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第 1 章 行列と固有値
線形代数の化学への応用において主要な位置を占めているのは、実対 称行列の対角化すなわち固有値・固有ベクトルの計算である。例えば、
• 分子軌道法では、有効 Hamiltonian 行列 (または Fock 行列) を対角 化し、軌道エネルギー(固有値) と分子軌道係数 (固有ベクトル) を 求める。
• 分子振動の基準振動解析では、分子変形に伴う「力の定数 (Hessian) 行列」を対角化し、基準振動数(固有値) と基準振動座標 (固有ベク トル) を求める。
• 分子を剛体と見たときの慣性テンソルを対角化し、回転運動の慣性 主軸(固有ベクトル) と慣性モーメント (固有値) を求める。
この他、主成分分析と呼ばれる統計解析手法では、多変数間の相関を表 す共分散行列と呼ばれるものを対角化する。これは、蛋白質の構造揺ら ぎの解析に用いられている。以上のように、一見無関係に見える諸現象 に共通の数学が適用される事実は印象的である。
上に挙げた例は、実対称行列を扱っている。一方、量子力学では一般 に複素数の波動関数を扱い、物理量はHermite (エルミート) 行列で表さ れる。Hermite 行列は実対称行列を複素数に拡張したものと見なせる。両 者は多くの共通点を持つが、本章では実対称行列を中心に扱い、Hermite 行列については章末の補遺に要点のみを記す。
例題はH¨uckel 法による分子軌道計算を中心とする∗。これは、少ない 準備と単純な計算で要点が把握できるという理由による。分子振動の基 準振動解析も良い例題を与えるが、汎用性を保ちつつ具体的な計算に至
∗H¨uckel 法については、章末の補遺 1.4.2 節で概説した。
るまでの準備が少々煩雑なので、章末に簡単な例を一つと、一般論の概 要を述べる。
本章では特に断らない限り正方行列を扱う。行列A の行列要素を aijま たは(A)ij のように表す。
1.1 行列式
行列式は、連立一次方程式の解法から発生した概念である。それが、ベ クトル空間における線形写像の正則性を表すものへと発展する様を学ぶ のが、線形代数の一つの要所となる。2 次元と 3 次元の行列式には、一次 変換された基底ベクトルのなす平行四辺形や平行六面体の面積や体積と いった幾何学的な意味付けもなされる。これらを関連付けて多面的に学 ぶことが理解を深めるが、それは適当な数学書に任せ、本章では置換に よる定義から入る。これは、章末の補遺1.4.3 節で概説するように、電子 波動関数の反対称性にも密接に関連している。
1.1.1 置換と行列式
1 から n までの整数の順列は n! 通りある。元の 1 · · · n とその並べ替え を上下に書き括弧で囲んだもの、例えばn = 3 の場合なら
(1 2 3 1 2 3
) ,
(1 2 3 2 1 3
) ,
(1 2 3 3 1 2
)
· · ·
のように記したものを「置換(permutation)」と呼ぶ。上の三例のうち、 一番左は「恒等置換」と呼ばれる。二番目では1 と 2 が入れ替っており、 1 回の「互換」による。三番目は、1 と 3 に続いて 2 と 1 を入れ替えて出 来るので、2 回の互換による。このように、偶数回の互換によるものを偶 置換、奇数回のものを奇置換と呼ぶ。恒等置換(0 回) は偶置換とする。
1 · · · n の置換を次のように表すことにする。 P =
(1 2 · · · n p1 p2 · · · pn
)
1.1. 行列式 11
✓ ✏
定義 1.1 n 次正方行列 A の行列式は次式で定義される。
|A| =∑
P
(−1)Pa1p1a2p2· · · anpn
P は 1, · · · , n の置換を表し、n! 通りの全ての置換について和をとる。 P が偶置換のとき (−1)P = +1、奇置換のとき (−1)P = −1 とする。
✒ ✑
例 1.1 n = 2 のとき、(p1, p2) = (1, 2) または (2, 1) の 2 通り。前者は偶 置換、後者は奇置換なので、|A| = a11a22− a12a21
例 1.2 n = 3 のとき、偶置換は (p1, p2, p3) = (1, 2, 3), (2, 3, 1), (3, 1, 2)、奇 置換は(1, 3, 2), (3, 2, 1), (2, 1, 3)。よって、
|A| = a11a22a33+ a12a23a31+ a13a21a32
−a11a23a32− a13a22a31− a12a21a33 (1.1)
補足 上記n = 2および3の結果は、いわゆる「たすきがけ」または「サラス
の方法」と呼ばれる方法によれば視覚的に憶え易い。ただし、これはn ≥ 4で は使えない。
上の二例で確認されるように、aijの添字を入れ替えても|A| は変らない。
✓ ✏
定義 1.2 行列 A の転置 (transpose) tA とは、行と列を入れ替えたも の、つまり要素の添字を入れ替えたもので、次式で定義される。
(tA)ij = Aji
✒ ✑
一般に、次の定理を示すことができる。(証明は省略。) 定理 1.1 行列式は転置によって不変である。
|tA| = |A|
1.1.2 行列式の基本性質
行列A を縦に割り、n 個の縦ベクトル a1, a2, · · · anを並べたものとして
|A| = |a1a2· · · an|
のように表すことにする†。
行列式の最も基本的な性質に次の二つがある。証明は省略する。
✓ ✏
(I) 交代性 二つの列を入れ替えると、符号が変る。
|a1· · · ai· · · aj· · · an| = −|a1· · · aj· · · ai· · · an|
(II) 線形性 ai = λbi+ µciのとき、
|a1· · · ai· · · an| = λ|a1· · · bi· · · an| + µ|a1· · · ci· · · an|
✒ ✑
これら(I), (II) から、次が示される。
(I’) 二つの列が等しいとき、行列式はゼロとなる。 (証明) (I) より、|A| = −|A| となるから。
(II’) 基本変形 ある列に他の列の定数倍を足したり引いたりしても 行列式の値は変らない。
|a1· · · (ai+ λaj) · · · an| = |a1· · · ai· · · an| (i ̸= j) (証明) (II) により二つの行列式の和に分け、(I’) を用いる。
補足 上の(I), (II)に
(III) Iを単位行列とすると、|I| = 1
を追加して、(I)–(III)を満たすものを行列式の定義とすることもできる‡。
例 1.3 (I) :
b a d c
= −
a b c d
(II) :
2a + 3a′ b 2c + 3c′ d
= 2
a b c d
+ 3
a′ b c′ d (I′) :
a a b b
= 0 (II′) :
a + λb b c + λd d
=
a b c d
†行列式は転置によって不変なので、横ベクトルに分割しても構わないけれども縦に 分割した方が見やすいというだけである。また、以下で列に関して記述する性質は、全 て行に関しても成り立つ。
‡例えば、笠原皓司「線形代数学」サイエンス社
1.1. 行列式 13
1.1.3 主な定理と余因子展開
次の定理は基本的である。証明は省略する。
定理 1.2 A1, A2を正方行列とする。大きさは異ってもよいし、1 次 すなわちただの数でもよい。このとき、
A1 B O A2
=
A1 O C A2
= |A1| |A2| (1.2)
ただし、O は零行列、B, C は任意の行列で、大きさは上式の左辺と 中辺が正方行列となるように決められる。
よって、前節の基本変形(II’) を利用して上式 (1.2) の形へ変形すれば、 行列式の次元を下げることができる。
例 1.4 A, B を大きさの等しい正方行列とするとき、
A B B A
= |A + B| |A − B| (1.3)
証明 横方向と縦方向について、順に基本変形(II’) を適用する。
A B B A
=
A + B B B + A A
=
A + B B O A − B
= |A + B| |A − B|
最後に定理1.2 を用いた。
補足 A, Bが1次(ただの数)の場合の一般化になっている。
a b b a
= a2− b2 = (a + b)(a − b)
余因子展開
定理1.2 で A1が1 次すなわち数の場合と、前節 (I) の交代性および (II) の線形性を利用して、行列式の標準的計算手法である「余因子展開」が 導かれる。簡単のため、3 次の場合に具体的に示す。
まず、定理1.2 と (I) の交代性により、
a 0 0 p q r s t u
= a
q r t u
0 b 0 p q r s t u
= −
b 0 0 q p r t s u
= −b
p r s u
0 0 c p q r s t u
= −
0 c 0 p r q s u t
= +
c 0 0 r p q u s t
= c
p q s t (II) の線形性によりこれらを結合すれば、
a b c p q r s t u
= a
q r t u
− b
p r s u
+ c
p q s t これは、1 行目に沿った余因子展開に他ならない。
より大きな行列や、任意の行または列に沿った余因子展開へ一般化す るのも、上と同様に考えればよい。
次の定理も利用する機会が多い。証明は省略する。 定理 1.3 積の行列式 = 行列式の積
|AB| = |A| |B|
練習問題 A = (a b
c d )
, B =(e f g h
)
について上の定理1.3を確かめよ。
1.1.4 例題 : H¨ uckel 分子軌道法
エチレンC2H4
エチレンのπ 分子軌道を H¨uckel 法で求めるには、次の 2 × 2 行列の固 有値問題を解く。
[α β β α
] [c1 c2
]
= E [c1
c2
]
⇒
[α − E β β α − E
] [c1 c2
]
= [0
0 ]
(1.4)
1.1. 行列式 15
永年方程式は、
α − E β β α − E
= 0 (1.5)
となり、これを解けば
E = α ± β (1.6)
となる。
今後、記法を簡略にするため
x = (α − E)/β (1.7) とおいて、永年方程式(1.5) を
x 1 1 x
= 0 (1.8)
と書く。これを解いてx = ±1 となり、式 (1.6) を得る。
このように、H¨uckel Hamiltonian 行列の α を x、β を 1 で置き換えたも のの行列式をゼロとすれば、永年方程式が得られる。
練習問題 アリルカチオンC3H+5 のH¨uckel Hamiltonian 行列は
H =
α β 0 β α β 0 β α
(1.9)
である。分子軌道エネルギーE を求めよ。
ブタジエン C4H6
ブタジエンの永年方程式は
x 1 0 0 1 x 1 0 0 1 x 1 0 0 1 x
= 0
一行目について余因子展開すれば、
x
x 1 0 1 x 1 0 1 x
−
1 1 0 0 x 1 0 1 x
= 0
左辺を計算し因数分解すると§、
(x2+ x − 1)(x2− x − 1) = 0 (1.10) よって、
x = −1 ±
√5 2 ,
1 ±√5 2
ベンゼン C6H6
ベンゼンの永年方程式は、
x 1 0 0 0 1 1 x 1 0 0 0 0 1 x 1 0 0 0 0 1 x 1 0 0 0 0 1 x 1 1 0 0 0 1 x
= 0
左辺は式(1.3) の形をしているので、
x 1 1 1 x 1 1 1 x
x 1 −1 1 x 1
−1 1 x
= 0
(x3− 3x + 2)(x3− 3x − 2) = 0 (x − 1)2(x + 2)(x + 1)2(x − 2) = 0
x = −2, −1 (重解), 1 (重解), 2
この例のように、固有値が重解を持つとき、対応する分子軌道エネルギー は「縮退している」という。
§x(x3− 2x) − (x2− 1) = (x2− 1)2− x2
1.2. 固有ベクトルと対角化行列 17
1.2 固有ベクトルと対角化行列
前節の例題では、分子軌道エネルギー(固有値) を求めた段階で止めた。 本節で、分子軌道係数(固有ベクトル) の計算を示す。まず、1.2.1–1.2.2 節 で実例を見てから、一般論を1.2.3 節で整理する。
1.2.1 固有ベクトル
エチレンの分子軌道係数を求めるには、次のようにする。 E = α + β のとき、式 (1.4) は
[−β β β −β
] [c1 c2
]
= [0
0 ]
⇒ c1 = c2
よって、固有ベクトルは(c1, c2) ∝ (1, 1) となる。これは、結合性分子軌 道に相当する。
E = α − β のときは、式 (1.4) は [β β
β β ] [c1
c2
]
= [0
0 ]
⇒ c1 = −c2
よって、固有ベクトルは(c1, c2) ∝ (1, −1) となり、反結合性分子軌道を 表す。
補足 x = −1のとき、[−1 1 1 −1
] [c1
c2 ]
= 0 ⇒ c1 = c2 のようにしてもよい。
練習問題 アリルカチオンの分子軌道(c1, c2, c3) を求めよ。規格化はしな くてもよい。
1.2.2 対角化
分子軌道エネルギーと分子軌道係数が求まったので、計算としては以 上で終了して構わないが、ここでは上の手続きが行列の対角化に他なら ないことを示す。
上のエチレンの場合の解を式(1.4) に戻せば、 [α β
β α ] [1
1 ]
= (α + β) [1
1 ]
,
[α β β α
] [ 1
−1 ]
= (α − β) [ 1
−1 ]
これら二式は次のように一つにまとめられる。 [α β
β α
] [1 1 1 −1
]
=
[1 1 1 −1
] [α + β 0 0 α − β
]
よって、固有ベクトルを並べた行列は、元の行列を対角化する。 [1 1
1 −1 ]−1[
α β β α
] [1 1 1 −1
]
=
[α + β 0 0 α − β
]
(1.11)
この場合、
[1 1 1 −1
]−1
= 1 2
[1 1 1 −1
]
であるが、固有ベクトルの長さをあらかじめ規格化しておいて
√1 2
[1 1 ]
, √1 2
[ 1
−1 ]
→ T = √1 2
[1 1 1 −1
]
とすれば、
T−1 =tT (1.12) のように、転置行列が逆行列となり、式(1.11) は
tT
[α β β α ]
T =
[α + β 0 0 α − β
]
となる。
補足 大部分が繰り返しになるが、上の具体例を少し一般的に記してみよう。 2 × 2行列Hの二つの(相異なる)固有値をλ1, λ2とし、対応する固有ベクトル を(x1, y1), (x2, y2)とすると、
H[x1 y1 ]
= λ1[x1 y1 ]
, H[x2 y2 ]
= λ2[x2 y2 ]
これら二式は次のように一つにまとめられる。
H[x1 x2 y1 y2 ]
=[x1 x2 y1 y2
] [λ1 0 0 λ2
]
よって、固有ベクトルを並べて作った行列T =
[x1 x2
y1 y2 ]
は、行列Hを
T−1HT =[λ1 0 0 λ2
]
1.2. 固有ベクトルと対角化行列 19
のように「対角化」する。次節で示すように、行列Hが実対称行列のとき、式 (1.12)のように、行列T はその転置が逆行列となるようにできる。式(1.12)を みたす行列Tを「直交行列」と呼ぶ。すなわち、実対称行列Hは直交行列T に よって
tT HT =[λ1 0
0 λ2 ]
のように対角化できる。
練習問題 アリルカチオンについて、上に相当する計算を行え。特に、固 有ベクトル(c1, c2, c3) を規格化して並べた行列を T としたとき、T−1 =tT を確かめよ。
1.2.3 実対称行列の固有値問題
上で行ったH¨uckel 分子軌道法の計算は、一般には「実対称行列の固有 値問題」と呼ばれるものに属する。
✓ ✏
定義 1.3 Al = λl をみたすベクトル l(̸= 0) を行列 A の固有ベクトル、 スカラーλ を l に対応する固有値と呼ぶ。
✒ ✑
前節の例題でも見たように、H¨uckel 法では、Hamiltonian 行列 H の固 有値問題
Hc = Ec
を解く。(章末補遺 1.4.2 節も参照。) 固有値 E が分子軌道エネルギー、固 有ベクトルc が分子軌道係数である。
✓ ✏
定義 1.4 実対称行列とは、転置が自身と等しい実行列のことである。
tA = A (A
ij = Aji)
✒ ✑
H¨uckel 法の Hamiltonian 行列は、常に実対称行列である。
補足 通常の¶分子軌道法で扱う有効Hamiltonian行列も、一般に実対称であ る。例えば、Hartree-Fock法におけるFock行列や、密度汎関数法で用いるKohn- Sham行列も(脚注のような通例の場合は) 実対称である。
¶外部磁場がなく、時間に依存しない定常状態を扱う場合。
注意 量子力学では、一般に波動関数の値は複素数であり、演算子の行列表示は 複素行列である。ただし、観測値すなわち固有値が実数であるという要請から、 観測量の行列表示はHermite行列となる。Hermite行列については、章末の補 遺1.4.1節で概説した。Hermite行列は実対称行列を複素数に拡張したものと見 なせる。以下で示す実対称行列に関する諸定理は、少しの読み替えでHermite 行列に関しても同様に成り立つ。
実対称行列の性質を見ていく前に、複素ベクトルの内積を (a, b) ≡∑
n
a∗nbn (1.13)
で定義しておく。bnの方を複素共役にする流儀もある。いずれにせよ、一 方を複素共役にすることで、ベクトルの長さの二乗(ノルム) に対応する 次式がゼロ以上の実数となる。
(a, a) =∑
n
|an|2 ≥ 0
次の定理は実対称行列を特徴付けるもので、一般的なベクトル空間に おける対称写像(対称変換) の定義を行列表現したものになる。
定理 1.4 A を n 次の実対称行列とするとき、任意の n 次ベクトル a, b につき、
(Aa, b) = (a, Ab) (1.14) が成り立つ。
証明 A は実行列かつ対称行列なので、A∗nm= Anm = Amn だから、
(Aa, b) =∑
nm
(Anmam)∗bn=∑
nm
a∗mAmnbn = (a, Ab)
次の二定理は特に重要である。
定理 1.5 実対称行列の固有値はすべて実数である。
定理 1.6 実対称行列の異なる固有値に対応する固有ベクトルは互い に直交する。
1.2. 固有ベクトルと対角化行列 21
定理1.5 の証明 実対称行列 A の固有値を λ、固有ベクトルを l とする と、Al = λl と定理 1.4 より、
λ∗(l, l) = (λl, l) = (Al, l) = (l, Al) = λ(l, l) (l, l) ̸= 0 なので、λ∗ = λ となる。よって λ は実数。
注意 この定理により、実対称行列の固有ベクトルは実数ベクトルの範囲で考 えれば十分であることが分る。なぜならば、a, bを実数ベクトルとして、複素 数ベクトルlをl= a + biのように実部と虚部に分けたとき、Al = λlにおいて λが実数だから単純にAa = λaとAb = λbに分けられるからである。よって、 以下では実対称行列の固有ベクトルを実数ベクトルに限定する。
定理1.6 の証明 λ1, λ2を実対称行列A の相異なる固有値、l1, l2を各々
に対応する固有ベクトルとすると、
(Al1, l2) = (λ1l1, l2) = λ1(l1, l2) (l1, Al2) = (l1, λ2l2) = λ2(l1, l2)
定 理 1.4 より、これらの左辺は互いに等しいので、引き算して、(λ1 − λ2)(l1, l2) = 0 となる。λ1 ̸= λ2 なので、(l1, l2) = 0 でなければならな い。
✓ ✏
定義 1.5 直交行列とは、それに含まれる列ベクトルが互いに直交し、 かつ長さが1 であるものを言う。
✒ ✑
次の定理は、前節の例でも具体的に確認した。 定理 1.7 直交行列は、その転置が逆行列となる。
tT = T−1
証明 直交行列T を縦ベクトル liに分割し、T = [l1· · · ln] と書く。この とき、liを横ベクトルにして並べたのがtT なので、積tT T の ij 成分は内 積(li, lj) に等しい。これと定義 1.5 より、
(tT T )ij = (li, lj) = δij =
{ 1 (i = j) 0 (i ̸= j)
となる∥。これはtT T = I (単位行列) を意味する。 次の定理は、本節の集大成と言える。
定理 1.8 実対称行列はつねに直交行列により対角化可能である。す なわち、実対称行列A について、tT AT が対角行列になるような直 交行列T が存在する。
一般的な証明は省略する。1.2.2 節の例と練習問題で具体的に見たよう に、実対称行列を対角化する直交行列を作るには、固有ベクトルを規格 化して並べればよい。固有値が相異なっていれば、定理1.6 によってこれ らの直交性は保証されている。
ただし、固有方程式(H¨uckel 法では永年方程式のこと) が重解を持つと きには、対応する固有ベクトルはその重複数だけあり、それらの間の直 交性は保証されていない。その場合には適当な一次結合によって、互い に直交した固有ベクトルの組を作ることが出来る。これについては、次 節で具体例に沿って説明する。その前に、次の定理およびベクトルの直 交化法の一つであるGram-Schmidt 法を確認しておく。
定理 1.9 複数の独立なベクトル x1, · · · , xmが等しい固有値を持つ、 すなわち
Ax1 = λx1, · · · Axm = λxm
が成り立つとき、これらの任意の線形結合 y=
m
∑
i=1
cixi
も同じ固有値をもつ固有ベクトルAy = λy である。
証明
Ay =
m
∑
i=1
ciAxi =
m
∑
i=1
ciλxi = λ
m
∑
i=1
cixi
∥δ
ijは、Kronecker の delta と呼ばれる。
1.2. 固有ベクトルと対角化行列 23 Gram-Schmidt の直交化法
✓ ✏
二つのベクトルa, b は 1 次独立とする。これらから作ったベクトル b′ = b − (a, b)
(a, a)a はa と直交する。
✒ ✑
これは、図を描いてみると直感的な把握は容易である。二つのベクトル a, b の始点を揃えて描き、b の終点から a に垂線を降ろす。上式の b′は、 その垂線の足を始点とし、b の終点へ向けたベクトルである。
一般に、1 次独立なベクトル a1, a2, · · · が互いに直交していないとき、 a′1 = a1
a′2 = a2− (a
′1, a2)
(a′1, a′1)a
′1
とすれば、a′
1とa′2は直交する。同様に
a′3 = a3−
(a′1, a3) (a′1, a′1)a
′ 1−(a
′2, a3)
(a′2, a′2)a
′ 2
とすれば、a′1, a′2, a′3は互いに直交する。これを繰り返せば、 a′n= an−
n−1
∑
i=1
(a′i, an) (a′i, a′i)a
′ i
により、互いに直交する組a′1, · · · , a′nが順次作られる。
練習問題 a′1, · · · , a′nが互いに直交することを確かめよ。
縮退のある場合の固有ベクトル
固有値が縮退している(重解をもつ) 例は、1.1.4 節のベンゼンの計算で 現れた。ここでは問題を簡単にするため、次の永年方程式を考える。
x 1 1 1 x 1 1 1 x
= 0 ⇔ (x − 1)2(x + 2) = 0
これは、正三角形のシクロプロペニリウムイオンC3H+3 に対応する。 x = −2 のとき、固有ベクトル (c1, c2, c3) は
−2 1 1 1 −2 1 1 1 −2
c1
c2
c3
=
0 0 0
により定まる。一行目と二行目を足すと三行目に比例するので、独立な 式は二つである。(永年方程式の行列式がゼロの条件から導かれたので、 独立な式が減っているのは当然である。) よって、固有ベクトルは方向の みが定まり、(c1, c2, c3) ∝ (1, 1, 1) となる。これを l0とする。
補足 一行目は−2c1+ c2+ c3 = 0, 二行目はc1− 2c2+ c3 = 0を与える。xyz 空間の類似としてc1c2c3空間を考えれば、上の二式は平行でない二平面を表し、 それらの交線が固有ベクトルの方向を表す。
x = 1 のときには、固有ベクトルを定める式は
1 1 1 1 1 1 1 1 1
c1
c2
c3
=
0 0 0
(1.15)
となる。これは三行とも同じ式c1+ c2+ c3 = 0 を与えるので、固有ベク トルの方向は定まらない。つまり、上記補足のようにc1c2c3空間を考え ればこの式は平面を表すので、この平面上にある任意のベクトルが許さ れるという意味で定まらない。(注:この平面は、上で x = −2 の場合に 求めた固有ベクトルl0に垂直である。すなわち、定理1.6 が成り立って いる。) そこで、この式を満たしかつ互いに独立であるようなベクトルと して、例えば適当に
l1 = (1, −1, 0), l2 = (1, 0, −1) (1.16) としてみる。これらを基に、前節のGram-Schmidt 法を用いると、
l′2 = l2− (l1, l2) (l1, l1)l1 =
1
2(1, 1, −2) ∝ (1, 1, −2)
が得られる。l1とl′2は確かに式(1.15) を満たす固有ベクトルであり、か つ互いに直交する。
1.2. 固有ベクトルと対角化行列 25
練習問題 上で得た固有値と固有ベクトルl0, l1, l′2を用いて、分子軌道エ ネルギー図とπ 分子軌道の概形を描け。次に、l3 = (0, 1, −1) とおき、上 の式(1.16) の代りに、l2とl3から出発して上と同様に直交化せよ。この 場合についても、π 分子軌道の概形を考え、分子の対称性との関連を考察 せよ。その考察に基き、l3とl2から出発して同様の手続きを行った場合 の結果を、計算せずに予測せよ。
練習問題 上で得たl0, l1, l′2を規格化して、この分子のHamiltonian 行列 H を対角化する直交行列 T を求めよ。
まとめ
以上により、定理1.8 の具体的手続が定まったことになる。
• 固有方程式が重解を持たない場合には、固有ベクトルを規格化して 並べるだけで、対角化のための直交行列が得られる。
• 固有方程式が重解を持つ場合には、固有ベクトルの方向が定まらな いので、条件を満たす独立なベクトルを重複数だけ適当に選び、何 らかの方法(Gram-Schmidt 法など) で直交化する。それ以外は重解 を持たない場合と同様。
1.2.4 実対称行列の固有値の性質
まず、次を示しておく。
定理 1.10 直交行列 T の行列式は 1 または −1 である。
|T | = |tT | = ±1
証明 定理1.7 よりtT T = I。定理 1.3 より |tT ||T | = |I| = 1。定理 1.1 よ り|T |2 = |tT |2 = 1。
行列式と固有値
上の定理により、行列式と固有値の関係が以下のように示される。 定理 1.11 実対称行列 A の行列式は、その全ての固有値 λ1, λ2, · · ·
の積に等しい。
|A| =∏
i
λi
証明 A を対角化する直交行列を T とすると、
tT AT =
λ1 0 0 0 . .. 0 0 0 λn
(1.17)
両辺の行列式を取り
|tT ||A||T | =∏
i
λi
前出の定理より|tT ||T | = 1 を代入する。
対角和(trace) と固有値
✓ ✏
定義 1.6 行列の対角成分の和を「対角和」または「トレース (trace)」 と呼び、tr A などと記す。
tr A =
n
∑
i=1
Aii
✒ ✑
定理 1.12 行列の積の対角和は積の順序に依らない。 tr(AB) = tr(BA)
証明 tr(AB) =
∑
i(AB)ii=
∑
i
∑
jAijBji=
∑
j(BA)jj = tr(BA)
上の定理より、次が直ちに示される。
1.3. その他の応用例 27
定理 1.13 対角和は相似変換 A → T−1AT で不変である。 tr(T−1AT ) = tr(AT T−1) = tr A
これを式(1.17) に適用すれば、次が直ちに得られる。
定理 1.14 実対称行列の対角和は、固有値 λ1, λ2, · · · の和に等しい。 trA = ∑
i
λi
H¨uckel 法の軌道エネルギー
H¨uckel 法の Hamiltonian 行列の対角項は全て α だから、N 次元であれ ば対角和はN α である。計算の結果として得られる分子軌道エネルギー をE1, E2, · · · とすれば、上の定理より
trH =
N
∑
i=1
Ei = N α (1.18)
のように、分子軌道エネルギーの総和がN α に等しくなる。
練習問題 これまで見て来た一連の分子たち(エチレン、アリルカチオ ン、シクロプロペニリウムイオン、ブタジエン、ベンゼン) について、式 (1.18) を確認せよ。
このように、H¨uckel 法の分子軌道エネルギーは、E = α を重心とする 形で、上下に分裂して現れる。これは、対角項を全て共通のパラメータ α とするという H¨uckel 法に特有の設定と、定理 1.14 による。
1.3 その他の応用例
1.3.1 基準振動解析
1 次元調和振動子
1 次元の振動子を考える。x を安定点からの変位座標とし、ポテンシャ ルエネルギーV (x) の安定点を原点にとる (V (0) = 0) と
V (x) = 1 2kx
2+ · · · (1.19) と展開できる。· · · は 3 次以上の非調和項を表す。
k = V′′(0) = ( d
2V
dx2 )
x=0
は、力の定数である。振動子の質量をm とし、非調和項を無視すれば、 調和振動の周波数はω =√k/mである。
補足 非調和項を無視すれば、Newton方程式は m¨x = −kx ⇒ x = −ω¨ 2x 一般解は
x(t) = Aeiωt+ Be−iωt 係数A, Bは初期条件x(0), ˙x(0)から決まる。
結合調和振動子(2 次元)
2 次元の場合を考える。ポテンシャルの安定点の周りで変位座標 x, y に ついて展開すると
V (x, y) = 1 2Vxxx
2+ V
xyxy +1 2Vyyy
2+ · · ·
となる。ここで、
Vxx =( ∂
2V
∂x2 )
0
, Vxy =( ∂
2V
∂x∂y )
0
である。添字の0 は安定点 (x, y) = (0, 0) における値を意味する。Vyy, Vyx
も同様に定義する。V (x) は連続でなめらかとしてよいので、Vyx= Vxyで ある。上式の3 次以上の項を省略し、ベクトルと行列の形で表すと、
V (x, y) = 1 2(x, y)
(Vxx Vxy Vyx Vyy
) (x y
)
= 1 2
txKx (1.20)
1.3. その他の応用例 29
となる。2 番目の等号で行列 K を定義した。これは、「力の定数行列」ま たは「Hessian 行列」と呼ばれる。
x, y の質量をそれぞれ m, M とすると、Newton 方程式は m¨x = −Vxxx − Vxyy
M ¨y = −Vyxx − Vyyy
となる。上式は、x の運動には y が、y の運動には x が関与し、両者の運 動は互いに結合していることを示す。両辺を質量で割り、行列の形にま とめると
d2 dt2
(x y
)
= −
(Vxx/m Vxy/m Vyx/M Vyy/M
) (x y
)
よって、右辺の行列を対角化するような座標変換を見出せば、運動方程 式が分離される。
一般のm ̸= M の場合には、右辺の行列は対称行列ではない。それで も先に進むことは可能だが、次のように変数変換すると対称行列が得ら れて見通しが良くなる。
質量加重座標
座標x, y を、それぞれの質量の平方根でスケールし、 X =√mx, Y =√M y
とする。これを、質量加重座標(mass-weighted coordinate) という。これ により、偏微分は
∂
∂x = dX
dx
∂
∂X =
√m ∂
∂X
となる。∂/∂y についても同様である。よって、例えば Vxy = ∂V
2
∂x∂y =
√mM ∂V
2
∂X∂Y =
√mM VXY
などとなる。これらにより、Newton 方程式は m√1
mX = −mV¨ XX
√1
mX −
√mM VXY
√1 MY M√1
M
Y = −¨ √mM VY X√1mX − MVY Y√1 MY
となるが、これを整理すると
X = −V¨ XXX − VXYY Y = −V¨ Y XX − VY YY
となり、表から質量が消える。これが、質量加重座標を導入する利点で ある。行列で表すと
d2 dt2
(X Y
)
= −
(VXX VXY
VY X VY Y
) (X Y
)
右 辺 の 行 列 を K とおく。この K は実対称行列だから、ある直交行列 O (tO = O−1) により
tOKO =
(λ1 0 0 λ2
)
のように対角化される。固有値をλ1, λ2とした。 この直交行列O により、
( ˜X Y˜
)
=tO (X
Y )
と座標変換する。(O は直交行列なので、これは座標回転である。) これ により、運動方程式は
d2 dt2
( ˜X Y˜
)
= −
(λ1 0 0 λ2
) ( ˜X Y˜
)
となり、 ˜X と ˜Y の運動方程式は分離される。これらは、角振動数√λ1,√λ2
の単振動となる。
補足 Kは実対称行列であるから、固有値λ1, λ2は実数である。しかし、これ らは正とは限らず、負の場合には角振動数
√λ1,√λ2が虚数になってしまう。物
理的には、ポテンシャルV の谷底で展開したときには、λ1, λ2は(なるべくして) 正となる。一方、ある方向に関して山頂になっている、あるいはポテンシャル曲 率が負になっているような、いわゆる「鞍点」で展開したときには、負の固有値 が現れる。このときには、安定な振動とはならず、山を転げ落ちることになる。
1.3. その他の応用例 31
一般化
一般の多次元の場合で、x=t(x1, x2, · · · , xf) とするならば、ポテンシャ ルV (x) の 2 次までの展開は、
V (x) = 1 2
txKx = 1
2
f
∑
i=1 f
∑
j=1
xiKijxj (1.21)
となる。ここで、行列K は
Kij = ∂
2V
∂xi∂xj
で定義される。 Newton 方程式は、
mix¨i = −
∂V
∂xi = −
∑
j
Kijxj (1.22)
となる。miを対角成分とする対角行列をM (Mij = miδij) とすると、 M ¨x= −Kx
と書ける。質量加重座標を
qi =√mixi
で定義する。ベクトルと行列で表すならば、 q = M12x, x= M−12q となる。ここで、M
1 2, M−
1
2 は、それぞれ√mi, 1/√mi を対角成分とす る対角行列である。これにより、運動方程式は
¨
q= (M−12KM−12)q となる。右辺の行列は、行列要素を
(M−12KM−12)ij = √Kij mimj
とする実対称行列である。これを対角化すれば、2 次元の場合と同様に運 動は分離され、固有値の平方根を角振動数とする単振動となる。すなわ
ち、上の行列を対角化する直交行列をO とし、固有値を λ1, λ2, · · · , λf と すると、
Q=tOq で定義される座標Qiの運動方程式は
Q¨i = −λiQi
となり、各Qi(t) の運動は角振動数√λiの単振動となる。また、Qiを「基 準振動座標」と呼ぶ。
補足 一般に、多原子分子の全自由度を考慮してHessian行列を対角化すると、 ゼロ固有値が6つまたは5つ出る。前者は非直線分子、後者は直線分子の場合で ある。これらは、分子全体としての3つの並進運動と、3つまたは2つの回転運 動に対応する。実際の計算では、数値的な誤差が混入することを避けるために、 分子全体の並進と回転を取り除く手法が開発されている。例えば、結合長や結 合角といった「分子内部座標」を用いたり、射影演算子の方法と呼ばれるものを 用いる。
1.3. その他の応用例 33
1.3.2 多次元の Gauss 積分
1 次元の Gauss 積分
∫ ∞
−∞
exp (
−12ax2 )
dx =√ 2π a を多次元に拡張した
I =
∫ ∞
−∞· · ·
∫ ∞
−∞
exp (
−12txAx )
dx
=
∫ ∞
−∞· · ·
∫ ∞
−∞
exp (
−12
n
∑
i,j
xiAijxj
)
dx1· · · dxn
を考える。ただし、行列A は実対称で、固有値は全て正とする。
仮にA が対角行列であったならば、座標毎の積分の積に分解される。 Aij = aiδij ⇒ I =
n
∏
i=1
∫ ∞
−∞
exp (
−12aix2i
) dxi =
n
∏
i=1
√ 2π ai
これより、A が一般の実対称行列である場合も、これを対角化すればよ いことが示唆される。A を対角化する直交行列を O とし、
tOAO = Λ = diag(λi)
とする。y=tOx によって積分変数も変換する。|tO| = ±1 (定理 1.10) な ので、この変数変換のJacobian は 1 である。以上より、
I =
∫ ∞
−∞· · ·
∫ ∞
−∞
exp (
−12tyΛy )
dy =
n
∏
i=1
√ 2π λi
= (2π)
n/2
|A|1/2 となる。最後の等号で、定理1.11 (|A| =∏ λi) を使った。
Gauss 積分の応用例は広範に及ぶ。これは、調和近似の有用性による。 また、統計力学を始めとする統計的解析においても、正規分布の期待値 計算にGauss 積分が現れる。正規分布の普遍性は、「中心極限定理」によ る。これらについては、第8 章で議論する。
補足 Gauss積分の例として、古典統計力学における分配関数の計算を簡単に
紹介する。
Z = C
∫
dq dp e−H(q,p)/kBT
Planck (プランク)定数をh、系の自由度数をf としたとき、Cは1/hf の因子 を含む定数係数であるが、今の議論では重要でない。(以下執筆中)
1.3.3 行列の関数
常微分方程式を議論する第3 章で、行列の指数関数を考えることにな る。その定義は、実数変数x に関する指数関数の羃級数展開
ex = 1 + x + x
2
2 + x3
3! + · · · =
∞
∑
n=0
xn n! と同様に、
✓ ✏
定義 1.7 行列 A に対して eA= I + A + A
2
2 + A3
3! + · · · =
∞
∑
n=0
An
n! (1.23) によってexp(A) を定義する。
✒ ✑
例 1.5 A = [a 0
0 b ]
のとき、An=
[an 0 0 bn
]
であるから、
eA=
∞
∑
n=0
an n! 0 0
∞
∑
n=0
bn n!
=
[ea 0 0 eb
]
練習問題 A =
[ 0 t
−t 0 ]
のとき、eAを求めよ。
対角化の利用
上の例のように、Anが一般的に容易に求められる場合はむしろ稀であ る。しかし、
T−1AT = diag(λi) ≡ Λ
のようにA が対角化可能な場合には、Λn= diag(λni) を活用できて、 A = T ΛT−1
A2 = (T ΛT−1)(T ΛT−1) = T Λ2T−1 = T diag(λ2i) T−1
1.4. 補遺 35
同様に考えれば、一般にAn= T diag(λni) T−1 となるので、 eA= T
( ∞
∑
n=0
diag(λni) n!
)
T−1 = T diag(eλi) T−1
のように計算される。
1.4 補遺
本章では、実対称行列の固有値問題に主題を絞った。本節では、Hermite 行列(1.4.1 節)、H¨uckel 分子軌道法 (1.4.2 節)、Slater 行列式 (1.4.3 節) に ついて要点を補足する。
1.4.1 Hermite 行列
Hermite 行列は実対称行列を複素数に拡張したものに相当する。直交行 列を複素数に拡張したものは、ユニタリ(unitary) 行列と呼ばれる。
✓ ✏
定義 1.8 行列 A を転置し、複素共役をとったものを、行列 A の随伴ま たは共役転置またはHermite 共役と呼び、A†と記す。
A†= (tA)∗ (1.24)
✒ ✑
例えば、
[1 + 2i 3 + 4i 5 + 6i 7 + 8i
]†
=
[1 − 2i 5 − 6i 3 − 4i 7 − 8i ]
である。✓ ✏
定義 1.9 特に、Hermite 共役が自身と等しい、すなわち A†= A
となるものを、Hermite 行列または自己共役行列または自己随伴行 列という。
✒ ✑
Hermite 行列の対角成分は、A∗nn = Annとなるので実数である。また、 非対角成分はA∗nm= Amnのように互いに複素共役となる。例えば、
[ a b + ci b − ci d
]
はHermite 行列である。
✓ ✏
定義 1.10 ユニタリ (unitary) 行列とは、それに含まれる (複素) 列ベ クトルが互いに直交し、かつノルム(長さ) が 1 であるものを言う。
✒ ✑
例えば、
√1 2
[1 i i 1 ]
, √1 2
[1 i 1 −i
]
はユニタリ行列である。
練習問題 実対称行列の場合を参考にしながら、以下の定理1.15–1.21 を 証明せよ。(定理 1.19 は省略してよい。)
定理 1.15 ユニタリ行列 U は、その随伴 (共役転置) が逆行列となる。 U†= U−1
定理 1.16 H を n 次の Hermite 行列とするとき、任意の n 次ベクトル u, v につき、次式が成り立つ。
(Hu, v) = (u, Hv) 定理 1.17 Hermite 行列の固有値は実数である。
定理 1.18 Hermite 行列の異なる固有値に対応する固有ベクトルは直交 する。
定理 1.19 Hermite 行列はユニタリ行列により対角化される。 定理 1.20 Hermite 行列の行列式は、その固有値の積に等しい。 定理 1.21 Hermite 行列の対角和は、その固有値の和に等しい。
✓まとめ ✏
• 転置により不変 = 対称行列
• 転置が逆行列となる = 直交行列
• 共役転置により不変 = Hermite 行列
• 共役転置が逆行列となる = ユニタリ行列
✒ ✑
1.4. 補遺 37
1.4.2 H¨ uckel 分子軌道法
単純LCAO-MO 法
分子軌道法の中で最も標準的に用いられるLCAO-MO 法∗では、分子 軌道ψ(r) を原子軌道の組 φi(r) (i = 1, 2, · · · ) の線形結合で近似する。
ψ(r) = ∑
i
ciφi(r)
この分子軌道を占める一電子のエネルギー期待値は E = ⟨ψ| ˆH|ψ⟩
⟨ψ|ψ⟩
と書ける。ここで、 ˆH は有効一電子 Hamiltonian 演算子†であり、
⟨ψ| ˆH|ψ⟩ =
∫
ψ∗(r) ˆHψ(r)dr
である。⟨ψ|ψ⟩ は、上式で ˆH を 1 で置き換える。
分子軌道係数{ci} は、エネルギー期待値を最小にするという変分条件
∂E
∂ci = 0 (i = 1, 2, · · · )
により決定される。計算して整理すれば、この条件は、
(H − ES)c = 0 (1.25) となる。ただし、H は Hamiltonian 行列、S は重なり行列と呼ばれ、行列 要素は原子軌道による積分
Hij = ⟨φi| ˆH|φj⟩, Sij = ⟨φi|φj⟩
である。c は、分子軌道係数 ciからなる縦ベクトルである。
∗Linear Combination of Atomic Orbitals - Molecular Orbitals
†多電子の効果を平均場として取り入れた一電子に関する有効Hamiltonian 演算子。 ここでは、その積分を計算せずにパラメータとしてしまうので、詳細は必要ない。
H¨uckel 法
共役炭化水素分子を扱うH¨uckel 法では、次の近似を導入する。 H¨uckel 法
✓ ✏
• 原子軌道 φiとして、炭素の2pz軌道を用いる。(z 方向は共役炭
化水素分子の面外方向とする。)
• Hamiltonian 行列の対角要素は全て共通のパラメータ (α とする) で置き換える。
• Hamiltonian 行列の非対角要素は、隣接する炭素間に相当する ものは共通のパラメータβ で置き換える。それ以外の行列要素 はゼロとする。
• 重なり行列は単位行列で置き換える。
✒ ✑
例えば、エチレンおよびブタジエンの場合はそれぞれ
H =
(α β β α
)
, H =
α β 0 0 β α β 0 0 β α β 0 0 β α
となる。
特 に 、重 な り 行 列 を 単 位 行 列 で 置 き 換 え た こ と に よ り、式 (1.25) は Hamiltonian 行列の固有値問題になる。
Hc = Ec (1.26)
これがc ̸= 0 なる解を持つ条件がいわゆる永年方程式
|H − E I| = 0
で、この解が分子軌道エネルギーE を与える。I は単位行列である。E の 各々の解につき、式(1.26) から分子軌道係数 c を決定する。
1.4.3 Slater 行列式
自然を構成する素粒子は、Fermi 粒子と Bose 粒子に分類される。化学 との関連では、前者の代表は電子、後者の代表は光子である。物質を構成
1.4. 補遺 39
するのはFermi 粒子であり、それらの間の相互作用を Bose 粒子が担う。 これらの区別は、スピン量子数が半奇数(Fermi) か整数 (Bose) かによる。 もう一つの区別は、次に述べる「Pauli の原理」によるもので、波動関数 の粒子交換に関する対称性による。
Pauli の原理
電子交換に関する波動関数の反対称性。
Pauli 禁制則
一電子軌道近似、Slater 行列式、スピン軌道の一致を禁制。
Ψ(1, 2, · · · , N) = √1 N !
φ1(1) φ2(1) · · · φN(1) φ1(2) φ2(2) · · · φN(2)
· · ·
· · ·
φ1(N ) φ2(N ) · · · φN(N )