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1.は じ め に
今年はトクヴィル生誕200年にあたる。彼は、思想家・
歴史家であり、政治家でもあった。フランスの第一帝
政から第二帝政半ばまでを生きた人である。タペスト
リーでは彼について取り上げていないが、「トクヴィ
ルのデモクラシー論」として、肖像画とともに紹介し
ている資料集もある。
6月10日から3日間にわたって、トクヴィル生誕
200年記念国際シンポジウムが東京で開かれた。なぜ、
今トクヴィルが注目されるのか。米仏の研究者たちを
招き、シンポジウムを開くのはなぜなのか。それは、
デモクラシー(民主主義)を今日の問題として考え、
自由と平等の関係を明らかにしようとするときに、ト
クヴィルの研究成果が有用であるばかりか、現在の時
点でより輝きを放つからであろう。アメリカ独立革命・
フランス革命と、それ以降の両国のデモクラシーにみ
られる共通点・相違点を、トクヴィルは実体験を踏ま
えて分析し、その先の未来社会への洞察をも語り、今
日の世界を予見したからである。さらに、シンポジウ
ム企画の背景には、9.11のテロ事件以後に見られる、
アメリカとフランスの対立がある。その対立の根底に
潜む、両者の世界秩序像やデモクラシー観の違いを探
るために、トクヴィルの視点を甦らせようというので
ある(宇野重規「『二つのデモクラシー』映す鏡 生
誕200年 トクヴィル思想の意味」2005.6.2付東京新聞
夕刊)。
トクヴィルは、その名前(アレクシス=ド=トクヴィ
ル)に見られる通り、貴族であり、曾祖父のマルゼル
ブは、ルイ16世に死刑判決を伝えた人物である。王は、
マルゼルブに向かって、「常に国民の幸福を願ってき
た」と言ったという。マルゼルブは政治家であったが、
啓蒙思想家や文学者と交わり、『百科全書』の刊行に
尽力した。ルイ16世のもとで、大臣を2度経験し、王
の裁判では、議員として弁護にまわった。王処刑の翌
年、1794年に処刑されている。トクヴィルにとって革
命は身近なものだったはずである。
2.フランス革命を引き寄せるには
授業でも、政治文化などに視点をあてたフランス革
命研究の新しい動きについて、簡単にではあるが、ふ
れておく。それは、世界の歴史を見る目を、生徒たち
が自ら身につけることにつながるからであり、自らの
生き方を考えることに結びつくからである。
その際、フランスで再評価が進んでいるという、さ
きのトクヴィルのフランス革命研究(『アンシャン=
レジームと革命』)や彼の生き方を取り上げて、民主
主義社会の多様性が現代の問題でもあることにも注意
を促したい。
フランス革命に関連する新聞記事・展覧会の図録・
様々な書物・映画・演劇・オペラ・音楽などを、でき
るだけいろいろ授業で紹介しようと試みているが、実
際には、文字通りの紹介にとどまることが多い。今年
はマリ=アントワネット生誕250年で宝塚歌劇の公演
「ベルサイユのばら」がある、その原作(池田理代子
の劇画)はこういう話で、当時は小学生も夢中になり
熱狂的に支持してフランス革命を研究した生徒もいた、
というように。「ベルばらブームだ!」と反応が返っ
てきたりするが。マリ=アントワネットについては、
オーストリアのところで、マリア=テレジアの末子と
しての肖像画を見ている(タペストリー*p.157)。王妃
マリ=アントワネットと子どもたちの肖像画がタペス
トリー p.173にあるので、先回りをして、彼女と子ど
もたちがどうなったかを話す。
次男のルイすなわちルイ17世の心臓のDNA鑑定が
行われて埋葬されたという記事が、写真入りで去年出
たのでプリントにする(「200年待ち望んだ安眠 ルイ
17世の心臓埋葬」、2004.6.9付東京新聞夕刊)。
マリ=アントワネットといえば必ず出てくる話が首
飾り事件(タペストリー p.294の年表)。これについて
は、展覧会の図録の写真(複製)を見せ、映画「マリー
=アントワネットの首飾り」(2001、アメリカ)の内容、
タペストリーで見る 18 世紀の世界
フランス革命を中心に
神奈川世界史教材研究会
タペストリーを使った授業案
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実際の事件のあらまし、事件の影響などを簡単に説明
する。一部分でも見てもらうと、生徒の関心をより引
きつけることができるのだが。
映画では、「ダントン」(1984、フランス・ポーランド)
も生徒に見てほしい作品である。ダントンとロベスピ
エールの対立が描かれている。さらに最近のものでは、
「グレースと公爵」(2001、フランス)が出色である。
グレースは実在のイギリス人で、1786年にフランスに
来た。彼女は王党派で、1794年にロベスピエールが失
脚するまでの1年半を獄中で過ごし、その後回想録を
まとめた。映画はその原作に基づく。厳密な考証によ
る革命期のパリが映像として再現されるので、タペス
トリー p.172のパリの地図を参考に見るよう勧める。
オペラ「アンドレア・シェニエ」(ジョルダーノ作
曲)が11月から12月にかけて上演される(新国立劇場)。
実在した詩人アンドレ=シェニエについては、タペス
トリーにも載っていないが、革命末期のパリが舞台に
なっているので、恐怖政治の話と関連させて紹介する。
ヴィクトル=ユーゴーの小説『レ=ミゼラブル』を
読んだことがなくても、ミュージカルの同名作品は
知っているという生徒は多い。毎年上演されるので、
少女コゼットの絵の入ったポスターをどこかで目にし
ているようである。タペストリー p.193の19世紀文化
の年表に入っている作品であるが、革命が終わってし
ばらく経ったフランスが舞台であり、
ルイ16世の裁判や、革命の理想につ
いても語られている。ユーゴーによ
る巻頭の言葉「この世に無知と悲惨
のある限り、本書のような性質の書
物も無益ではあるまい」とともに、
授業で一部分をプリントにし、読ん
で感じたこと、考えたことを書いて、
提出させるようにしている。
フランス革命の内容に入る前に、
タペストリー p.173のcの表にある
三色旗の色の意味・由来などを取り
上げる。トリコロール=カラーとい
う言葉を知らなくても、三色の組み合わせはおなじみ
のものであるし、自由・平等・友愛(博愛)を表すの
だとの声も生徒からあがる。ラ=ファイエットについ
ては、アメリカ独立革命で義勇軍を率いて戦い、総司
令官のワシントンに気に入られたということを思い出
させつつ、タペストリー p.173のxの肖像画を見せる。
生徒には少し先回りをして、彼がどんな考えをもって
いたかを示す。
さらに、フランス革命の前奏曲には「ラ=マルセイ
エーズ」を。タペストリー p.173の「今日とのつなが
り」を見て、CDを聴く。楽譜と歌詞はプリントにし
て、説明を加える。
3.環太平洋革命として捉える
3.環太平洋革命として捉える
これまでも、アメリカ独立革命とフランス革命との
つながりは、フランクリンやラ=ファイエットの活動
から指摘されたことであったが、大西洋から眺めてみ
ると、18世紀から19世紀にかけての大きなうねりを感
じることができる。まず、タペストリーの次の3か所
の部分を活用して、環大西洋革命(18世紀後半∼19世
紀前半)の全体像を立体的に浮かび上がらせよう。
まず、p.169の「特集・環大西洋革命」から。中央
に大西洋があるので、生徒にとっても一目瞭然である。
それぞれの出来事の年代を見比べると、ほぼ同時期に、
大西洋両岸の地域で革命が起こっていることがわかる。
どの革命か。アメリカ独立革命・フランス革命・ハイ
チ独立革命・ラテンアメリカ諸国の独立革命などがあ
げられる。続いて、生徒に聞く。この時代のイギリス
で進行していた革命は何だったか。産業革命。
思い出そう。イギリスとフランスは、植民地支配と
世界貿易をめぐって覇権争いをしてきている。p.159
の第2次英仏百年戦争の年表で確かめよう。では大
西洋貿易はどうか。p.34∼35の「18世紀ころの世界」 シ
モ ン= ボ リ
バ ル
の活
動
サン=マ ル
テ
ィ ン の 活 動
︵ ∼ ︶ 1822 ( ∼1825) 1699∼ 1702年
1722∼ 24年
1772∼ 74年
0 2000 輸入額 輸出額 4000千ポンド 1107 851 1679 1745 4769 5148 1699∼ 1702年
1722∼ 24年
1772∼ 74年
0 1000 輸入額 輸出額 2000千ポンド 756 136 966 112 1929 780
成長をつづける 大西洋貿易 (イギリスの対ア メリカ・西アフリ
カの貿易収支) 易
赤字の累積する アジア貿易 (イギリス東イン ド会社の貿易収支)
るいせき
0° 60° 120°
60° 120°
0° 60° 120°
60° 120°
0° 0°
30° 30°
60° 60°
30° 30° 30° 30° 90° 90° 150° 150° 90° 90° 30° 30° 150° 150° 30° 30° A B B C C D D E E F F G G H H I I J J K K L L 1 1 2 2 3 3 4 4 5 5 南米独立運動家
シモン=ボリバル の出身地
イギリスとの自 由貿易を求める。 本国の統制に不 満高まる。
インド産綿織物 「キャラコ」の 語源。 スペイン継承戦争(1701ー13)後,
イギリス南海会社,スペイン領へ の奴隷貿易権(アシエント)獲得。
本国経済がイギリスに圧倒され, 金の多くがイギリスに流出。
1703年にイギリスと通商条約(メ スエン条約)を結び,イギリスに経 済的に従属。
ジェンキンズの耳の戦争(1738ー48) イギリスの密輸船長,スペインの官憲に 耳をそがれた,との証言より戦争に。オ ーストリア継承戦争(1740ー48)と合流。
ジャコバイトの反乱(1745) フランスの支援でジェームズ2世 の子孫がスコットランドで反乱。
プラッシーの戦い(1757) フランスと在地領主の連合軍を 破り,英はその後,ベンガル地 方などを植民地化。
イギリス,茶の輸入で 赤字続く。
フレンチ=インディアン戦争
ヨーロッパで七年戦争(1756ー63) が行われていたころ,英仏の北米 での争いは激戦をくり広げた。
ボタニー湾 大
西
洋
太
平
洋
イ ン ド 洋 ハドソン湾
タスマニア島 ←奴隷
砂糖・綿花・ 染料 →
綿 織 物 ・ 武 器 ・ 雑 貨 ↓
←キャラコ・藍
←キャラコ ・藍
セントヘレナ アセンション バルバドス
グアドループ マルティニク アンティグア ジャマイカ
ミナス=ジェイラス グアナファト
ミノルカ アゾレス諸島
カナリア諸島 マデイラ諸島
茶 ↓ ス
ワ ヒ リ 文 化 諸 都 市 毛
皮 ・
魚
↓ たばこ・綿花→
↑ 金 ・ 皮 革
サンティアゴ メンドーサ コルドバ
ブエノスアイレス サンパウロ
リオデジャネイロ ニューヨーク モントリオール
メキシコ アカプルコ
サントドミンゴ
パナマ
ラパス スクレ
ベレン
バイア レシフェ グアダラハラ
マナオス カラカス
ボゴタ
グアヤキル
リマ グアテマラ
キト カルタヘナ
アンゴストゥーラ ポルトベロ ベラクルス
バハマ ニューオーリンズ セントルイス
デトロイト ケベック
ボストン プリマス フィラデルフィア リッチモンド
ロンドン パリ ナント
リスボン マドリード リヴァプール
アムステルダム ベルリン
エルミナ
アデン
モガディシュ
ザンジバル モンバサ マリンディ メッカ
ホルムズ バスラ バグダッド
カイロ イスタンブル
アレッポ ワルシャワ
サンクトペテルブルク
モスクワ
ウィーン
トボリスク オムスク クラスノヤルスク イルクーツク
カシュガル ウルムチ
ネルチンスク キャフタ
ヤクーツク オホーツク
北京
カーブル
デリー
ディウ
ゴア ボンベイ
クイロン カリカット
コロンボ カルカッタ
アチェ マラッカ ペナン バンコク サイゴン
バタヴィア パレンバン
バンテン マカオ 昇竜
広州
マニラ
ブルネイ 南京
寧波
ケープタウン
西安 江戸
長崎 キエフ
トリポリ
ケープコースト フォートジェームス サンルイ ゴレ
コロニア・デ・サクラメント ジブラルタル
モザンビーク
ソファラ ベンゲラ
マドラス ポンディシェリ
(シドニー) ポートジャクソン テヘラン
マギンダナオ 13植民地
オイラト諸集団 ハルハ
ニザーム チベット
ベンガル
フィリピン (スペイン領) チャハル
回部
スリナム
カーナティック イギリス
フランス
朝鮮
清 日本
ムガル帝国 シク
アウド王国
マラータ同盟 ロ シ ア 帝 国
イギリス
フランス スペイン ポルトガル
オランダ
プロイセン ス ウ ェ ー デ ン デンマーク= ノルウェー連合王国
ヒヴァ= ハン国 ブハラ=
ハン国
ラージプート
ビルマ
シャム カナダ
ペルー
ブラジル ヌエバエスパーニャ
副王領
ヌエバグラナダ 副王領
リオデラプラタ 副王領
アフシャール朝
アシャンティ 王国
ベニン王国 ダホメ王国
コーカンド= ハン国
ドゥッラーニー朝
オスマン帝国
大越
副王領
1763年パリ条約後の領土
イギリス領 拠点都市 島 密輸貿易港 スペイン領 オランダ領 拠点都市 島 フランス領 拠点都市 島 ポルトガル領 拠点都市 島 プロイセン領 オーストリア領
1776年に独立宣言する13植民地 イギリスの大西洋三角貿易ルート その他のイギリスの貿易ルート イギリスの対フランス・スペイン戦争 華僑の進出都市
18世紀ころの世界
18世紀ころの世界
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の大きな地図・貿易収支のグラフ・アジア物産の国産
化をめぐる地図とグラフから、とくにイギリスの動き
がつかめる。このイギリスと対抗しているのがフラン
スだということをおさえよう。大きな地図の凡例で、
p.169にあったハイチ独立革命の起きた島が、どの国
の植民地であったかを見てみると、生徒は、スペイン
とフランスのどちらなのか分からない、と言う。では、
p.36の「19世紀前半の世界」の大きな地図で、独立し
たハイチを見よう。フランスの植民地であったことが
すぐわかる。スペイン領サント=ドミンゴ島(イスパ
ニョーラ島)は、18世紀末までに全島がフランス領と
なり、フランス語読みでサン=ドマングと呼ばれた、
という説明をする。フランス革命の影響を受けて独立
運動が始まったという予測がつくだろうから、p.178
のトゥサン=ルーヴェルテュールの肖像画を見て、少
しだけ話をしておく。p.34に戻り、フランス領の植民
地となっている他の島も押さえておこう。フランス
は、これらの植民地で、黒人奴隷を使い、砂糖・コー
ヒー・タバコなどを作らせた。18世紀末には、サン=
ドマングが世界最大の砂糖の産地になっている。フラ
ンスは、砂糖やコーヒーなどを消費するだけではなく、
他のヨーロッパ諸国へ輸出した。
そこでカフェの話に続ける。p.161のイギリスのコー
ヒーハウスの様子を見ながら、フランスでもカフェが
議論の場・情報交換の場としてにぎわったことを指摘
しよう。コーヒーがフランスにもたらされたのは1653
年、パリで飲用されるようになったのは1669年から。
シチリアのフランチェスコ=プロコピオという人物が、
パリにカフェを開き、自分の名前をつけた。アイスク
リームとシャーベットも売った。このカフェは、パリ
に現存する最古の店である。メルシエも書いているが、
店には新聞・雑誌が置かれ、客は自由に読むことがで
きた。常連客には、p.161に肖像画のあるルソー、ジャ
コバン派のダントンやマラーなどがいたという。生徒
たちに、革命期のカフェで政治に関する議論が活発に
行われたことを想像させる。女性が入ることを許さな
かった点も指摘しておく。女性の政治クラブは国民公
会で禁止された。p.196の左下を見よう。メアリ=ウル
ストンクラフトが載っているが、オランプ=ド=グー
ジュも出しておきたい。憲法制定国民議会が採択し
た「人間および市民の権利の宣言(人権宣言)」。p.294
の史料で見る際、「人間」と「市民」が誰をさすのか、
生徒に聞いてみる。女性が含まれていないことに思い
至らない場合が多い。グージュが「女性と女性市民の
権利宣言」を著したことを話しておく。ところで、フ
ランス人権宣言とアメリカ独立宣言の共通点は何だろ
うか。p.171の史料と比べてみよう。
4.フランス革命の複雑さ
フランス革命は国王と貴族の対立から始まった。国
家財政の危機は、ルイ14世の侵略戦争から始まり、ア
メリカ独立戦争への参戦によって、決定的となった。
ルイ16世の財政改革は失敗する。ここで、アンシャン=
レジーム下の税負担の実態と財政改革の内容をp.172
の風刺画からつかもう。免税特権を貴族が手放すだろ
うか。貴族は大反対、王に三部会の開催を要求する。
旧体制の行き詰まりは、イギリスとの通商条約(1786)
による貿易自由化の面でもはっきりしていた。経済活
動の自由・財産の所有・権利の平等を要求するブルジョ
ワが、貴族と手を結ぶのか、都市の民衆や農民と手を
結ぶのか。その選択が革命の流れを変えた。p.172∼
173の「ヒストリーシアター」と年表などを使って、
革命の転換点と、転換点前後の違いを明らかにする。
フランス革命は国民の統合・統制も押し進めた。
p.173のc「国民国家の形成」の表で、統一フランス
語に注目しよう。国民公会がフランス語を国語にきめ
た(1793)。当時、フランス語以外の言葉を話す人々は、
フランス国内にたくさんいた。バスク語・カタロニア
語・オック語・フラマン語などを話す人々が、少なく
見積もっても4分の1以上いたという。平等の精神を
掲げながら、言語の面での平等は、違う向きで現実化
した。この問題は、今世紀にも引き継がれている。こ
の点も生徒に考えてほしい。
5.おわりに
トクヴィルは、常にフランス革命を視野に置いてア
メリカの社会を分析した。彼は、フランス革命前後の
連続性をはじめて明らかにした点でも評価されている。
彼はまた、デモクラシーを実現するのに、なぜ多くの
血が流されたのかという問題に対して、旧体制のあり
方に原因を求めている。この革命の悲惨さの問題も生