ほしがきができるのをまっています
へ た の ち か く の か わ が
む き ず ら か っ た 。 あ と か
わ む き で む け な か っ た と
こ ろ が あ っ た 。 あ と か わ
を つ よ く む か な い と で き
なかった。 (S子)
こ ど も は か き の か わ を
む き ま し た 。 あ と ほ し が
き が で き る の を ま っ て い
ま す 。 そ れ に た の し み 。
(H雄)
東初協(東京私立初等学校協会)音楽祭
さあ はじめよう
∼和光小の子どもたちも参加します∼
日時 2010年11月28日(日)9時30∼
場所 昭和女子大学人見記念講堂
※ 午前の部で、リコーダー鉄人の子どもたちを中心に、和光 小の子どもたちが出演します。詳しくは飯島先生まで。
11 ・ 28世田谷子どもまつり
∼2.3.4年生有志が踊りで参加します∼
日時 11月28日(日)10時45分∼14時
場所 世田谷区立世田谷小学校
※ 13時から、2.3.4年生が踊ります。
11月24日(水)の下校について
20日の和光中高教研集会に参加した小学校教員が、午後 半代休をとるため、下校を1時にします。よろしくお願いし ます。
12月3日(金)の下校について
12月3日は、第二次外部入試が午後からあります。その 関係で、子どもたちはお弁当あり、13時10分には下校で、 放課後は残れません。ご協力をお願いします。
新体育館・プール・子どもの森充実寄付に
ご協力をお願いします
∼一口5000円から、事務室で受付∼
体育館プール棟の足場がはずされてきて、次第に全体の姿 が現れてきました。完成まで1ヶ月あまりとなりました。学 園理事長と校長からの文書でもお願いしましたように、この 体育館棟の諸設備(照明・音響・張り出し舞台・山台・暗幕・ 子どもの森の整備等)には新たな財源が必要となります。そ こで現在事務室窓口にて「体育館・プール棟教育環境設備充 実寄付」の募集を行っています。3学期は、劇の会、うたの 会、そして卒業式など大事な行事が新しい体育館で行われま す。ぜひご協力をお願いします。
12・26親和会講演会
和光寄席 春風亭勢朝さん
日時 11月26日(金)13時∼
場所 音楽室
※ ぜひ楽しい落語の世界でお笑いください。
ベーゴマ大会が11月26日昼休みにあります
和光中学校主催
野球・サッカー・バレーボール教室
すでに案内を差し上げていますが、和光中学校の各クラブ が指導する教室です。今まで野球、サッカーを行ってきまし たが、今回はバレーボールも加わりました。ぜひご参加くだ さい。
日時 12月18日(土)
野球教室(5.6年対象)10時∼12時
サッカー教室(4.5.6年対象)13時∼15時 バレーボール教室(5.6年対象)13時∼15時30分
※ 保険に加入する関係で(無料)事前申し込みです。申し込み 用紙は担任まで提出してください。
和光小学校
学校通信
2010年度
2 0 1 0 年1 1 月2 4 日 NO.2 8
授業参観・ 教懇参加あり がと う ございま し た
http://www.wako.ed.jp/
銀杏
ぎ ん な ん
のなる木を見上げて
第31話
「わからん」が
授業の質を変えた
∼『仙太郎窯』の寄贈にあたって∼
美術室西側ベランダに、新しい焼き物用の「電気釜」が設 置されました。このいきさつについて、先日行われた学園創 立77周年記念式典で、役員勤続20年の挨拶の中で行田先 生が次のように紹介してくれました。
・・・私は 1983 年 4 月、教育実践の夢を描いて公立校から 和光学園に「転職」しました。カルチャーの違いに自己葛藤 する日々が続きました。「和光で生きていくことができる」と 私自身に確信を与えてくれたのは、その時、担任していた学 級の子どもたちでした。納得するまで前に進まない恒(ひさ し)君という子がいました。分数の授業では「1 も数字、3 も数字、その間に棒線を入れて 1/ 3 と書いて、どうしてそれ が数字なのか?」と「わからん」を連発しました。その「わ からん」が、私の学級の「授業の質」を何倍も高いものに変 えていきました。クラスのみんなが真剣に関わり、みんなで わかり合い、そして十進法とは違う分数の本質を深く理解し ていく授業へと変えました。「学びを通して人と人はつなが ることができる」と私に確信させてくれました。子どもたち との出会いは、私の授業論を高める岐路になりました。
彼は、小・中・高・大学と一貫して和光で学び、卒業後、 会社勤務を経て備前焼の窯元で修業をはじめました。私は、 一度しかない人生を選択する生き方にエールを送りました。 また、将来、彼の窯を訪ねるのを楽しみにしていました。と ころが今年の春、悲しい訃報を伝えられました。備前での修 業中に、彼の周りには流派にとらわれない人間関係のつなが りが広がっていたということです。修業が実り、この春、い よいよ両親を備前に迎えて自分の窯(仙太郎窯)を開設する 直前の他界でした。ご両親が学校を訪ね、和光で生きた「恒 の証」を届けたいと申し出てくださいました。簡単には弟子 を持たない窯元が彼を受け入れたのも、彼の周りに流派の違 いを超えた人々のつながりができたのも、和光で育った力だ と話されました。今、新築の和光小学校の屋上に、2010 年 11 月 10 日付の斉藤恒寄贈の『仙太郎窯』が設置され、初窯を待
つばかりになっています。恒君の「陶芸家として生きる夢」 が和光の子どもたちにつながることを祈念しています。同時 に、ご両親にこの場を借りて感謝申し上げます。・・・
(2010年11月9日)
斉藤さんから『仙太郎窯』の寄贈を受ける行田先生 この恒君が行田学級にいたとき、私は隣のクラスの担任で した。わからないことを率直に「わからん」と主張する恒君 によって、周りの誰もが「わからないときには、わからない といっていいんだ」という安心感が広がり、その「わからな い」子どもたちに、どうわかるように説明するか、そうした 中で子どもたちの学びあいが広がり、みんなが算数がわかり、 好きになっていく姿を私は見ていました。行田先生の算数を 通したクラス作りは、私たち当時の若い教師たちに大きな影 響を与え、「学ぶ楽しさなしに、真の学力は育たない」という 学習観が和光小学校の中に広がって、今日に至っています。
この「仙太郎窯」はまもなく達人の子どもたちによって「火 入れ式」「初窯」を迎えることになります。これから、この窯 から出てくる子どもたちの作品をみるたびに、和光の算数の 授業を大きく変えるきっかけになった行田学級のクラス作り を、私は思い起こすことになりそうです。