− 20 − シンガポール国花のラン 本誌の2005年1月号で、シ ンガポール国花ヴァンダ・ミス・ホアキウムについて ごく簡単にふれた。本号では国花となった経緯につい てもう少し詳しく紹介したい。
シンガポールの目抜き通りオーチャードロードの北 西に総面積47万㎡の国立植物園が広がる。西端を国立 ラン植物園が占め、その一角にヴァンダ・ミス・ホア キウムの由来を記した銘文があり、次のように記され ている。
「ヴァンダ・ミス・ホアキウムは1981年にシンガポー ルの国花に制定された。この花はヴァンダ・フーケリ アナ種とヴァンダ・テレス種との自然交配種であり、 1893年に、ミス・アグネス=ホアキウムがシンガポー ルの自宅庭園で発見した…」。国花はランの一種、ヴァ ンダ属の交配種ヴァンダ・ミス・ホアキウムである。 ランの名は実在のアルメニア人女性、アグネス=ホア キウム(1854.4.7〜1899.7.2)にちなんでいる。 アルメニア人アグネス=ホアキウムが新種ランの「発 見」を公表したのは、シンガポール花博開催の1899年 であった。このランは世界初の珍種と認められ、大会 で最高賞を勝ち取り、「発見者」の名にちなんでヴァ ンダ・ミス・ホアキウムと命名された。
ホアキウム一族のシンガポール アグネス=ホアキウ ムとは一体どのような人物なのか。記録は乏しく断片 的で、その真偽も確認が困難であった。アグネスはシ
ンガポールに定住したアルメニア人3世で、9男2女 の長女として生まれた。父パルシクは1840年頃に南イ ンドのマドラスから移住してきた商人兼代理業者で あった。1845年には、倒産したアルメニア人同朋のア プカー商会を引き継ぎ、アラトーン・アプカー号、ア ララト号、ヒーロー号3隻の貨客船によってカルカッ タ航路を往復していた。彼自身もシンガポールを拠点 に、ペナン、カルカッタ、バタヴィア(ジャカルタ) を頻繁に往来していたようである。その後、カルカッ タを拠点とするリライアンス海上保険会社の代表とな り、また、サイモン=ステファンと共同でステファン &ホアキウム商会を経営していた。
記録に残る限りでは、アルメニア人家族は総じて多 子で、その多くが早世する。アグネス一族も例外では なかった。1852年2月17日に結婚した両親は17年の間 に11人の子をもうけたが、そのうちアグネスの他2、 3人の兄弟のほかは早世している。
ラン論争 熱帯湿潤アジアであるシンガポールの多民 族国家の象徴になぜ、アルメニア人名のランなのか。 多数を占める華人系の住民の間から疑問と批判が生じ た。また自然交配種か人工交配種かという交配論も論 争となった。アルメニア人名の国花を持つ新種ランは、 当初はシンガポール国民の間に必らずしもすんなりと 受け入れられたわけではなく、中国系を中心とした多 民族国家に特有の微妙な民族感情が絡んでいた。国花 制定の1981年、一華人系ジャーナリストは、中国名を 持つランの交配種ヴァンダ・タン・チャイこそが「純 正のシンガポールの子」であり、国花にふさわしいの ではないかと異議を唱えた。しかし同年、ランの専門 家である華人系のテオ氏は『マラヤ ラン学会誌』15 号で「バンダ・ミス・ホアキウムこそがシンガポール 最初の交配種ランであり、シンガポールで最初に登録 された新品種である」と論評し、シンガポール国花に ふさわしいと支持を表明した。
ヴァンダ属ランは、高い湿度と強い日差し、厳しい 暑熱を好み、年間を通じて開花する。なかでもとりわ けヴァンダ・ミス・ホアキウムは、その美しさと強靭さ、 柔軟さ、繁殖力の強さが賞賛されていた。熱帯多民族 国家の象徴として、すでに1947年には、ヴァンダ・ミス・ ホアキウムは新生シンガポール最大の政党である進歩 党(Progressive Party)の党章として認定されていた。 1981年に40種のランの中から国花に選ばれたのは決し て偶然のことではなかったといえる。
南海寄帰内聞伝