地 域 の 中 の " 貧 民 学 校 " ( 2 )
"Poor Children's Schools in the Community (2)
l 魯民学校 緒論
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小学校経費支排の問題 1. 授業料か町村費か (以上前号 ) こ 2.町村費 は授業料 の額 を除ゆ るを得ず 3.授業料 の問題 (1)(2) (以上本号 ) 4. 町村分合 と学区 の問題Ⅲ
地 域の中の貧民学校 2.町村責は授業料の額 を除ゆるを得ず r小学校教員に望む」信毎の社説 (明治19年9月28 日か ら 5回にわ た る) では、その多少にかかわ ら ず授業料 を もって小学校経費の幾分た りとも補助 す る場合 も法律違反にはな らない と論 じて きた。 はた して一部 に、 この論 に対 して 、小学校 令に惇 る''ものであ るとい う反論 が出て きた。 この反論 に対す る反論 ともい うべ きものが、 19年 10月12日 の社説 「小学校維持の方法如何 ン」 であった。 それは某県 か らの小学校費徴収法につ いての伺 いに対 して、文部省視学官の回答が、町村費 を徴こ 収す るは授業料 の額 を除ゆ るを得ず とい うことで あ り、町村費 に其 の七、八分 を要求す るとい うこ とな どは当然 できない ことで、それが小学校 令の 精神 であ るとい うのであ る。 これ に対 して社説子 は 、 撃 へ/ミ十分 ノ七八分 -授業料 ヲ以 テ之 レニ充 テ神
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Zenzaburo Kozu
其二三分 -町村協議野 ノ補助 ヲ夢 スルモ可 ナ ]) ト錐 モ之 二反 シテ授業料 -僅 カニ十分 ノ二三 ヲ 支 フル ニ過 キザ ル場合 ア ランニ其他別収 入ナ ク シテ之 ヲ支耕 スル事能-サ ル トキ ニ-十分 ノ七 八分 ヲ町村会に補充 ヲ要求 スルモ亦決 シテ不 当 ト/、セサルナ リ試 ミニ見 ヨ補助 ノ文字 二付テ-小学校 令中別 こ制限 スル事 ナキ ヲ然 ル ニ其 ノ論 者 -己 レカ想像 ヲ以テ補 スル云-ル僅 カニ英一 少部 ヲ補 スルニ止 ル トスル-吾輩 ノ解釈 シ能-サ ル所以 ナ リ1) と論 じ、さらに 「小学校令ノ効力 ト視学官 トノ関係」 を論 じ、天皇陛下 の親裁に よって公布 され た法律 であ る以上文部大臣 と錐 も小学校 令に抵触す るこ とは無効 であ って、況や視学官に於 ておや とい うこ とにな る。 しか も文部大 臣は公然の演説 で小 学校 令は大綱 を示 した ものであ ると言 明 してい る 以上 、之 を実施す るか否かは各地方官に委 任 され てい るか ら、地方官は小学校令に抵触 しない限 り は、時宜 にそ くして措置す る事がで きると し、 他 府県 二在 1)チ-授業料 卜町村協議費 トノ割合 -視学 官 ノ説 二従 フ トモ本県 二於 テ-強 テ之 二 拠 ラザ ル ヲ得 ス ト云 フニ-ア ラサル- シ故 二吾 輩 -視学官 ノ説 明 二拠 ラズ勅令 ノ小学炉 令 二拠 り実際 ヲ掛酌 シテ以テ小学校費 ノ七八分 -町村 費 ノ負担 ヲ要 ス可 シ ト/、言 ヒシナ リ2) と強 硬に反論 しいて る。そ して次の 日の社説 では、 町村費 を以 テ小学校費 ノ七八分 ヲ補 フ ヲ待 ル事 卜確信 シテ疑 -サル所以-他 ニア ラス政 府 二於 -実際行- レ難 キ規則 ヲ発 スべキ理 由 トテ-万 一 1-々之 ナ カルへ シ ト后 ス3) と、確信を述べ、 さ らに極めて具体的な例 をあげ 「町村費 ノ補助 -授業 料 ノ全額 ヨ リ超過 スル ヲ待 ザ ルモ ノ ト仮定」4)1 る とすれ ば、実際小学校 の維 持は不可能にな ると述 べてい る。それで も今度 の 小学教授法の改正に よって従来 は半 か年 を もって -学 期 と したのを更 に一年 と し、-教 員の受持 ち 生徒数を80名 と した こ とに よって多少予算 を減ず ることができるであ ろ うが、村落 の小学校 では実 際80名の生徒 を一人 の教 員が受け もつ とい うこ と は、方法的に も不可能 に近い。それ は連級授業 の 方法 に よって、多少 の費用を減ず ることが出来 る 程度で ある。然 し」 人 の生徒に、 どの位 の授業料 を負担 させてい るとい うのか。 若 シ果 シテ視学官 ノ説 ノ如 ク町村費-授業料 ノ 全額 ヲ超過 スル ヲ得 ズ トセ-少 ク トモ二十銭以 上 ヲ徴収セシ メサ ル べカラス之 ヲ以テ積算 スル ニー教場八拾名 ノ生 徒授業料高拾六 円之 レニ町 村協議費拾六 円 ヲ合 シテ三拾二 円 ヲ得 べシ然 ル トキ-求 -足 ラン実 際八拾名 ノ生徒 ヲ一人 ノ教 員力受持 ニ-如何 ナル方法 ヲ以テ スべキヤ稀 レ ニ-八拾名 ヲー教場 二組 入ルル ヲ得ル ノ地 モア ルべ ケ レ ドモ村落 二重 リテ-迎 モ之 ヲ以 テ規 シ 難 シ況 ヤー生 徒 二二 拾銭以上 ノ授業料 ヲ納 メシ メソ トスル-甚 夕難 キ所 ナル ヲヤ尤 モ中等科若 シク-高等科 ヲ修 ムル生徒 ナ ランニ-其父兄 ノ 資力 -能 ク二 拾銭 以上 ノ授業料 ヲ負担 スル ニ塔 フべシ ト控モ斯 カル生徒-村落 中 二-稀 レニア ルモ ノナ レ-村落 ノ小学校 二至 リテ-中等 ノ生 徒八拾名 ヲ待 ル-誠 二稀 ナ レ,;之 レ二一 円以上 ノ授業料 ヲ納 メシ メザ レ経費 ヲ支 フル事能 -ス・・- -・略 是迄 ノ経 験 ニ ヨレバ 大低授業料 /、三銭乃至五銭 ヲ以 テ程度 トシ タル モノノ如 ク五銭以上十銭 ヲ 徴収 シ タル-甚 夕稀 ナ リシ然ル ニ俄然之 レニ向 テ二十銭 ヲ納 メソ トス勢 ノ難 セサル ヲ得ザル所 ナ リ---と、長野県に多 い村落 の小学校 の実情 か ら授業料 10銭 を納 め させ るとい うのは至難 中の至難 のわ ざ であ り、 こ うい う苦 しい村落 の実情 は、文部大 臣 も各地方 を巡視 して、理解 してい るであろ うか ら、 小学校 令を編纂 され るにあたって実際に実施 で き ない事 を強 いて実行 させ るとい うこ とはない等 で あ ると強調 した。 そ して翌 日の最終論説では 凡 ソ法令 ヲ布 クニ-第- 時勢 ヲ顧 ミザ ルベ カラ ス複 夕習慣 ヲモ参考 セザ ル可 ラズ今小学校令 ヲ 編纂セ ラルル ニ当 リチモ亦必 ラズ時勢 卜習慣 ト ヲ参酌 シタル ニ相違 ナカル- シ今 日日本人 ノ智 識 卜生計 ノ度 ト-如何 ナル カ復 夕在来 ノ小学校 ニテ-授業料 ノ収 入-如何 ナル有様 ニテア リシ ャ-当路 ノ人-必 ラスシモ之 ヲ知 ラルルナ ラソ --・略 ・--文部省 ノ吏 員-必 スシモ町村学校 ノ実況 ヲモ知 ラソ知 リテ而 シテ カカル究屈 ノ法 ヲ定 メタルモ ノ トセ ソニ′、吾輩 -其 ノ意 ノ在 ル 所 ヲ知ル事能 -サルナ リ若 シ之 ヲ知 ラズ ト云--吾輩-其迂 ナル ヲ笑 - スソバ 7 ラザルナ1)6) と文部省役人 の 、迂な るOを (世 間 の実情 を知 ら ない)噸笑 してい る。然 し論説 子 は 視学官 ノ町村費-授業料 ノ額 ヲ超過 スル ヲ待 ズ ト云-ル-政府 ニテ-成 ル可 ク-超過 セ ンメザ ラソコ トヲ希望 スル ト云-ル精 神 ヲ述べ タル迄 ニシテ法律 ノ効力 ヲ以テ決 シテ超過 セシム可 カ ラズ ト云 フニ-ア ラザルナル可 シ ト信 ズ何 トナ レノ、実際 二行 - レ難キ法 律-政府 二於て発布 ス -キ謂 レナ ク復 夕実行 シ難キ規則 -効カ ナキモ ノナ レバ ナ リ7) と、暗に 「町村費 -授業料 ノ静 ヲ超過 スル ヲ得 ズ」 は決 して法律的効力を もつ ものでな く、いわゆ る 行政指導の よ うな ものであ ると して い る。 しか し 小学校令の第8条 では 「授業料及寄附金等 ヲ以テ 小学校 ノ経 費 ヲ排 シ能 -ザ ル場合 に於 テ-区町村 会 ノ議決 ニヨ リ区町村費 ヨ リ其不足 ヲ補 フ コ トヲ 待」 とあ り、その解釈 が小学校経費 を支辞す る主 体 は、授業料 と寄附金 であ って、町村費はその不 足 を補 うにす ぎない もの とすれば、論説子 の以上 の論 は誤 りとな る。然 し町村の現 実は、その よ う なこ とは到底 で きない ことであ り、 しいて授業料 値上げな どを強行すれば、就学 率 は益 々低下 し、 学事 の衰頚 は明 らかであ る.政府 自身 もその こと
はわか っていたであろ うが、その苦衷をのがれ る ために投業料 を とらない、経費は区町村費でまか な うとい う簡易小学 を設け長のである.はた して、 簡易小学 の設置が町村費の節減につながるのであ ろ うか。論説子は最後 にこの簡易小学 のことにふ れ 土地 ノ情況 ニ ヨリテ-小学簡易科 ヲ設 ケ尋常小 学科 二代用 スル ヲ得ル ト有 テ其経費-区町村費 ノ支所 トナシタレ/、多田 ノ授業料 ヲ納 ムル能/ -ザル地方 ニ′、簡易科 ヲ設 ケシムル ヲ得可 シ然ル トキ-斯 カル究屈 ヲ免 ルル事 ヲ得ルナ レドモ授 業料 ヲ以テ維持 スル事能-ザル地方 卜云-ノ、比 比皆然 ラザル-ナシ簡易科 ヲ設 ケラルル-斯 カ ル旨趣 ニ-ア ラザル可 シ ト信 ス-
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と、授業料 を もって維持す ることがで きない地方 は、全 国すべてがそ うであ る。授業料 を納めるこ とができる名 は尋常小学に、納 め ることができな い者は簡易小学に入るとい うよ うに、授業料のみ に視点をおいて考えれば、簡易小学 のみ設け る町 村 では授業料 を納め る事 のできるもの も、納めな くともよい とい うことにな り、又一方尋常小学の み設け る町村 では、は じめか ら授業料を納めるこ とがで きない者は学校に入ることができない とい う問題が起 って くる。両名を併設す るとで も考え るのか (後述)。それに簡易小学 の設立維持は全額 町村費負担 とい うことは、深刻な不況下において 町村の財政圧迫をす ることはないのか、 とい う疑 念は、論説子のみな らず誰 に もあったであろ う。 この点が、 また簡易小学設置奨励 とい う森文部大 臣の見通 しの失敗 といえ るのか も しれない。 「授業料か町村費か」「町村費か授業料か」 と い う、 どちらが主体か とい う問題は、信毎論説子 のい うご とく小学校令の旨趣 に よる限 り、授業料 を もってす ることが正当 とす る限 り、各県はその 対策に苦慮 しなければな らなか った。後述の第8 蓑 をみれば明 らかなことであった。そのためでき る限 り、授業料 と町村費の差を縮めなければな ら ない。はた して長野県は、先述 の よ うに (第2章 第1節、注12) 「明治十九年四月以降町村立小学 校 二於 テ-授業料 ヲ徴収 ス-キ老 トス、其雷 -坐 徒一人一 ケ月金壱銭以上 円≡拾銭以下 二就キ戸長 ニ於 テ適宜相定 メ郡役所 ヲ経 テ本県-届出7-シ」 と達 して、わずか3ケ月後小学校令が公布 された。 そ こで再度県は授業料街 を検討 しなければな らな か った。 ようや く県は11月になって県令 甲第弐拾 六号 を もって 「勅令第十四号小学校令第六条 二基 キ小学校生徒授業料規程」9)%定めたo(次節 に於て 評述)それは誠に苦心 の策 とい うべ きで、同 じ尋 常科 の授業料街を甲乙丙の三種類別に し、 さらに 学年別に授業料街の高低を定 めた。最 も低い ラン クの丙の尋常科は もちろん最 も高い ランクの甲の 尋常科に しろ、授業料のみで小学校維持 は無理な こ とで、その不足分 の大半 は町村費に妬 らざるを えなか った。そこで再 び県は翌20年 11月 と22年7 月に と授業料街を改正 しなければな らなか った。 「町村費-授業料 ヲ股 -ル ヲ得 ズ」 の問題は、依 然 として残 るのである。 さて, この 「-・・・除 ユル ヲ待 ズ」 の問題は19年 10月の段階で 「某県 ヨリ小学校費徴集法 二付テノ 伺」10)Vこ対 して・文部省視学官が町村費を徴収す る には、授業料 の額 を除ゆ ることができない とい う 回答があった ことは、信毎社説 のなかで紹介 され ていたが、 これが文部省の正式 の回答 であったか は疑わ しい。小学校令 と簡易小学 の実現 に心血を 注 いだ森有礼文相が 「学政要領」「教育経済要項」 において、教育費については、たびたびその教育 経済主義について強調 してい るが、 この問題たっ いての発言は、私のみ る限 り、20年2月の 「九州 巡 回中郡区長 ノ責任 二属 スル教育事業 二付、其演 説」のなかで、 小学校令 二於 テ高等及尋常小学校 ノ経 費-授業 、料 (若 シク-授業料及寄附金) ヲ以 テ支耕シ、 其不足 -之 ヲ町村費 ヨリ補助 スル コ トトナ レリ 而 シテ補助金 ノ績 /、授業料 ノ析 ヨ1)多 キ ヲ許サ サル コ トナ レノミ授業料 ノ筋少キ学校 二於 テ之 ヲ 保持セ ソニ-必 ス積金 ノ利子 ヲ以テ其 欽 ヲ補 フ コ トトスルノ外 ナ カル- シ11) と言 明 している。 20年2月の段階での大 臣の言 明 であるか ら正式 の もの と考 えて よいであろ う。又 森文相は、同年6月の福島県に於 る演説 のなかで も、 3-小学校経野は勅令 二明文 7ル カ如 ク授業料 ヲ以 テ支所 ス-キ郭 ナ レドモ是文弱常 中学校経費 卜 同 シク今 日ノ勢 二於 テ-徳- ズ 故 二其不足 ヲ 区町村 費 ヨリ補助 スル事 トセ リ 己 こ補助 卜云 フ以上 -経費全額 ノ半 (即 チ授業料 合計金額 卜 同額) ヲ超過 セ シムへ カラス12) と明言 してい る。小学校令第 8条 を建前 と して、 現実 の民力の疲幣を無視 した森文相 の強引な文教 政策が、 ここにみ られ る。 ところが、 20年 9月以 前 の段 階 で第-地 方部 (森構想に基づ き各府県 を5部に分けて、各部に 担 当祝学官を任命 した) を担 当す る視学官野村綱 は 来年度即チ廿一年度 ヨ リ-学校補助費即 チ町村 費/、授業料 ノ街 ヲ超過 スル事 ヲ得サ ル事 二定 メ マ レリ--何故 ニカク定 メク リト云--苛 モ子 ヲ生 メ-之 ヲ数 フル-父 タル老 ノ職 ニシテ、教 ヲ受 クル以上 -授業料 ヲ収 メシムル-義務 タル ヲ明カラニスル所以ナ リ、又町村 ノ父兄 タル老 -子弟 ヲ教育 スル為 二授業料 ニテ不足 スル ヲ生 ス ル場合 ニ-、町村費 ヲ以テ之 ヲ補 フ事 アル-既 二勅令 ニテ明 カナ リ・-・・斯 クノ如 ク校費 ヲ二分 シー部 -授業料 ヲ以テシ一部 -町村費 ヲ以テ ス レ-立派 二維持 シ得サル事 ナシ,併 シ貧困 ニシ テ其授業料 ヲ出シ得サ ルモ ノノ子弟 ヲ教育 スル 為 ニ-簡易科 ヲ設 ケ、町村費 ヲ以テ維持 スル事 モ亦肝要 ナ リ、何 トナ レ-苛 モ町村 ヲ同 クシテ 住居 スル老 -互 二相助 ク リノ義務 7 レ-ナ リ、 若全町村貧困 ニシテ補助 スル能 ′、サル場 合 二へ 地方税 ヲ以テ之 ヲ負担 スル事 モアル- シ13) 「来年度即 チ21年度 ヨ リ-学校補助費即 チ町村費 -授業料 ノ額 ヲ超過 スル事 ヲ得サル」 と明言 して い る。 この野村視学官の言 明が、雑誌 に掲載 され たのが20年 9月であ るか ら、 この言 明は恐 ら くこ れ よ り早 い月に行われたのであろ うが、文部大臣 の演説 が、 2月 と 6月に行われ てい るところか ら み ると、文部省は 「--・超過 スル事 ヲ待サル」方 針 を、19年末か ら20年にかけて、省内で意思統一 を し確認 したのであろ う。 それ で もなお、21年度 よ りと定 めたのは、信毎社説 で度 々論 じられた よ うに地方の情況 は厳 しく
、 「
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-超過す る事 を得 ず」は、到底無理 なことであ ることを文部省 はわ か っていたのであろ うOそれ程 この問題は、経済 不況、民力の疲弊 の折か ら官民に とって、特 に地 域住民に とって重要な死活問題であ った。長野県 、 において、後 に詳 しく述べ るよ うに(第 9表参照)、 明治20年 の公立 小学校歳 入費 目別割合は、町村費 (全教育補助金)63%に対 して授業料収 入は僅か に約20%、寄附金 ・帯金利子を加えて も約23%で あ ったのであ る。 この よ うに文部省即 ち森文部大臣 の学校経済合 理化政策は強引に進め られた。 その第一弾は、明 治 18年 12月の学区 の改正 であった。 これ は17fF5 月の地方制度改正に よって戸長役場 の管轄区域の 拡大が もた らされ、 これ までの学区 と行政区が分 裂 して不便 にな っていたので、各府県 は これ を統 一 しよ うと したのである。長野県 もそ の例にな ら って、 18年 12月19日 「小学区画改正」 を布達 した。 前章 第1節において触れた学資金 の積算方法等が それ であ るが、それ とともに 「小学 区画井 二校数 配置蓑」 を発表 した。 第6蓑 種 別 19新年 18旧年 比較減 学 八 . 五 区 五○
八 ′当 77 ^ 千 ■・.lll.・. -校 一八.llll.● 一七___._■ 良 五 費 四 九 Q 概 、円 質○
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町 符 学 村 合界 セニ シ 校 四 四 八 七 四 七 町 符 学 県ニ ル 校 九 九 七 四 文部省 第13年報 よ り作成それに よると第6蓑 の ように学区、学校数は大 巾 な削減が行われ、小学校経費 も19万円程の削減が 行われた。行政区 と学区の一致 しない ところも三 ヶ所にす ぎなか った。その実態を19年12月県議 会 に於 て、尋常師範学校長であ り県学務課長の浅 岡-は、次 の よ うに答排 している。 是迄 小学校 二要 シタル要領-明治十七年 二五十 二万 円仝十八年 二四拾五万 円仝十九年 二三十五 万 円ナ リシカ今回-改革 ニヨリ教師 ノ邑モ大 二 減少 シ随 ツテ其経費 ノ如キモ三十万 円位 二至ル - シ即チ学科 ヲ以テ学校数 ヲ区別 ス レバ簡易科 二百 四十尋常科二百七十高等科四十二 ニシテ之 レニ要 スル経費-高等科 ノー校平均二千 円 トシ 八万 円尋常簡易 ノ両科合セテ二十二万円ナ リ1。) この答折の数字 と第6蓑 の数字は大体一致す る。 然 し等科別学校数は、 19年11月に市画定 された学 校数に近い ものであ り、高等科47、尋常科442、 簡易小学284と大部 ちが っている。特に簡易小学 の284校は、公式の数字 と して も、19年度文部省 - の報告の数字にも出てこない数字であ り、恐 ら く県 当局の机上 のプラソと して出された数字 とみ るよ り外はない。いずれに して も経理的数字にお いてはいかに削減 されたかを知 る事 ので きる答辞 であった。続 いて浅岡は教 員の減 員、経費の減筋 について 教育 ノ主義 -従前 卜同一 カ ト云 フニ大 二其方 向 ヲ異 ニセ リ教師 ノ数 ノ滅ゼザル ヲ得サル ト教育 主義 ノ変更 トニ因 りテ常置訓尋 -益 々其必要 ヲ 告 クル ノ理 由-従前 ノ小学教師-一人 ニテ一組 ノ生徒 ヲ受持 チタ リシガ今回-一人 ニテ二組三 組 ヲ合セテ受持 タザル ヲ待 ス即合級教授 ヲ施サ ザル- カラス加之此際教育主義 ノ変更 二因 りテ 教授 ノ方法 モ改 メサル ヲ待サ レ-教師 タル任-一層重 ヲ加--・:・此 ノ重任 二堪 ユ-キノ教師ノ、 管 内 ヲ通 シテ極 メテ少 クー時従前 ノ教師 ヲシテ 此 ノ重任 ヲ負-シムル コ トナ レドモ其職 ヲ尽サ ンムルニ当テ/、殆 ン ト狼狽セザルモ ノ-ア ラザ ル- シ高等科 ノ教授 二至 リテ-常置訓導ノ必要 少 ナケ レドモ簡易尋常 ノ両科 二至 リテ′、之 力監 督 ヲ欠 ノ トキ教師-暗中燈火 ヲ失 ヒタル如 ク其 為 ス所 二迷 フ老比 々 トシテ之アル-シ15) と、簡易尋常両科に22万 円の経費 は、管 内の学校 を巡 回 し、其 の授業 の方法を監督す る常置訓導を お くことか ら、決 して無駄なことでな く、小学教 師 の狼狽 を少な くす る意味か ら、その効益は顕著 であ ると苦 しい答排を してい る。それ程 、当時の 長野県におけ る教 員 (校長 ・訓導 ・授業生) の質 が問題であった。 当時、長野県では実力のない給料 の安い授業生 を多 く雇 入れて学校費の節約を図 るか、逆 に実力 のあ る教 員 (訓導)を雇 入れて、多数の生徒を受 け持 たせて効果をあげ る (前節 注30参照) とい う傾 向があった。そのため明治19年段階におけ る 長野県におけ る授業生の数は3,946人で、全 国 トッ プであった ことは前節において述べた通 りである。 その後の実態をみ ると第7蓑 の よ うな状態 であっ た。 明治20年 で、校長 ・教 員数725人に対 して授 業生2,505人で、前年に比べて教 員は若 干増加 し、 授業生は大 山に減 じたが、それで も毎校平均は校 長 ・教 員0.9%に対 して授業生は3.3%であ り、 23年 には校長 ・教 員813人に対 して授業 生2,814 人で、毎校平均1.1%に対 して4,4%であった。 正規 の教 員資格のない (授業生免許資格試 験はあ った)高等科卒業程度の授業生が圧倒的に多 く、 一校 で正規教 員が一人いれば、他 の四人 は授業生 とい う割合であった。なかには、年齢 ・学歴な ど 問題 とせず、授業生が一校 の教育すべてを担 当 し なければな らない場合 もあった。両 もその授業生 の給料は全体 の教 員給料額 を若干上廻 る程 度で、 その平均 月番は3円40銭か ら3円50銭で あった。 これ に対 して教育給料 は平均月街は10円50銭か ら 11円52銭位であった。浅 岡が師範学校長す なわ ち 教育養成の立場か ら、そ して県学務課長 とい う行 政の立場か らも、一人の常置訓導を置 く置かない かが 「簡易 ・尋常 ノ両科 二重 リテ′、之 力監督 ヲ欠 ク トキ教師-暗中燈火 ヲ失 ヒタル如 ク其為 ス所 二 迷 7着比 々 トシテ之アル-シ」 と嘆いた苦衷は察 す るにあま りあるものがあった。 このよ うな、町村財政の疲弊に ともな う学校経こ 済 の徹底 した合理化は 「町町費 -授業料 ノ揖 ヲ除 -ル- カラス」を解決 しただろ うか。第8蓑は、 全 国公立小学校の収 入割合であ り、第9表 は,長 - 5
-第 7 表
年
次
別
教
員
別
校長.
敬(
男
女)
教員
全 教 員 数 ( 授 業 生 を 含 む )毎校平均 授業生の数 毎校平均 教員給料の割合(校長除 く )支 出 合 計 中 に 占 め る授業生給料割合 1887(M 20) 725 oー97
0
2.505 3.3%
24.36 70 38.57 男 「長野県教育史」節11巻史料編5よ り作成 第8表 全国公立小学校の収入割合 年 次 総 計 繰 越 金前年 より 区町村費 地力貌 税金①利子 有志寄付金 雑 納 金(診 a 授 業 料@ ①1合 計② +(3汁(杏 1884年 (M 17) 100.00% 6.8770 65.45% 4.04% 10.47%
4.92%
2.9870 5.25%
23.62% 1887年 (M 20) 100.00 / 54.79 1.2 積金そ23.の他
6
2%
収入 20.30 43.92 1888年 (M 21) 100.00 / 49.16 0.6 39.10 23.57 50.19 1889年 (M 22) 100ー00 / 50.38 0.5 23.27 25.83 49.10 ・1890年 (M 23) 100.00 / 53.14 0.3 21.47 24.99 46.46 1891年 (M 24) 100_00 / 55.75 0.1 18.36 25.70 44.06 第9表 長野県公立小学校費収入費 目別割合費
目別 年度
別 前年 より繰 越 金 協議集金 町町教 育費 一部併合村村 町 村 費 町村教育関 補 助 費 町 村 税係 費 利積 子 寄件金 地方税金 雑 入金 授業料 明治(18815年2) 4.1870 82.3670r
o
Yo ro 70 4.6070 3.4270 ro 1.467. 3.05% 明治(1883)16年 4,62 81.70 4.90 4.49 1.35 2.89 明(1治 1887年4) 5.51 68.97 4.36 3.18 0.90 15.58 2.40 明(1治 1885)8年 6.15 85.45 3.82 1.27 1.05 2.26 明治(1886)19年 9.28 80.99 1.46 0.81 0.87 0.81 5.86 明治(18287)0年 ll.78 16.14 1.13 47.49 0.41 2.68 0.62 19.76 明治(1821年88) 9.56 8.14 0.20 44.99 0.34 2.27 1.46 33.05 明治(18282年9) 9.86 49.45 0.47 1.79 0.81 37.62 明(治 21893年0) 7.05 54.91 0.41 2.54 0.73 34.36 明治(182914年) 5.56 57.01 0.39 1.96 0.85 34.23 明(1治 2895年2) 0.81 59.86 0ー37 3.59 2.15 34.03 明(1治 26年893) 0.12 59.98 0.48 1.51 2.06 35.95 明(1治 27年894) 0.62 59.39 0.35 4.05 1.27 34.91 「長野県教育史」別巻1史料編5よ り作成野県 の公立 小学校歳 入費 目別割合 であ る。いまそ の比較検討 してみ よ う。全 国をみ るな らは、明治 17年 には授業料 (525%) に対 して町村費 (65. 45%)が圧 倒的に多か ったが、 20(1887)年以降 は、町村費 の割合は減少 し、 よ うや く森文相 の言 明 した よ うに 「己 二補助 卜云 フ以上 -経費全額 ノ 辛 (即 チ授業料合計金寵 卜同寵) ヲ超過 セシム-カラス」 の状態に達 した。 これ も町村費 の土地割 を地租 ノ七分 の一 に制限す る布告 が18年 8月出 さ れ、 19年 4月か ら実施 され始めた効果 であろ うか。 ところが、第 9蓑 によれは 20年の長野県の場合は,撹 業料が僅かに 19.76%、積金利子等を含めて も22.84 第 10表 公立小学校学資等差表 %で、町村費 (教育補助金)は63.62%もしめていた0 23年になって も、第 1次経済恐慌期に突 入 したため か、全国で授業料収 入の割合は、 24.99%積金利 子等 含めて 46.46% と経費全額 の半 ば以上 にはな らなか った。長野県 においては、全 国 よ りも成 績 は悪 く、町村費 54.91%に対 して、授業料 に積金 利子等を含めて も 38.36%であった。文部省に と っては、 「町村費-授業料 ノ寵 ヲ股 -ル-カラス」 が実現 してい るかが重要 な問題であった。 そのた め20年か ら 「公立小学校学資算差
奉
」16声 、文部省 年報 にわ ざわ ざ発表 してい る。第 10表 がそれ であ る。 尋 常.
高 等.
小 学 校 種 別 明 治 24年 明 治 23年 明 治 22年 明 治 21年 明 治 20年 289 288 297 217 136 + 琴 ∵ ∴上 ミ蓮 享 (1.97%) (2_08%) (2_18%) (l.62%) (1.0%) 1.652 1.900 2,193 2,464 1,669/
R
v
賛詣
(ll_27%) (13_42%) (16.12%) (18ー44%) (12.37%) ヲ 量 苧ル輩
ス経
700 798 945 1.012 910 + ; 蓋謂 (4.77%) (5.7670) (6.95%) (7.57%) (6.74ヲg) 648 600 676 640 573J
A
L
密
告
(4.42%) (4.39%) (4.97%) (4.79%) (4.247.) ヲ 量 苧 1,698 1,998 3.210 4.014 3,030 (ll.58%) (14.43%) (23-60%) (30_05%) (22.46%) 9,671 8.248 6.280 5,010 7,167 ザ ノ ヲ ス 収 (65.97%) (59.59ヲg) (46.18%) (37.50%) (53_14%) 文部省年報 よ り作成 7-この裏 は、尋常科 ・高 等科 を合せ た数字 であ る ので、尋 常科 だけの状 況 は判明 しない。 それ に し て も、授業料 のみで小学 校経費 の半額 以上 に達 し て、町村費補助 を必 要 と しない学校 が、僅 かに 1. 2%にす ぎず 、町村 費 の補助 を必要 とす る学校 は 10数% であ り、 これ は都 市部 の学校 か高 等科 に多 い もの と推測 され る。 これに対 して、授 業料 と積 金利子 ・寄附金 等の合計 で、経 費 の半額 以上 に達 す る学校 は、20%台 で、第 1次経済恐慌 時には10 %台に お ちこんでい る点 が注 目され る。従 って経 費 の半額 に及 ばない学 校 は、半数以上 に達す る学校 の 2倍以上 (21年 は除 く) もあ り、第 1次経済恐 慌 期に は、半額 以上 に達 す る学 校 の数倍 を数 え、 そ の激増振 りに驚 くO 第 9蓑 の長野県 の場 合 をみ る と、 この時期 (20年 ∼ 24年) の授業料 ・寄附 金 ・税金利 子等合計 して も、 そ の半 ばに達す る年 はな く、授業料収 入は、30数%台にす ぎなか った。 '除 ゆ るを得す かは、長 野県 では、 なかなか実現 で きなか った。 それ程 、長 野県 の農村 の疲弊 がひ どか った とい え る。 そ の ことは、授 業料非徴収 の 簡易 小学 す なわ ち貧民学校 を数多 く設 置せ ざ るを えない ことを示 して い る。 しか し、貧民学校 を多 く設 置す ればす る程 、町村費 の支 出を多 く し、一 般住民 の負担 を、それ だけ重 く しなけれ ば な らな か った。地 域住 民 は、町村 費負担す なわ ち租税負 担 とい う形 で、尋常科 と簡易科 の両方 を負担 す る とい うこ とにな る。 この こ とを明確 に示 して い る のが第 11表 であ る。 第 11表 全国公立小学校等科別 費 目別全収 入の割合
年
次
別課
程
別費
目
別
1887(M 20)午 1888(M 21)午 1889(M 22)午 ltjー 尋 簡計
高 尋 簡 計 同 香 簡 計 等 常 易 等 常 易 等 常 易 料 料 料 料 料 料 料 料 料 授 業 料 128.8.ll 8126 23_.51 0.30 181 0.35 20.31 33.56 28.27 0.40 23.57 40.50 30.0400.0 2】.81 78.15 0.03 100.0 25.28 74.39 0.32 10.42 25.8400.0 積 金 20.63 25.77 17.23 23.61 19.94 29.92 20.87 26.62 17.14 26.20 18.32 23.27 そ の他収 入 ll.36 75.92 12_71 100.0 ll.47 73_17 15.34 100.0 12.29 72.04 15.66 100.0 市 町 村 費 50ll..94 63.28 50.59 24.08 76.94 54.79 46.39 4146 100.0 14.45 55.1.66 76.30 49.15 30.38 100.0 17 413..64 43.65 79.132 55.41 31.55 12 50.3800.0 地 方 税 0.81 0.33 5.46 1.28 0.10 0.13 2_76 0.64 0.12 0.10 2.13 0.50 補 助 金 8.22 17.85 73.91 100.0 2.48 12.79 84.71 100.0 3_90 12ー42 83.66 100_0年
次別課
程
別 T.u 1890常尋(M23)簡午 計 「司 1891号学常∵1(M24簡)午 計費
目
別
料 料 料 料 料 料 授 業 料 42.28.126 275 71.51 0.1.71 0.17 24.99 43.42 26.35 0.32 25.702 100.0 30.62 69.13 0.17 100.0 積 金 14.60 22.66 23_55 21.48 13.29 19.32 20.23 18ー36 その他収 入 ll.31 68.72 19.96 100.0 13.12 71.35 15.52 100.0 市 町 村 費 42.13.96 49.745 60.99 25.56 74.36 53.14 100.0 15 43.14.01 66.09 10 54.36 78.70 55.759.88 100.0 地 方 税 0.17 0.07 1.72 0.39 0.17 0.07 0.73 0.18 補 助 金 7.29 ll.41 81.28 100.0 16.79 27.00 56.20 100.0 総 計 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 文部 省年 報 よ り作 成。上 段数字 は各 等科別全収 入に対す る費 目別割 合0 下段 の数字 は費 目別全収 入に対 す る等科別 の割合。この裏 は、第10衰 を等科別に具体的に示 した も の といえ よ う。 この裏 で明 らかたことは、高等科 b尋常科 とも、授業料 と積金その他の収 入で、全 収 入の (小学校経費 とみて よい)半額以上 に達 し ている点であ る。ただ20年は 区町村費-猶ホ経費総額 ノ一年強 ヲ占ム是 レ小 学校 ノ改正 -概 ネ本年四月 ニアル ヲ以テ本年 ノ 四分 ノー -其 ノ経済旧 二依 1)授業料徴収 ノ餌予 期 スル所 二達 セザルモ ノ7ルニ由ル.7) もので、羊毛頁以上に達す ることができなか った。 しか し、なかで も高等科 の授業料収 入が、尋常科 に比べて多いのは、高等科の授業料が、いかに高 折 であったかを示す ものであった。 ちなみに全 国 で高等科は明治21年で1,408校、尋常科は1乙 150 校 で、生徒数は高等科約170.054人で、尋常科 生徒数は約1,955,000人であった。 しか も、積金 その他収 入は若干尋常科の方が割合は高いが、市 町村費の割合は、高等科 ・尋常科 とも同 じ割合を 示 している。少数の高等科生に町村費の補助が尋 常科 と同 じ割合で支出されてい ることになる。簡 易科の授業料は無償の筈 であったが、僅かなが ら 市町村費が見受け られ るのは、多 くは北海道地区 であった。町村費が各年次75%以上 を示 している のは、簡易科 として当然であった。又簡易科に積 金 その他の割合が高いのは、町村分合 と学区改正 に よって、学校資産が簡易科に、そのまま引 き継 がれた例が多かった ことを示 してい る。次に費 目 別全収 入に対す る各等科別の割合をみ ると、尋常 科が各費 目の割合が高いのは、学校数 ・生徒数の 多い ことか ら当然 といえ るが、簡易科の地方税補 助費が高いのは、小学校令に定め られている教 員 給料の支出 として当然であった。 この ように授業料収 入のない簡易科-の配慮 は 多少み られたが、その学校数 ・生徒数か らみて、 第12蓑 等科別収入 と生徒分頭割(明治22年) 等科別 全 収 入 学校数 生徒数 生徒分頭書11 簡易科 1.611.317P]192 ll.755 781.908 ㌔96 尋常料 5.178,825,915 12.294 1.993,134 2.595 文部省年報 よ り作成 必ず しも万全であった とはいえない。 明治22年 の 統計 をみ ると、第12蓑 の ようにな る。いかに簡易 科が、学校数において、 ほぼ匹敵す るが、生徒数 は約3分 の 1で、生徒分頭割は、 2円6銭 と2円 59銭5厘で、意外に簡易科の生徒一人当 りの割が 高いのに驚 く。 これを明治20年の年報でみ ると、 各 等科別授業時間数か らみて、 高 等科-六 円五十九銭九厘尋常料-二 円五十銭 3厘簡易科-二 円八銭 こ当 り、更 二該生徒数 二 高等科尋常科 ノ授業時間五時、簡易科 ノ授業時 間三時 ヲ乗 シ以テ各科 ノ収 入金 ヲ除 スル トキ-高 等科-一円三十銭一厘尋常科′、五十銭一厘簡 易科-六十九銭三屋 二当ル 18) と、 明 らかに時間数か らみた生徒分頭割の街か ら■ いえば、簡易科は10壷豆も尋常科 よ り高いのである. 簡易科一人ひ と りの生徒にかか る費用か らすれば、 町村行財政の立場か らも地域住民の立場か らも、 忌避 され こそすれ、喜ばれ る理由はなか った。長 野県 のある村は 本村は戸数地価 とも飴 り多か らざるに も拘は ら ず 尋常小学校 は只一 ヶ所 に して簡易科学校は六 ヶ所の多 きにお よび、ために多街の費用を要す るをもって村内の人民一 同はこの多数 の簡易科 学校を減 し少数の尋常小学校 と変更せ られ んこ とを希望 し居 るが先頃森 田本部長及後藤本県学 務課属 も巡回 して親 しく実況 を視察 された るに つ き遠か らず村民の輿望を容 らるるな らんとこ の程釆 この沙太を待ちおれ り19) 多 く設立 しす ぎた簡易科が、結局村の財政 を苦 し め る結果 となった。 これ も戸数割 ・地価割等に よ る村費の不足 を意味 していた。 このように、明治20年代当初か ら後半 に至 るま で 「町村費は授業料の筋を除ゆ るを得ず」 とい う 不分 律 ・建前は長野県 の よ うに、いつ まで も実現 で きず、授業料対策に頭を悩 まさねはな らなか っ た。 特に長野県の ように打 ち続 く不況 と凶作、更 に23、4年 の第一次経済恐慌は、わが国資本主義 の発達に大 きな役割を果す製糸業 と、そ の基盤 と なる養蚕業 と米作を基軸 と してい る農業県信州に 9
-とって打撃は大 きか った。学梓経営 (町村財政) と就学問題、ひいては授業料問題 と小学簡易科 の 設立維持は、町村教育行政当局者に とって頭痛の 種であった。 しか し、小学簡易科の需要は、全 国 的に もまだ まだあったのである。 注 1)- 2) 信濃毎 日新聞 社説 明治19年10月12日号 3)∼ 5) 前掲総 社説 明治19年10月13日号 6)∼ 8) 前掲紙 社説 明治19年10月14日号 9) 長野県教育史第11巻 史料編5、13 10) 信毎 社説 明治19年10月12日号 ll) 森 有礼全集 498頁 教育新志第174号 ・ 明治20年6月15日 12) 前掲全集 547貢 大 日本教育会雑誌第62号 ・ 明治20年8月30日 13) 倉沢剛氏 「小学歴史
廿
」 433頁 大 日本教育会雑 誌第63号 ・明治20年9月17日発行 14) 信毎 県会傍聴記事 明治19年12月20日号 15) 前掲紙 に同 じ 16)∼18)文部省第15年報∼ 19) 信毎 通信1.12日発 明治22年12月14日号 3.授業料の問題 (1) 小学校 を設立 ・維持 ・管理 してい くには、なん といって も、その地域の経済、町村 の財政が問題 であった。特に農家戸数が大半を占め る農村地域 においては、学校資金 として地価割 ・動産割 ・戸 数割 ・学齢割に課せ られ る農民の負担 は重 く、そ の上 に寄附金及び授業料を課せ られ ることは、二 重の重い負担 であった。 そ もそ も教育費の負担は、人民が荷 うべ きもの とす る、いわゆ る受益者負担の原則 は、立身 ・治 産 ・昌業 「学問は身を立 るの財本」を標傍 した 「学 制」期か ら貫 らぬかれた原則であった。学 制第89 章 の但書 は 但教育 ノ設 -人 々自ラ其 ノ身 ヲ立 ル ノ基 タル ヲ 以テ其費用 ノ如キ悉 ク政府 ノ正租 二伸 ク-カラ サル論 ヲ供 タス且広 ク天下 ノ人 々 ヲシテ必 ス学 二就 カシムル事 ヲ期 スレ-政帝正粗 ノ悉 ク給 ス ル所 ニア ラス然 レトキ方今 ニア ック人民 ノ智 ヲ 開 ク事極 メテ急務 ナ レ-一切 ノ学 事 ヲ以テ悉 ク 民費 二委 スル-時勢未 夕然ル可 カ ラサルモノア リ是 二因テ官カ ヲ計 り之 ヲ助 ケサ ル ヲ得 ス トイ - ドモ官 ノ助 ケアル ヲ以テ従来 ノ弊 二依著 ス可 ラス御布告 ニヨル1) と、大変歯切れ の悪い布告であった。そ して第90 章では 凡人民 ヲシテ学 二就 カシムル勉 メテ広普 ナル ヲ 欲 ス故 二官金 ヲ以テ学事 ヲ助 クルモ ノノ如キ-必 ス民 ノ及′、サルモノヲ助 クルニア リ決 シテ偏 重 ノ事 フル-カス 士 ヲ学-シメテ農工商 ヲ学 -シメス或 -富者 二衣食 ヲ給 シテ学 -シメ貧 ナ ル老学 フ事 ヲ得 ス或 -一人 二敷石金 ヲ費 シテ学 -シメ衆人学 フ事 ヲ待サル額 ノ如キ事有 り- カ ラス2)・ 四民平等の原則 こそ学制 ・教育の精 神であると強 調す るのである。 ところが第94章 で大学 ・中学 ・ 小学校別の授業料 を定 め 小学校 こ在 1)チ-一 月五十銭 ヲ相 当 トス外 二二 十五銭 ノー等 ヲ設 ク 但相 当ノ受業料 ヲ納 ル能 -サルモノ-戸長里正之 ヲ証 シ学区取締 ヲ経 テ 共学校 二出シ許可 ヲ受 ク-シ3) とした。 当時 の農民の生活の度か らみれば相 当な 高額 であったが、納め ることので きない著 に授業 料 を免除す る法 を もうけていた。 そ して第97章 で は 定 ル所 ノ受業料 /、当今 ニ7 1)テ一概 二行 - レサ ル事 ア ラバ便宜 二随 ヒ各区 ノ情態及学校 ノ事情 ニヨリテ暫 ク下等 ヨ リ少 ク定 ムル事 アルべシ4) と、当然 といえは当然の処置であ ったが、 「下等 ヨ リ少 ク定 ムル」 とは、その下限 が どの位であ る か明白ではないolか月50銭の外 に25金主という-等を設けたが、その25銭 よ り下を意味 していたの であろ う。それでも極めて高額な授業料であった。 学制頒布の翌明治6年5月、旧長野県は愈 々「学 校建設之義伺」を文部省に提出 した。そのなかで 授業料について -、生徒 ノ受業料-当分適宜 ヲ以テ三等二分 ケ 上等十銭中等五鏡下等二銭 トシ大略-小学-入 学生二百人 卜積 り其内上等三十人中等六十人下 等百十人有之侯待-ー小学- ヶ年合高九十八円 四十銭 こシテ給金壱万四千七百六十 円、右 ヲ以 教師三 人之増給 二充 ツ5) (4中学区、合計150 小学校 の数) と何を出 したが、翌7月県は各郡に 「学校設立之 手続別紙雛形」 を示 し、そのなかで r小学校生徒 受業料仮規則」を 一、上等 一等 一 ケ月弐拾五銭 二等 同 拾五銭 一、下等 一等 一ケ月 拾五銭 二等 同 五銭 -、貧者之子弟-受業料 ヲ出スニ及-ス 但戸長世話役方之 ヲ証 シ学区取締 ヲ経テ 共学校 二出シ許可 ヲ受-シ ー、一家算入以上之子弟 ヲ学校 二人ル老-一人 ノ外受業料ノ、適意 タル-シ6) と定めた。学制第97章の 「下等 ヨリ少 ク定 ムル」 の額が決定 した. この県 の 「仮規則」に各地域の学校は、 どの様 に対応 したであろ うか。比較的町部で豊か とみ ら れ る水内郡長野学校の例をみ ると、 当学校生徒受業料取立方見込左 二中上侯 一、-等 受業料 壱人二付一 ケ月 拾銭 一、二等 受業料 壱人二付一 ケ月 八銭 ・喜芸 受業料 壱人二付一 ケ月 志望喜 当時書上人数 男女共五台八拾三人 内訳 一等 百人 此受業料一 ケ月金拾円也 二等 弐百人 此受業料一 ケ月 金拾六 円也 三等 四等 ーrl此ー'受業料t`--1一-ケ月金拾七円六 拾八銭七厘五
毛7
)
となっている。県の仮規則最下等の金5銭 より高 い街が定め られている。それでも 「一 ケ月六銭二 厘五毛之受業料心安 く一同随喜出銭可致侯
」8)と学 校世話役惣代 らは、伺のなかで述べている。 とこ ろが、これが村部にい くと県の仮規則 よ り低い街 が定 められている。佐久郡志賀村志仁学校 の場合 をみ ると、明治7年6月の 「学校設立伺」では -、生徒員数三百三拾八人 一、生徒受業料金十一円但壱人 二付金三銭二厘 五毛9) となってい る。県の仮規則下等2等の金5銭 よ り -可成 り低街であった0 一方筑摩県では、明治6年4月県か ら各学区取 締に対 して指令を出 し 一、第四条受業料之義-三 等二分 ケ上 等十二銭 五厘 中等六銭三厘下等三銭 卜当分相定置可申 晶析 ヲ以佑納望之老′、右-照準可致事 但受業料極貧困二両難差出老-戸長副世 話役検査之上可伺出事1。) と授業料額を定めてい る.特 にその第4条につい て,第2中学区学区取締は、 この指令が出された 直前3月に県権令永山盛輝宛に 「就而′、現今枢要 ノ件 々実地 ノ景況 二田而左二陳仕侯 宜御明断ノ 程」 と、その指示を求めている。 11) 第四条 僻隅の村落に至 りては自然就学費に金 貨を供納す る能はす して米薪炭の煩を以て佑納 致 し度希望す る老あらは戸長世話役検査 の上情 実止むを得 さるは学区取締を匿て共学校 に出 し ホウ 許可を講ひ品類を して其地共時の真価 に照準 し 算 出せ る所の全街受業料を納めた る者 と見倣 し 年月を追て正則に至 るを要す12) -ll I 合弐百八拾三人その地域 の時価に応 じた米薪炭額 に よる授業料 の 物納制を認 めては しい とい うのであ る。 この解答 指令が、 さきの4月の指 令であ った。授業料 の物 納制は、 明確に決定 され、合県後 も明治20年代 ま で続 くのであ る。 この筑摩県 の定 めた授業料額 に対 して、そのひ ざ元の開智学校は、開校にあた って、 6年4月学 校門前の掲示場に 「学 費 金 入校 之節 - 皮 相 納 侯 分」13)と「受業料毎月相納供到 14声 掲示 した
o
「学 費金 入校 之節-皮相納侯分」 とは、 入学 の時だけ、 一時限 りに納 入す る分 とい う云ふ意味で、それ は 「当分身分 二応 シ三 等 二分 ケ上 等十 八銭八厘 中等 十二銭五厘、下等六践三厘」
1
㌔ あったo これに対 して毎月納め る授業料は 上 等十二銭五厘、 中等六銭二厘五毛、下 等三銭 但一 家二人 ノ子弟 入校 ノ老上 等 ノ老 -中等 ノ 受業料 ヲ納 メ中等 ノ老 -下 等 ノ受業料 ヲ納 ム - シ 三 人以上 ノ老 -二人 ノ外受業料 ヲ出ス ニ及 - ス侯 0 16) とい うものであったo県の定 めた授業料田 と同 じ であったが、 中等の者 が 、五毛o下げ られてい る 点が注 目され るところであった。 合県前 (明治9年)迄 の両県 の淫業料額 は、上 記の よ うに定 まっていたが、地 域に よっては、 そ れ以下 の低額 の高低、多寡 は、旧長 野県 では、学 資金 ∼賦課金 ・寄附金 (利息) ∼の多寡に よって 左右 され、筑摩県 では元資金 の積立節如何に よっ て支配 されたO授業料徴収小学校数 を比較 してみ ると次の蓑 の よ うにな る。 また授業料無料校 が多 い筑摩県 に比 して、旧長野県 は無料校数が少いが、 それ が就学 率に影響 してい る点はみ のがせない。 もちろん筑摩県 では、永山盛輝梓令以下県官 ・教 第13表 旧長野県 ・筑摩県の授業料徴収小学校数\
「
適宜明 治な し7年計 右明 治無8年計 石明 治蘇9√年計 旧長野県 233 85 318 257 82 339 264 86 350 「長野県教育史」 別巻1調査統計第17・18・20・23・24蓑 よ り作成 員 らの積極的 な就学督促 (説諭 要略)があった こ とも考えなけれ ばな らないが、授業料徴収 の有無 が就学率の高低 ・良否に微妙に影響 していたので あ る。然 し小学校資金全体に占め る授業料 の割合 は、旧長野県 では、明治6年が2.58%、7年8.-52 % (筑摩県4.08)、 8年7.97%(筑摩県2.98) にす ぎなか った。 第14表 旧長野 ・筑摩県の徴収校 と就学率 旧 県 校数右比率 校数蘇比率 就学率8年 の 旧長野県 264 75ヲ乙 87 25男
59%
筑 摩 県- 247 55% 199 45男
72男
「長野県教育史」 別巻1調査統計第24蓑 よ り作成 合県直後 の9年10月長野県 は 「小学校資金之 内 従前旧高壱石 二付金五銭 ツ、課拭致 シ来 り侯処今 般 更 二地 価 ヨ リ課 出之儀為 左之 通 り内務 省-御 伺」
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7
7出 し、そのなかで 生徒受業料 ノ如キ-僻阪 窮民多 二因 り大概之 ヲ 収 メズ 若 シ適宜 二収 ムルモ僅 カニシテ該校費 用 ノ弟分 二供 スル ノ ミ・・-・18) と、 当時 の授業料徴収の現況 を述べ てい るのであ る。 ちなみに、 この内務省- の伺 い は、 各校設立之際保護方法之義 -最初 ヨ リ人民相互 二条約モ可石之等 二付於其庁 目今更 二方法 ヲ設 ケ予 メ相示 シ侯義 -不都合 二着之侯条区戸長以 下区 内協議 ノ上実際公平 二基 キ其 県限 り相定供 養 -不苦侯事19)と、 い うものであったO これ に よって学資金の 散収 は益 々困難にな り、 授業料 の徴収 も愈 々、 さきに述べ た状況か ら、 深刻 な問題になって き た。 こ うした状況 のなかで、明治9年8月旧長野県 と筑摩県は合県 したo合県 した直後1 さきの伺い が出され却下 されたのであるが、県に とっては、 学資金 ・授業料等の問題は緊急な問題であった。 そこで長野県は明治11年1月 「小学校費出途方法 議案
」
「学齢就学方法議案」を臨時区会 (南 ・北 区会)に下問 した。それぞれ南 ・北臨時区会は2 月末成案を得て、県当局の認可を経て、 9月よ り 実施 された。北第八大区臨時区会のまとめた区会 方案をみ ると 第二条 校資 ノ金森 ヲ十分 シ地価 ・動産 ・戸数 ・学齢 ・受業料 ノ五種 ヲ目途 トシテ充備 スルモ ノ トス 但十分 ノ四分五厘 地価 十分 ノ三 動産 十分 ノー 戸数 十分 ノー 学齢 籍疾赤貧 ヲ除 ク 十分 ノ五厘 受業料 就学生徒2。) とな ってい る.県案には授業料はな く田種のみで あったので、その賦課方法 ・割合が論議の的 とな った。原案の授業料10分の5厘は、学齢10分の 1と重なる賦課になるので 「壱人 ノ身 ヲ以テ二途 ヨ1)出金セ ミム、甚 夕過当ナルニ以タT)J21)或いは 「赤貧 ノ家 ニシテ学齢ノ男女二人乃至三人 ヲ養 ス ルモ/
J
22)に対 しても過当であるとい う理由か ら授 業料を削除す ることに決定 した。然 しその授業料 分5厘を、 どうす るかで論議 されたが、結局、動 産を1分増 し地価か ら5厘減ず ることに決定 した のである。 もとより県の原案には 各小学校 ノ基礎 タル従来寄附金 ノ利子 ヲ以テ主 トナス 然 レトモ毎 二支消不足 ヲ生 シ地所及積 金等 ヲ加 フルモノア リト錐モ皆僅 々ニシテ受業 料 ノ如キモ亦各校 ノ適宜 二任スル ヲ以テ到底其 弟分 ヲ補助 スルニ過サルノ ミ23) とあって、授業料をもともと学資金の主要のもの とは考 えていなかった。従 って県案は、北部 ・南 部の校資予定表 のなかには.授業料収 入を予定 し ていなかった。結局北第八大区の区会成議案は、 地価 10分の4、動産 赤貧/、除 ク10分の4、戸数 10分の 1、学齢 廃篤疾赤貧 ヲ除 ク、 と決定 した のである。 明治12年 の各府県の学事年報は、地方の教育の 衰退状況を報告 している。長野県 も例外ではな く 「昨明治十二年-前年 ノ改革法 二拠 り各小学校資 ノ金額 ヲ定 メ、維持法 ヲ設 ケ殆 卜整頓 二至 ルノ際 (前述の明治11年臨時区会に於 る) 「小学校費出 途方法議案」をさしている教育令 ノ発令ア リテ、 大 二自由ノ針路 二向フヲ以テ、却テ一時香廉 ノ景 況 ヲ釆 タスニ以タT)J24)とい う状況であった. また 教育令施行後に於て も 「教育令 ヲ発セ ラ レシニ際 シ、民間多 ク-其 旨趣 ヲ誤了シ、学事 ノ興廃-人 民 ノ自由ニア リテ、官ノ干渉 ヲ要セス杯喋 々シ-甚 タシキニ至 ツテ-唯々自由ヲ名 トシ普通教育 ヲ 度外 二括キ教員各 自ノ意 二任七教授 ス/レ等、不都 合云 7- カラス 其他学資 ノ出途 ヲ拒 ムモ ノアル 等 ヨ 1) 概 シテ論 スル トキ-普通教育-一時速巡 シタルニ似 タ.)J25)とい うように、せ っか く成案 と して まとめた 「小学校費出途方法」 も、その効力 を発揮 し得ない状況であった。 そ こで県は13年3月 「長野県学事諸則 明治十 三年三月編定j26声布達 し、その混乱 ・衰退 の状況 を引 き締め ようとした。その布達は 「第-章 教 育取扱 ノ事 附教 員委嘱之件 第二章 公立小学 校試 験之事 第三章 学校設立及建築之事」27)など、 その雛形を細大 もらさず示達 した ものであった。 そのなかに 「学資収入横筋」 として、生徒授業料 と組合集金 として戸数割何程、地価割何程 、学齢 割何程、何 々割何程、 と項 目だけが示 され ている だけであった。大 きな比重を占めた動産割 が明記 されていない。 このことは、明治15年1月改正教 育令後の県の整備計画 として布達 した 「町村立私 ・立学校幼稚園書籍館設置廃止規則 」28)においても、 学費収入概額 として、区内協議集金を戸数割 ・地 価割 ・学齢割 ・何 々割 とし、これ とは別に生徒授 業料但壱人に付-か月金何銭宛の積 り となって いる. ここで組合集金を区内協議集金 と、受業料 -13-を授業料 と改めたこ とは 目新 しい ことであ り区内 協議集金 と授業料 とを、学費収 入の別枠 と して取 扱 っている。協議集金 は、あ くまで学区内の協議 すなわ ち町村会 の協議決定に よるもので、授業料 は学校毎に定め られ るものであることを意味 して いたのであ る。明治16年11月の下高井郡第6番学 区の聯合村会 「学区会成議案」29声みて も 「協議費 収 入予算」 のなかに、 「学校費」 として 「右地価 二六分一厘三毛、学 齢 二一分二厘八毛、建坪 二一 分八厘六毛、戸数 二七厘二毛」 とされてい るが、 授業料については全 く触れていない。 これが 「村 立小学校設立伺」(小県郡芳田村修道学校)にな る と、区内協議集金は もちろんのこと生徒授業料を 学費収 入横笛に計算 されている。両 も 「但壱人 二 付一 ケ月金壱銭七厘」30)とい う低質 であったoまた 明治15年12月の「上伊那郡片桐村片桐学校設立伺」31) をみて も、区内協議集金及学 田益金 と授業料が同 枠で 「生徒授業料-一 ケ月金二銭 トシ、三 ケ月毎 二徴収 スル老 トス」 となってい る。 このことに就 いて明確にな るのは、 明治17年9月上高井郡役所 が、県学務課に照会 した文書に対す る県の回答で あった。上高井郡役所か らの何は 従前小学校設立 ノ際経伺 ノ上校則第-章第七粂 二生徒授業料収入方相定 メ掲示 ノ向看之 然ル ニ本年県乙第百二十六号 ヲ以テ町村会 二於 テ議 定 ス-キ費 目井其 徴収科 目御達 二付テ-授業料 -徴収 ス-キモノニ無之 卜被思考侯、果 シテ然 ラ-該御達 二依 り嘗 テ経伺 ノ授業料 ノ項-消滅 侯義 二着之供哉 各学区会議 二際 シ差掛侯義 二 付至急御回答相成度32) とい うものであ った。 これ に対す る、県 の回答 は、 丙学第290号 ヲ以テ小学校規則 中生徒授業料云 々ノ義御照会 二俣処学校規則中 二定 メタル授業 料-就学生徒 ヨリ出すシムルモ ノニシテ町村会 二於テ議定 ス-キ費 目中ノモ ノ ト- 自力ラ別ア ルニ付畢克右費 目等 ニ-掲載無之義 二俣-共右 ヲ以テ学校規則中授業料 ノ項消滅 二属 ス-キ義 無之侯 此段及御回答供也 追而本文 ノ次第ナル ヲ以テ授業料 ヲ収 入ス-キ学校 ノ経費収入予算書 -徽集金額 ノ内訳 二 授業料 ノー項 ヲ置キ連帯支排 ノ方法 二調整 ス -キ コ トニ御承知石之度侯33) い うものであった。授業料は区会 ・町村会に於 て 「議定 スべキ費 目」すなわ ち協議 集 目とは別の ものであって、学校規則に よって 「就学生徒 二出 す シムモ ノ」 であ ると した。これ は、地域 ・学区 に よって異 る財政事情を考慮すれ ば、その授業料 顎を定め ることができないことを意味 し、 さきの 小県郡芳田村修道学校 と上伊都郡 片桐村片桐学校 の例が、それ を よく示 してい る。なお、 この期に (教育令期) おけ る授業料の県学費収 入中 と諸集 金 中に占め る割合は、第15蒙 の よ うに誠に微 々た るものであった。 第15表 県学費 ・諸集金中に占め る授業料の割合
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明治9年 明治10年 明治11年 明治12年 明治13年 明治14年 明治15年 明治16年 県学費中 5.0% 4.7 3.8 3.9 3_9 3.4 3.3 3_1 各年度文部省年 級 よ り作成 また長野県内小学校 の各郡 におけ る授業料徴収 校数の割合をみ ると、誠に多種多様で、農業生産 力の低い郡程、就学 率 とともに徴収校 の少なか っ た ことを示 している。 明治14年 の松方財政 ・デフ レ政策以来 の不況は 全 国的経済不況を もた ら し、 17年18年 には全 国的 な冷害 ・水害等が重な り、物価の下落 ・金融の逼 迫は民力の凋衰 ・農村 の窮乏を激化 し、就学者を 激減 させ (第1表参照)、第16蓑 の よ うに小学校 授業料徴収校 をも激減 させたのであ る。ついに政 府は、明治18年2月 「地方経済改良 ノ俵」 を提案第16表 郡別授業料徴集校数の比率 (附 12年 学齢就学率)
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学齢就学率明治12年 明治14年 明治15年 明治16年 明治17年 明治18年 上水内郡 47.7%
45.9% 65.5% 64.3% 64.3% 61_47g 下 水内郡 44.3 37.5 38.9 26.3 15.8 10.5 上 高井郡 43.9 32.0 33.3 25.0 20.3 12.5 下高井郡 44.8 96.7 6∴5 67.7 56.7 20.0 更 級 _那 55.6 65.0 64.3 51.9 54.8 9.5 埴 科 郡 65.2 63.6 69.6 73,9 60.9 60.9 小 県 郡 79.8 64.3 60.3 65,5 69.0 70.9 南佐久郡 67,1 52.0 35.6 30.6 26.5 26.5 北佐久郡 70.3 53.1 52.5 42.4 34.4 18.3 東筑摩郡 62.0 10.8 ll.5 5.8 15.5 7.9 南安曇郡 64.4 7.1 13.9 16.7 22.9 6.1 北安曇郡 59.9 3.4 1.9 5.7 3.8 3.8 諏 訪 郡 84.3 98.3 89.7 89.7 91.5 100.0 上伊那郡 64.0 27.1 41.7 38.5 41.9 44.7 下伊那郡 58.8 32.1 35.0 35.4 34.1 17.7 「長野県教育史」別巻1、第27・31・32・34・37・40・43豪 よ り作成 し、その具体策 として 「区町村費節減之儀」 を上 申 した。そのなかで特に太政官布告第25号 「土地 二賦課 スル区町村費-明治19年度 ヨリ地租 ノ七分 ノ二 ヲ超過 スル ヲ待 ス」 とす ることに よって、農 民の負担の軽減を図 り、同時に教育費の大巾な削 減を図 った。 しか し、それでは小学校経費 を、 ま かない きれ な くなったので、授業料でその不足 を 補 うため、 18年8月文部省達第8号を もって 「自 今町村立学校 二於テ授業料 ヲ徴収 ス-キモノ トス --=」 と達せ られたのである。 長野県は、太政官布告第25号 と文部省達第8号 等に基づ き、 18年12月 (実施は19年4月1日)「長 野県管 内小学校区画並 二校教委」 を各郡に諮問 し、 一応郡長の意見を聞 き、 これを布達 した。 このな かで学資金収 入の内訳を琶算 して示 した.その前 に学区 ・学校数の縮減計画 も発表 したのであ る。 いまその新 旧比較 してみ ると 一、学区数 弐百五拾区 内二行政区 ヲ合 シタ ルモノ四 一行政区 ヲ二学区 二分裂 シタルモ ノ四村界及 ヒ行政区 二符合セサルモ ノ三 「旧学区数八百三拾六 二比 シテ五百八十六 ヲ 減 ス」 一、学校数 六百弐拾校 内従来 ノ位 置 ヲ変 シ 新設 ス-キモノ八拾弐 ヶ所 「旧本校数八百三拾九 二比 シテ弐百十 四 ヲ減 ス」 -、派出所数 弐百七拾六 ヶ所 「旧支校及 ヒ派出所数弐百五拾弐 ヶ所 二比 シ テ廿五 ケヲ増 ス3i) とい うものであ り、 これは第6表 の文部 省-報告 と多少数字がちが うが、大 巾な学区、学校数の削 減であった。 しか し長野県に特有な辺境 の地 に設 け られ る派出所は、増えこそすれ減 らす ことはで ー 15-きなかった.続いて布達は 「全管学資金総額」を その内訳 とともに示 し、その収 入総額 も、地価割 ・戸 別割 ・学等割 ・授業料額を、それぞれ積要 し て示 してい る. (第1節注7)∼江 11)参照)特に 授業料 の積算については 金四万七千九百八拾弐円 授業料節 但就学生徒 ノ数-学齢人員ノ半数就学 ス-辛 モ ノ ト見僻 シ此数七万六千六百三拾七人、壱 人 二付平均壱 ヶ月金玉践年分金六拾銭 ヲ収 入 スル ノ積算。35) となってい る。 これ らの積算 (標準)に よって、 どの位の節減にな るか とい うと、「学資年額金三拾 弐万八千弐百五拾四円」36)とし 旧学椅設立伺 ノ金額五拾三万六千弐百 円ニシテ 此 ノー割 ヲ減 ス レ-金四拾八万弐千五百八拾円 トナル 之 ヲ以テ方今実収 スルモノ ト見僻 シ金 拾五万四千三百弐拾六 円ヲ減 ス 此 ノ減額金 ヲ 全管戸数 二配 当ス レ-壱戸 二付金七拾弐銭強 ノ 節減 トナル 37) と してい る。授業料が1人について平均1か月5 鼠 といい、全県下-戸当 り節減額が72銭す なiっち 1か月6銭 といって も、相殺すれば1か月1 銭-2銭の節減である。当時 (18、19年)庶民の収 入 をみ ると、小学校教 員が月平均4円、授業生が2 円80銭か ら3円,巡査が8円、大工 ・左官の 日当 が約25銭、農家商店等の下男 ・下女 の年手当てが 1円か ら2円弱である。 また当時の米価は卸売 り で5円∼ 5円50銭で、小売米価はこれに1割か ら 2割を加えた もの とすれば、大工 ・左官の賃金 は 米三升分程度であった。従 って長野県に特に多か って授業生な どは、家計補助程度の ものであった。 た とえ1、2金蔓の軽減 といっても、教 員給料 の1か 月4円か ら考 えて も、馬鹿にな らない額であった ことは確かである。 さて、 この県 の布達は、 さらに各郡毎 の学区蓑 を示 し、地価 ・戸数 ・学業戸数 ・授業料を納め る 額を示 してい る。小県郡 の学区表 中、上 田町を中 心 とした第1学区の学校数は4校で、授業料を納 む る数は1,392人で、此金835円20銭で、平均 は 正に金5銭である。第2学区村部上下塩尻村は学 校数2校で、授業料 を納む る数は216人で、此金 129円6銭で平均は6銭 となる。 「平均壱 ヶ月金 五銭」には、その上限下限が明 らかでない。 ところが、 この県布達 甲第135号が出された18 年12月19日か ら1か月経たず の うちに、県は乙第 6号を もって 明治十九年 四月以降町村立小学校 二於 テ-授業 料 ヲ徴収 ス-キ老 トス 其額′、生徒一人一 ケ月 金壱銭以上金三拾銭以下 二就 キ戸長 二於 テ適宜 相定 メ郡役所 ヲ経 テ本県-届出ツ- シ38) と達 した。 これで 「平均壱 ヶ月金五銭」の上 限 と 下限の額が定 まった ことになる。従 って同 じ郡内 の学校に よって、或いは同一学区内の学校に よっ て1銭の ところもあ り、 2、3銭 とい うところ もあ ったのである。それでは、小学校経費を耕ず る主 体が授業料 ・寄附金 とすれば、到底月1- 2銭程 度では足 らない。そ こで上限を30銭 と定めたので あろ うが、す でに農村 の疲弊が ピー クに達 し、 さ きにみた当時の庶民の収 入状況か らみて、それ は 無理なことであった。 このために授業料を とらな い簡易小学校 を設立 ・奨励す る意味があった とい え るが、そこには思わぬ落 し穴があった。それは、 地域住民の意識 (慣習)の問題 と町村財政二重負 担 の問題であった。 授業料の問題 (2) 長野県は、明治19年4月小学校令発布後 の11月 再び 「小学区画校数」39)を改定 した。 これに よって 簡易科の設置が決 ま り、その簡易科 を除 く学校 ・ 派出所は、総て其の経済は-学区内同一 と し、-学区内に数校 あって も (簡易科は除 く)本校 の外 は総て支校 とした。 これ と時を同 じ くして 「小学 校生徒授業料規程」 を県令甲第26号 を制定 した。 (20年4月1日実施)それは高等科 甲 ・乙 と尋常 科 甲 ・乙 ・丙 と種類別に授業料を定 めた ものであ る。今その尋常科 のみをみ ると
乙 一年生一 ケ月金拾銭 三年生 同金弐拾践 一年生一 ケ月金五銭 三年生 同金拾五銭 一年生一 ケ月金五銭 三年生 同金拾弐 銭 二年生 同金拾五銭 四年生 同金弐拾五銭 二年生 同金拾銭 四年生 同金弐拾銭 二年生 同金八銭 四年生 同金拾五銭。o) とい うものであ った。 このほか授業料徴収 の期 日 を毎 月20日と し、土地 の状況に よっては年分4期 又 は2期に徴収 し、米麦其他薪炭の鞍を もって時 価 に よって代納す ることを認 め (第2条)、一家2 人以上就学 す る者は、其上級者1人 の外 は其 の半 額 を徴収 (第5条)す るこ とを認 めていた. これ をみた信毎は、 さっそ く社説 で 「小学校生 徒 の授業料」 を取 り上 げ、 「先つ以て授業料 の餌 を増 さざるべか らず とは皆人の予期す る所な り」41) と して、そ の種税別学年別徴収額 と徴収方法 につ いて具体的 な例 をあげて批判 してい る。 其 の種類 を定む るは町村戸長 に任ぜ られた り町 村戸長に於 ては数多の類別中仮令は其担 当の学 校 は高等科 の設けあれば本校 に於 ては高等科に は甲類の授業料を収め しめ又尋常科の分は尋常科 乙額 の授業料 を収め しむ ると云ふ丈 けを定む る ものか土地 の状況に よ り云 々とあ るを以て見れ ば貧富の等差甚 しき村落にては尋 常科 の甲及び 丙の二類 を其分限に応 じて徴収す ることを得 る か否かは本令には明文な きを以て吾輩 は之 を審 にす ること能 はざれ ども兎 も角に其範 囲内に於 て戸長 は適宜 に定む ることを得 るとあれ ば必 ら ず Lも町村 の情況に よ り不適 当の ことあ るべ L とは思は ざるな り但此 の授業料の拓 を以て経費 に充てて能 く小学校 令の精神に適す るか否か と 云ふに至 りては柳か介然た るな きこ と能は ざる な り42) と.・同一学区内の同一学校 で貧富の程度 の差 に よ って、あ る者 は 甲額 の授業料 を、 あ る岩 は丙類 の 授業料 を と、分 に応 じた授業料 を徴収 で きるか と い う疑問を呈 してい る。 さらに論説 は、尋常科 で 甲類 を とる学校 の場合、生徒100名 と して3年間 で平均1ケ月15円の授業料 を収め るこ ととな るが、 -教場80名 の生徒を一人の教 員が受持 ち得て も、 100名な らは 2名 の教 員が必要 であ って、諸雑費 を除 いて1教 員の俸給7円50銭 と して、一人 は授 業生 をあて るに して も、教 員の俸給 のみで不足 を 来 して しま う。 ま して丙頴 の授業料 を とる場合に は、 1ケ月8円30銭にす ぎない。 はた して これ で 学校 を維持 で きるのか ど うか と疑問を呈 してい る。 その場合、寄附金その他に蘇 らざるを得ない とし て も、寄附金 は篤志家の看 る無 しに よ り、 あ らか じめ予算化 してお くわけにはいかない。そ うなれ ば勢 い町村費に頼 らざるを待な くな る。県 の制定 した授業料規程 も、当然 この間の事情 を承知 して い るのであろ うか
。
「町村費を以て其不足 を補ふ は町村 の義務 に して決 して辞す るを得べか らざる な り」43)と強調 してい るのであ る。そ して最後 に 父兄た るものは従来授業料 の多か らざ るに把れ た る所 よ りして俄然英領 を増 した りとて之れに 不服 を容 るること能はざる所 な るべ し44) と警告 してい る。はた して、県は この論説 と前後 して、授業料 の上限 と下限を示 した、 さきの訓令 小学校生徒授業料規程第一条授業料 ノ金額取定 メ方 -小学校組織改正 ノ準備 モ可右之 二付本年 十二 月 二該種類相定 メ郡役所 ヲ経 テ本県 -届出 ツ-キ義 トb待-シ45) を発 してい るOそれ程 この種疑別授業料 について、 町村戸長 は決めかねていたのであ る。同時 に地 域 住民 の不満 も多 く、就学 を忌避す る者が続 出 し、 就学 率が低下 したのはち ょう度 この時期 であった ので あ る。 (第1表参照) さて、 それでは実際に長野県 は、 どの位 の授業 料 を徴収 していたのだろ うか。文部省は、、さきの 第2節 の第10表 で示 した 「学資 等差表」 を発表す ると ともに 「公立小学校生徒授業料等差表」46声調 査 発表 してい る。 しか し府県別には、 23、24年 の みに発表 されてい る。第18菱 をみ ると、 20年か ら 24年 を通 じて5銭以下10銭以下 を合せて、全体 の 約70%を占めて、而 も年毎 に増減が著 る しいのが 特徴的 であ る。 これは各府県各地域 の授 業料 等差 の変化 と農民の生活皮 を物語 ってい るものである。 これ に対 して、長野県が5金蔓以下が極端 に低 く、 - 17-第18表 公立小学校一ケ月授業料等差表 (附長野県)