公法
533教室憲法について扱う。他法律の授業と同じく総論や各論ではなく、憲法の射程や憲法と正義の 関連性など、憲法論についていくつかの簡単な講義を行った。
1 .憲法の射程について
日本の法体系は主に刑事法、民事法、公法にわかれるがこれらの中の最高法規とされる憲法 はどういったことまでを規定しているのだろう。
1 - 1. 事例 論理構成 解釈論
☆Xは学生運動に関与していた。
X はその後 Y に就職したが、仮採用中にその事実が発覚、採用を取り消された。
これは憲法 19 条に規定される思想信条の自由に反するように思えるが、どうだろうか。 一方で Y は契約締結の自由をもっているがそれとの関係はどうだろう。
契約とは私的自治にのっとった最も基本的な法律行為であり、主観法である。 用語解説~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 契約…意思表示の合致
法律行為…法的効果を発生させる意思表示行為
客観法…法秩序を規定する客観的な法規範、私法秩序の法規範ともなりうる。 主観法…自分のために動かす法、すなわち権利としての法、国家への権利。 ※この二つはドイツ法学の影響を受けた憲法学用語。
法源…法の存在形式。制定法や慣習法、判例法といった程度の領域。
※原田大先生でおなじみの法源。多義語。判例は法源ではないらしい。意味不。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この事例は法律行為の問題であるので、両者の意思が合致しなければ契約ができない=会 社に就職できないのだろうか?
しかし、それではあまりにも不公平である。
そこで民法は本来当事者間にその適用をゆだねる任意法規であるが、「取引の安全を図るた め」必ず守らなくてはならない「強硬法規」も存在する。
民法 90 条「公序良俗違反の無効」
一般条項(すべての法律行為に該当)であり、 この適用は裁判官の裁量に任される。
Yの行為はこの 90 条により無効になるかもしれない。
⇒では Y の行為は憲法に違反する問題、憲法問題としては扱えないのだろうか?
1 - 2. 構成
そもそも憲法とは一体何なのだろうか。
「憲法の法源論」や「語の成り立ち論」などそれを明らかにするための議論が今でも続いてい る。
それらの議論におけるおおまかな憲法定義の分類の一例は以下のとおりである。 形式的憲法…形式的に憲法という標章を与えられた法が憲法である。
実質的憲法
固有の意味の憲法…国制を定める規範的な法こそ憲法である。
立憲的意味での憲法…権力分立・権利保障を規定する法が憲法である。 つまり、日本の国制史は律令以来であり
憲法史は開国以来ということになる。
世界で初めて立憲的意味での憲法を憲法と規定したのは「フランス人権宣言(16 条)」で ある。
立憲的意味で憲法をとらえると、権利保障という点から、人権は憲法で扱うべき問題だとい う人権問題が出てくる。
だが、憲法は国家法であるので X は政治思想としての人権でなくて国家法としての人権が なければ憲法に人権を訴えることはできない。
用語解説~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 国家法としての憲法内での権利とは?
・最高法規で守られる権利である。
名宛人は国家でなくてはならず民間人による権利侵害は守られない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ かわいそうな X は Y に対して権利を主張できないのだろうか;;?
ここには自治の考え方が色濃く反映されている。 カントは自治を人間に適用した=格率⇒自律
これをさらに市民社会に適用すると私的自治となる。
ここでは両当事者間の契約による取り決めを原則とし、国家からの介入をよしとしない。
が、最近では私的自治を守るため、それを枠付けする強硬法規が増えつつある。 また、日本の民法の中には一般条項の形をなす強硬法規も存在する。
例)90 条の公序良俗違反は法律行為全般に、709 条の不法行為法は事実行為全般にわたる 強硬法規である。
1 - 3 試行
三菱樹脂事件を憲法問題でとらえるためにはどのように法的枠組みをとらえればよいだろ うか。いろいろと試行してみよう。
1 - 3 - 1 憲法問題としての認識可能性
①フランス~constitution(国家の枠組み)は憲法として提示されるものなのか~
フランスでは第三共和政が 1870 年に成立し、憲法的法律を制定し統治機構(constitution politic)を確立することが急務とされた。
この経緯からフランス社会の constitution を形成するのは、その時に憲法的法律として制 定されたフランス人権宣言の意思を継ぐナポレオン民法という議論が成立した。
⇒そうであるなら人権問題は constitution である民法で解決すべきである!
② ドイツ~近代国家と人権問題~
「近代国家は権利保護を担う主権であり、至高性存在である。」
これは最高主体のもとのヒエラルキー(帝国と教会)を前提とする考えでありドイツらし い。
ドイツは 絶対君主制⇒国民主権⇒国家主権 という歴史過程を歩んできた。
国家主権のもとでは自力救済・実力行使は禁止され、その見返りとして裁判によって人権 が保護される。
つまり「君主/国民」という国家のとらえ方が「機関―権限」という考え方に変化してきた。 この考え方のもとでは期間と権限を定め、複数機関の関係を定めるというように国家体制 が想定される。
この考え方にそって日本の国家機構をとらえると…
有権者団体に選挙権、国会に立法権を与え、国会を最高機関とする。
また大正時代には様々な機関の中で「天皇」が最高機関とされた。(「天皇機関説」) この考え方は国民主権と齟齬が生じるが、東京学派という学派に言わせると国民主権は法 的な美称にすぎないらしい。
この考え方のもとでは、刑法において学んだ不作為との関係から、国家が憲法上の国民の権 利を保護しないのは問題であるという認識が生まれた。
人々の理想も夜警国家から福祉国家へと変わっていき、
国家の不作為は権利の侵害に相当するという説にまで発展する。
この段階に至れば、三菱の採用候補者に対する人権侵害にたいし、国家が憲法を持ち出して 権利を守るべきだとする意見もでてくるだろう。
1-3-2 アメリカモデル~看做行政体としての企業~
アメリカ流の考え方で三菱樹脂の問題を考えるとすると、「権利侵害者を国家とみなす」と いうことになるだろう。
Private governmentの考え方である。
アメリカでは「国家」を「市民社会の中の行政部分」と考える。
イギリスからの独立を勝ち取り「自由の国」を自称するアメリカの「絶対的権力の拒否」の考 えの表れである。
⇔ゲルマン社会の公私峻別
state actionの議論
非国家 Y を国家と見なすための条件を探る議論である。 ・国有財産
・財政援助 ・特権付与
・公的機能(企業街としての行為を有するなど
このような条件を満たす企業は国家とみなし、国民の権利を守る責任を負わせるべきであ る。
この視点からみれば、三菱樹脂事件は憲法問題として扱えることになる。
またアメリカでは法源は判例であるので不作為を意識して人権問題を扱う方向に司法が動 きやすい。例)シェリー事件
アメリカの憲法には違憲審査の規定がないが裁判所は私法の便宜のために違憲審査をして いる。
この違憲審査は具体的な事件の中で私人の権力を守るために用いられることが多く 、アメ リカの違憲審査制は私権保障型とも言われている。
1-3-3 西ドイツモデル~社会的権力~
社会的権力…国家権力ではないが社会的役割を果たす法人格存在である 一般的に私人と社会的権力はあらゆる力で不均衡/非対称的である。 そもそもこの社会的権力は社会構造の変革で生まれたものだ。 社会構造の変革の結果の不均衡は公的に保護されるべきだ。 以上のような考え方が「私人間水平的効力」の考え方である。
ここで問題なのは人権に私人間水平的効力があるかどうかということである。 無効力説…人権は公的に保護されない
間接効力説…民法の一般条項を介して通用する。 直接効力説…人権は憲法問題として直接保護される。
これは裁判官が人権問題に私人間水平的効力を適用してもよいかどうかについての説の分 類である。
制度上の与件としては違憲審査制では西ドイツはアメリカとは異なる。
オーストリア的な抽象的審査制をとって、憲法を保障するための憲法裁判所がある。 ドイツは
連邦憲法裁判所 連邦通常裁判所
を置いており、個々の事件とは関係なく普遍的に影響を与える違憲審査を行っている。 憲法は価値秩序法でその他すべての法を統一する全法秩序である。
かといって憲法裁判所が通常裁判所の管轄である司法の問題を直接は扱えない。
⇒一般条項を通じてのみ私法問題に憲法を適用することを決定。=間接適用説の採用
※これは東ドイツを意識して私的自治を確保することにこだわったためでもある。
1-3-4 統一ドイツモデル~ 保護義務論 ~
今までの国々のモデルが権利中心であったのに対し、統一ドイツは義務を中心に考える。 例)中絶問題~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本来権利能力のない胎児に対する国家の保護義務を主張している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ つまり、国家には人々の基本権への保護義務が存在するという論理である。 国家による保護義務の範囲は、日本では自由権説や社会権説が有力となっている。
なぜ保護義務説が統一ドイツで中心となったのだろう。
東ドイツが消滅し、私的自治を強調する必要がなくなったこと。
憲法裁判所と通常裁判所の権力関係が逆転し、憲法裁判所の管轄が拡大し始めていること があげられる。
1-3-5 日本
まずは西ドイツモデルの間接適用説が適用された。 一般条項の
法律行為に関する 90 条 公序良俗
事実行為に関する 709 条 不法行為による権利侵害 の適用である。
しかし 709 条は判例によって要件が主観的な侵害から客観的侵害の違法性に変えられてい る。
このことから一学説(芦部説)は事実行為に限って主観的な侵害をも守るためにアメリカ モデルを適用することを主張している。
また近年は利便性から統一ドイツモデルが人気になりつつある。
しかし、国民のあらゆる権利を国家が保護するというのは「パターナリズム(父権的)」に 過ぎるという批判もある。
このように自由主義と保護主義は政治学・法学・経済学において相反する考え方である。 個人を保護するということはその分自由を害することにつながるのだ。
自由主義と保護主義は両者とも個人を尊重しているが、自己決定の許容範囲において争い がある。
そんな中で若い学者には自由主義の観点から保護義務論を論証しようと試みるチャレンジ ャーも多い。
また統一ドイツモデルの人気の一方でより古典的な無適用説に戻ろうという意見もある。
★三菱樹脂事件
さて、実際の三菱樹脂事件は結局どうなったのだろう。
多くの若手学者が X の人権を守るべきだとして X 擁護に回った一方 我妻をはじめとする重鎮たちは Y の契約の自由を守るべきだと主張した。
彼我の戦力差は何とも圧倒的ではないか!!!
X(学生)
若手憲法学者
Y(企業)
我妻 栄 兼子 一
宮沢 俊義
裁判所は間接適用説をとった上で比較考量を行い、Y を勝訴させた。 用語解説~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・比較考量
裁判所は要件の解釈と法律効果のあてはめがその職務であり比較考量は職務ではないので はないか、概念操作は現実の事件にそぐわない傾向にある、という批判が大きい。
この批判を受けて裁判官は公前で比較考量を行うようになった。
⇒これに対し両者の要件は拮抗しているのに1か0かをもたらす考量への批判が集まった。 公益にあっているかどうかで考量すると公益を代表することになっている国家が必ず勝っ てしまうので、そうならないように両者の目的ではなく手段を考量するようになった。 手段の考量基準として「LRA―less restrictive alternative」、これ以上弱められない 選択肢こそが最良であるという考え方が生まれている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三菱事件では…
事件における三菱の目的→経営 ↓
手段→解雇
であった。これは LRA とはいえないだろうが、裁判所は三菱を勝たせている。
またこれが特定の政治的思想を存立の基礎とする傾向企業であるなら解雇は正当といわれ ている。
1-4 まとめ
以上まで人権の私人間効力について各国のモデルと日本の現状を見てきた。
その中の西ドイツ型では憲法の射程に関して
人権を適用する裁判所の妥当・正当性 legitimacy
統治機構論…裁判所が明文規定のない人権適用判断をしてよいのか
が注目されていた。これは実際の政治において合法性だけでなく正当性が必要だという正 当性 legitimacy の考えを表している。
裁判官は能力主義で非被選挙人のために正当性がうすく、正当性を求める議論が起こりや すい。
上記のように人権と統治機構論には深い関連がある。
2 .憲法解釈と「正義」
憲法の解釈には正義の観念が重要となってくる。
ここでは憲法の中でも平等の規定について考えていきたい。 2
-1 平等条項の解釈 憲法14条
法の下の平等
差別に当たるものの列挙
「平等」…平等原理によって「国民の身分」が形成された。 平等の役割の大半はこの形成であった。
しかし能動的国民のための平等に反する個別的問題は存在する。 例)公務就任問題
法適用平等説(立法者非拘束説) また、「平等」概念の新たな必要性が論じられるように そこでこの章ではこの変遷を探る。
法内容平等説(立法者拘束説) 2
- 2法内容平等説の構造
法内容平等説とは法の内容が平等であるべきであり、立法者は法律に拘束されるべきだと いう説である。
前提:議会への不信
近代以降は議会=国民代表(representation)となった。
そもそもRepresentationの原義は「再現する」という意味であった。
再現の対象は霊的統一体=神など(前近代)や抽象的観念的統一体=ヘーゲルの言う国家 など(近代)であった。
より高次なる(観念的な)ものを見る必要がある近代の国民代表は優れたものが適してい る。
そこで初期の議会では王も貴族も優れたものとして代表となった。
またこの観点から議員は独立した意思を持って立法に当たるべきだという考えから、 命令 的委任の禁止が唱えられ、代表民主制が唱えられた。
Cf)代表議会の変遷
直接政→半直接政→(命令的委任の禁止)→半代表制→純粋代表制 さらに議会の選挙も変わっていった。
より高次の世界を語るためには教養をもつ選挙人が必要という考えが広まる。
・財産要件…財産を持つ人は余裕があるから教養も身に付いているはずだという考えから
・成年要件…成年なら教養を持つという考えから=普通選挙の実現
※ただしこの両要件の想定はすべての人に当てはまるとは限らない。
こうして無産者が議会進出すると有産者が議会に対して不信を持つようになった。 これには第二次世界大戦で議会が暴走したことも影響している。
これが議会不信の始まりである。
そこで規範的憲法が法律を平等という観念、正義の観念で制限する要求が生まれた。 誰がこの制限を課すべきかについては、多くの場合裁判所が違法審査権によって課すべき だとされた。
「規範的憲法」
平等による制限
「法 律」
こうして生じた法内容平等説には二つの問題がある。
第一問題~裁判官の負担~
この説ではある法律が正義に照らし理性にかなっているかを裁判官が判断する。
しかし法律はもともと区別的(悪く言えば差別的)なの絶対的な判断を下すとすべてダメ になってしまうので、「相対的平等化」する。
つまり等しくないものを平等としたり、平等なのに区別することをさけるにとどめるよう にしたのだ。
しかしそれでも違憲審査は大変な困難を伴い、裁判官の負担が増している。
第二問題~新たな法学の誕生~ この問題に関して新たな問題
元来の公法学…議会を信頼し、公法の中で「事項」の中で留意する範囲を広げていく
=行政法学
新たな公法学…正義に留意する公法を考えていく =憲法学
現代では裁判官の合理的判断の基準は「恣意の禁止」程度である。
アメリカでは 差別=疑わしき区別
の争いについては厳しく審査を行っている。 人権=基本的権利
差別の中でも人種問題は厳しく、性別等の問題は中間審査をしている。
ある問題については厳しく、ある問題については緩めに審査を行うことを「二重の基準:デ ュアルスタンダード」といい、これに中間審査を合わせて三段構成となっている。 日本もこれに倣い多くの法学者が三段構成を主張している。
…最後に
近代の国家の権力は憲法を通してしか行使できないので 法的議論を通して権力構造を因数分解することができる。 これが法学の目的である。