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東ヨーロッパにおけるキリスト教及びその音楽 : 1 ソビエト社会主義共和国連邦

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Kobe Shoin Women’s University Repository

Title

東ヨーロッパにおけるキリスト教及びその音楽 The Christianity and Christian Music in Eastern Europe 1U.S.S.R.

Author(s) 二見淑子(Yoshiko Futami)

Citation

キリスト教論藻(KIRISUTOKYO RONSO)Bulletin of the Institute for Research of Christian Culture,No.17: 33-74

Issue Date 1984

Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文

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Right

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東 ヨ ー ロ ッパ に お け る

キ リス ト教 及 び そ の 音 楽

1ソ ビエ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦

は じめ に 第1章:東 方 キ リス ト教 に つ い て の認 識 A東 方 キ リス ト教 の 定 義 R東 方 キ リス ト教 に つ い て の 認 識 C教 会 組織 と教 義決 定 の プ ロセ ス Dキ リス ト教 会 内 の分 離 第 皿章:キ リス ト教 の 布教(資 料IA,B,資 料 皿) Aア ル メ ニ ア の キ リス ト教 化 と文 化 の 形 成 Bグ ル ジ ア教 会 の起 源 と そ の発 展 Cロ シ ァ の キ リス ト教 化 第 皿章:東 方 キ リス ト教 会 の典 礼 A典 礼 類 型 Bア ル メ ニ アの 典 礼 Cグ ル ジ アの典 礼 Dキ エ フ ・ル ー シの典 礼 と キ リス ト教 文 化 第IV章:国 教 ロシ ア正 教会 の 変 遷 A初 期 ロシ ア正 教会 の 中央 集権 的 性 格 Bキ エ フ ・ル ー シ の 発展 と モ ン ゴル の支 配 C修 道 院 の 開設 Dロ シ ア教 会 独 立 の 動機 と過 程

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E国 内に お け る3大 葛藤 Fロ シ ア革 命 の 影 響 第V章;東 方 教会 の典 礼音 楽 Aア ル メ ニ ア教 会 の典 礼 音 楽 Bビ ザ ン ッ式 典 礼 と ビザ ン ツ聖 歌 Cロ シ ア正 教 会 の聖 歌(資 料 皿A,B) 第W章;現 ウク ラ イ ナ教 会 の奉 神 聖 歌 A B C D E 公奉 神礼,イ コ ン と教 会暦(資 料 皿C) 復 活 大 祭 の聖 歌(資 料NA,B) 救 主 降誕 祭 の聖 歌(資 料VA,B) 感 謝 祈 祷 の聖 歌(資 料WA,B) 聖 歌 のま とめ お わ りに は じめ に 多 民 族 国家 ソ連 邦 にお い ては 宗 教 も文 化 と 同様 多 彩 で あ り,キ リス ト教, イ ス ラ ム教,ユ ダ ヤ教,仏 教 な ど総 て の宗 教 が 今 日完 全 に 同 等,平 等の権 利 を与 え られ てい る。 最 多 数 の信 者 を 擁 す る キ リス ト教 は ロー マ ・カ トリ ック,プ ロテ ス タ ン ト 諸 派(ル ー テル 派,福 音 バ プ テ ス ト派 な ど)の ほか 東 方 正 教 会(ロ シ ア正 教 会,グ ル ジ ア正 教 会,ロ シ ア正 教 会 に従 属 の ウク ラ イ ナ の教 会),さ ら に中 世 初 期 に分 離 した 単 性 論 派 の 東 方 キ リス ト教(ア ル メニ ア ・グ レゴ リー教 会),そ の 他 主 と して 東 方正 教 か ら 分 離 した 様 々 の分 派 に 細分 さ れ,東 方 正 なかんず く 教 会 一 就 中 ロシ ア正 教 会 が 人 々 の圧 倒 的信 仰 対 象 とな って い る。 一 方 積 極 的 に宗 教 否 定 の科 学 的無 神 論 の宣 伝 ,普 及 も活 発 で あ る。 ソ連 憲 法 第52条 に信 仰,無 信 仰 の 自 由 と共 に 国家 の教 会 よ りの 分 離,学 校 の教 会 よ りの分 離 が 規 定 され て い る今 日,宗 教 が 国 民生 活 に と り,第1義 的 意 味 を保 持 し得 ない まで も,過 去 にお い て キ リス ト教 が ロシ アの 政 治,社 会 上 の一 大

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勢 力 とな り得 た事 実 は 否 め ず,ロ シ ア 文 化 の形 成 に 決 定 的 役 割 りを果 た した 。 中世 以 降 め ま ぐる し く変 転 す る時 の 流 れ の ま ま に,様 々の 様 相 を 呈 しつ つ も,一 貫 して人 々 の精 神 的支 柱 た り得 た 東 方 教 会 系 の キ リス ト教 を,ロ シ ア 正 教 会 を 中 心 と して アル メ ニ ア教 会,グ ル ジ ア 正 教 会 と も ど も,歴 史 的 に 解 明,そ の典 礼 及 び 典 礼音 楽 を 調査 の 上,1981年2月 キ エ フ 市 に て 入 手 の VladimirskiiSobor ウ ラジ ミル ス キー聖 堂Bπa朋MHPCK曲co60P所 有 の聖 歌 譜(手 写)の 分 析 研 究 を 通 して 現今 の ウク ラ イ ナ教 会,引 い て は そ の所 属 の ロシ ア正 教 会 の 典 礼 音 楽 の片 鱗 に 触 れ て見 たい と思 う。 第1章:東 方 キ リス ト教 に つ い て の 認 識 A東 方 キ リス ト教 の 定 義 1)東 方 キ リス ト教 とは,東 方 正 教 会 とそ れ 以 外 の1群 の東 方諸 教会 との 総 称 で あ る。 東方 正 教 会 の正 教(ギ リシ ア語 オ ル ト ドク シ ア)と は 元 来 初 期 キ リス ト教 思想 家 達 が 異 端 に対 し て用 い た〈 正 しい 信 仰 〉 とい う意 味 で あ る が,後 に カ トリ ック(普 遍 的)教 会 に対 す る 自称 と な った 。 東 方 正 教会 は教 皇 を戴 くカ トリ ック教 会 とは異 な り,単 一 の組 織 で は な く,第1回 か ら第7回 の公 会 議 の 決定 を教 義 の 基本 と して,ほ ぼ 共 通 の典 礼 と慣 行 を 持 つhな 国,地 方 の キ リス ト教 会(例 え ば ロシ ア正 教 会,ギ リシ ア正 教 会,グ ル ジ ア正 教 会 な ど)の 全 体 的 な 名称 で あ る。 2)他 方 「正 教会 以 外 の東 方 キ リス ト教会 」 とは,ロ ー マ,コ ン ス タ ン テ ィ 注1 ノ ー ブル な どの,所 謂 力ル ケ ドン派 教会 の 立 場 か ら見 て,5世 紀 及 び6世 注2 紀 に 異 端 と して 分 離 し,独 自の 教 会 を 形 成 した 諸 教 会(ネ ス ト リオ ス派 教 会,コ プ ト教 会,エ チ オ ピ ア教 会,ア ル メ ニ ア教 会,ヤ コ ブ派 教会 な ど) を 指 す 。 B東 方 キ リス ト教 に つ い て の 認 識 1)イ エ ス ・キ リス トを 神 の 子 と信 じ,キ リス トの 十 字 架 上 で の 漬 罪 の 死 に よる,人 間救 済 の可 能 性 が キ リス ト教 の基 本 的 な立 場 で あ る。 東 方 正 教 会 コ コ       コ ロ コ     を キ リス ト教 の本 源 的 形 態 或 い は 土 俗 的宗 教 との見 解 は 何 れ も当 を 得 て い

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ない と森 安 達 也 氏 は そ の著 書 く東 方 キ リス ト教(キ リス ト教 史 皿)〉 の 中 で 述 べ て お られ る。 2)西 ヨー ロ ッパ にお い て は前 世 紀 ま では 東 方 正 教 が 研 究 対 象 とな る こ とは 極 め て 稀 で あ った が,今 世 紀 の ロシ ア革 命(1917年)以 後 俄 に 関 心 が 高 ま り,さ らに 正教 聖 職 者,思 想 家 の欧 米 へ の多 数 の亡 命 は,東 方正 教 思想 認 識 の 上 に 大 い な る貢 献 を な した 。 C教 会 組織 と教 義決 定 の プ ロセ ス 1)教 会 は313年 の ロー マ帝 国 の公 認 以 前 か ら既 に教 会 の 管 轄 区域 を帝 国 の 行 政 区 分 に 準 じて規 定 す る原 則 を立 てて い た 。 一 方2世 紀 中 葉 ま で に教 会 制度 の 中心 を成 す 主 教,司 祭,補 祭 の3聖 職 の職 能 を決 定 した。 ロ コ 主 教 … ギ リシ ア語 の エ ピス コポ ス,カ トリ ック用 語 の 司教 に 当 た り使 徒 の 後 継 者 と して の権 威 を有 し,教 会 の最 高責 任 者 で 信 者 の共 同体 に よ って 選 出 さ れ る建 前 で あ る。 司 祭 … 実 際 に 信者 の司 牧 に 当 た り,日 常 の教 会 儀 式 を執 行 す る。     補 祭 … カ トリ ック 用語 の助 祭 に 当 た り,司 祭 の補 助 者 で あ る。 2)キ リス ト教 は 都 市型 の宗 教 で 主要 教会 は都 市 に建 立 さ れ,有 力 都 市 の 主 教 は 同一 行 政 区 分 の他 の都 市 の主 教 に も管轄 権 を及 ぼ す こ とに な り,府 主 教(メ トロポ リテ ス)と 呼 ば れ た 。4世 紀後 半 に は ア レク サ ン ドリア,コ ン スタ ン テ ィノポ リスな どの府 主 教 は 大 主教(ア ル キ エ ピ ス コポ ス)の 尊 称 で 呼 ば れ たが,5世 紀 中 葉 以 降mマ,コ ンス タ ンテ ィ ノポ リス,ア レ クサ ン ドリア,ア ンテ ィ オキ ア,エ ル サ レムの 主 教 に 限 って 総 主 教(バ ト リアル ケ ス)の 敬 称 が 一 般 化 した 。 3)キ リス ト教教 義 の 根 幹 は3位1体 論 で あ るが,第1回 二 力イ ア公 会 議 以 降7回 の 公 会議 の 決 定 は 父 な る神 と子 な る キ リス トは 同一 実 体 の 関 係 を 確 認,さ らに 聖 霊 の 地 位 の 確 認 を決 定 したが,こ の 教 義 形 成 に 直 接 関 係 した 主 教 達 の 集 会 を 公会 議 及 び 主 教 会 議 と呼 ば れ る。 以 下 に そ の 種 別 を 記 す 。 公 会 議 … キ リス ト教 世 界 全 体 に 関す る 問題 討 議 の ため 開 催 され る普 遍 的 公 会 議 主教 会 議 … す べ て 地 方 的 レベル 乃至1教 会 内 の会 議 を指 す

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    コ 後 に 総主 教 の もと に設 け られ た 常設 の主 教 会 議 は シ ノ ドと呼 ば れ た 。 Dキ リス ト教 会 内 の分 離 4世 紀 末 ま で確 立 した3位1体 論 の 後,キ リス トにお け る 神 性 と人 性 の 関 係 及 び,キ リス トにお け る意 志 の 存 在 の 課 題 に 直 面 して最 終 的 解 決 の7世 紀 末 ま で に ネ ス トリオ ス派,単 性 論 派 の 分 離 を 招来,さ らに イ ス ラ ム教 の 進 出 以 降,キ リス ト教 会 の統 一 を喪 失 し,大 別 して 西 方 教 会,東 方 教 会,東 方 諸 教 会 の3者 が そ れ ぞれ 独 自 の道 を 歩 む こ と とな った 。 第 皿章:キ リ ス ト教 の 布 教(資 料IA,B,資 料 皿) Aア ル メ ニ アの キ リス ト教 化 と文 化 の形 成 1)ア ル メ ニ アに は使 徒 が キ リス ト教 を伝 え た との伝 承 が あ るが,森 安 氏 は 真 実 の 伝 播 は 恐 ら く2世 紀 頃 シ リア及 び小 ア ジ ア の 布教 者 に よ る と して お られ るが,確 実 な記 録 は3世 紀 中 葉 で あ り,ア ル メ ニ ア は 国家 と して,か コ       コ   コ コ       コ   コ   コ コ つ 民 族 と して 世 界最 初 に キ リス ト教 を 受 容 し,当 時 よ りの伝 統 を今 なお 保 コ   コ コ コ   コ 持 し 続 け て い る 。 2)ア ル メ ニ ア の キ リ ス ト教 国 教 化 は301年 頃,ミ ラ ノ勅 令 に 先 立 つ10数 年 rperOPH茸 で あ る。 布 教 の 完成 は く 開 明者 〉 グ レゴ リオ スに よる が,貴 族 の 子 と して 誕 生 した 彼 は2才 の 時 騒 乱 の た め一 族 を 失い,カ ッパ ドキ アの カイ サ レア に 逃 亡 後,キ リス ト教 徒 と して 成 長 し,280年 頃 ペ ル シ ア 支配 下 の ゾ ロ ア ス ター 教 を 強 制 さ れ て い た ア ル メ ニ ア に 帰 国 の 上,キ リス ト教 布 教 を 開 始, Trdat 13年 の 牢 獄 生 活 の後 テ ィ リダ テ ス(ト ル ダ ト)3世 の奇 蹟 的 キ リス ト教 改 宗(公 式 の キ リス ト教 受 容)の 後 釈 放 さ れ,国 王 の 強 力 な 支 援 の 下 に,急 速 に アル メ ニ ア全土 の キ リス ト教 化 に 成 功 した 。 アル メ ニ ア教会 の 頭 の 地 Katholikos 位,カ トリコ スは グ レゴ リオ ス._.の 世 襲 と され た が,こ れ は 主 教 の 婚 姻 が 認 め られ た こ とを 意 味 す る。 一 方 異 教 の 反 対 勢 力 も強 く,異 教 徒 的 な俗 信 や 習 慣 は 根 強 く残 存 した 。 Vramsapuh 3)ヴ ラ ム シ ャ プ ー 王(395年 一416年)の 支 持 の も と 当 時 の ア ル メ ニ ア 大 学 MesroU 者 メ ス ロ ブ は ア ル メ ニ ア 文 字 を 案 出 し,390年 に カ ト リ コ ス の 座 に あ った

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Sahak サハ ク と共 に 自国 語 に よる文 学 を創 始 し た。(そ れ 以 前 書 物 は ギ リシ ア 語, シ リア語,ペ ル シア 語 で著 述 され てい た 。) 4)5世 紀 が アル メニ アの 黄 金 時 代 とい わ れ るが,9世 紀 か らギ リシ ア 語 か らア ル メ ニ ア語 へ の 翻 訳 が 盛 ん とな り,12世 紀 に頂 点 に達 した。 Rubenid 5)12世 紀 のル ネ サ ン スは ル ペ ニ ー 朝 の下 に,キ リキ ア に創 始 さ れ た新 ア ル メ ニ ア王 国に よ って 興 さ れ,新 文 芸 が始 ま った が,高 度 に教 育 さ れ た 上流 とど 階 級 の 鑑 賞 に止 ま った 。 Bグ ル ジ ア教 会 の 起 源 と発 展 1)グ ル ジ ア伝 説 は キ リス ト教 の 布 教 は 使 徒 ア ンデ レに よる と伝 え てい る が, 事 実 は小 ア ジ ア,シ リア,ア ル メ ニ アな どか らの 布 教 者 の潜 入 とい わ れ る ・ 4世 紀 の20年 代 以 後 カ ッパ ドキ ア生 ま れ の 女 性 伝 道 者 ニ ノが ロー マ,ア ル メ ニ ア を経 て 当時 のグ ル ジ アの 首 都 ム ツ ヘ タに 入 り,秘 密 裏 に布 教 した と 伝 え られ てい る。 や が て イ ベ リア(グ ル ジ ア東 部 の古 称)人 に 捕 え られ た が,周 囲 を感 化 し,国 王 ミ リア ン の信 頼 を 得,330年 頃 に は 王 族 が 改 宗 し た との こ とで あ る。 2)王 妃 ミ リアンはR一 マ皇 帝 コン ス タ ン テ ィ ノス1世 に主 教 派 遣 を 要 請, 同地 に主 教 が 置 か れ,4世 紀 中葉 には キ リス ト教 が グ ル ジ アの 国教 とな っ た と思惟 さ れ る。 3)グ ル ジ ア教 会 は早 く5世 紀 に は ほ ぼ独 立 を 達成 した。467年 よ りム ツ ヘ タ大 主 教(称 号 … カ トリ コ ス)が グ ル ジ ア全 土 を管 轄 したが,最 初 の グ ル ジ ア人 カ トリ コ スは6世 紀 の サバ1世 で あ り,8世 紀 まで カ トリ コス は形 式 上 は ア ン テ ィ オ キ ア総 主 教 に よ って叙 階 さ れ る こ とに な って い た 。 4)典 礼 用 語 と して は 最 初 は ギ リ シ ア語 が 用 い られ た が,5∼6世 紀 に は グ ル ジ ア語 に 切 り換 え られ た。 グ ル ジ ア文 字 の起 源 は 明 らか で は ない が,少 な くと も5世 紀 か らの 文献 が 伝 わ って い る。' 5)グ ル ジ ア教 会 は505年(或 い は 翌 年)の 第1ド ヴ ィン(現 アル メ ニ ア共 和 国)主 教 会 議 で は アル メ ニ ア教 会 と 同一 立 場 を取 った が,そ の 後600年 頃 力 トリ コス,キ ュ リオ ン の 時代 に は単 性 論 に組 し た アル メ ニ ア教 会 と分

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離 し,そ の後 カル ケ ドン派 の 立 場 を 堅持 した。 6)6世 紀 中葉 シ リア よ り〈13人 の シ リア 教父 〉 と称 せ られ る修 道 士 が来 訪 し,ク ル ジ ア修 道 院 の基 礎 固 め を な した。 7)13世 紀初 頭,女 王 タ マ ルの 領 土 拡 大 に 伴 い,主 教 座 も30に 増 加 した が , 1220年 以 後 は モ ンゴ ル軍 の侵 攻 に よ り急 速 に 衰 退 の 止 むな きに 至 った 。 Cロ シ アの キ リス ト教 化 x)最 初 の宣 教 は使 徒 ア ン デ レが ス キ ュテ ィアに 布 教 した とい わ れ る 。 スキ ュテ ィ アは 南 ロ シ アを指 すが,ア ン デ レが 小 ア ジ アの ユダ ヤ人 居 住 地 で 布 教 に 従事 した こ とは 文献 に よ り明 白で あ り,小 ア ジ アか らク リ ミアま で 布 教 活 動 を 拡 大 した 可 能性 は十 分 あ り得 る と見 倣 され て い る 。 2)860年6月 キ エ フに い た ス ラ ヴ人 が ヴ ァ リ ャー グ 人 指 揮 下 行った コ ン ス タ ンテ ィノポ リスの 急襲 は,ビ ザ ンテ ィン帝 国の総主教 に南 ロシアへの布 教 を 決 意 させ,864年:i・ 年 の 間 に最 初 の布 教 が 行 わ れ た 。 3燃 し882鞭 雑 レがキエ フの 。シア人 を襲い,支 配権癬 い,鰹 Pyca ・ル ー シ を 建 設 し た が,こ の 際 切 角 ま か れ た キ リ ス ト教 の 種 は 殆 ん ど 枯 渇 し て し ま っ た 。 注4Nropb むぬ ロ 4)オ レ グ の 後 継 者 イ ー ゴ リ の 死 後 未 亡 人 オ リ ガ は キ エ フ ・ル ー シを 支 配 し た が,957年 コ ン ス タ ン テ ィ ノ ポ リ ス に 赴 き 受 洗 し た 。 し か し 国 全 体 の 改 とど 宗 とは な らず,個 人 的 な改 宗 に止 ま った。 5)・ シ アの キ リス ト教 化 は イ讐 リの孫 ウ勢 翌 聖 ル の 時 代 に行 わ れ た 。 ロ マ 10世 紀 の キ エ フ ・ル ー シに対 して西 方 教 会,イ ス ラム教,ユ ダ ヤ教 の布 教 が 盛 ん に 行 わ れ,9世 紀 に は ビザ ンテ ィン教 会 の 宣教 師 も伝道 を行 ってい 注5BnaRKMKp た 。 ウ ラ ジー ミル ば 改宗 に先 立 ち 以 上4者 に 使 者 を 派 遣 して各 宗 教 宗 派 を 調 査 させ た結 果,ビ ザ ンテ ィ ン教 会 の典 礼 の 華 麗 と厳 粛 に 心奪 われ た使 者 の 報 告 に よ り,ビ ザ ンテ ィ ン教会 を 通 して キ リス ト教 の 受 容 を 決意 した と い わ れ て い るが,事 実 は 政 治,外 交 的 要 因 が 強 く働 い た と考 察 され る 。即 ち ビザ ンテ ィ ン皇 帝 バ シ レイ オ ス2世 は バ ル ダ ス ・フ ォ カ スの 叛乱 に 際 し, キ エ フ ・ル ー シ との 条 約(943年,971年)に 基 づ き,ウ ラi%一 ミル に援 軍 を 求 め て 鎮 圧 に成 功 した が,そ の 条件 た る ビザ ンテ ィンの 正 嫡 の皇 女 を 妻

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に 求 め る ウ ラi%一 ミル との約 束 の履 行 を しぶ った た め,ウ ラ ジ ー ミル は ク リ ミア半 島 の ビザ ンテ ィ ン領 を攻 撃,ケ ル ソネ ス を 占領 し た 。皇 帝 は 遂 に ロマ ノ ス2世 の 皇女 で 自己 の妹 ア ンナ の 降嫁 を 決意 し,キ リス ト教 徒 の 結 婚 の 条 件 と して 相手 に 改宗 を求 め た た め,ウ ラ ジ ー ミル ば988年(ま た は 翌 989年)ケ ル ソネ スの 主 教 及 び ア ン ナに 同行 し た司 祭 の手 で 洗 礼 を受 け て 正 式 に 改 宗 し,そ の 後 結 婚 式 を挙 行 した 。 ウラ ジ ー ミル は 占 領 地 ケ ル ソネ み み  ス を皇 帝 へ の 贈 物 と して 返却 し,さ らに改 宗 の 真実 を妻 ア ンナ に 示す た め. 多 くの妻 妾 と別 れ,従 前 の 異教 の雷 神 ペ ル ー ンの 神 像 を倒 し,町 中 を 引 き 回 し,鞭 打 って ドニ エ プル 川 に 投 げ 捨 て,キ エ フの 全住 民 を ドニ エ プル 河 畔 に集 め て集 団 受 洗 を 行 わ せ た 。 この 強 引 な 改 宗 に 対 す る抵 抗 は 少 な か っ た(ノ ヴ ゴ ロ ドで は 反 対 が 起 こ り,反 対 派 は 迫 害 を 蒙 った 。)が,ロ シ ア の異 教 徒 的 要 素 は キ リス ト教 の 祭 儀 の 中 に 取 り入 れ られ,二 重 信 仰 を 形 成 す る こ と とな った。 第 皿章:東 方 キ リス ト教 会 の 典 礼 A典 礼 類 型 東 方 典 礼 は5式 に 大 別 さ れ る 。 即 ち ビザ ン ツ 式,ア ル メ ニ ア 式,西 シ リ ア 式,東 シ リ ア 式,ア レ ク サ ン ド リ ア 式 で あ る が,本 稿 に 関 係 の あ る2式 の み を 次 に 述 べ る 。 1)ビ ザ ン ツ 式 … 西 方 ロー マ 典 礼 に 比 肩 す る 重 要 性 を 持 つ もの で,音 楽 も古 来 極 め て 重 要 で あ る 。 今 日イ ス タ ン ブー ル,ア レ ク サ ン ド リ ア,ア ン テ ィ オ キ ア,エ ル サ レ ム の 総 大 主 教 区 の 正 教 徒 を は じ め と し て,ギ リ シ ア,シ ナ イ 山,キ プ ロ ス,グ ル ジ ア,ロ シ ア,ル ー マ ニ ア,ブ ル ガ リ ア,ユ ー ゴ ー ス ラ ヴ ィ ア ,ア ル バ ニ ア,チ ェ コ ス ロ ヴ ァ キ ア,ハ ン ガ リ ー,ポ ー ラ ン ドの 他 世 界 中 の 正 教 徒 に よ っ て 用 い ら れ て い る 。 2)ア ル メ ニ ア 式 … 今 日エ チ ュ ミア ジ ン,エ ル サ レ ム,イ ス タ ン ブ ー ル 総 大   コ   コ 主 教 区 の離 散 教 会 で 用 い られ てい る。 Bア ル メ ニ アの 典 礼

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1)ア ル メニ ア典 礼 は聖 ク リソ ス トモ ス典 礼(聖 バ ジ リオ スの ビザ ン ツ典 礼 の古 形 式 で あ り,カ イサ リア及 び カ ッパ ドキ アで 用 い られ た 原 文 に 基 づ い て い る)も,予 備 聖 体 に よ る典 礼 も,聖 務 日課(コ ン スタ ンテ ィノポ リス か ら伝 え られ,ギ リシ ア語 か らの 翻 訳)の 大部 分 も4∼5世 紀 頃 の もの で あ る。 2)そ の後11世 紀 まで は,こ の 遺 産 を 受 け 継 い だ だ け で あ るが,9世 紀 か ら ギ リシア 語か らアル メ ニ ア訳 へ の 翻 訳 さ か ん な 第2の 時 代 が 始 ま り,(12世 ソ Mastotz 紀 で 頂 点 に達 し た)9世 紀 中 葉 に は カ トリコ スの マ シ ュ トツに よ って最 終 v     お セ  形 態 が 与 え られ た マ シ ュ トツ祭 式 が形 成 さ れ た。 Cグ ル ジ ア の典 礼 典 礼 用 語 は 前 述 の 如 く(第 ∬章B項4)参 照)最 初 は ギ リシア 語 が 用 い ら れ たが,グ ル ジ ア文 字 の 案 出 以 後5∼6世 紀 に は グ ル ジ ア語 を 用 い る よ うに な った 。 Dキ エ フ ・ル ー シの典 礼 とキ リス ト教 文 化 1)キ エ フ ・ル ー シは ビザ ンテ ィ ン教会 か らキ リス ト教 を 完 成 さ れ た もの と して 受 容 した 。10世 紀 の 東 方 正教 会 は 既 に 民 族 教会 と して枠 が 固 ま り,保 守 的 な 体 質 を ほ ぼ形 成 し終 ってい た た め,ロ シ ア の キ リス ト教 も当初 か ら 〈 儀 礼 重 視 〉 の 体 質 を 継 承 した。 2)典 礼(公 的 な 祈祷 に 用い られ る祈 祷 文,及 び 教会 祭 儀 の細 かL>規 定 を 含 む)は 当 然 ビザ ンテ ィン式 典 礼 が 採 用 さ れ た。 当初 は ギ リシ ア語 典 礼 が 用 い られ た 筈 で あ る が,聖 書 と典 礼 書 は既 に9世 紀 に モ ラ ヴ ィア の ス ラ ヴ 人 の た め に作 成 さ れ て い た ギ リシア 語 か らの 翻 訳 が そ の ま ま使 用 され た と思 わ れ る 。 3)さ らに10世 紀 末 乃至11世 紀 初 頭,ブ ル ガ リア よ りス ラ ヴ典 礼 と ス ラ ヴ文 字 が もた らされ た。 当時 まで ブル ガ リアで 盛 ん に行 なわ れ て い た 聖 者 伝, 注6 もと 教 父 の著 作,外 典 な ど の教 会 文 献 の翻 訳 が 移 入 され た。 言 語 は 固 よ り南 ス ラ ヴ系 の 翻訳 言 語 の古 代 ス ラ ヴ語 で あ り,典 礼 用語 と して 教 会 で 用 い られ た の み な らず,ロ シ ア文 語 の 形 成 に も重 大 な役 割 りを 担 った 。 4)キ リス ト教 文 化

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a学 校 教育 … 自身 文 盲 とい わ れ る ウ ラ ジー ミル は 学 校 を 開 設 し,教 育に 熱 心 で あ った 。 b文 化 活 動 … ブル ガ リアに お け る成 果 を そ の ま ま 受 け継 い で 開 始 され, キ エ フの 翻 訳 事 業 に は ビザ ンテ ィ ン帝 国10世 紀 の マ ケ ドニア 朝 ル ネ サ ン スが 或 程度 反 映 してい る 。 c年 代 記 の作 成 … ビザ ンテ ィ ン時代 の歴 史 的記 述 た る年 代 記 もキ エ フで 模 倣 され た が,修 道 士 記述 の キ リス ト教 的色 彩 の強 い もの で天 地 開 へん きん 關暦 で 各 年 ご とに記 載 され てい る 。12世 紀 初 頭 に編 纂 さ れ たく 原 初 コ       年 代 記 〉 は過 ぎ し年 月 の物 語 の タ イ トルで 知 られ て い る が,様 々 な 史 料 を 用 い た 高度 水 準 の作 品 で あ り,中 世 ヨー ロ ッパ の 数 多 の年 代 記 中,出 色 の もの で あ る。 こ の ほ か都 市 毎 にそ れ ぞ れ 年 代 記 が 作 成 され,ビ ザ ン テ ィン を凌 駕 す る ま で に な った。 イ コ ン イ コ ン d聖 像 画 と教 会 建 築 …11世 紀 に は聖 像 画 の技 法 と教 会 建 築 の様 式 も伝 え られ た 。 特 に11世 紀 コン ス タ ン テ ィ ノポ リスで 制作 され た とい わ れ 注7 る 聖母 像 の イ コ ン〈 ウラ ジ ー ミル の聖 母 〉 は ロシ ア に もた らさ れ至 宝 とな った ほ か ロシ ア の画 工 達 に 限 りない イ ンス ピ レー シ ョ ンを与 え た。 e修 道 院 …1051年 頃 ア トス 山 の修 道 士 ア ン トニ オ スが キエ フに来 訪,町 近 くの洞 窟で 修 道 生 活 を始 め,後 の キ エ フ洞 窟 修 道 院 の起 源 と な っ Φeo双0叩 飯 た 。 後 世 テ オ ド シ ス(フ ェ オ ドシ イ)が こ の 修 道 院 を 発 展 させ た が, ロ シ ア の 修 道 院 は 急 速 に 広 ま り ,12世 紀 ま で に キ エ フの み で17に 達 し た 。 第 『章3国 教 ロ シ ア 正 教 会 の 変 遷 A初 期 ロシ ア正 教 会 の 中央 集 権 的性 格 1)ビ ザ ンテ ィン教 会 は キ エ フを 中 心 とす る ロ シア を単1の 主 教 管 区 と な し, キ エ フに府 主 教 座 を置 き,コ ンス タ ンテ ィノポ リス総 主教 の 直接 の 管 轄 下 に入 れ た。

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2)こ の状 態 は15世 紀 ま で 続 き,代 々 の キ エ フ府 主 教(後 の モ ス ク ワ府 主 教) は 殆 ん どビザ ン テ ィン教 会 派遣 の ギ リシア人 で あ った。 3)ロ シア全 体 が1人 の 管 轄 下 に 置 か れ た こ とは 教 会 の 中 央 集 権 化 を 要 求 し, 弊 害 もあ ったが ロ シア教 会 の 発 展 に は好 都 合 で あ った 。 Bキ エ フ ・ルー シの 発 展 とモ ン ゴル の支 配 1)キ エ フ ・ル ー シは ビ ザ ン テ ィン帝 国 との 密 接 な関 係 を 確 立 して 新 発 展 を    ア ミ  ソ 来 し,ウ ラ ジ ー ミル の 子HpocπaB賢 公 は コ ン ス タ ン テ ィ ノ ポ リ ス に 倣 っ て 同 名 の 壮 麗 な 主 教 座 教 会 ソ フ ィ ア 聖 堂 を 建 立,ヨ ー ロ ッパ の 有 力 な 諸 侯 と 姻 戚 関 係 を 結 び,公 国 の 黄 金 時 代 を 現 出 し た 。 2)然 し1238年 以 降 の モ ン ゴ ル 人 の 侵 略 は ロ シ ア と ヨ ー ロ ッ パ の 関 係 を 断 絶 くび き させ,ロ シ アは そ の 後 〈 タ タ ー ル の輻 〉 の も とに苦 しむ こ とに な った。 3)モ ン ゴル 人 は キ リス ト教 徒 が 被支 配 民 族 に対 して非 寛 容 で あ った こ と と は 対 照 的 に,教 会 に対 して は概 して 寛容 で,大 規 模 な キ リス ト教 迫害 ば存 在 しな か った と言 い 得 る。 4)ロ シ ア教 会 は 支 配 者 モ ン ゴル 人 の 改 宗 す ら試 み,1261年 キ プ チ ャク 汗 国 の首 都 サ ラ イ ・バ トウ(現 ア ス トラハ ン付 近)に 主 教 座 を 設 置 した が,モ ン ゴル 人 攻 略 に よ る キエ ブの 荒 廃 のた め,府 主 教 座 は13世 紀 末 ウ ラ ジー ミ ル に,そ の後14世 紀 前 半 の1326年 よ りモ ス ク ワに 移 され た 。 C修 道 院 の開 設 1)キ リス ト教 伝 道 の 中心 と な っ た のは 修 道 院 で あ り,東 方 キ リス ト教 の 修 道 生 活 の理 念 は 早 くか ら ロシ アに もた ら され た 。 前 述 の如 く(第 皿章D項4)のe参 照)11世 紀 ヤ ロス ラ フ賢 公 の時 代, FeodosiiPecherskiiKievo=Pecherskiimonastpr' ΦeoAocH茸IleuepcxHKが キ エ フ にKHesa=neqepcK盈MoHacTHpb洞 窟 修 道 院 を 創 設 し,コ ン ス タ ン テ ィ ノ ポ リ ス の ス ト ゥ デ ィ オ ス 修 道 院 の 規 則 に な ら っ て,労 働 を 基 本 と し た 共 住 制 の 修 道 生 活 を 導 入 し,ロ シ ア の 南 部 と 西 部(現 在 ウ ク ラ イ ナ)に 教 え を 伝 え る 中 心 と な っ た 。 くび き 2)他 方 〈 タ タ ー ル の範 〉 の も とで ロシ ア の重 心 は北 方 に移 り,森 林 の 中 に 修 道 院が 開か れ る よ うに な っ た。 SergiiRadonezhskii注8 3)14世 紀 中 葉CeprHHPaAoxexccxHKは 現 ザ ゴ ル ス ク(旧 称 セ ル ギ エ フ)

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TroitseSergievmonastnr' の 地 に 聖 三 者修 道 院TpoHueCeprHeBMOHaCTblpbを 開 設 し,弟 子 達 は 北 方 の森 林 の 中で 伝 道 を 行 った 。 Dロ シ ア教 会 独 立 の動 機 と過 程 1)教 会 独 立 の動 機 は15世 紀 ロー マ教 皇 エ ウゲ ニ ウ ス4世 が 東 方 諸 教 会 との 合 同 を画 策(教 皇 の 首 位 権 を認 め させ,ロ ー マ教 義 に 従 わ せ る こ と)し て フェ ラ ラ ・フ ィ レン ツ ェ公 会 議(1438年 一43年)を 開 催 。 当 時 モ ス ク ワ府 IsidorUspenskiisobor 主 教HcHAoPは 合 同 派 と し て 活 曜,1441年 モ ス ク ワ のycneHcK曲co60P (聖 母 就 寝 聖 堂)で 公 式 に ロ ー マ 教 会 と の 合 同 を 宣 言,時 の モ ス ク ワ 大 公 VasilijI BaCH∬H廻 の 怒 りを 買 い 追 放 さ れ た 。 ヴ ァ シ ー リ2世 は 滅 亡 直 前 の コ ン ス  むロ   タ ン テ ィ ノ ポ リス と度 々 交 渉 の 末,1448年 リ ャザ ン 主 教HOHaを モ ス ク ワ 主 教 に 立 て,ロ シ ア教 会 の 事 実 上 の 独 立 を 宣 し た 。 1;'ilofei 2)1453年 コ ン スタ ンテ ィ ノポ リス は 陥 落,ブ ス コ フの 修 道 士 ΦHπoΦe曲は メ シ ア的 使 命 観 に 基 づ い た く モ ス ク ワ第3ロ ー マ説 〉 を 唱 え,〈 永遠 の ロ ー マ〉 理 念 を もとに 正 教 擁 護 者 モ スク ワ公 国 を 古 代 ロー マ帝 国及 び ビザ ン テ ィン帝 国(第2の ロー マ)の 後 継 者 と して 位 置 づ け た 。 3)教 会 は 表 面 的 に は繁 栄 し,修 道 院 は 寄 進 とい う形 で 所 領 を 拡大 し,村 落 全 体 を 所 有 す る こ と も少 な くな か った 。 a15∼6世 紀 に は 聖 者 伝,年 代 記 な ど ロ シ ア人 の 手 に な る キ リス ト教 文 学 が 発 達 した 。 b典 礼 美 術 もギ リシ ア人 画 工 の 影 響 を 受 け な が ら次 第 に ロ シア独 自の イ コ AndreiRubiev ン 画 法 を 確 立,モ ス ク ワ派AHApeKPy6漉Bは そ の1頂 点 を 築 い た 。 4)然 し 教 会 内 部 で は 国 家 と の 関 係 を め ぐ り,対 立 が 表 面 化 し た 。 NilSorskii a1503年 の 主教 会 議 で 高 名 な修 道 士HH証CopcKxHは 修 道 院 の 世俗 化 を 攻 撃,大 土地 所有 を止 め 曽 て の セ ル ギー の 修 道 生 活 の 理 念 に 戻 る こ とを 主 張 IosifVolotskii した の に対 し,ヴ ォ ロ コラ ム ス キ ー修 道 院長HOCHΦBoπ 叫K曲 は教 会 が 国 家 と密接 な 関係 を保 つ こ とに よ り,キ リス ト教 帝 国 を 形 成 すべ き と し, 教 会 活 動 の た め に修 道 院所 領 は 必 要 で あ る と主 張,後 者 が 勝 利 をお さ め た   コ コ コ   コ   コ       た め,教 会 が 国 家 に従 属 す る 道 を 開 くこ と とな った 。 b1551年 モ ス ク ワで の 主教 会 議 で は 異 端 や 西 欧 の 思 想 的 攻 撃 か ら正 統 信 仰

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● ・ ・ ・ … 注91vanlY を守 るた め,教 会規 律 の改 革が 行 わ れ た が,同 時 に会 議 主 宰 者HBaHIVイ ワン4世 は 修 道 院 の 土 地所 有 に或 程 度 の 制 限 を加 え た 。 5)コ ン ス タ ン テ ィノ ポ リス総主 教 エ レ ミア ス2世 は1588年 ロシ ア を訪 れ, Iov 翌 年 ロ ス トフ大 主 教 を経 て モ スク ワ府主 教 とな ったHOBを 最 初 の モ ス ク ワ総 主 教 に叙 任 し,モ スク ワは コ ンス タ ン テ ィノ ポ リ ス,ア レク サ ン ドリ ア,ア ンテ ィオキ ア,エ ル サ レムに 次 ぐ地位 を 与 え られ,ロ シア教 会 の 独 立 が 名 実 と もに 認 め られ た 。 E国 内 にお け る3大 葛 藤 1)17世 紀 に入 り教 会 の堕 落 と 内紛 が 表 面 化 して 来 た 中 で,1652年 モ スク ワ IosivAlekseiMikhailovich

総 主 教HOCHΦ の 没 後,後 任 に は 皇 帝A』eKc曲 瓢Hxa伽OB四 と 親 し い ノ Nikon ヴゴ ロ ド府主 教HHKOHが 選 ば れ た が,彼 は 既 に ノ ヴ ゴ ロ ドで典 礼 の 改 革 を 試 み,皇 帝 の支 持 を得 て い た 。 HHKOH a総 主 教 ニ ー コンは2政 策 の 遂 行 を 決 意 した 。 {11俗 権 に対 す る教 権 の 優 位 の 復 活 ② ロ シ ア教 会 の典 礼 を 当時 の東 方 正 教 会 の慣 行 に応 じた改 革(典 礼 文 句 の 修 正,イ エ スの 綴 り方,十 字 を切 る際 の 指 の数,ア レル ヤ を唱 え る 回 数 な ど) b典 礼 改 革 は典 礼 の 本 質 に 関 わ る もので は な か ったが,<モ ス ク ワ第3ロ ー マ説 〉 を と り,ロ シ ア教 会 の特 権 的地 位 に 固執 す る 多数 の聖 職者,信 Avvakum は激 し く反対 し,遂 に教 会 か ら分 離,長 司 祭ABBaKyMに 代表 され る改 革 Raskol'nikiStaroobryadtsy 反対 派 は 分離 派pacKo冊HHKHま た は古 儀 式派cTapoo6pπ 川Hと 呼 ば れ, 圧 迫 され な が ら も今 日ま で存 続 してい る。 C然 し ニー コ ンは 忍 耐 力 と政 治 性 に 欠 け てい た た め,ほ どな く皇帝 の信 を 失 い,1666年 の 主 教 会 議 で 東 方 の 総 主 教 また は そ の 使 節 の 承認 の上,正 式 コ ロ     コ       コ         ロ   に 罷 免 され,こ の主 教 会 義 は 教 権 に 対 す る皇 帝 権 の優 位 を 確 認 した こ と と な った 。 {1ニ ー コ ンの 典 礼 改 革 は 彼 の 罷 免 後 もそ の ま ま継 承 され,反 対 派 は 破 門 さ れ た 。 注10 2)18世 紀,ロ シ ア の近 代 化 と皇 帝 権 の絶 対 君 主 化 を 図 った ピ ョー トル 大 帝

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PetrVelikii IleTpBeπHK曲 が ロ シア正 教 会 を専 制 国 家 の1機 関 と し,完 全 に 支配 し よ うと意 図,こ の 状 態 は 今 世 紀初 ま で 大 きな変 更 もな く続 い た 。 Adrian a1700年 モ スク ワ総 主 教10代 目AApHax没 後,ピ ョー トル 大 帝 は 後 任 の 総 主 教 選 出 を禁 じ,肥 大 化 し続 け た 修 道 院 の 財 政 上 の 特 権 を一 挙 に 奪 取 して 国家 が 修 道 院 財 政 を 肩 代 わ りす る抜 本 的新 政 策 を 開始 した。 FeofanProkopovich b1721年,ノ ヴ ゴ ロ ド大 主 教 ΦeoΦaHnpoKonoBHqの 起 草 した く 教 会 規 約 〉 に よ って 総 主 教 制 を 廃 止,教 会 全 体 を 統 轄 す る最 高機 関 と して宗 教 庁 Sinod CHHOAを 設 立,宗 務 庁 は 皇 帝 任 命 の11人 の 高 位 聖 職 者 の 合議 体 を と り,議 長 が 置 か れ た が,空 位 の 総 主教 の 職 務代 行 を つ とめ てい た宗 教 庁 議 長 StefanYavorSkii CTeΦaH兄BopcK曲 が1722年 没 す る と,議 長 は2度 と任 命 せ ず,宗 務 総 監 (俗 人 の 官 僚)が 教 会 全 体 の 政 策 を左 右 し得 た 。(宗 教 庁制 度 は 西 欧 の プ ロテ ス タ ン ト諸 国 の 教 会 制度 の 適 用) c総 主 教 制 の廃 止 に 関 して 東 方 の 総 主 教 か ら強 い 抗 議 が 出 さ れ た が,教 会   機 能 の変 更 に 非 ず とい うこ とで 承 認 せ ざ るを 得 な か った 。 然 し事 実 上 は 皇   ロ       帝 が 教 会 の首 長 で あ り,総 主 教 制 は 今 世 紀1917年 ま で 復 活 し得 な か った 。 3)ウ ク ラ イ ナの 教会 くび き キ エ フを 中 心 と す る ウ ク ラ イ ナ は 〈 タ タ ー ル の 輻 〉 の 後,ポ ー ラ ン ドと リ トア ニ ア の 勢 力 圏 に 入 り,モ ス ク ワを 中 心 と す る ロ シ ア と は 別 途 の 発 展 を 遂 げ た 。 aウ ク ラ イ ナ(白 ロ シ ア を 含 む)の 教 会 は モ ス ク ワ府 主 教 イ シ ドル の ロ ー マ 教 会 と の 合 同(同 章D項1)参 照)を 受 け 入 れ た が,後 に コ ン ス タ ン テ ィ ノ ボ リ ス 総 主 教 の 管 轄 下 に 入 り,さ ら に ポ ー ラ ン ドの 圧 力 の 強 ま る 中 で Brestskaya 1596年 ロ ー マ 教 会 と の 合 同 を 決 議 し た 。 世 に ブ レス トの 合 同BpeCTCKa∬ uniya yxHRと い う。 b他 方,合 同反 対 派 は エ ル サ レム総 主 教 の介 入 を得 て,コ ン ス タ ン テ ィ ノ ポ リス総 主 教 の管 轄 下 に 自治 教 会 と して存 続 が認 め られた 。 c合 同教 会 と正 教 会 に2分 裂 した ウク ラ イ ナ の教 会 は,そ れ ぞ れ 政 治 勢 力 と結 合 して激 しい 抗 争 を展 開 した。 注11 〔1〕正 教 会 の 方 は1686年 ウ ク ラ イ ナ の ロ シ ア と の 合 併(然 し18世 紀 中 葉 工

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カ テ リ ー ナ2世 代 に は ロ シ ア の 行 政 県 に 改 組 さ れ た)の 後,コ ン ス タ ン テ ィ ノ ポ リ ス 総 主 教 の 承 認 を 得 て,モ ス ク ワ総 主 教 の 管 轄 に 入 っ た 。 ロ ② その 後 は 合 同教 会 の 方 が少 数 派 と し て迫 害 され る こ と と な る。 4)神 学 の 発 展 ロシ ア正 教 会 の シ ノ ド時 代(1721年 一1917年)は 教 会 が 国家 に隷 属 した 時 期 とは 言 え,信 仰 生 活 面 で は 衰退 の 時代 で は な く,ウ ク ラ イ ナ 併 合 が結 果 的 に ロシ ア正 教 会 神 学 の 発 展 に 重 大 な影 響 を与 え た。 ウク ライ ナ正 教 会 が ポー ラ ン ドの 重 圧下 に存 続 し得 た 陰 に は 聖 職 者 の死 闘 が あ った の で あ る。 PetrMogila a1632年 キ エ フ府 主 教 座 にあ ったIle'rp巫orHπaは そ の 代 表 的 神 学者 で, ラテ ン神 学 を学 び,そ れ を 武 器 と して ロー マ教 会 に 対 抗 した 。 これ ら ウ ク ライ ナの 神学 者 達 の努 力 に よ り,東 方 正 教 会 の 教 義 が 初 め て 整 然 と した 体 系 に ま とめ 上 げ られ た。 bピ ョー トル ・モ ギ ラ の弟 子 達 は ピ ョー トル 大 帝 の 支 持 の 下 に モ ス ク ワの 17世 紀 創 設 の神 学 大 学 で,ラ テ ン式 力 リキ ュ ラ ム に よ り聖 職 者 の養 成 を 開 始 した。 以 上 ラテ ン神学 の素 養 あ る神 学 者 の ロシ ア近 代 化 へ の貢 献 は 無 視 出来 ない 。 然 し余 りに も国家 権 力 と結び つい た教 会 上 層 部 に対 す る反 動 と して 修 道 生 活 が 人 々の 心 を ひ きつ け た と も考 え られ るが,ロ シ アで は 修 道 生 活 へ の憧 れ が 概 して 強 か った 。 も く cビ ザ ン テ ィン神 学 の 精 華 と 目さ れ る静寂 主 義 は ロ シ アにお い て最 も広 汎 注12 に熱 心 に 探 求 さ れ,ア トス山 の修 道 士 マ カ リオ ス ・ノタ ラ ス とニ コデ モ ス は 静 寂 主 義,特 に 〈 主 の 祈 り〉 の実 践 を 目指 して4∼5世 紀 の 教父 達 の 修 道 生 活 及 び 神 秘 主 義 に 関 す る著作 を ま とめ,1782年 に く フ ィロ カ リ ア〉 と 題 して公 刊 した 。 Paisii 〔1)ス ラ ヴ 語 訳 … ア トス 山 修 行 後 モ ル ダ ヴ ィ ア修 道 院 長 と な っ たnaHC曲 Velichkovskii Be』HqKOBCK曲 が1793年 ス ラ ヴ 語 に 翻 訳 し た 。 Feofan {2)ロ シ ア 語 訳 … ウ ラ ジ ー ミル 主 教 を 勤 め た 後 隠 棲 し た ΦeoΦaHが19世 紀 後 半 ロ シ ア 語 に 翻 訳 し た 。

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<フ ィ ロ カ リ ア 》 は 敬 慶 な 信 徒 の 心 の 糧 と し て 忽 ち ロ シ ァ 全 土 に 普 及 し たD 5)布 教 活 動 aロ シ ア帝 国 の 拡 大 と共 に 新 しい 布 教 圏 が 開 け,南 部 の カ フ カ ー ズ,中 央 ア ジ ア,ア リ ュ ー シ ャ ン,ア ラ ス カ な ど で 特 に,18∼19世 紀 が 布 教 活 動 の 頂 点 を な し,極 東 諸 国 に も進 出 し た 。 Filofei b18世 紀,シ ベ リア府 主 教 ΦH冴oΦe藍は 厳 しい 自然及 び貧 困 と戦 い なが ら カ ム チ ャ ッカ,ヤ ク ー ツ クま で 宣 教 師 を 派 遣,少 数 民 族 の 中か ら約4万 の 改宗 者 を 出 した 。 c1842年 創 設 の カ ザ ン大 学 に は 伝 道 活 動 セ ン タ ー一が設 置 さ れ,聖 書 や 典 礼 書 が数 多 の少 数 民 族 語 に翻 訳 され た 。 6)異 端 運 動 既 に ロシ ア の キ リス ト教 化 とほ ぼ時 を 同 じ く して 異 端 運 動 は教 会 を悩 ま せ て い た。 a18世 紀 に 出現 した 聖 霊 キ リス ト教 徒 の系 譜 を 引 く ドゥホ ボ ル派 とモ ロカ ン派 は或 程度 社 会 的影 響 力 を有 し たが,特 に前 者 は 兵 役 拒 否で 高 名 で あ り. 迫 害 を逃 れ て カ ナダ に移 住 した。 b18∼19世 紀 に は分 離 派 以外 に も様 々 な集 団 が活 動 した。 分離 派 自体 も既   ロ   に 多 くの 分派 に分 裂,特 に非 妥 協 的 な1派 は 司祭 の 存 在 す ら認 めず 無 司 祭 コ 派 と称 せ られ た。 c無 司 祭 派 か らさ らに分 離 した の が焼 身 自殺 で 知 らた フ ィ リッ プ派お よび 神秘 主 義 的 な 鞭身 派,去 勢 派 は 特 異 な 行動 で 注 目を 集 め,こ の 種 の 宗 派 は 無 数 に存 在 した。 Fロ シ ア革 命 の 影響 ロ シ ア革 命 は ロ シ ア正 教 会 に と って 史 上 最 大 の試 練 と な り,帝 政 の 圧 迫 と 保 護 か ら解 放 され て教 会 改 革 を 行 な う好 機 で もあ った 。 1)革 命 前 革 命 直 前1914年 の ロ シ ア正 教 会 の 勢 力 の 概 観 を以 下 数 字 で 示 す 。 a主 教 管 区 … ロ シ ア帝 国 の それ は67に 分 割 b管 区 の主 教 …67名

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C l q e f 9 h . ー ム ・ -﹂ そ れ 以 外 の 主 教 ・・82名 司 祭 …50,xO5名 補 祭 …15,210名 髄 騰"慢 幕 叢:::1,°25 473 修 道士"慢 季:::21 73:334,299 神 学 大 学 …4(モ ス ク ワ,ペ テ ル ブ ル グ,キ エ フ,カ ザ ン) 神 学 校 …58(聖 職 者 の 養 成,一 般 中 等 教 育) 教 会 付 属 学 校 …40,150(初 等 教 育) 2)革 命 後 既 に1905年 の革 命 以来,教 会 改 革 の動 向 が 表 面 化 し た。 a総 主 教 制 が1917年 約2世 紀 ぶ りに復 活 され た。 b新 政 権 は 教会 の 内部 改 革 を待 つ こ とな く,徹 底 的 な 政 策 分 離 を 図 り,ま た 反 革 命 に対 す る闘 争 を展 開 した。 c教 会 は 経 済 的 基盤 を 失 い,可 成 りの規 模 の迫 害 を こ うむ った が,同 時 に 新 体 制 との 共 存 を 目指 す 分 派 もい くつか 生 じ た。 d科 学 的 無 神 論 の宣 伝 活 動 は教 会 に と り,少 な か らぬ 痛 手 とな った 。 e然 し第2次 世 界 大 戦(大 祖 国 戦争)と 共 に 政 府 の 政 策 転 換 が は か られ, 正 教 会 は 社 会 主 義 政 権 に 協 力 しつ つ,限 られ た 範 囲 内 にお い て宗 教 活 動 を 行 な うこ と とな り,現 在 まで 本 質 的 には 変 化 な く続 い てい る 。 第V章:東 方 教 会 の 典 礼 音 楽 Aア ル メ ニ アの 典 礼 音 楽 1)記 譜 法 a5世 紀 の 著 作 家 の1人 は アル メ ニ ア人 は 聖 歌 の 音 を 固 定 さ せ るた め文 字 を 使 った と して い るが,後 代 の 文 献 に よれ ば12世 紀 ま で は〈 口伝 え〉 で あ った 。   のロ b12世 紀,タ ロ ン 出 身 の 司 祭 力 トシ ャ トウ ル が ネ ウ マ 的 記 譜 法 を 創 始 し た 。

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Kirakos c13世 紀 の著 作 家 キラ コス に よ る と,記 号 は 固定 的音 程 を示 す もので な く, 音 楽 を 知 って い る 者 の手 引 程度 で,初 期 の ものば か りで な く,54の 記 号 を もつ 組 織 的 な もの にお い て も同様 で,14∼15世 紀 の極 め て 発 達 し た楽 譜 も 未 だ解 読 され て い ない 。 2)旋 法 ・楽 器 きか のぼ る a聖 歌 は8旋 律 型(5世 紀 まで 遡 る とい わ れ る)に 従 って 歌 わ れ る。 今 日で は 和 声 つ げ られ て い るが,昔 の 性 格 を 変 え ては い な い。 gin b楽 器 は トル コで 使 用 され る,シ ンバ ル(2枚 の 青銅 盤 か ら或 る),ジ ソ zhaKeshotz ズ ハ が 使 用 され,典 礼 用 扇 ケ シ ョ ッツに も多 数 の 小 鈴 が つ け られ て い る。 3)聖 歌 本 vS arakanNersesSnorhali aア ル メ ニ ア の 聖 歌 本 シ ャ ラ カ ン の 最 後 の 貢 献 者 ネ ル セ ス ・シ ュ ノ ル ハ リ (1102年 一73年)は12世 紀 ル ネ サ ン ス(第 皿章A項5)参 照)の 中 心 人 物 で あ り,こ の 聖 歌 本 は1000以 上 の 讃 歌 を 含 み,以 下 の3グ ル ー プ に 分 類 さ れ て い る 。 注13Kanon (1)カ ノ ン ② い く つ か の 歌 節 よ り成 る 聖 歌 (3)単 節 聖 歌 聖 金 曜,洗 礼 者 ヨ ハ ネ,聖 霊 降 臨,御 昇 天,そ の 他 力 ノ ン が ま だ 作 成 さ   コ れ てい ない 祝 日の た め に カ ノ ンを 創作 し た。 SiuniArakel bネ ル セ ス ・シ ュ ノル ハ リの 仕 事 は1300年 頃 シ ウ ニの 司教 ア ラ ケル に よ り 完 成 され た 。 4)中 世 ア ル メ ニ ア教 会 音 楽 は ビ ザ ン ツ教 会 の教 会 音 楽 に匹 敵 す る高 度 な も の と の推 察 は キ リス ト教 音 楽 の 権 威 者 野 村 良 雄 氏 が そ の著 く 世 界宗 教 音 楽 史 〉 の 中で 述 べ られ て い る。 Bビ ザ ン ツ式典 礼 と ビザ ン ツ聖 歌 ロシ ァ では キ リス ト教 を ビ ザ ン テ ィン教 会 よ り導 入 の 当初 よ り,完 成 され た もの と し て受 容 し,ビ ザ ン ツ式 典 礼(第 皿章A項1),D項1)2)参 照)及 び ビ ザ ン ツ聖 歌 を採 用 し た。 従 って ロシ ア正 教 の典 礼 音 楽 研 究 に 先 立 ち,ビ ザ ン ツ典 礼 と そ の聖 歌 を 明確 に把 握 せ ね ば な らな い。

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1)ビ ザ ン ツ典 礼 と聖 歌 の歴 史 は527年,東 ロ ー マ皇 帝 ユ ス テ ィア ヌ ス1世 の戴 冠 式 に始 ま る と見倣 さ れ てい る が,彼 は教 会 の頭 と して528年,3大 時 課(朝 課,賛 課,晩 課)に は毎 日歌 うこ と を修 道 者 の義 務 と し,聖 体 礼 儀 はh行 われ たが,朝 と夕 の礼 拝 は非 常 に 荘厳 に行 な わ れ た。 .. ビザ ン ツ聖歌 とは ビ ザ ン ツ式典 礼 にお け る正 式 の ギ リシ ア語単 声 聖 歌 で あ り,ロ ー マ典 礼 にお け るグ レゴ リオ聖 歌 の よ うに,ビ ザ ン ツ典 礼音 楽 そ の もの と言 い得 るが,ロ ー マ式 とは 異 な り楽 器 は一 切 使 用 せ ず(特 に オル ガ ンの 音色 は人 心 を堕 落 に 導 くとの 理 由)人 声 の み の 音楽 を 神 に献 じ る建 前 に よ り,信 徒 に よ る無 伴 奏 の 合 唱 は ロー マ式 よ り大 きな 余 地 と重要 性 が 与 え られ,典 礼 の 中で 聖 職 者 の 祈 祷(無 伴 奏 の 独 唱)と 交 唱 され る。 典 礼 用 語 は各 民 族 の言 語 を使 う傾 向 が あ るが,大 抵 は 古 代 語 を 用 い る。 2)聖 歌 の発 展 a6∼9世 紀 間 の ビザ ン ツ聖 歌 の主 要 写 本 の 残 存 は 皆 無 で あ る。7世 紀 に 至 るま で,聖 歌作 者 は詩 人 兼 音 楽 家 で あ り,歌 詞 と共 に メ ロデ ィを も作 っ た が,少 くと も古 い 聖 歌 の音 楽 を新 しい 言 葉 に適 応 させ た ので あ る。 西 方 教 会 が 詩篇 に 基 づ い た の に対 し,東 方で は(ビ ザ ン ツ も)自 由詩 が 著 し く 発 展 した。 注14troparion注15Romanos b聖 歌 の 主 要形 式 は4∼5世 紀 に は トロパ リオ ン,6世 紀 に は ロマ ー ノ ス 注16Sergios注17Kontakion や セル ギ オ スを 代 表 者 とす る コン タ キ オ ン とな り,以 上2種 の 類 型 が700 Kanon 年 前 後 に は カ ノ ン と称 せ られ る 非 常 に長 い詩 形 に 圧倒 さ れ る ので あ る。 c11世 紀 に 新 しい 聖 歌 の 導 入 が 禁 止 さ れ る に 至 って 創造 的発 展 は終 る 。 d現 在 ギ リシ ア正 教 会 で 歌 わ れ て い る ビザ ン ツ聖 歌 は,完 全 に単 声 で あ る の は 例 外 的 で,非 常 に簡 単 な が ら ドロー ンに 近 い 低 音部 を 伴 って歌 わ れ る の が 普 通 で あ る。 Cロ シ ア正 教 会 の 聖 歌(資 料 皿A,B参 照) z)ビ ザ ン ツ典 礼 圏 内 にお い て ロシ ア正 教 会 は 音 楽 的に は 独 自の 発展 を 示 し, 早 くか らビザ ン ツ聖 歌 が ロシ ア化 され,好 ん で 多 声 部 合 唱 が 用 い られ た 。 a10世 末 ウラ ジー ミル大 公 が キ リス ト教 を 国教 と定 め て よ り ロシ ア正 教 会 聖 歌 の正 式 な 歴 史 は 始 ま るが,年 代 記 な どの 断片 的 記 事 を 除 き,初 期 ロシ

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ア正 教 会 の 教会 音 楽 に 関す る資 料 は 残 存 せ ず,前 述 の ビザ ン ツ聖歌(同 章 B項 参 照)よ りの類 推 のほ か な く,11世 紀末 ∼12世 紀 初頭 か らは素 朴 な楽 譜 の つ い た 聖 歌集 は残 存 し てい るが,そ の 楽 譜(16世 紀 ま で歌 手 の 暗記 を 助 け る 程度)は 解 読 不 可 能 で あ り,ノ ヴ ゴ ロ ドで手 写 さ れ た もので あ る 。 b13世 紀 に至 る ま で首 都 大 主 教 は 総 て コ ン ス タ ン テ ィノ ポ リス総 主 教 か ら 叙 階 さ れ た ギ リシ ア人 で あ った が,音 楽 面 で もギ リシ ア人 の歌 手 達 が キ エ フに送 られ た 。野 村 良雄 氏 の説 に よれ ば,キ リス ト教 化 の最 初 の時 期 にお い て は,典 礼 は ギ リシ ア語 と ロシ ア語 の 両 方 で 行 な われ た とい うこ とで あ る 。 znamen-c古 い 単 旋 律 の ロシ ア聖 歌 は〈 特 定 の標 識 あ る 歌 〉 とい う意 味 の3HaMeH-nyiraspevZnamena Hhl曲pacne$と 称 せ られ る 記 譜 が 用 い られ た が,こ れ は 記 号 が3HaM6照 Kryuki かぎ (旗 印)と 呼 ば れ る 故 の 名 称 で あ り,別 名 をKpioxx(鉤)と も呼 ば れ て い る 。 1〈PloKHは11∼12世 紀 に お け る ズ ナ メ ニ 使 用 の 初 期 か ら,17∼18世 紀 に 至 Znamennyi祀spev る ま で 多 くの 曲 折 を 経 て 発展 した が,今 日3HaMeHHbl且pacneBの 古 楽 譜 は16∼17世 紀 の ものが 確 実 に解 読 出来 る にす ぎ な い。 d古 い 修 道 院 の 聖 歌 は 音 楽 史 的 に も,芸 術 的 に も,最 も重 要 で あ り,後 に は 大 聖 堂 や 小教 区 聖 堂 の 歌 が独 自な もの と して 発展 す る。 単 声 の修 道 院 聖 歌 は 多 種 多様 の類 型 を持 ってお り,中 心 とな るの は, Znamennyi (1)3HaMeHH曲 聖 歌 … 北 部 と 中 部 ロ シ ア に 拡 が っ た 聖 歌 の 最 も古 い も の 。 モ ス ク ワ 公 国 の 領 域 の,外 国 の 影 響 の 最 も少 い 地 方 の もの で あ る が,以 下 に 分 類 さ れ る 。

≦繍

径:::尖

雲脚

といわれる・

Kievskiiraspev (2)1〈HeBCK雌pacneB… 〈 キ エ フ の 歌 〉 と 呼 ば れ,南 ロ シ ア 起 源 で こ の 地 方 は17世 紀 後 半,モ ス ク ワ公 国 の 支 配 下 に 入 る 以 前 に は,ポ ー ラ ン ド や リ トア ニ ア の 勢 力 下 に 入 り,そ の 影 響 を 受 け た もの が あ る 。 {3}そ の 他 ギ リ シ ア 的,ブ ル ガ リ ア 的,セ ル ビ ア 的 な ど の 聖 歌 の 類 型 も あ る 。

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(4)特 別 な装 飾 形 を 持 ち,民 俗 音 楽 的 要 素 の見 られ る類 型 も見 られ る。 e13世 紀 まで キエ フは 政 治 と同 様s宗 教 の 中心 で あ った が,最 古 の 楽 譜 は ノ ヴ ゴ ロ ドの もの が伝 え られ て い る。 そ の理 由 は 最 古 の 聖 歌 集 の断 片 は, 12世 紀 に ノ ヴ コ ロ ドで手 写 され た もの で,1240年 の モ ン ゴ ルの 侵 略 の た め 破 壊 され た キエ フ とは異 な り,侵 入 を ま ぬ が れ た 北 方 の 商 業 都 市 ノ ヴゴ ロ ドは 繁 栄 し てい た た め,聖 歌 も残 存 し得 た。 fキ エ フ滅 亡後,政 治 と宗 教 の 中心 は モ スク ワに 移 り,モ ス ク ワは1328年 ロ シ ア首 都 大主 教 座 と な り,ビ ザ ン ツ帝 国 崩 壊 後 モ スク ワは 正 教 会 の 最 有 力,最 後 の 政 治 的独 立 の 中心 と な った 。 2)〈 タ ター ルの 輌 〉 で 中 断 され た後,15世 紀 か らは 新 様 式 の 楽 譜 を付 さ れ た 聖 歌 集 が 可 成 り残 存 して お り,16世 紀 に な る と ロ シア 聖 歌 最 初 の盛 期 が 訪 れ,当 時 の 音 楽 は 数 多 の 解読 可 能 な楽 譜 で 記 録 さ れ て い る。 従 って 多 数 の 教 会 音 楽 作 曲家 の名 前 とそ の 音 楽 とが 知 られ て い る 。 け ロみ  aビ ザ ン ッ皇 帝 に 倣 っ て ロ シ ア の 皇 帝 も教 会 音 楽 を 促 進 し た 。 雷 帝 イ ワ ン 19 4世(1530年 一1584年)も 音 楽 家 と し て 著 名 で あ り,そ の 作 曲 に な る 聖 歌 も Khristianin 残 っ て い る 。彼 は 音 楽 を 大 い に 奨 励 し,音 楽 学 校 な ど も作 っ てXPHCTHaHHH, IvanNos MBaHHocな ど勝 れ た音 楽家 を集 め た。 bギ リシ ア正 教 は 一 般 に 楽 器 を 用 い な い が,ロ シ ア正 教 もま た 厳 格 に 声 楽 の み に よ る華 麗 な聖 歌 を 発 展 さ せ た 。 本 来 は単 旋 律 で あ ったが,17世 紀 以 降 ご く1部 の 聖 歌 に多 声 的 な もの も残 存 して い る。 3)17世 紀 中 葉 の ニ ー コ ンの改 革 以後5線 譜 が 導 入 さ れ,漸 次 ズ ナ メニ に 代 って 行 った が,5線 譜 は 単 旋 律 の 聖 歌 を 記 す に は 適 当で な く,ロ シ アの 僧 侶 達 には 容 易 に 親 しみ 難 か った 。18世 紀 には これ らの 僧 侶 達 の た め に,ズ 3HaMexKedvoeznamennik ナ メ ニ と5線 譜 の 対 訳 本 と も言 うべ き 双Boe3HaMeHHHKが 数 多 編 纂 さ れ, 今 日我 々 の 解 読 を 容 易 に し て い る 。 4)17世 紀 後 半,独 自 の 多 声 的 様 式 の 発 展 を 遂 げ ぬ 中 に,ポ ー ラ ン ド ・ ウ ク ラ イ ナ 風 の 多 声 的 音 楽 の 影 響 も受 け て,19世 紀 に 入 る と,伝 統 的 な 聖 歌 の 旋 律 を ドイ ツ ・プ ロ テ ス タ ン トの 讃 美 歌 風 に や さ し く和 声 づ け し た 歌 い 方

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が 確 立 さ れ,現 在 知 ら れ て い る ロ シ ア 聖 歌 と な っ た 。 5)イ タ リァ 及 び ドイ ツ の 影 響 D,S.Bo-al8世 紀 後 半 は イ タ リ ア 音 楽 の 全 盛 期 で,宮 廷 聖 歌 隊 の 指 揮 者 瓜.C.Bo-rtnyansltii pTH朋cKH茸(1751年 一1825年)は イ タ リ ア 的 様 式 に よ って 聖 歌 に 和 声 づ け し た 。 F.Iivov b19世 紀 に 入 る と,彼 の 後 継 者 Φ.JILBoB(フ ヨー ドル ・ リ ヴ ォ フ1766年 A.Iivov -1836年)及 び そ の 息 子A .凸BoB(ア レク セ イ ・ リ ヴ ォ フ1798年 一1870 年)が ドイ ツ 風 和 声 づ け を 行 い,聖 歌 を 総 て 整 理 し,体 系 化 し た 。 N.Bakhmetev cリ ヴ ォ フ の 後 継 者H.BaxMeTeB(1807年 一1891年)は そ の 体 系 を さ ら に 強 化 し,強 い 影 響 力 を 誇 づた 。 dボ ル トニ ャ ン ス キ ー,ル ヴ ォ フ と並 ん で,教 会 音 楽 の く ペ テ ル ブ ル グ Arkhangeliskii 派 〉 にApxaHre凸cKH且(1846年 一1924年)も 所 属 し 一(お り,彼 の 作 品 は, 19世 紀 音 楽 に 強 く影 響 さ れ,時 と し て セ ン チ メ ン タ ル な 趣 き もあ る 。 ロ シ ア 正 教 会 で は 現 在 で も,主 と し て こ の 時 代 の 音 楽 が 用 い ら れ て い る 。 6)19世 紀,ロ シ ア 国 民 楽 派 の 祖 とい わ れ る グ リ ン カ,国 民 楽 派 の5人 組 の 大 半 及 び チ ャ イ コ フ ス キ ー 達 は,古 い 典 礼 聖 歌 に 古 い 旋 法 を 用 い て 和 声 づ け を し た り,教 会 音 楽 を 作 曲 し,或 い は 彼 等 の 作 品 の 中 に,古 ロ シ ア 正 教 会 音 楽 の 面 影 を 残 し た 。 7)前 記 く ペ テ ル ブ ル グ 楽 派 〉(同 項5)abd参 照)に 対 し て 〈 モ ス ク ワ 楽 派 〉 と 称 せ ら れ る 人 々 は 典 礼 作 品 を 旋 法 的 性 格 に ふ さ わ し く処 理 し,和 声 化 す る こ と を 目 標 と し,19世 紀 末 か ら今 世 紀 前 半 に 活 躍 し た 。 モ ス ク ワ 主 教 区 学 校 長 カ ス タ ル ス キ ー(1856年 一1926年),イ ポ リ トフー イ ワ ノ ブ (1859年 一1935年),グ レ チ ャ ニ ー ノ ブ(1864年 一1944年),チ ェ ス ノ コ フ (1877年 一1944年)達 で あ る 。 8)以 上19世 紀 末 か ら20世 紀 に か け て 起 っ た,聖 歌 の 改 革 運 動 は 充 分 な 成 果 を 挙 げ 得 る 前 に,ロ シ ア 大 革 命 を 迎 え,運 動 は 達 成 さ れ な か っ た が,19世 紀 的 聖 歌 は 現 在 も広 汎 に 歌 わ れ て い る 。 こ の 時 代,革 命 時 ア メ リカ に 亡 命 し た ラ フ マ ニ ノ ブ(1873年 一1943年) 及 び ス トラ ヴ ィ ン ス キ ー(1882年 一1971年)に も ロ シ ア 正 教 典 礼 作 品 が 残

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さ れ て い る。 因 み に 日本 の ギ リシ ア正 教 会 は ロシ ア系 で あ り,日 本 ハ リス トス正 教 聖 歌 注18Hxxona# に は 初 代 大 主 教 ニ コ ライが1861年(文 久 元 年),函 館 の ロ シ ア 領 事 館 付 司 祭 と し て来 日後,布 教 活 動 を 開始,東 京 駿 河 台 に1884年 ∼91年 にか け て 建 立 し コ   コ ロ       コ コ     た大 聖堂 を 中心 と して発 達 した ロ シ ア正 教 会 の 聖 歌 を 日本 化 した もので あ る 。 次 に ロ シ ア正 教 会 所 属 の ウ ク ラ イ ナ教会(序 及 び 第IV章E項3)参 照)に お け る公 奉 神 礼 の 中 で,現 在 歌 わ れ てい る奉 神 の聖 歌 につ い て考 察 を 進 め て 見 た い 。 第q章:現 ウ ク ラ イ ナ 教 会 の 奉 神 聖 歌 こ こで 今1度,ウ ク ライ ナ教 会 が 所 属 して い る ロ シ ア正 教 会 に 不可 欠 の 信 仰 事 項 の確 認 に迫 られ るた め,必 要 最 少 限 の 事 項 に つ き簡 潔 に記 す 。 A公 奉 神 礼,イ コン,教 会 暦(資 料 皿C参 照) 1)公 奉 神 礼 信仰 生 活 の 中心 は 当然 く 教 会 〉 で あ るが,教 会 を 中心 に 行 な われ る公 的 祈 Bogosluzhenieobshchestvennoe 祷 を 公 奉 神 礼Boroc刀y}KeHHeo6uiecTBexxoeと 呼 び 以 下 に 大 別 さ れ る 。 a恒 常 的 な も の urok (11時 課ypOK… 本 来1日8回 行 な わ れ る祈 祷 obednyaIiturgiya (2)ミ サ06eAHR… 聖 体 礼 儀nxTyprxR b人 間 の 出 生 か ら死 に 至 る 間 の 様 々 な 儀 式,教 会 を 通 し て 与 え ら れ る 神 の セ  ロヨセ    特 別 の 恩 寵 の こ と を 機 密TaHHCTBOと 呼 び7種 あ る 。 Obednya o6eAHaの 際 用 い る典 文 は3種 あ る が,聖 ク リュ ソ ス トモ スの典 礼 が 基 本 で あ る。 〈 祈 祷 文 〉 の 多 くは 様 々 な 形 式 の 聖 歌 で あ るが,多 種 類 あ り,日 に よ って 組 み 合 わ せ が 決 って い る。   ロ   コ       〈 典 礼 音 楽 〉 には,前 記 の如 く楽 器 は 用 い ない 。 〈 聖 歌 〉 の 旋 律 は 通 常18世 紀 中葉 以 降 の新 しい もので あ る。 典 礼 用 語 は東 方正 教 会 の方 針 と して,各 民 族 の 言 語 を 用い るべ きで あ るが, ロ シ ア正 教 会 は 未 だ 教会 ス ラ ヴ語 を 用 い て お り,説 教 の み ロ シア語 を 用い て

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い る 。 2)イ コ ンHKOH け ぽ リ イ コ ン とは 東 方 正教 会 で 特 に崇 敬 さ れ るく 聖 像 画 〉 で,キ リス ト,聖 母 マ リア,天 使,預 言 者,聖 者,殉 教 者 な どの姿 と事 績,さ らに聖 書 の 場 面 な ど を 描 い た もの で あ り,通 常木 の板 を素 材 と し た テ ン ペ ラ画 で あ る が,フ レス コ或 い は モ ザ イ ク,さ らに工 芸 の イ コ ン も存 在 す る。 イ コ ンそ の もの は崇 拝 の対 象 で は な く,そ れ を通 して神 を拝 し,そ の偉 大 コ コ ロ   ロ   コ コ さ を 認 識 す る た め の もの で あ る。 しか し イ コ ン そ の もの に神 の特 別 の 力 が 宿   る とい った信 仰 が 根 強 く存 在 して い る。 なお イ コ ンは家 庭 内 にお い て も崇 敬 の対 象 と な ってい る。 3)教 会 暦 か つ ロ シ アで は 曽 て1年 を9月1日 に始 め るく 教 会 暦 〉 が一 般 に 用 い られ て い た が,18世 紀 ピ ョー トル大 帝 が 強 い 反 対 を 押 し切 ゲ てこれ を1月1日 開始 に した。 しか し正 教 会 の暦 法 は 従 前 通 りのユ リウ ス暦(旧 暦)に よ り今 日に 至 ってい る。1917年 の革 命 以 後,教 会 以 外 で は グ レゴ リオ暦(新 暦)が 用 い ら れ る よ うに な った 。 ユ リウ ス暦 は今 世 紀 に お い て13日 遅 れ る こ と に な る。 さ て次 項 よ り本 題 の 奉 神 聖 歌 の 研 究 に移 る こ と と な るが,1981年1月 よ り  ロむアむ  2月 中旬 までMopos(凍 寒)の キエ フに 滞 在,都 心 の 雪 を戴 い た ドー ム を仰 ぎ 見,心 清 ま る鐘 の 音 に 耳 を傾 け なが ら,深 い 積 雪 を踏 み分 け て 毎 日曜 日訪 れ VladimirskiisoborIiturgir た の はBπa朋MHpcK曲co60Pウ ラ ジ ミル ス キ ー 聖 堂 で あ り,そ のJIHTyprHs 聖 体 礼 儀 は10世 紀 キ エ フ ・ル ー シ の ウ ラ ジ ー ミル 聖 公 が 宗 教 調 査 の た め ビ ザ ン テ ィ ン 帝 国 に 遣 わ し た 使 者 の 言 そ の ま ま に,天 国 に 憩 う心 地 す ら し た 。 幾 TaisiyaGeorgimnaya 度 か 通 う中,遂 に 聖 歌 隊 の楽 譜 管 理 責 任 者 の老 婦 人TaHCHSreoprxMxaRの 御 好 意 に よ り,門 外 不 出の 手 写 の 聖 歌 譜 を3種(B項 一D項)贈 られ た。 B復 活 大 祭 の 聖 歌 ロ シ ァ正 教 に お い て 主 の 蘇 え りを祝 う復 活 祭 は最 大 且 つ 最 も中 心 的祝 祭 日   コ コ コ コ   で あ り,特 に く 復 活 大 祭 〉 と称 す る。 教 会 暦 の 移 動 祭 日に 当 り,春 分 の次 の 満 月 に 続 く日曜 日が該 当 し,若 し春 分 が 満 月の 場 合 は,そ の 次 の満 月 に続 く 日曜 日に 定 め られ て い る。 これ は 明 らか に 農 耕 民 の春 を迎 え る祝 祭 と重 な る

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もので,美 し く彩 色 した 卵 な ど異教 的 風習 の 名残 りが色 濃 く残 って い る。 復 活 大 祭 か らの1週 間 は く光 明週 間〉 と 名付 け られ る。 Velikiipost 1)信 徒 は 復 活 大 祭 の 前,40日 の 大 斎BeπHK曲IIOCTを 守 り,而 も 最 後 の1 週 間 は 断 食(完 全 な も の で な い)を し て キ リ ス トの 受 難 を 偲 ぶ 。 精 進 の 後 コ コ ゆ え 復 活 の 喜 び は大 き く,土 曜 か ら復 活 大 祭 の 日曜 にか け て の夜 中 に行 な わ れ る 早 課 の 際 に,会 衆 と もど も教 会 の周 囲 を1巡 した 司祭 が 最 後 に 「キ Khristosvoskrese リ ス ト蘇 え り 給 え り」XpHCTOcaocxpece!と 叫 び,信 徒 が 唱 和 し て 「誠 Voistinuvoskrese に 蘇 え り給 え り」BOHCTHHyBocxpece!と 叫 ぶ 時 に 頂 点 に 達 す る 。 VoskresenieKhristovo 2)奉 神 聖 歌<BocxpeceHieXpHCxoso>ハ リ ス トス の 復 活(資 料IVA,B 参 照) 二 見 淑 子 訳 ハ リ ス トス の 復 活 を 見 し 我 等 は 聖 な る 主 イ イ ス ス に 祈 ら ん 単 一 の 清 き 十 字 架 に,汝 ハ リ ス トス に 誓 い, ほ 汝 の聖 な る復 活 を,我 等 は讃 め 歌 う ほか 汝 は 我 等 の 神,故 に 汝 の他 に 神 な きを 知 る とな よろず ま こ と 汝 の 御 名 を 我 等 は 称 え,万 の真 理 を想 起 させ 給 え 聖 な るハ リス トスの 復活 に ぬ かず き祈 らん あ まね よろ こび そ は十 字 架 に よ り,遍 く世 に歓 喜 もた らす 故 な り 常 に神 に 謝 し,神 の復 活 を我 等 歌 わ ん 礫 刑 を忍 び ぬ き,死 を も って死 を 亡 ぼ し給 え 父 と子 と聖 神 に栄 光 あ れ ひ ろ 寛 き聖 使 徒 の祈 祷 に よ りて あ ま た 数多 の我等が罪を清め給 え と わ とこ 今 も,永 遠 に,常 し え に,ア ー ミン ひ ろ 寛 き聖 母 の 祈 祷 に よ りて あ ま た とが 数 多 の 答 を 清 め 給 え 神 よ,汝 の 大 い な る恩 寵 を 与 え 給 え

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あふ 汝 の 浴 れ る慈 悲 に よ り我 が 不 法 を 清 め 給 え 予 言 の ま ま に,墓 よ り蘇 え り給 い しイ イ ス ス よ と わ い の ち み め ぐ 我 等 に永 遠 の生 命 と大 い な る御 恵 み を与 え給 え Tropar' こ の聖 歌は 復 活 のTponapbト ロパ リ(ト ロパ リオ ン)で あ り,〈 復 活 大 祭 〉 の早 課 に奉 神 され るの み な らず,主 の 復活 を 顕 現 す るく 日曜 〉 の早 課 に奉 神 す る こ と も可能 で あ る。 コ コ ロ ロ ロ   コ 歌 詞 は 恐 ら く,ビ ザ ンテ ィンの 早 課 の 中 か ら伝 承 の ウク ラ イナ 語 訳 と推 測 コ     ロ され るが,可 能 な 限 り,原 詞 に 忠 実 に(殆 ど直 訳),し か も正 教 聖 歌 に ふ さ わ し く訳 詞 に 際 し,〈 古 語 〉 を 用 い る よ う努 め た 。 作 曲は 前 章(第5章)C項5)dに 記 述 した,19世 紀 後 半 よ り今 世 紀 前 半 に 活 躍 した く ペ テ ル ブル グ 派 〉 の 作 曲 家 アル ハ ンゲ リスキ ー で あ る 。彼 は19 世 紀 音 楽 に 強 く影 響 され た が,正 教会 の 聖 歌 合 唱 に 女 声 を 入 れ た最 初 の人 と い わ れ て い る。 コ   この 聖 歌 は 聖 歌 隊 に よる奉 神 の 他 に,一 般会 衆 の 唱 和 も可能 で あ る。 Aeolia メ ロ デ ィの 音組 織 は エ オ リア旋 法 に 近 い 正教 旋 律 型 と思 われ るが,自 由 リ ズ ム の素 朴 な朗nf}」調 に よ る この 曲は,力 強 いu且ison,主 とし て短3度 使 用 の 透 明感 あ ふ れ る3度 進 行,随 所 に見 られ る4度 乃 至5度 の跳 躍 な ど,目 立 た ぬ 技 法 を 駆使 して の躍 動 す る 生 命 感 に 満 ち た 信 徒 の 歓 喜 と,固 い 信 仰 決 意 を 注20 あ らわ し,acappellaの 至 純 な る 美 し さを 遺 憾 な く発 揮 してい る 。 C救 主 降 誕 祭 の 聖 歌     1)主 イ イ ス スの御 降誕 を祝 う,復 活 大 祭 に 次 ぐ大 祭 で あ る 。移 動 祭 日の 復 活 大 祭 とは 異 な る 固 定 祭 日で あ り,今 日の グ レゴ リオ暦 では,1月7日 に 祝 わ れ て い る 。 Devadnes,お とめ 2)奉 神 聖 歌<・/Rxecb>処 女 は 今 日 (資 料VA,B参 照)二 見 淑 子 訳 お と め 処 女 は今 日,至 上 至 高 の もの を 生 み ほ ら 地 は近 よ り難 き もの に洞 穴 を捧 ぐ ほ 天 使 らは 牧 人 達 と 讃 め 歌 う

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ほ ほ 讃 め歌 う 讃 め歌 う 博 士 らは博 士 らは 星 を 頼 りに旅 をす る 旅 をす る 旅 をす る お きなご そ は 我 等 が ため 幼 児 と し 不 滅 の神 生 れ給 ひ しゆ え な れ ば な り こ の 聖 歌 は く救 主 降 誕祭 〉 の公 奉 神 礼 の み の もの で あ り,降 誕 祭 のKOH双AK コ ンダ ク(コ ンタ キ オ ン)で あ る。 歌 詞 は6世 紀 前 半 の美 声 の歌 手 で あ り,    り  ロ コ コ         コ コ ンダ ク の 創 始 者POMaH(ロ マー ノ ス)作 詞 の ウ ク ラ イ ナ語 訳 と考 察 され る。 日本 ハ リス トス聖 教会 で は故,聖 ニ コ ラ イ大 主 教(第V章C項8)参 照)の 深 い 信 仰 と宗 教 的 情 熱 に満 た され た,格 調 高 い 秀 れ た訳 詞 を使 用 して い るが, 原 詞 の 意 味 を 究 明す る た め,敢 て忠 実 な る 翻 訳 を試 み たが,歌 調 に恵 まれ ず, リズ ム感 に 乏 しい 。 しか しく 原 詞 〉 は 美 しい 抑 揚 と快 適 な リズ ム に よ り, 〈 救 主 降 誕 〉 の情 況 を 牧 歌 的 に 描い てい る 。 ほ ら 訳 詩 の 中 の く 洞 穴 〉 は,イ エ ス の 降 誕 に 関 す る"ロ シ ア,ビ ザ ン テ ィ ン の イ コ ン で は,厩 舎 で は な く,山 腹 の 岩 穴 に 〈 み ど り子 〉 が い て,牛 が そ の み のぞ ど り子 を 覗 き こん で い る構 図 の もの も知 られ て お り,さ らに 洞穴 は ドス トエ コ ロ   フ ス キー の 説 く聖 と俗 の 二 重 構造 を 示 す,深 渕 な る意 味 を 包 含 してい る。" とい う意 味 を江 川 卓 氏 は そ の 著 く ドス トエ フ ス キー 〉 の 中 で述 べ てお られ る。 BOPTH且HCK濫{益 作 曲 は18世 紀 後 半 の 宮 廷 聖 歌 隊 の 指 揮 者,ボ ル トニ ヤ ン ス キ ー(第V章C 項5)a参 照)で あ る 。 ロ シ ア 協 会 音 楽 の 古 典 的 作 曲 家 と 目 さ れ る 彼 は 工 力 テ リー一ナ2世 の 時 代,1765年 一1768年 の 間 ペ テ ル ブ ル グ に 滞 在 し て い た ヴ ェ ネ ツ ィ ア ・オ ペ ラ の 大 家 ガ ル ッ ピ に 師 事 し,師 と 共 に イ タ リ ア に 赴 き,オ ペ ラ 作 家 と し て 成 功,帰 国 後1796年 宮 廷 聖 歌 隊 の 指 揮 者 と な っ て,名 声 を 高 め, 世 に 〈 ロ シ ア の パ レ ス ト リー ナ 〉 と 称 さ れ た 。 イ タ リ ア 様 式 の 彼 の 作 品 は, 1部 は 伝 統 的 な 古 い 聖 歌 旋 律 に 基 づ き,1部 は 自 由 作 曲 に 成 る もの で あ り, ロ シ ァ 教 会 音 楽 の 最 も著 名 な レパ ー ト リー と し て,今 日最 も広 汎 に 歌 わ れ て い る 。 彼 は 伝 承 さ れ た 古 聖 歌 旋 律 の 総 て に,4声 部 の 和 声 づ け も試 み た が, G.J.Lomakin 果 せ ず,後 にr,H.JloMaxHxに よ っ て 遂 行 さ れ た 。

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こ の聖 歌 は44子 破 定 し姻 定 リズ ムを持 ち,メ ・デ ・轍 暗 繍 は 正教 旋 律 型 の〈 ブ ルガ リア調 〉 で あ り,流 れ る よ うな旋 律 の 動 きは,奉 神 す る聖 歌 隊員 は じめ,抵 抗 出来 得 ぬ 陶酔 境 に人 々 を導 き,4声 部 合 唱 の上 声2 部 の清 澄 な短3度 に よ る3度 進 行,重 厚 な 和声 構 成 の 合 唱 が 高 い ドー ム に こ だ ま 反 響 し,〈 天 使 達 〉 の 歌 詞 を女 声 合 唱 の み で反 複 さ せ,〈 博 士 は 〉 の歌 詞 部 分 を 男声 合 唱 のみ に 任 せ,他 の フ レー ズは全 体 合 唱 で 力 強 くま とめ る心 憎 い 繊 細 な演 出は,如 何 に も大 家 ボ ル トニ ャン スキ ー の作 品 に ふ さ わ し く,荘 厳, ロ ロ ロ ロ 華 麗 な絶 妙 の 美 を 展 開 して い る。 D感 謝 祈 祷 の 聖 歌 1)前B,C項 の2曲 と異 な り,時 を 選 ば ず,感 謝 の 祈 祷歌 と して 最 後 に歌 わ れ る聖 歌 で あ るが,慶 事 の 聖体 礼 儀 に最 も多 く奉 神 さ れ る。 Mnogoletstvovanie い くとせ 2)奉 神 聖 歌 く 踊HoroπeTcTBoBaHHe>幾 年 も (資料VIA,B参 照)二 見 淑 子 訳 偉 大 に し て至 聖 な る我 等 の 教 父 で あ り モ ス ク ワと全 ロ シ ア の総 主 教 ピー メ ン様 並 び に我 等 の こ よな く偉 大 に して 神 聖 な る 注21 キ エ フと ガ リチ アの 府 主 教 で あ り 全 ウク ラ イ ナ の教 区 長 の フ ィラ レー ト様 神 が 護 り給 う我 等 が 祖 国 の権 威 と軍 勢 お よび 全 正 教 徒 を 神 よ,我 等 を永 遠 に 護 り給 え 飢HoroπeTHeは 辞 書 に よ れ ば く 万 歳 〉 と い う 意 味 で,教 会 の 儀 式 の 後,帝 室 mnogayalets の 長 運 を 祈 っ てMHOraR,aeTaと 唱 え る こ と と 記 さ れ て い る が,前 記 の 聖 ニ コ い くとせ ラ イ大 主 教 の 訳詞 では 〈 萬壽 詞 〉 とな って お りく 幾 年 も〉 と して一 般 に 歌 わ い く とせ れ て い るた め,こ の〈 長 年 の 祈 り〉 の タ イ トル を 〈幾 年 も〉 と して 紹 介 した 。 こ の 聖 歌 の作 詞,作 曲 は 様 々の 国 の 国 情 に よ り,ま た多 くの 人 々の 手 に 成 る多 種 の もの で,日 本 ハ リス ト正 教 会 使 用 の 聖 歌 とは全 く趣 を 異 に して い る。 本 項 に紹 介 してい る こ の 聖 歌 は そ の 歌 詞 を 見 て も現 ソ ビエ トに お い て作 詞

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