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平成24年度第5回議事録(平成25年1月16日) 文化財審議会 議事録|浦安市公式サイト

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平成 24 年度第 5 回浦安市文化財審議会議事録(議事要旨)

1 開催日時 平成 25 年1 月 16 日(水) 午前 10時~12時 2 開催場所 郷土博物館 視聴覚室

3 出 席 者

(委 員)平野委員長、平野(敏)副委員長、杉山委員、丸山(光)委員、丸山 (純)委員(10:45 退席)、吉田委員

(事務局)石川生涯学習部長、加藤生涯学習部次長、飯塚館長、斎藤主幹、島村、 林(記)

(傍聴人)なし 4 議 事

(1) 史跡表示板「浦安町役場跡」について(最終確認) (2) 歴史的事物の検証について(検討)

・清瀧弁財天境内 大正6年大津波犠牲者の供養塔について

・北部土地改良記念碑

・南部土地改良記念碑 ほか

(3) 文化財住宅(旧大塚家・旧宇田川家)の活用について(検討) (4) 三軒長屋の差し茅・外便所修復工事の現場見学

(5) 企画展「浦安の海苔養殖」の視察及び意見聴取 (6) その他

5 会議経過

会議に先立ち、平野委員長、石川生涯学習部長の挨拶があり、議事に入った。

(1)史跡表示板「浦安町役場跡」について(最終確認) 配布資料をもとに事務局より説明した。

特に意見もなく、全員文案について了承した。

※ 丸山純委員が途中退席されるとのことだったので、議題の(2)・(3) の順序を入れ替え、先に「(3)文化財住宅の活用について」の審議を 行った。

(3)文化財住宅(旧大塚家・旧宇田川家住宅)の活用について(検討)

事務局より資料に基づき、文化財住宅の現在の利用状況を説明した。

(委員長) ここ最近の入館者数減は、旧市街地再開発の工事でフラワー通りあた りが閉鎖されていたことも、影響しているのではないか。

(委 員) 元町の再開発・区画整理が進み、街並みも変わっていかざるを得ない なか、旧大塚家・旧宇田川家住宅の存在というものは、ますます重要 になってくる。濱野医院は、工事の関係でいろいろと手を入れられて

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しまい残念に思うことも多いが、なんとか残せたということをよかっ たと思うしかない。

文化財住宅の活用というと、とかく入館者数だけを取り上げること になってしまいがちだが、数にあらわれない部分で「見学の質」がど うなのかということも考えなければならない。つまり、ホスピタリテ ィの問題で、お客様をどう迎えるかということも大切である。

以前仕事で訪れたことがあるのだが、他市のある町屋では、その家 の元所有者のご夫妻が直接出迎えてくださり、座敷の床の間にはその 日の朝に庭からとってきた花が活けてあった。そういうおもてなし(ホ スピタリティ)があると、お客様も自然と静かにゆったり文化財住宅の 建築や空間に向き合うことになる。大塚家や宇田川家住宅も花を活け たりしている時期もあったのだが、この間学生を連れて行った際には なかったので、もうやめてしまったのかと残念に思った。

もう一つ気になったのは、「~してはいけない」という張り紙がして あったこと。博物館の屋外展示場も同じだが、そのような張り紙はせ っかくの雰囲気を壊してしまうのでやめるべきである。お客様の安全 を考えると、必要であることはわかるのだが、何か違う方法を考える のがよいと思う。

利用については、子どもの教育、つまり学校で活用してもらい、子ど もから大人へとその理解が波及していくということもいいのだが、も う一つは、社会教育として、高齢者の方々に利用してもらう機会をつ くることも大切かと思う。いわゆる「回想法」など、高齢者の方々に 来てもらい、昔の家や昔の暮らしの雰囲気のなかで、記憶を共有する 人たちがそこで思い出したことなどを活き活きと語り始める。そうい う話を聞いてあげることが、高齢者の方々の刺激となって、さらなる 記憶を引き出すことになり、認知症や介護予防にもつながっていく。 すべてを博物館職員がやるというのではなく、こういうことをアレン ジしてくれるような NPO や市民ボランティアなどと協力関係を結んで 利用してもらうということも考えていくとよいだろう。屋外展示場の 時代設定、昭和 27 年ころというのは、ちょうど今の高齢者の方々が一 番活躍していたころにあたる。せっかくの施設が宝のもちぐされにな らないように、進めていってほしい。

(委 員) 「宇田川家」「大塚家」だけで考えるのではなく、町並み全体で考える といいのではないか。町歩きするにも、行く途中途中での楽しみがない といけない。そういうことを考えると、境川を活用し、水辺を歩きなが ら、または乗船して、博物館と文化財住宅を結ぶようなプランを立てる と、もっともっと入館者が増えるのではないか。以前とは異なり、神社 なども最近はいろいろなイベントにも力を入れているようなので、そう いうところを見学してもらうなど、町歩きのプランを境川の活用を含め た形で考えるのがよいと思う。

(委 員) 町歩きを考えるときに必要なのは、食べるところとトイレのことであ る。川を生かした町づくりというと、韓国ソウル市の清渓川(チョンゲ

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チョン)を参考にするとよい。昔は、市民の生活の中心であった川だっ たのだが、高度経済成長期に高速道路が上にできてしまって、川を暗渠 にしてしまった。その高速道路の柱などが老朽化してしまったことに伴 い、李明博氏がソウル市長に立候補する際「高速道路を撤去して川を復 元する」という公約を掲げて当選し、実際に2 年半でその復元工事をや り遂げてしまった、という例がある。それが、今非常にきれいな都市公 園になっていて、市民の憩いの場になっている。市でつくっている清渓 川のマップがあるのだが、そのマップにはちゃんとトイレの場所がポツ ポツと書き込まれている。すべて市でつくっているトイレというわけで はなく、すでにある川沿いのお店や銀行などのトイレなど、利用できる トイレがちゃんとピックアップされている。そういうやり方というのは、 参考になる。新たにトイレをつくるとなると大変だが、周辺のお店など に交渉して利用させてもらう、ということはできると思う。

(委 員) 町歩きの方々に声をかけたことがあるのだが、やはりフラワー通りの なかに公衆トイレがないことをおっしゃっていた。佐原市などは、お店 の外に「観光客の方、トイレご利用ください」というような看板がわざ わざ出ていたりもした。フラワー通りには確かにトイレがないので、何 かそういう方法も必要かと思う。「さくら祭り」など人が集まるような イベントのときは、特にトイレが必要。設置する場所がなければ、お店 にトイレの提供をお願いするなどの対策を立てた方がよいと思う。教育 委員会の管轄ではないとは思うが、人を集めるにはそういう裏の部分の 整備も大切であろう。

(事務局) 今、いただいたご意見につきましては、指定管理者である施設利用振 興公社とも打ち合わせをしながら、進めていきたいと思います。

(委 員) 「文化財めぐり」も、2,3参加させていただいたが、参加者の皆さん はとて も喜 んで いら したよ うで ある 。ア ンケー トな どは とっ ている の か?

(事務局) 施設利用振興公社でアンケートをとり、結果は館にも報告されている。 (委 員) 参加してみて感じたことは、参加者層の幅が広いということ。80 代後

半の方もいれば 50~60 代の方もおり、世代によって見方が違うのでは ないかと思った。だから、感想も当然違う。懐かしがっている人もいれ ば、初めて見たという人もいるようだった。地元の文化財にもっと力を 入れることも重要だが、他市を見る機会をもつことも大切だと感じた。

(事務局) 文化財住宅の活用については、サークルや市民団体などに建物の設置 目的に見合った内容のイベント(たとえばお茶やお花など)、そういう活 動のために貸し出す、というような活用の方法もあるのではと考えてい る。もちろん「一定のルールに基づいて」ということであるが。そのよ うな点についても、他市の利用状況も踏まえながら、次回委員の皆様か らご意見をいただきたいと思っている。

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(2)歴史的事物の検証について(検討)

配布資料をもとに事務局より説明した。 主な質疑・応答については、下記のとおり。

・清瀧弁財天境内「大正6年大津波犠牲者供養塔」

(委 員) 父親に聞いた話であるが、うちの父が8歳くらいのときのことで、新 築で家を建ててから2年目だったそうだが、流されてしまい、屋根の上 に上がって重石にまたがったまま流されて、なんとか命を取り留めた、 という話を聞いたことがある。場所は、野球選手の阿部慎之助の家があ るあたり(猫実3丁目15 番地付近)。

船の舫が外れて、船がどんどんと陸地に流れ込み、家々にぶつかって、 家が船に壊されていった、ということのようだ。

(事務局) 当時の東葛飾郡役場がまとめた『大正六年暴風海嘯惨害誌』という当 時の資料にも、境川河口、今の東水門付近につけてあった18mもの浦安 丸という船が高潮に流されて、当代島の街道のところに乗り上げてしま った、という記録が書かれている。

(委 員) 浦安全域が水没するような被害があったとのことだが、なぜ清瀧弁財 天に供養塔があるのか。清瀧弁財天は、もともとあった場所と今の場所 は違う。地盤沈下で土地改良を行った後、場所を動かして建て直してい る。この移動の頃を知っている人なら、この供養塔のこともわかるので はないか?

また、町全体で災害があったのだから、清瀧弁財天にだけでなく、ほ かの 地 区 のお 寺 など にも こ う いう も のが 残っ て い る可 能 性も ある ので はないか?

(事務局) この塔には、年号などなんの刻みもないのではっきりとはわからない が、石の様子からみると、台座は古いが、塔そのものの石はさほど古い ものにはみえない。もともとあった供養碑のようなものを清瀧弁財天を 移動して新たにお堂を建てたときに、大きく作り直したのではないかと 推測できるのだが、残念ながら今のところ世話人の方や管理している宝 城院の住職の方に伺ってみても、有力な情報は得られないでいる。

(委 員) 旧の弁天様については、もともと管理する人がいなかった。そこに、 どういう経緯かはわからないが、一人いいお坊さんが来たということで、 みんなその人を信じるようになっていたら、そのお坊さんが集まったお 金を使いこんでしまった、というようなこともあったようだ。その後、 南部土地改良事業が終わって、弁財天を移動して新しく建てることにな った。そのころは、魚河岸の商売をやっていた家は景気がよかったこと もあり、その河岸に行っていた人たちが中心となって「奉賛会」という ものをつくって、今の場所にお堂を建てた。その人たちも、お亡くなり になった方が多い。宝城院の住職さんも亡くなってしまって若い人にな ってしまったから、そのころのことをわかる人がいなくなってしまった のだと思う。

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(委員長) 南部土地改良や弁財天復興のことは、たまたま私は役場にいてその仕 事に少し関わったりしたことがある。記念碑に名前を刻まれている人も、 今はほとんど亡くなってしまった。河岸行き(築地の魚市場で商売をし ている人)の方々にとっては、この弁財天を信仰することによって河岸 (築地の魚市場のこと)のいい場所をとることができる、というようなこ ともあったようだ。

農業調査で今調べているところなので、そういうことも含めて、ここ でまとめておいた方がいいと思う。

・「北部土地改良記念碑」と「南部土地改良記念碑」

(委 員) なぜ、北部と南部とで、こんなに大きさに違いがあるのか? (委 員) 南部の方が少し遅れて行われた。

(委員長) 南部の方が、規模が大きかった。刻まれている名前をみると、河岸行 きの商売をやっている方が多い。農業関係でも大きくやっていた方々が 多い。そういう方々から寄付を募ってやっている、ということもあるだ ろう。

(委 員) 北部土地改良は、「土地改良法」という法律に基づいて、工事終了後 は農業を再び行うこと、耕作することを前提に進められたが、南部の場 合は「都市計画法」によって行われ、住宅地などに利用してもいいよう に進められた。そういう違いがある。実際、堀江の方は、道路などをつ くるために、田んぼの減歩が多かった。北部は、1 割くらいの減歩で済 んだ。そういうこともあって、北部は公園もなく、駅前もあんなに狭い ロータリーになってしまった。北部と南部とで、同じ土地改良といって も違いがある。北部は耕作を前提に行われたものだったが、結果的には 昭和 44年に東西線が開通したことで、住宅地になっていってしまった。

農業について言えば、江戸川も放水路ができると、いい真水が流れて こなくなってしまった。旧江戸川は、逆に上げ潮で逆流し、塩水が入る ようになった。すると、耕作するにも川から水を引くことができず、雨 水を待つしかないという状態になる。せっかく土地改良をしても、真水 が入らないから耕作はできない。そういうことも、大きく影響した。

(委 員) 土地改良記念碑について、内容がわかりやすいようにということだが 具体的にどのようなものにするのか?

(事務局) やはり「史跡表示板」のような形で、説明を入れたものをつくりたい と思っている。

(委 員) 石碑に、内容についての説明文章が刻んであるのだから、説明板をつ けるのではなくて、公園入口などに「奥にこういう記念碑があります」 ということがわかるよう、矢印を入れた案内看板をつけた方がいいので はないか。

(事務局) 南部の記念碑は大きいため、公園入口からすぐに見える。この公園は 清瀧弁財天の隣にあり、位置的にはちょうど大津波の碑とすぐ隣合わせ の場所にあるのだが、清瀧弁財天の敷地と公園の間に金網のフェンスが

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張られていて、直接行き来できないようになっている。

石碑は、奥まったところにあるわけではなく、通りからすぐに見える 位置にある。

(委 員) 実際に、現場を見てみないとわからない。みんなで見に行ったらどう か。そこで、話し合ってみたらいいのでは。

(委 員) 「土地改良法」によるものと「都市計画法」によるものということで、 戦後の高度経済成長期を考えるために非常にいい題材だと思う。

土地改良法というのは、戦後の食糧増産のための法律で、都市計画法 は高度経済成長期のもの。大きな日本史の流れと、地域のなかの歴史的 なことが直接に結びつく貴重な史跡だと思う。非常に勉強になることが 多いものとなるだろう。

(事務局) 土地改良事業の内容については、今進めている農業調査のなかで取り 上げられているので、報告書が上がればその成果を活かした形で、北部 と南部の違いも含めて紹介していきたい。

津波の碑の方は、もうしばらく地元の方々の情報を集めてみたいと思 う。委員の皆様もお心にとめておいていただいて、お知り合いの方々に 声をかけてもらい、情報集めにご協力をお願いしたい。

現地視察については、次回の審議会で行うかどうかも含めて、内部で 調整を行う。そこで、またご意見をいただければと思う。

この後、屋外展示場へ移動し、 (4) 三軒長屋の差し茅・外便所修復工事の現 場見学を行った。工事を担当する専門家より、差し茅の方法について詳しく説明し てもらった。

その後、2階の企画展示室に上がり、(5)企画展「浦安の海苔養殖」の視察 及び意見聴取 を行い、会議は終了となった。

※ 次回会議日程について

平成 24年度第 6 回浦安市文化財審議会は、3月13日(水)に開催する予定。

参照

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