トルコの人々の主食はパンであり、麦作が中心 である。しかし、トルコでも、米は作られている。 米は、もみがら入りのはトルコ語起源のチェルテ ィクの名で呼ぶが、ふつうはペルシア語起源のピ ンンチュの名で呼ばれる。トルコの国土は海岸部 は地中海性気候、内陸部の多くはステップ気候で 乾燥しており麦作に向く。しかし、降雨もあり川 もあるため、トルコの稲作は陸稲(おかぼ)だけ でなく水稲もあちこちで作られている。そして、 いわゆるインディカ米だけでなくジャボニカ米に 近い米も作られており、トルコを訪れる邦人の口 にもあうこととなる。
ただ、やはり気候が最適で大量に生産されてい る小麦にくらべると収量も少なく値段もはるかに 高い。そこで米で作ったピラフなども、かなりの ご馳走に数えられる。それでも米はピラフや他の おかず、甘味の材料として必須の食材である。
トルコの米の用途は、おかず用とデザート用に 大別される。そして、おかず用も、ピラフ用と他 のおかずの材料用に二分される。トルコはパン食 圏なので、我々には主食のようにみえるピラフも トルコ人にとっては一種の副食なのである。ただ 使用量としては、おかず用の米のうち圧倒的な部 分がピラフ用に用いられているであろう。とはい え、他の用法もトルコ料理にとっては甚だ重要な のである。
ピラフ以外のおかずの材料としての米の最大の
トルコ食文化のなかの米
東京大学東洋文化研究所教授 鈴 木 董
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活躍の場は、ドルマと呼ばれる、一連の野菜に具 をつめた料理である。ドルマには、肉を主体とす る具を本来はバターで調理してつめる温かい肉入 りドルマと、肉は用いず米を主体とする具をオリ ーヴ油で調理してつめる冷たいオリーヴ油入りド ルマ(ゼイティンヤール・ドルマ)があり、いず れにも米は必需品である。つめ物に使う野菜とし て、ピーマン、トマト、茄子、ズッキーニなどが よく使われ、また葡萄の葉やキャベツもある。
肉入りの場合は、羊の挽肉と刻み玉葱と米など をバターでいため塩・胡椒とスパイスで味をつけ た具をつめ、羊か鶏のスープで煮る。冷たい方は、 オリーブ油で米と刻み玉葱と松の実とカラント (クシュ・ユズム)をいため塩・胡椒で味をつけ
た具をつめ、同じく羊か鶏のだしで煮る。 米は、他にも各種スープの材料ともなり、また ほうれん草などの煮込みに少量加えることもあり、 トルコ料理の欠かせぬ食材の一つとなっている。
とはいえ、トルコの人々にとり、米料理の中心 は何といってもピラフである。トルコ語ではピラ フをピラウというがこれはペルシア語に由来する。 ピラフはトルコ人がアナトリアに到達する前から 食べてきた古い歴史をもつ一品なのである。
ピラフは、料理としても重宝がられるが、食卓 に供するときは、メイン・ディッシュが出終わり デザートに移る直前に出されることが多い。そこ で、邦人は、もう満腹なのにごはんのようなピラ フが出され、日本人は米が好きだからと再度勧め られて閉口することにもなる。ピラフがいかに尊 重されていたかといえば、オスマン帝国時代、ス ルタンの慶事の祝祭の招宴で重臣たちにピラフが 供せられた様子を描くミニアチュールがいくつも 残されているし、帝国の拡大に力のあった常備歩 兵軍団イェニチェリの兵士たちに、あるいは祝宴 で、あるいは俸給支払いの際に、ピラフが供され ていたことからもわかる。
ときに、ピラフには、いろいろ具の入ったもの もあるが、基本は、サーデ・ピラウすなわち、米
麦作圏トルコの稲作
おかずの材料としての米
ピラフとその周辺
とバターと塩と羊か鶏のスープだけを用い具の入 らないピラフである。この作り方には二種あり、 ともに米をよく洗った後、一つでは、米に塩とス ープを加えて炊きあげ、最後にバターを入れて仕 上げる。いま一つでは、米をバターでいためたう えで、熱したスープと塩を入れて炊きあげる。油 が入っているわりにはさっぱりしており、西欧人 のように米のおねばを洗い流してパサパサにした りしないので適度に粘りもあり邦人の口にもあう。
ただ、ピラフを食するとき、よくヨーグルトか 果物の汁気の多い甘煮であるコンポスト・ホシャ プが添えられ、ともに食する。これは邦人には慣 れないと閉口のもとになる。
具の入った変わりピラフも種類が多い。ドゥユ ン・ピラウすなわち「婚礼ピラフ」というのは、 さいの目切りの羊肉がたっぷり入っている。婚礼 の宴席用に貴重な羊を屠って大ご馳走をした名残 である。イチュ・ピラウというのがあり、これは よく子羊や鶏などの丸焼きを作るときその中身と して入れるものだが、米に肝の細切れや刻み玉葱、 松の実、カラントにハーブのディルまで入れて羊 などのスープを加えて炊きあげる。これを丸焼き につめて焼いた場合、肉に添えて供される。トル
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コ人の大好物の一つである。
広大なトルコのことゆえ、郷土食もあり東方ア ナトリアの方ではピラフの上にパイ皮をのせ蒸し 焼きにしたぺルデ・ピラウ(カーテン・ピラフ) というのもあるし、黒海方面では名物鰯のピラフ もある。またかつて、オスマン帝国時代、イスタ ンブルと中央アジア各地の交流もさかんで、イス タンブルのアジア岸のウスクダルにはウズベク人 の宿坊ともなるウズベク・テッケスィ(ウズベク 道場)というのがあり、ここではウズベク・ピラ ウというのを作っており、ラマザンすなわちイス ラムの断食月には、これを近隣にもふるまったと いう。共和国になり、道場も閉鎖され、わずかにウ スクダルの一レストランが伝統をうけついでいる。
米はデザートの材料ともなり、米粉か洗い米を 臼で挽いた米乳というべきスビエを材料に、いろ いろのプディングが作られる。これに水のみまた はミルクも加えて煮て平たい器に流し固め四角に 切ったのはアラビア語起源のムハッレビの名をも ち、プディングの代表格で粉砂糖とバラ水をかけ て出す。ちなみにムハッレビジとはプディング専 門店のことである。米粉かスビエにミルクを加え て煮てささみをゆでてほぐしたのと砂糖を入れて 作ったタヴク・ギョウス、そしてその片面に焼き 目をつけたカザンディビは珍しい一品である。や はり米粉かスビエにミルクと砂糖と米少々を加え 煮て小さな器に分け表面をオーヴンで色づけると フルン・ストラッチュとなり古くからのデザート の代表の一つである。
ここで、米を煮て砂糖とサフランとターメリッ クを加えて鮮やかな黄色とし、器に流して冷やし 上に彩りにカラントとピスタチオなどをかけたデ ザートをゼルデと呼ぶ。このゼルデは、オスマン 帝国時代、3か月に1回、歩兵のイェニチェリを 中心とする常備軍団の兵士に、トプカプ宮殿で俸 給が支払われたとき、スープとピラフとともに必 ず供せられた。米製の菓子が帝国の精鋭慰撫に一 役買ったのである。
変わりピラフのいろいろ