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デフレーションと金融政策

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4

デフレーションと金融政策

吉川洋

要 旨

(2)
(3)

1

デフレ論争 2000 06 年

日本経済は 1990 年代初頭にバブルが崩壊した後,1997/98 年の金融危機 を経て,99 年デフレーション(消費者物価指数=CPI)に陥った(図表 4 1). その前の年 1998 年 10 月には,経済企画庁物価局(当時)に「ゼロ・インフ レ下の物価問題検討委員会」が設置され,99 年 6 月に報告書がまとめられ た.この報告書では「問題の所在」につき次のように述べられている.

問題の所在

これまでの物価政策は,物価の安定(インフレ率の低下)をどのように して達成すべきか,ということを目標に行われていた.しかし,近年のわ が国の物価は,きわめて安定的に推移しており,むしろデフレ状態ではな いかとの懸念すら指摘されている.このような状況の下,現在よりも高め

110 108 106 104 102 100 98 96 94 92 90 90 95 100 105 110 2 0 0 0

= 1 0 0 2 0 0 5

= 1 0 0 93 ・ 01 94 ・ 03 95 ・ 05 96 ・ 07 97 ・ 09 98 ・ 11 00 ・ 01 01 ・ 03 02 ・ 05 03 ・ 07 04 ・ 09 05 ・ 11 ︵

企業物価指数(2000年基準,左目盛) 消費者物価指数(2005年基準,左目盛)

GDPデフレーター(2000年基準,連鎖方式,右目盛)

図表 4 1 物価(デフレーター)

(4)

のインフレ率を目標に設定し,インフレ期待を高めることが,景気回復の ために必要なのではないか,といった従来の物価政策や金融政策の理念を 転換する議論が提示されている.こうした主張が,日本経済が卸売物価な どの下落をともなう景気後退から脱却するのに有効かといった当面の政府 対応について,また短期的な物価・経済動向を離れ,中長期的にみた物価 目標の考え方について,物価安定政策会議物価構造政策委員会の下に標記 委員会を設置し,昨年 10 月以来検討を重ね,本報告書をとりまとめた (上記「報告書」pp. 1 2.).

ここに「デフレ状態ではないかとの懸念すら指摘されている」とあるのは, 企業物価指数(当初は「卸売物価指数」)は,1985 年秋のプラザ合意以降の 急速な円高による輸入物価の下落もあり,すでに 85 年から 96 年にかけて年 平均 1%ほどのペースで下落していたことを指す.委員会が設置された 98 年にも企業物価指数は 1.4%下落,さらに報告書がまとめられた 99 年も 1.5%のデフレであった.また「GDP デフレーター」も 94 年に−0.1%下落 し,以後名目 GDP の方が実質 GDP の伸びより小さくなる「名実逆転」が 続いていた.年平均 1%台の企業物価のデフレが 10 年ほど続き,GDP デフ レーターもデフレとなった後,ついに 99 年消費者物価指数も−0.3%のデフ レに陥ったのである.もっとも「報告書」では「デフレ」と「デフレ・スパ イラル」を区別した上で,日本経済の現状について次のように述べている.

日本経済の現状を見ると,景気の低迷に加え,卸売物価が下落している が,消費者物価は安定しており,物価が全体として下落しているとはいえ ない.従って,1. ⑴での整理でみれば「デフレ」といいきるよりはむし ろ,「デフレ」的状況というのが適当である.また賃金など柔軟に決まっ ていること,企業(製造業)の交易条件が改善していること,等から,物 価の下落自体が実体経済の悪化につながっているとはいえず,その意味で 「デフレ・スパイラル」とはいえない(上記「報告書」pp. 2 6.).

(5)

日本経済の現状は,単純なフローの「デフレ」モデルでは説明できず, さらに金融システムの機能低下を組み込んだモデルでも不十分であり,資 産デフレ,債務デフレ,信用デフレ,さらに構造変化に伴うコンフィデン ス欠如などが組み合わさった状況にある.こうした状況は,「流動性のわ な」の状態とはいえないにしても,通常の金融緩和政策の波及メカニズム は働きにくい.

こうした状況で,調整インフレ論,実質金利低下を目指すクルーグマン の提案,そしてデフレ下におけるインフレ・ターゲティング論などが提案 されている.いずれも金融政策によってインフレ期待を作り出すことに よってデフレ的状況からの脱却を狙う戦略である.しかし現状で安定的な インフレ期待をつくろうとしても,金融政策当局が本当にそうした政策ス タンスを採り続けると,国民が信ずるようになることは難しい.中央銀行 にとっても,せいぜい長期的将来にわたっての不確実性の高いインフレ・ リスクをもたらすだけでは,そうした政策を採用することは困難である.

従って政策対応としても,金融緩和努力の継続は引き続き重要であるが, 金融政策のみによって対応することは適当ではない.日本経済の現在の困 難が多様な問題に起因している限り,政策目的に対応した他の政策手段と の組み合わせることにより,経済収縮のスパイラルに陥らないような戦略 ととることが不可欠である(上記「報告書」第 3 章 p. 3 1.).

経済企画庁が政府全体の立場をどれだけ代表していたのかは定かではない が,報告書がまとめられた 99 年 6 月には政府の報告書でクルーグマン提案 に代表される「インフレ・ターゲッティング論」に明確な懐疑論が表明され, デフレに対して「金融政策のみによって対応することは適当でない」と述べ られていることは注目に値する.

(6)

にわかにデフレに関する議論が活発になった.2001 年 1 月 6 日省庁再編に より内閣府に経済財政諮問会議が設置された後,2 月 2 日同会議で内閣府経 済社会総合研究所浜田宏一所長がデフレと金融政策,とりわけ「量的緩和」 の必要性についてプレゼンテーションを行ったのは,こうした政府部内での 動きを象徴するものであった.

01 年 3 月 16 日(金)麻生太郎経済財政担当大臣の月例経済報告後の記者 会見においても次のような発言がなされている.

3 ページ目については,今月のトピックスとして,いわゆるデフレとい うことについて関心が高まっていることから,問題を取り上げて,いろい ろデフレに意見がありますけれども,持続的な物価下落をデフレと定義を する.デフレーションというのは英語だろうけれども,デフレは日本語だ からね.現在のところでは,今そこの図を見ていただくとわかるように日 本経済は緩やかなデフレになっているということで,4 ページ目のところ に書いてある,5 ページ目にかけて見ていただいたらわかると思いますが, 戦前はこのような形で,デフレーションという形で松方モデルのときを最 初に見ていただいたらわかるように,いろいろ物価が所得との対比におい てこのように差があったという歴史的事実はありますが,戦後のハイ パー・インフレーションをやった昭和 47,8,9 と違って,いわゆるドッ ジラインの入ってきたあの年を最初物価が下がったという,こういったと きもありますが,見ていただいたらわかるように,2 年連続で物価が対前 年比で下がったという例は戦後は 1 回もありません.そういった意味で, 今回の局面というのは初めてのものですから,物価が持続的に下落すると いった今日の状況は,国際的に見ても,歴史的に見てもきわめて例外的な こととは考えていますけれども,そういった状況というのがあるんだとい う話をさせていただいて,デフレということと,景気は足踏み状態にある ということを申し上げております.

(7)

(問) 今の状況のなかで,需要不足によって物価下落が続いているとい うようにお考えですか.

(答) そうです.

……(中略)……

(問) そうしますと,具体的にツールとしては内閣府内部でも金融しか ツールがないのではないかというような意見もありますが,大臣ご自身は この物価についてどうするべきだと思いますか.

(答) 金融は 1 つのツールですよ.金融だけが責任もつのは間違ってい ると思います.金融は間違いなくインフレターゲットとかという話をしま すけれども,しておられる方もいて,1 つの例としてインフレターゲット という話をよくされるけれども,少なくともハイパーインフレーションに なっているところを 10%に抑える,5%に抑えるというインフレターゲッ トをやった国は過去例にありますが,デフレをインフレ傾向にするための インフレターゲットを設けた国は,いまだかつて世界に例がありません. したがってそれが本当に効果を発するかどうかについては疑問です.

麻生大臣はインフレ・ターゲットには慎重な態度を表明していた.

2001 年 3 月 19 日の政策決定会合で日銀は「量的緩和政策」に踏み切った. すなわち日銀の当座預金に目標値を設け,そのために長期国債の買い切りオ ペを増額することとし,さらに,こうした政策を「消費者物価指数の変化率 が安定的にゼロ%以上になるまで継続する」というコミットメントも公にし た1)

日銀が量的緩和政策を開始した 1 月後 2001 年 4 月 26 日に小泉純一郎内閣 が成立し,経済財政担当大臣に竹中平蔵氏が就任した.デフレは経済政策の キー・ワードとして位置づけられた.実際,「デフレ」というキー・ワード

(8)

が新聞に頻出するようになったのも 2001 年からである(図表 4 2).

2001 年 11 月 20 日の諮問会議でも「不良債権問題早期解決・デフレ阻止 のために必要な政策対応」と題する民間議員のペーパーが提出され,こうし た問題が議論された.この提出資料では「対策の必要性」として次のように 書かれている.

デフレが不良債権問題の解決を困難にしており,デフレ阻止がこの問題 の解決にとって不可欠である.なお我が国の抱える問題である「高コスト 構造」については今後もそれを是正する必要がある.

引用文の後段「高コスト構造」に関する部分は,この当時経営者・財界人 のなかにはデフレは「高コスト構造」を是正する「よいデフレ」という側面 ももっていると考えていた人もあったため書き加えられたのである.具体的 な「対策」としては,まず第 1 に「不良債権処理の加速」,具体的には⑴要 注意先債権に対して銀行は十分な引き当てを行う,⑵引き当て後に自己資本 不足になる銀行の資本増強をあげた後,対策 2「デフレ阻止のための行動」 として次の 2 つがあげられている.

⑴ 物価安定数値目標の設定 政府・日銀は消費者物価上昇率などを指標 図表 4 2 一般紙 3 社(朝日,読売,毎日)のデフレ記事数

6,000

5,000

4,000

3,000

2,000

1,000

0

1990 91 92 93 94 95 96 97 98 99 2000 01 02 03 04 05 06 (件)

(年) 77 58 155 196

724 162 161 214

1204 639 542

2575 5264

4763

(9)

とする明確な物価安定数値目標に合意する.

⑵ 日銀は,金融仲介機能の正常化を目指し,不良債権最終処理に役立つ 形で量的緩和政策を推進する.具体的には,市場操作の対象となる資産 を大幅に拡大し,不良債権処理に必要なつなぎ資金を供給など不良債権 処理に役立つ融資を行う.

諮問会議の場でもデフレはくり返し議論されたが,01 年 11 月 20 日の議 論にあるとおりデフレは何よりも不良債権との関係で問題にされていたので ある.白川[2008],18 4 節,p. 360,も量的緩和は「金融市場や金融システ ムの動揺を回避する上で効果を発揮した」としている.この点第 2 節で説明 するクルーグマンはじめ多くの理論家が,不良債権のまったく存在しない理 論モデルのなかでインフレ・ターゲット,量的緩和を論じていたことは,日 本経済の現実との間に大きなギャップが存在した,と言わなければならない.

(10)

題,株価に言及していない点でこの説明は一面的なのである2)

さて 2001 年の秋にはデフレはマクロ政策の中心的な問題として位置づけ られた.もっともデフレの問題は,5 年半常に強力なリーダーシップを発揮 した小泉純一郎首相,小泉官邸により中心的な問題として位置づけられてい たかというと,この点は疑わしい.たとえば,デフレを議論した 2001 年 11 月 26 日の諮問会議では小泉総理によって次のような発言がなされている.

(小泉議長) 物価が安くなれ,土地も下げろといって,いざそうなると, 上げろ上げろでこれはおかしい.なおかつ,日本の物価水準は高いという. 日本というのはおもしろい国だ.

不良債権の問題は小泉政権発足以来,最も重要な政策課題の 1 つとして位 置づけられた.しかし,デフレそれ自体の問題は別問題とみなされていたの ではなかろうか.とりわけインフレ・ターゲットに対して小泉総理は懐疑的 であったのではないだろうか.とは言っても,2001 年 12 月にはデフレ・ス パイラルを回避するために「緊急対応プログラム」が決定され,さらに翌 02 年 2 月 13 日には月内に「デフレ対応策」を取りまとめるよう総理指示が 出され,2 月 15 日の諮問会議では政府提出資料に「早急に取り組むべきデ フレ対応」として⑴不良債権処理の促進,⑵金融システムの安定,⑶市場対 策,⑷貸し渋り対策等,⑸金融政策の 5 項目が挙げられた.不良債権問題が 主たるテーマになったが,次のようなやりとりもなされた.

(平沼経済産業大臣) 金融問題を抜本的に解決するにあたり,政府と日 銀が一体的に取り組む,しっかりとした姿勢を改めて示すべきだろう.新 たな金融緩和も一考に値する

……(中略)……

(11)

(速水日銀総裁) 金融緩和については,2 つの観点から適切に判断すべ きだ.1 つは,所要の資金供給を円滑に行うために本当に必要なのか.ど れだけ実体経済に浸透していくのか,よく考えるべきだ.もう 1 つは,市 場のパーセプション如何で,長期金利に悪影響を及ぼす可能性もある.

「さらなる金融緩和」を求める政府に対して日本銀行は,十分すぎるほど の金融緩和を行っており,実体経済が回復しないかぎりマネー・サプライは 増えない,という立場だった.これは「デフレ問題」が終焉する 2006 年秋 まで変わらなかった.

「さらなる金融緩和」については,デフレを「貨幣的現象」ととらえ,マ ネー・サプライの増加はデフレを止める必要・十分条件だと考えるハード・ コアの緩和論者と,不良債権処理との関係でさらなる金融緩和の道を探る立 場があった.インフレ・ターゲットについても,それが期待インフレを生み 出す重要な政策と位置づける立場と,デフレを止める「決意表明」と考える 立場があった.次節で詳しく説明する Krugman[1998]の論文は,インフ レ・ターゲットと大胆な「量的緩和」=マネー・サプライの増大に理論的な 基礎づけを与えるものと考えられた.クルーグマン・モデルにおいては,イ ンフレ・デフレはもとより「貨幣的な現象」である.

2002 年 12 月 13 日の諮問会議では,浜田所長が「デフレ,株価下落,円 レート」と題するペーパーを提出しプレゼンテーションを行った.このペー パーでは「デフレの原因」について次のように書かれている.

一般物価水準は財,サービスと貨幣の交換比率であるので,デフレ(一 般的な物価下落)は貨幣的現象である.金融政策なきデフレ対策は「デン マーク王子なきハムレット」である.

その上で「金融政策に何が必要か?」という点について次のような提案が なされた.

(12)

具体的には,

⑴ 日銀当座預金でなく広義のマネーサプライ(M2+CD,広義の流動 性)を操作目標にしたほうがよい.日銀当座預金残高を一定範囲にするよ うな政策はマネー・サプライを減少させる政策になりかねないからである.

⑵ 財務省の為替介入の日本銀行による不胎化を猶予すべきである.為 替市場を通じた物価への働きかけはゼロ金利下でも有効だからである.日 本銀行は,従来財務省の為替介入を中和(不胎化)して円高を維持する結 果をもたらした.

⑶ 長期国債の買い切りオペを大幅に増額する.(たとえば 1 カ月に 2 兆円)

⑷ たとえば 2 年後に年率 2 3%のインフレ目標を達成すると宣言する. 不良債権処理の下では貨幣供給乗数が下落し経済主体は貨幣にしがみつく (流動性の罠に陥る)傾向があるので,貨幣保有の魅力を減らすためには

インフレ期待を発生させた方がよいからである.

⑸ セーフティ・ネットの財源を日本銀行が融資するとか,ETF(市 場連動投信),REIT(不動産投信)の購入等の変革的政策に訴えてもよい.

これに対して速水総裁は次のように反論している.

最初に,総理のお言葉をお借りすれば,私はデフレファイターであると 思っている.立場上,苦闘を重ねており,人後に落ちないデフレファイ ターである.

日本銀行は,量的金融緩和を消費者物価が前年比 0%以上になるまで続 けるとはっきり宣言し,量的金融緩和も柔軟かつ大胆に実施している. ……(中略)……

(13)

2003 年に入ると株価は急落し 8000 円台になったが,そうした中で 3 月 19 日『日本経済新聞』「経済教室」欄に 9 名の経済学者グループによる緊急提 案がなされた.これは伊藤隆敏教授と筆者が連名で取りまとめたものだが, 「経済再生・非伝統的手段も」と題するこの論稿ではインフレ・ターゲット

も含めて次のような提案がなされた.

日銀の役割はインフレでもデフレでもない「物価の安定」を達成するこ とにある.ただし,現行物価指数の上方バイアスや名目金利のゼロ制約を はじめとしたいくつかの理由を考えると目指すべき物価の安定とは 1 3% のマイルドなインフレと理解すべきだ.物価の安定を実現するため,日銀 は当面,デフレからの脱却に全力を注ぐべきである.

そのためにはマネタリーベースの適切な形での供給増加が必要不可欠で ある.マネタリーベースの供給は日本銀行が「資産」を購入する対価とし て行われる.日銀の資産購入は長期国債の買い切り額の増加を中心として きたが,今後はその一層の積み増しに加えて,株価指数連動上場株式投信 (ETF)や不動産投資信託(REIT)の市場での購入などの「非伝統的手

段」を積極的に活用すべきである.

また,デフレを終結し物価の安定を実現するには時間が必要である.こ のため 2 年程度(2005 年 3 月まで)の期間における「物価水準」上昇の 程度(例えば 3%)と,その後のインフレ目標(例えば 2%プラスマイナ ス 1%)をただちに設定すべきである.非伝統的手段を含む金融政策と, 時間軸を明確にした「インフレ目標」によって,デフレが終結するという 期待が高まるから,日銀券供給の効果を高めるとともに,さらにその後に 予想されるインフレ率の制御が可能になる(『日本経済新聞』2003 年 3 月 19

日「経済教室」).

(14)

at all costs. と題する社説を掲げていた.

拡大するペシミズムの下で日本経済に「デフレ・スパイラル」に陥らず好 転するきっかけを与えた事情は 2 つあった.第 1 は 03 年 5 月,りそな銀行 (当時第 5 位の大手行)に 2 兆円の公的資金を投入したことが奏功し,これ により不良債権問題終結の展望が開け,以後金融システムが安定し株価も上 昇に転じたこと.もとより長いタイム・スパンで見ればそれ以前の政府によ る預金債務の全額保護,金融機関への公的資金投入,日銀の量的緩和政策な どがあるが,そうした政策にもかかわらず 2002 年末から 03 年には株価は急 落し,日本経済は「デフレ・スパイラル」の門口に立った.白川[2008], p. 382,は「 金融恐慌 という言葉で表現されるような金融システムが崩壊す る事態だけはぎりぎりのところで回避されたこと」をデフレ・スパイラルに 陥らなかった理由の 1 つとしてあげているが,まさに「ぎりぎりのところ で」金融恐慌を回避することを可能にした具体的な政策が「りそな銀行への 公的資金投入」だったのである.本稿では立ち入ることができないが,「り そな銀行への公的資金投入」は,日本経済に一大転機をもたらした重要な経 済政策であったにもかかわらず,いまだ十分に検討がなされていない.今後 に残された重要な研究課題である.日本経済がデフレ・スパイラルに陥らな かった第 2 の理由は,輸出が実体経済を牽引したことである.

さて 2003 年後半から日本経済が成長するなか,中心的政策課題は,不良 債権処理,デフレ対策から郵政民営化,国と地方の間の「三位一体改革」な どにシフトした.やがて 05 年 10 月に内閣が改造されると与謝野経済財政担 当大臣の下で財政再建シナリオ,いわゆる「歳出・歳入一体改革」が大きな 政策課題となった.消費者物価の下落は 08 年まで続いたが,デフレは中心 的テーマではなくなったのである.新聞記事に「デフレ」が登場する頻度が 04 年に入り激減しているのもこうした変化を反映したものといえる(図表 4 2).

(15)

政府と日銀の間には金融政策をめぐりテンションが続いていた.結果的には 06 年 3 月 9 日,日銀は 5 年間続けた量的緩和を解除した.またこれに続い て同年 7 月 14 日ゼロ金利政策も解除した.

政府が「デフレ」問題に最終的にピリオドを打ったのは,06 年 9 月小泉 総理が退陣したときである.06 年 9 月の月例経済報告で,5 年半ぶりに「デ フレ」の文言が完全に削除された.消費者物価指数は,06 年 6 月,7 月は対 前年比 0.2%上昇したが,内閣府が重視する石油製品など特殊要因を除く指 数は 7 月 0.3%下落していた.GDP デフレーターも国内需要のデフレー ターは 2 四半期連続で上昇したとはいえ,デフレーターそのものは 06 年第 2 四半期いまだ 0.8%(対前年比)の下落だった.こうしたことから「デフ レ脱却宣言」は見送られたが,国内の需給要因でデフレに後戻りするリスク は大きく後退したと判断し,政府は月例報告から「デフレ」という文言を完 全に削除したのである.2000 年に始まったデフレをめぐる政策論争は,06 年 9 月に終了したと言うことができよう.

以上わが国のデフレ論争(2000 06 年)を概観した.論争は 100 パーセン ト経済理論上の対立を反映したものではなかったが,さまざまな政策提案が 経済理論から影響を受けていたことも事実である.次節ではわが国のデフレ 論争に大きな影響を与えた「デフレの経済学」を批判的に検討することにし たい.

2

デフレの経済学

デフレーションは 19 世紀の後半以来多くの経済学者によって考察されて きた.ナポレオン戦争の後,19 世紀の前半は物価が持続的に下落した. 1850 年代から 60 年代にかけての小休止を経て,19 世紀後半(1873 96 年) イギリスを中心に世界経済が「大不況」に陥ると再び物価は下落した.世紀 全体で見ると 19 世紀は「デフレの世紀」といっても過言ではないのである

(図表 4 3).20 世紀に入り 1930 年代の大不況の時期にも物価は世界的に激

(16)

図表 4 3 第 1 次世界大戦前の物価指数の長期的推移

注) 卸売物価の 9 カ年移動平均.

出所) Schumpeter[1939], , p. 468.

1780 90 1800 10 20 30 40 50 60 70 80 90 1900 10(年) UNITED STATES

GREAT BRITAIN

GERMANY

図表 4 4 アメリカの卸売物価(月別指数),1913 39 年

注) Bureau of Labor Statistics に基づく.

Board of Governors of the Federal Reserve System, Historical Chart Book, 1961

1915 1920 1925 1930 1935 (年)

150

100

80

60

40

30

20

150

100

80

60

40

30

20 農産物

非農産物

(17)

2.1 デフレの害悪

そもそもデフレはなぜ問題なのか,なぜ阻止しなければならないのか.た とえば Pigou[1935]は,技術進歩により財・サービスの価格が下落する場合 には,そうしたデフレを阻止する――Pigou はデフレを止めることを「リフ レ」=reflation と呼んだ――必要はない,と言っている.日本のデフレ論争 においても,電気・機械産業等で旺盛な技術進歩が生じ,その結果製品価格 が急速に低下することから発生するいわゆる「よいデフレ」論があった. Pigou は「よいデフレ」が存在することを認めたのである.

デフレの害悪を誰よりも強く説いたのは Fisher[1933]である.Fisher は 資本主義経済が強い自動安定化作用をもつことを強調し,それを海に浮かぶ ヨットにたとえた.ヨットは相当に傾いても自動的に元の平衡状態を回復す る.資本主義経済も同じように不況や好況の過熱があっても通常は自動的に 均衡を回復する.しかし 2 つの条件が重なるとこうした自動回復機能が失わ れ,あたかも海中に横倒しになったヨットのようにもはや均衡は自力では回 復しない.こう Fisher は論じた.Fisher によれば資本主義経済がもつ自律 作用を失わしめる 2 つの条件とは,第 1 に好況時に企業が過大な債務を負う こと,第 2 は好況に続いて来る不況時に経済がデフレに陥ることである.こ の 2 つの条件が重なると,デフレにより企業の負う実質債務が重くなり,倒 産の連鎖が生じ失業も増大し,不況はさらに深刻になる.深刻な不況はデフ レをさらに強め,ここにデフレと債務の悪循環が発生する.これが有名な Fisher の Debt-Deflation Theory である.

(18)

げているのに,価格が下がるとデフレは問題だといわれるのは心外だ,と多 くの経営者も考えているようだ.しかし Fisher が正しく指摘したとおり, デフレはマクロ経済にとって――とりわけ不良債権が存在するときには脅威 になるのである.

2.2 貨幣数量説

デフレがマクロ経済にとって大きな問題であるとすれば,それをいかにし て止めるか.デフレを止めマイルドなインフレに転換する(Pigou のいわゆ る reflation)ためには,どのような政策がとられるべきなのか.この点につ いても戦前から多くの経済学者によって論じられてきた.

スタンダードな新古典派経済学では「貨幣数量説」を基本的なフレーム ワークとし問題を分析する.すなわち Fisher 流の貨幣数量方程式

MV=PQ (4.1)

ないし,いわゆるケンブリッジ方程式

M=kPY (4.2)

を考え,数量方程式の場合,貨幣の「流通速度」Vは一定,実質的な取引 量Qも「完全雇用」水準で与えられていると考える.ケンブリッジ方程式

の場合も流通速度の逆数に相当するマーシャルのkは一定,実質所得

(19)

2.3 ケインズの『貨幣論』

こうした正統派ともいえる貨幣数量説の考え方に疑問を呈したのがケイン ズの『貨幣論』(Keynes[1930])である.ケインズは「1890 年代の不況」と 題する『貨幣論』第 2 巻 30 章(原著 pp. 146 152)で,19 世紀の「大不況」 をケース・スタディとして取り上げた3)

経済史の上では通常 1873 96 年とされる「大不況」期に物価は下がり続け

た(図表 4 3).前半期(1875 86 年)は貨幣数量も減少したから,この時期

については貨幣数量説で説明がつく.しかし後半 1890 96 年には物価が 14 ないし 18%も下落したにもかかわらず,バンク・オブ・イングランドの保 有する金は 2 倍,銀行の準備預金は 3 倍,預金量も 2 倍に増加した.つまり マネー・サプライ,ハイパワード・マネーいずれも 2 倍ないし 3 倍に増加し たにもかかわらず,物価は十数%下落した.こうした事実に基づきケインズ は次のような結論を導いた.

1890 年から 1896 年にかけてイギリスで起きたことは,旧式の貨幣数量 説では説明できない.

マネー・サプライは増大したのに,なぜ物価は下落したのか.ケインズは 投資が異常に落ち込んだことこそが物価下落の主因だと論じた.マネー・サ プライよりも投資を中心とする有効需要の水準――1930 年のケインズはま だ「有効需要」という言葉は使わず,もっぱら「投資」の水準を問題にして いたのだが――これこそが物価の騰落を決める決定的な要因だと言っている のである.これは物価をマネー・サプライに直結するのではなく,インフレ /デフレを経済のマクロ的活動水準に結びつける「フィリップス・カーブ」 の考え方に近い.

デフレを止め物価を上昇させるためには,投資を増大し経済の活動水準を 上げなければならない.これがケインズの分析から導かれる当然の政策的提 言である.実際 1931 年,大不況下にあった米国を訪問したケインズは ニューヨークで講演し,物価を上昇させるためには何よりも投資を回復させ

(20)

なければならない,と述べている(Keynes 全集 X 巻,原著 pp. 544 553). 今日に至るまでインフレ/デフレについては基本的に異なる 2 つの考え方 がある.1 つは貨幣数量説の考え方.デフレを止めるにはマネー・サプライ を増やせばよい,という考え方である.もう 1 つは『貨幣論』におけるケイ ンズの考え方を引き継いだとも言える「フィリップス・カーブ」に基づく考 え方である.後者によれば,デフレは不況が深刻化した「結果」であり,デ フレを止めインフレに転じるためにはマクロ経済が不況を脱し,成長が回復 しなければならない.

実際,2 つの考え方は,10 年ほど続いたわが国のデフレをめぐる政策論争 においても大きな影響を与えた.とりわけ 1990 年代末からわが国の政策金 利(コール・レート)はほぼゼロ――99 年 2 月からは「ゼロ金利政策」 ――となり,日本経済はケインズのいわゆる「流動性の罠」(liquidity trap) に陥った.内外のマクロ経済学者の関心を引いたのは,流動性の罠の下でデ フレからどのように脱却するか,という問題であった.

2.4 クルーグマン・モデル

流動性の罠から脱出するためにはどうすればよいのか.この問題をめぐる 議論に大きな影響を与えたのは Krugman[1998]の論文である.クルーグマ ンの論文は,インフレ・ターゲティングとマネー・サプライの増加によりデ フレから脱却する政策プログラムにしっかりとした理論的基礎づけを与えた, と多くの人によって信じられた.第 1 節でみたとおり早くも 99 年に出され た経済企画庁[1999]の報告書でもクルーグマンの提案に言及している.それ は日本の政策論議に大きな影響を与えた.クルーグマンのモデルがどのよう な理論的な構造をもつかは,モデルに立ち入って検討しなければ理解できな い.以下,彼の理論モデルを詳しく紹介することにする.

(21)

の点をまず説明しよう.

「貨幣」は財・サービスを購入する手段として保有される.「債権」の利子 率が正のときには,利子を生まない貨幣の保有はぎりぎりまで節約されるた め,現在財・サービスを購入するためにちょうど必要なだけ貨幣が保有され る.その結果クルーグマン・モデルでは利子率が正のときには単純な「貨幣 数量説」が成立する,ということになっている.すなわち,利子率が正であ れば貨幣数量を増やすと比例的に名目物価が上昇する.

ところが利子率がゼロになると,貨幣と債権の区別はなくなるから,貨幣 の保有を節約しようとする誘因が失われてしまう.その結果,利子率が正の ときには成立していた「貨幣数量方程式」が成立しなくなり,貨幣数量と名 目物価の間の単純な 1 対 1 の対応関係が断ち切られてしまう.クルーグマ ン・モデルではこのように,名目利子率がゼロになると,単に金利をそれ以 上下げられなくなるだけではなく,マネー・サプライを増やしても名目物価 に影響を与えられなくなるのである.

このように流動性の罠の下で,金融政策は二重の意味で手詰まり状態に陥 る.しかしクルーグマン・モデルでは,「現在」流動性の罠に陥っていたと しても「将来」は流動性の罠に陥っていない.そう仮定されている.した がって「将来」のマネー・サプライを増大させる(より正確には将来マ ネー・サプライが増大するだろうという期待がもたれる)と,「将来」の名 目物価は貨幣数量方程式に従い比例的に上昇する.つまり将来マネー・サプ ライが増大するという期待を生み出しさえすれば期待インフレが上昇し,た とえ名目利子率がゼロであっても実質利子率は低下する.実質利子率の低下 により需要が刺激され,流動性の罠から脱出することができる.これがク ルーグマン・モデルの本質である.

クルーグマンは「将来」マネー・サプライが十分に増大するということを マーケット(あるいは民間セクター)に知らしめるシグナルとして,「現在」 の「量的緩和」を提案する.「現在」のマネー・サプライ増大それ自体は物 価を上げる効力をもたないのだが,それが将来のマネー・サプライ増大の期 待を生み出せば,すでに述べたように期待インフレを通して実質金利を低下 させることができる.

(22)

陥っていない「将来」は貨幣数量説が成立しており,マネー・サプライと物 価の間に単純な比例関係がある,というモデルに基づいてなされている.モ デルが仮定するように物価とマネー・サプライの間に比例関係があれば「量 的緩和」が期待インフレを生み出すのは当然だ.しかしこの仮定は現実には 成立しない.こうした問題は,先に説明したとおりケインズがすでに『貨幣 論』で指摘したのだが,この点は後に論じることにして,以下ではまずク ルーグマン・モデルを紹介することにしよう.

クルーグマン・モデルでは次のようなラムゼイ型の効用を最大化する代表 的消費者を考える.

V= 1 1−ρ

 C

D (4.3)

ここでCは各期の消費,ρの逆数は異時点間の消費の代替の弾力性,そして Dは割引ファクター(0<D<1)である.簡略化のために生産は捨象し,各 期Yだけの財/サービスを消費者は手にするものとする.ただし消費者は 財/サービスを手にするためにはあらかじめそれを購入するための貨幣M を保有していなければならない(いわゆる cash in advance 制約).

各期,消費者は 2 つのステップを踏んで取引を行う.まずはじめに消費者 は資産市場で貨幣と債権を交換する.債券は「1 期債」で名目利子率はiで ある.資産市場での取引を終了した後に消費者が保有する貨幣量Mは消費 財Cの購入額PCより大きくなければならない(Pは消費財の名目価格).

PCM (4.4)

(23)

i=1−D

D > 0

で一定となる.iという将来の利子率は正であるから,先に説明したとお り合理的な消費者は各期消費財を購入するのに必要な貨幣以上の貨幣を保有 することはない.貨幣の利子率はゼロなので,消費財の購入に必要な貨幣を 超える資産は,すべて利子を生む債券の形で保有されるのである.したがっ て,cash in advance の制約(4.4)が等式で成立し,名目物価水準P

P= M

Y

で一定となる(C=Yであることに注意).要するに「将来」は単純な貨 幣数量説が成立しているのである.

第 2 期以降の「将来」をこのような「静態的均衡」に転換したした上で, 「現在」すなわち第 1 期の経済を次に考える.利子率 が正である「正常」 な状態では,「将来」と同じように cash in advance 制約(4.4)は等式で成 り立つから,

PC=M (4.5)

である.さらに財/サービス市場の均衡より

C=Y (4.6)

だから(4.5),(4.6)より

P= M

Y (4.7)

が成立する.すなわち利子率が正である「正常」な状態では,名目物価P

とマネー・サプライMの間に,単純な貨幣数量説が「将来」だけではなく

「現在」も成立する.

(24)

C C

=D(1 +i)P

P (4.8)

という条件が得られる.(4.8)はいわゆる「オイラー方程式」にほかならな い.財市場の均衡条件C=YC=Yを用いると(4.8)式は次のように 書き換えることができる.

1 +i= P

DP

Y

Y

(4.9)

(4.9)式は,消費者の主観的割引率δ=(1−D)D,名目物価の上昇率

Π=(PP)P,アウトプット(実体経済)の成長率g=(YY)Y を 用い,次のように書き換えることができる.すなわち(4.9)式の自然対数 をとりlog (1+x)xという近似式を用いると,(4.9)式は次のように書き

換えることができる.

i=δ+Π+ρg (4.10)

が得られる.

(4.10)式から名目利子率は,⑴消費者の主観的割引率δ,⑵期待物価上 昇率Π,⑶経済成長率gという 3 つの要素によって決まることがわかる.な

お合理的期待の下では現実の物価上昇(下落)率Πは期待物価上昇(下落) 率に等しい.経済成長率gが利子率にどれだけ影響を与えるか,その大きさ

は異時点間の消費の代替の弾力性(ρの逆数)が小さいほど大きくなる4). 実質利子率rは(4.10)より

r=iΠ=δg (4.11)

である.この式は経済成長率gが負であれば均衡の実質利子率がマイナスに

なりうることを示している(正確にはg<−δρのとき).

4) 異時点間の消費の代替の弾力性は,2 つの時点の消費の相対価格が 1%変化したとき,消費量 が何%変化すれば消費者の効用の水準が不変に保たれるか,を表す.つまり代替の弾力性は異時 点間の消費の代替の「容易さ」を表すものである.gが大きければY>Y,したがってC>C

となる.代替の弾力性(ρの逆数)が小さければ,こうした消費パターンが最適となるために相

(25)

さて*を付けた「将来」の経済,すなわちM,P,Yおよび「現在」 のMYを所与として(4.7),(4.9)式より第 1 期のPiが決定される.

第 1 期の消費量CYに等しい.このようにして決まる利子率iが正であ

るような「正常」な状態をここでは考えている.

中央銀行が買いオペレーションによりマネー・サプライM(正確にはM は不変にして第 1 期のMのみ)を増大させると,(4.7)式よりPが比例的

に上昇する.Pが上昇するので(4.9)式より名目利子率iは低下する.「未

来」のPは一定としているので,Pの上昇は物価の「下落期待」を生み出 す.(4.10)式でΠが小さくなり,名目利子率iが低下するのである.もっ

とも(4.11)式からわかるとおり実質利子率rは変わらない.マネー・サプ

ライMを増やしても実質利子率は変わらない.このとき名目利子率が低下

するのは,あくまでも今期の物価が上昇し期待インフレが低下するからだと いう点に注意したい.こうした結果は新古典派的な均衡モデルとしては当然 の結果だが,はたしてどれだけ「現実的」か,は疑問である.なお以上では 第 1 期のみのマネー・サプライの増大を考えたが,「現在」だけでなく「将 来」のマネー・サプライまで,つまりMと同時にMも比例的に増大させ ると,PP両者共に比例的に上昇するから,名目利子率は不変である.

さて⑴Mを増大させたために第 1 期のPが上昇した,⑵Mの減少が予 想されたために「未来」の物価水準Pが下落した,⑶実体経済の成長率g が低下した,以上⑴,⑵,⑶いずれが原因であるにせよ,ともかく第 1 期の 名目利子率iが低下し,ついにゼロという下限に到達したとしよう.金利が

ゼロである貨幣という資産が存在する以上,債券の利子率は負にはなりえな い.「流動性の罠」の到来である.クルーグマンは流動性の罠として 2 つの ケースを区別した.すなわち名目物価Pが伸縮的な場合と,Pが固定的な

場合である.

伸縮価格経済

まず物価Pが伸縮的なケースを考えよう.名目利子率iがゼロになると,

(26)

PC=PY<M (4.12)

が成立する.単純な貨幣数量説は成立しないから,Mをいくら増やしても Pが比例的に上昇することはない.価格と貨幣数量のリンクは断ち切られる.

物価水準Pは次式で与えられるPとなる.

P=

P

D

Y

Y

(4.13)

Pは(4.9)式で名目利子率iをゼロとして得られる.価格が伸縮的なの

で今期のYは「完全雇用」の水準で所与であることに注意したい.

以上考えた「伸縮物価経済」では,流動性の罠に陥っているとはいっても, 実質利子率は「正常」な経済と変わらないし,消費水準もYに等しいとい

う 意 味 で「完 全 雇 用」が 維 持 さ れ て い る.一 見「過 大」に み え る M

((4.12)の不等式)の下で,名目物価Pが十分に「低下」し,したがって

(一定のPの下で)高い期待インフレが生み出される.こうして,たとえ 均衡実質利子率が負になっていたとしても「完全雇用」が維持されるのであ る.

不完全雇用均衡

さて次に Hicks[1974]の モデルに対応する固定的なPの下で,流

動性の罠の影響を考えることにしよう.物価Pが非伸縮的な経済ではアウ

トプットYは一定ではなく変数となる.Yの上限をYとする(Y

Y).

Yは「完全雇用」に対応する

Yの水準である.なお第 2 期以降の「将来」

の経済はこれまで考えてきたのと同じように所与である.

P一定(P=P),Y可変の「ケインズ的」モデルでは,Yは消費需要C

によって決まる5)Cは消費者の主体的均衡条件(4.8)すなわち「オイ

5) クルーグマン・モデルでは生産を捨象している.「完全雇用」のケースでは,木の上から落ち

てくるヤシの実のように生産コストがゼロというYに関する仮定は,それほど理論的な問題を

引き起こさないかもしれない.しかし,Y<Yとなる不完全雇用のケースでは,生産コストが

ゼロであれば価格Pは正なのだから,なぜ生産者はYより低い

Cの水準で生産をストップす

(27)

ラー方程式」を満たすように決まるので

Y=C=Y

P

DP

(1 +i) (4.14)

によって与えられる.たとえPP で一定でも名目利子率iが正であれば

cash in advance 制約が等式で成立するから,(4.7)式よりマネー・サプラ イを

M=P Y (4.15)

の水準まで増加すれば「完全雇用」が達成される.Mを増大させることに

よって(4.14)式でY=Yが成立するまで名目利子率iを下げることがで きる.問題は物価Pが一定(P=P)で,しかも名目利子率iがゼロとなっ

たときである.

名目利子率がゼロという流動性の罠の下では(4.14)式より

Y=C=Y

P

DP

(4.16)

となる.(4.16)式によって決まるYは一般的にはYの上限Yより小さい. すなわち

Y<Y (4.17)

こうして物価が下方に硬直的である経済で名目金利がゼロになると,経済 は「不完全雇用」均衡,まさに「罠」に陥る.名目金利ゼロの下では cash in advance 制約は不等式でしか成立しない,つまり

P C<M (4.18)

したがってマネー・サプライMの変化は経済に何の影響も与えない.た

だし(4.16)からわかるように,どのような理由からにせよ,もしPが下

落すればYは上昇する.物価下落は,流動性の罠に陥った経済においても

「良薬」なのである.

(28)

うか.(4.16)を見れば明らかなとおり,「将来」の物価水準Pを上昇させ れば,C,したがってYを増大させることができる.「将来」経済は流動性

の罠に陥っていないから,cash in advance 制約は等式で成り立っている. つまり「将来」経済では貨幣数量説が成立しているのである.

P= M

Y (1.19)

「現在」Mを増大させても何の役にも立たないが「将来」Mが増大する と人々が信じる限り(モデルのなかにはそれを信じないとするロジックは何 も存在しない)Pは比例的に上昇する.したがってPを所与として,期待 インフレーション

Π= (PP)

P

はそれだけ上昇する.その結果,実質利子率が低下すると,将来のCは所 与だから,異時点間の最適化を行っている消費者は第 1 期の消費Cを増や

す.それにともない「生産」水準Yも上昇する.このようにPが十分に 上昇するまでMを増やせば(あるいは人々にそう信じさせれば)YY に等しくすることができる.

くり返し述べたように第 1 期のMの変化は現在,経済に直接影響を与え

ることはできない.しかし将来Mが十分に増大することを人々に信じさ せ,期待インフレを生み出すことできれば,経済は流動性の罠から脱却する ことができる.したがって,この政策のポイントは人々に「将来」の物価 (P)上昇を確信させるところにある.中央銀行は必ずやインフレを生み出 すと言う意味で credibly irresponsible でなければならない.こうクルーグ マンは主張する.

(29)

は,したがって 3 3.75%となる.こうした計算に基づきクルーグマンは, 今後 15 年間,日本銀行は 4%のインフレーションを目標とすべきだ,とい う政策提言をした(同論文 p. 181).

以上クルーグマンの議論の概要を説明した.はじめにも書いたとおり「流 動性の罠から抜け出すために期待インフレを生み出せ」というクルーグマン 提案は,「しっかりとした」ミクロ的基礎をもつマクロ・モデルに基づくも のだと広く考えられてきた.そうしたものとしてわが国の政策論議にも大き な影響を与えたのである.しかし私はクルーグマン提案が「しっかりとし た」理論的基礎をもつとは考えていない.以下ではこの点を説明することに したい.

2.5 クルーグマン提案の問題

再三述べているとおり「名目金利がゼロになっても期待インフレを高めれ ば実質金利が低下し景気は回復する」という議論だけならば,誰にでも言え る.クルーグマン提案は十分な「理論的基礎」をもつかぎりにおいてのみ単 なる思いつきを超えることができるのだから,その「理論的基礎」を十分に 吟味することが必要である.

理論モデルは現実の経済を多かれ少なかれ抽象化したものだ.したがって それが「単純」であることは必ずしも欠点ではない.生産が捨象されていて アウトプットYはあたかもヤシの実が木から落ちてくるかのような仮定が

設けられているとか,基本モデルでは消費だけしかなく投資がない,といっ たこと等々はしたがって必ずしも理論モデルの欠陥とはいえない.しかしな がら 1990 年代の日本経済に対する処方箋として「期待インフレ策」の基礎 とすべき理論としては,クルーグマン・モデルは以下の 2 点においてきわめ て重大な問題をもつ.

第 1 にデフレーションが懸念される経済において,中央銀行はいかにして 期待インフレを生み出すことができるのであろうか.クルーグマン・モデル の世界では答えはいとも簡単である.モデルでは「将来」経済は流動性の罠 に陥っていないから cash in advance 制約は等式で成り立っている((1.19) 式).したがって「将来」の物価水準Pは,「将来」のマネー・サプライ

(30)

る世界では,すべては日本銀行がMの上昇を人々に信じこませることが できるかどうか,その credibility にかかっている.

ここで「将来」の物価水準Pないし期待インフレに関して日本銀行が直 接的にどれだけの影響を与えうるか,2 つの状況を区別して考える必要があ る.1 つはハイパー・インフレーションあるいは年率数十%の準ハイパー・ インフレーションであり,もう 1 つは年率数%の緩やかなインフレーション である.

前者すなわちハイパー・インフレーション/準ハイパー・インフレーショ ンを起こすことができるのは中央銀行のみであり,中央銀行は常にそれを起 こす「能力」をもっている.もちろん歴史的にみればハイパー・インフレー シヨンの「引き金」は,多くの場合「財政」にあり,その背後には戦争,革 命,クーデターなど「実体的」要因がある.こうした実物的な背景なしに突 然中央銀行が進んでハイパー・インフレーションを引き起こした例は歴史上 に存在しない.しかし中央銀行が実体的な問題,とりわけ財政赤字を「追 認」してハイパー・インフレーションは生じる,ということも事実だ.これ はクルーグマン・モデルの想定,すなわちMがPと直結する貨幣数量説 の世界に最も近い状況といえるだろう.たとえば日本銀行が文字どおり 「狂ったように」あらゆる資産――短期債,長期国債,社債,株,土地,鉄,

タクシー券……(?)――を買えば期待物価そして現実の物価もほどなく上 昇するだろう.しかし価値基準としての円を動揺させるような高率のインフ レーションは経済を単なる混乱に陥れるだけであり,景気を回復させるとい う当初の目的からしても本末転倒であることは明らかである.

以上のような(準)ハイパー・インフレーションは除外し,年率数%とい う緩やかなインフレーションを次に考えることにしよう.クルーグマンはも とより現実の政策に関心をもつすべての人は,こうした緩やかなインフレー ションを想定していたのである.そうした状況では,将来のインフレーショ ンに関する予想を決定する最も重要な要因は,現実のインフレーションであ る.モデルの記号を用いるならば,Pを決定する最も重要な要因はMで はなくPである6).クルーグマン・モデルではPはMで決まるから,今 期Pの「下落」は期待インフレを「高め」Yを上昇させる(「不完全雇用」

(31)

うに,足許のデフレーションが逆に期待インフレーションを生み出すという ことは現実には起こりえない.この点が単純な貨幣数量説を仮定するクルー グマン・モデルの第 1 の問題点である.

「ハイパーインフレーションになっているところを 10%に抑える,5%に 抑えるというインフレターゲットをやった国は過去例にありますが,デフレ をインフレ傾向にするためのインフレターゲットを設けた国は,いまだかつ て世界に例がありません.したがってそれが本当に効果を発するかどうかに ついては疑問です(2001 年 3 月 16 日).」こう述べた麻生太郎経済財政担当 大臣は「世界の知性」より経済の現実を知っていたのかもしれない.

第 2 はモデルが想定している需要の「利子弾力性」である.流動性の罠に 陥り「不完全雇用」に悩んでいる経済では(4.16)式が成立している.した がって

logC= Π

ρ (4.20)

である.期待インフレが 1%上昇すると,消費需要は異時点間の消費の代替 の弾力性 1/ρ%に等しい分だけ増大する.需要は利子率に対して十分弾力的 に反応するのである.

クルーグマン・モデルではラムゼイ型の代表的消費者による異時点間の効 用最大化をベースにしているため,利子弾力性は異時点間の消費の代替の弾 力性に等しくなる.利子弾力性は,いわゆる deep parameter つまり効用関 数の型を決めるパラメータに等しい.しかしこれをもって需要が利子率の変 化にたいして十分弾力的であることのミクロ的基礎づけが与えられていると は考えられない.

まず現実の経済には住宅/在庫/設備投資が存在し,それらの利子弾力性 は代表的消費者の異時点間の消費の代替の弾力性に等しくはない.Dixit and Pindyck[1994]では,「不確実性」の高まりが投資の利子弾力性を小さく することが示されている.実際,93 年にはコールレートは 3%だったのであ

6) 「今期」の期待インフレは(PP)P.これに対して今期の現実のインフレーションは,1 期 前の物価水準Pを所与として(PP)Pである.固定価格モデルではP=Pなので現実のイ

(32)

り「流動性の罠」とよばれるような状態にはなかった.その後 6 年間コール レートが 3%から 0%,長期金利も 3.5%から 1.8%へと大幅に低下したにも かかわらず,投資や消費が力強い回復を示さなかったからこそ,その「結 果」として日本経済は「流動性の罠」とよばれるまでの状態に陥ったのであ る7).つまり 1990 年代の金融政策にとって最大の問題は,需要が利子率の 低下に対して弾力的に反応しなかったところにある.

先にもふれたとおり,クルーグマンはアメリカにおける利子弾力性を用い て 4%のインフレ・ターゲットを提唱した.アメリカでは長期金利を 0.75% 低下させると実質 GDP が 1%上昇する.仮に日本では 2%の長期金利の低 下が実質 GDP を 1%しか上昇させなかったのであれば,5%の GDP ギャッ プを埋めるためには期待インフレを 10%生み出さなければならない.2%の 長期金利の低下がそれ自体として 0.33%しか実質 GDP の成長率を高めな かったのなら,5%の GDP ギャップを埋めるために必要な期待インフレは 30%である!

くり返しになるが,90 年代の日本経済の長期停滞すなわち「失われた 10 年」を考えるためには,なぜ利子率の継続的な低下にもかかわらず需要が低 迷し続けたかが説明されなければならない.すでに言及した Dixit and Pindyck[1994]は,基本的にミクロの経済分析である.実は不確実性の増大 は,マクロ経済において利子弾力性だけではなく,政策への反応を一般的に 小さくすることを理論的に示すことができる.そうした分析は「代表的」な 経済主体を仮定せず,マクロ経済は数多くの異質な経済主体から成るという 事実から出発する.クルーグマン・モデルに代表される「代表的」消費者の 最適化は,今日それこそが「ミクロ的基礎づけ」と広く考えられているのだ が,実は理論的根拠がないのである.この点を詳しく説明することは,本稿 の範囲をはるかに超えるので関心のある読者には Aoki and Yoshikawa [2007],とりわけ第 4 章を参照していただきたい.Aoki and Yoshikawa [2007]ではそうした状況を流動性の罠ならぬ「不確実性の罠」(uncertainty trap)と呼んだ.

本節ではクルーグマン・モデルを批判的に検討した.Krugman[1998]に

(33)

触発され,多くの理論家が「量的緩和」とインフレ・ターゲットをコアとす るさまざまな政策提案を行った.たとえば,Bernanke[2000],Blanchard [2000],Svenson[2001],Rogoff[2002],Eggertsson and Woodford[2003], Bernanke .[2004],Auerbach and Obstfeld[2005]などである.インフレ 率に目標を定めるのではなく物価水準に目標値を掲げる提案や,オープン・ エコノミーで為替レートの減価を重視するものなどバリエーションは実にさ まざまだが,われわれが本稿でクルーグマン論文に対して行った批判はいず れの論文にも当てはまる.こうした論文が依拠する代表的消費者の仮定に基 づく「ミクロ的基礎づけ」は,実はまったく理論的根拠を欠いたものなのだ が,その点について詳論することはすでに述べたように本稿の範囲を超える. ここではクルーグマン提案の有効性が,流動性の罠に陥っていない「将来」 は貨幣流動説が成り立っていること,したがって将来のマネー・サプライが 増大すると人々が信じれば,インフレ期待が生み出されることに基礎を置い ていたことを思い出し,「貨幣数量説」そのものにつきさらに考察すること にしたい.

3

貨幣数量説は正しいか

貨幣数量説によれば物価は貨幣数量で決まる.ここでは貨幣数量説を検討 するために,その対極にある考え方を説明することにしよう.インフレー ション/デフレーションは「一般物価水準」の持続的な上昇/下落のことだ が,一般物価水準はいうまでもなく個別の財・サービス価格の加重平均に他 ならない.インフレ/デフレが生じているときには,当然多くの財・サービ スの価格が上昇/下落している.そこでインフレ/デフレを説明するために は,一般物価指数を構成している個別の財・サービスの価格がなぜ上がった り下がったりしたのか考え,それを積み上げればよいはずだ.こうしたアプ ローチが考えられる.Ball[2006]はこうした分析方法を Accounting Theory of Inflation/Deflation(以下 AT と呼ぶ)と名づけた.

名づけ親である Ball は,AT は絶対物価水準と相対価格の混同という初 歩的な誤りに基く謬論だとした.絶対物価水準P(したがってインフレ・デ

(34)

サプライMによって決まるというのが Ball の主張だ.Aという財の需要が

増えればAの(絶対)価格が上がるというのが「常識」である.この常識

に基づくアプローチが AT だが,これは初歩的な誤りだと Ball は言うので ある.なぜならA財の需要が増えたときに上昇するのはあくまでもA財の

「相対価格」であり,A財の「絶対価格」がどのように変化するかはマ

ネー・サプライ次第だからである.たしかにA財の相対価格が上昇するた

めには,A財の絶対価格が上がるのではなく,逆に他のすべての財の価格

が下ってもよい.

Ball の批判は正しいか? Ball の主張は要するに「貨幣数量説」だが,こ の貨幣数量説(あるいは数量方程式MV=PY)こそは,第 2 節でみたク

ルーグマンのモデルをはじめスタンダードなマクロ経済学,マクロ理論モデ ルにおいて明示的あるいは暗黙に仮定されている公理と言ってもよいほどに 基本的な考え方なのである.

それほどに基本的な貨幣数量説のいったいどこに問題があるのであろうか. 数量方程式MV=PY においてVYを与えられたものとすれば,一般物

価水準Pは貨幣数量Mに比例する.これは自明であるが,まず第 1 に流通

速度V,総所得Yは決して与えられた定数ではない.総所得Yについて言

えば新古典派経済学においては労働・資本など生産要素の「完全雇用」に対 応して決まる,と考えるのだが,「完全雇用」ということを伝統的な経済学 はあまりにナイーブに考えてきた.現実には生産要素の「限界生産性」は決 して最も高い水準で均等化することはない.各時点において限界生産性の 「分布」が存在するのであり,この分布を決めるものこそが,実は「有効需 要」の 水 準 な の で あ る(Yoshikawa [2003],Aoki and Yoshikawa [2007], Chapter 3).したがって総所得Yは一定ではない.

加えて「流通速度」Vも一定ではない.Keynes[1930]はこのことを

in-dustrial circulation および financial circulation という概念を用いて説明した. すなわちマネー・サプライを決める銀行貸出しは,所得ないし付加価値Y

に関係する経済活動をファイナンスする industrial circulation だけではなく, 土地や株など資産の取引をファイナンスする financial circulation も含む. したがってマネー・サプライMと名目所得PYの間には安定した関係を期

(35)

Vは必然的に不安定である.シュンペーターも同じ趣旨のことを『景気循

環論』のなかで述べている(Schumpeter[1939]).

以上の点からしても貨幣数量説を金科玉条とすることが誤りであることは 明らかであるが,ここではインフレ/デフレに直接関わる「価格」の決定を 通してさらに考察を進めることにしたい.貨幣数量説の最大の問題点は,そ れが一般物価決定の「基本方程式」であることを主張するにもかかわらず, 価格決定のメカニズムがブラック・ボックスになってしまっているところに ある.

すでに確認したとおり「一般物価」は,個別の財・サービス価格を加重平 均した「指数」にほかならない.元にあるのは個別の財・サービスの価格で ある.われわれの考察の出発点として重要なことは,Hicks[1974], p. 78 が 正しく指摘したとおり「(個別の)価格は需要と供給によって日々決まる (determined)のではなく,(誰かによって)決められ( made )なければな らない」ということである8).こうして決められる「価格の体系は経済の効 率性の基準だけではなく公正(fairness)の基準をも満たさなければならな

い(Hicks[1974], p. 79)」.ところで価格を決定する経済主体(財・サービス

の供給者)にとり「公正」が問題となるのは,もとより自らの直接的な取引 相手である.パン屋にとっては顧客,素材を生産・供給する企業にとっては, この素材を用いて完成品を製造する企業等々である.

ここでA財の「相対価格」が(「潜在的」に)上昇するような変化,すな

わちA財に対する需要の増加,あるいはA財の生産コストの上昇などが生

じたとしよう.「潜在的」に上昇すると言ったのは,実際にA財の相対価格

を上昇させるのは,A財の供給者と「関係する経済主体」の(明示的ある

いは暗黙の)「交渉」によるからである.A財の供給者と「関係者」による A財の価格決定.そこに登場するのが Hicks[1974]や Okun[1981]が力説し

た fairness である.安易にパンの価格を上げたパン屋は,もしそれが fair だ とみなされなければ,多くの顧客を永遠に失うだろう.ところで個別の価格

図表 4 3 第 1 次世界大戦前の物価指数の長期的推移 注) 卸売物価の 9 カ年移動平均. 出所) Schumpeter[1939], , p. 468.1780 90 1800 10203040 50 60 70 80 90 1900 10(年)UNITED STATESGREAT BRITAINGERMANY 図表 4 4 アメリカの卸売物価(月別指数),1913 39 年
図表 4 5 マネーと物価に関する時系列データ(Japan) 図表 4 7 5 年ごと 変化率の平均(Japan)図表 4 6 5 年ごと 変化率の累計(Japan)302520151050−5−10−151985199019952000 2005(%) (年)HMM2+CDCPI304050607020100−10(%)(年)1986 19901991 19951996 20002001 2005HMM2+CDCPI 68 101214 4 2 0 −2 (%) (年)1986 19901991 1995

参照

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