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丹砂と水銀
戦国末期、「逐客令」に反駁して秦王政に上書し た李斯は、その中で秦の朝廷を彩っている「西蜀の 丹青の彩采」について言及している。「丹青」とは丹砂・ 青哂、「西蜀」とは蜀(四川西部)のこと。『史記』 貨殖列伝にも、巴(四川東部・湖北西部)の寡婦の 清の先祖が丹砂を産する洞穴をみつけ、数代にわた ってその利益を独占したことを伝えている。明・宋 応星の『天工開物』も、辰州・錦州(ともに湖南) および四川西部に産する上等の朱砂を挙げている。丹 砂は朱砂・辰砂・朱・丹などとも呼ばれる赤色顔料 で、四川がその重要な産地の一つであった。とくに 「丹」字について後漢・許慎の『説せつ文もん』は「巴・越 の赤色なり。丹井に采るに象かたどる」、すなわち水銀を 含む鉱物を採取するのに井戸状に掘り下げて行うの で「丹」というと字解する。この丹砂とは水銀の原 鉱である硫化水銀である。その顔色としての「朱」 色は、古代人にとって生の色、不死の色と考えられ た(白川静)。松田壽男は甲骨文の「朱」字を、牛 を胴切りにした形とみなし、胴切りにした牛からの 出血をもって赤色を示し、元来丹砂や水銀を意味す る字ではなかったという。ただし『説文』は松・柏 など中心の赤い木の意とする。中国における施朱の 習俗は、すでに周口店山頂洞人の新人の埋葬にみえ る。それは赤鉄鉱の粉末で、丹砂ではない。殷では 副葬品や甲骨の刻字に施朱した。西周金文には、主 家から家臣に対して墓葬に用いる朱を賜ったことを 述べるものがある。馬王堆1号漢墓の棺椁に朱色の 溶液がみられるのも、丹砂が赤い血液を象徴し、そ れを棺椁に施すことで生命の復活を祈り、かつ遺体 の防腐用としての効用が期待された。
陵墓と水銀
丹砂から製錬される水銀に関する正史の初出は、 『史記』秦始皇本紀である。それによると、驪り山ざん陵りょう
の地下宮殿では「水銀を流して百川・江河・大海を
作り、機械じかけで水銀がたえず注ぎ込まれるよう にした」。実際、近年の調査で墳丘の中央やその周 辺で水銀が検出され、ボーリング調査によると水銀 は幾何学模様に分布している。ちなみに唐・李泰の 『括かつ地ち志し』に、西晉末に斉の桓公の墓があばかれ、「水 銀の池を得」たとある。これらの例は、丹砂を製錬 して水銀がえられ、水銀と硫黄が化合して丹砂とな る循環性が、不変・永久の表象として古代人に認識 されるようになったことを意味する。
煉丹術と水銀
水銀が不老不死の仙薬としてクローズアップされ るようになるのは、前漢武帝の時代からである。『史 記』封禅書によると、方士の李少君は武帝に次のよ うに上書した。
カマド(竈)を祭れば鬼神を呼びよせられます。 鬼神を呼びよせれば、丹砂を黄金に変えることがで きます。それで飲食の器を作れば、寿命がのびます。 寿命がのびれば、蓬莱山の仙人にも会えます。仙人 に会って封禅の祭りをすれば、不死が得られます。 坂出祥伸はこれを道教の煉丹術の歴史にとって画 期的な意義をもつものとして、①丹砂から黄金を変 成する煉丹術が当時すでに行われるという技術的段 階に達していた、②その変成に鬼神とカマドが密接 に関わっている、の二点をあげている。しかし丹砂 から直接金アマルガムを作ることは不可能であろう。 そこで市毛勲は「李少君はアマルガム鍍金を辰砂の 黄金化として漢の武帝に信じ込ませた。竈は辰砂を 製錬し、あるいは飲食器を鋳造する設備ではなかっ たか」と推定している。そこで私はこの文を次のよ うに解したい。李少君は丹砂を加熱して水銀を製錬 し、その水銀で黄金を溶かし、それで銅器などの飲 食器に金メッキし、それを丹砂の黄金化として漢の 武帝を欺いた、と。坂出祥伸の指摘するように、後 世、煉丹の器具の炉を「竈」と呼ぶのも、李少君の 煉丹術がカマド(の機能)を使って行われるもので あったからであろう。それを神秘的にカモフラージ ュするため、カマドの祭りにかこつけたと思われる。 すると、不老長生を求める煉丹術が富を求める錬金 術といつごろ合体したのか、これは今後の検討課題 である。