− 6 − − 7 −
1 はじめに
本来教えたい世界史は世界史Bである。しかし、 世界史必修とはいいながら、日本史・地理も選択 必修であるのでA科目がある。世界史Bを忌避し た生徒(結構これが多い)は必然的に世界史Aを とっている。この週2時間の多数の生徒との出会 いも大切にしたいものである。何しろ地歴科全体 を取り巻く情勢は、年々厳しさを増している。日 本史や地理の理解に資する世界史とすることがで きるように尽力したいものである。
しかし、中学校の学習指導要領によれば、古代 文明は中国文明のみ教えればよく、ルネサンスを 教える必要はなく、地誌的な知識もそう万遍なく 教えることになっていないので、基本的な地歴の 知識をもっていることを前提とした授業はもう成 り立たない。このような生徒に対して世界史Aを 教えるというのは、なかなか難事であるが、同時 に楽しくはある。
むしろ、世界史Aでは、世界の歴史上の出来事 が我々にどのような意味をもっているのかという 解釈・説明がより明確に求められているといえる。 つねに本質を突いた説明を簡潔にどうできるかと いうことが問われる科目である。如何に印象的な 説明ができるかが大事である。今回は、ヨーロッ パのめざめについて、授業で展開したことをまと めてみようと思う。
2 実際の指導についてのアイディア
ルネサンス
ルネサンスは今日では必ずしも、中学校で習っ ているものではない。生徒にどこまで習っている かと確認しつつ始めたい。とにかくルネサンスの 意味と意義をわかりやすく最初に示す必要がある。 この時代の風潮はヒューマニズムと表されるこ
とがある(多分にこれはブルクハルトの着想であ る)が、これは今日では人文主義という訳語より もわかりやすい。
より自由で人間的な表現が求められ許されたル ネサンス期に対して、中世のヨーロッパの文化は、 学問も芸術も教会と神に奉仕するものであったと 対比することもできる。ヨーロッパの中世では芸 術も学問も教会に奉仕するものであったと印象づ けるとしたら、たとえば「エスカリエ」*p.108を 見れば、教会の建設は厳かであり、神の権威を示 すものに外ならなかったと説明できよう。学問も 教会の付属施設から始まった大学で厳粛に行われ ていた。
これに対して、「エスカリエ」p.110〜111を見 れば、ルネサンス期の諸作品は自由奔放に創作さ れていることがわかるだろう。
何故に、ルネサンスはイタリアで始まったので あろうか。経済的な裏づけと優れた文化の伝統の 二つが要因になろうが、どちらを優先して説明す るかといえば、唯物論的に,先立つものは金であ ろう。経済的な裏づけの方を優先して説明したい。 実際にフィレンツェは商業が発達した都市であり、 その名残を景観からうかがうこともできる。フィ レンツェの景観はイタリアのルネサンスの発祥の 地としてルネサンスを象徴する風景でもある。毛
*「明解世界史図説 エスカリエ 初訂版」
世界史
A
授業案ヨーロッパのめざめ
徳島県立城北高等学校 山腰敏寛
− 6 − − 7 − 織物業と金融業やさらには東方貿易による豊かな 富があった。初期のルネサンスは大商人と貴族と ローマ教会が担ったものであった。フィレンツェ の豪商であったメディチ家はドナテルロやボッテ ィチェッリを後援した。また教皇レオ10世、クレ メンス7世はメディチ家の出身である。両教皇は ラファエロ、ミケランジェロらを後援した。この ようにルネサンスへのメディチ家の影響は無視で きない(レオ10世のときにルターが95か条の論題 を出し、クレメンス7世はイギリスのヘンリ8世 を離婚問題で破門しているように、宗教改革にも 直面した一族でもあった)。
大商人と貴族がルネサンスを後援したことは、 ボッティチェッリの『春』を見れば明らかである。 まず、横315cm×縦205cmというその大きさを印 象づけたい。女神たちも等身大に近く実物はかな り迫力がある。これは、中世のローブで体を覆っ た意匠とは対照的であるし、古代ローマの裸像に 回帰している。しかも、透けて見える布で艶めか しく描いてすらいる。貴族と富める者の現世的な 欲の肯定を見ることができる。
古代のギリシアとローマの文明はヨーロッパ世 界の源流である。力強い古代ギリシア・ローマの 像、また、躍動感があり技巧に優れたヘレニズム 時代の彫刻、悲劇を追求したギリシア演劇もあれ ば、優れた社会風刺もあった。その再発見がまさ にローマ帝国の中心地であったイタリアで行われ たのである。ルネサンスはそのような人間味あふ れる古典文化が復活した時代であった。
この他にも、ビザンツ帝国が衰退し、そこに温 存されていたローマの文化もイタリアに伝えられ
たのである。
後は、「エスカリエ」を活用して、作品を通し て、生徒にこの時代を感じさせたい。
ルネサンス期は万能人が理想とされたが、それ はレオナルド=ダ=ヴィンチとミケランジェロの2 人の例で説明できるだろう。とりわけレオナルド は一般的に広く知られている人間なので、この時 代を説明するには利用しつくしたい。
『最後の晩餐』は遠近法の手法として面白いも のがある。遠近線を画面中央まで延ばすとイエス の顔に焦点がある。この遠近法は小説・映画の 『ダ・ヴィンチ・コード』でも有名なものとなっ た。彼のアイディアは絵画だけにとどまらず、建 築や科学の分野でも業績を残している。ヘリコプ ターの設計も紹介しておきたい。
レオナルドに匹敵する天才であったのがミケラ ンジェロである。ピエタ像は石像でありながら人 体(等身大)の丸みと
布の柔らかさを描いて おり、その才能は驚く べきものである。また、 ダビデ像は均整のとれ た体が印象的であるが、 実は等身大でなく4m を超える巨人像である (台座込みで5.4m、人 体部分は4.34m)。均整 が見事であるために、
写真ではその巨大さがわからなくなってしまう。 ここにもミケランジェロの天才ぶりを見ることが できる。
『最後の審判』は、イエスを中心におき、左に 昇天する魂、右に地獄へ堕ちる魂という壮大な構 図をもつ大作である。フレスコ画であるため漆喰 が乾ききる前に描かなければならず、時間制約は
「エスカリエ 初訂版」p.110
「エスカリエ 初訂版」p.110
− 8 − − 9 − 絶対的なものであった。
技量もさることながら 超人的な体力をもって いたことを生徒に想像 させたい。
ラファエロはアネテ 学堂の人々を描く際に、 プラトンをレオナルド に擬して描いたという。 映画の『天使と悪魔』 は、ミケランジェロの
『最後の審判』と『天地創造』のオリジナルが描 かれたシスティーナ礼拝堂のセットで教皇選出の コンクラーベも描かれており、授業者が見ておく と参考になる。
当時のイタリアの複雑な諸政体の混在は、19世 紀のイタリア「統一」でも利用できる。王国があ るし、貴族領(サッカーチームのACミランなど をつかってミラノを印
象づけてもよい)があ るし、教皇領もあると いう複雑さである。そ のうえで、神聖ローマ 帝国のイタリア政策の 干渉があった。この複 雑な政体の混在と神聖 ローマ帝国のイタリア 政策が戦乱をおこしも
した。戦乱があったことも現世的な文化が花開い た一因となった。
ダビデ像が公開されたのは1504年であるが、日 本ではこの世紀の後半に戦乱の時代を背景として 安土桃山文化が出現している。戦乱を背景として 現世の美を求める文化が同じ世紀の日本とイタリ アに出現したという紹介もしておきたい。 ヨーロッパ各地でのルネサンス
は簡単に説明することになる。も う一つの中心地たるネーデルラン トのルネサンスの特徴や各国語が 成立したことなどをおさえておき たい。イギリスまでルネサンスが
波及した頃に現れたのがシェークスピアである。 彼の生没年(1564〜1616)の覚え方で年代を印象 づけるということはできる。日本でいうと安土桃 山から江戸初期であるが、「人殺しいろいろ」で ある。
宗教改革 ルターの改革
これも時間数が限られているので、宗教改革を 始めたルターについてはその原因と経緯を、資本 主義の成立に大きく寄与したのではないかとされ るカルヴァンについてはその教説を中心に教えた い。
導入としては、ルネサンスでは必ず載っている サン=ピエトロ大聖堂を使う。当初ブラマンテが 設計をしたのをラファエロとミケランジェロが受 けつぎ設計変更をしてつくっていった。
このサン=ピエトロ大聖堂の修築費として、こ の奇怪な贖宥状(免罪符)という商品が、王権が 強かったフランスではなく、ローマの牝牛として カトリックに従順とされたドイツで販売された。 販売を請け負ったのはアウクスブルクのフッガー 家であった。献金が桶に投げ込まれる音がすると ともに、魂が煉獄から救われるという売り文句ま でもつくられた。
ルターが純粋に、神学的な疑義を書き出した 「95か条の論題」は決してローマ教皇の権威を否 定するつもりはなかったものである。しかしルネ サンス期の発明の一つとされる活版印刷によって、 その主張は広まり、ライプツィヒの公開討論を経 て教皇を否定するに至った。ルターの主張が支持 されたのはカトリックの横暴と腐敗に対して不満
「エスカリエ 初訂版」p.111
「エスカリエ 初訂版」p.110
「エスカリエ 初訂版」p.111
− 8 − − 9 − が高まっていたからである。
オスマン帝国の脅威が増す中、一時黙認状態と なっていたルター派はその後再び禁止されて、そ れに抗議して『抗議書』をカール5世に送ったこ とからプロテスタントという呼称ができた。
カルヴァンの教説
教会の組織などは、時間のことを考えると話す ゆとりはあまりない。むしろ、資本主義の成立につ いては有名なヴェーバーの学説の紹介を試みたい。 カルヴァンの予定説というのは
恐るべき教説である。カルヴァン の予定説には前段と後段があり、 前段はほとんど脅迫に近い。天地 を創造した全知全能の前に人間な ど塵芥のごときもので、どの魂を 救うかは神は好き勝手にもう決め
ておられて、そこにいかなる人間の思いも努力も 顧慮されるものではないという、神が絶対である という世界観がまずある。果たして自分の魂は救 われるのかという精神的な緊張が強いられた後、 後段において神様はそのお心そのものをお示しに なりはしないが、救おうという魂には何かの兆し があるかもしれない、それは仕事がある、富がた まるということがそうかもしれないと説くのであ る。こうであるから、カルヴァン派が働くこと働 くこと。働いて金を使うのではなく、蓄財の向こ うに魂の救済を見ているものだから、やがて資本 に転化する富はどんどん蓄積されることになった。 ヴェーバーの学説を重ねて説明もしたい。小冊 である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義 の精神』は、ライン川とセーヌ川の間で産業が盛 んであるが、ここはプロテスタントが多い、関係 はあるのかという問題提起から始まる。産業と新 教を結びつけたのがヴェーバーの卓抜なところで あるが、資本主義を観察してそこに禁欲的な本質 があり、そこから彼はカルヴァンの教説にたどり 着き、職業倫理の確立と資本の蓄積を説明した。
イギリス
余裕があれば、イギリスの宗教改革にもふれた い。エリザベス1世については絶対王政で見るこ とになるので、そことどううまく分けて説明する
か考えて授業を進めたい。何しろエリザベス1世 の登場の背景となった出来事である。王様の離婚 問題と説明すると簡単である。実際、カトリック のままでは不可能であっただろうが、生涯6人も 妻となった女性がいたのがヘンリ8世である。し かし、彼にはイングランドの王権
を伸張した功績もある。実はテュ ーダー朝というのは、ヘンリ7世 が開き、その子のヘンリ8世と宗 教改革に翻弄された彼の子どもた ち(即位順にエドワード6世、メ アリ1世、エリザベス1世)の3
世代の王朝であった。そしてエリザベスはそもそ もの宗教改革の発端となったアンの娘であるとい うのも意味深長である(世界史のしおり2009年4 月号付録写真資料参照)。
対抗宗教改革(反宗教改革) 日本史で有名なフランシスコ= ザビエルは実は世界史でも有名な 人間であるということは生徒には 驚きだろう。ザビエルは宗教改革 の時代にカトリックの側で再建 (対抗宗教改革)を試みたイエズ ス会に創設者のイグナティウス=
ロヨラとともに結成に参加した。イエズスとは 「イエス」のことで、「イエスの会」とは思い切っ た命名である。中国語で耶蘇があてられ、日本で はそれを音読みして「ヤソ」会ともいわれた。軍 隊的な規律でカトリック内の再建を図ったこの集 団をつくったロヨラは軍人出身であった。イエズ ス会は教皇至上主義をとり、教育活動、宣教事業 にも力を入れた。新たな布教地を求めて宣教師を 送り、「新大陸」とアジアにカトリックが広まっ た。ザビエルは中国と日本にまで来て布教をした。 ドイツの南部をカトリックが奪回したことは、ビ スマルクの文化闘争とも関わる話である。また東 西ドイツ統一時の首相はヘルムート=コールであ ったが、彼はカトリック教徒であった。このよう に宗教改革と対抗宗教改革のせめぎ合いは後の時 代にも多くのものに刻印していることにもふれて おきたい。
「エスカリエ 初訂版」p.113
「エスカリエ 初訂版」p.113