滋 賀 県 教 育 史 資 料 目 録
(
7
)
1
997
年
3月
滋賀大学教育学部
木 全 清 博
〉 '7 〈 法支童書E 声FL 老{(~ヨf 豆三重差来斗白金義 《 目 と 欠 》 1 彦根における小学校の開校…...・H ・・・………ー……・一……… 10 【資料解説】滋賀県教育史資料目録(7 )……… 学校沿革史学校日誌等教育関係資料・………・・……・ー・…ー…………15 大津市長等小学校資料…・ー・…ー…・………ー…………・ー……… 15 大津市逢坂小学校資料……・…ー…・…・・…・ー……… 21 彦根市城西小学校資料・…..…一……・・・…ー……・ー…・・・…・…一………
2
6
彦根市城北小学校資料…・・・………・…ー………・………31 彦根市城陽小学校資料…・ー…・ー……ー・………一...・H ・..……… 33 甲賀郡甲南町甲南第1小学校資料…一………・・……… 34 甲賀郡信楽町小原小学校資料……… 37 甲賀郡土山町鮎河小学校資料……・…一…一………...・H ・-………40 愛知郡愛東町愛東北小学校資料……・ー…・………41 第 1部 1 2 3 4 5 6 7 8 9 学校所蔵旧教科書等資料・………・…・・・…・・…・…・・・…・・……… 42 彦根市城西小学校教科書蔵書・ー…・…ー…・………・ー…………42 大津市長等小学校教科書蔵書…………・……一……… 4 3 甲賀郡甲南町甲南第 1小学校教科書等蔵書………..44 甲賀郡信楽町小原小学校教科書等蔵書……ー………46
第2部 1 1 ワ -q U A 性 彦根市立図書館所蔵教科書………ー………・・………49 旧彦根尋常高等小学校等の教科書蔵書…・・・………・・49 開国文庫の教科書蔵書………・・・…………ー………74
第3部 2 沢五車堂の教育史資料…・…ー…・…ー………-…一………80
第4部E
望歪非S十角率言見E
法玄室主芦喜孝f(辛言F豆三重歪米斗 (7 )
1r
i
滋賀県教育史資料目録 (7)]Jについて 滋賀県教育史資料目録の刊行は、1992
年以来継続してきており、本年で第7
集を数 えることになった。第1集の刊行時には、確たる見通しをもっていた訳ではなく、手元に 収集した滋賀県下の教育史資料の整理のために発行したのであった。第1集より第3集ま では、滋賀県における社会科実践史をテーマとする科学研究費の補助金を受けて刊行した。 第4集以降は、滋賀大学教育実践指導センターの研究助成金で100部から20 0部程度 を刊行してきた。本年度も減額になったが、何とか第7集の発行にこぎつけることができ fこ。 滋賀県教育史の編纂事業が、かつて一度も体系的に行われたことがなかったため、県下 の教育制度史、教育実践史、教育運動史などに関する基本資料が収集されてこなかったこ とは、これまで何度も述べてきた通りである。この滋賀県教育史資料目録の整理と刊行は、 本来は個人の研究事業としてではなく、組織的な研究事業として取り組まれるべきことで あろう。 1996
年夏に滋賀県立図書館において、 「滋賀県教育史目録』を見たという東京学芸 大学の大学院生から手紙をいただいた。滋賀県下の明治期から大正期の学校園の研究をし ているという博物館学専攻の院生であった。r
西日本で最もすぐれたモデル学校園といわ れた小学校の存在とそこでの実践の内容」についての問い合わせであった。私は、こうし た実践についてほとんど無知であった。早速、これに関する論文を送っていただいて、滋 賀県下の甲賀郡の各校で展開された学校園の実践について学ぶことが出来た。この院生は. 1 0月末から 11月初めに 1週間の実地調査にやってきたので、彼女と共に現地調査を実 施した。 私は、滋賀県下の教育関係資料を求めて県下の学校や市町村立の図書館や個人所蔵の資 料を収集してきており、数年来の研究蓄積を得たつもりであった。とくに明治期に関して は、ほぼ一定の教育制度や教育実践のイメージを持ちうることが出来るようになったと思 っていた。しかし、彼女と歩いて見て資料を探査するなかで、 「まだまだ道ははるかに遠 L 、」ことを実感した。滋賀県教育史の教育事実の豊かさについて、私たちがまだあまりに 無知であることを知らされた。 第 4集の刊行あたりから、滋賀県外の方からの教育史に関する問い合わせや、図書館や 大学などからの資料請求が増えてきた。滋賀県教育史への関心の高まりは、たいへんうれ しいことである。県内の教育関係者の間で、最近になって滋賀県の教育史研究に関心をも っ方々が少数ではあるが、連絡をとりあえるようになってきた。この教育史資料目録の刊 行も、微力ながら他の研究者や教育実践に関心を寄せる人たちにわずかでも貢献している かもしれないと手応えを感じられるようになってきた。1997
年の春には、滋賀県教育 史に問題関心を持つ人々が集まって、滋賀県教育史研究会が発足する事になっている。 第7集を刊行するにあたり、今回収録した資料内容の特色について一言しておこう。 1-(1)学校沿革史・学校日誌などでは、大津市内と彦根市内、甲賀郡の創立の古い小学校の 資料調査を実施した。 ( 2 )旧教科書調査では、彦根市立図書館の旧蔵教科書を調査した。 ( 3 )明治初期の教科書発行所の沢五車堂 (沢宗次郎家)を調査した。教科書現物は全く なかったが、当時の教科書の発行許可書が数通、発見することができた。 2 大津長等小学校・逢坂小学校の教育史資料 第
7
集には、1996
年度に調査した大津市内の2
校、彦根市内の3
校、甲賀郡内の3
校、愛知郡の 1校の9校の教育関係資料の一覧を掲載した。 <大津市長等小学校・逢阪小学校資料> 第6集の大津市中央小学校(旧大津学校一│日大津尋常高等小学校)の学校沿革史・学校日 誌等の教育資料に続いて、旧大津町の設立・開校の古い小学校である長等小学校と逢坂小学 校を調査した。長等小学校は、明治 6年<1
8
7
3
>
2月創立の滋賀郡第 8区の弘道学校と同 9区修道学校にさかのぼり、同年 8月創立の長等学校を併せて、明治1
9年<1
8
8
6
>
4
月 大津学校第l
支校となる。同年11
月の簡易科大津第1
小学校を経て、明治25
年<1
8
9
1
>
5
月に大津西尋常小学校となり、戦後の昭和22
年<
1
9
4
7
>
4
月に長等小学校と名称変 更する。 -逢坂小学校は、明治 6年 2月創立の滋賀郡第 6区明倫学校(のち鶴里学校)と同年同月 創立の第7区遵道学校(のち逢坂学校)を併せて、明治19年6月大津学校第2支校とな り、同年11月に簡易科大津第2小学校と改称した。明治25年5月には、大津南尋常小 学校となり、戦後に逢坂小学校と校名変更をした学校である。 昨年の第6集の教育史資料目録の刊行と平行して、 「明治6-1 0年の滋賀県の小学校 設立・開校一滋賀県における明治初期の教育史資料(5 )一J
(r滋賀大学教育学部教育実 践研究指導センタ 一紀要 パイデイア』第4
巻第1
号1
996
年3
月)を著したが、同論 文において大津中央小学校の学校沿革史資料を活用して、旧大津町の小学校の成立過程を 論じた。論文中でも触れたが、この中央小学校資料がなければ、大津における小学校の設 立・開校の具体的な姿は、っかめなかった。 今年度の調査した2つの小学校の学校沿革史と学校日誌類の資料は、明治初期はもちろ んのこと、大津における明治期の小学校制度の確立過程、大正期から昭和戦前の学校教育 の実践、戦時下の国民学校の教育実態、さらには戦後直後の戦後教育改革の展開について 大津市の小学校教育の実相をあきらかにしてくれる資料を提供してくれた。 長等小学校の学校沿革史は、全体にきわめて保存状態がよかった。r
滋賀県滋賀郡第3 学区高等尋常科大津小学校」名で、 「学校沿革誌」第1編から第5編まで(明治6年 度 明治38年度)の 5冊が、 一包みとなりセット本の形で保存されていた。明治39年度か ら44年度までの学校沿革史は欠落していたが、明治45
年以後現在までの沿革史はほぼ 揃っていた。なぜか昭和13年度と 19年度が欠落していた。 長等小学校の学校沿革史のうち、 「学校沿革誌」 第 1 編(明治 6 年度 ~20
年 度)、 「同」第 2編(明治 20 年度 ~23 年度)に関しては、中央小学校の 「滋賀県滋賀郡第 3 学区高等尋常大津小学校沿革誌 上編・下編」と全く閉じ内容である。明治 23年の小学校令をうけて、小学校の沿革史編纂が滋賀県や郡レベルで行われているので、大津の各小学 校の設立・開校資料を集めて、大津尋常高等小学校でー編纂して各校に送付するということが おこなわれたのではなし、かと推測される。 さて、長等小学校資料の中で-も秀逸なのは、明治19年度から明治41年度までの学校 日誌が完全に保存されていたことである。同校沿革史で欠落する部分を埋め合わせること ができるだけでなく、大津における明治期の小学校の確立過程を知る上で、きわめて重要 な資料である。また、滋賀県下での明治 19年の小学校令期から、 23年、 33年の 2回 の改正小学校令期にいたる明治期の小学校史を探る上でも、興味深い資料である。 これまで明治期の学校日誌に関して、管見の限り、滋賀県下では本資料目録の第4集、 第5集で紹介した長浜市関知学校一長浜尋常高等小学校の学校日誌が、明治18年から明 治26年までの9年間分、また第1集の彦根城東小学校(旧彦根尋常高等小学校)の明治 24 年~2 7年、 36年、 39年、 43年、 45年が発見されているにすぎない。大正期 から昭和期になると、かなりの多くの学校での学校日誌が見つかっているが、明治期とな ると少ない。この意味で、長等小学校の「修道学校 日誌
J
(明治19年4月)に始まる、 明治中期から後期の明治時代をカバーする学校日誌18冊の存在は、重要な学校史資料で ある。(中央小学校や逢坂小学校では、当該時期の学校日誌は残っていない) 長等小学校の学校日誌は、大正期では大正7年、 9年、 12年、 13年のみしか残存し ていない。 逢坂小学校の学校沿革史には、中央小学校や長等小学校のような明治 24~25 年ごろ までの詳細な沿革史は保存されていない。同校の最も古い沿革史は、明治 6~30 年の時 期のものである。同時期の沿革史として「沿革史 滋賀郡第三学区簡易科大津第四小学校」 がある。明治31年以降の学校沿革史では、明治41年度から45年度までは、各年度1 冊づつの学校日誌風の沿革である。逢坂小学校の学校沿革史で、欠落している時期の沿革 史は、大正 5~ 1 0年度の6年分である。 同校の学校日誌では、明治期は皆無であり、大正期の学校日誌は大正6年から 9年まで の6冊が「大津南尋常小学校」名で保存されている。学校沿革史で欠けている時期分なの で、貴重である。昭和期では、昭和10 ~ 1 1年、 16年、 17年、 20年の各年度が残 っている。戦後の時期では、昭和21年度から現在まで・が全冊揃っている。 大津の戦後教育史を研究する上で、市内中心部の戦時下の国民学校期(昭和 16 年~2 O 年〉から戦後直後の戦後教育改革の時期(昭和 20~30 年ごろ)の学校日誌は、重要 な教育史資料である。学校沿革史において、滋賀県下の小学校で、国民学校期と戦後直後の 時期の部分が欠落している場合が多い。敗戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)
による占 領軍政下で、戦中教育の清算が大量の公文書の廃棄をともなったとされる。学校現場によ っては、滋賀県軍政部によるGHQ
指令の徹底の監視政策が、過敏な反応を引き起こして、 学校沿革史や学校日誌の廃棄につながってしまったと考えられる。戦後教育の出発点の教 育改革期の具体的な資料として、戦時教育から戦後の新教育体制への移行、断絶と連続を つかむ上で逢坂小学校のように、保存されてきた学校日誌は貴重な資料である。 3 彦根市城北小学校・城西小学校の教育史資料 -3一<彦根の小学校保存資料について> 彦根市内の城北小学校と城西小学校の調査を行い、所蔵資料の目録を掲載した。第l集 において、│日彦根尋常高等小学校の系譜を
5
1
く城東小学校の学校日誌の目録につぐもので ある。今回、城東小に続いて2校の調査を実施したが、資料目録でみるように、学校沿革 史に関して、明治期のところは全く発見できなかった。わずかに、城北小学校所蔵の「明 治25年以降 千松尋常小学校」の学校沿革史が保存されていただけであり、城西小学校 は古いところは見つけられなかった。城下町の彦根町内の小学校の設立・開校は、これまで のところ実証的な教育史資料では全く明らかになっていない。何とか地域の学校史資料を 発掘して、彦根の小学校の誕生の実像をとらえようとしているが、基礎資料や根本資料が 発見できていない。後述するように、現段階にあっては『文部省年報J
r
滋賀県学事年報』 などの資料類からしか、復元できない。 彦根の近代教育史では、中等教育史の研究が進んでいる。最近の『彦根東高校百二十年 史J(1996年刊)や『彦根西高百年史J(1987年刊)は、たんに学校史をこえて、 地域教育史とよべるような水準の高いすぐれた研究成果がある。前者は、彦根藩校弘道館 から彦根中学校の系譜を引き、後者は彦根女学校の系譜をヲ│く、いずれも伝統ある中等学 校の後身である。 これに比して、彦根市内の中心部の小学校には、他地域で発見されるような、明治期か らの戦前の学校沿革史や学校日誌の資料がなぜかあまり残されていない。明治期から大正 期に、そして昭和戦前期にかけて、戦前教育の小学校史の大きな流れををとらえようとす る時、学校沿革史と学校日誌がないことは致命的である。 城西小学校の教育史資料のうち注目すべき資料は、明治後期から昭和戦前期までの卒業 生徒作品集ともいうべき生徒の作文・習字・絵画などの「記念帖Jr
卒業記念成績」資料で ある。明治36年度から昭和 16年度までの各年度のほとんどが揃っており、明治 36年 度 ~42 年度では、 「卒業男生紀年帖J
r
卒業女生紀年帖」には、 「我が家Jr
己が履歴」 「卒業にのぞみて思うことJ
r
彦根町」などの生徒作文が収録されている。明治後期の小 学生が何を考え、どのような社会像を持っていたかを知る上で、貴重なものである。作文 の題は、明治45年度以降は、 「我等の覚悟J
r
我が希望」と変わるのも興味深い。また、 卒業記念の書道の題が、明治後期では「卒業前途多望正直勤勉成功Jr
人間快楽の父学問 進歩の母Jr
帝国議会法律予算決議協賛裁可」等となっていたのが、第1次世界大戦後の 大正期には「忠君愛国義勇奉公Jr
忠君良妻賢母紳士」に変わるのも時代が感じられる。 城西小学校資料としては、戦後直後から現在までの学校日誌がすべて揃って保存されて いた。昭和20
年・21
年度の「城西国民学校」から同22
年度の「城西小学校」へと受け 継がれ、以後の分は平成7年度まで全冊保存されていた。戦後教育に関する資料として、 「城西新聞」第1号(昭和 23年)から第 153号(昭和 57年)までの学校新聞が、大 きく 3分冊に綴じ込まれている資料があった。初期の号は、父母と先生の会と学校の共同 発行の形で、のちにはPTA新聞の形で長く発行された新聞資料である。 4 甲賀郡甲南第I小学校・小原小学校・鮎河小学校の教育史資料 第7集には、甲賀郡内の 3小学校の教育史資料の目録を掲載したυ これまでには、第1集の信楽小学校、第
2
集の水口小学校、甲賀町大原小学校、雲井小学校、第4
集の甲南中 部小学校、第6集の石部小学校などの教育史資料について、目録を報告してきた。今回は 6月調査の甲南町と、 10月調査の信楽町、土山町の小学校分を報告する。 甲南第1小学校は、明治7年創立の晩成学校一寺庄尋常小学校と、同年創立の明要学校 一深川尋常小学校の2校を主に引き継いでいる、旧寺庄尋常高等小学校を系譜にもつ学校 である。学校沿革史は、この寺圧尋常小と深川小の2校の明治24年編纂のものから現在 までよく保存されていた (昭和13年から16年分のみ欠落)。この学校には、 「明治3 9年」の「寺圧高等小学校」編纂になる、郷土誌 3冊の綴じ本が保存されていた。自村の 寺庄村のみならず、近村の南柚村、宮村、油日村、大原村などの自然・民話・風俗・地誌・幼 児語他が収録されていた。また、学事調査一覧表が、明治34
年<
1
9
0
1
>
度分から昭和34
年<
1
9
5
9
>
度まで揃っており、同校の学事統計の変遷を追うことが出来る。 信楽町小原小学校は、学校沿革史では明治6- 1 6年の「杵郷学校」というきわめて年 代の古い沿革史が保存されていた。この明治16年段階の学校沿革史としては、これまで 水口小学校資料中に、甲賀郡役所届け用の「小学校沿革誌綴J8校と、同年下書き 1校の 9校分が存在している。今回の小原小学校の「沿革誌草稿 枠郷学校」は、形式、内容と も同ーのものである。同校の他の沿革史では、明治35
年編纂の小原北尋常小学校、明治 4 2年編纂の小原尋常高等小学校、これを引き継ぐ年代の沿革史が残されている。 小原小学校の学校日誌では、昭和19年度から切れ目無く平成7年度までが保存されて いた。このうち昭和21年度から24年度は、小原小中学校の学校日誌となっており、小 学校と中学校が併設の形てあったがわかる。同校の資料中に、 「郷土唱歌 全」という冊 子が年代不詳であるが、興味深い資料がある。昭和3年の「本校教育之概況」と共に保存 されたので、郷土教育のなかで作成された昭和戦前期の物と推測される。 土山町の小学校調査で、土山小学校を訪れた。土山小では、学校沿革史と学校沿革史が 発見できなかった。校長先生はじめ各方面にあたってもらったが、全く見つけることが出 来なかった。土山町の鮎河小学校資料で・は、明治 28年度以降昭和43
年までの学校沿革 史と、学林関係資料が所蔵されている。 5 彦根市立図書館所蔵の旧教科書資料 彦根市立図書館は、大正5年<1
9
1
6
>の開館から8
0年の歴史を持つ県内屈指の公共図 書館である。同図書館には、教育史資料として貴重な資料が数多く所蔵されている。昨年 度の第6集には、同図書館『郷土資料目録』中の教育史資料を抜き出して収録したが、本 年度は所蔵教科書の調査を実施した。同図書館は開館80周年記念の「特別コレクション 展Jを11月上旬に開催される予定であるとお聞きした。館所蔵の古文書や巻物や錦絵な どとならんで、旧教科書も一部展示のことで、 7月- 9月に旧教科書の調査を行わせてい ただいた。今回の収録分は、 11月の時点までの調査で作成した目録である。まだ未調査 のところがあるので、同図書館蔵書の全体の一部であることを断っておきたい。 さて、今回の旧教科書の目録作成過程で彦根の教育史研究を進める上で、重要な事実が わかった。それは、 ① 明治初期の稀少な教科書や重要な教科書類が同図書館に予想され た以上に所蔵されていたこと、② 同図書館に移管される前の旧蔵書印から、彦根町内の-5-小学校の成立史や変選史を明らかにできる事実が見つかったことである。 ①について…ー…一同図書館の旧教科書の多くは、主に彦根尋常高等小学校と彦根西尋 常小学校の2つの旧蔵書印が刻印されているところから、 2校から移管されたと思われる。 移管時期については、同図書館でもわからないとのことである。本資料目録には、調査途 中でこの事実に気つeいたこともあって、目録カードに詳細な旧蔵書印を記したものとそう でないものがある。 彦根尋常高等小学校・彦根西尋常小学校の2校の旧蔵教科書は、総点数247点 総冊数 755冊に及んでいた。その後に調査した御大典記念開国文庫の棚に入っている旧蔵教科 書は、総点数56点 総冊数181冊であった。開国記念文庫に入っている旧教科書中に も、彦根尋常高等小学校と彦根西尋常小学校の旧蔵書印を刻する教科書が、多数存在して いた。したがって、調査時点での総点数は303点、総冊数は936冊としておく。 <彦根尋常高等宇小学校・彦根西尋常小学校>分 A 国語 7 2点 272冊 B 修身 3 1点 110冊 D 歴 史 37点 103冊 F 理科 1 7点 58冊 H 体 操 5点 6冊 J 家庭 2点 2冊 L 漢 籍 4点 20冊 <御大典記念開国文庫>分 A 明治初期教科書
<
1
>
修身6
点2
5
冊<
3
>
地 理 1 8点3
6冊 <5>理 科 1 2点 45冊<
7
>
教育学6
点2
0
冊 B 漢 籍 4点 27冊 明治初期の教科書として、福沢諭吉の著作になる教科書類が多数見つかった。r
頭書 世界圏壷J
(慶応義塾蔵版、再刻明治 4年 初版明治 2年)r
西洋事情J (尚古堂、明治 3年)r
童蒙をしえ草J(明治5年)r
学問ノススメJ (福津諭吉・小幡篤次郎、明治6年 明治9年〉。 慶応義塾からの 「生産道案内J
(小幡篤次郎 明治3年)も所蔵本である。 開国文庫の教科書蔵書には、西洋文明を取り入れるために、明治初期に文部省などから 刊行された翻訳修身教科書が、多数発見できた。また、開化往来物とされる 「開化物」教 科書の一群が見つかった。翻訳教科書では、 「西国立志編」スマイルス著、中村正直課 (明治3年)、 「修身論J原著フランシス・ウェーランド、阿部泰蔵訳 (明治7年)、 「泰 西勧善訓蒙」原著ボンヌ(仏)、箕作麟祥訳述 (明治 6年)、 「教訓手引草」 井上廉平訳 (明治7年)、 「泰西世説」原著チ工ンプルス (英)、中川将行訳 (明治7年〉などがある。 地理科の開化往来として、橋爪貫一の明治4年から6年まで刊行された、 「世界商貰往 来J
r
績世界商責往来Jr
続々世界商責往来J
r
世界商責往来補遺」や、 「開化童子往来」 松山半山編(明治 6年)、下等祐ーの 「文明開化乾・坤J
(明治 6年)r
文明開化二編上・ 下J
(明治7年)、横川秋清の 「開化之入口 上・下J
(明治6年)r
開化之入口二編上・ 8 3冊 5 0冊 3 0冊 6冊 1 1冊 4冊 3 2占 23点 1 5点 1占 7占 2点 地理 算数・数学 実 業 音楽 教育学・教授書 固定教科書 戸 し pupuylvhuE 1点 2冊 8点 25冊 1点 l冊 <2>歴 史 <4>数学<
6
>
図画下
J
(明治7年)、 「開化問答」小川為治著述、 「開知新編」橋爪貫一纂輯(明治2年)、 「文明開化内外事情」東江学人纂輯(明治6年)などがある。 この他には、時代がやや下がって明治20-30年代の小学校の商業の教科書が目を引 くo いずれも 「彦根尋常高等小皐校」の蔵書印がある。小学校の商業科で使用された教科 書は、これまで県下ではあまり発見されていない。r
小皐校用商業書J
(明治21年)に 始まり、 「商業讃本J
(明治25
年)、 「商業新書J
(明治26
年)、 「商事教本J
(明 治36年)、 「新商業譲本J
(明治36年)、 「初等商業書J
(明治36年)、 「小皐商 業教科書J
(明治 36年)、 「初等商業書J
(明治36年〉、 「高等小皐商業J
(明治3 8年)など。農業科の教科書は、意外に少なかった。明治初期の「農家日用往来」河郁祐 吉、琵琶湖書籍(明治7年)があるぐらいであった。 彦根尋常高等小学校は、│日彦根町の中心学校であるのみならず、犬上郡内での中心学校 でもあった。明治初期の教育学・教授書のなかでも、稀少本が蔵書として備え付けられてい たことがわかる。同校旧蔵書の 「改正教授術J (明治17-20年)はじめ、開国文庫に は教育学書として、6
点20
冊が所蔵されていた。r
和蘭畢制 上・下」内田正雄語、東京 ・開成皐校 (明治2年)、 「教師必讃 全J和蘭・ファン・カステール(明治10年)、 「加 氏教授論」甲斐錦衛、文部省刊行(明治11年)、 「教育史 上・下」西村茂樹語、天賜堂 (明治16年)である。 同文庫には、小林義則著「師範皐校小撃試験成規 乾・坤J
(明治8年)という教育書が ある。小林義則は、元彦根藩士族でこの本に東京師範皐校得業、神奈川県1等訓導の肩書 きをもっている。彼は後に教員をやめて、明治20年代の各種の教科書を多数出版した文 学社の社主となる。この「小学試験成規」は横浜・丸屋善八他により出版され、乾で-下等小 学試験法 (4- 1 7丁〉坤で試験式(18-46丁)を扱っている。旧蔵書印は 「犬上郡 第八区小皐校J
r
滋賀県犬上郡第一区高等尋常科彦根小学校J
r
犬上郡池洲尋常小学校」 の印がある。滋賀県下で・小林の文学社編輯「小学読本」が、多数採択されていた。 滋賀県師範学校の教師が著した小学校教科書も、何冊か発見されている。そのうちの志 賀泰山編「化学最新 一 五」大阪・龍章堂(明治10年)を取り上げてみる。志賀泰山は、 東京開成学校で理化学を専攻し、明治10年までドイツ人へルマンリッテルに学ぶ。10 年春卒業と同時に、官立大阪師範学校理化学教員に招聴された。授業の暇を見て・ンュライ ベルの化学書を翻訳していた。本著は、この訳本であることを、序文に大阪師範学校校長 西村貞が書いている。志賀は、 10年秋に財政難から大阪師範学校が廃校となったため、 滋賀県師範学校理化学教員に転出した。滋賀県師範学校では、刊行したばかりのこの本を 使って講義を行ったと思われる。 ②については、明治初期の国語入門教科書 「槍入智慧の環」と修身の「日本立志編」の 2つの教科書の蔵書印の事例を出して見ておこう。前者は古川氏の手になる著作で、初編 から四編まで・の各編上・下二巻つ.つ8冊について、明治3年から3-5年に刊行されたが、 旧蔵書印から興味深いことが浮かび上がる。r
楢入智慧の環」は、旧蔵により A B Cの 3 種あることがわかった。<
r
箱入智慧の環」の場合の旧蔵書印> 1r
緒入智慧の環 初編上・下詞の巻」明治3年 初 編 上 (2 0丁)下 (20丁)各3冊 A-蔵書印 「犬上郡第八区小皐校J
r
犬上郡池洲尋常小皐校」表紙朱筆第16号-7-B-蔵書印 「司11蒙学校JI小皐校JI犬上郡小道具尋常小撃校」表紙朱筆第117号 C-蔵書印 「惰善皐校」 *ABCとも「滋賀県系犬上郡第一撃区高等尋常科彦根小皐校J
I
彦根尋常高等小皐校」 の印あり。2
I
槍入智慧の環 二編上高園書の巻・下調の巻」明治3
年 二編上(24
丁)下(19丁)A
一蔵書印 「階梯皐校JI
犬上郡池洲尋常小皐校」表紙朱筆第1
6
号 B-蔵書印 「訓蒙学校JI小皐校JI犬上郡小道具尋常小撃校」表紙朱筆第117号 C-蔵書印 「犬上郡第八区小皐校」 *ABCとも「滋賀懸犬上郡第一撃区高等尋常科彦根小皐校」の印あり。 3I
槍入智慧の環 三編一上大日本国壷の巻・下一詞の巻」明治 5年 三編上(2 2丁)下 (2 1丁)A-
蔵書印「階梯皐校」表紙朱筆第1
6
号 B-蔵書印「司11蒙学校JI小皐校J I犬上郡小道具尋常小皐校」表紙朱筆第117号 C一蔵書印「犬上郡第八区小畢校J
I
犬上郡池洲尋常小撃校J
*ABCとも「滋賀県系犬上郡第一撃区高等尋常科彦根小畢校」の印あり。 4I
槍入智慧の環 四編一上名所の巻、大日本国量の巻・下一調の巻」明治5年 四編上 (2 6丁 ) 下 (2 5丁)一各3冊A-
蔵書印「階梯皐校J
I
犬上郡池洲尋常小事校」表紙朱筆第1
6
号 B-蔵書印 「訓蒙学校J
I小皐校J
I犬上郡小道具尋常小皐校」表紙朱筆第117号 C一蔵書印「犬上郡第八区小皐校」 *ABCとも 「滋賀県系犬上郡第一畢区高等尋常科彦根小皐校」の印あり。<
I
日本立志編 一名修身規範」の場合の旧蔵書印> 同教科書は、明治10年代によく使われた千河岸貫一著述で、大阪・吉岡平助、前川善兵 衛によって出版された。同名の3種類の教科書が所蔵されていた。 5I
日本立志編 ー名 修 身 規 範 一 三」明治12年 旧蔵一蔵書印「入徳JI
犬上郡小道具尋常小皐校JI
犬上郡第一撃区尋常高等科彦根 小皐校J
(表紙朱書)第56号、表紙ラベル「彦根尋常高等小皐校」第67号 6 I日本立志編一名修身規範 一 三」明治12年 旧蔵一巻ーは、明治15年発行本、蔵書印「初葉畢校J
I
犬上郡池洲尋常小皐校」 。 巻二・三は、蔵書印「階梯撃校J
I
犬上郡池洲尋常小皐校」。 巻一二三とも、蔵書印「犬上郡第一撃区尋常高等科彦根小皐校J
(表紙朱書)第37号、表紙ラベル「彦根西尋常小皐校」第36号。 7 I六刻日本立志編ー名修身規範 一 三」明治16年 旧蔵一蔵書印「犬上郡下片原尋常小皐校J
I
犬上郡第一撃区尋常高等科彦根小畢校」 表紙ラベル「彦根西尋常小皐校」 上記の 1-7の旧蔵書印から、明治5年-20年代の旧彦根町の小学校の変遷をたどり、 城東小学校所蔵『学校日誌』、 『文部省年報J
などで補充して構成すると、次のように彦 根の小学校変選図を描くことが出来る。彦根尋常小学校が校名変更して、 「彦根西尋常高 等小学校」となるのは、昭和12年のことであるO<明治5-28年の彦根小学校の変選> 学 区 校 名 1区 博 文 学 校 2区 初 葉 学 校 3区 入 徳 学 校
4
区 訓 蒙 学 校 5区 教 蒙 学 校 6区 修 善 学 校 7区 明 道 学 校 8区 芹 水 学 校 9区 階 梯 学 校1
0
区 青 年 学 校 同 開明学校4
区 集 義 学 校 創立 6年 7 6 5 6 6 6 6 6 9 6 7 明治26年 明治28年 彦根尋常高等 小学校 1 996年11月初旬に、彦根市立図書館の80周年記念の「特別コレクション展」が 開催された。古文書、絵図の展示とともに、明治初期の旧教科書の展示が行われた。旧蔵 教科書の調査に便宜を図っていただいた同図書館の木村純子さんのご尽力に対して、協力 させていただく意味で教科書の展示にあたって、短い解説資料を書かさせていただし、た。 本解説と一部重なる部分があるが、資料解説のあとに附属資料として掲載しておく。 彦根の小学校の成立史や制度史の研究は、明治期の20
年代までがかろうじて復元出来 るまでになった。いずれにしろ、今後の新しい教育史関係資料の発掘とその分析に待つと ころが大きいといわねばならない。 1 9 97年 2月 22日 オミ二壬主持著1
専-9-《伊付
l
高望歪米斗》 )~桔主 E こま引っテるノJ 、今金本交cc>彦司本交 <彦根における小学校の開校> 彦根城下における小学校の開校は、 『文部省年報第 3~第 5 年報J (明治 8 年~ 1 0 年)によると、明治5年の彦根瓦焼町(のち上小道具町)に設立された「訓蒙学校」が最 初である。当時の彦根市街地は第1区から 10区に分けられていた。第4区訓蒙学校に続 いて、翌明治6年に第 1区上魚屋町に「博文学校」、第 3区京橋上片原町(のち白壁町) に「入徳学校」、第5区上薮下町に「教蒙学校」、第 6区外馬場町に「修善学校」、第 7 区中薮上片原町に「明道学校」、第8区池洲町に「芹水学校」、第 9区上河原町に「階梯 学校J
、第10区大橋町に「開明学校」が次々に開校した。さらに明治7年の第2区松原 馬場町に「初葉学校」が開校したこと、第4区にはもう 1校古沢町に「集義学校」が開校 している。また、第 10区後三条町に「青年学校」が明治 9年に開校している。これをも って、第1区から第 10区までの城下の町組すべてに、小学校が計 12校開校したのであ る。明治10年に古沢町は村となり、彦根町の開校は 11校とされる。 <滋賀県における小学校の開校> 滋賀県における小学校の開校の最初は、明治4年9月の坂田郡長浜神戸町の「第一小学 校J
(のち「関知学校」と改称〉である。ついで、明治5年4月の犬上郡高宮村「第2小 学校J
(のち「先鳴学校J
)が、同年5月の坂田郡相原村の「郷学校J
(のち「開文学校J
)
が、 10月には高島郡海津村の「興化学校Jが、それぞれ地域住民の熱意と経済的な強い 負担力によって設立され開校した。明治5年8月に日本の近代的な学校制度を定めた「学 制」が頒布されるが、 「学制」公布以前とその直後の時期であった。 明治 4~5 年に滋賀県で開校した 5 校の小学校は、廃藩置県で明治 4 年 7 月に彦根県と なり、 11月長浜県と改称し、 5年2月に犬上県となり、その管轄のもとにあった地域で ある。長浜県犬上県は、積極的な学校政策を展開し、小学校御用掛を設けて、 「犬上県 内小学建営説諭書」を管内に配布している。 なお、近江国の残り半分を管轄した大津県での小学校の開校は、明治6年以降に集中し て設立されてし、く。明治5年 9月 28日に、旧犬上県と旧滋賀県(5年 1月大津県改称) が合併し、滋賀県が誕生している。滋賀県令松田道之は、精力的に小学校設立政策を明治 6年2月から「立校方法概略Jにより展開し始めていった。 <明治 8~ 1 0年の彦根の小学校教員・生徒> 『文部省年報 第 3~第 5 年報JI (明治 8 年~ 1 0年)の滋賀県公学校一覧表による統 計で、この時期の彦根の小学校の教員数および‘生徒数がわかる。明治10年の滋賀県全体 では、小学校教員は 1 校 1~2 人の学校が 77% と圧倒的に多数であり、生徒数 5 0人以下が半数、 51~lOO 人が 39% を占めていた。 これをみると彦根の小学校は、小学校 の開校当初から小学校教員数および生徒数において、充実していたといえる。小学校教員 と生徒数の大規模校が約10校そろっていたのは、ほかには町場の商業地大津ぐらいであ る。 明治8年 明治
9
年 明治10
年 教員 生徒 教員 生徒 教員 生徒 男 女 男 女 男 女 博文学校4
人1
1
3
人9
1
人9
人1
7
4
人1
7
8
人 8人1
2
7
人7
7
人1
区 計2
0
4
人 計3
5
2
人 計2
0
7
人 初葉学校 81
7
6
8
5
1
2 1
8
3
1
1
5
1
1
1
7
0
8
6
2
区2
6
1
人2
9
8
人2
5
6
人 入徳学校 71
2
1
1
0
0
9 1
6
3
1
1
5
9
9
4
5
9
3区2
2
1
人2
7
8
人1
5
3
人 訓蒙学校5 1
1
9
1
0
4
71
1
2
8
8
5
9
8
5
9
4
区2
2
3
人2
0
0
人1
5
7
人 集義学校1
2
5
1
5
32
6
1
4
2
2
6
1
3
4
区4
0
人4
0
人3
9
人 教蒙学校4
1
2
0
7
5
61
3
4
8
7
71
3
3
6
5
5
区1
9
5
人2
2
1
人1
9
8
人 修善学校 71
1
6
8
7
81
4
9
9
3
9
1
4
4
7
5
6区2
0
3
人2
4
2
人2
1
9
人 明道学校 81
5
3
6
6
9 1
3
4
9
3
9
1
5
7
6
5
7区2
1
9
人 (女1)2
2
1
人 (女2
)
2
2
2
人 芹水学校 82
1
4
1
2
7
81
9
2
1
5
4
1
1 2
0
4
1
3
5
8区3
4
1
人3
4
6
人3
3
9
人 階梯学校4
1
3
8
1
0
8
61
1
7
8
9
81
2
2
9
1
9
区2
4
6
人2
0
6
人2
1
3
人 青年学校4
6
1
4
3
5
4
8
3
8
1
0
区1
0
4
人8
6
人 開明学校5
1
0
8
9
6
4
7
1
4
6
5
4
2
3
4
1
0
区2
0
4
人1
1
7
人7
6
人 <旧教科書の蔵書印からみた明治の小学校> 彦根市立図書館には、多数の明治初期の旧教科書が所蔵されている。旧教科書にはかつ ての学校所蔵を示す蔵書印があり、学校の変遺と系譜を知る上で興味深い。蔵書印は、 l 校の蔵書印だけでなく、何校かの蔵書印が押されてあるものが多い。 ' ' A ' E ・ 4宮内省刊行の『幼学綱要 巻1~7
J
の場合をみてみよう。西村茂樹編集の明治初期の 修身書として著名な『幼学綱要 巻1~7.] (明治15年刊)は、市立図書館には3セッ ト揃っている。これを便宜的に Aセット、 Bセット、 Cセットと名付ける。 (Aセット)………巻1・
2・
3・
4・
5の蔵書印は、 「入徳学校蔵書之印J
I犬上郡下片原 尋常小学校J
I
滋賀県犬上郡第一学区高等尋常科彦根小学校」となっている。入徳学 校印本は、表紙に朱筆で第47号と蔵書番号が記されている。巻6・
7の蔵書印は、 「教蒙学校J
I
犬上郡池洲尋常小学校J
I
滋賀県犬上郡第一学区高等尋常科彦根小学 校」である。教蒙学校本は、表紙に朱筆で第 4号と記されている。 このAセットは、表紙ラベルに「彦根西尋常高等小学校」が貼られており、現在の 城西小学校からの寄贈であることが判明する。 (Bセット)………巻1・
3・
4・
5・
6・
7の蔵書印は、 「犬上郡明道学校J
I
滋賀県犬上郡 第一学区高等尋常科彦根小学校」となっている。犬上郡明道学校本は表紙に朱筆で第 6号と記されている。巻2の蔵書印は、 「犬上郡小道具尋常小学校J
I
滋賀県犬上郡 第一学区高等尋常科彦根小学校」である。この本は、朱筆で第2号と番号が付されて いる。 このB
セットは、表紙ラベルが「彦根尋常高等小学校」となっており、朱筆で第2
4号と蔵書番号を書いている。現在の城東小学校からの寄贈本である。 (Cセット)…・・・…巻l・
2・
3・
4・
5・
6の蔵書印は、 「司11蒙学校J
li滋賀県犬上郡第一学 区高等尋常科彦根小学校」となっている。巻7のみ、 「初葉学校J
I
滋賀県犬上郡第 一学区高等尋常科彦根小学校」となっている。この巻 1~7 は、いずれも表紙に朱筆 で第1号と蔵書番号を記している。 Bセットと同じく、 Cセットには表紙ラベルが「彦根尋常高等小学校」となってお り、なお朱筆で第12号と蔵書番号を書いている。 このように市立図書館に所蔵されている明治初期の旧教科書には、主に彦根尋常高等小 学校の旧蔵本と、彦根西尋常高等小学校の旧蔵本との2種の系譜をもつものが多い。 <明治期の彦根の小学校の発展と系譜> 旧教科書中の蔵書印のなかで、単に「小学校J
という学校名のない蔵書印がある。I
小 学校」の蔵書印のある教科書は、 「訓蒙学校J
I
小道具尋常小学校J
I
滋賀県犬上郡第一 学区高等尋常科彦根小学校J
I
彦根尋常高等小学校」の蔵書印が必ずある。I
小学校」蔵 書印のある教科書類は、明治5年設立の彦根で最初の小学校「訓蒙学校」の古い蔵書であ ったことをうかがわせる。 また、 「滋賀県犬上郡第一学区高等尋常科彦根小学校J
の蔵書印のある教科書が多数あ る。これは、明治 19年11月1日にそれまでの彦根市内の 10区11町にあった 11校 をすべていったん廃校にして、本町に高等尋常科併置の大学校を設立したことによるもの である。第 4 区集義学校は、明治 7~9 年統計表では古沢町となっているが、 1 0年以後 の表では古沢村となっているので、 12校にならなかった。 その後、明治25年7月1日に彦根町では、高等科小学校として「彦根高等小学校」と 尋常小学校として「下片原尋常J
li池洲尋常J
I
小道具尋常J
r
安清尋常」の4尋常小学校が分離されて、設立されている。この4つの尋常小学校は、翌年明治26年11月 1日 に下片原、池洲の2校が合併して、 「彦根西尋常小学校」になり、小道具、安清の2校が 「彦根東尋常小学校Jとなる。 さらに、明治28年3月31日に至ると、彦根高等小学校が廃止されて、彦根東尋常小 学校と合併、統合されてし、く。この時点で、東の字を取り去り「彦根尋常高等小学校」と 名称を改称した。同時に、彦根西尋常小学校は名称を西の字を取り去り、 「彦根尋常小学 校」と称することとなった。 市立図書館所蔵の旧教科書には、 「彦根高等小学校」印、 「下片原尋常小学校
J
I
池洲 尋常小学校JI
小道具尋常小学校」印などはもちろん、 「彦根尋常高等小学校J
I
彦根西 尋常小学校」などが、押されている。 彦根の町の初期の小学校の蔵書印から見ると、 「入徳学校」→「下片原尋常小学校J、 「教蒙学校」→「池洲尋常小学校」、 「初葉学校」→「池洲尋常小学校」、 「階梯学校」 →「池洲尋常小学校J
の各校は、 「彦根西尋常高等小学校J
となっていき、一方「訓蒙学 校」→「小道具尋常小学校」、 「明道学校」・「修善学校」は、 「彦棋尋常高等小学校」と なってし、く系譜が、はっきりと読みとれて興味深い。(城西小学校所蔵資料『明治28年 以 降 学 校 一 覧 表 彦 根 尋 常 小 学 校J)
。 。
唱 EA算事 1 音β 全戸本交字合宣言玉音昔、 ・ 宅 詳 キ 交 日 ま 志 会 事 孝{{苦手島昌13fミ望歪米斗
1
.
-
-
-
未こ主哲子行主主走会事ノJ
、宅詳キ交月斤葉支望圭和十1
9
9
6
.
7
.
3
、7
.1
5
調 査 A 学校沿革誌 1I
学校沿革誌 第一編 自明治六年二月十一日至明治二十年十一月 滋賀県系滋賀郡第三学区高等尋常科大津小学校」 2I
学校沿革誌 第二編 自明治二十年十一月至明治二十三年十二月 滋賀豚滋賀郡第三学区高等尋常科大津小学校」 3I
学校沿革誌 第三編 自明治二十四年一月至明治二十五年十二月 滋賀鯨滋賀郡第三学区高等尋常科大津小学校」 4I
学校沿革誌 第四編 自明治二十五年五月至明治三十年十二月 滋賀豚滋賀郡第三学区高等尋常科大津小学校 附滋賀豚滋賀郡第三学区簡易科大津第一小学校」 *簡易科小学校は、明治十九年以降の沿革史5 I
学校沿革誌 第五編是明治三十一年一月至明治三十八年 滋賀豚滋賀郡第三学区高等尋常科大津小学校」 @1---5は、函入りセット。明治 6年創立 明治 38年6
I
長等小学校沿革誌 自明治四十五年至大正十二年」 *明治45年 大正 12年。沿革は、学校日誌の簡潔な記事スタイル。 7I
長等小学校沿革誌 自昭和二年至昭和十六年」 *昭和2
年---1
6年。10
年は職員配置のみ、昭和13
年度は欠落。8
I
長等小学校沿革誌 自昭和十七年至昭和二十三年」 *昭和17 年~ 23年。昭和 19年度欠落9
I
大津市立長等小学校沿革誌 自昭和二十四年度至昭和三十四年度」 *昭和2
4 年 ~34
年 1 0 I長等小学校沿革誌 自昭和三十五年度至昭和四十年度」 *昭和35 年 ~40 年 1 1I
長等小学校沿革誌 自昭和四十一年至昭和四十九年」 *昭和41年---49年 1 2 I大津市立長等小学校沿革史 昭和五十年度起 昭和五十四年度」 *昭和41 年 ~49 年 1 3I
大津市立長等小学校沿革史 起昭和五十五年度至昭和六十三年度」 *昭和55 年~ 63年 1 4I
大津市立長等小学校沿革史 起平成元年度至平成七年度J *平成元年 ~7 年-15-B 学校日誌 <明 治 期 > 1 8冊 1 5
I
修道学校 日誌J
*明治19 年 4 月 1 日 ~4 月 27 日 1 6 I明治十九年四月 日誌大津学校第一支校」 *明治19 年 4 月 1 日~1 0月30日 **旧蔵番号一日誌3 @大津学校第一支校は、 「修道学校」の上に貼付 1 7I
明治十九年十一月ヨリ二十年十二月マテ 日誌 簡易科大津第一小学校 尋常科大津小学校第一分教場」 *明治19年11 月~ 20年 12月 **旧蔵番号一日誌4 1 8I
明治二十一年一月ヨリ 日誌 尋常科大津小学校第一支校」 *明治21 年 1 月 ~23 年 9 月 **旧蔵番号一日誌5
1 9I
明治二十二年一月ヨリ 日誌 簡易科大津第一校」 *明治22 年 1 月 ~23 年 1 0月31日 **旧蔵番号一日誌1 2 0I
明治廿三年十一月一日ヨリ 日 誌 簡 易 科 大 津 第一校」 *明治23年 11 月~ 25年5月 **旧蔵番号一日誌2 2 1I
自明治二十三年4月七日至明治廿五年三月十八日 日誌 尋常科大津小学校第一支校」 *明治23 年 4 月 ~25 年 3 月 **旧蔵番号一日誌62
2
I
明治二十五年五月 日誌 大津西尋常小学校印」 *明治25 年 5 月~1 1月 **旧蔵番号一日誌7 @15~22 まで書式は、罫紙に重要年月日、記事を記入。 2 3以後は、設 定された記入欄に出欠席、記事を記入する書式となる。2
3
I
自明治廿五年十一月至明治廿七年三月 日誌 滋賀蘇滋賀郡大津西尋常小学校」 *明治25年 11月 明治 27年3月 *本旧蔵番号一日誌82
4
I
明治廿七年四月 日誌 大津西尋常小学校」 *明治 27年 4月 明治 30年 3月 **旧蔵番号一日誌92
5
I
自明治三十年四月至全三十一年十一月 日誌 大津西尋常小学校J
*明治30年4月 明治31年11月 **旧蔵番号 日誌10 2 6I
自明治三十一年十二月至全三十三年三月 日誌 大津西尋常小学校」 *明治31年 12月 明治33年3月**旧蔵番号一日誌12 2 7 I自明治三十三年四月至 日誌 大津西尋常小学校」 *明治33年 4月 明治34年 4月 **旧蔵番号一日誌11 @ 2 8 以降は、 23~27 の記入欄の形式と変わる欄形式。 2 8 I明治三十四年度 日誌 大津西尋常小学校
J
*明治34年 4月 明治35年 3月 **旧蔵番号一三十四年度2
9
I
明治三十五年度 日誌 大津西尋常小学校」 *明治35年 4月 明治36年 3月 **旧蔵番号一三十五年度 3 0I
明治三十七年一月ヨリ三十八年十二月マデ 校中日誌 大津西尋常小学校」 *明治37年 1月 明治 38年 12月 **旧蔵番号一三七・八年度 3 1I
明治三十九年度 日誌 大津西尋常小学校」 *明治39年 1月 明治 40年 3月 本*旧蔵番号一三十九年度 3 2I
明 治 四 十 年 明 治 四 十一年 学校日誌 大津西尋常小学校」 *明治40年 4月 明治4 1年 12月 *本旧蔵番号一四十・四十一年度 <大正期> 4冊 3 3 I大正七年 学校日誌 大津西尋常小学校」 *大正 7 年 1 月 8 日~1
2
月24
日 翌8
年1
月より帳簿形式変更 **大正期の学校日誌の前に「当宿直通知調印簿」を綴込み。 3 4I
大正九年度 学校日誌 大津西尋常小学校印」 *大正 9 年 1 月~ 1 2月 3 5 I大正十二年 学校日誌 大津西尋常小学校」 *大正1
2 年 1 月~1
2
月 3 6I
大正十三年 学校日誌 大津西尋常小学校」 *大正1
3 年 1 月~1
2
月 <昭和期> 53冊 3 7I
昭和十一年 校中日誌 大津西尋常小学校」 *昭和1
1 年 1 月 1 日~1
2
月31
日 @以下 1 /1 ~12131 は同じ 3 8 I昭和十二年 校中日誌 大津西尋常小学校J
*昭和1
2 年 1 月~1
2
月 3 9I
昭和十四年度 校中日誌 大津西尋常小学校」 *昭和1
4 年 1 月~1
2
月 4 0I
昭和十五年 校中日誌 大津西尋常小学校」 *昭和1
5 年 1 月~1
2
月 守 , ‘ , A4 1
I
昭和十六年 日誌 大津市長等尋常小学校」 *昭和 16年1月-12月 4 2I
昭和十七年 日誌 大津長等国民学校」 *昭和17年 1月-1 2月、巻頭頁に当宿員服務規定 4 3I
昭和十八年 日誌 大津長等国民学校」 *昭和18年1月-1 2月、巻頭頁に当宿員服務規定 4 4I
昭和二十年 校中日誌 長等国民学校」 *昭和20年8月21日 -2 1年4月14日 **8/21までの部分はカッタ ーで切り取っている。 4 5I
昭和二十一年度 校中日誌 長等国民学校」 *昭和21年4月1日-22年3月27日 4 6I
昭和二十二年度 学校日誌 大津市長等小学校」 *昭和22年3月28日 -23年4月13日4
7
I
昭和二十三年度 学校日誌 大津市長等小学校」 *昭和23年4月1日-24年4月1日 4 8 I昭和二十四年度 学校日誌 大津市長等小学校」 *昭和24年4月1日-25年4月13日 4 9I
昭和二十五年度 学校日誌 大津市長等小学校」 *昭和25年4月1日-26年4月8日 5 0 I昭和二十六年度 学校日誌 大津市長等小学校」 *昭和26年4月1日-27年3月29日 5 1I
昭和二十七年度 学校日誌 大津市長等小学校」 *昭和27年4月1日-27年3月31日5
2 I
昭和二十八年度 学校日誌 大津市長等小学校」 *昭和28年4月1日-29年3月31日5
3
I
昭和二十九年度 学校日誌 大津市長等小学校」 *昭和29年4月1日-30年4月10日 5 4I
昭和三十年度 校中日誌 大津市長等小学校」 *昭和30年4月1日-31年3月31日 @以下は、4
/1-3/31 5 5 I昭和三十一年度 校中日誌 大津市長等小学校」 *昭和31年4月-32年3月 5 6I
昭和三十二年度 校中日誌 大津市長等小学校」 *昭和32年4月-33年3月 5 7 I昭和三十三年度 校中日誌(本校) 大津市長等小学校」 *昭和33年4月-34年3月 **昭和33年度より 39年度まで、本校と北校舎に別れる。 5 8I
昭和三十三年度 校中日誌(北校舎) 大津市長等小学校」 *昭和33年4月-34年3月 5 9I
昭和三十四年度 校中日誌(本校) 大津市長等小学校」 6 0I
昭和三十四年度 校中日誌 〈北校舎) 大津市長等小学校」*昭和34年4月-35年3月 6 1 I昭和三十五年 校中日誌 長等小学校本校」 6 2
I
昭和三十五年 校中日誌 長等小学校北校舎」 *昭和35年4月-36年4月28日 本*日誌形式が横書きに変更。 6 3I
昭和三十六年 校中日誌 長等小学校本校J
6 4I
昭和三十六年 校中日誌 長等小学校北校舎」 *昭和36年4月-37年3月 6 5 I昭和三十七年度 学校日誌(本校〉 大津市長等小学校」 6 6I
昭和三十七年度 学校日誌(北校舎) 大津市長等小学校」 *昭和37年4月-38年3月 6 7I
昭和三十八年 校中日誌 長等小学校本校」 6 8 I昭和三十八年 校中日誌 長等小学校北校舎」 *昭和38年4月-39年3月 6 9 I昭和三十九年度 学校日誌(本校) 大津市長等小学校」 *昭和39年4月-40年5月1日 7 0 I昭和三十九年度 学校日誌(北校舎) 大津市長等小学校」 *昭和39年4月-40年4月15日 7 1I
昭和四十年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和40年4月-41年4月1日 @r
昭和40年5月15日全校、北校舎へ移り完全統合なる」 7 2I
昭和四十一年度 学校日誌 長等小学校」 本昭和41年4月-42年3月 7 3r
昭和四十二年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和42年4月-43年3月7
4
I
昭和四十三年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和43年4月-44年3月 7 5 I昭和四十四年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和44年4月-45年3月 7 6I
昭和四十五年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和45年4月-46年3月7
7
r
昭和四十六年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和46年4月-47年3月 7 8I
昭和四十七年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和47年4月-48年3月 7 9I
昭和四十八年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和48年4月-49年3月 8 0r
昭和四十九年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和49
年4
月-50年3月 8 1r
昭和五十年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和50年4月-51年3月 A U d -E A8 2 I昭和五十一年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和51 年 4 月 ~52 年 3 月 8 3
I
昭和五十二年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和52 年 4 月 ~53 年 3 月 8 4I
昭和五十三年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和53 年 4 月 ~54 年 3 月 8 5I
昭和五十四年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和54 年 4 月 ~55 年 3 月 8 6 I昭和五十五年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和55 年 4 月 ~56 年 3 月8
7
I
昭和五十六年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和56 年 4 月 ~57 年 3 月 8 8I
昭和五十七年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和57 年 4 月 ~58 年 3 月8
9
I
昭和五十八年度 学校日誌 長等小学校」 *昭和58 年 4 月 ~59 年 3 月 C 当宿直日誌 9 0I
自明治四十五年至大正元年 当宿直日誌 大津西尋常小学校」 *明治4
5年・大正元年<1912> 9 1I
大正六年 当宿直日誌 大津西尋常小学校」 *大正6年<1917> 9 2I
大正七年 当宿直日誌 大津西尋常小学校」 *大正7年<1918> D 学事年報諸表式、学事一覧表 9 3 I明治参拾壱年度以降 学校一覧表綴 大津市長等国民学校」 *明治31 年度< 1898>~ 昭和 3 1年度<1956> 9 4 I昭和二年以降 学事年報諸表綴 大津市長等国民学校」 *昭和2年度<1927> ~昭和 2 3年度<1948> E 修業謹書授与録関係 9 5 I自明治三十二年三月 至全三十四年三月 謹書授与録 大津西尋常小学校」 9 6I
明治三十五年三月 明治三十六年三月 修業謹書授与録 明治三十七年三月 明治三十八年三月 大津西尋常小学校」 9 7I
明治三十九年三月 明治四十年三月 修業謹書授与録明治四十一年三月 大津西尋常小学校」 F その他 9 8 I八十周年協賛会記録 大津市長等小学校」
*
8 0周年記念スクラップブック -2冊あり。 9 9 I増 訂 蒙 文 詳 註 日本大玉篇上・中・下」 石 川 鴻 斉 編 輯 東 京 博 文 館 明治24年<1891>11月8日 再 版 初 版 明 治20年 <1887> 5月 上巻(序3丁+凡例2丁+総目 14丁+目次1丁+巻-51丁+巻二4 6T+巻三46丁+巻四57丁) 中巻(巻五49丁+巻六 53丁+巻七67丁十巻八65丁) 下巻(巻九66丁+巻十80丁+巻十一55丁+巻十二54丁)1
0
0
I
教育研究要覧」滋賀県教育会編 昭和30年版、 32年版、 33年版、 34年版、 35年版、 36年版、 37年版、 38年版、 39年版、 40年版、 42年版、 44年版 本 34年版-2冊、 37年版-2冊、 38年版-3冊。 1 0 1I
昭和三十六年五月起参観視察 御芳名録 長等小学校」 *昭和36 年 ~5 3年 2 コた主蓉子行元主主支ノJ
、全安全本交月斤葉支望ま和十 1996.6.26調 査 A 学校沿革誌 1I
自明治六年至明治三十年 沿革誌」 *明治 6~30 年 2I
沿革誌 滋賀郡第三学区簡易科大津第四小皐校」 *明治 3I
自明治三十一年度至明治三十五年度 沿革誌J
*明治31
~3
5
年4
I
自明治三十六年度至明治四十年度 沿革誌」 *明治 36~40 年5
I
明治四十一年度 沿革誌」 *明治41年6
I
明治四十二年度 沿革誌」 *明治42年 7I
明治四十三年度 沿革誌」 *明治43年8
I
明治四十四年度 沿革誌」 *明治44
年 9I
明 治 四 十 五 年 大 正 元 年 度 沿革誌」-21-*明治4 5年・大正元年 1 0
r
大 正 二 年 三 年 四 年 度 沿革誌 大津南尋常小皐校」 *大正 2~4 年 @大正5~ 1 0年分の沿革誌欠け 1 1r
自大正十一年度至昭和七年度 沿革誌 大津南尋常小皐校」 *大正11年 昭和7年 1 2r
自昭和八年度至昭和十年度 沿革誌 大津南尋常小皐校」 本昭和8~ 1 0年 1 3r
自昭和十一年度至昭和十五年度 沿革誌 大津南尋常小皐校」 *昭和 11 ~ 1 5年 1 4r
自昭和拾六年度至昭和二十八年度 沿革誌 大津南尋常小皐校」 *昭和 16 ~ 2 8年 1 5r
自昭和二十九年度至昭和三十四年度沿革誌 大津市立逢坂小学校」 *昭和 29~34 年 1 6r
自昭和三十五年度至昭和四十二年度沿革誌 大津市立逢坂小学校」 *昭和 35~42 年 1 7r
自昭和四十三年度至昭和五十二年度沿革誌 大津市立逢坂小学校J *昭和 43~52 年 1 8r
自昭和五十三年度至昭和六十年度 沿革誌 大津市立逢坂小学校J *昭和 53~60 年1
9
r
自昭和六十一年度至昭和六十三年度沿革誌 大津市立逢坂小学校」 *昭和 61~63 年2
0
r
自平成元年度至平成三年度 沿革誌 大津市立逢坂小学校J *平成元 ~3 年 2 1r
自平成四年度至平成六年度 沿革誌 大津市立逢坂小学校」 *平成 4~6 年B
学校日誌 <大正期>2
2
r
大正六年四月 日誌 大津南尋常小皐校J 2 3r
大正七年六月二十四日 日誌 大津南尋常小皐校」 *大正7年6月24 日~ 1 2月 2 4r
大正八年度自一月二十六日至七月二十三日 日誌 大津南尋常小皐校」 *大正8年1月26 日 ~7 月 2 3日 2 5r
大正八年七月二十四日起十二月二日迄 日誌 大津南尋常小皐校」 *大正8
年7
月2
4 日~1
2
月2
日 2 6r
大正八年十二月三日起九年四月十八日 日誌 大津南尋常小皐校」 *大正8年12 月 3 日 ~9 年 4 月 1 8日 2 7r
大正九年四月十九日以降十月四日迄 日誌 大津南尋常小皐校」 *大正9年4月19 日~1 0月4日<昭和期戦前> 2 8
r
自昭和十年五月一日至昭和十一年六月八日 日誌 大津南尋常小皐校」 *昭和 10年5月 1日-1 1年6月 8日 2 9r
昭和十六年度 校中日誌 大津市逢坂園民皐校」 3 0r
昭和十七年度 校中日誌 大津市逢坂園民皐校」 3 1r
昭和二十年度 校中日誌 大津市逢坂園民皐校」 <戦後期> 3 2r
昭和二十一年度 校中日誌 3 3r
昭和二十二年度 校中日誌 3 4r
昭和二十三年四月起 校中日誌 3 5r
昭和二十四年度 校中日誌 3 6r
昭和二十五年度 校中日誌 3 7r
昭和二十七年度 校中日誌 3 8r
昭和二十八年度 校中日誌 3 9r
昭和二十九年度 校中日誌 4 0r
昭和三十年度 校中日誌 4 1r
昭和三十一年度 学校日誌 4 2r
昭和三十二年度 校中日誌 4 3r
昭和三十三年度 校中日誌 4 4r
昭和三十四年度 校中日誌 4 5r
昭和三十五年度 校中日誌 4 6r
昭和三十六年度 校中日誌 4 7r
昭和三十七年度 校中日誌 4 8r
昭和三十八年度 校中日誌 4 9r
昭和三十九年度 校中日誌 5 0r
昭和四十年度 校中日誌 5 1r
昭和四十一年度 校中日誌 5 2r
昭和四十二年度 校中日誌 5 3r
昭和四十三年度 校中日誌 5 4r
昭和四十四年度 校中日誌 5 5r
昭和四十五年度 校中日誌 5 6r
昭和四十六年度 校中日誌 5 7r
昭和四十七年度 校中日誌 5 8r
昭和四十八年度 校中日誌 5 9r
昭和四十九年度 学校日誌 6 0r
昭和五十年度 校中日誌 6 1r
昭和五十一年度 校中日誌 6 2r
昭和五十二年度 校中日誌 6 3r
昭和五十三年度 校中日誌 6 4r
昭和五十四年度 校中日誌 大津市逢坂国民撃校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校J
大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校J
大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 n d n r u6 5
I
昭和五十五年度 6 6 I昭和五十六年度 6 7I
昭和五十七年度 6 8I
昭和五十八年度 6 9I
昭和五十九年度 7 0I
昭和六十年度 7 1I
昭和六十一年度 7 2I
昭和六十二年度 7 3I
昭和六十三年度 7 4I
平成元年度 7 5 I平成二年度 7 6I
平成三年度 7 7r
平成四年度 7 8I
平成五年度 7 9I
平成六年度 校中日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 学校日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 校中日誌 C 卒業謹書授与録・修業謹書授与録 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校J
大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 大津市立逢坂小学校」 8 0I
明治廿七年三月以後卒業謹書授輿録 大津南尋常小畢校」 8 1I
明治廿七年三月以後 尋常第一撃年修業謹書授輿録 大津南尋常小畢校J
8 2I
明治三十二年三月以後卒業謹書授輿録 大津南尋常小皐校」 8 3I
明治四十三年三月以後至昭和二年度 卒業謹書授輿録 大津南尋常小皐校」 8 4r
明治四十二年三月以後 至昭和八年三月 尋 常 第 目 撃 年 修 業 謹 書 授 輿 録 大津南尋常小皐校」 8 5I
明 治 四 十 四 年 度 起 尋 常 第 二 皐 年 修 業 謹 書 授 輿 録 大津南尋常小畢校」 8 6I
明 治 四 十 二 年 三 月 以 後 尋 常 第 五 皐 年 修 業 謹 書 擾 輿 録 大津南尋常小皐校」 8 7I
大 正 三 年 度 起 尋 常 第 一 撃 年 修 業 謹 書 授 輿 録 大津南尋常小畢校」 8 8I
大 正 三 年 三 月 以 後 尋 常 第 三 撃 年 修 業 詮 書 授 輿 録 大津南尋常小皐校」 8 9r
昭 和 四 年 三 月 以 後 尋 常 第 一 撃 年 修 業 謹 書 授 輿 録 大津南尋常小畢校」 9 0I
昭 和 四 年 三 月 以 後 尋 常 第 二 皐 年 修 業 謹 書 授 輿 録 大津南尋常小皐校」 9 1I
昭 和 六 年 三 月 以 後 尋 常 第 三 皐 年 修 業 謹 書 授 輿 録 大津南尋常小撃校」 9 2I
昭 和 六 年 三 月 以 後 尋 常 第 五 皐 年 修 業 謹 書 授 輿 録大津南尋常小皐校」 9 3 I昭和九年三月以後 尋 常 第 四 皐 年 修 業 謹 書 授 輿 録 大津南尋常小撃校」 9 4