之名)和く演者)等都給費嘩氏く音稔)的文章。第2巻長く国表) ,用. 国表的形式主要表明李邸編等速部弔的吋候所根裾的清音系統的声母的性庚。速星有く配位 圃) 、く三迭圃) 、ぐと音固)和く四声駒表)等国表。第3巻長く駒漕),就是李邸以-和親表的形式表 示他所根鋸的音系的駒母系銃。第4巻是く切法).就是李郵税明用反切取出横音的方法的部分, 迭一部分,可以悦是《切駒考さ的中心部分,也就是本文的主要探吋的対象.現在逝一歩介招咳巻 的内容。 如上所述,〈切駒考》巻4是寺rl悦明 切法"的,"切法ー俳的英陳就是反切的原理。在此筒要 介紹其主要内容。 李部分別格反切上宇和下字称力出切和行凱① 根据巻4(出切)所述,出切有七音,又毎音有三速。七音就是将声母根据其笈音部位而分英 的喉音、青首、重盾音、鍾唇音、歯音、原音和徐音。⑳三途就是将声母根据其友音方法両分英的初 友声、送号声和忍収声。⑳根据巻2(三迭固),迭十三迭有明三迭和田三遭。仇(三迭国)和注8所 引的く七音圃)的三十六字母的排列情況.電着大体可以内納開田就是平声的開田,初友声是来自 中古全清音的不送気清音,送笥声是来日中古次清音和服次清音合流的中古全独音的送気清音, 忍牧声是合沈力零声母的中古疑、影和愉母、来日中古心、邪、中和禅母等歯共普及正歯音的摩擦 音和来日中古次扱者的鼻音声母和流音等。 (出切)里臥カ: .非嘩同音同迭字、元線得本音本迭字・、故欲知宗字音、必以都字出切、京公約qD開平舌 普及速.都則姑駒開平舌音笈迭、得都之位次、自可照位以求京字之音、此出切之大旨、 仇此可知李仰臥力出切威儀搬被切字七音、三迭和声渦三者共向。く出切)接着又悦… 茶力穿鼻合口音、恨使在井口弄歯擬膚駒中取開平舌音泉迭字以出切、其求京音非不可 待、俄反切叫物折不櫛、以母子昇英故也、 仇此可知他臥力出切最好是政被切字四呼也一致。q♪ 至干行駒,巻4く行駒)脱; 如茶事在合。公約閉平内、欲得奈字音、必先知力公駒閉平気故既以都字出切、夏於公 約例平準-翁字、便取駒者行乎公約開平之中、而求都字音音友迭之位、凌至其位、本音得臭、′ヽ 仇此可以知道李邸玖力反切下字塩蔵炊飯被切字不但是同駒而且是包括平声的明附同声調的 ′ヽ 汲字中速揮 如・・翁・軍都樺的零声母字。至干作力反切下字虚湧逸拝琴声母字的理由,く行駒) 地境悦; in 世之知駒者悉以影喰二母力闘阿二声之元必以元音行駒始能捉其綱領而呼庇道真 在迭里.李邸臥カ:影母宇和喰母字当吋分別成力闘声和田声的零声母字(元音) ,用達些琴声母 字倣反切下字.被切字オ能得出切近真実的及音。 四 巻4接着(出切)和(行駒)両市后,有(据駒渚反切)。李邸在此悦明如何利用自己所徹的駒漕 来求出反切所表示的字音。約倍属干《切駒考》的第3巻,患要理解李郷的反切理解吋,此約倍是 非常重要的,因此在此苛梢微輝細的介紹其内容。 約倍是-和前表,共有44十国表o毎十表右上角表示駒首,牝駒首大約相当於駒母o全部 駒首表示如下:

(27)

公 恭 居 姑 規 基 貸 皆 葬 儀 巾 均 庚 就 京 胴 金 替 歌 尤 帝 迦・瓜 嘉 家 江妻)岡 光 研 交 高 嶋 鈎 里 渦 邑 根 兼 干 官 美 唄 甘 塩 本弔巻3又有く湊駒必耕),是悦明達些44十駒首的性康的。据此悦明,"公"是"合口"/恭"是 "撮膚"/基"是"弄歯","常"是"井口Y'。仇此可以知道く切駒考》的音系里己有田呼的区別。 下市介錯親藩的体裁。 駒漕横向排列明(辛)附(辛)上去人5十声凋,⑫臥向排列喉音、舌音、重唇音、幾層音、歯音、 丹青和僚音等七音.七音内毎一昔都市分力初友声、送宅声和忍収声等三迭。カ丁下面叙述的必 要,現在以公親和姑助力例表示如下;⑬ 【公約】 公  喉   t舌 嗣 公杢翁 東 通○ 阿○碩○○同塵 上帝孔葡 重病○ 去恵投驚掠痛〇 人 数倍屋 等 禿蒋 都三玲○ ○ 徒奴 暗 土等 炉 免 唇  歯   蒋   僚 0 00 供 ○○ 0 0●○虹先○

==三重謙一- ;-i-I_

〇 〇〇 斜 禄○ 据く据執漕反切)新鋭,カ丁仇反切求出其所表示的字音,熟旗駒漕是非常重要的。而且旗駒漕吋 虚咳仇喉音初盆声迭(友迭)一号堂濠到僚音忽牧声(収迭)。⑲比如凌公駒開平吋,虚咳仇"公空 翁"丁年湊到"洪○○?。 44十親常的毎十声調熱演、熟珠了,オ能移仇反切求出其反切所表示的 字音。美子利用親藩求出反切所表示的字音的方法,李畔挙出6十具体的例子釆悦明。 現在挙出其中的丙三十例子。 (据駒漕反切)悦; 如都翁切末字、先帝部長姑釣開平舌音友迭、此都之位次、而末位次祝此声官命字 在公駒開平照依都位次壊至舌音友迭字、即所求親子、 "都翁切末"迭十反切,上字没有駒尾,下字是等声母字,可以玖力是比戟容易能得出其字音的反 切。求出其字音的方法是;先魂玖反切上字在駒借上約位次。位次就是鈎首、声凋.、七音和三迭 等表示文字性庚的在駒漕上的地位。仇反切的原理来悦,上字扱被切字(駒子)至少七音和三迭 共同。原文"奈蛭次視此"就是京字的位次由上字的位次来決定的意思。一都"的位次是舌音初友 声迭・困此故切字頂"甲餅也鼻音音初友声o碗玖了被切字声母的位次・下面碗机下字"令"是 属干什久鶴首的。迭十吋候,熟横約倍的訓珠是非常有用的。熟殊駒常的人根容易碗臥"令"辛 是属干公鞠開平的。水色,我爪可以知通達十反切所表示的字音是公駒開平的舌音初友声迭字。 其友音如何,熟殊了駒潜的人肯定能容易友出音来。下面挙出求出字音比戟唯的三十例子: 如姑垂切貴字、先帝姑是駒首字、即開平聴音友迭、此姑之位次、而発位次視此、 再常套是規約上声之元音、照依姑位次則規駒上声喉音友迭字、即所求親子l 如凍茂切瀬字、先帝珠是高駒岡平舌音収迭、此採之位次序帝位次祝此、市中 -25-卑 書 五 汗 枯 ○ 昔 碑 姑 ○ 古 厩 明 田 上 去 怒 艶 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 ○ ○ 蒙 壕 夢 木 屑 希 蓬 準 満 仲 ○ ○ 藩 ○ 卜 蘇 ○ 敵 送 速 息 払 雌 認 族 額 ○ 組 梯 態 〇 〇 〇 〇 〇 租 ○ 祖 作 0 0 0 0 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 模 姥 事 繍 蒲 普 歩 適 ○ 渚 布 /L博や野梓

〇 〇 〇 〇 〇.戸魯路 呼 胡 虎 折 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 赤 ○ ○ 訴

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茂在鈎駒去声、照依狭位次摩至舌昔牧迭、即所求静子t一 如殊欲切軌も先帝殊是居勧附平滑音収迭Jtt殊之位次帝執位次祝此市中 欲在恭駒人乳照依殊位次選至滑音牧迭tBP所求親子、 ・ '迭三十例子比第1や例子求出字音攻確,但国力先用駒漕碗玖上字的位次,然后在下字所鹿 駒首的駒表里按席上字的位次来求出字音的方法是-樺的,不再作樺細的鋭明。我IIl虚儀注意, 在送呈斯学的例子都是反切上字放下字共同其四呼。⑬ 玉 .在前「章按照(据駒渚反切)所述,晩明按駒潜得出反切所表示的音占但是李非礼力用反切 求出其所表示的音最好是在口共上念起来待出其音.1他在巻4(盈墜韓法)里悦: 反切口カム目次之、口之用捷力上、退壊次之..45 耶色,在口共上念起来窓枠得出反切的青堀?他接着悦: ・毎週一切、欲眉口得音、倒莫妙於灸里韓法、耳特待之音、究未磐不扱魂也. 如前一章所述,李邸在(据鞄漕反切)里所挙的反切的例子都是反切上字殿下字共同其四呼的。 李郷先学出迭樺反切的例子的理由先非是迭樺的反切容易取出其所表示的湊音,他臥力初学用 反切取出濠音.約人虚像仇此牙始。但是我LIl通常看到的到現在侍下乗的反切井不郡長迭祥比故 容易取出濠音的。如果磁到上字取下字四呼不同的卑切的吋候,窓枠オ能用達十反切符出演音 舵?据李邸併述,返杯的吋候虚核用``藍墜特法"来取出湊音。⑳姪里特法就是如来豊里迭梓的弄 歯呼字用来由弄歯呼以外的反切下字拘成的反切的上字的吋候,特上字的四呼特威力銀下字同 呼而取出其壊音的方法。⑩後塵両十字是在《切熟考≫巻2(七青田)井共作力喉昔風母的例子挙出 来的,而且也是在≪静鹿》く三十六字母)升共作力収納助組字挙出束的,因此李畔蒋反切上字的四 呼賛成労銀下字-樺,然后仇某一十反切取出共棲音的方法起名カ"藍墜韓法"。盈然名称是"塗 墜特法" ,迭十方法当然包括不管反切上字的嘩来約四呼忠A樺,按周下字的四呼特威力眼下字 共同的四呼,然后取出其反切的壊音。 下面悦明将一十反切上字的四呼按頗下字的四呼韓威喝方法。据李邸的看法,患要略某一 十反切上字的四呼按照下字的四呼韓成力男外的一十四呼的吋候,威儀板据《切駒考》巻4(帯 拷)所記載的対干毎十字骨折決定的爾十字特成。比知恵要略某一十兄母上字特成弄歯呼、牙口 呼、合口呼和撮口呼的吋候,分別韓成`儀墜''、"庚f"、"混官''和``均渦汁。下面文章里我Jr]管迭 些丙十字叫倣"特字"。く靖法)里分別表示毎十李母的特字,下面表示其部分内容.⑬下面悦明達 十表的体裁。韓宇部是平声字,在同一十四呼里一組特字的前一十宇和后一十字在《切静考≫約・ '%系里分別好像是同約⑳。基本土塊,`l藍墜"列是初友声,"軽率"列是由声送民声,"勤虚"列是 阿声送気声, `・英痕"列是開声忍収声, ``寅延''列是附声忍政声,但徐音的情況又有蹴其他者不一 樺的部分。 【弄歯】 喉音・箆里 舌音.丁顛● 唇音  実鞭 幾音 ・分番 歯音  構隻 ′『専盲 妻弛

像音  共軒 【井口】 喉音  庚干 延 年 錦 構 挺 禅 然 寅 宇 民 文 像 辰 人

.

度 田 便 煩 前 鐘 兜 勤 亭 平 扮 秦 澄 形

安 恩 安 忠 刊 坑 刊 坑

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【合口】 喉音 最官 坤寛 坤寛・温刺 温完 【撮口】 喉音'均渦 横国 群枚 塩湖 云貞 夫干上表在此作-些朴充悦恥喉音井口呼阿声送気声"坑刊" 、附声忍収声"息安" 、合口呼 阿声送曳声"坤寛"、附声忽牧声"温"宇和撮口呼嗣声送気声 祐"・等字,原来不慮咳排列在送呈 的。●由干墳好全部韓字完成表示韓字的く韓法),李邸暫吋用法些字,但在迭些字下面掠示了各朴 符阜以便干腺其他字相区別。 下面遭一歩悦明用達神色里韓法取出凌音的具体方法。 大 挙邸在紺解剖巻4く濠法)里表示用姪些特法仇反切取出湊膏血方法。く車齢分別平声 字反切)和く灰声字反切)的丙十部分,毎十部分再分力七音,七音内畢十閉附三迭挙出一十反切, 表示用後室韓法仇反切取出湊音的方法。例如く平声字反切)的喉音部分挙出初友声、開声送気 声、附声選句声、明声忽収声和由声忍収声的五十例子。被切字"岡''是牙口呼字,T洗"是弄歯呼 ・字,一渠"畢撮口呼字,博"是合口呼字,`:ヂ是撮口呼字是不用悦明的o 岡 高康切 高康●高庚干岡. 準・丘妖切 丘妖 丘奄率洗 渠 涼千切 涼手 塚群枚渠 翁 荘重切 荘重 江温剤翁 干▲容乗切 容乗 客云員干 く灰声字反勿)塀音部分的情況如下… 発 姑委切 姑委 姑混官費 侃 康竿切.康幸 康坑刊侃 伯 赤有切 赤宥 赤勤虚旧 湘 於尭切 於充.於塩湖湘 以 羊里tA.半里 羊寅延以 く壊法)井共有如下悦明; 以出切行約二字力句押特字力句、二字句-頓l四字句自出、 美子申姪墜韓法仇反切取出演音的具体方法・除丁迭凡句簡単的悦明以外・ (湊法)里再没有任何 其官的悦明。 電着臥力迭JL旬簡単的文章里所表明的意思是:如来想要仇"高康切"迭十反切取出演音,先 在口共上念・高齢二字句,然后停-下,就"高庚干W'四字句根自然地'沖口而出。虚濠注意的 是;"高庚干即迭四字句里中陶的``庚干"丙十字就是在前章里併介錯的兄母牙口初盆声的特字, 而且在く湊法)里所表示的全部所滑``四字句".中岡的丙十字也都是在前一章里所鋭明的帝字。那 久.,有人如果憩要在口共上念完"南東"二字句后, "高庚干即四字句就沖口而出;他威儀事先熟 9 -頂南画融章里所速的駒漕, -看畢者」念反切"高康"的吋候,琴知造反切上字偶欄声母是 喉音明声初友声,根鋸南漕下字"康"是閉平声井口"同郡字,困此迭十反切的韓字是聴音初友声 牙口即庚干"。迭祥一来,"高庚干即四字句オ会仇他口里沖口而出,他可以将仇特字"庚干"抽 出来的音声形象【k)和一岡W'的音声形象〔ang開平〕結合起来取出〔kang開平〕迭樺"高康切"的 壊音。 速称方法銀元版≪玉東≫巻首所刊我的(切字要法)非常相似。 (切字要法)里挙tti咽畑" 、"人 然" 、"新鮮"、仏像挺''、``迎肝'、``琴達" 、``晴千" 、"実辺" 、``姪埜''、"神禅"和"秦前"等字后硯…

(30)

ー27-右七十字酒切字之要訣也、① 在速里表示的二字一組脱色切駒考》弄歯呼的帝字非常英似,也叔〈働鏡〉的旧納助組字也非常相 似。く切字要法)接着悦; 上字鳴声下二字即以喉声虚之。 法皇有注視; 如歌字居何切、居灸埜歌、 仇此容易看得出在(切字要法)里併挙出的二字⊥狙剛切釣朝的特字共用姓完全-樺,而且用 達丙十字仇反切取出壊音的方法也是一致的。電着臥カく切駒考》凍者李邸徹有可能地利玉笛〉 ∫ く切字要法)的方法両側造出用特字仇反切申出旗音的方法。但く切葡考〉扱く切字要法)也有不同 的地方,其不同的地方在干; ( 1 )く切駒考〉里声母毎十四呼都有其韓字。 (2)く切駒考〉撰者要畢熟残額漕和全部鞍字。 七 如上所述,我イn基本上悦明く切駒考》的用反切取出其所表示的壌音的方法。在法皇最后介 紹巻4く答剛的内容。 ●在(答申)里李邸対干要取出演者吋渉及反切的一些同乳用同等形式来 加以単軌迭里介錯く答同)中的例子。 第一十例子: 或同於余EI・、吾子長編、如渠字涼干乳旗日涼群枚渠、磯臭、但字弔渠字不日涼も而作求 於瀕求於切旗之♂凡俣力求群枚牢も余E)中音不明,力行助字音節漠亦或不免1#照 出切駒母及輯法之明阿、以定親子之明臥自不致力其所俣居所取約五由出切字音而 定、非由行駒字音而定也.出切求字是田平t引出特法群枚二字亦開平.既有三田平求群 枚字在前\邑有堆以開平区字之理、 迭十例子表明破到反切上字(出切)的開附銀下字(行駒)的不一致的反切的吋候,被切字(親子) 的開田虚咳遵仇上字的開田取出共棲音。 第二十例子: 或又日、(中略)又如南朝京字徳虹切、以沃声出切ヽ井元開閉可鋸、必得行翰字用開 平,然后可以引出開平気先如出切用沃声、而行駒又偏用阿乳剤開平之子Jg所据而得 乾余日t北枕易耕、孟京力開平.其附則有晋元気切至開田疑似之叫但以有字者力的、則 不以力茶字、以力何字も' 第二十例子則回答反切上字是没有明附区別的灰声的吋候,忠樺決定被切字是開平述是開平的 ・何題。対干迭十同塵李畔的回答比校簡単,就是要求憩要用反切取出壊音的人査閲《切駒考》巻 3く駒漕)。比如'.徳虹切" ,上字"徳"字長尻声,根据《切駒考》的音系灰声没有駒岡的区別,困此憩 要決定被切字是開平字述是開平字,没有什久可幕的根裾。速樺的吋候,李邸要求査閲く約倍)0 上字"徳叩字是舌音初友声字,下字"虹"是"公"駒田平字,査閲(鈎渚)"公"鈎部分,舌音初友声只 有明平声"京"字而没有阿平声字。因此可以知遇反切"徳虹切"併表示的音就是"京"迭樺的音o

i ′慧芸芸霊芝諾笠霊芝芸冨慧芸芸霊/i%i芸芸雷雲慧悪霊昌霊芝悪霊誓因

第三十例子; 或又日、嗣阿美定、但以有字力的、又岡命象然如以中切容字・七徐切唯も其出切用 灰声、而行駒一用田平以求開平之気-用開平以求田平之気病固与徳虹雌切京字戦 但東之附平元気而容之開平則薬理之田平則属、今日以中切音容、安知非以中切青森 也声徐切脊椎、安 徐切青鬼也声辞此疑声El畔盲人不碗之切甚不塊根原皆因不

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以明岡上去人五声力漕、収以平上去人四声力漕、(中略)求古人之切者、亦惟求渚古人之 漕而己、(中略)且字親判日切音和而碗者、十居七^、同有不功罪字有魚見不生見之鉄 姪鬼気何重力切所惑声藍見者、自有刺本反切可証J中略)失明阿美定、又不後見之宅 不達一二、而此本可疑・き陣足屯刺青切不磯節天候深稔也、 第三十例子則回答反切上字是没有明阿区別的灰声而且反切所有可能表示的字音在く親藩)上開 平附平都存在的吋候,忠枠決定其正功的凄音的同塵。如上所引用,李郵述不能正功地回答迭十 向題。他看法科反切是"不功之即,是不能利用く切勧考)的く親藩)求出井壊音的。根据他的看 汰,法科"古人"即不碗乏切"只能根据"古人"所造成的駒漕オ能取出其湊音。他述地境悦,迭耕 一古人"的不正功的反切只有首分之二十或三十,而且法科反切如果是在串本上常用的字的反軌 大家都知道都十字的字音,不用考慮那十反切所表示的曹長忠樺。如果是在串本上不盤常用的 字的反切,-査国男外-本字弔或者鈎弔,就可以伐到"正碗"卵反切取出那十反切的壊音。但法 科反切本多,対此不用速度採吋。 以上文章里等者介錯李輝く切駒考亨的部分内容,陶明他用反切取出硬膏的具体方法,可以概 括地悦他的方法是非常具体而且是非常葉除的。但到達第三十例子,他不能具体地而且正碗地 悦明仇"以申即町七徐即速些反切取出湊音的方法。如上所述,他準用自己的方言取出反切 所表示的音,但他的清音里只有平声分明附,所以不能区別灰声的駒附。困此取出故切字硬膏需 要判断灰声的反切上字長明声述長田声的吋候◎ ,除了悦依幕"別本反切"取出凄音以.外,李郵没 有更多的盾可以悦明,遠点可以悦是他的界隈。 綜上所述,李郵(切駒考〉用反切取出演音的方法的特点如下; ' ( 1 )李邸《切親考》是力了悦明根据⊥十方盲用反切取出其方言中的湊音而鏑碁的。 (2)李輝玖力求出反切所表示的音最好是在口共上念起来待出其音。 (3)要憩在tj共上念起反切,来求出迭十反切所表示的音,述需要熟妹掌握根据一十方言作 成的く七青田) 、く駒漕)等。 町注 ①く末塾集)巻4-与勉子和六首之内(-) "悦…"小学本分供字.然自陣其字,而不能壊其音,可乎r ②参看拙稿一反切的薬師研究序悦"((中国学志)育号J998年2月) 。 ③参看同前注。 ④参看拙稿"美干刈無我く四音定切)的反切理解"(く中国文人的思考和表現〉所収,汲古市院.2000年6月)。 ⑤正史和地方志等史簿没有力他立軌電着測姓的地方志長束正11午(琢州府志)、暴戻15年く重修換州 府志)、同治13年く鋲等場州府志)、乾隆6年く江赤鼻志)、嘉床16年(江都島鎮志)和光緒10年(江都島鎮志)等。 ⑥括在く)里的是措く切駒考)的章市名或小章市名。 ⑦ (切駒考〉巻4く出切)臥一切法以爾字切一字」ニー芋粥之出切。"又同巻く行駒)鋭;"切之下一字渦之行 駒。"(切駒考〉里被切事故Pq倣親子。 ⑧速星表示的是本市巻2く七音圏)所記載的七音的正式名称。根据く七青田),七音和三十六字母的芙系 是;聴音包括牙昔風醸群疑四母取喉音的影母和喰乳看官是舌尖音端透走泥四母取娘母,重層曹長帝涛井明, 鍾唇音是牡屑音非故事微四軌歯音是歯共音帝清仇心邪各取持音包括舌上青果穿床申禅六母取正歯音知御 澄三母.徐音是喉音的晩母和匠母政来日二や。仇く七音困)的中古三十六字母的排列情況容易看出社李畔的音 系里中古全洩音取同英次清音合流糞力送号清音,舌上菅和正歯音合乱疑、影和喰三母合力一昔,泥母和娘母、 心母和邪母、申母和禅母、暁母和匝母分別合力一昔。美干く切駒考)的清音系統参考永島菜一郎く美干近世中国 乳特別是北方清音系統的音鈎史研究資料)(く富津研究)8 、9 、1936年) 。 ⑨法皇表示的是本市巻2く三迭固)所記載的三送的正式名称。三迭又筒称力友、送和牧。 ⑳く切釣考)巻3有季弊所制作的約億。肘公"長英駒潜的鈎乱大体上相当干駒母。 美干約倍的英除情況在 章里有韓幼叙述。

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