ロマン派の世界観における動物
リカルダ・フ-フ 著
梅内 幸信 訳・注
現代作家であれば、その日に動物の眼差しを帯びた人間が与える魅力について一度は語るものだ。そもそも、そういっ た魅力に敏感な者は'動物そのものに対してそれを最も強-感じることであろう。我々人間の魂が言葉や芸術の形で外部 へと放射してきたものはすべて'動物の目にあっては未だ解き放たれぬままにある。動物の眼差しは'ちょうど音楽のご と-直接魂に触れる。無意識の愛好家であるロマン派の人々は、動物界の魔力にことのほか敏感であらざるをえなかった。 それというのも'その世界においてこそ無意識の理念は'その賛嘆に値する謎めいた力をこの上もなく顕著に発揮するか ら で あ る 。 反ロマン主義的見解の持ち主の中でも、と-わけ、人間をつまらぬ、ないしは軽蔑すべき肉体に縛りつけられた精神と 見なしている人々は、動物に対して思いやりや理解を抱かぬものである。素朴な古代人は'動物を神的なものとして崇め ( -) た-'神々の中に列した-、さらには、人間と親し-共同生活を営ませたりし'パドヴアのアントニウスやアッシジのフ ( 2 ) ランチエスコといった中世の夢想的な聖人たちは、動物たちに説教し'それらを兄弟と呼んだ。これに反して、デカル ( 3 ) トが動物を機械と見なすことができると主張したことによって、近世の哲学は人間と動物の間に測りがたい溝を作ってし ロマン派の世界観における動物ロマン派の世界観における動物 (*0 (m) まった。カントやフィヒテもまた'道徳の世界ばか-を念頭に置いて'動物界の謎を見過ごしてしまったのである。ロマ ( サ ) ( サ ー ) ン派の先駆者と呼んで差し支えのないラーヴア-タIとヘルダーは'動物に対して心のこもった考えを示したのであった。 ( 。 o ( o > ) しかし、シェリングが初めて - その自然哲学が、動物愛好家シャイトリーンの表現に従えば'「フィヒテによって葬ら れた外界を再び墓穴から呼び出し'これにはつらつとした生命を与えた」ことによって ー'その溝を埋め'それがため に人間は嬉々とtて、再び現れた自然に向かって'いそいそと進んで行ったのである。自然を発生学的に解釈することに ょって、動物は人間と極めて親密に関連づけられたのであった。両者とも'母なる大地の子どもとして措かれた。つまり' 動物はより早-生まれた完全でない子どもであり'人間は後に生まれたt より完全な子どもなのである。ヘルダーも'動 物を人間の年上の兄弟と呼んでいた。 ( 2 ) wh<; ホフマンが動物と人間を互いに関連づけたその方法から、一種の同一性哲学が構築されうるであろう。ホ フマンにとっては'彼自身が言っているように'日常生活における人物たちが、彼の 「内的で'夢想的な霊界」 の中で姿 (‖ (」3) を現すのであった。そしてそこで、可愛い娘は暗青色の目をした小さな金緑色の蛇とな-、ティンテ先生はブンブン音を 立てて飛ぶ、けがらわしい蝿となるのである。夢想家で、かつユーモアのあるホフマンにとって'意識の境界上にあり' いともたやす-人間界の無意識的なイロニー化と見なされる動物界は'芸術的な理由で好ましいものである。しかし、ロ マン派に属する人間であるだけに'感情がホフマンを'夢中遊行する神秘的な人々へと摩討不思議にも誘う。そういった 人々は'当時好んで夢遊病患者と比較されたのである。 ホフマンは、動物を個別に十分観察していたにもかかわらず'それらをあるがままに措かず'擬人化し戯画化したので あった。というのも'彼にとって主たる関心事は、動物を人間と関連づけ、いわば人間の蔽い隠された衝動'その過去' 人間の天性のうちに潜む秘密を'動物の姿で擬人化することであった。この関係において'ホフマンがその敬愛した画家
3) ジャック・カローについて言及していることは、彼自身についても当てはまるのである。「人間的なものを動物と衝突さ せ'哀れな行状の人間を噸笑するイロニーというやつは'精神の奥深-にしか住めないのだよ。それで'動物と人間から 創-出されたカローのグロテスクな人物たちは'奥まで見通す真剣な観察者たちには'おどけのベールの下に隠されたあ らゆる秘密をそれとな-教えるのさ。」 この流儀が、啓蒙主義の時代にも好まれていた'人間と動物との啓発的な比較となんのかかわりもないことは自明のこ とである。ここで問題となっているものは比較ではな-'類縁関係にある生き物たちの溢れんばかりの混在なのであり、 これによって調和は一層豊かに、すなわち生き物全体の比倫は一層明確になるのである。 s オーケンは'動物界を分解された人間と定義づけた。動物を振-返って見ると'人間は'己の霊がその間に成長はした もののt LかLt生来の性質を捨てずにきた'いわばその発展段階を目撃するのである。動物もまた霊をもつという洞察 は'動物に関する科学的描写の形としては'まず'本来の動物心理学を輪郭づけた最初の学者であるオーケンにおいて見 ( 2 ) られる。オーケンも'また'彼に続-カールスも'動物霊と人間霊の違いを次の点'すなわち「動物霊は'意識の頂点ま では発達せず、それゆえ自らを客体とするには至らない」ところに見ていた。その結果'カールスの言うごとく'「人は' 動物を恐ら-個体とは呼びえようが、しかし、個人とは呼びえない」 のである。しかし、まさにこの理由で'動物の霊は' 我々の目には全-偽りのないものとして'方向性の明確なものとして見えて-るのである。オーケンは、動物性を大まか に'次のように措いて見せる。水中に棲む細菌は'感覚の代わりに触角をもっているが'その器官とは内臓なのである。 彼は'細菌の精神生活を「動物磁気による状態」と呼んでいるが、これによって細菌は目がなくとも養分を見つけられる のである。次の段階である生殖動物には'三つのシステムが存在する。つま-'生殖器官と消化器官、味覚器官であるが' これらにそれぞれ特有の精神生活が対応している。すなわち、慎重と食欲、快楽である。動物磁気による知覚を引き受け ロマン派の世界観における動物
ロマン派の世界観における動物 かたつむり るのは'とりわけ予感能力の部所'肝臓である。「蛸牛を見たまえ。そうすれば'三脚の上に鎮座まします予感の女神の 姿が見えるがごと-思われる。這う一匹の蛸牛になんという荘厳さが、なんという真剣さが、なんという思慮が'なんと いう畏怖が'そして同時に'なんという信頼がこめられていることか! まさし-'蛸牛は内界の奥深くでまどろむ精神 の崇高な象徴なのだ。」 こうして、昆虫の形で最初に'その理念が芸術衝動となって現れる動物が登場する。最初の体節 動物もまた巧みな体節を有Lt 「芸術衝動と体節の能力は、平行して働-」。呼吸器官と運動器官は'昆虫の本質的器官で ある。昆虫は'肺臓動物なのである。しかし'胸には「健康と生命力'気高さ'寛容'剛勇」が宿っている。オーケンは' 昆虫を地上で最も勇敢で強い動物と呼んでいるがt LかLt 同時にまた'最も狭滑で腹黒い動物の一つとも呼んでいる。 「つま-'狭滑さは'いわば胸に対応して発達した喚覚の精神的側面なのである。」芸術衝動は'これに続く'体節の巧み さをもたない魚や両生類にあっては消えてしまう。にもかかわらず'魚と両生類において初めて'頭と胴体との間の対立 が現れ'これによって - 自意識ではないにせよ - 意識と記憶の生ずる可能性がでて-るのである。魚の頭は最も下等 なものであり'そもそも魚は'本質的には腹部動物である。すなわち'真剣で'予感に満ち'食欲である。こうなると 徐々に'感覚全体が出来て-る。オーケンは'魚を舌部動物と呼んだのであるから'両生類を鼻部動物と見なしたことに なろう。両生類は、昆虫と同様'胸部動物である。しかし'両生類の狭滑さは'これが高ずると'待ち伏せ'襲撃'毒殺 となり'その勇気は厚顔無恥となる。「両生類は'腹をすかした英雄に過ぎない。」よ-高い段階における昆虫の反復形態 である鳥にあっては'「肺臓精神と体節精神」 が支配するので'芸術衝動が再び現れて-る。このことと平行して鳥は' 耳部動物であって'聞-ことも話すこともできる。すなわち、鳥にとっては'重要であるものの'人には存在しないと見 しるし える標が存在する。鳥は、さえず-で極めて多-の感情を表現する。こう考えると、鳥は様々なイメージをもっている ことになる。そこで、鳥は夢見ると主張する人もいる。このような広範に亙る区別に加えて、晴乳類は 「目の霊」と'そ
れによって生ずるある種の認識と理解を持ち込んだ。しかしながら'人間において初めて'動物のもつあらゆる働きが統 一されて'自意識となるのである。 このように動物の姿は'もはや個々の特徴からモザイク状に組み立てられるのではなく'我々はそれを生きて完結した ものとして'すなわち発達能力をもつ霊として理解することを学ぶのである。どこまで発達が可能かについては'様々な 意見があった。オーケンとカールスは'すでに私が述べたように'動物は意識ないし精神の領域から永遠に締め出されて いると考えたのである。 カールスが一八六六年に ﹃比較心理学、別称動物界の序列における霊の歴史﹄を公表したとき'ドイツの精神生活にお ける状況は、ロマン派と自然哲学にとって非常に不都合な事態になってしまっていた。いわゆるダーウィンの生物進化 ( 2 ) 論が支配的とな-'このため動物に対する態度表明が'以前考えもしなかった意味で重要になってきたからである。それ というのも'進化論者や唯物論者の中でも根っからの扇動家たちは、人間を動物から派生させ、それによって人間を動物 おとし の段階に定め'人間の精神的にして神的な生命'すなわち永遠の生命を否認しようとしたからである。「種t と-わけよ り高等な動物の種は不変であり'進化思想は決して'一つの種が実際上生存競争によって生ずるか'あるいは言われるが ごとく'別の種から生ずるとは理解されない」というのが、ロマン派および自然哲学の一層古い見解である。その擁護者 としてカールスは'自分の動物心理学において論争を挑み'絶えずこう強調したのである。「確かに'動物霊は'人間の 霊と同一の根源から生じてお-'従って'下等な動物霊は人間の無意識的胎児霊に響えられ'高等な動物霊は無意識的乳 児霊、詰まるところ'目覚めつつある自己意識を具えた幼児霊に誓えられる。しかし'動物霊は決して (翼をもつ魂)と いう段階には到達せず'またその限-においてt かの類推にもかかわらず'やは-人間霊とは本質的に異なるものと見な されねばならない」と。 ロマン派の世界観における動物
ロマン派の世界観における動物 動物に対する思いやりにもかかわらず'また'動物の中で働いている無意識に対する畏怖にもかかわらず'カールスは、 気高-も人間と動物との間の距離を指摘する。動物は'属としてのみ不死に与っているに過ぎず'いわばこの種属は'絶 えず新たな形姿によって変身を重ねて、それ自体の諸々の部分から成長を遂げてゆく一個の巨大動物のごときものである が'これに反し、人類においては'個人そのものが種属の永遠性に関与しうるのである。 ( 5 ) 一歩一歩考えを進める憤重な思想家であるパサヴアンは'カールスと同様'動物の不死性を否認するに至った。にもか かわらず'特徴的なことは'動物界とその苦しみという謎がパサヴアンの関心を大いに引いたにもかかわらず'彼は動物 界を人類の一準備段階として説明しただけで'その謎を解明する努力を敢えて全-しなかったことである。しかしながら' その他のロマン派の人々は'動物との極めて内的な類縁性を前提とLt本質的な相違を認めたくないという彼らの内的感 情に'しばしば固執することとなった。一人の人間において意識的精神の進化が小さければ小さいほど'また'無意識的 万有との関連がより強-感じられ、熱望されればされるほど'その人間にとっては'暗い衝動に突き動かされる夢遊病者 ( 2 ) たちとの区別が益々消えてしまうこととなったのである。クリスティアン・ブレンタ-ノは'我々が「その現在の現象形 態に惑わされて」、動物をはるかに低-定めたと考えていた。このことは、もしローマの動物が'実際に、よその動物よ -もはるかに利口であるとすれば - ブレンタ-ノは'そういう観察を得たと主張し'それを法王の影響のせいにしたの ( 2 ) であるが - '事実、本当のことであるに違いない。自然への親近性を砲-ベッティーナの書簡と日記は、詩的魔力と神 さ よ な き ど り 秘的な智恵で満たされている。彼女の小夜噂鳥との出会い'板張-の小屋の中にいるノロ鹿との出会いを思い出してみる がよい。ノロ鹿は'深淵から霊が見詰めるその日で彼女を眺め'まるで救済を求めるかのように、彼女をじっと見詰めて 叫び声を上げる。小夜噂鳥も'飛び跳ねて益々彼女に近づき、まるでベッティーナと交感したいかのように'彼女の瞳に 見入る。そのとき彼女は、感情は思想の萌芽であるという所見を述べる。「そうであるとすれば'ここで自然が'私たち
をしてその仕事場へ'なんと深-強烈な視線を向けさせることでしょうか'自然はどれほどの上昇を準備していることで しょうか'自然は'その萌芽をなんと奥深い所に置いていることでしょうか-・小夜噂鳥と恋人たちの意識との間には - 恋人たちは'自分たちの情熱が小夜噂鳥の歌となって聞こえるほどまでに高められ'小夜噂鳥の旋律が自分たちの感 情の真実の表現だと感ずるのですが - 'その間には、なおどれほどの隔た-があることでしょうか! - ああ'無駄 なものは一切ないのです。自然は'一切をその弛まぬ活動のために必要とLt その活動はさらに進んで自然の救済となる はずでしょうLt また'そうならねばならないのです。」 かつて、ベッティーナが夜ライン河の畔に立って'その泡立つ波が、回らぬ舌で話す幼児のごとく岸辺にぴちばちゃと 押し寄せたとき'彼女は'夢見ごこちに'こう自問したのである。「ひょっとしたら、人間は自然を救済すべきなのかし ら-」そして彼女は'自然が嘆きつつ彼女になにかを求めるかのような感情を幾度となく抱き、自然が願っていることを 理解できずに'心が引き裂かれたことを思い出した。人間が自然を救済する任務を担っているというこの宗教的かつロマ ( S ) ( 」 ) ン主義的立場を代表していたのはtと-わけバーダーであ-'彼と共にその他多-の人々は'使徒パウロの'救済を熱望 して'ため息をつく被造物に関する有名な言葉を'動物に関連づけたのであった。 M 閉 四 我々は、自然に寄り添う二人の子どものような魂の持ち主であるエスティーヌス・ケルナ-とゴツトヒルフ・シューベ ( 2 3 ) ルトにおいて、あるときには動物に対する純粋に兄弟のごとき感情、また、あるときには救世主の憐情と呼んでも良いも のに出会うのである。シューベルトは'動物には不死の霊があると明言している。「しばしば'目には見えない秘密の世 界が動物の目から輝き出る。あたかも'二つの世界を結ぶ門が開かれ、自問自答しっつ'その前にいる人間を少なくとも 束の間観察するかのごとくに。そしてしばしば'いわれな-拷問にかけられた-'あるいは人間の手にかかって死んでゆ く動物の目から'奥深い所にある自己意識の一時的な閃光が輝き出るかのごと-に思われる。この意識が'お前を思い出 ロマン派の世界観における動物
ロマン派の世界観における動物 あ か し み こ させる証となるであろう。この世を出て'あの世に入るまで。」ケルナIの鬼女は'動物の右目の中に小さな青白い炎を 認めると'これを動物の不死の部分と見なすのであった。また、これと同じ意味においてケルナIは'感動的な詩の中で' 初めて母親から離されて'むりやり屋外へと引かれて'屠殺される子牛の目から輝き出る眼差しに'こう言わせている。 ( 2 4 ) 「私の中にも一つの霊が宿っている。私のためにも神様は'裁きの庭を開いてくれるのだ。」それどころかリングザイスに 至っては'ある学問的な著作の中で'動物の不死の可能性も否定しきれないという発言を行なったのである。 ロマン派の人々の中で動物の友として最も思いやりがあ-、本当の情熱家であ-うその宣伝によって動物保護連盟の創 (8 設を実現した人は'ダウマIである。この心優し-、孤独な炎の思想家は'倦まず弛まず'増大する物質主義に対抗して、 最近に至るまで精神のもつ諸権利を擁護してきたのであった。 ダウマIもまた'そのような問題が一九世紀の六〇年代に扱われたのと同じように、こう弁明しなければならないと信 じたのである。「私は、人間と動物を同一の段階に据えることによって'敵対者を手助けしているように見えます。ただ そう見えるだけなのです。というのも私は'人間を動物へと定める代わりに'むしろ、動物を人間へと持ち上げようとし ているのですから」と。カールスの慎重な観点を捨てて'ダウマIは'共に神を賞賛しようと魚や鳥に呼びかける聖人た ちの'万物を愛する偉大な心を拠-所としたのである。彼には'自己の主張を証明するために'十分に信悪性があるとは さ そ り ( S 言えない報告、たとえば'轍の自殺という伝説といったものを信用する傾向があったと思われる。動物のもつ一種の 「向日性」 に基づいて - これは、植物にも少なからず具わっているが - と-わけ'旅人たちが報告している'「象の日 の出への挨拶」に基づいてダウマIは、場合によっては'さらなる進化Q,能力をもつ宗教感情を仮定しうると信じたので ある。彼の念頭にはあったが、しかし、ついぞ実際に書かれることのなかった ﹃動物の書﹄ と ﹃カトリック教の自然科 学﹄ という二冊の書物においてダウマIは'いずれにしてもこれに関連する自分の考えを詳述したのかも知れない。カト
リック教会が、当然のことのように普遍教会と名のるためには'動物をも、それどころか'自然全体をも包括しなければ ならないというダウマIの所見は'極端なものに見えるかも知れない。にもかかわらず'結局のところそこには'救済を 熱望して'ため息をつく被造物に関する使徒パウロの言葉によって表現されていないようなものはなに一つとしてないの で あ る 。 文芸'そして真の文芸は'すべてロマン主義的であるが'それは'昔より統一を成す'徹頭徹尾生きた世界を前提とし てきたのである。そしてそれは'動物を'分別をもって語-t かつ行動し'それどころか優れた神秘的な力をも意のまま にすることも珍しくないものとして'人間と神々の真っ只中に仲間入りさせたのである。にもかかわらず'そこには次の ごときロマン主義に特有の調子が'明確に認められる。つまり'人間と動物を子どものように素朴に同一視することは全 くありえず'むしろ、両者を区別する意識が常に存在しているのである。-人間を恐れ惇るは動物な-。 なぜというに'動物とは別のものなれば' 人間というものは。 S 3 ′ このように、ヘルダーリーンは歌っている。- しかし、現前する区別を超えて、再び触れ合う可能性が予感され'熱望 されているのである。 ロマン派の世界観における動物
ロマン派の世界観における動物 注 こ の 翻 訳 の 底 本 は 、 ︾ R i c a r d a H u c h : D i e R o m a n t i k -B l i i t e z e i t , A u s b r e i t u n g u n d V e r f a l 1 -. R a i n e r W u n d e r l i c h V e r l a g H e r m a n n L e i n s , T u b i n g e n 1 9 5 1 , S . 4 5 8 -4 6 6 , , , D a s T i e r i n d e r r o m a n t i s c h e n W e l t a n s c h a u u n g " ︽ で あ る 。 ( -) パ ド ヴ ァ の ア ン ト ニ ウ ス ( A n t o n i u s v o n P a d u a , 1 1 9 2 -1 2 3 1 ) 。 ポ ル ト ガ ル は リ ス ボ ン 生 ま れ の フ ラ ン シ ス コ 派 神 学 者 ・ 説 教 師 。 アッシジのフランチェスコは、彼を自分の教団の教義を教える最初の教師として任命した。一二三二年に列聖された。恋人たち や結婚の守護者、不妊や熱病、家畜の疫病を防ぎ'紛失物を取-戻して-れる援助者と見なされている。 ( 2 ) ア ッ シ ジ の フ ラ ン チ ェ ス コ ( F r a n c i s c u s v . A s s i s i , 1 1 8 1 o d . 1 1 8 2 -1 2 2 6 ) 。 イ タ リ ア は ア ッ シ ジ 生 ま れ の フ ラ ン シ ス コ 派 教 団 創 立 者。アッシジの裕福な家庭に生まれた。病気と回心の体験後、彼は、ライ病患者たちの面倒を見ながら'乞食の生活を送った。 二一〇九年以降、協力者が現れる。貧困と俄悔の中で人類と教会に奉仕するという考えは'一二一〇年に、法王インノセント三 世によって口頭で承認された。その後'教団は急速に増大した。 ( 3 ) デ カ ル ト ( R e n e D e s c a r t e s , 1 5 9 6 -1 6 5 0 ) 。 フ ラ ン ス は ト ウ レ -ヌ 生 ま れ の 哲 学 者 ・ 数 学 者 ・ 自 然 科 学 者 。 ス コ ラ 的 教 育 を 受 け 、 その後数学と自然学を研究した。直観と演樺による新たな科学方法を提唱した。「我思う'故に我あ-」を最初の確実な知識とし、 次に、「明断判明知は真な-」 の原理と「生得観念」とによって、精神と物体とを互いに独立の二実体とする二元論を創立した。 自然界は、延長と運動から完全に機械的に説明され'思考を本性とする精神とは交渉がないとしたために、心身関係の説明が困 難 と な っ た 。 主 要 な 著 書 に は ' ﹃ 方 法 序 説 ﹄ ( D i s c o u r s d e l a m e t h o d e , 1 6 3 7 ) 、 ﹃ 哲 学 原 理 ﹄ ( P r i n c i p i a p h i l o s o p h i a e , 1 6 4 4 ) 等 が あ る 。 ( 4 ) カ ン ト ( I m m a n u e l K a n t , 1 7 2 4 -1 8 0 4 ) 。 ド イ ツ は ケ -ニ ヒ ス ベ ル ク 生 ま れ の 哲 学 者 。 啓 蒙 主 義 思 潮 を 克 服 し 、 認 識 能 力 の 批 判 を 根本に据えた批判哲学を創立した近世哲学の祖。世界連盟に基づ-平和を最高原理とLt 人間の進歩を人間の義務とする倫理 観、美を道徳的イデアのシンボルと見なす芸術観は、シラーやクライスト、ハイネ等に影響を与えた。主要な著書には、﹃純粋理 性 批 判 ﹄ ( 賢 t i k d e r r e i n e n V e r n u n f t , 1 7 8 1 ) 、 ﹃ 実 践 理 性 批 判 ﹄ ( 芦 山 t i k d e r p r a k t i s c h e n V e r n u n f t , 1 7 8 8 ) ' ﹃ 判 断 力 批 判 ﹄ ( 賢 t i k d e r U r t e i l s k r a f t , 1 7 9 0 ) 等 が あ る 。 ( 5 ) フ ィ ヒ テ ( J o h a n n G o t t l i e b F i c h t e , 1 7 6 2 ⊥ 8 1 4 ) 。 ド イ ツ は ラ メ ラ ウ 生 ま れ の 哲 学 者 。 イ エ ー ナ 大 学 、 エ ア ラ ン ゲ ン 大 学 ' ベ ル リーン大学の教授を務めた。カント哲学から出発し'純粋主観的観念論によって、自我の独立を主張し'一切の外面世界は'自
我の創造物として存在するという「絶対的自我の哲学」 を打ち立てた。ベルリーンでシユレ-ゲル兄弟'ティーク'シユライ ヤーマハ-等と親交を結び、ロマン派の人々の文学観に大きな影響を与えた。シユレ-ゲル兄弟のロマン主義的イロニーやノ ヴァ-リスの魔術的観念論は'フィヒテの絶対自我哲学の影響を受けたものである。代表的著書には、﹃全知識学の基礎﹄ ( G r u n d l a g e d e r g e s a m t e n W i s s e n s c h a f t e n , 1 7 9 4 / 9 5 ) が あ る 。 ( 6 ) ラ ー ヴ ア -タ -( J o h a n n 宍 軒 s p a r L a v a t e r , 1 7 4 1 -1 8 0 1 ) 。 ス イ ス は チ ュ ー リ ヒ 生 ま れ の プ ロ テ ス タ ン ト 教 神 学 者 ・ 哲 学 者 ・ 作 家 。 ヘルダーやゲーテ、ハーマンらと親交があった。神学者として彼は、キリスト教信仰と聖書の啓示を理性的に弁明することを試 みた。シユトウルム・ウント・ドラングの時期における彼の影響力は、敬度主義の立場と美学的立場との間における'教条主義 に捕われない仲介者という点にあった。当時過大評価されていた観相学においては、身体の形態から人間の性格を推測できると い う 見 解 の 代 表 者 で あ っ た 。 主 要 な 著 書 に は 、 ﹃ 観 相 学 に つ い て ﹄ ( V o n d e r P h y s i o g n o m i k , 1 7 7 2 ) が あ る 。 ( 7 ) ヘ ル ダ ー ( J o h a n n G o t t f r i e d H e r d e r , 1 7 4 4 -1 8 0 3 ) 。 ド イ ツ は モ ー ル ン ゲ ン 生 ま れ の 評 論 家 。 シ ユ ト ウ ル ム ・ ウ ン ト ・ ド ラ ン グ の 時期において指導的地位にあった。神学・哲学・歴史学・文学等広範な分野に亙って強い影響を与えた。主要な著書には、﹃言語 起 源 論 ﹄ ( A b h a n d l u n g u b e r d e n U r s p r u n g d e r S p r a c h e , 1 7 7 2 ) 、 ﹃ 歌 謡 に お け る 諸 民 族 の 声 ﹄ ( S t i m m e n d e r V o l k e r i n L i e d e r n , 1 7 7 8 -7 9 ) 、 ﹃ 人 類 歴 史 哲 学 考 ﹄ ( I d e e n z u r P h i l o s o p h i e d e r G e s c h i c h t e d e r M e n s c h h e i t , 1 7 8 4 -9 1 ) 等 が あ る 。 ( 8 ) シ ェ リ ン グ ( F r i e d r i c h W i l h e l m J o s e p h v o n S c h e l l i n g , 1 7 7 5 -1 8 5 4 ) 。 ド イ ツ は ヴ ユ ル テ ン プ ル ク 地 方 の レ -オ ン ベ ル ク 生 ま れ の 哲 学者。ヘーゲルとF・ヘルダーリーンと共にテユービンゲンの神学校で学んだ。一七九八年、ゲーテに招かれて、イエーナ大学 \ の教授となる。ここで、シユレ-ゲル兄弟'ティーク、ノヴァ-リスといったロマン派の人々と親交を結ぶ。一八〇三年'カロ リーネ・ミヒヤエーリスと結婚。その後'ヴユルツブルク大学'エアランゲン大学'ミユンヒエン大学、ベルリーン大学の教授 を務めた。フィヒテの哲学から出発し、自然哲学並びに芸術哲学の端緒にならって、絶対的観念論の体系を企図した。ここにお いて、精神と自然'主体と客体等の対立は絶対的なものにあっては区別されず、ただ絶対的なものの発展においてのみ対立した ものに分けて説明される (「同一性哲学」)。この考えは'最終的には宗教哲学へと移行した。その目的は、神の認識をその作用か ら 引 き 出 そ う と す る も の で あ っ た 。 シ ョ ー ペ ン ハ ウ ア -( 旨 t h u r S c h o p e n h a u e r , 1 7 8 8 -1 8 6 0 ) や ベ ル グ ソ ン ( H e n r i B e r g s o n , 1 8 5 9 -1 9 4 1 ) 等 へ 影 響 を 与 え た 。 主 要 な 著 書 に は ' ﹃ 自 然 哲 学 考 ﹄ ( I d e e n z u e i n e r P h i l o s o p h i c d e r N a t u r , 1 7 9 7 ) 、 ﹃ 超 越 論 的 観 念 論 の 体 系 ﹄ ( S y s t e m d e s t r a n s c e n d e n t a l e n l d e a l i s m u s , 1 8 0 0 ) ' ﹃ 人 間 的 自 由 の 本 質 ﹄ ( P h i l o s o p h . U n t e r s u c h u n g e n i i b e r d a s W e s e n d e r m e n s c h 1 . ロマン派の世界観における動物
ロマン派の世界観における動物 F r e i h e i t , 1 8 0 9 ) 等 が あ る 。 ( 9 ) シ ャ イ ト リ ー ン ( P e t e r S c h e i t l i n , 1 7 7 9 -1 8 4 8 ) 。 ス イ ス の プ ロ テ ス タ ン ト 宗 教 学 者 に し て 教 育 者 。 イ エ ー ナ と ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン で 宗 教学を学んだ後'一八〇三年以降ケレンツエン (Kerenzen) で牧師を務めた。一八〇五年に彼は、ザンクト・ガレンの高等教育 機関教授となった。ここで彼は、司牧者としても働き、市営孤児院の設立を提唱した。彼は、啓蒙的情熱の溢れる教育書、とり わ け ﹃ 試 論 動 物 心 理 学 大 全 ﹄ ( V e r s u c h e i n e r v o l l s t a n d i g e n T i e r s e e l e n k u n d e . 2 B d e . S t u t t g a r t 1 8 4 0 ) に よ っ て 、 ス イ ス の ド イ ツ 語 圏 でかな-多くの読者を獲得した。 ( 2 ) ホ フ マ ン ( E r n s t ゴ ︻ e o d o r W i l h e l m H o f f m a n n , 1 7 7 6 -1 8 2 2 ) 。 ホ フ マ ン は ' モ ー ツ ァ ル ト ( W o l f g a n g A m a d e u s M o z a r t , 1 7 5 6 -1 7 9 1 ) に 私 淑 す る あ ま り 、 W i l h e l m を A m a d e u s に 替 え た 。 本 来 は 法 律 家 で あ っ た が 、 作 家 ・ 作 曲 家 ・ 素 描 家 と し て も 活 躍 し た 。 代 表 作 と し て ' ﹃ 黄 金 の 壷 ﹄ ( D e r g o l d n e T o p f , 1 8 1 4 ) ' ﹃ ス キ ユ デ リ ー 嬢 ﹄ ( D a s F r a u l e i n v o n S c u d e r i , 1 8 1 9 / 2 0 ) ' ﹃ 悪 魔 の 霊 液 ﹄ ( D i e E l i x i e r e d e s T e u f e l s , 1 8 1 5 -1 6 ) 、 ﹃ 牡 猫 ム ル の 人 生 観 ﹄ ( L e b e n s -A n s i c h t e n d e s K a t e r s M u r r , 1 8 1 9 , 1 8 2 1 ) ' ﹃ ブ ラ ン ビ ラ 王 女 ﹄ ( P r i n z e s s i n B r a m b i l l a , 1 8 2 1 ) 等 が あ る 。 ( 3 ) 「 暗 青 色 の 目 を し た 小 さ な 緑 金 色 の 蛇 」 。 ホ フ マ ン の ﹃ 黄 金 の 壷 ﹄ ( D e r g o l d n e T o p f , 1 8 1 4 ) に 登 場 す る 主 人 公 ア ン ゼ ル ム ス の 憧 れ る女性ゼルペンティーナが'このように描写されている。 ( 1 ) テ ィ ン テ 先 生 ( d e r M a g i s t e r T i n t e ) 。 ホ フ マ ン の 童 話 ﹃ よ そ の 子 ﹄ ( D a s f r e m d e K i n d , 1 8 1 7 ) に 登 場 す る ' 子 ど も た ち の 悪 魔 的 家 庭 教 師 。 2 ジ ャ ッ ク ・ カ ロ ー ( J a c q u e s C a l l o t , 1 5 9 2 -1 6 3 5 ) 。 フ ラ ン ス は ナ ン シ ー 生 ま れ の 銅 板 画 家 。 ロ ー マ と フ ィ レ ン ツ ェ で 修 業 し た 。 戟 争 や 都 会 に お け る 群 像 と 個 別 人 物 像 を 巧 み に 措 い た 。 主 要 な 作 品 に は 、 三 〇 年 戦 争 の 残 酷 さ 措 い た ﹃ 戟 争 の 悲 惨 ﹄ ( M i s e r e s d e l a g u e r r e , 1 6 3 3 / 3 5 ) が あ る 。 ( 1 ) オ ー ケ ン ( L o r e n z O k e n [ O c k e n f u f i ] , 1 7 7 9 -1 8 5 1 ) 。 ド イ ツ は オ ッ フ エ ン ブ ル ク 生 ま れ の 自 然 科 学 者 ・ 哲 学 者 。 イ ェ -ナ 大 学 、 ミ ユ ン ヒ エ ン 大 学 ' チ ュ ー リ ヒ 大 学 教 授 を 務 め た 。 百 科 全 書 派 的 雑 誌 で あ る 「 イ シ ス 」 の ( 1 8 1 7 -4 3 ) の 創 始 者 に し て ' 編 集 者 で あった。オーケンは、自然哲学の主要な課題は、世界の発達要因を'区別された序列の形で体系的に説明することにあると考え た 。 主 要 な 著 書 に は 、 ﹃ 感 覚 組 織 の 延 長 と し て の 宇 宙 に つ い て ﹄ ( U b e r d a s U n i v e r s u m a l s F o r t s e t z u n g d e s S i n n e n s y s t e m s , 1 8 0 8 ) 、 ﹃ 自 然 哲 学 体 系 の 手 引 き ﹄ ( L e h r b u c h d e s S y s t e m s d e r N a t u r p h i l o s o p h i e , 1 8 0 9 -l l ) 等 が あ る 。
C2 to)カールス(CarlGustavCarus,1789-1869)。ドイツはライブツィヒ生まれの医学者・自然科学者・画家・哲学者。一八一四年に' ドレースデン大学医学部教授となる。包括的な宇宙論的自然哲学の信奉者。心理の分野における無意識理論と観相学に対する先 駆 的 著 書 を 遺 し て い る 。 主 要 な 著 書 に は ' ﹃ 心 理 学 講 義 ﹄ ( V o r l e s u n g e n i i b e r P s y c h o l o g i e , 1 8 3 1 ) ' ﹃ 魂 霊の進化史のため に - ﹄ ( P s y c h e . Z u r E n t w i c k l u n g s g e s c h i c h t e d e r S e e l e , 1 8 4 6 ) 等 が あ る 。 ( S ) 「 ダ ー ウ ィ ン の 生 物 進 化 論 」 ' ダ ー ウ ィ ン ( C h a r l e s R o b e r t D a r w i n , 1 8 0 9 -1 8 8 2 ) 。 イ ギ リ ス は シ ェ ル -ズ ベ リ ー 生 ま れ の 博 物 学 者 。 一八三一年から三六年にかけて、「ピーグル号」に乗って南半球の島々における動植物や地質を調査した。その結果に基づいて彼 は'「自然淘汰説」を提唱し、生物の進化を説明した。いわゆる「生物進化論」と呼ばれる彼の理論は、社会思想にも大きな影響 を 及 ぼ し た 。 主 要 な 著 書 に は ' ﹃ ピ ー グ ル 号 航 海 記 ﹄ ( V o y a g e o f a n a t u r a l i s t r o u n d t h e w o r l d , 1 8 4 5 ) 、 ﹃ 種 の 起 源 ﹄ ( O n t h e o r i g i n o f s p e c i e s b y m e a n s o f n a t u r a l s e l e c t i o n , 1 8 5 9 ) 等 が あ る 。 ( 5 ) パ サ ヴ ァ ン ( J o h a n n D a v i d P a s s a v a n t , 1 7 8 7 -1 8 6 1 ) 。 ド イ ツ は フ ラ ン ク フ ル ト ・ ア ム ・ マ イ ン 生 ま れ の 芸 術 史 家 ・ 画 家 。 最 初 は 商 人であったが、後に画家となった。一八四〇年以降、フランクフルトのシユテ-デル研究所視学官を務める。主要な著書には' ﹃ ウ ル ビ ー ノ の ラ フ ァ エ ル と そ の 父 G ・ サ ン テ ィ ﹄ ( R a f f a e l v o n U r b i n o u n d s e i n V a t e r G . S a n t i , 1 8 3 9 -5 8 ) 、 ﹃ イ ギ リ ス 、 ベ ル ギ ー 芸 術 旅 行 ﹄ ( K u n s t r e i s e d u r c h E n g l a n d u n d B e l g i e n , 1 8 3 3 ) 等 が あ る 。 ( 2 2 ) ク リ ス テ ィ ア ン ・ ブ レ ン タ -ノ ( C h r i s t i a n B r e n t a n o , 1 7 8 4 -1 8 5 1 ) 。 ド イ ツ は フ ラ ン ク フ ル ト ・ ア ム ・ マ イ ン 生 ま れ の 作 家 。 ク レーメンスの弟。マールブルク大学とイエーナ大学で医学を学んだ。彼は、多才で落ち着きのない人物で、数学と医学と哲学の 研究を、なんら実質的な成果を上げないままに行なっていたと言われる。主要な作品には、影絵芝居の脚本﹃不幸なフランス人' 別 称 ド イ ツ の 自 由 の 昇 天 祭 ﹄ ( D e r u n g l i i c k l i c h e F r a n z o s e o d e r D e r d e u t s c h e n F r e i h e i t H i m m e l f a h r t , 1 8 1 6 ) が あ る 。 ク レ ー メ ン ス ・ ブ レ ン タ -ノ ( C l e m e n s M a r i a B r e n t a n o , 1 7 7 8 -1 8 4 2 ) 。 ド イ ツ は エ ー レ ン ブ ラ イ ト シ ュ タ イ ン 生 ま れ の ロ マ ン 派 の 詩 人 。 主 要 な 作 品 に は 、 ア ル ニ ム と 協 力 し て 編 集 し た 童 話 集 ﹃ 少 年 の 魔 法 の 角 笛 ﹄ ( D e s K n a b e n W u n d e r h o r n , 1 8 0 6 -0 8 ) 、 ﹃ け な げ な カ ス パ ー ル と 美 し い ア ン ナ -ル の 物 語 ﹄ ( G e s c h i c h t e v o m b r a v e n 只 軒 s p e r l u n d s c h o n e n A n n e r l , 1 8 1 7 ) ' ﹃ ゴ ツ ケ ル 物 語 ﹄ ( G o c k e l , H i n k e l u n d G a c k e l e i a , 1 9 3 8 ) 等 が あ る 。 妹 の ベ ッ テ ィ ー ナ は 、 ア ル ニ ム と 結 婚 し た 。 ( 2 ) ベ ッ テ ィ ー ナ ( B e t t i n a v o n , 賢 n i m , B r e n t a n o , 1 7 8 5 -1 8 5 9 ) 。 ド イ ツ は フ ラ ン ク フ ル ト ・ ア ム ・ マ イ ン 生 ま れ の 詩 人 。 ア ル ニ ム の 妻 、 ク レ ー メ ン ス ・ ブ レ ン タ -ノ の 妹 、 ゾ フ ィ ー ・ ラ ・ ロ ッ シ ュ の 孫 。 f e K ヤ コ -ビ ( F r i e d r i c h H e i n r i c h J a c o b i , 1 7 4 3 ⊥ 8 1 9 ) 、 ロマン派の世界観における動物
ロマン派の世界観における動物 六六 ティーク、シユライヤーマハ1㌧ グリム兄弟といったロマン派の人々と親交があった。ゲーテを崇拝し、ゲーテと頻繁に文通を 交 わ し た 。 主 要 な 著 書 に は 、 ﹃ あ る 子 ど も の ゲ ー テ と の 往 復 書 簡 ﹄ ( G o e t h e ' s B r i e f w e c h s e l m i t e i n e m K i n d e , 1 8 3 5 ) が あ る 。 ( ァ ) バ ー ダ ー ( F r a n z X a v e r v o n B a a d e r , 1 7 6 5 -1 8 4 1 ) 。 ド イ ツ は ミ ユ ン ヒ エ ン 生 ま れ の カ ト リ ッ ク の 神 学 者 ・ 哲 学 者 。 ミ ユ ン ヒ エ ン 大 学の教授を務めた。ベ-メの影響を受けた彼の哲学において、人間における神の自己展開は、闇の深淵からの自己解放として把 握される。この思想は'シユレ-ゲル兄弟やシェリングを初め七するドイツ・ロマン派の人々に大きな影響を与えた。 / 1 -1 ¥ パ ウ ロ ( P a u l u s , u m l O n . C h r . -u m 6 0 ? ) 。 原 始 キ リ ス ト 教 時 代 の 大 伝 道 者 。 キ リ キ ア の タ ル ソ ス 生 ま れ の ユ ダ ヤ 人 で ' 初 め ユ ダヤ教徒としてキリスト教の迫害者であったが、復活したキリストの声を聞いて回心Lt 以後ローマ世界への福音の伝道に努め た。ローマ皇帝ネロの迫害によ-殉教した。 ( 2 ) エ ス テ ィ ー ヌ ス ・ ケ ル ナ I Q u s t i n u s K e r n e r , 1 7 8 6 -1 8 6 2 ) 。 ド イ ツ は ル ー ト ヴ ィ ヒ ス ブ ル ク 生 ま れ の 詩 人 。 一 八 一 九 年 以 降 、 公 立病院医長としてケルナ-は、ヴァインスベルクに住み、ある女性夢遊病患者を診察した。シユヴァ-ベン地方のロマン派にお け る 重 要 な 行 情 詩 人 の 一 人 で あ る 。 主 要 な 作 品 に は 、 ﹃ 旅 影 ﹄ ( D i e R e i s e s c h a t t e n , 1 8 1 1 ) ' ﹃ プ レ ー フ ォ ル ス ト の 女 視 霊 者 ﹄ ( D i e S e h e r i n v o n P r e v o r s t , 1 8 2 9 ) 等 が あ る 。 ゴ ツ ト ヒ ル フ ・ シ ュ ー ベ ル ト ( G o t t h i l f H e i n r i c h v o n S c h u b e r t 1 7 8 0 -1 8 6 0 ) 。 ド イ ツ は ホ -エ ン シ ュ タ イ ン 生 ま れ の 自 然 科 学 者 ・ 哲学者。エアランゲン大学、ミユンヒエン大学の教授を務めた。世界全体の有機的な法則性を前提とする自然哲学及び歴史哲学 を発展させた。その思想は'ドイツ・ロマン派に大きな影響を与えた。代表的著書には'﹃自然科学の夜の側面についての見解﹄ ( A n s i c h t e n v o n d e r N a c h t s e i t e d e r N a t u r w i s s e n s c h a f t , 1 8 0 8 ) が あ る 。 ( 2 ) リ ン グ ザ イ ス ( J o h a n n N e p o m u k v o n R i n g s e i s , 1 7 8 5 -1 8 8 0 ) 。 ド イ ツ は オ ー バ ー プ フ ァ ル ツ 地 方 の シ ユ ヴ ァ ル ツ ホ -フ エ ン 生 ま れ の医師。ルートヴィヒ一世の侍医で'ミユンヒエン大学教授も務めた。彼は'ロマン主義的意味において医学を超越的なのもと 結 び 付 け 、 病 気 の 根 源 は 罪 の 中 に あ -と し た 。 主 要 な 著 書 に は ' ﹃ 医 学 の 体 系 ﹄ ( S y s t e m d e r M e d i z i n , 1 8 4 1 ) が あ る 。 」 ダ ウ マ -( G e o r g F r i e d r i c h D a u m e r , 1 8 0 0 -1 8 7 5 ) 。 ド イ ツ は ニ ュ ル ン ベ ル ク 生 ま れ の 宗 教 哲 学 者 ・ 詩 人 。 H H ル ン ベ ル ク の ギ ム ナ-ジウム教授を務めた。東洋の形態芸術に規定された詩や物語を書いた。主要な作品には'﹃キリスト教古代の秘密﹄ (Die G e h e i m n i s s e d e s c h r i s t 1 . A l t e r t u m s , 1 8 4 7 ) 、 ﹃ 新 時 代 の 宗 教 ﹄ ( D i e R e l i g i o n d e s n e u e n W e l t a l t e r s , 1 8 5 0 ) 等 が あ る 。 8) 「轍の自殺という伝説」。轍は、もはや逃れる術がないと知ると、自ら首を刺して自殺するという伝説がある。ここから、轍は、
「 自 殺 」 の 象 徴 で も あ っ た 。 ( S s ) ヘ ル ダ ー リ ー ン ( F r i e d r i c h H o l d e r l i n , 1 7 7 0 -1 8 4 3 ) 。 ド イ ツ は シ ユ ヴ ア -ベ ン 地 方 ラ ウ フ エ ン 生 ま れ の 詩 人 。 テ ユ ー ビ ン ゲ ン の 神 学校では'ヘーゲルとシェリングの同級生であった。フランクフルトの銀行家の家庭教師を務めていたとき'その夫人であるズ ゼッテに出会って'「ディオティーマ体験」と呼ばれるプラトニックな愛を体験する。この愛の体験によって彼は'独自の詩的境 地を拓-。しかし'三七歳で発狂してから七三歳で死ぬまで、狂人として悲惨な日々を送った。主要な著書には、﹃ヒエペ-リオ ン ﹄ ( H y p e r i o n , 1 7 9 7 ) ' ﹃ エ ム ペ ド ク レ ー ス ﹄ ( E m p e d o k l e s , 1 7 9 8 -9 9 ) 等 が あ る 。 ︹なお、この翻訳は、鹿児島地区ゲルマニストの有志によって一九八一年よ-始められた読書会の成果でもあることを、ここに銘記し て お く 。 ︺ ロマン派の世界観における動物