国際金融資本市場(1)
国際金融市場(センター)の変遷
中国?
● バビロニア(現イラク): BC 18 C
穀物・銀塊を預かって信用供与
(古代銀行業務)
● リュディア(現トルコ): BC 7 C
鋳造貨幣(コイン)
● アテネ(ギリシャ): BC5C
ドラクマ銀貨(最初の国際通貨)
(日本では紀元 8 世紀、和銅開ホウおよび富本銭が流通)
● 北イタリア諸都市
(ベネチア、フィレンツエ、ピサ、ジェノアなど)
(11 C ~15 C )
カトリックは金利禁止(何も求めずして貸せ)
非カトリックの銀行業務(ユダヤ教徒が中心)
カトリック教徒は為替手形を考案(外為取引の始まり)
プロテスタントによる金利の是認(ルネッサンス:15 C)
● アントワープ (現、ベルギー):15 C 末~16 C 中
スペイン・ポルトガルの時代
カトリック国家のため国内で金融業ができない
スペイン領アンベルス(英語読みアントワープ)
外債発行・長期貸付の始まり
スペイン王への貸付が不良債権となり銀行凋落
覇権がオランダに移る
● アムステルダム(オランダ)17 C 初~18 C 末
東インド会社:貿易で利益上げる
アムステルダム銀行:外国人のグルデン建て預金を認める
アムステルダム証券取引所(世界最初の上場株式)
スペイン継承戦争に敗戦、経済的衰退
( 1714 年ユトレヒト条約)
覇権がイギリスに移る
東インド会社への不良債権で
アムステルダム銀行倒産( 1819 年)
● ロンドン(英国):19 C 初~現在
テムズ河
ユーストン駅
ロンドン大学 B ミュージアム
バッキンガム P
ウエストミンスター寺院
リバプール駅
ロンドン塔
BOE 王立取引所
証券取引所
多数の銀行 証券
The City of London(自治行政地区、 1 マイル四方 2.5Km2
●紀元前 55 年 古代ローマの植民地(シーザー率いるローマ軍)
●11 世紀 金融業活動始まる( 1215 年マグナカルタで自由都市になる、 国王も市長の許可なく入れない)
●16 世紀中~後半 株式会社誕生( 140 社)
●1694年 イングランド銀行( BOE) 設立
(国債引き受けのために設立)
●ロンドンが国際金融センターの地位を保持している要因
覇権国家の地位を降りても世界の中心ポジションを維持(唯一の例外) ワーテルローの戦いでフランスを破り( 1816 年)世界の中心へ
(1)金本位制度の創設( 1816 年):1オンス=3.17ポンドを100年以上堅持
(2)投資信託の発明(1863年):小口資金を集めて外国投資
(3)手形の裏書譲渡
(4)マーチャント・バンキングの開始(手形引き受け、証券発行=外債・株式)
(5)覇権の地位を降りてからの金融活動(シティーの地位を活用) ユーロ・ダラーの創設(1960年代)
オイル・ダラーのリサイクル(1970年代)
中南米累積債務の証券化センター(1980年代) デリバティブの開始(1990年代)
● ニューヨーク (米国)20世紀初~現在
第1次大戦後半から覇権国家
インベストメント・バンキングの発明(モルガン、ファーストボストン等)
戦後復興ファイナンス(ブレトンウッズ体制の中心的役割) 欧州:マーシャル・プラン
日本:ガリオア・エロア、世界銀行
格付けの制度化(1909年ジョン・ムーディー):情報の非対称性を除去 アービング・フィッシャーによる金融のビジネス化(1930年代)
ビジネス・スクールの開始(割引現在価値の理論) ウオール街の隆盛
外国政府・外国企業が米ドル債発行
国際収支赤字による米ドルの信認の問題(ドル暴落の懸念)
● 東京(日本)1980年代~現在
バブル経済で金融規模拡大
管理貿易による貿易収支黒字で金融センターになる
(外国銀行が東京でファイナンス)
規制が多いためバブル崩壊後、経済の停滞とともに金融規模縮小
東京市場だけが世界に通用する金融商品を生み出していない 理由は何か?
規制?
英語でビジネスができない? アメリカの傘の下?
日本人は独創性がない?