『未明の部屋』
小川未明文学館開館10周年を記念して、未明が昭和27年(1952)70歳のとき移り 住んだ高円寺の書斎部屋を再現しました。未明が愛用した文机やテーブル、脇息、 座布団などを置き、本棚には未明作品を並べています。小川未明文学館を訪れた際 には、この部屋で未明の執筆の雰囲気をお楽しみください。
高円寺の部屋にて(撮影 富樫啓)
館
報
小 川 未 明
文 学 館
2016年
₅月31日
vol . 10
小 川 未 明 文 学 館
新潟県上越市本城町8ーFAX 0265-523-108 TEL 3-35825-0210 ()内館書図田高30
小 川 未 明 文 学 館
館
報 第
10 号
2016年5月
31日発行(年刊)
目 次
【 寄 稿 】
加 藤 登 紀 子
「 夜 空 の 蒼 穹 を 想 う 」
3
【 報 告 】
文 学 館 1 年 の 記 録 ( 平 成
27
年 度 )
6
小 川 未 明 文 学 館 特 別 展 開 館
10 周 年 記 念
「 移 動 す る 未 明 ― 高 田 ・ 早 稲 田 ・ 高 円 寺 ― 」
8
新 展 示 場 未 明 の 部 屋 紹 介
10
文 学 館 講 座
11
【 小 川 未 明 文 学 賞 】
13
【 ボ ラ ン テ ィ ア ネ ッ ト ワ ー ク だ よ り 】
「 の ば ら
vol.
12
」
14
【 文 学 館 か ら の お 知 ら せ 】
16
夜 空 の 蒼 穹 を 想 う 歌 手 ・ 女 優 加
藤
登 紀 子 し た 。 「 赤 い 蝋 燭 と 人 魚 」 や 「 金 の 輪 」 な ど 、 馴 染 み の 深 い 作 品 で は あ り ま し た が 、 言 葉 の 息 づ か い や 、 間 の 取 り 方 や 、 語 り 方 の 絶 妙 さ が 、 声 に 出 し て 朗 読 す る こ と で 、 し ん し ん と 胸 に 届 い て く る の が 感 じ ら れ ま し た 。 未 明 と い う 名 前 に は 、 薄 暮 に 対 比 し た 明 け や ら ぬ 朝 の 薄 明 と い う 意 味 が 込 め ら れ て い る そ う で す が 、 私 に は 、 や は り 夜 空 の 印 象 が あ り ま す 。 私 の 夫 が 最 後 の 闘 病 を し て い た 頃 、 ち ょ う ど な く な る 1 ヶ 月 前 の 満 月 の 夜 に 、 夫 の 開 い た 農 場 の あ る 里 山 の 小 さ な 頂 き に 、 友 人 と 登 っ た 事 が あ り ま し た 。 あ ま り に も 満 月 が 明 る く て 、 い つ も は 足 元 が 真 っ 暗 な 山 道 を 、 月 明 か り だ け で 登 っ た の で す 。 山 頂 に は 轟 々 と 風 が 吹 き 、 青 い 光 を 放 っ た 月 が 真 っ 暗 な 空 に 孤 光 を 放 っ て い る の を 見 て 、 そ れ が も う 直 ぐ 死 に 向 か お う と す る 夫 の 姿 に 見 え て 、 言 葉 も な く 魅 入 っ て し ま っ た の で し た 。 こ の 夜 の 月 を 、 夫 の 姿 に 重 ね て 歌 っ た の が 「 青 い 月 の バ ラ ー ド 」。 夫 の 他 界 し た 翌 年 に は こ の タ イ ト ル で 2 人 の 思 い 出 を 綴 っ た 本 も 出 し ま し た 。 な ん だ か 小 川 未 明 さ ん の 童 話 の シ ー ン の よ う で 、 そ の 夜 の 月 が 異 様 に 明 る か っ た こ と が 、 あ の 「 金 の 輪 」 と 同 じ 意 味 を 持 つ よ う に も 思 え る の で す 。 こ の 農 場 の あ る 南 房 総 の 鴨 川 に 1 2 0 0 年 以 上 の 歴 史 を 持 つ 私 が 「 小 川 未 明 童 話 選 集 」 の 朗 読 の レ コ ー デ ィ ン グ を し た の は 2 0 0 3 年 の 夏 で し た 。 私 の 夫 が 他 界 し て ち ょ う ど 1 年 。 そ れ だ け に 、 小 川 未 明 の 透 明 な 言 葉 が 私 の 心 に 深 く 響 く の で
小川未明文学館
館 報
「 大 山 不 動 尊 」 と い う お 寺 が あ り ま す 。 海 か ら は 車 で
ら か れ そ 、 や し か 懐 よ で う 嬉 る い 、 さ し に さ す ま り な 。 い っ い で ぱ を て し 直 き 聞 の D C 読 朗 る み し と 夫 て ご 、 と 過 を 間 時 な か 静 込 で つ い 彼 と 話 し で ん し ま い ま す 。 茶 ど な 」 碗 、「 の 様 殿 夫 」 薇 も や が で 好 の 心 、 中 話 な う そ き お き 国 の 国 な 国 大 と な さ 小 の 境 話 青 年 と 老 人 の を 描 い た 「 野 薔 す 。 で の う ま し て っ が 繋 に ん 、 は 童 の 小 さ 明 未 川 中 私 話 で も 出 思 の と 夫 い て 、 し の ど う 。 す べ か 浮 い ま 燭 読 を 」 魚 と 蝋 い 赤 「 と む 人 、 こ 私 を 寺 お の 思 も は て し う ど を 割 役 の 台 船 は に 航 る す 行 た 果 灯 し う た す で と こ 。 い 、 だ の と も る が す で の 上 あ に の 山 る こ 、 燭 の お 寺 に 灯 る 蝋 は 、 太 平 洋 を か も 分 か 30
短 れ で し た が 、 坪 田 治 さ ん に よ 譲 ば た 、 気 う そ い の は ん さ 明 未 、 派 立 も つ い さ は ん ド 明 未 の な 人 ン な と 思 不 が の 議 い 着 ち 落 た と 由 キ ラ キ な の 自 の 中 話 童 ラ て し 、 た 中 の 写 真 っ 違 は と 象 心 息 き づ か い が 伝 っ て わ て た 、 す で 。 っ か し 嬉 春 の 抵 抗 に 挑 ん だ 青 、 時 代 な ど の 生 々 し い 代 へ 時 と こ い し 新 や ま の は と 界 世 来 話 童 、 別 出 が た 、 の 未 、 や ん さ 明 の 頃 た っ か さ 小 で ど れ け た た 日 1 た っ 直 、 し ぐ ん と こ る じ を 感 そ さ 明 未 に こ に ね 歩 く こ と な ま し た 。 り ん ゲ に ー タ ー の ビ 未 ナ ん さ 明 選 越 で 市 訪 い 田 高 を 上 、 て い だ た ノ 経 っ て 去 年 、「 コ ド モ 年 ク ニ 」 の 番 組 で 、 小 川 12
小川未明文学館を訪れた加藤登紀子さん
小川未明文学館
館 報
加藤登紀子さん色紙
い 人 だ っ た そ う で 、 食 事 を し て も 、 お 酒 を 飲 ん で も サ ッ サ と 済 ま せ て し ま っ て 、 長 っ た ら し い の が 嫌 い だ っ た そ う で す ね 。 1 遍 ず つ が 短 い 童 話 が 好 き だ っ た の も 、 き っ と 気 が 短 か っ た せ い だ 、 と 言 う 坪 田 さ ん の 説 を 知 っ て か ら 、 こ の 未 明 さ ん の 風 貌 か ら も 、 軽 妙 さ や 可 笑 し み を 感 じ る よ う に な り ま し た 。 生 涯 の 最 後 に 残 さ れ た 最 愛 の 言 葉 が 、
「雲 の 如
く
高 く く も の ご と く か が や き 雲 の ご と く と ら わ れ ず 」 だ っ た そ う で 、 サ ラ サ ラ と テ ン ポ の 良 い 、 簡 潔 な 言 葉 で 語 る 、 小 川 未 明 の 作 風 の 極 意 が こ こ に あ る 、 と 思 い ま し た 。 残 さ れ た 童 話 の 作 品 数 が 膨 大 な の に 、 童 謡 に な っ て い る も の が 少 な い の が 、 残 念 な の で す が 、 き っ と ど こ か に 埋 も れ て い る か も し れ ま せ ん ね 。 番 組 の 時 に お 会 い し た 上 越 教 育 大 学 教 授 、 小 埜 裕 二 さ ん の 編 纂 さ れ た 「 新 選 小 川 未 明 」 と い う 著 作 集 を 読 ん で い る と 、 歌 に な り そ う な も の が い っ ぱ い あ り ま す 。 大 人 の 童 話 を 集 め た 秀 作 童 話
。 た ん で い き 進 い 思 い ま す と は イ に さ ま 川 品 作 未 小 ー メ 明 ジ だ み 読 に 寧 の 丁 ま だ ま 、 庫 宝 思 き り に し え す 。 ま 何 明 さ ん の ロ マ ン か ら 、 歌 か を 作 っ て み た い と 、 た 未 っ だ き 好 が 、 え こ が 曲 け ど れ そ い な ら て 聴 う ー 楽 音 。 ね で す リ ー ト ス な 来 「 」 方 彼 の 海 ま の 中 の 本 う い と な う の は に 歌 童 ま そ 、 は ど な 話 チ ヒ ト リ ボ ッ 「 ノ 少 年 」 と い 50
報 告
朗読研修会
6月
26日・7月
10日・7月
参加者 24日
しまけ受を導た。 行実践的な朗読をい、個々に講師から指 の未明童話「金ら輪野ば」を題材に」「 を法その大切さた学びまし。その後、方と 方習、や表現力の磨練練発や習き礎声基 めしました。初に、声方作のりな的本基 師ティスト)を講研にを、開催会読朗修 読橘由貴さん(朗士療法・ォイスアーヴ 28名
年 録 の 記 1 館 学 文
◆◆童話創作講座7月
26日・8月
加参者 30日・9月6日
まですや図書館。読ことができむ て作品集」とし、文書ーナコー図の館学 、「さんの作品は皆童受者講話座講作創 考今後の創作の参受にしました。講者の お互いの作品についして、あい換交見意 で同者講受、にぎつ士。た評ましをけ受 の受話講を受け後、た講者が創作した童 どテーマや構成な基にな義つ講的本てい いの書き方につ話学てずび、ままた。し 家さ(童文学作ん)短を童編児、師講に 賞小川未明文学委選考員の々木赫子佐 12名 開館
10周年特別
展
「移動する未明―高田・早稲田・高円寺―」
10月
3日~
11月
の中期会 ました。 関の作品や仲との間わについて紹介しり け代の3つに分れ、それぞの時期寺時円 ら高う切り口か高田時代・早稲田時代・ 生人いの明未「を)空間」(住まとい 来名0492者 場 日8
10月
、し催開を会 別力で特な展おはのし協クワトッネアー 日明には未テボランィ18 館開、たま ま。たし 15名だたい加参らか方のき
。)いさだく覧ご の報8(詳くは【し告9を】頁・展特別 て品執筆時の雰気囲を再しました。現作 品てを実際に使われ身いの回りし示展た 高晩年を過ごした書円寺の斎を再現、し 10周念年が記をして、未明 11月 文学館講座
7日・
11月
21日・
12月
参加者 6日 1、第は師講。たし をまし催開座講の回3だんなちに明未 名67 2第 )「」、明未川小家 作の憬憧授教学大田稲 千早(んさ二俊葉回
回
成實朋子さん(大阪教育大学准教授)「近代中国における小川未明童話」、第3
回
小埜裕二さん(上越教育大学教授)「小川未明の詩碑〈雲の如く〉」でした。(詳しくは【報告】文学館講座の
11・
成平(号刊創』要 学紀館 12頁明未川小『びよお、文
ください。) 28年3月発行)をご覧
報 告 小川未明フォーラム(上越文化会館)「今よみがえる未明の愛 ~未明の功績を今の世に問う~」
成平(号刊創 川した。(詳しくは『小未館 要紀』学文明 スついてパネルディまカッションを行い 明松本猛さんが、未ののに神髄そと績功 さ作家)、堀越千秋(ん画家・陶芸家)、 み田大学教授)、杉学きさん(児童文子 二千葉俊稲さん(早授)、教学大育教越 よコーディネートにり二ん(さ上裕埜、小 (か、宮川健郎さん)武蔵野大学教授の 」ひろと小川未明と題講ほ演の調基たし )ろ術館常任顧問美にる「いわさきよち ん美(松さ猛本術絵・本評論家、ちひ 名821者 加参 8月日11
さい。) 28年3月発行)をご覧くだ 第
24回 小川未明文学賞贈呈式
3月
第 4ことを目的に成平年しるかてい集募ら 夢」む育を望希とにしのちたもど、子承心 の文の明未川精学世神を次「代に継小 日28 和昭 り車場通りのもがたの─生みたき。、なん 」、の力がのりうつる子江葉さんの「停森 と賞は中村お「ぎさんの野生優秀」、組 のこうだゆうさんこ「キ四ラワシシザ年 で都内の学研ビルし大開催ました。賞は 賞小川未明文学回の贈呈式を、東京24
の の】賞学文明未川小。(【たし」で色音み休 年オムニバス─水」、都さんの「夏10
こひ。)すまいてし介紹を」とと 頁13のこで、大賞の賞うださんの「受 文学館おはなし会
毎月第2・第4日曜日未明童話の魅力を伝えるため、未明ボランティアネットワークの協力で、月2回のおはなし会を開催しました。平成
27
年度は
注。いさだく目ご 館口入ま学す。掲に示にていそちらもし きポターしを作成、文なスて回毎、はす 。いただきましたンボラティアの皆んさ 24回ので33加名0皆さんにご参 出張おはなし会
未明作品に出会う機会をより多くの方に提供するため、未明ボランティアネットワークの協力で、出張おはなし会を開催しました。学校や福祉施設など、
度は 27年 の】りよだク ィボランテトアネッくワーは【し。(た詳 カ4所(129を名)訪問しまし30 14頁をご覧ください。)
〈会期〉 10月3日~
〈会場 11月8日
〉小川未明文学館
小川未明は上越市の高田に生まれ、高校時代までの多感な青春時代を当地で過ごしました。その後、早稲田大学へと進学し、そこで出会った人々
―
師坪内逍遥や小泉八雲、友人相馬御風のほか、片上伸、正宗白鳥、坪田譲治や浜田広介等の同世代の友人・知人や先輩・後輩との交流が未明文学に大きな影響を与えました。そして、終の棲家として移り住んだ高円寺で、未明は童話創作に専念し文化功労者として表彰されたのち、その生涯を終えます。 未明の人生は、「空間」(住まい)を移動することにより、その文学も、未明を取り巻く仲間たちも大きく変わりました。そのことから、未明の人生を「空間」(住まい)から高田・早稲田・高円寺の3つの時期に分け、それぞれの時期の「文学」、「仲間」の移り変わりを紹介しました。 報 告
開館
」 高 寺 円 高 ・ 田 稲 早 ・ 田 ― ― 明 未 る す 動 移 「
周念記年10平 成
27 年 度 特 別 展
未明は明治
15年(1882)
てけ抜り通 、から小学校までは職の人中町をどな町 明寺の多い処」と未家は書いています。 森、てっあ山沢がのれ杉い黒、「で所たず ま生屋長軽足まれにしらたは少しか町。 の越五分一(現上の市幸町)衰微した田 、月高4
、み進と校学中 学、校2キ等高。たしで弱ロ小 はかた。日山春ら五分一まで 子び神社建築中の様行を見にっていまし 言たびたてれわに明、もでまれそは母未 た日春社し設創が山り神に移住みます。 一の頃、歳家は父澄晴15
ま学では 5キロ、中
。た を然後越国北に明く深自教えこみましの キ7未りがロほどあ、その往復 にって大学意行くことを決あ、 をり苦手で落第繰返し、教師の勧めも をち持味興もにしま、た数が。学しかし 導などから漢詩の指受をけ、また考古学 山は佐久乾象での高弟るあ学で間北澤堂 本塾で論語や日しま史を勉強中。たし外 私る剣学校が退けと術を習い、そのあと をっ習学数や学おて校り小学入学後は、、 にてれま生一国北章第高──田 学か漢で塾私、ら前小る入へ校未明は
。出趣味の仲との間会まいしたりあが で馬御風や、文芸部動一る緒同じす活に は相るなと友の涯生で中、がたしで明学 っ独 ひとりで孤子なを抱えていた未心 な退することに。 りました 中 生年で4
明治
34年(1901)
4月
は早いで、やいところ のしたが、そこの家た人ちとなじむのが の 住まいは学校寄宿くで下宿なはで舎 はなく、大学の周辺一の青田でした。面 だ田は、まど鶴巻町なも早稲ののそ 頃 転科に英文科にに)入学します。 大と学年田稲早称改科)文哲学(の英ち 原に町ら区込牛宿下(。京専門学校翌東 立の上野駅に降りはった未明、翌日かれ 、日夕暮6
月島にら小泉八、雲村抱出会います。 るいに影を受け遥師たち…坪内逍、大響 ので後早稲田大学 未人明のそ生、はに すいで引っ越もことあました。り 3日く間週一、ら にるき生都会章二第─早稲田─
高田中学校時代(未明 上段右端) 新潟県立高田中学校(現・高田高校)
未明と母チヨ
明治 治位で作としての地家を立します。明確 ぞあられにみ小れ)」(「新説」)に霙(霰た「 にた文壇デビューし未明は、翌年発表し )(1904年に「漂浪児」で37 も後のそ 食刊号にも小説「乞」が掲載されました。 田創の」学文稲し早「次二第のそ、刊復 し刊休年はにいて学た「早稲田文」が39
治。明たしまりなと た寄稿し人作家の一多くも、し表発に最 以や上の小説ど感想なを同誌60
学、生未明でしがた大代は親友といえ時 でかんしゃく持な人付き合いの苦手 ち し。たま 小け続し作創を話童や説れ、らがなたも 二そ後も生活のの児鞭・困打窮に喪の失 『人』、第二短編集』緑髪を次と発表し、々 40年集『編短一第に愁 人期の明々とは、同治 回るたま。たしまりにうよなすたっきり 一る友人もでき、た緒しり町を歩歩に散
。流た人と交々を深めました 人集に携わっていた、誌に寄稿してい同 は早第二次「」稲田文学の編、で壇文 き後も長く付合うこととなります。 と」会、八三「付名のけた会合を開きそ 業の卒年年から38
都会の下町を愛し、
19歳から約
収のがかけに入ったなはあまとまった、 一家。きを持つっ明家未をきいたて変え 石の間、牛込・小を川中に転々と住ま心 30年も ったことでした。大正
和昭 税明にも予期せぬ印入がってきたのです。 、未でったから始まムいわゆる円本ブー 9(1年26)15 らかれそ 最。 たしまえ構を家の初に寺円 年)、(1930明未は杉並区高5
、がたしで明 らやかに暮いしてでた未穏家っ残け焼た 年2あまり、空度の襲にも20 和たた家移っにのでした。昭 い越しを決意し、幸くすぐ近に見つかっ しっ引うとうとてそるすまりなにうよ。 書で斎稿、が音の原くを書未明を悩ませ 所の頃、近歳の音楽教室70
正大 の。すでとこれ暮)25 年91(27 15年(1926)
選明集』全 4月に『小川未 和昭は後のそ 思うとっている」 し今後、童話作家と進てづ、けよつを邁 の知った私は、更生と喜勇気の中に、び のいて、那辺に少多天を存するかを分 のと、半生に作家生活お体験の去過「― 述次のよにうべました。 今聞」に発表した「話後にを」で家作童 す説の筆を折りまし京。日そ日新東「て 明るは童話に専念すをこと決意、以後小 たが完結し巻のを機に、未6
は作創 と児文学界の重鎮童ししてた。まし動活 童会文学者協会初代さ長に選出れるなど、 本児日じ道ひとすはのを歩み続け、戦後 おの話す「誌雑」木、を主宰るなど童話 3(19年7)に童話12 75歳、昭和
人わちた児童文学関にるとの交流が多く 円話作家とな高は寺に移ってから 、童り 。0す12及0にびま編 そまで続けられ、数の総は童だけで約話 32年)7591(頃 執がら未明は続筆活動をけ、昭な和 人こうして多く友の・知人に支えられ あなどと交が親りました。 も楠、吉田甲子太郎・山渋青沢花・雄正 井田坪田譲治・酒浜・広朝彦のほかに介 な続け持ことに。秋りました田雨雀・ちる 涯は親身の童話家と作、生をりが繋な密 。び行われいます出中でも早稲田大学て 会宿樽居酒屋、新「平」での合がたびた けまたにか出戦み。し後好もんだの明未 る後輩作家も多く、くよ一緒に新宿に飲 な。っていきますく未明を慕って訪ねて
(1961)、 36年 たし。 79歳でその生涯を閉じま 第三章 終の棲家─高円寺─
坪内逍遙主催の読書研究会(未明 後列右から5番目)
三八会 於新宿丸銀 昭和 14 年(1939)12 月 18 日
(未明 後列右から2番目)
未明と児童文学者たち 昭和 26 年(1951)5月8日
報 告
報 告
小川未明文学館
て平成 10周年記念の一環とし
27年
を。すまし介紹ご部一の 愛し用回前はも品た展り今示、そおてし 新たに再現したもので内。未明が生すに 館使学前書斎としてた用てい部屋を文し く紙写真をご覧小ださい。)川未明が生 10月表。(たしましンプーオに
未 明 の 部
屋
紹 介
万年筆は握りぶとのウオターマン、原稿用紙は神田の文房堂の四百字詰だった。そして、机上にはいつも、そのころあったアテナ・インキの大きなびんが置いてあった。
未明の次女の岡上鈴江さんは『父未明とわたし』(樹心
社
昭和
き残。すまいての思い出をこう書し 57年時当、で) 未明の机上にて
未明万年筆
机に向かい、原稿用紙のひと枡ひと枡を真剣に文字で埋める未明は、あるときは、暗い北国の人びとの人生を描き、またあるときは、虐げられる弱者にかわり、社会の不公平を怒り、次の時代、社会をになう子供たちのために数々の童話を書いてきました。 当館で保存している未明の現存する原稿の多くが万年筆による筆跡のものです。遺品の中にはトンボ鉛筆や真鍮製の鉛筆削りもありますが、見つかった書きかけの原稿用紙にペン書きされたものでした。
真鍮製の鉛筆削りと鉛筆、消しゴム 書きかけの原稿
未明のトレードマーク
未明と言えば坊主頭に眼鏡、万年筆を持って原稿に向かう姿が印象的です。 実際、現存する未明の写真には坊主頭以外のものはなく、岡上鈴江さんの『父 小川未明』(新評
論
昭和
いなしはでょうか。 の帽もそんな未明日のと共にあった常で 文館学置。たしにかグているハンチれン にれ入っろことてる帰てくこともありま き、れい善丸まににふを蟹の魚物好で屋 、ステッキをつきみ好の新刊書を探しに や重回しマントのハをンて被っ帽グンチ す そうて外出しるには和装の上に二際 時将棋を指すて間にしいました。 のとや友人歩筆散稿の執後にて、午あは 和 未明はいつも装で過ごし、午前を原 らだったかとされています。 、い理由としてはが頭重くなるのが嫌 てしかとい思書出れ伸てさばな。すまい ョりのするローシがンつけていたこをと に入ったあで頭と蘭な香の良いうよの花 に行ってつつるる剃風っに呂ら、もてい でその髪が少しびも伸ただで床屋にけ 45年、はで) 未明の遺品
未明の部屋には小川家から寄託され、未明が生前愛用した品々を展示しています。 外出する際に被っていたハンチング帽をはじめ、トレードマークともいえる眼鏡。オリンパス製の懐中時計や原稿を書く際に使われた万年筆や鉛筆などもあります。 当文学館では、このような愛用品もまた、当時の未明を知る手掛かりとして大切に保管しています。
懐中時計 ハンチング帽
眼鏡
平成
。すま 座ました。ここでは講内ごし介容紹を部一の をし催開に師講ん朋さ二裕埜小、んさ子實成 館学文年の度座講さは、千葉俊二ん、27 第1回「憧憬の作家 小川未明」(講座要旨)
11月7日(土) 千
葉
俊二さん(早稲田大学教授)
文 学 館 講 座
報 告 未明の第一創作集『愁人』に坪内逍遥が序文を書いています。「思うに此作家の造詣は果たして如何ばかりに及ぶべきか、今はもとより知りがたしと雖も、其の作られたる人にあらずして生まれたる人たることは争ふべからず。多年早稲田学堂に学びたる人には相違なけれど、読書の人にも記誦の人にもあらずして、瞑想の児、憧憬の児たりし此作家は、諸講師の口頭より果して幾ばくの獲る所かあ りし甚だ覚束なし」と。そこから「憧憬」という言葉を借りてきましたが、今日は、作品集『物言はぬ顔』の中からそこに収録されている未明の代表作の一つといわれている「薔薇と巫女」、および「死」という2つの作品を紹介しながら話を展開したいと思います。「薔薇と巫女」の薔薇はこの陰欝でなんの刺激もない現実社会に刺激を与える美の象徴、巫女は神秘あるいは現実の世界の不思議の象徴と思われます。「巫女は過去、未来、現在のことを言ひ当てる」とされており、数学の方程式におけるXと同じXという町に住んでいるという設定になっております。つまり巫女は、私たちの現実の生というものの統一的原理Xを、明らかにすることができるかもしれない、謎めいた神秘的な存在です。その巫女を主人公が探索に出かけることがこの作品の根幹になっています。人生における究極の真実、真理を求めて旅立ったけれども、当然そんなものは求め得られようはずもありません。そして、この現実に寂しく戻って来ます。北国の単調な冬の生活にもう一度生きて行かざるを得ない自分自身のおかれている状況、あるいは運命といったようなものを自己確認します。それをこうした一編の美しい象徴的な散文詩のような作品に仕上げたといって差し支えありません。 「死」は若い時に御殿女中を務めていて、いまだに薄汚れて擦り切れたぺなぺなな絹の着物を着て、プライドだけ高く、ひとり暮らししている老婆が、道端で行き倒れてしまうところから始まります。そうした老婆の姿の中に近代化してゆく時代の変遷の象徴というものを読んで見ることができます。もうひと りその老婆の死骸のそばに立っている助教師の物語とがこの作品の中心になっています。助教師は「家には、彼の妻と老婆と3人の子供があつた。彼は、無口で極く好人物であつたけれど、はたらきがなかつたため彼の妻と老婆とは、やはり家にゐて内職をして暮らしを助けなければならなかつた」と描かれています。上京した主人公が久しぶりに帰郷してみると、助教師の妻は、この春に死んだと言います。それから三月目にはとうとう、その妻を虐め抜いた因業な老婆の姑も、またこの世を去りました。死ぬのを忘れたような姑にいじめぬかれて死んでいった嫁。憐れきわまりない話ですけど、逆に現在では人間が死ねなくなった悲劇というのもあるのではないでしょうか。医療があまりに高度になりすぎて死ねないがゆえにさまざまな悲劇が起こっているのではないかと思われます。 今日のようなこういう時代になって未明の作品を読んでみたら意外と新鮮で、この老人世界の中のどうしようもない行き詰まり的な状況も、この「死」という作品の中には的確に描き出されています。「薔薇と巫女」もこの私たちの生きてゆく人生の本当に根源にある法則とは何か、真理とは何なのかということを読者に問いかけてきます。数学の方程式のXを解くようにそのXの値を未明は生涯追い続けたのではないでしょうか。その軌跡が未明文学になっているのではないでしょうか。暗いとばかり思っていた未明の文学ですが、今回、ある一面かなり現代性を帯びているところがあるのではないかと感じさせられました。 第2回「近代中国における小川未明童話」(講座要旨)
11月
21日(土) 成
大(阪教育大学准教授) 實 朋子さん
中国における小川未明童話の受容には、おおむね2回の波があったと思います。最初が1920年代から1930年代。2回目が2006年以降現在です。 まず現在の状況から言えば、今日、未明童話は中国で比較的よく読まれています。これは改革開放政策によって、中国の経済活動が活発になってきたことによります。日本からの翻訳書の出版が急増する中で、児童書も沢山翻訳されるようになり、その中で未明童話も翻訳されるようになったのです。 今日、未明童話が中国で積極的に翻訳出版されるきっかけとなったのが、2006年に少年児童出版社という大手の出版社から出た
『赤い蝋燭と人魚』です。これは周龍海さんと彭懿さんが共著で訳されたものです。彭懿さんは作家として活躍されていた方なのですが、日本の童話を読んで感銘を受け、東京学芸大学に留学されて、日本児童文学の研究をされました。帰国後すぐにまずは安房直子の童話を翻訳されて、続いて宮沢賢治、小川未明、新美南吉と翻訳されました。彼の翻訳は、そのいずれもが大変に好評を得ています。 今日未明童話が中国で読まれているきっかけは、この彭懿さんによる翻訳紹介だろうと思います。しかしおそらくは、未明のような作風が好まれるという土壌ももともと中国にあるのでしょう。この『赤い蝋燭と人魚』の装丁などを見てもお分かりかと思いますが、日本の童話であるというのが一見して分かるようになっていて、これも未明童話が現在中国でうけている要因の一つかと思います。 しかし、先に述べた第一のピーク、民国時期においてはどうだったのでしょう。1920年から1930年というのは、中国の文学史の中でとても重要な時期です。かつて私はこの時期の児童文学を知る為に、『小説月報』という中国の文学史の中ですごく重要な雑誌を調べていました。すると、1921年頃に、未明の童話がまとまった形で翻訳紹介されているのに気付きました。他の日本の童話作家の中で、こんなに沢山翻訳紹介されている人なんていません。なぜ未明童話なのか、と思いました。また、この時に翻訳紹介されていたのは、あまり有名な作品ではありませんでした。なぜ「赤い蝋燭と人魚」のように有名な作品ではないのだろうか、とも思いました。 『小説月報』以外にも、例えば『児童世界』 という日本の『赤い鳥』に相当する当時の子ども向け文芸雑誌にも未明童話は翻訳され、そうして翻訳された未明童話は、やがて単行本の形で出版されました。それが『牧羊兒(羊飼いの子ども)』(1925年 商務印書館)という短編集です。この童話集には、最初に葉紹鈞という中国童話の創始者と言われている人の作品があり、そして中国の作家の作品が数作載った後に未明の童話が3作品、アンデルセンの童話が3作品載っています。 中表紙にはなんと未明の写真が載っています。その次のページにはアンデルセン。二人だけ破格の扱いです。このことからも、小川未明が、西洋のアンデルセンに匹敵する人物として扱われていたということが分かります。西洋のアンデルセンと東洋の小川未明に続いて、自分たちも近代童話の創作をやっていこうという中国作家の意気込みが伺えます。 この時期未明の童話を翻訳したのは、張暁天という人です。詳細は不明ですが、記載から推測するに、編集者だったのでしょう。おそらく日本への留学経験があり、何らかのきっかけで未明童話に惚れ込み、未明の童話集を翻訳出版するようになったかと思います。 張暁天は『小説月報』誌で小川未明の童話を数編翻訳紹介して以来、未明の童話を多数翻訳し、1931年には、上海新中国書局より『小川未明童話集』全4冊を出版しました。これほどまとまった形で翻訳出版された童話作家はこの時期他にはおらず、中国の研究書の中でも、この4冊はこの時期最も影響力の高かった翻訳書に数えられています。 民国期になぜこれほどまとまった形で未明童話が翻訳出版されたかと言えば、この時期 の中国作家たちにとって、童話は自分たちが到達すべき近代的な文芸であり、未明童話がその模範であったからでしょう。自分たちがお手本にできるような、近代的なモチーフで描かれた童話、当時の中国ではそういうものが求められていたわけで、そこがポイントだったのだと思います。 この童話集の存在は未明も知っていて、出版に際して未明自身からも中国語版に対する序が寄せられています。なかなか他で目にする機会がないと思いますので、私が翻訳したもので恐縮ですが、ここでご紹介したいと思います。 「張景君の努力により、私の童話集が善良で正義を愛する中国の子どもたち、そして大人たちに読んでもらえることになった。これを私は心からうれしく思う。人々は各々の良心に従って結びつきあい、理解し、愛し合う。ただ愛だけが、愛のみによって、我々は人のための道を探しあてることができ、世界は平和と幸福を得ることができる。だのに人類の行為というものは、まことに不可解なものだ。確かに社会の仕組みの中に、少なからずの間違いはあるであろうが、何ゆえ今日の如く互いに争いあうのか。そのうえなぜ人類の自己の責任を軽視し、かつ自然と生活の調整の中に真理の存在を求めず、悲劇に盲従せずにはいられないのか。こうした一切は、すべて精神文化を軽視し、物質文明を重視しすぎたためである。例をあげれば、本来人のために発明した機械が、いつのまにか、人を機械に隷属させるような結果になっているということからも分かる。私の童話は、誠を愛する者が心をこめて書いたものである。この訳本が貴 国の読者の中に、同様の純情を発見し、同様の理知を燃やす友人を多く発見するであろうことに、作者として無限の満足を感ずる。」 「人類の行為というものは、本当に不可解なものである。なぜ争い合うのか」というくだりが、今日の日中関係にピタッときます。1930年代当時の日中関係も随分緊迫した状況下でした。そのような中で未明童話が翻訳されたということは、非常に感慨深いです。以上見てきたように、未明童話の戦前の受容のされ方は、今日のものとは少し違います。戦前において、これほど多く未明童話が翻訳紹介されたのは、未明の政治的な態度も選択の一つの理由であったかと思います。しかし何より、未明童話が当時の最先端の童話であり、コスモポリタンな魅力を持っていたという点に理由があったかと思います。あまり日本的でない、地域が限定されない作品が選ばれ、翻訳されていることからも、第2回目の波との違いがうかがえます。 中国の人たちは2回の波の中で未明の作品を読んできました。彼等の未明童話の受け止め方を見ていくことによって、私たちの未明童話に対する解釈にも新たな可能性が生まれてくることを期待しています。
第3回「小川未明の詩碑〈雲の如く〉」
12月6日(日) 小
埜
裕二さん(上越教育大学教授)
(本文の内容は、『小川未明文学館 紀要』創刊号(平成
まり。)すましたい略省、でのす 28年おてれさ載掲に)行発月3 報 告
小川未明文学賞は、日本児童文学の父といわれる上越市出身の小川未明の文学精神「人間愛と正義感」を次代に継承するため、平成4年に創設されました。子どもたちの心に夢と希望を育むような鮮烈な児童文学作品を募集しています。 平成 27年度で
もまちた子に読どれています。 行 大賞作品は単れ本で刊行さ、多くの 。たしまれ外らかせら寄 0に延べ1000を編超る作品が国内え 24回でまれこ、え迎を目
第
…門)け向年学低校学小(部① 品作集募◆
回 項 要 集 募 25
400字詰め原稿用紙
20枚~
…学)け向上以年中校学小(門部② 枚30 400字詰め原稿用紙
60枚~
。は・ワープロの場合等Aサイズで縦書き4 時部門同。応募も可。各品 の表発未で学文作 小生学しもれず読をた者対象と・創作児童い 120枚 成平 切締◆ 課上越市文化振興へ郵送または持参 法方募応◆ 不問 格資募応◆ じ。る綴 度程稿枚2紙あの紙らすじを表の下に用原・ 。記明を号 業郵齢、職、性別、便電番号、住所、番話 筆、名、題に紙名な本名(ふりが)、年・表 400。記明を数枚算換め詰字
28年
10月
入◆選作 31日(月)(消印有効)
・大 賞1作(賞金
・優秀賞 (賞金 100万円・記念品) 成平 ◆発表 20万円) 29年3月(予定)
*詳細は小川未明文学館ホームページをご覧いただくか、左記に問合せください。
応募・問合せ〒
943-
0832
新潟県上越市本町3─3─2 上越市文化振興課内 「小川未明文学賞担当」TEL 025-526-6903FAX 025-526-6904E-mail
* 受 賞 の ひ と こ と *
『四年ザシキワラシ組』を小川未明文学賞大賞に選んでいただき、本当にありがとうございます。 小川未明文学賞を目標に書き続けてこられましたことは、私にとって、とても幸せな時間でした。 私の家の本棚には、未明先生の『月とアザラシ』があります。本の裏には5年3組とマジックで書いてあります。小学生の頃からずっと持っているものです。。で 願いが叶い、賞に選ん大いもたでいし嬉すてと、きだ ていさだくかし通とうど「」お未し明。たしまい願に生先 しに家は私。たペまり知でジームるあ、『本月てめし抱をきの』シラザアと るに作品が残っていホことを、上越市のー選考終最が 今回賞、決まる前の しだのるいてあ解理じ感をとな本、び。すまい思こにたむ読をの まもはど子。するき驚らがならさ人大くがずと考の多とっこ、りよいてえも そ深で細繊のの、が私ろこの物い歳語い今、にとこたてにれさか動を心10
『四年ザシキワラシ組』は、おとなしい性格で、なるべく目立つことはしたくないという小学4年生の男の子が、ザシキワラシに励まされて、「いいたいことは言うべきかも」と、変わっていく物語です。 これからも、笑えること、泣けること、恐ろしいこと、色々な題材を見つけ、子どもの生活と小さな不思議を物語に書いていきたいです。
最後になりましたが、選考していただきました先生方、本当にありがとうございます。 小川未明文学賞を長い間作り続けてこられました、小川未明文学賞委員会と上越市の皆様、文学賞を支えてこられた団体の皆様に、心から感謝いたします。 児童文学を書きたいと願う人の、目標になる賞をありがとうございます。
小川未明文学賞贈呈式
第24
回
小川未明文学賞大賞受賞
こ う
だ
ゆ う こ
(大賞作品「四年ザシキワラシ組」)小 川 未 明 文 学 賞
出張おはなし会 ~おもに小学校と児童クラブに行きました~
特 別 展 お は な し 会
10 月 18 日(日)
(グループ空)
「小さな草と太陽」では、キーボードの演奏をバッ クに、小さな草の生長と心の変化の様子を、自作の 絵で表現しました。
(お話の会うさぎ)
子いたちときつねのおばさんの駆け引きが楽しいお 話です。子いたちはどんな知恵できつねのおばさん をまくことでしょう。
(シャーフの会)
太陽から池の主に任命され自分の池が全世界だと思ってい たかわず。ある日、ぶよから自分の池がちっぽけでまだま だ広い世界があることを聞きます。さて、あせったかわず はどうしたでしょうか。
小川未明文学館ビックブックシアター
小川未明文学館ができて10周年を記念して
特別展が開かれ、合わせて特別展おはなし
会を行いました。
★山の上の木と雲の話 グループさくら
★きつねのおばさん お話の会うさぎ
★太陽とかわず シャーフの会
★小さな草と太陽 グループ空
★二度と通らない旅人 未明童話の会
山部小学校(未明童話の会)
「月夜と眼鏡」「牛女」の2つの作品を楽し みました。皆さん熱心に聞いてくださり、 楽しいおはなし会でした。
上下浜小学校(グループさくら) 「野ばら」を紹介した後で、「感想を?」 との先生の問いかけに、2年生の男子が「戦 争をしてはいけないと思った」と。その言 葉を聞いて深く感動しました。
出張おはなし会、会員加入の連絡先
上 越 市 文 化 振 興 課
〒 943- 0832 上越市本町3─3─2TEL 025-526-6903FAX 025-526-6904E-mail未明ボランティアネットワークだより
発 行:未明ボランティアネットワーク 発行日:2016年5月31日
12
・小川未明文学館ビックブックシアターおはなし会…全24回、延べ参加者330名
・出張おはなし会 (小学校、放課後児童クラブ等)…30ヵ所、1,294名
・特別展おはなし会(小川未明文学館ビックブックシアター)
・会員の研修会(小川未明ゆかりの詩碑巡り)
平成27年度
の活動
文学館でのおはなし会
(毎月第2、4日曜に実施)(シャーフの会)からすねこと ぺるしゃねこ 黒いからすねこと白いぺるしゃねこ。色彩のコント ラストとかわいい動きをペープサートを使ってユー モラスに表現しました。
(グループ空) 真心のとどいた話 貧しくて、村人と米山 の薬師さまにお参りに 行けない女房が、家で 真心をこめて拝み、そ の心が仏様に届いたと いうお話です。
(お話の会うさぎ)水車のした話
水車小屋に大雪で閉じ込められた野ねずみが、一冬 水車と交わした会話をかわいく、ある時は切なく水 車が語ります。
今年度は新グループ「シャーフの会」も 発足して、5グループで活動しました。本 型のスクリーンを使っての映像、パネルシ アターや絵を使い、そして音響効果も加え ながら、子ども達にも未明の作品により親 しみを持ってもらえるよう工夫していま す。今回はその中から各グループで作った 幾つかの作品を紹介します。
小川未明関係資料の収集について
協力をお願いします!
小川未明文学館では、未明に関係する 文学資料の収集に努めています。下記の 資料に関する情報をお持ちの方は、ご連 絡くださいますようお願いします。資料 の寄贈については、特定の場合(すでに 複数点を所蔵している資料等)を除きお 受けしますので、ご不明の点はお問合せ ください。
【主な収集資料】 1.特別資料
小川未明原稿、書簡、遺品、その他自 筆資料(短冊・書軸等)、写真(オリ ジナル)、小川未明関係者資料(未明 書簡、献本など)
2.図書
未明作品集(未明生前・没後刊行図 書)、全集・選集(未明作品を一部所 収した資料も含む)、初出雑誌(未明 作品掲載)、未明作品の外国語訳、絵 本・紙芝居
3.参考資料
未明に関する研究論文、エッセイ、記 事(雑誌・新聞等)
●
お知らせ
●小 川 未 明 文 学 館 利 用 案 内
開館時間 火~金曜日 午前
10時から午後
( 時7 か月ら6 月の間は午後9
土 ・日・休日 午前 時まで)8 10時から午後
時6
休館日 毎週月曜日(この日が休日の場合はその翌日) 休日の翌日・館内整理日・資料整理期間 年末年始(
12/
29~
/1
)3 入館料 無料
問合せ 〒94
3-
0835 新潟県上越市本城町
8- TEL 02 30(高田図書館内) 5-
52
3-
1083 FAX 02
5-
52
3- 1086URL http://www.city.joetsu.niigata.jp/site/mimei-bungakukan/
北陸新幹線
発行 上越市文化振興課 〒943-0832上越市本町3-3-2 TEL:025-526-6903 FAX:025-526-6904
平成28年度 小川未明文学館カレンダー
6~7月 朗読研修会
6月17日(金)・7月1日(金)・7月15日(金)
6~8月 童話創作講座
6月26日(日)・7月31日(日)・8月7日(日)
7~8月 特別展
「小川未明文学賞25周年記念 大賞受賞作品展」
7月30日(土)~8月28日(日)
10~12月
特別展「小川未明 12冊の本展」10月8日(土)~12月ころ
10月 小川未明文学賞締切
31日(月)10~12月
文学館講座 (全3回)3月 小川未明文学賞贈呈式
*通年で、所蔵品紹介の小展示を行っています
未明ボランティアネットワークによるおはなし会
*毎月第2・4日曜日午後2時から文学館にて開催
*学校等での出張おはなし会を随時開催