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平成 24 年度第4回浦安市文化財審議会議事録(議事要旨)
1 開催日時 平成 24 年11 月21 日(水) 午前 10 時~12時 2 開催場所 郷土博物館 視聴覚室
3 出 席 者
(委 員)平野委員長、平野(敏)副委員長、杉山委員、丸山(光)委員、丸山 (純)委員、吉田委員
(事務局)加藤生涯学習部次長、飯塚館長、斎藤主幹、島村、林(記)、井口(企 画展解説のみ)
(傍聴人)なし 4 議 事
(1) 史跡表示板「町役場跡」について(検討)
(2) 三軒長屋の差し茅・外便所修復予定について(報告)
(3) 企画展「収蔵品展2~浦安の宝はみんなの宝~」の視察と意見聴取 (4) その他
5 会議経過
会議に先立ち、平野委員長、加藤生涯学習部次長の挨拶があり、議事に入った。
(1)史跡表示板「町役場跡」について(検討) 配布資料をもとに事務局より説明した。
初めに、前回会議で意見をいただいた史跡表示板の材質・耐久性について、専 門業者に確認したことを報告した。
また、事前配布資料の2ページ(史跡表示板「町役場跡」原稿B案)に訂正事項 がみつかったため、差し替えをお願いした。
(事務局) 専門業者2社をそれぞれお呼びし、現在のものを確認していただき、 紫外線に対する耐久性について質問したところ、両者ともおおよそ同じ ような回答であった。紫外線に対しての耐久性は、5年間は保証される が、6年目以降から徐々に劣化が始まる。設置場所の環境にもよるので、 一概にはいえないが、10 年ぐらいはもつ。15 年目くらいには、つくりか えを計画しておいた方がよいだろうとのことであった。
また、これまでは「古いものを撤去して、新しいものを設置する」と いう考え方であったが、専門業者に現場を見ていただいたところ、現在 のものも看板や足そのものの痛みは少ないので、新たに作り変えなくて も、今のものを修復して使うこともできる、という提案もいただいた。 足のステンレス部分は、錆や汚れを落とし、表示板の枠は色の塗り替え を行う。文面のあるところのみを新たにつくって張りなおす形で修復す れば、撤去代や設置工事代がかからないので、新規でつくる費用の半額 くらいでできるだろうとのこと。その方向で、進めていきたいと考えて
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いる。
文案については、前回ご意見いただいたことを含め、C案として作 成した。
主な変更点の 1 つめとしては、現在市役所の新しい庁舎建設計画が 進み始めているので、昭和 49年に建てられた現在の庁舎とこれから新 しく建つ庁舎とを読み手が混同してしまわないよう、表現に手を入れ た。
2つめは、前回の会議で「人名を削除してしまうのはいかがなもの か?」というご意見をいただいたため、堀江小学校を創設した「大塚亮 平」と町役場の土地を寄付した「新井甚左衛門外六十七名」は、残し て文章を作り直した。
3つめは、最後にあたる部分だが、「当時の面影をわずかに残すのみ」 という文章だったが、その面影も今や全く消えつつあることと、境川 のことを入れて文章を締めくくった方がよいのではないか」というご 意見を前回の会議でいただいたため、「この地の面影も次第に失われ、 境川の流れを残すのみとなりました」という表現にした。
主な質疑・応答については、下記のとおり。
(委 員) 気づいたところは、2点。まずは、1行目「猫実一丁目にある市役所 庁舎」の、「ある」は取った方がよい。もう 1 つは、最後の部分「漁業 協同組合も解散となった」の「も」は、「は」にした方がよい。
市役所庁舎が建設されることが最初と終わりに2回出てくるが、これ は「町役場跡」ということで現在の市役所の歴史がテーマになっている ので、音楽でいえばソナタ形式のように、最初と最後にテーマの繰り返 しがあり、わかりやすい良い流れになっていると思う。
(委 員) 「新井甚左衛門外六十七名の共有地」という部分の「共有地」がどう いうものなのか説明がほしいところではある。文字数に限りもあるため 難しいとも思うが。
(事務局) この部分については、根拠となる史料が見つかったので、配布してご 説明します。宇田川家住宅の2階屋根裏から出てきた史料群からでてき たもの。明治 21 年の文書で、「官有地字三角萱生え地ヲ堀江村全人民ノ 共有トナシ拂下ヲ出願スル意見書」という題がつけられた新井甚左衛門 が書いたものである。明治 22 年に3ケ村が合併して浦安村ができる前 に、それぞれの村が所有していた財産をどうするか、という問題が起こ っている。前回の会議でも少し説明したが、特に大三角などの萱場をど うするのか、ということが大きな問題だったようだ。そもそも大三角の 萱場は、堀江村の中でも、萱を刈り取る権利、つまり「株」をもつ人た ちに よっ て 管理 され てい たが 、 その 株を もつ 人た ち( 新 井甚 左 衛門 ら) と株をもたない人たちとの間で、はじめに条件の整理が行われ、その後、 堀江村・猫実村・当代島村3ケ村の間で話し合いが行われる、という2 段階の議論がなされている。
この文書は、大三角を堀江村全体の共有地としてこれから払い下げを 出願するにあたっての、新井甚左衛門なりの意見書の下書きだろうと思
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われる。この文書のなかに、「一、堀江尋常学校ニ舎及敷地ヲ新井甚左 衛門外六十八名ヨリ寄附シテ一村共有スルコト」という文言がある。
この文書は、あくまで新井甚左衛門の意見書で、その後結果的にどう なったのかということは、史料的な制約がありハッキリとはわからない のだが、今回の史跡表示板の原稿内容に対して、この史料を根拠するこ とはできると思う。
また、この古文書では「六十八名」と書かれているが、現在の史跡表 示板には「六十七名」となっている。文書が書かれた明治 21 年の段階 では 68 名だったものが、お亡くなりになったのか、あるいは株の売買 などで権利を失ったのか、なんらかの理由で結果的には1名減ることに なったものと思われる。このことについては、史料的にこれ以上のこと を調べることはできないと思われるので、現在の史跡表示板の表記をそ のまま活かし「新井甚左衛門外六十七名」としたい。
(事務局) 1 行目の市役所庁舎の部分だが、これから建設される庁舎は平成 29 年に完成する予定であるため、やはり「猫実一丁目に市役所庁舎が建設 されるまで」と表記すると、誤解を生みやすいと思われる。「建設」を
「移転」としたら、どうか。新しい庁舎も、猫実一丁目一番に建つので、 勘違いをされてしまう恐れがある。
後ろから5行目に出てくる「新庁舎が建設され」というところも、「新」 を取った方がいいように思う。
(委 員) 文脈からいうと、その前の「この庁舎では行政事務の増大に応じるこ とができなくなったため」とあり、「この庁舎」をうけて、「新庁舎」と 出てくるので、このまま「新庁舎」としておいた方がよいのではないか。 (事務局) 市役所庁舎ができた「昭和 49 年」段階は、まだ市になっていないの
で、市役所ではなく「町役場」の庁舎である。 (委 員) 1 行目も「町役場」に直した方がよい。
(事務局) 1 行目を「町役場」に直すと、「猫実一丁目に町役場庁舎が建設され るまで、浦安村(町)役場の庁舎があったところです」と、町役場という 言葉が一つの文章に2回出てくることになってしまい、かえってわかり にくい。
(委 員) その部分全体を削除してしまって、「ここは、昭和四十九年まで浦安 村(町)役場の庁舎があったところです」にしてしまった方がよいのでは ないか。
(全 員) それがよい。
(委 員) 後半部分も、「町役場」でも「市役所」でも、庁舎という言い方に間 違いはないので、そのままでよいのではないか。
(委 員) 「新庁舎」という言い方についても、「新」をとっても意味は通じるが、 その前の部分の文章を読めば、流れ的には「新庁舎」とした方がわかり やすいので、「新」はとらないでそのままにした方がよいのではないか。 (委 員) 全員、了承。
(事務局) 最後に訂正事項の確認をします。訂正箇所は、2 ケ所。1行目を「こ こは、昭和四十九(一九七四)年まで浦安村町役場の庁舎があったところ です」とする。後ろから3行目「漁業協同組合も解散となり」の「も」
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を「は」に変える。以上です。 (委 員) 全員、了承。
(2)三軒長屋の差し茅・外便所修復予定について(報告) 配布資料をもとに事務局より説明した。
作業中は、見学会のようなものを開催し、市民の方々に工事を見てもらうこと も考えている。
主な質疑・応答については、下記のとおり。
(委 員) この予定で進めてよいと思う。こうした修復工事を市民に見てもらうこ とも大切である。
(3)企画展「収蔵品展2~浦安の宝はみんなの宝~」の視察と意見聴取ついて 議事進行の都合上、展示については、会議終了後、企画展示室を見学いただ きながら、意見聴取を行った。
(4)その他
写真展示「東京湾三番瀬に生きる」と、講演会「津波、東京湾では...?」 についての説明を事務局から行った。
その後、2階へあがり、写真展と企画展を視察いただいた。
委員からは、「今も、家を建て替える際に古いものを処分することなどもあると思 うので、博物館でもそういうときは連絡がほしい、というようなPRをときどきして おくことも必要ではないか」というご意見をいただき、会議は終了した。
※ 次回会議日程について
平成24年度第5回浦安市文化財審議会は、1月16(水)に開催する予定で ある。