− 20 − インド洋大津波 2004年12月26日、スマトラ沖大地 震によるインド洋大津波が発生した。翌27日早朝、テ
レビの臨時ニュースは大地震の速報を伝えてきた。死 者・行方不明者や被害の情報は錯綜し、状況ははっき りしなかった。が、直後に映し出された映像は私を驚 かせた。2か月前、私が宿泊していたペナン島ジョー
ジタウン北端のE&Oホテルの、その北庭に波が襲来 する光景であった。数日の間に伝えられてきた情報を 総合すると、ペナン島では60名余の死者が出たらしい が、インドネシア・スマトラ島の西北端アチェ、タイ
のリゾート地プーケットでは数万の死者・行方不明者 が出たという。ここ数年、何度も往来してきたベンガ ル湾沿岸域は壊滅状態ではないか。2月に入って、ペ ナンの町おこし運動に取り組むNPO「ペナン・ヘリ
テイジ・トラスト(PHT)」の主要メンバーN氏から、 アチェ町並み復旧の緊急支援要請がメールで送られて きた。日本の町おこし運動を行っているNPOのメン バーと相談した後、2月23日ペナンへ飛んだ。ペナン
の被害は幸い軽微であったが、アチェの状況は、マレ ーシアでは正確に把握できないほど甚大であった。 さて、地震とくに「津波」による人的災害を大きく
したものは何か。ペナン博物館のミュージアムショッ プ店主ピーター =フイ氏によれば、ペナン最大の災害 は「tsunami が何であるか知らずに、面白がって見物 しに行って押し流された数十人の子どもたちだ」とい
う。この言葉を裏づける状況は、タイやインドネシア、 南インド、スリランカでも報道されている。「津波」 という現象が正確に理解されなかった、この現象を示 す言葉がなかったという。つまり、tsunami 情報の伝
達よりも Tsunami を示す概念がないのである。
インドの「地震」・「津波」表現 一体、インドや東南 アジアでは、「津波」や「地震」という現象を示す表現・
用語・伝承はあるのだろうか。
インド古典に詳しい同僚S氏は早速調べてくれた。 矢野氏らの研究『占術大集成1』(矢野道雄、杉田瑞 枝訳注、平凡社東洋文庫589、1995、第32章)によれば、
「地震の相」という項に「巨大な地球の内部の水の中 に住んでいる生物によって起こされる」あるいは「大 地の重荷に耐えかねた巨象(ディッグガジャ)の吐息
によって生ずる」「風が風によって打たれて大地に落 ちながら音をたてるという」表現がある。さらに「風 神(ヴァーユ)の地震」「火神(アグニ)の地震」「雷 神(インドラ)の地震」「水神(ヴァルナ)の地震」
の説明が続く。このような宗教古典に詳述された「地 震」という事象の背景には、地球内部の地殻変動によ って生じた「大地鳴動」、あるいは、インド聖地の山岳・ 氷河の崩落・地すべりといった物理的現象の経験があ
ったのではないか。しかし、そうした現象はもっぱら 北インド内陸部の現象で、ベンガル湾に面する南イン ドではなかったのか。私の留学中の1969年であったか、 今回、大津波の被害を受けたチェンナイ市のベンガル
湾に面した大学寮で、一度だけ震度2∼3の地震を経 験した。寮生は地震という現象を理解しなかった。タ ミル語では地震は「ブーミ(大地)ヤディラッチ(揺 れ動く)」。「ブーミ」はサンスクリット語を音写した
タミル語である。地震経験の有無にかかわらず、タミ ル語には一応「地震」の用語・概念はある。津波はど うか。波は「アライ」と表現される。しかし、自然現 象としての津波、大津波という用語はタミル語にはな
い。だから、“tsunami 来襲”と伝えられても、理解 は困難であったに違いない。
マレーシア語の「地震」と「津波」表現 では、マレ ーシア語ではどうか。
やはりサンスクリット語から借用された「大地(ブ ミ)」とマレー語の「揺れ動く(ゲンパ)」が複合した 「ゲンパ・ブミ」が地震を意味する。またオンバ(ク)、
ゲロンバンには「波」の意味があるが、津波、大津波 の意味はない。自然現象とりわけ地殻変動や火山など によって生じた「津波」は経験したとしても、他の類 似現象や、他の表現で理解していたのだろうか。
「スシ、タタミ、カイゼン」といった生活・文化語 としての国際日本語は定着しているが、今般の大災害 をきっかけに、自然現象の脅威を示す国際日本語とし て新たに一つ「Oh Tsunami」が加わるだろう。
南海寄帰内聞伝