の 永
遠 の
難 問
次の 問い に答 えよ
。
な
ぜ
私 は
か
く
も 賢
明
な の
か
な
ぜ
私 は
か
く
も 怜
悧
な の
か
な
ぜ
私 は
か
く
も 良
い
本 を
書
く
の か
ただ し、
「私 がバ カだ から だ」 とい う答 は認 めな い。
「私 が一 個の 運命 だか らだ
」は カン ニン グと みな す。
京
都
大 学
哲
学 研
究
会 会
誌
非
思
想 非
非
思 想
天
vo
l.8
目 次
私た ち京 大人 は、 知を 愛す る者 とし て、 山極 新総 長に 何を 求め るべ きだ ろう か。 村山 洋…
………..……………………...3
リベ ラリ ズム と合 理主 義 谷行 啓…
…………..………..26
自由 と分 配 内海
宙大…
…………..………..31
Haruhi,ThyNameisMass-man
“OrtegayGasset”……………..
…………………………………………………………..35
ゴリ ラの ほう がよ くわ かる
『善 の研 究』 きた ろう…
…………..………41
私 た
ち
京
大
人
は 、
知
を
愛
す
る
者
と し
て 、
山
極
新 総
長
何
を
求 め
る
べ
き
だ
ろ
う か
村
。
山 洋 私は
学問 を誹 謗中 傷す るの では ない
、 有徳 な人 々の 前で 美徳 を弁 護す るの だ。 ル ソー
『学 問芸 術論
』 二〇
一四 年七 月四 日、 総長 選 考会 議に おい て山 極寿 一氏 が 京都 大学 の次 期 総長 に選 出さ れ、 一〇 月よ りそ の任 に就 いた
。こ の総 長選 挙は その はじ めか ら問 題含 みだ った
。と いう のは
、前 総長 の松 本紘 氏を 中心 に矢 継ぎ 早に 行わ れた 大学 改革 の一 環と して 学内 の投 票に よる 総長 選挙 の廃 止が 提案 され
、職 員組 合の 反対 に よっ て 撤回 はさ れ たも の の学 外か ら も候 補 者を 推薦 で きる よう 総長 選考 規定 が改 正さ れ、 この 規程 に基 づい て学 外か ら一 人の 推薦 を受 けた うえ で選 挙が 行わ れた から であ る。 とこ ろで 山極 氏は 二〇 一二‐
三年 に 浮上 した 国際 高 等教 育 院問 題に お いて
、 トッ プダ ウ ンの 改 革に 反対 し
、人 間・ 環境 学研 究 科か ら 国際 高等 教 育院 へ 大規 模な 人 事異 動 を行 うと い う案 の実 現を 止め るこ とに 寄与 した とみ なさ れて いる
。理 学部 学部 長・ 研究 科長 を二 年務 めた だけ で大 学運 営の 経験 の少 ない
「ダ ーク ホー ス」 山極 氏の 選出 には 明ら かに
、一 連の 大学 改革 及び 総長 選挙 の方 針に 対す る反 対票 の影 響が 認め られ る。 山極 氏の 選出 に際 して は、 選挙 間際 に文 学研 究科
・理 学研 究科 学生 有志 に よっ て、 京都 大学 理学 研究 科人 類進 化論 研究 室の 捺印 つき の「 山極 教授 に投 票し ない で」 とい うビ ラが 学内 に大 量に 張ら れ、 物議 をか もし た。 そこ では
「研 究者 とし ての 山極 教授 が京 大の 発展 に不 可欠
」と して
、次 のよ うに 書か れ
てい た。 山極
教授 が京 都大 学の 発展 に最 も貢 献で きる 立場 は、 総長 とい う行 政職 では なく
、研 究職 であ ると 私た ちは 考え ます
。教 授は
、講 義や ゼミ 等を 通し て、 学生 に熱 心な 教育
・研 究指 導を 直接 行っ てい ます
。教 授の その よう な 姿は
、多 くの 大学 院生
・若 手研 究者 にと って
、強 い刺 激と なっ てい ます
。山 極教 授が 総長 にな り、 研究 職を 解か れて しま うと
、指 導学 生を はじ め、 若手 研究 者が 現在 の研 究環 境を 失い かね ませ ん。 研究 者を 目指 す学 生も 減っ て しま うで しょ う。 山極
氏自 身も 京都 大学 新聞 への イン タビ ュー で、 準備 期間 もな く総 長に さ せら れる のは 非常 に遺 憾で ある と述 べて いる
。最 初は 総長 選へ の所 信表 明を 書く こと を断 るつ もり だっ たら しい
。だ が、 学内 の予 備投 票で 二位 にな り、 周 囲か らの 強い 働き かけ を受 けて
、考 えを 変え たの だと いう
。 それ では 私た ち京 大人 は、 いっ たい 山極 新総 長に 何を 求め るの だろ うか
。 もち ろん
、前 執行 部に 対す る批 判と いう 観点 から は、 山極 氏が 選出 され た時 点で 既に 目的 は果 たさ れた とも 言え るの かも しれ ない
。し かし
、も とも とそ のつ もり がな かっ た山 極氏 を無 理や り総 長に 仕立 てた から には
、や はり これ から どう して 欲し いか とい う要 求を 続け るこ とが
、筋 であ り義 理で あり 責任 であ ると 思わ れる
。私 はも ちろ ん一 学生 であ り、 並み 居る 教職 員の 方々 とは 違っ て発 言権 もな けれ ば利 害得 失も ほぼ 皆無 とい って よい
。そ れで あれ ばこ そ、 私は 学部 研究 科の 利害 とか 自身 の地 位経 歴と か京 都大 学の 将来 とか
、そ うい うみ みっ ちい こと は抜 きに
、純 粋に 知を 愛す る者 とし て山 極氏 への 提言 をし てみ よう とい う道 楽に
、う つつ をぬ かす つも りに もな った ので ある
。
山極 氏の 専門 はゴ リラ の生 態で あり
、広 くは サル 学で ある
。日 本の サル 学
(
霊長 類学)
の栄 光あ る伝 統は
、今 西錦
司、 伊谷 純一 郎、 河合 雅雄 とい った ビッ グネ ーム で知 られ る。 山極 氏も 伊谷 の薫 陶を 受け て研 究を スタ ート した
。そ こで 私は
、ま ず日 本の サル 学の 前史 から 話を 起こ すこ とに しよ う。 生物 社会 のフ ィー ルド ワー カー たち にと って
、最 大の 金字 塔は 何を 措い て もダ ーウ ィン の『 種の 起原
』( 一八 五九 年) であ
る。 ちな みに マル クス の『 資本 論』 は一 八六 八年
。自 らの 政治 理論 は進 化論 をも とに 社会 主義 の必 然的 到来 を予 言し てい ると 考え たマ ルク スた ちは ダー ウィ ンに も著 書を 送っ たの だが もち ろん ダー ウィ ンは 読ま なか った
。と いう のは どう でも よく て、 どち らの 著書 もイ ギリ スと いう
、産 業革 命を 世界 に先 駆け た「 太陽 の沈 まぬ
」巨 大な 帝 国主 義国 家を 背景 とし てい るこ とは 押さ えて おい てよ いだ ろう
。ダ ーウ ィン の 乗っ た 一八 三 一年 のビ ー グル 号 の航 海か ら 海洋 学 の基 礎を つ くっ た 一八 七二‐
七六 年の チャ レン ジャ ー号 の航 海ま で、 多く の植 民地 を獲 得し たイ ギ リス は国 策と して 自然 地理 の様 々な 調査 を行 った
。ま た同 時に
、自 国を
「世 界 の工 場」 とし たイ ギリ スだ った から こそ
、児 童労 働に 代表 され る資 本主 義社 会の 様々 な矛 盾が 現れ たの であ る。 とこ ろで イギ リス に次 ぐ帝 国主 義国 家フ ラン スで も、
「社 会」 への 学術 的関 心が 高ま って いた
。デ ュル ケー ムは 社会 学と いう 分野 の創 立に 力を 尽し たこ とで 知ら れる が、 その 前任 のエ スピ ナス は、 すで に蓄 積さ れて いた 様々 な博 物 学の 知 見を ア リス トテ レ ス的 な 目的 論の も とに 統 合す るべ く
『動 物 社会 論』( 一八 七七 年) を著 した
。こ の『 動物 社会
論』 を今 西は
「生 物社 会学 の古 典」 とし て評 価し てい る。 しか し今 西に よる と、 動物 の社 会を 探究 しよ うと いう 試み は「 擬人 主義 の排 除」 の運 動に よっ て途 絶し た。 これ はど うい うこ とだ ろう か。 ヒト がサ ルか ら進 化し たと いう 知見 は大 き
な議 論を 呼び
、ハ クス リー は類 人猿 誌や 古人 骨に 基づ いた
『自 然界 にお ける 人間 の位 置』( 一八 六三 年) を発 表し てダ ーウ ィン を擁 護し た。 以降
、「 人類 学」 は二 つの 方向 に分 岐す るi
。一 つは 社会 が人 間を 人間 たら しめ てい ると して そ の起 源を 明ら かに しよ うと する 文化 人類 学、 一つ は自 然界 にお いて サル から の進 化を たど って ヒト の起 原を 明ら かに しよ うと する 自然 人類 学で ある
。そ して 後者 にお いて
、自 然科 学の 方法 論を 徹底 する ため には 目的
・意 図・ 感情 とい った 人間 に当 ては まる 表現 を極 力排 除し
、あ くま でモ ノと して の客 観性 に徹 する 必要 があ ると 考え られ た。 この
「擬 人主 義の 排除
」の ため に、 本能 的 な行 動以 外の 文脈 で「 動物 社会
」が 研究 され るこ とは なく なっ たと 今西 は言 う。 文化 人類 学で は、 デュ ルケ ーム やそ の甥 モー スか ら大 きな 影響 を受 けた レ ヴィ
= スト ロー ス が、 原 始的 な文 化 にお け る親 族の 体 系的 な 分析 を行 っ た
『親 族の 基本 構造
』( 一九 四六 年) を著 した
。自 然人 類学 では
、ア ウス トラ ロピ テク ス・ アフ リカ ヌス の化 石を 発見 した ダー ト、 心理 学の 観点 から 類人 猿に 注目 した ヤー キス
、そ のも とで 生態 調査 を行 った カー ペン ター らが いた が、 第二 次世 界大 戦で 研究 は中 断さ れた よう だ。 そし て戦 後、 いち 早く 類人 猿の 研究 に向 かっ たの が、 今西 をは じめ とす る日 本の 動物 学者 であ る。 河合 によ れば
、戦 争を 通じ て、 人間 の起 原を 根本 的に 問い 直そ うと いう 機運 が生 まれ たの だと いう
。今 西は サル 学の 先鞭 をつ けた
「人 間以 前の 社会
」( 一九 五一 年) で、 擬人 主義 の排 除は 類人 猿の 社会 を研 究す る道 を閉 ざし たの では ない かと して
、こ う述 べて いる
。 擬人
主義 の追 放が もた らし た、 エス ピナ スの 不幸 には
、し かし
、も っと 深 い、 本質 的な もの があ った
。そ れは なに
か。 それ は、 この 追放 を断 行し た勝
利者 たち の眼 に、 動物 に社 会を 認め たり
、そ の社 会生 活を 論じ たり する こ とも
、ま た一 つの 明瞭 な擬 人主 義と して 映っ てい たと いう こと であ る。 動 物に も、 われ われ 人間 のご とき 精神 があ るか ない か、 とい った よう な思 弁 は、 自然 科学 とし ての 動物 学に とっ ては
、一 顧の 価値 もな い、 と考 える この 人た ちの 立場 から すれ ば、 動物 にも 社会 があ るか ない か、 と問 うこ とは
、こ れと 同じ よう に、 自然 科学 者に は無 用な 思弁 でな けれ ばな らな かっ たろ う。
(
今西1
975a,pp.12-3)
だが
、社 会は 所属 する 個体 に対 して 利益
・目 的・ 価値 を持 つ、 と今 西は 考 える
。こ れら は、 社会 を抜 きに 個体 だけ を考 えて いて は扱 うこ とが でき ない
。 もち ろん
、擬 人主 義に よっ て科 学の 客観 性が 損な われ ては なら ない
。し かし
、 ヒト 以外 の生 物 に対 し ても 社会 を 認め
、 その 社会 が 個体 に 与え る利 益
・目 的・ 価値 を論 ずる
「客 観主 義の 社会 観」 はあ りう るは ずだ
。 伊谷
、河 合、 そし て山 極氏 も異 口同 音に
、キ リス ト教 は人 間と 動物 をは っき り分 ける が、 日本 は草 木国 土悉 皆成 仏、 動物 と人 間の 連続 性を 考え るこ とに 抵抗 がな かっ たの だと 述べ てい る。 しか し、 学問 の立 場に 宗教 的な 理由 を安 易に 持ち 込ん でい いの だろ うか
。少 なく とも 仏教 徒で はな い私 は少 々異 なる 考え を持 って いる
。 誰で も名 前だ け知 って いる カン トは
、も ちろ ん名 前だ けを 残し たの では な い。
「人 倫の 形而 上学 の基 礎づ け」( 一七 八五 年) の冒 頭で
、自 然の 研究 と人 間 の研 究と の相 違を 考察 して いる
。す なわ ち「 自然 的法 則は
、そ れに 従っ てす べ てが 起こ って いる とい う法 則で ある
。人 倫的 法則 は、 それ に従 って すべ てが 起こ るべ きで ある とい う法 則で ある が、 時に は起 こら ない こと があ ると いう 条件 も考 慮さ れて いる
」。 分け られ てい るの は人 間と 動物 では なく
、倫 理と 自
然で ある
。デ カル トの 機械 論の ころ から
、人 間を 自然 の一 部と して 研究 する こと が行 われ てき た。 そし てそ の場 合に は、 デカ ルト の心 身二 元論 にも 見え るよ うに
、心
・道 徳・ 倫理 を系 統的 に研 究か ら排 除す るの であ る。 こう 理解 する と、
「擬 人主 義の 排除
」に もう 少し 別の 見方 がで きる
。「 自然 界に おけ る 人間 の位 置」 を定 める ため には
、人 間を 含む サル 類に つい て、 研究 から 倫理 的 側面 を排 除し なけ れば なら ない
。同 時に
、倫 理的 な存 在で ある 人間 に限 定し て心
・道 徳・ 倫理 が論 じら れな けれ ばな らず
、社 会や 目的 や価 値の 問題 はこ の範 疇に 入る と考 えら れた ので はな いだ ろう か。 なお
、カ ント はさ らに 踏み 込ん で次 のよ うに 論じ る。 法則
とい うも のは
、そ れが 道徳 的に 妥当 する べき であ るな らば
、つ まり
、 責任 の根 拠と して 妥当 する べき であ るな らば
、絶 対的 な必 然性 を伴 わな け れば なら ない
。例 えば
、嘘 をつ いて はい けな
い、 とい う命 令は
、決 して 人間 にだ け妥 当す るも ので はな い。 もっ とも
、他 の理 性的 存在 者は その 命令 を 気に かけ るま でも ない であ ろう
。( カン ト2
000,pp.7-8)
どう して ここ まで 言い 切る かと いう と、 経験 的な 人間 学に 依存 しな い「 人 倫を 正し く評 価す るた めの 指針
」と して の絶 対的 な法 則が なけ れば
、「 人倫 そ のも のが どん な種 類の 堕落 にも 陥り かね ない から であ る」
。他 の理 性的 存在 者と して カン トは 神し か考 えな かっ たよ うだ
が、 なか なか 徹底 して いるii
。日 本の サル 学も
、嘘 をつ いた サル を罰 する つも りは なか った だろ う。 残念 なが ら、 人倫 の法 則と 自然 の法 則を 区別 しな いこ との 弊害 が山 極氏 の家 族論 に顕 著に 現れ てし まっ てい る。 近著
の『 サル 化す る人 間社
会』 では
「サ ル化 する べ きで はな い」 とい う規 範的 な言 明を した いの か、 誰が 何と いお うと
「サ ル化 し
てい る」 とい う事 実を 述べ てい るの か、 よく わか らな い。 もち ろん 常識 人は よ くわ かっ てい る、 そん なこ とを ぐち ゃぐ ちゃ 言っ ても 仕方 ない ので ある
。自 然科 学の 社会 的影 響は その 程度 なの だか ら。 私は 何 も、 山極 氏を 威圧 した くて カ ント を持 ちだ し たの では ない(
京大 総 長の 権 威で カン トを 威圧 した かっ た わけ でも ない)
。人 間の 社会 を考 察す る ため には いか なる 前提 を踏 まえ る必 要が ある かに つい て、 山極 氏に 幾ば くか の提 言を した いの であ る。 日本 のサ ル学 では
、家 族の 成立 がヒ トと 他の サル 分岐 点に なっ たの では ない かと いう 観点 から
、類 人猿 の進 化の 中に 家族 を位 置づ ける 試み がな され てき た。 それ をま とめ たも のが 山極 氏の
『家 族進 化論
』
(
二〇 一二 年) であ る。 しか し、 この 著書 には 二つ の致 命的 な問 題が ある よう に私 には 思わ れる
。第 一は
「イ ンセ スト
」の 概念 があ いま いな こと であ
り、 第 二は ヒト 社会 のフ ィー ルド ワー クが 欠如 して いる こと であ る。 まず
、人 間社 会に おけ るイ ンセ スト
・タ ブー の問 題に つい て論 じよ う。 イ ンセ スト とは 近親 相姦 のこ とで ある
。な ぜこ れが 大切 なの かと いう と、 夫と 妻 以外 の 性交 渉 を禁 じる こ とに よ って 成立 す る集 団 とし て家 族 を定 義 でき るか らで ある
。こ の問 題に つい て参 照す べき 基礎 文献 はレ ヴィ
=ス トロ ース の『 親族 の基 本構 造』 のよ うだ
。と ころ が、 今西
、伊 谷、 河合
、そ して 山極 氏も この 著書 の主 張を 正し く理 解し てい ない
。も ちろ ん、 この 本を 理解 しな けれ ばサ ル学 の研 究が でき ない とい うわ けで はな い。 しか し、 四者 とも
『親 族の 基 本構 造』 を否 定的 に紹 介し てい るiii
。レ ヴィ 氏の 名誉 のた めに も、 私の 理解 す る限 りで 反論 を企 てて おく のは 無駄 では ない だろ う。 レヴ ィ= スト ロー スが 扱っ てい るの は、
「血 縁関 係と いう 自然 的事 実」 では なく
「婚 姻関 係と いう 文化 的事 実」 であ る。 山極 氏は 両者 の区 別を 認め ない だ ろう が、 レヴ ィ氏 には レヴ ィ氏 なり に、 両者 の相 違を 認め るべ き論 拠が ある
のだ とい うこ とを 理解 する こと も大 切で ある
。さ て、 しか
し「 文化 的事 実」 な るも のを いっ たい どう 考え たら いい のだ ろう か。 レヴ ィ= スト ロー スは 言語 との 類比 を強 調し てい る。 例え
ば「 犬」 とい う文 字を 考え よう
。日 本語 を母 語 とす るも のな ら、 この よく わか らな い模 様か ら四 本足 のイ ヌ科 の動 物を 対応 づけ るこ とが でき る。 しか し、
「犬
」と いう 模様 に対 応づ けの 根拠 があ るわ け では ない
。こ のよ うな 関係 を「 恣意 性」 とい う。 だが
、恣 意的
、つ まり 人間 が勝 手に 設定 した 規則 では ある けれ ども
、犬 とい うコ トバ は私 たち の認 知に も行 動に も大 きな 影響 をも って いて
、い まさ ら自 由に 変更 する とい うわ けに もい かな い。 この よう なも のを 総じ て「 文化 的事 実」 とい うこ とに しよ う( この 定 義を 人間 だけ に当 ては める 必要 はな いこ とに 注意)
。 レヴ ィ= スト ロー スの 取り 組ん だ問 題で 一番 わか りや すい と思 われ るの は
「交 叉イ トコ と並 行イ トコ の区 別」 と「 母方 のオ ジの 重要 性」 であ る( カタ カナ の表 記は
、年 長か 年少 かを 区別 しな いた め)
。交 叉イ トコ 婚と は母 方の オジ 娘 と結 婚す るこ と、 並行 イト コ婚 とは 父方 のオ ジの 娘と 結婚 する ことiv
で、 一般 に交 叉イ トコ 婚が 推奨 され
、並 行イ トコ 婚は 近親 婚と して 禁じ られ る。 この 二つ の現 象は プリ ミテ ィブ な社 会に かな り普 遍的 に見 出せ ると
、レ ヴィ
=ス トロ ース は主 張し てい る。 現代 の日 本社 会で は実 感を 持ち にく いが
、「 交叉 い とこ 婚」 は広 辞苑 に載 って いる ので
、比 較的 近年 まで 日本 社会 でも 意味 を持 って いた のか もし れな い。
「母 方の オジ
」は
、「 男は つら いよ
」に おけ る寅 さん と満 男の 関係 であ る( 私は 観た こと がな い)
。 問題 はこ うで ある
。交 叉イ トコ も並 行イ トコ も、 どち らも イト コで ある の で血 縁関 係は 同じ であ る。 にも かか わら ず、 なぜ 両者 は厳 格に 区別 され るの か。 また
、母 方の オジ と親 しい 場合 は父 と疎 遠で あり
、父 と親 しい 場合 は母 方 のオ ジと 疎遠 にな る( 寅さ んと 満男 の関 係は 前者)
。両 方と 仲良 くし ても 両方
を嫌 って もよ さそ うな もの なの に、 なぜ この よう な対 応に 分か れる のか
。 まず
、女 はそ の父 に「 所有
」さ れて おり
、男 が女 を嫁 に「 取る
」と きに はそ の女 を「 所有
」し てい る男 から
「譲 り受
け」 なけ れば なら ない
、と いう こと を原 則 とす
る。 理屈 では 男が その 母に
「所
有」 され てい ても いい はず だが
、経 験的 に その よう なこ とは ない
。こ れは
、プ リミ ティ ブな 社会 では 女の 方が 貴重 なの だと レ ヴィ
=ス トロ ース は解 釈し て いる よう だ( 京大 でも 身に つ まさ れる 話 であ る)
。こ の原 則は 父系 の社 会で も母 系の 社会 でも 同じ であ る( 父系 か母 系 かは 婚姻 型に はか かわ らな いよ うだ)
。 さて
、親 族の 中の 基本 的な 関係 は、
「夫 と妻
」と
「父 と子
」で ある
。こ れに 対 応し て、
「兄 弟と 姉妹
」と
「母 方の オジ とオ イ」 の関 係が ある
。つ まり
「結 婚」 と は、 ある 男の 娘が 別の 男の 息子 の「 姉妹
」と なる こと であ る(
「息
子」 とは 兄妹 ある いは 姉弟 の子 であ る)
。そ こで
、並 行イ トコ は兄 妹あ るい は姉 弟の 子ど も 同士 のイ ンセ スト にな る。 交叉 イト コは 別の 男の 娘を もら うこ とに なる
。ま た、
「夫 と妻
」の 関係 は「 兄弟 と姉 妹」 に等 しく
、「 父と 子」 の関 係は
「母 方の オ ジと オイ
」に 等し いの だか ら、 両者 に対 応が ある のは 当然 であ る。 まと める と、 男は
、自 らの 娘を 失い
、息 子の 妻を 得る こと で、 均衡 を回 復す るv
。 しか し、 娘と 息子 がい つも 同数 生ま れる わけ では ない し、 いつ も同 じ年 に 生ま れる わけ でも ない
。そ こで
、均 衡の 回復 を次 のよ うに 考え 直そ う。 なる ほ ど一 世代 で均 衡を 実現 する こと は不 可能 であ る。 そし て幾 世代 にも わた る均 衡の ため には
、借 りと 貸し の考 え方 が必 要で ある
。あ る男 が多 くの 女を 貰い 受け たな らば
、ど こか の男 は多 くの 女を 与え たは ずで ある
。妻 をめ とっ た男 にと って
、妻 とは 父の 借り ある いは 貸し であ る。 次の 世代 は、 この 貸し 借り を 引き 継ぐ ため に、 必ず 娘を 誰か 他の 男に 与え なけ れば なら ない し、 必ず 息子 を結 婚さ せな けれ ばな らな い。 以下 同様 であ り、 この 無限 の交 換の 結果 とし
て、 均衡 が回 復さ れる
。同 じこ とだ
が、 均衡 の回 復と いう 目的 のた めに
、義 務 とし て婚 姻規 則が 課さ れる
。 レヴ ィ= スト ロー スは
、プ リミ ティ ブな 社会 の多 くに 見ら れる 興味 深い 事 実と して
、独 身者 が社 会の 正規 のメ ンバ ーか ら排 除さ れる こと を挙 げて いる 独身 者は あら ゆる 社会 的な 富や 地位 を失 い、 施し によ って 社会 に寄 生す るし かな い。 妻を 得る こと は私 たち にと って 職を 得る こと にも 相当 する
、そ の社 会で 生き てい くた めの 条件 なの であ る。 だが
、独 身者(
ある いは 多妻 者) の特 別な 地位 も存 在す る。 それ が呪 術師 であ る。 もち ろん
、私 は文 化人 類学 の訓 練 を受 けた わけ では ない ので
、こ れら のこ とが どこ まで 正鵠 を射 てい るの かは わか らな い( 少 々理 が勝 ちす ぎて いる と言 い たく なる のは 分 から ない でも な い。 智に 働け ば角 が立 つの は人 の世 の習 いで ある
。レ ヴィ 氏は 情に 掉さ した くな かっ たの だ)
。 ただ し、 レヴ ィ= スト ロー スの 理論 の「 決定 実験
」と 呼ん でい い事 例が ある それ がオ ース トラ リア のム ルン ギン の親 族体 系で ある
。そ こで は半 族ご とに 四つ の亜 セク ショ ンが ある が、 結婚 相手 にど の亜 セク ショ ンの 婚姻 クラ スを 選ぶ のか が判 然と しな かっ た。 だが
、女 の交 換の サイ クル がど こで 完結 して いる かに 注目 する と、 これ は二 つの 独立 した 交換 の体 系が 組み 合わ さっ た二 元的 なも ので あっ た。 でた らめ に行 われ てい るか と思 われ た婚 姻は
、見 事に 秩序 立っ てい たと いう わけ であ る。 第一 部の 補遺 でア ンド レ・ ヴェ イユ が群 論を 使っ た分 析を 寄せ てい る。 あ る社 会に は複 数の クラ スが あり
、個 人は どれ か一 つの クラ スに 割り 当て られ る。 この 割り 当て
は、 両親 の属 する クラ スに よっ て決 まる
。そ して
、ど のク ラ スの 男が どの クラ スの 女を 妻に する こと がで きる か( これ を婚 姻型 とい う) も 決ま って いる
。こ うす れば
、可 能な 婚姻 全体 を数 え上 げる こと がで きる
。重 要
なこ とは
、ど んな に複 雑に 見え る体 系も
、簡 単な 婚姻 規則 を守 れば 実現 でき るこ とで ある
。そ の婚 姻規 則に どの よう な理 由が ある のか を問 うの は、 ある 四本 足の 動物 にな ぜ「 犬」 の文 字を 当て るの かを 問う のと 同じ くら い無 意味 だろ う。 大切 なの は、 一度 決め られ た規 則を きち んと 守る こと であ る。 これ が 規範 であ る。 イン セス ト・ タブ ーを 犯す とは
、い うな れば
「犬
」の かわ りに
「大
」や
「太
」を あて るよ うな もの であ るvi
。 イ ンセ ス ト・ タ ブー を母 子 の間 で 性行 為が 成 立し な いと いう 意 味に 限 定 する なら
、確 かに サル 社会 では イン セス トが 回避 され る。 しか し、 それ を言 う なら サル に限 らず
、と いう か哺 乳類 に限 らず イン セス トは 回避 され てい るの では ない か。 また
、サ ル社 会で イン セス トが 回避 され てい たと して も、 それ を 規則 とい う「 文化 的事 実」 の中 に持 ち込 んで いる かど うか は別 の問 題で ある
。 なる ほど
、集 団か ら雄 また は雌 がメ イト
・ア ウト(
群れ 落ち)
する のも ひと つ の「 規則
」と 言え よう
。し かし
、こ のよ うな もの を無 制限 に考 えて いく と、 繁 殖期 のイ トヨ の雄 がな わば りを つく ると いう
「規 則」 や、 蜂や 蟻が 社会 を組 織 する
「規 則」 など と区 別が つか なく なる よう に思 われ
る。 そし
て、 ヒト の家 族 も意 思や 規約 や伝 統を 超え た生 物学 的な
「規 則」 なの だと いう のは
、か なり 強 い主 張で ある(
たと えば 養子 縁組 をど う理 解す るの か)
。 この よう な不 毛な 混乱 に落 ち込 むべ きで はな い。 そも そも 今西 が「 人間 以 前の 社会
」で 提出 して いた のは
、「 まだ 動物 であ
り、 一種 のサ ルに 過ぎ なか っ た人 間が
、サ ルと して 到達 した 最後 の段 階が 社会 とし てど のよ うな 段階 であ った か」 とい う問 題だ った
。こ の問 題意 識を
、河 合は
「種 の社 会的 放散
」と い う考 え方 で説 明し てい るvii
。霊 長類 の社 会で は、 単独 社会
、一 雄一 雌、 多雄 多 雌な ど( この 表現 は論 者に よっ て異 なり
、一 雄多 雌、 一夫 多妻
、単 雄複 雌は 同 じだ と思 われ る) の「 社会 型」 を種 ごと に区 別す るこ とが でき る。 これ は、 さま
ざま に社 会を 組織 する 可能 性( 社会 的空 間) の中 から
、進 化の 過程 で一 つの 社 会型 が選 び取 られ てい った(
分節 化さ れた)
結果 とみ なせ る。 霊長 類に おい て
「種 はそ れぞ れ独 自の 社会 型を とっ て放 散」 した(
河合1
992,pp.411-3)
。こ のこ とか らも 分か るよ うに
、日 常生 活で 私た ちが 接す る「 家族
」や 文化 人類 学 の研 究対 象と して の「 家族
」と
、ヒ トの 社会 型と して 仮説 的に 考え られ た「 家 族」 とは まず は分 離し て考 えな けれ ばい けな い。 なお
、環 境と の相 互作 用に よっ て種 に特 有の 社会 が形 成さ れる とい う生 態 学的 なア プロ ーチ との 対比 は押 さえ てお いて いい だろ う。 ふつ う、 動物 が生 息す る( 山、 川、 草原 など の) 生態 環境 を「 ニッ チ」 と呼 ぶ。 しか し、 霊長 類の ほ とん どは 森林 の樹 上と いう ニッ チで 生活 を営 むに もか かわ らず
、そ の中 にす べて の社 会型 が含 まれ る。 霊長 類の 社会 型は 必ず しも ニッ チと 対応 せず
、む しろ ニッ チに 依存 する こと なく 内発 的に 発展 して いく と河 合は 主張 する
。こ の理 由は
、森 林の 樹上 とい う環 境に はじ めて 進出 した 霊長 類に は、 その 適応 の過 程で 大き な可 塑性 が生 じた と考 えら れる から であ るviii
。明 言さ れて いな いが
、「 家族
」は
「種 の社 会的 放散
」と いう 文脈 にお いて
、ヒ トと いう 種に 特徴 的な 社会 型と して 提案 され てい ると 思わ れる
。と すれ ば、 これ はレ ヴィ
=ス トロ ース の「 親族
」概 念と はか なり 異な るも ので ある
。両 者は そも そも 同じ 土 俵に 立っ てい ない
。
『親 族の 基本 構造
』が 難解 なの は、 現代 日本 に親 族の 体系 がほ とん ど残 って いな いか らだ
。し かし
、貨 幣に よる 財・ サー ビス の交 換は 経済 学と いう 巨大 な学 問分 野が 存在 する ほど に体 系立 って いる
。な るほ どプ リミ ティ ブな 社会 では
、貨 幣に よる 財・ サー ビス の交 換は 行わ れな い。 にも かか わら ず、 そこ に は体 系立 った 複雑 な社 会が 存在 しう る。
『野 生の 思考
』の 最後 の章 がフ ラン ス 論壇 で権 勢を 誇っ てい たサ ルト ルへ の批 判と なっ てい るよ うに
、当 時の レヴ
ィ= スト ロー スの 問題 意識 には
「自 文化 中心 主義
」が 学問 に及 んだ 時の 偏狭 さが あっ たの であ る。 論の 委細 は措 いて おい て、 今西 の問 題意 識は 社会 を考 察す る妥 当性 を人 間に 限ろ うと する
「人 間中 心主 義」 が学 問に 及ん だ時 の偏 狭さ であ った
。学 問を する 動機 には 往々 にし てこ のよ うな 政治 的義 憤が 伴う もの であ り、 それ は何 も否 定す べき こと では ない
。ま た、 山極 氏が 今西 の側 に 与す るの も、 サル 学の 同僚 とし て理 解で きる
。た だ私 とし ては
、も う少 しレ ヴ ィ= スト ロー ス の政 治 的主 張を く み取 っ てあ げて も いい の では ない か と思 うし
、山 極氏 が否 定的 に紹 介し てい ると いう だけ で学 友が
『親 族の 基本 構造
』 を読 むの をや める とす れば
、残 念に 思う
。 それ では 第二 の問 題点 にう つろ う。 山極 氏は ヒト 社会 への 考察 が不 足し て いる ため に、 かえ って サル 学の 有効 性を 見失 って いる とい うの が論 点で ある
。 私が 言い たい こと は簡 単で
、ゴ リラ とヒ トの 社会 を比 べる なら ば、 その 他の 条件 をで きる だ け同 じ にし たデ ー タを も とに 論じ る 必要 が ある とい う こと であ る。 山極 氏は ゴリ ラに 対し ては 個体 識別 によ るフ ィー ルド ワー クを 行っ てい るの に、 ヒト 社会 に対 して は印 象論 でも のご とを 論じ てい る。 しか し、 有 効な 比較 を行 うた めに は、 ヒト 社会 でも フィ ール ドワ ーク を行 わな けれ ばい けな いだ ろう
。問 題は ここ から であ る。 ヒト 社会 にお ける フィ ール ドワ ーク とは
、具 体的 には どの よう なこ とだ ろう か。 一つ はゴ リラ に対 して 行っ た方 法を ヒト に対 して も行 うと いう のだ が、 これ はほ とん ど不 可能 だろ う。 ロー ラン ドゴ リラ は二
〇万 頭近 いと はい え、 それ でも フィ ール ドワ ーク はデ ータ の抽 出方 法と し て有 効 だろ うが
、 ヒト で も同 じ方 法 が有 効 とは 思わ れ ない
(
強い て行 えば
、臨 床心 理学 や社 会調 査の よう なも のに なる だろ う)
。し たが って
、サ ル学 は( 少な くと も山 極氏 の専 門に おい ては)
ヒト に対 して 直接 的な 分析 を行 うこ とは でき ない だろ う。
この こと は当 たり 前で
、山 極氏 も強 くは 反論 しな いよ うな 気が する
。し か し、 サル 学の 展開 する 家族 論に つい て、 私は どう して も一 つ指 摘し てお きた いこ とが ある
。お そら くレ ヴィ
=ス トロ ース との 対比 で有 意義 なも のは
、今 西の
「人 間家 族の 起源
」( 一九 六一 年) であ ろう
。今 西の アプ ロー チは
、現 存し てい るサ ル社 会か ら「 人間 にな る直 前の サル
」の 社会 を探 り、 同時 に文 化人 類 学に よっ てい わば
「サ ルで なく なっ た直 後の 人間
」の 社会 を探 ろう
、と いう も ので あっ た。 そし て今 西は
、進 化論 から して 両方 向か らの 結果 は一 致し
、人 間 とサ ルと の連 続性 が示 され る、 とい うよ うに 考え たの では ない かと 思わ れる 今西
が「 人間 家族
」に 着目 した のは
、「 家族
」が すべ ての 人間 社会 に見 出さ れる 普遍 的な 特徴 であ り、 また
「家 族」 こそ 現存 する サル の社 会に は見 いだ せ ない
、人 間社 会に 固有 の特 徴な ので はな いか
、と いう 予感 があ った から であ る。 今西 は家 族が 成立 する ため の四 つの 条件 とし て、(
1) イン セス トが 回避 され る。 (
2) 集団 間に 外婚 制が ある
。( 3) コミ ュニ ティ が形 成さ れる
。( 4) 雌
‐
雄間 に分 業が 成立 するix
。を 挙げ てい る。 これ は文 化人 類学 から 予見 され る もの であ る。 そこ でサ ル社 会の 進化 のパ ター ンか ら、 この 四つ の条 件が いか に満 たさ れる かを 論じ る。 ここ で特 に問 題に なっ たの が「 イン セス トの 回避
」で ある
。レ ヴィ
=ス トロ ース をは じめ
、家 族を 論じ た人 類学 者は 人間 以外 に「 イン セス ト・ タブ ー」 は あり えず
、こ れこ そが 人間 を他 の動 物か ら分 ける もの だと 主張 した
。と ころ で野 生の 哺乳 類を 観察 して も、 親と 子の 間で 性行 為が 成立 する こと はな いだ ろう
。し かし
、家 畜の よう な特 別な 状況 でイ ンセ スト が生 じる なら
、こ れは イ ンセ スト の「 回避
」で ある
。な お、 ここ では イン セス トを 親子 およ び兄 弟姉 妹 の間 で性 行 為が 成立 する(
子を つく る) と いう 意味 に 限定 する( 交 叉イ トコ な どは 考え ない)
。
それ では さら に踏 み込 んで
、い くつ もの 世代 が一 緒に 暮ら す群 れを 考え よ う。 ここ では 親子 や兄 弟姉 妹の 関係 にあ る個 体が 顔を 合わ せ、 性行 為が 可能 であ
る。 にも かか わら ずそ こで イン セス トが 生じ ない 場合
、こ れを
「タ ブー
」 と呼 ぶこ とは でき るだ ろう か。 ここ で、 多く の人 類学 者は
、そ のよ うな 状況 な らイ ンセ スト は生 じる と考 えた よう であ
る。 つま り「 タブ
ー」 とは
、可 能で あ るに もか かわ らず 行わ ない
、と いう こと であ る。 さて
、多 くの 観察 から
、サ ルは 数世 代に わた る群 れを つく るに もか かわ ら ず、 イン セス トは 生じ ない こと がわ かっ た。 一つ は、 若雄 ある いは 雌は 性的 に 成熟 す る前 にそ の群 れを 離脱 し、 単 独生 活を する か
、他 の群 れに 移る( メ イ ト・ アウ ト) 場合 であ
る。 これ は群 れの ルー ルと して
、そ もそ も親 子や 兄弟 姉 妹 が性 的 に成 熟 しな がら 顔 を合 わ せる とい う こと が 起こ らな い とい う こと であ る。 これ はイ ンセ スト の「 回避
」と は言 える が、
「タ ブー
」と は言 いに くい
。 とこ ろが
、餌 付け をし た( メイ ト・ アウ トが 起こ らな い) ニホ ンザ ルの 群れ の 観察 から
、一 親等( 母子)
、二 親等(
兄弟 姉妹
、祖 母と 孫)
、三 親等(
オバ とオ イ) ま では 性行 為が うま く行 われ ず、 射精 に至 るこ とは ほと んど ない こと が明 らか にな った
。さ らに
、血 縁関 係に なく ても 親し い間 柄で は性 行為 が成 立し ない 傾向 があ り、 イン セス トの 回避 もそ の結 果で あろ うと 考え られ た。 これ は明 らか
に、 人類 学の
「イ ンセ スト
・タ ブー
」の 概念 に再 考を 促す
、画 期的 な研 究 であ
る。 少な くと も上 述の 定義 によ れば
、サ ル社 会に
も「 タブ
ー」 を認 める か、 ある いは ヒト 社会(
「人 間に なる 前の サル
」の 社会)
でも イン セス トは 回避 さ れて おり
、人 間社 会で はそ れが
「タ ブー
」と して 言語 化さ れ懲 罰の 対象 とな っ たの だ、 と考 える か、 いず れか であ ろう
。伊 谷は 次の よう に述 べて いる
。 人類
社会 の ユニ ヴァ ー サル
・ カル チュ ア だと さ れて いた 近 親婚 の 禁忌
は、 人間 以前 の段 階に おい てほ ぼ完 璧に 回避 され てい たと いう こと にな ら ざる をえ ない
。…
…
ヒト は、 その とき すで にで きあ がっ てし まっ てい た社 会態 勢に 対し て、 それ をた だ制 度と して 言語 化し たに すぎ なか った ので は ない だろ うか
。( 伊谷1
987,p.253)
しか し
、私 はこ れを もっ て( 少な くと もレ ヴ ィ= スト ロー スの)
イン セ ス ト・ タブ ーの 学説 が破 られ たと は思 わな い。
「制 度と した に過 ぎな い」 とい う よう な言 いか たは 河合 や山 極氏 にも みら れる のだ が、 かえ って その 学問 的価 値を 損な うも のだ と思 う。 例え ば空 を見 上げ て、 なぜ 雲は 落ち てこ ない のか
、 と問 うた とし よう
。そ のと き、
「そ の言 いか たは まる で、 雲に とっ て落 ちる の がタ ブー だ、 と言 って いる かの よう
だ。 ただ 単に
、雲 は落 ちな い、 とい うこ と に過 ぎな い」 と答 えた らど うだ ろう か。 雲は 落ち るべ きで はな いか
?と いう 疑問
は、 決し てゆ えな きも ので はな い( 引力 は雲 にも 働く はず だし
、雨 は落 ち てく る)
。私 たち は本 来は こう 問う べき では ない だろ うか
。「 なぜ 人間 に深 く 根付 いた 本能 が法 によ る強 化を 必要 とす るの か」
。サ ル社 会で イン セス トが 完璧 に回 避さ れて いた とし たら
、む しろ 人間 社会 でこ そイ ンセ スト が起 こっ ても いい ので はな いか
。実 は、 先の 引用 に続 けて
、伊 谷は 次の よう に述 べて い る。
「し かし
、こ のよ うな 姿勢 を身 をも って 守る とい うこ とと
、そ れを 制度 と して 守る とい うこ との 間に は大 きな 違い があ るは ずで ある
」。 これ こそ 真に 学問 的な 洞察 であ
る。 私は
、レ ヴィ
=ス トロ ース の学 説は(
レヴ ィ= スト ロー スの 意に 反し て) まさ にこ
の「 大き な違
い」 を指 摘し たも のと して 理解 すべ き だと 思う
。伊 谷が 採集 した
、ト ング ウェ 族の 興味 深い 民話 を掲 げよ う。 ある
男が
、自 分の 妹と 交わ りた いと 思っ た。 妹は
「人 に知 られ るわ
」と 言
った
。兄 は「 わか るも のか
」と 言っ た。 妹は
「そ れじ ゃあ ちょ っと 待っ て下 さい
」と 言っ
て、 御飯 を炊 き、 それ に鶏 の肉 をま ぜて 森の 中に もっ て行 き、 地面 に穴 を掘 って それ を埋 めて おき
、そ 知ら ぬふ りを して もど って きた
。 翌朝
、人 びと は森 に出 かけ てい った
。人 びと は、 アリ が土 の中 から 飯粒 と鶏 肉を かつ いで 這い のぼ って くる のを 見つ け、 驚い た。 そし て、 土を 掘っ てみ よう とい うこ とに なっ た。 こう して アリ が這 いの ぼっ てく ると ころ を掘 り おこ して みる と、 土の 中か ら御 飯と 鶏肉 が出 てき た。 人び とは
、誰 がい った いこ んな こと をし たの だと 言い あっ た。 とこ ろが 件の 女が
、「 私が 埋め たの です
。も しも 人び とが 知る こと なし に、 これ が腐 って しま うよ うな こと が あれ ば、 私は 兄と 交わ るこ とに 同意 しよ うと 思い まし た」 と言 った
。人 びと は、 彼女 の兄 をつ かま えて 言っ た。
「こ とも あろ うに
、ま るで この 世の 中に 女が 一人 もい なく なっ てし まっ たか のよ うに
、自 分の 妹に 思い を寄 せる と は、 お前 はよ くよ く悪 い奴 だ」
。そ して 男は 棒で たた き殺 して しま った
。( 伊 谷2
008,p.195)
これ は、
「イ ンセ スト
・タ ブー
」と は何 であ るか をよ く教 えて くれ るの では ない
か。 まず
、人 間は サル に反 して
、近 親を 犯そ うと する こと があ
る。 しか し、 それ をし ては いけ ない 理由 は、 それ がま るで
「こ の世 に女 が一 人も いな くな って しま った かの よう
」な 反社 会的 な行 為だ から であ る。 それ を犯 すこ とは
、 文字 通り 万死 に値 する
。レ ヴィ
=ス トロ ース の学 説の
、ま さに お手 本の よう な例 では ない だろ うか
。ト ング ウェ では
、祖 父母 が炉 辺で この 話を 孫た ちに する そう であ る。 彼ら はき っと アリ や鶏 肉に も様 々に 神聖 な意 味を こめ てい るの だろ う、 とい うこ とま で伝 わっ てく る。 私た ちは さら にこ こか
ら、 フロ イト の「 トー テム とタ ブー
」( 一九 一三 年) に
つい ても 穿っ た見 方を する こと がで きる
。フ ロイ トが 述べ てい るの は、 プリ ミテ ィブ な社 会の 思考 様式 と神 経症(
ノイ ロー ゼ) との 相似 性で ある
。ど ちら にも 強く 見出 され るの が、 理由 のな い禁 止と アン ビヴ ァレ ント な価 値観 であ る。 アン ビヴ ァレ ント とは
、禁 じる と同 時に 欲す
る、 愛す ると 同時 に憎 む、 聖 別す ると 同時 に冒 涜す る、 とい った こと であ る。 山極 氏も
、人 間の この 性質 を 洞察 して いる
。「 戦い は究 極の 破壊 であ ると 同時
に、 究極 の愛 でも ある のだ
」 さて
、タ ブー には 理由 が見 いだ せな いこ とを
、フ ロイ トは 反復 強迫 の類 推か ら次 のよ うに 解釈 する
。 やり
たい とい う欲 を誰 もも たな い物 事を
、そ れに もか かわ らず 禁ず る必 要は ない のだ から
、い ずれ にせ よ、 きわ めて 厳格 に禁 じら れる のは 欲の 標 的で ある に違 いな いの であ る。 この 当然 の命 題を われ らが 原始 人に 当て は めて みる
と、 王や 祭司 を殺 し、 イン セス トを 犯し
、死 者を 蹂躙 する こと は、 彼 らに と って きわ め て強 力 な誘 惑な の だと 推 理せ ざる を えな い こと にな ろう
。( フロ イト2
009,p.91)
もは や議 論の 帰結 は明 らか であ る。 サル では なん とい うこ とも なく 回避 さ れる イン セス トを
、人 間は こと もあ ろう に激 しく 欲望 し、 同時 にそ の罪 深さ に苛 まさ れて
、そ れか らよ うや く回 避す ると いう わけ だ。 人間 たる もの
、一 度 くら い近 親に 欲情 して みる もの であ る。 精
神分 析 の経 験に よ って イ ンセ スト 的 交渉 に 対す る生 ま れつ き の嫌 悪と いう もの は仮 定と して まっ たく 成り 立た なく なっ た、 と言 いた い。 精神 分 析の 経験 が教 えた のは
、そ の仮 定と は反 対に
、幼 い人 間の 最初 の性 的う ご
めき はき まっ てイ ンセ スト 的本 性の もの であ るし
、抑 圧さ れた その よう な うご めき は、 のち の神 経症 の原 動力 とし て、 どれ ほど 評価 して もし 過ぎ る こと のな い役 割を 演ず ると いう こと であ る。(
フロ イト2
009,p.159)
しか し、 フロ イト はあ と一 歩及 ばな かっ たの だ。 神経 症に おい て幼 児期 の 性的 暴力 の経 験が 捏造 され るこ とは フロ イト 自身 気づ いて いた こと だが
、よ り根 源的 と見 なし た「 イン セス ト的 本性
」の うご めき さえ 捏造 され たも のだ とし たら どう だろ うか
。幼 児の 最初 の性 的衝 動さ えも 倒錯 から 始ま るほ どに
、 人間 は根 本的 に本 能か ら逸 脱し た存 在だ とし たら どう だろ うか
。サ ルは イン セス トを 嫌悪 も欲 望も せず
、た だ回 避す る。 人間 だけ が嫌 悪し 欲望 し、 タブ ー をつ くり 出す ので ある
。 私た ちは 思い がけ ない とこ ろで フロ イト と握 手す るこ とに なっ たよ うだ
。 私は 現在
、イ ンセ スト
・タ ブー が人 類の 普遍 的な 文化 だと いう よう な言 いか たに はか なり 疑問 を持 って いる
。近 親相 姦が 全般 的に 回避 され ると して も、 それ がタ ブー とな って いる かど うか には 本質 的な 違い があ る。 妹萌 えの 創作 物 が氾 濫 する 社 会と それ を 口に す れば 死が 待 って い る社 会と は 同じ レ ベル で論 じら れな い。 実際 の見 聞で はな いか ら何 とも 言え ない が、 私た ちな らふ つ う家 族 の一 員 と考 える よ うな 近 親が とき に まっ た く敵 対し 疎 遠に な るよ うな 社会 につ いて
、そ のタ ブー を考 える べき であ る。
「人 倫的 法則 のア ンビ ヴ ァレ ント
」こ そ、 考察 すべ き普 遍性 を持 つの では ない だろ うか
。そ れに して も、 サル 学の 研究 者た ちは フロ イト を思 弁と 言い
、ア ーム チェ ア学 者の よう に言 うの だが
、生 涯で 10 00 件以 上の 臨床 をこ なし た者 に対 して それ はあ んま りだ と思 う。 確か にフ ロ イト はサ ルを 観察 せず にも の 申し たか も しれ ないx が、 サル 学者 だっ てヒ トを 観察 して いな いと いう 点で は似 たり 寄っ たり であ
る。 もち ろん
、両 者の かけ 合う 水を わざ わざ 浴び に行 く私 が悪 いの かも しれ ない が…
…
。 色々 述べ たが
、ち ょっ と考 えて みれ ばこ んな こと は枝 葉末 節で ある
。サ ル 学は 確か に人 間の 家族 につ いて 新し い知 見を 投げ かけ るか もし れな いが
、サ ル学 を究 める こと が人 間の 家族 を理 解す る唯 一の 方法 では ない
。だ から こそ 社会 科学 や人 文科 学の 膨大 な分 野が ある ので ある
。サ ル学 はま ずサ ル学 の中 で成 果を 生み 出す べき だ。 すな わち
「種 の社 会的 放散
」に おけ るヒ トの 社会 型 とし ての
「家 族」 が問 題で ある
。こ の問 題を 進展 させ 解決 を与 える には どの よ うな デー タが 必要 かと いう 観点 のも とに
、ヒ ト社 会に おけ るフ ィー ルド ワー クが 行わ れれ ばい いの であ る。 幸い なこ とに
、私 たち はこ の問 題に つい て、 河 合に よる 最高 の業 績を 手に する こと がで きる
。そ れが
『人 間の 由来(
上)( 下)
』
(
一九 九二 年) であ る。 まず
、読 みど ころ から 解説 しよ
う。 私が 河合
の『 人間 の由 来』 を高 く評 価す るの は、 その 包括 性も さる こと なが ら、 他の 研究 の理 解が 一貫 して 自身 のフ ィー ルド ワー クに 基づ いて いる から だ。 デー タの 解釈 をめ ぐっ て異 論を 立て たり マ イナ ーな 論 点を 評 価し たり 踏 み込 ん だ記 述の な いと こ ろを 残念 が っ たり と、 研究 をあ たか も自 身が 行っ たか のよ うに 紹介 する 筆力 は見 事で
、さ すが は円 熟の 研究 者と 思わ せる
。大 切な のは
、河 合の 経験 を通 して
、私 たち も また 多様 なサ ル社 会に 近づ く一 つの 道筋 を得 られ るこ とで ある
。読 者は ぜひ 河合 の『 ニホ ンザ ルの 生態
』( 一九 六五 年) や伊 谷の
『高 崎山 のサ ル』( 一九 五四 年) を読 んで いた だき たい
。幸 いな こと に、 京都 は嵐 山の
「モ ンキ ーパ ーク い わた やま
」で
、私 たち はサ ル学 の黎 明を 少し だけ 追体 験す るこ とが でき る。 人 里近 くの 自然 環境 がど うな って いる か、 そこ に住 むサ ルを どう やっ て餌 付け して いっ たの か、 個体 識別 とは どん なも のか
、さ らに は群 れの 構造
、雄 雌の 関
係、 グル ーミ ング やマ ウン ティ ング の意 味に つい て、 徒手 空拳 の研 究を 想像 して み るこ とが でき る( ちな みに 群れ は一 つ で個 体数 は1 20 ほど
、全 頭 が 識別 され てお り、 エサ やり タイ ムも ある)
。「 ガッ ガッ
」「 ギャ ー」
「ケ ッケ ッ」 とい った 優劣 を示 す声 は順 位制 の描 写を 具体 的に する し、 ケン カが よく 起き ると か、 エサ を激 しく 取り 合わ ない とか いっ たこ とも わか る。 そし てニ ホン ザル の社 会に つい て少 しは 実感 が持 てる よう にな った 後、 読者 はぜ ひ『 人間 の由 来』 を読 み返 して みる べき であ る。 する と河 合の 問い かけ 方、 解釈 や異 論 のポ イン トが 少し は腑 に落 ちる であ ろう し、 どこ がす ごい のか
、ど こは ダメ なの か、 とい う評 価に まで 共感 でき れば しめ たも ので ある
。読 み通 すこ ろに は「 社会 型」 と河 合が 言っ てい る、 サル 社会 の微 妙な 違い が何 かし らつ かめ た 気に なる し、 あわ よく ば眼 前に 開け てく るサ ルの 世界 の深 みを 予感 する かも しれ ない
。こ うい う「 芸当
」が 可能 なの
も、 河合 がい つも 自身 の体 験に 拠っ て 立論 を試 みて いる から であ る。 残念 なこ とに
、こ のよ うな ミラ ーニ ュー ロン 式の 手練 手管 は山 極氏 の著 作 には あま り適 用で きな かっ た。 第一 に、 実地 のゴ リラ 研究 は私 の日 常経 験と ちょ っと かけ 離れ てい て、 冒険 譚風 の情 緒は あっ ても 研究 その もの に共 感す ると いう とこ ろま では 至ら なか った
。第 二に
、大 胆な フィ ール ドワ ーク とは 裏腹 に、 体系 的な 著作 には 教科 書的 な情 報が 多い
。研 究結 果を その まま 説明 する 上に
、引 用さ れて いる 研究 が生 理学 から 遺伝 学か ら生 態学 に人 類学 と幅 が広 すぎ て、 申し 訳な いが 原典 に当 たろ うと いう 気力 も起 きな かっ た。 その 結果 とし て、 山極 氏が いっ たい 何の 課題 に取 り組 み、 何を 探究 して いる のか とい う像 がつ かみ にく かっ たよ うに 思う
。振 り返 ると
、河 合の 著作 は原 典に 当た らな くて も 研究 そ のも のが 分 かっ た 気分 にな る とい う 点で 読者 に フレ ンド リー であ る。 もち ろん
、研 究の 科学 的な 正確 さが 劣る とい う批 判は 受け
なけ れば なら ない
。 つい で、 その 内容 に移 ろう
。河 合が 論じ よう とす るの は、 サル 社会 の進 化で ある
。し かし
、社 会と いう もの は化 石に 残ら ず、 現生 のサ ル類 の観 察か ら推 測 する しか ない
。さ らに
、進 化的 に下 等な もの から 高等 なも のま で仮 に類 別し たと して も、 それ が進 化の 道筋 をそ のま ま示 して いる とす るの はラ マル キズ ムの 復活 であ ろう
。種 が分 化し た後
、そ れぞ れの 種は それ ぞれ の進 化の 道を たど った はず であ る。 分化 した とき の形 質の 何が 保存 され てい るの かを
、化 石の よう な資 料な しに 見き わめ るの は困 難に 思え る。 加え て、 進化 を論 じる には 遺伝 を考 えな けれ ばい けな いが
、世 代間 で社 会の 特徴 の何 がど のよ うに 伝わ るの かの 遺伝 学的 な基 礎は 明ら かで はな い。 ある 遺伝 子に よっ て発 現す る特 定の 形質(
たと えば 色覚)
なら
、そ の遺 伝情 報の 変化 をも とに 進化 を論 じ るこ とが でき よう
。だ が、 社会 的な 行動 特性 は多 くの 遺伝 子の 複合 的な 結果 とも 考え られ るし
、学 習能 力に 基づ く後 天的 なも のと も考 えら れる
。そ の進 化を 論じ るの はち ょっ と及 び腰 にな らざ るを えな い。 この こと は河 合も 自覚 して いて
、「 現生 のサ ル類 から 人類 進化 を跡 づけ る方 法は
、よ りイ マジ ネー シ ョン の力 によ ると ころ が多 く、 下手 をす れば
、ま った く仮 構の 世界 をつ くり あげ る遊 びに 終わ る危 険性 もは らん でい る。 科学 とし ては 未成 熟だ とい う謗 りを まぬ がれ るこ とは でき ない
」と 断っ てい る。 だが
、私 には 河合 のア プロ ーチ が全 く無 益と も思 われ ない
。第 一に
、進 化 云々 を別 にし て、 様々 な種 の社 会を 比較 する こと はそ れ自 体興 味の ある こと であ る。 比較 に際 して その 系統 も考 慮す ると いっ た程 度な ら、 進化 を論 じる こと も有 用で あろ う。 第二
に、 河合 が強 調す
る「 一般 的形 質の 保持
」に は無 視 でき ない もの を感 じる
。サ ル類 は形 質が 特殊 化し てい ない ため に、 様々 な社 会型 をと るこ とが でき ると いう 考え であ る。
これ と関 連し て河 合が 取り 上げ てい るの は、 昆虫 と植 物の 共進 化で ある
。 特定 の植 物が 特定 の昆 虫に よっ て受 粉を 媒介 する ため に、 花弁 や口 吻の 形態 がき わめ て特 化し たも のに なる こと があ る。 また
、昆 虫の 食害 から 葉を 守る ため に植 物が 有毒 な二 次代 謝物 を合 成し
、特 定の 昆虫 がそ の耐 性を 身に つけ る。 この とき
、植 物や 昆虫 は相 互に 依存 し、 どち らか がい なけ れば 生存 でき な いと いう
点で
「特 殊化
」し たと いう
。こ れと 対比 して
、植 物食 のサ ル類 は幅 広 い食 性を 持ち
、数 十か ら百 種以 上の 植物 の様 々な 部分 を選 択的 に食 べる よう だ。 ここ で「 文化
」と いう もの を、
「あ る社 会の 中で 創出 され
、社 会を 構成 する メン バー に分 有さ れ、 世代 を超 えて 社会 によ って 伝達 され る生 活様 式」 とい うふ うに 考え てお く。 とこ ろで
、こ れだ け選 択肢 が広 けれ ば、 群れ ごと に異 な る摂 食パ ター ンを 持つ とい うこ とが 起こ り得 るだ ろう
。生 活様 式の 違い が種 の分 化に つな がる とい った こと も起 こる かも しれ ない
。環 境だ けで は社 会型 が決 定さ れず
、社 会が
「内 発的
」に も進 化す ると 河合 が言 うと
き、 私は サル 社 会が
「文 化」 を持 つこ とが その 原因 なの では ない かと 思っ たり もす るわ けで ある 河 。 合の アプ ロー チを 支持 する 第三 の理 由は
、社 会を 主題 化す るこ とが
「心 に関 する 知識
」の 問題 に貢 献す ると 考え るか らで ある
。そ もそ も個 体識 別を 行っ た動 機に は、 サル にも ある 程度 擬人 的な 表現 が当 ては まる とい う直 感が あっ た。 サル を見 てい ると
、何 か性 格的 特徴 と言 って いい よう な振 る舞 いが みえ る。 ニホ ンザ ルに 取り 組む 以前
、河 合は 飼い ウサ ギを 調べ てい たの だが
、 サル の方 がは るか に「 擬人 的」 な表 現が 当て はま るこ とが 印象 的だ った とい う。 しか
し、 ここ から サル の「 心」 に踏 み込 むに は科 学の 歯止 めが かか り、 あ くま で便 宜的 な表 現だ とい う姿 勢は 河合 も崩 して いな い。 だが
、明 確な 差異 を感 じた 以上
、そ こに は何 らか の違 いが ある のだ ろう
。
サル(
特に チン パン ジー)
の「 心」 の問 題に つい ては
、主 に心 理学
的、 認知 科 学的 なア プロ ーチ がと られ てい るよ うだ
。例 えば 言語 能力 や問 題解 決能 力で ある
。し かし
、「 心」 を個 体の 脳の 機能 の中 に実 体化 する よう な考 え方 はい く つも のパ ラド クス を生 じる
。パ トナ
ムは
「双 子地
球」 の思 考実 験で
、言 語の 意 味論 にお いて さえ
、「 意味
」を 何ら かの 心理 状態 とと らえ るこ とと
、厳 密性 の ため に 確定 記述 な どで 利 用さ れる 内 包と 外 延の 操作 的 な概 念 が以 下の 二 つ の命 題を 両立 でき ない と指 摘し てい る。
(
1) 語の(
記憶 状態 や心 理的 傾向 は「 心理 状態
」で ある とい うイ ミで の) 意味 を 知る とい う こと は
、あ る心 理 状態 に ある とい う こと に ほか なら な い。
(
2) 語の 意味(
「内 包」 のイ ミで の) はそ の外 延を 決定 する(
内包 の同 一性 は 外延 の同 一性 を結 果す ると いう イミ で)
。( パト ナム1
975,p.154)
この 論点 は意 味に 限ら ず、
「心 に関 する 知識
」に 拡張 され る。( 1) 心理 状態 は、 その 状態 が帰 され てい る個 体以 外の いか なる 個体 の存 在も 前提 しな いと いう 意味
で「 内的
」で ある
。し かし
、( 2) その 状態
は、 信念
、意 図、 欲求 とい っ た命 題的 態度 とし て同 定し 個別 化で きる
。例 えば 嫉妬 は類 人猿 にも うか がえ る、 かな り基 本的 な衝 動で あろ う。 にも かか わら ず、 yが zに 好感 を持 つこ と をx は 嫉妬 する と いう 三 角関 係が な けれ ば この よう な 態度 は 同定 でき な い ので ある
。 これ は、 自分 にし か感 じら れな い痛 覚や 色覚 をな ぜ他 人と 共有 でき るの か
(
でき てい る気 がす るの か) とい う問 題と も通 底す る。 おそ らく
、心 理を 種に 共通 する 脳の 器質 的特 徴に 帰す こと が一 つの 解決 であ ると 考え られ てい る。 なる ほど 感情 的な 特徴(
攻撃 性な ど) をは じめ
、心 理の いく つか の要 素を 遺伝