第6講 古典期ギリシア (前5~4世紀)
*僭主政と民主制 ギリシア世界の多様性
*賢明な僭主と愚劣な僭主
ペイシストラトスの僭主政~国力の充実
息子ヒッピアス(兄)とヒッパルコス(弟)の僭主政 共同統治期…穏健な政治
→ヒッパルコスがアリストゲイトンとハルモディオスにより暗殺される
→ヒッピアス独裁~残忍な暴政 →追放
*クレイステネスの改革(前 508 年)
・10 部族制の創設…貴族が拠り所にしていた血縁に基づく4部族制を解体し、有力貴族 の地位の分断
・500 人評議会…民会の先議機関(新部族から各 50 人)
・10 人同僚制の採用~10 人の将軍(ストラテゴス)による戦士団
・区(デーモス)の創設…市民を居住する区に登録
→古来の村落を市民団編成の単位として均質化 ・陶片追放(オストラシズム)…僭主になる危険性のある政治家を追放
陶片に名前を書いて投票し、得票数が 6000 票を超えた ものを追放
↓
アテネ民主制完成の前提となる≪制度≫的組み
平民が市民としての自覚を持ち政治に参加していく条件が整えられた
*ペルシア戦争
オリエントとギリシア
オリエント~アケメネス朝ペルシアによる統一
ギリシア~オリエントの西方辺境に生成発展した独自の文明 前 490 年 第一回ペルシア戦争
マラトンの戦い~貴族(上層市民)中心
重層歩兵軍団のペルシア軍撃破
前 480 年 第二回ペルシア戦争
サラミスの戦い~下層市民が軍艦の漕ぎ手として活躍→国政参加
※テミストクレスの海軍主義…アッティカのラウレイオン銀山で豊富な銀脈鉱が発見さ p48 れた際、これによって 200 隻の三段櫂船を建造
プラタイアの戦い
前 449 年 カリアスの和約(ペルシア戦争終結)
*アテナイ民主制の光と影
前 477 年 デロス同盟の結成…対ギリシア海上同盟
前 462 年 エフィアルテスの改革…貴族政の牙城であったアレイオス・パゴス会議の実権 をはく奪し、アテネ民主政確立
前 462~429 年 ペリクレス時代
ポリス内~民主制の徹底 / ポリス外~帝国主義 アテナイはギリシア随一の富裕国になる 前 454 年 デロス同盟金庫のアテナイ移転
→「アテナイ帝国」化…同盟はアテネが他ポリスを支配する道具と化す 貢納金である同盟資金をアテネが流用
前 451 年 ペリクレス市民憲法…両親がアテネ市民でないかぎり市民権を所有できない →市民身分の閉鎖化 p51
前 432 年 パルテノン神殿の完成…デロス同盟の資金 前 431 年 ペロポネソス戦争勃発
*ペロポネソス戦争(トゥキディデス)
背景:デロス同盟でのアテネの支配権強化にペロポネソス同盟を守っていたスパルタが 脅威を覚える
・アテナイが籠城策をとる→疫病の流行→人口の 3 分の 1 が死亡、ペリクレスの病死
→扇動政治家(デマゴーゴス)の台頭…戦争を長期化
・アルキビアデス提案の無謀なシチリア遠征(ペロポネソスを挟みうちにしよう!)p69
→アテナイ軍全滅→スパルタの覇権
*ポリスの変質
・前 4 世紀前半 スパルタ勢力 VS テーベ勢力 (レウクトラの戦い)
→諸勢力、ポリスの国力が弱体化→ペルシア帝国の影響力増大
ex. 大王の和約~ペルシア国王の力を借りながらギリシア人諸勢力間の争い解決
・傭兵の一般化→市民皆兵原則の崩壊→農耕市民の戦士共同体としてのポリス変質
*古典期の文化
・ギリシア人…悲劇よりも喜劇を好む
cf.アリストテレスの言葉(レジュメ参照) 悲劇の中では人間の優れた部分が描かれる
アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス…三大悲劇作家 アリストファネス…喜劇作家
↓
定例行事祝祭中に上演…富裕市民による公共奉仕としての費用負担
・ギリシア哲学、科学…近代に結び付く学問の基礎
出発点…イオニア自然哲学(イオニア…オリエントに最も近い位置にあるため) ターレス(万物の根源は水)、ヘラクレイトス(万物流転「パンタ・レイ」) ソフィスト(知者)…論理学や修辞学として自然哲学を発展
民主的な議論の展開
主観のみの重視、客観的価値の喪失→公衆道徳の崩壊
→ソクラテス、プラトン、アリストテレス…客観的真理の存在主張
数学ピタゴラス、医学ヒポクラテス→科学的観察による医学的思想の誕生(前 5 世紀) 歴史学…ヘロドトス、トゥキディデス→歴史を語る営みの本格的始まり
第 7 講 地中海世界とヘレニズム
*スパルタの弱体化~海外遠征によって軍事大国としての規制が緩む
*マケドニア王国
~ドーリス系王朝のエトノス国家(農耕と牧畜)
フィリッポスの政策…軍事力の強化(騎馬軍団の充実、長槍(サリッサ)密集部隊) 前 338 年 カイロネイアの戦い…アテナイ(デモステネス)、テーベ連合軍を破る
→ギリシア世界の覇権確立
コリントス同盟の結成→ギリシア、諸ポリスを盟主となり支配
*アレクサンドロス大王の東方遠征
前 333 年 イッソスの戦い…ペルシア王ダレイオス 3 世を打ち破る
→エジプト、シリア占領(アレクサンドロス市建設)
前 331 年 アルベラ・ガウガメラの戦い…アケメネス朝を滅ぼす(前 330 年)
→中央アジア、インド北西部に進攻、各地にアレクサンドリア市建設
*ギリシア世界とオリエント世界の融合
・ギリシア人とペルシア人の混血促進
・ギリシア人の集団移住
・支配機構としてペルシア帝国の専制君主政を継承
・ギリシア人を中枢に持つペルシア人官僚の統治
・マケドニア人とペルシア人の混成部隊による軍隊
・コイネーと呼ばれるギリシア語を公用語とする
・ヘレネス(ギリシア人)の文化を基盤とする
*ディアドコイ(後継者)の争い(40 年間)からヘレニズム諸国家へ ※勢力均衡による平穏な状況
○セレウコス朝シリア(前 312~前 63)…アフガニスタン~シリア 首都:セレウキア→アンティオキア
↓ 分裂
・西方小アジア=ペルガモン王国…アッタロス朝の独立国 ローマとの絆(大図書館、ゼウス祭壇)
鉱産物資源、手工業の発達
・東部遠方=バクトリア王国…アフガニスタン北西部中心、ギリシア系、「大夏」 クシャーナ朝と密接な関係
・トルクメニスタン西南部=パルティア王国…ペルシア系、 アルサケス建国、「安息」 ゾロアスター教を奉じる、ヘレニズム文化受容
○アンティゴノス朝マケドニア(前 306~前 168)帝国本土、一部のギリシア ギリシア的統治体制による支配
ローマと対立→滅亡(ピュドナの戦い)
○プトレマイオス朝エジプト(前 304~前 30) 首都:アレクサンドリア…繁栄(商業・文化)
産業を国家の管理体制化に置き統制、ヘレニズム文化の集大成
*ギリシア文化を共通項とする地中海世界・文明の成立
・コイネーの普及とアラム語の併存
…多様な言語で表現されていたオリエントの学問・思想がギリシア語で表現される ギリシア語=普遍的な言語(学ぶ人の増加)
→普遍的な学問・思想が生み出される(医学、天文学、数学、論理学)
・ギリシア人の都市の建設 都市国家=ポリスではない 広範域の覇権と交易 NW
・空前絶後の宗教混合(シンクレティズム)~神々の融合 ギリシア宗教の変質
オリエント系の宗教(イシス女神:のちの聖母マリア崇拝へ) 運命を克服し救済の約束にあずかる(のちのイエスへ)
・ギリシア人のポリス的な民族意識の希薄化 ↓
コスモポリタニズム…民族、国家の枠を意識しない普遍的な世界市民(コスモポリタ ン)の意識(ストア派)
↕
個人意識…個人主義の精神も強まる(エピクロス派)
・ヘレニズム美術…本物そっくりのリアリズムと驚嘆すべき技巧 「ラオコーン像」「ミロのヴィーナス像」
第 8 講ローマ共和政
1)西地中海世界の先住民族とローマ人
・西地中海世界先住の地中海人種 ~母権制社会 ex.エトルリア人…後のローマ人に大きな影響 ・ギリシア人とフェニキア人
ギリシア人~南イタリアに植民 (マグナ・グラキア / シチリア) フェニキア人~カルタゴ建設
・印欧語系諸民族の移住 ~父権制社会…家父長制の親族集団、祖先崇拝
(前 1000 年ころ)
・エトルリア人とローマ人
ヴィラノヴァ文化(初期鉄器時代)+オリエント化=「ラセンナ(エトルリア 人)」
エトルリア人はギリシア人の影響を受けて前9~8世紀に多くの都市国家を建設し 、 ギリシア都市やカルタゴとの海上交易で繁栄→勢力圏の拡大
前7世紀末 エトルリア人、ローマへ侵入
=ローマ…エトルリア系の有力者による王政(5,6,7 代) エトルリア勢力の覇権下
・土木事業の実施(城壁建造等)
・クラシス・ケントゥリア制(財産級市民兵団、選挙制度)(王政 6 代目)
…財産で 5 つのクラシス(階級)に分けられケントゥリア(百人組)に配属
・トリブス(徴兵、課税の基盤)区分(戸口調査による市民登録)
・重装歩兵密集部隊
領域拡大と市民団の増大→ラティウム(古代ローマ発祥の地)におけるローマの優越
2)都市国家から世界帝国へ
イタリア半島の征服(前 290)…山岳民、ラテン同盟(イタリキ)の征服、分割統治 西地中海における覇権(前 146)…ポエニ戦争(カルタゴの征服)
東地中海における覇権…マケドニア、ギリシアの征服
前 146 年にカルタゴを破壊、マケドニアを属州化して地中海世界帝国を築く
*ローマの国制
○S.P.Q.R(Senatus Populusque Romanus →ローマの元老院と民衆)…ローマ帝国の正 式名称、身分制秩序の表れ
王政期の長老会→元老院、長老(パトレス)→貴族(パトリキ)⇔プレブス(平民) パトリキとプレブスの対立(身分闘争)
→護民官の設置(神聖不可侵)、平民会の設置、 貴族が独占する掟の条文法としての公開(十二表法)
○政体循環論<混合政体論
・政体循環論…ギリシア王政→貴族政→僭主政→民主政→衆愚制→独裁政→… 内部対立の繰返し、外に向けるべきエネルギーの損失
・混合政体論…貴族政(元老院)、独裁政(コンスル)、民主政(民会)が勢力を均衡 互いに牽制しあう→内部の権力闘争が少なく国外へ進出できる
○身分闘争→貴族と平民有力者→新貴族(ノビレス)の台頭(元老院支配)
*公民権政策の開放性
ギリシア・ポリス…閉鎖的<ローマ…開放的
*ローマ人の宗教
保守主義(厳格な手続き、清廉潔白、神々への誓約の尊重) ローマ人の慎み→祭儀宗教→国家及び共同体の鎮護
⇔ギリシア人の宗教
ギリシア人の観(テオーリア)、祝祭宗教→個人救済_
3)共和政社会の動揺
*都市国家=農耕市民戦士共同体の限界
征服戦争による支配領域の拡大~市民間の階層差の拡大
ポエニ戦争…カルタゴのハンニバルのローマ侵入による土地の荒廃→回復に手間取る 農民=征服戦争の担い手→土地がますます荒廃
元老院議員…商業活動の禁止→土地への投資活発化→大土地所有者に成長、属州統治 征服戦争による捕虜(奴隷)の安定供給
⇒奴隷制ラティフンディア(土地所有の集積+奴隷労働力)
*ローマ帝国主義(Roman Imperialism)をめぐって 先手防衛論(外敵の脅威)→共和政ファシズム国家
騎士身分層(エクイテス)の台頭…ローマの商人、資本家、大土地所有経営 平民の不満をそらす(土地所有の機会に与らせる)
群集心理の利用
*グラックス兄弟の改革 ~土地所有農民層の再建→国防力の回復 リキニウス・セクスティウス法の復活
…富裕層が占有している土地を没収し、無産市民に分配
→既得権の剥奪を嫌う大土地所有者(貴族、富裕者)の抵抗→失敗
*党派の争い ~閥族派(スッラ)と平民派(マリウス)
*有力武将の台頭と元老院支配の凋落
ポンペイウス…奴隷反乱(スパルタクスの乱)の鎮圧、地中海の海賊の掃討、東方の平定 第一回三頭政治 ~元老院支配に対抗
ポンペイウス(武勲)、クラッスス(財産)、カエサル(度量) ↓
独裁官カエサルの独裁政治?
広大な支配領域の統治システム(共和政体制の限界) p174~175
p154~156(77)アッピウス・クラウディウス・カエクスとピュロス戦争
第 9 講 地中海世界帝国の形成
カエサル死後…オクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥスによる第二回三頭政治
→元老院保守派の粛清→オクタヴィアヌスの台頭
*元首(皇帝)権力の成立
アウグストゥスによる国家の再建(皇帝権力の成立)
・『神皇アウグストゥス業績録』にみられる政治的配慮、イデオロギー
→君主や王の称号を求めず、外面的に共和政を重視していることを強調し、「カエ
サルのような独裁者になるのでは」という懸念を払拭 ⇔実際は元首政による単独支配をおこなった
「プリンケプス(第一人者)」
・権力への無欲、権威の重視
『余は権威において万人にまさったが、職権(権力)においては同僚官の誰もしのぎはし なった』~『神皇アウグストゥス業績録』より
・市民共同体における個人支配の正当化
共和政(形式的)…公職の兼任、共和政の公職としての慣例に従うのみ(権力の否定) 元首政(事実上)…強大な権威、声望(権威の強調)
p180~182(89)神皇アウグストゥス業績録
*皇帝権力の継承
ユリウス・クラウディウス家の皇帝たち
アウグストゥス(前 27~14)… ゲルマニクスへの期待、権威の重視
ティベリウス(14~37)…アウグストゥスの養子、ゲルマニクスの死後、民衆の信望薄 カリグラ(ガイウス)(37~41)…ゲルマニクスの実子、元老院無視、暴政
クラウディウス(41~54)…ゲルマニクスの弟、表向き元老院尊重、官僚制の整備 ネロ(54~68)…ゲルマニクスの娘の子、前半=善政
後半=独善的、暴政~元老院に反発、母を殺害、セネカに自殺強要
・ゲルマニクス…アウグストゥスの後継者、人望があり民衆への人気大 人気絶頂で不可解な死、理想の為政者(?)
*フラウィウス家の皇帝たち
ウェスパシアヌス(69~79)ネロ帝死後の内乱を収め皇帝へ
権力正当化のため苦心、帝国の秩序回復、財政再建、 民衆支持拡大のための散財、コロッセオの建立 ティトゥス(79~81)人望厚、名君、ポンペイ埋没(79 年8月 24 日)
ドミティアヌス(81~96)猜疑心強、財政管理、属州統治、国境防衛に成果 元老院無視、迫害、恐怖政治的、暗殺
*ローマの身分と階層 ~自由人と奴隷に大別
○自由人身分(生来自由人と被解放者) ローマ市民
・元老院議員身分(資産 100 万セステルティ以上) 上層身分
・騎士身分(資産 40 万セステルティ以上)上層民分
・都市参事会員身分(資産 10 万セステルティ以上)上層身分
・平民身分(下層身分) 非ローマ市民…外人
○奴隷身分 ~人間としては扱われず
形式的に全体責任をとらせ、お互いを監視させた 医師や教師などの専門知識を持つ高級な奴隷も存在、大部分は労務奴隷
ポンペイ社会(グラフィティから見る)
ポンペイ…79 年のヴェスピオ山大噴火により埋没(ティトゥス)
18 世紀半ばからの発掘、多数の碑文とグラフィティ(公示、広告、落書) P193-96 ポンペイ―都市生活の諸相
第 10 講 「ローマの平和」と地中海世界の融合
*ローマの平和(パクスロマーナ)…アウグストゥス帝の元首政~五賢帝時代末期 地中海世界
オリエント世界 イスラム・アラブ世界(イスラム教) ギリシア世界 ローマ帝国 ビザンツ・スラブ世界(ギリシア正教) ラテン世界 (地中海世界帝国) ラテン・ゲルマン世界(ローマカトリック)
*古代地中海世界の近代性
≪近代≫ルネッサンス、大航海時代~羅針盤の実用化や、造船技術の発達で大航海が可 能になる
≪古代地中海世界≫
・地中海=穏やかな内海 自然、治安ともに安全で好条件
・海賊の一掃(ローマのポンペイウスなど) →(近代の)地中海世界のさきがけ ↓
日常生活物資の海上交易
物資(小麦、オリーブ、ワイン)・情報の交換→文化の交流→文明の融和の基盤
*文明融和の核としての皇帝 賢帝と呼ばれた皇帝
・アウグストゥス帝…共和政体の中の元首支配の確立
・ウェスパシアヌス…帝国の安定(ネロ帝死後の混乱を平定)、寛容、質素
五賢帝
・ネルウァ帝(96~98 年)…圧制からの解放感、トラヤヌス帝を皇帝に指名
・トラヤヌス帝(98~117 年)…威厳と温情主義、軍事功積
ダキア(現在のルーマニア)を征服し、ローマ帝国領土最大
・ハドリアヌス帝(117~138 年)…国境の防備(ハドリアヌスの長城)、治世の半分を属州 巡回
文化と芸術
・マルクス・アウレリウス帝(161~180 年) ・ゲルマン人の侵入 不穏な治世 ・東方からの疫病の流行 ・帝国財政の窮乏化
→哲人皇帝(『自省録』:ギリシア語)、苦境を切実に生き抜く
唯一の失敗?…五賢帝時代には皇帝が最適任者を後継者として指名していたが、マルク ス・アウレリウス帝は実の息子であるコンモドゥスを指名したため、死 後には政治が乱れ、皇帝位をめぐる争いが激化した
*パンテオン
前 27 年 アウグストゥス帝の側近アグリッパによる建立(ユリウス氏族の栄光)
↓落雷
ハドリアヌス帝による再建
円堂形式の神殿(優れた建築技術)→一つの完成した世界としてのローマ帝国 ローマ帝国公認のすべての神々をまつる
*ハドリアヌスの帝国視察
帝国の安寧…皇帝に対する民衆の信頼と畏怖の念
ヴィッラ・アドリアーナ(ハドリアヌスの別荘:属州旅行の思い出) p208~210(103)ハドリアヌス帝の属州視察旅行