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社員権論の歴史性と現代性 : 株主件の再検討

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Academic year: 2021

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社員権論の歴史性と現代性 : 株主件の再検討

著者

新津 和典

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論 文 内 容 の 要 旨

 我が国では、営利法人である株式会社をどのように捉えるのかという根源的な問題は株主権を権利として 捉えるべきか(社員権論)、権利性を否定して単なる権限として捉えるべきか(社員権否認論)を軸に展開 されてきたといっても過言ではないが、新津和典氏の本研究は、事前規制から事後規制へという規制緩和が 色濃く反映された2006年会社法改正(いわゆる会社法の現代化)という大きな流れのなかで、つまり株主の 権利性があらためて問い直されようとしている現状において、株主の権利(株主権)を歴史的に再検討する ものである。  新津氏の研究は、大きく2部からなり、第一部は近代株式会社形成期におけるドイツの株主権に関する学 説を再検討しようとするものである。これは、我が国における社員権否認論がドイツの学説を受容する形で 展開されてきたが、その受容そのものが適切であったか否かを問うものである。第二部は、いわゆる経済の 構造変革を迎えた20世紀初期において、株主権がどのような変容を蒙ったのかを「企業自体」(Unternehmen an sich)を中心に検討している。「企業自体」はドイツで展開された理論であるが、我が国ではアメリカの「所 有と経営の分離」をも視野に入れた形で、現代株式会社法が説かれてきたことから、ドイツの議論と同時に アメリカの議論をも検討の素材としている。そして、結論的には、株主権の私益性は会社法の底辺に流れる 原理であり、株式会社のいわゆる公共性・社会性という実体においてもなお否定されるものではないとして いる。  第一部の19世紀中後期ドイツにおける社員権論の生成と展開では、まず我が国において社員権否認論を最 初に提唱した田中耕太郎博士の見解を検討の対象とする。新津氏は田中博士が参考とした文献を読み直すこ とを通して、田中博士が近代株式会社における株主権の歴史的発展を私益性の縮減過程と説いていることに 疑問を提起している。  すなわち、田中博士は、社員権論形成期である19世紀中後期におけるドイツの株主権を詳しく検討した 結果、当時のドイツでの株主権論にかかわる学説の変遷を、株式会社組合説から株式会社法人説へ移行過程、 つまり社会的実在としての株式会社が顕在化してきたプロセスと捉え、自由意思で会社運営に当たる組合員 たる株主の権利は自立的存在たる会社の下ではその維持発展のためには後退すべきものとなったとしている。  新津氏は、当時のドイツにおいて、私的営利団体である株式会社の私益性を特徴づけるためにローマ法上

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の概念であったソーキエタース(societas)を借用したこと、そして、株式会社が社会的に一般化した段階 でソーキエタースから、株式会社の自立性を鮮明化するために社団(Verein oder Korporation)として捉 えるようになったことを明らかにしている。従って、組合から社団への流れの中で出資者を団体という権利 者の前に後退すべきものとして位置づけた田中博士の見解とは逆に、ドイツ学説史では、社団として捉える ことと株主権としての権利性の確立が不可分であったことを論証している。すなわち、社団説は、営利性を 徹底せず、いまだ前近代的な理解から脱却できずに、株式会社の社団性を拒んでいたソーキエタース説を批 判し、19世紀中期以降に開花した経済的・社会的自由主義を背景として、営利性を社団概念においても積極 的に評価するものであり、社団説の意義は、会社の営利的性格や株主の私益性を、ソーキエタース説よりも さらに強調して、前近代的な団体概念から脱却したことにあるとして捉えるべきであるとする。  以上の19世紀中後期の株式会社の法的性質をめぐるドイツ学説史を原典に照らして再検討した結果、ドイ ツにおける社員権論は、営利性と私益性を株式会社の根本的な性質であると捉えており、これらを強調し明 確化する形で展開されてきた。社員権論生成期の学説の変遷は、株式の私益性の純化の過程であると結論づ けている。  第二部において、経済の構造変革を経た現代株式会社における株主権の変容をどう捉えるべきかを、その 実体を表す象徴的な「企業自体」を中心に、その内実に迫ろうとする。  新津氏は、「企業自体」の意義をめぐって、我が国では、会社内部において「従業員や消費者といった株 主以外の会社のステークホルダーの利益を体現ないしは保護すべきものとしての公共性」(従って、そのた めには株主権は制限されるべき)という考え方(服部説)と株主権は公共性によっては制約されず、株主権 の制約はあくまでも株主の利益の枠内において(株主共同の利益によって)なされなければならないとする 理解(大隅説)があることを明らかにする。  その上で、新津氏は、我が国の「企業自体」を批判的に検討するために、ドイツの「企業自体」を取り上 げる。「企業自体」の4つの現象(企業の大規模化と集中化、経済の自己組織化、企業サイドと従業員サイ ドの団体化と国家への接近、介入国家化)でもって特徴づけられるとして第一次大戦後のドイツの状況を整 理しながら、「企業自体」を法的な議論にまで昇華させたネッターを取り上げ、詳細に分析する。  ネッターは、我が国の「企業自体」にも決定的影響を及ぼしたが、企業の社会性を強調し、大企業は株主 の私的利益から保護されねばならないとするラーテナウの見解に沿いつつ、株式会社は「ゲマインシャフト (Gemeinschaft)」として、国民経済的利益を中心とする一般的利益、とりわけ従業員の利益による株主権の 制約と、株主全体の利益に抵触する株主の個人的利益の追求の制約、すなわち誠実義務という2つの制約原 理を導き出している。  新津氏は、「企業自体」は従業員の利益保護にその核心があることに注目する。すなわち、ドイツにおける「企 業自体」が従業員の利益による株主権の制約を説いているのは、当時の経済状況下では、従業員利益の確保 や雇用の安定がなければ、政治的・経済的に、企業の存立が危うくなるばかりでなく、国家経済そのものが 成り立たないという認識がそこに如実に表されているとする。そして、このように従業員の利益による株主 権の制約が株主権制約原理として合理的な根拠をもつものとして捉えられてきたこと、そして、このことが 「所有(権)」の相対化としてワイマール憲法の理念にも合致するものであったと指摘する。  以上の分析から、ドイツでは、株主の私益性と従業員の利益を内容とする公共性が対抗関係として捉えら れ、両者が対立し妥協する形で株主権制約論が展開されたこと、また、第二次大戦後の共同決定法にみられ るように、従業員の声が企業決定に反映されるべき制度が確立されてきたことを指摘する。  このような検討の上に立って、ドイツのような歴史的・社会的背景をもたない我が国では、服部説を中心 とした「企業自体」の理論で説かれる意味での公共性は不明確とならざるを得ないこと、またドイツにおけ

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る公共性と私益性の厳しい対立関係を経験していない我が国では、社員権論を軸として株主権の私益性を確 保することこそが「公共性」に繋がるとされてきたとする。  つぎに、バーリとミーンズの「所有と経営の分離」は、所有と経営が分離している株式会社は、もはや 私的な存在ではなく、資本拠出者が広く一般大衆であるという意味において「準公的会社(quasi-public corporation)」として捉えられなければならず、会社は投資家大衆に対して義務を負っているとして、会社 の公共性を説いた。そこでの公共性論は、所有と経営の分離の結果として企業が国民一般の所有物となった という意味での公共性と、従業員や消費者といった社会的諸利益の集合体の意味での公共性との2つのもの を含んでいたが、新津氏は、アメリカで注目すべきは前者との関係であることを指摘しつつ、さらにマーク・ J. ロー(Mark J.Roe)の見解に従い、国民の財産形成との関係に注目すべきだとする。すなわち、アメリカ においては、国民の財産形成について銀行が果たしてきた役割はドイツや日本の場合ほど大きくなく、国民 の資産形成にとって株式投資がとくに重要な意義をもつこと、そして、バーリとミーンズのいう会社の公共 性にかかわる「会社の投資家大衆に対する責任」は、この財産形成の視点から捉えるべきであるとする。  そして、かかる大衆投資家保護としての株主保護こそが、アメリカにおいては会社の公共性を担保するこ とを意味すると考えられてきたこと、また、アメリカでは、ドイツや我が国とは異なって、早い時期から証 券取引法が発達し、これによって株式を中心とする有価証券の発行や取引に対する監督を講じて大衆保護が 図られてきたことに注目されるべきだとする。その結果として、所有者が大衆化したとしても、必然的にそ れが株主権制約の契機となるわけではなく、むしろ株主権強化への流れと接合する旨を指摘している。  以上の検討を通して、新津氏は、次のように説いている。すなわち、会社の公共性をアメリカやドイツで の議論のように特定の社会的利益として捉える場合には、社会的利益の内容を確定し、それら社会的利益を 適切に会社の意思決定に反映させる制度が確立していなければ、経営者を唯一コントロールする株主から、 経営者の権限を解放するだけに終わってしまう危険性があること、また、仮にそのような社会的利益を反映 させる制度が確立したとしても、何が会社に反映させるべき社会的利益かは、社会の変化とともに変容する 公共性を株主の権利行使を通じて具体化されることも考えておくべきであるとする。そして、近代株式会社 生成期において純化された株主権の「私益性」の理念(社員権論)は、今日の状況の下でも否定されるべき ではないと結論づけている。

論 文 審 査 結 果 の 要 旨

 新津氏の研究は、会社法において実務的研究が主流になりつつある現状において、株式会社法の基礎をな す株主権の性質を正面から取り上げ、それを規制緩和に対する批判的検討とつなげている点で、きわめてア ンビシャスであり、また全体で30万字にもわたるスケールの大きな研究となっている。  新津氏の本研究における注目すべき点として、つぎの5点を上げることができる。  第一に、原典に当たり、それを相当に丁寧・緻密に読んでいることである。田中博士などが原典とした、 社員権論を初めて財産権として位置づけたルノー(Achilles Renaud)、シュトッペ(Otto Stobbe)、さらに 組合説との関連ではトライトシュケ(Treitschke)の文献を丁寧に読んだ上で、田中博士の理解の仕方に問 題がある旨を指摘しているが、そのなかでも特筆すべきことは、田中博士が組合説から社団説への学説史の 流れから、株主権の権利性を否定し、権限とした社員権否認論を導き出したのに対して、これら文献を丁寧 に読み直すことで、社団説の成立が同時に社員権論の成立と不可分であったことを論証していることである。

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また、「企業自体」の理論との関連では、ネッターの所説を中心としているが、ネッターの著作物を丁寧に 読みこなした上で、「企業自体」に不可欠なラーテナウ(Rathenau)、ハウスマン(Hausmann)の文献をも 丁寧に読みこなしている。  第二に、株主権の権利性を統一的視点において展開していることである。新津氏の研究は、株主権の性質 を中心に、その権利性を軸に株式会社の社会的実体に迫ろうとするものであり、研究の目的はきわめて明確 で、その意図も非常にわかりやすい。そして、結論的には、近代株式会社生成期において純化された株主権 の「私益性」の理念は、経済の構造変革を経て株式会社の社会的存在を考える場合には、さまざまなステー クホルダーの利益を考慮せざるを得ないという意味での「公的」存在が認められるとしても、ドイツの共同 決定法のように所有権の対抗原理としての労働権が確立されるような場合を除いては、容易に株主権の制約 を認めるべきではないとしている。この視点は、新津氏の自らの問題提起(規制緩和の現況において企業の 収益性確保のための株主権の制約を大幅に認め、株主権の本質を社員権否認論の立場から再検討すべきだと する最近の学説に対する批判的検討)に十分に応えるものである。研究として成功を収めているといえる。  第三に、歴史的分析の重視である。上の統一的視点と重なる面もあるが、19世紀後半期から現代に至るま での会社法および株主権を歴史的に検討しており、しかも単なる学説史には終わらず、当時の社会的状況を も視野に入れて学説を読み解こうとしており、この意味でも説得力を増している。とくに、第一次大戦後の ドイツにおいて、経済の構造変革の中で企業の国有化をも含んださまざまな議論が展開されてきたが、新津 氏はそれをもっぱら労働者ないしは従業員の共同決定の問題に収斂されたものとして捉え、憲法レベルで確 保された企業の唯一の「公共性」として押さえることで、株主権の権利性が構造変革においても否定されな かったことを説得的に論証している。  第四に、社員権論の生成との関連では、我が国では無批判に継承されてきた田中博士の社員権否認論を改 めて検討の遡上にのせたものであり、また、「企業自体」をめぐる服部説、大隅説の持つ意味および問題点 を鮮明にし、さらには「所有と経営の分離論」のもつ社会的意義を突き詰めて検討しており、我が国におけ る株主権の学説史研究としても注目すべきだと思われる。  最後の注目すべき点は、ドイツを中心とした丁寧な比較法的検討である。この意味では、ドイツ近代株式 会社法の生成と展開を見る上でも重要な貢献をしていると思われる。また、アメリカにおける「所有と経 営の分離」の意義を、ローの見解に依拠しつつ、大規模企業が国民の財産形成に大きな役割を果たしており、 財産形成の確保という公共性に沿った形で、その運用を担う証券市場の規制(主として、ディスクロージャー の充実とコーポレイト・ガバナンスの改善があげられる)がもっぱら取り上げられてきたことを説得的に指 摘している。そして、ドイツとアメリカのそれぞれの企業の公共性が論じられる場面が異なるという意味の ある指摘がなされている。  もっとも、新津氏の研究に課題がないわけではない。  第一に、新津氏が用いる「公共性」概念は、一般的には、会社は社会的存在としてさまざまなステークホ ルダーの利益の集積体であるという意味で使われているが、たとえば、19世紀後半において「社員権論の説 く私益性の徹底こそが公益性を確保するものである」といわれている場合の「公益性」が何を表すのか必ず しも明らかでないなど、公共性ないしは社会性という言葉に曖昧さを残すところがある。  第二に、これは新津氏も自ら指摘している点であるが、機関投資家の位置づけ、評価がなされていない点 である。機関投資家をどう捉えるべきかが、昨今のM&Aの中で大きな問題となっているが、株主権の制約 を認めるべきでないとする新津氏の基本的な観点からして、その規制をどう考えるべきかが問題となる。巨 大な運用資金を株式投資に振り向け、投機的・短期的に資金移動を行う場合の問題、企業価値の向上を目的 にしないグリーンメーラー規制、ひいては乗っ取り規制の問題などときわめて現代的な問題をどう考えるべ

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きかが課題として残されている。  第三に、新津氏は、ワイマール憲法下において「労働」が生存権等の社会権とともに「所有権」に並ぶ人 権として認められてきたことを重視しているが、労働者の権利が重要な人権として認められている我が国も 現行憲法の下で「所有権」との関係でどのように捉えられるべきか、また我が国においてドイツのような共 同決定制度を導入しようとした場合にそれを労働基本権や生存権等との関係でどのように理論展開するかが 問題となる。  第四に、現在我が国で議論されている公開会社法において、株式を証券市場に上場しているような会社の 有する社会性・公共性が改めて問題となっているが、それは社員権との関係でどう捉えるのかが問題となる。  第五に、新津氏は、ドイツについて、とくに19世紀における株主権生成期の議論については、緻密な文 献の読了を行っているが、アメリカについては、バーリ&ミーンズとローの文献にほぼ集中しており、80年 代から90年代にかけていわゆる法と経済学を中心として会社の本質に関する様々な議論が展開されてきたが、 それらは検討の対象にはされていない。  以上のような課題を抱えつつも、新津氏は、社員権に関する学説史を、企業の社会性・公共性との関係を 重視しながら、歴史的・比較法的に詳細に再検討し、その上で、社員権論の現代的意義を説得力をもって展 開している。この新津氏の研究は学会においても大きな意義をもつと思われる。  私たち3名の審査委員は、2月15日において課程博士学位申請論文の審査にかかわる研究報告およびそれ に対する口述試験を行った結果、新津氏の研究は、その独創性において優れ、前述のように、原典の緻密な 読解、統一視点での分析、歴史的把握の重視および比較法的な研究のいずれにおいても、注目すべき研究で あり、課程博士学位を付与するに十分な研究業績だと判断いたしました。

参照

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