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労働市場と所得分配

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Academic year: 2018

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序 労働市場と所得分配

樋口美雄

1 本書の目的

本書は,シリーズ『バブル/デフレ期の日本経済と経済政策』の第 6 巻に あたる『労働市場と所得分配』であり,わが国の 1980 年代後半に発生した バブル経済,さらにはこれに引き続いて生じた長期経済低迷やデフレ現象に 着目し,労働市場の観点から,これらを引き起こした要因を考察するととも に,それが所得分配や企業行動,家計行動に与えた影響について検証するこ とを目的としている.

過去四半世紀にわたる日本の労働市場の動きを見ると,それ以前に比べて, 景気の大きなうねりから強い影響を受けるようになった.たとえば完全失業 率である.1980 年代なかごろまでは,高度経済成長終焉以降も完全失業率 は徐々に上昇する傾向は示していたものの,急激な変動は見られず,2%台 で推移していた.ところがバブル経済が始まった 87 年になると,失業率は 過熱した景気に後押しされるかたちで大きく低下するようになった.ところ が 90 年代に入り,バブルが崩壊すると,その後は一転して上昇を始めた. 96 年ごろには一度落ち着きを見せたが,その直後の 97 年に発生したアジア の通貨危機,そしてこれをきっかけに発生した国内の金融危機を引き金に失 業率は再び上昇を開始し,それ以前にも増して上昇速度をアップするように なった.その結果,2002 年には過去最悪の 5.4%を記録した.その後,緩や かながらも景気回復の影響を受け,失業率は低下をはじめ,2007 年に 3.9% まで下がったところで,2008 年 9 月のリーマン・ショックに見舞われた.

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か.そして需要要因に加え,あるいは労働者の年齢構成や男女別構成の変化 といった供給側の構造変化,さらにはミスマッチ失業の増加,規制緩和,労 働法の改正,制度変更の影響はなかったのだろうか.

男女別の失業率や雇用者数の動き,さらには正規・非正規労働者数の推移, 世帯主所得の変動や所得格差・賃金格差の動向を見ると,97,98 年以降, それまでとは違った動きが観察されるようになったが,こうした種々の統計 の動きは,この時期に日本の労働市場に大きな構造転換が起こったことを意 味するのだろうか.ちょうどこの時期には,企業の資金調達方法にも変化が 見られる.すなわち 80 年代まで大企業の資金調達方法として主流だった銀 行からの借り入れは 90 年代に入り減少し,90 年代なかごろからはそれまで の企業間の株式持ち合い制度もファンドの株式所有に代わられ,なかでも外 国人株式保有割合の上昇が見られるようになった.こうした変化が,企業の 短期利益の重視や企業統治(コーポレート・ガバナンス)の変化をもたらし, ステーク・ホールダーにおいても社員とともに株主を重視する傾向を強めた ことが人件費の抑制や固定費化の回避につながったという指摘がある.はた して資金調達と長期雇用・年功賃金の間の制度の補完性は,実証分析により 検証されるのか.そしてグローバル化や技術革新の急激な進展が,この間, 企業行動に大きな変化をもたらしたのは事実か.

さらに労働需要側の行動変化とともに,この四半世紀の間に起こった若年 人口の減少や女性労働者・高齢労働者の増加などの労働供給サイドの構造変 化は,失業率や労働時間,賃金水準,賃金変動にどのような影響をもたらし, 労働市場の調整機能や労使間の所得配分のあり方や正規・非正規間,男女間, 年齢間,学歴間の賃金格差にどのような変化を引き起こしたのか.

2 各章の要約

本書は以上に述べたような過去四半世紀に起こった企業および家計の行動, さらには労働市場の変化に焦点を当て,その要因と影響について検証し,労 働政策・経済政策のあり方について検討することを目的とする.

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特徴を明らかにするために,できるかぎり国際比較を行うこと.⑵マクロ経 済から労働市場への影響を分析するとともに,可能であれば労働市場からマ クロ経済へのフィードバックを考慮に入れること.⑶バブル・デフレ下の現 象が景気循環によるものか,構造的変化によるものかを識別するように心が けること.⑷政策の影響を取り上げ,その問題に関する論争点をできるかぎ り浮き彫りにすること.こうした共通認識のもとに,各章のテーマに関する 既存研究の成果を紹介するとともに,各自のもつ仮説について,統計資料を 用いて検証した結果を記述している.

「 労働分配率,賃金低下」野田知彦・阿部正浩

野田・阿部論文は,1990 年代半ば以降に低下傾向となったわが国の労働 分配率に関する実証分析である.同論文によれば,労働分配率の低下は生産 性の上昇のもとで賃金が大幅下落する形で生じている.経済全体で見た労働 分配率の低下は,低賃金産業のウェイト増加によってではなく,多くの産業 で賃金そのものが伸び悩んだことにより生じた.さらに,上場企業のパネル データ分析から,旧来型の日本式ガバナンス下にある企業よりも,外国人株 主の影響が強い企業ほど,賃金の抑制圧力が強いことが明らかにされる.こ の結果は,企業の資金調達方法の変化が従業員の賃金水準にも大きく影響を 与える可能性を示唆している.

「 賃金調整・雇用調整とフィリップス曲線の変化――1990 年代の変化

とその背景」山本勲

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「 構造的失業とミスマッチ」西川正郎

西川論文では,1980 年代以降の日本の労働市場における構造失業とミス マッチに関する動向および研究を概観している.UV 分析や自然失業率を用 いたフィリップス曲線によれば,2000 年代初頭まで構造的失業が増大して いたとの試算も可能であり,時系列分析では,ミクロ・ショックによる均衡 失業率の増加を支持する傾向があるなど,構造的失業の増大を示唆する結果 も得られているが,構造的失業がどの程度生じているかについての統一的な 証左はなく,ミスマッチにより構造的失業が増加しているとは断定できない と指摘する.

「 1990 年代後半から 2000 年代前半の雇用深刻化に関する検証――雇

用創出・消失の動向と存続・開廃効果への分解」照山博司・玄田有史 照山・玄田論文は,「雇用動向調査」の個票データを用いた 1990 年代から 2005 年にかけてのマクロ的雇用環境変化について分析する.バブル崩壊と 金融危機を経て深刻化した日本の雇用状況は,2001 年以降,一定の改善傾 向を示している.しかし,2000 年代においても,存続事業所での雇用創出 力の高まりは 2005 年まで観察されておらず,全般的に就業機会の創出に乏 しい雇用回復であった.マクロ的雇用の増減を,存続事業所での変動と開廃 業による変動に分解した結果,90 年代以降一貫して開廃業による変動が支 配的であったことが示される.

「 1980 年代以降の日本の労働時間」神林龍

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「 労働組合と雇用調整」野田知彦

野田論文は,ポストバブル期における労働組合が経済変数に与えた影響に ついて,とくに雇用保障や雇用調整に対する効果に焦点を当てた分析を行っ ている.いくつかのサーベイと上場企業のパネルデータを用いた分析からは, 労働組合の人員整理や雇用調整に対する影響は「状態依存的」に変化してお り,経営状態が良好な場合には労組は雇用維持を求めるが,赤字の発生時や 景気の深刻な悪化が生じている状態では,逆に雇用調整に対し協力的である ことが明らかにされる.組合の雇用調整に対する効果が,企業統治のあり方, すなわち資金調達や株式所有構造,経営者属性の影響を受けることは,コー ポレート・ガバナンス構造の変化にともなって,労働組合の雇用保障,ある いは雇用調整に対する行動が変化することを示唆している.

「 年功賃金・成果主義・賃金構造」三谷直紀

三谷論文は,バブル崩壊後に生じた賃金構造および賃金制度の変化,すな わち,年齢・賃金プロファイルのフラット化の進展と,多くの企業で導入さ れた成果主義的賃金制度への改定に着目し,それらの背景にある要因を探る とともに,両者の関係について分析している.日本の賃金格差に関しては, フルタイム労働者を見るかぎり,欧米のような拡大は見出せず,年齢間格差 は縮小している.この要因として,長期不況下での生産性が低下したことに 加え,高齢化や定年延長,高学歴化等の供給要因があげられる.また,賃金 制度について資格給的性格の強化と年功的な性格の弱まり等を指摘している. しかし,賃金プロファイルのフラット化を成果主義の結果と考えるには無理 があり,成果主義は近年の年齢階層内賃金格差の拡大に寄与したと論じてい る.

「 所得格差」大竹文雄・小原美紀

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大が始まっている.また,所得格差の拡大以前から消費格差の拡大が始まっ ていることが指摘されており,これは生涯所得の格差や資産格差の拡大の反 映と解される.さらに,アングロサクソン諸国における所得格差の拡大は, 所得上位層の所得上昇が主たる原因であったのに対し,日本のそれは所得下 位層の所得低下に由来すると論じる.

「 バブル経済以後の学校教育と教育政策」赤林英夫

赤林論文は,バブル経済期を,わが国の経済だけでなく学校教育と教育政 策においても転換期であったととらえ,その節目の時期から,経済学的な視 点が重要と思われる統計的事実および教育政策を取り上げ,その背景と意義 を検討する.はじめに,教育への政府の関与の経済学的根拠について,標準 的議論を紹介した後,バブル前後における学校教育の状況について,とくに, 私立学校の台頭に焦点を当てて統計を確認している.また,教育政策として, 「ゆとり教育」政策批判や,近年,盛んになった国際的学力調査等を取り上

げ,それらに対し経済学的な観点からの議論を紹介するとともに,最後に, 今後のよりよい教育政策研究に向けた課題を提起している.

10 賃金格差――個人間,企業規模間,産業間格差」太田清

太田論文は,1990 年代以降の個人間賃金格差,企業規模間賃金格差,お よび産業間賃金格差を分析している.それによれば,フルタイマーの賃金格 差は 90 年代にはやや縮小していたが,2000 年ごろから拡大しており,とく に賃金の下位層において格差の拡大が顕著であるという.また,非正規雇用 を含めた賃金格差の拡大はより顕著であり,ワーキング・プアの増加が見ら れる.雇用の非正規化とそれによる格差の拡大傾向は,2002 年以降の拡大 局面においても継続しており,何らかの構造的・趨勢的要因によるものと論 じている.企業規模間賃金格差は,90 年代半ば以降,男性では拡大,女性 では縮小となっており,産業間賃金格差については,90 年代前半に縮小し た後,大きな変化は見られないという.

11 バブル景気以降における男女間賃金格差の実態とその研究動向」川

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川口論文は,バブル景気以降の男女間賃金格差の変動の要因に関する研究 のサーベイである.男女間賃金格差は,近年,安定的に縮小傾向にあるが, 格差縮小のテンポは遅い.男女間経済格差の要因分析の結果は,男女間賃金 格差が,勤続年数,学歴,年齢,管理職比率等の違いで(部分的に)説明で きることを示している.一方,女性の活躍と企業業績の関係を分析した研究 からは,女性差別の非合理性を示唆する正の相関も見出されている.また, 個別企業の均等化施策と男女間賃金格差の研究では,個々の企業の均等化努 力が男女間賃金格差縮小にとって重要であることを示唆する結果が得られて いるという.

12 賃金・雇用の地域間格差」勇上和史

勇上論文では,失業率と賃金に関する地域間格差に着目し,1980 年代以 降の変化とその変動要因が考察されている.賃金・雇用の地域間格差は,バ ブル崩壊から 10 年にわたって縮小した後,2000 年代に入っての景気回復期 にバブル期を凌いで拡大した.格差の縮小をもたらしたのは,公共投資によ る地方雇用の下支えや労働移動による需給バランスの調整機能の高まりで あった.一方,近年,若年者の労働移動の低下,および景気回復期における 地方圏労働需要の伸び悩みが生じており,その要因として,若年労働力の質 的変化や企業の海外生産活動の進展,公共投資の縮減を含む地域政策の転換 等が示唆される.

13 非正規雇用増加の背景とその政策対応」阿部正浩

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を送れない人々を生み出す事態が生じている.非正規雇用は今後も増加する 可能性が高く,雇用政策の再考が不可欠であると指摘する.

14 女性就業・少子化」樋口美雄・佐藤一磨

樋口・佐藤論文は,バブル経済以降の労働市場における女性の役割の変化 を,とくに景気変動との関連で検討するとともに,女性の就業促進諸施策の 検証作業を行う.労働市場における女性の役割は質量とも増大しており,男 性雇用が 98 年以降減少傾向にあるのに対し,女性労働者は非正規雇用の形 態で増加を続けている.女性就業の質的向上を図る観点に立った育児休業法 の改正や男女雇用機会均等法の改正が果たした役割を検証した結果,労働需 給が緩んでいた 90 年代にはその成果は確認されなかったが,2000 年以降の 景気拡大期において,継続就業率の上昇が見出されていると指摘する.

15 若年雇用問題と世代効果」太田聰一

太田論文では,学卒時の労働市場の需給バランスが,その後の賃金や雇用 に大きな影響を与えることを示す,いわゆる「世代効果」を軸に,バブル崩 壊後の若年労働市場の動向を論じられている.分析結果によれば,バブル崩 壊後に観察された若年失業,フリーター,ニートが増大したことは,労働需 要の不足に起因していた.また,世代効果に関する実証研究の蓄積に基づけ ば,学卒時の労働市場の悪化は,賃金,転職,就業状態等多くの面で,その 後の若年層の勤労生活に悪影響を与えたことがわかる.さらに,こうした世 代効果をもたらした要因として,新卒重視の日本企業の採用行動があると論 じられる.

16 日本における高年齢者の就業率の高止まりおよび変動の要因」山田

篤裕

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退給付を導入しなかったこと,等が作用している.また,男性高年齢者就業 率の変動には,60 歳一律定年制の急速な普及が影響しており,①景気循環 に対する男性高年齢者の失業率の振幅がバブル期以降拡大していること,② 60 歳時点での雇用保険受給確率がここ 20 年で急速に高まったこと,等が示 される.

17 職業訓練」黒澤昌子

黒澤論文では,バブル期以降のわが国における能力開発について,記述統 計および実証研究から得られる知見を明らかにしたうえで,今後のわが国の 能力開発に関して生じうる問題点について議論する.2004 年以降,バブル 崩壊から減少が続いていた民間企業における訓練量は漸く回復の兆しを見せ ているが,日本の経済状況の変化とともに,わが国における能力開発のあり 方も着実に従来のあり方から変化している.今後の能力開発政策では,とく に個人主導の能力開発への直接支援やそれをとりまく環境整備と企業内訓練 への支援とのバランスを考慮することが重要であると論じる.

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