京都大学 哲学研究会 例会レジュメ
ハイネ「ドイツ古典哲学の本質」
伊東勉訳 岩波文庫2011/12/15 内海
1.著者について ハイネ(1797~1856)
ドイツ・デュッセルドルフのユダヤ人家庭に生まれた。家は裕福。「ローレライ」などの歌で後世 にも残る有名な詩人である。
13 歳 ギムナジウムに入学
17 歳 1814 年ギムナジウムを中退。ファーレンカンプ商業学校に通う。
18 歳 1815 年ハンブルクの有名な銀行家・慈善家の叔父ザロモン=ハイネのもとで 3 年間の無給 見習い。ザロモンは以後ずっとハイネを経済的に支援。
20 歳 1818 年叔父の援助によって「ハリー=ハイネ商会」を起業、1 年で倒産。 22 歳 1819 年ボン大学入学 2 年で退学
23 歳 1820 年ゲッティンゲン大学に入学 3 ヶ月で退学。ベルリン大学に移る。 ここでヘーゲルと出会い論理学、宗教哲学、美学など大きな影響を受ける。 25 歳 1822 年 初の著書『詩集』を刊行。
27 歳 1824 年ゲッティンゲン大学に戻る。ゲーテに会いに行くがシカとされる。 28 歳 1825 年ユダヤ教からプロテスタントに改宗
34 歳 1831 年よりフランスに移住。芸術家と幅広く交流。音楽家ではベルリオーズ、ショパン、リ スト、ロッシーニ、メンデルスゾーン、ワーグナー、作家だとバルザック、ユゴー、ジョルジュ
=サンド(ショパンの愛人)、デュマ 37 歳 1834 年「ドイツ古典哲学の本質」を著す。 46 歳 1843 年 25 歳のマルクスと出会い、以後親交 59 歳 1856 年死去。
ひとことで言うと、学者ではないが、頭のいい詩人でジャーナリスト・評論家。当事花盛りのパリ にいて現代でも多大な影響を与え続ける巨匠の芸術家らと親交があり、さらにマルクスなどの共産 主義者にも前衛的な立場から支援をし時代の先端を歩いていたと思う。こんな自由奔放で優雅かつ アカデミックな生活ができたのもユダヤ人でブルジョアの家庭に生まれ、生涯パトロンとして食わ せてくれていた銀行家の叔父ザロモン=ハイネのおかげである。
2.本書の構成
第1 巻 「宗教改革とマルチンルター」
ドイツが最初からこんにちのような論理的、鉄のようながっちりした思考や行動をもつ民族では なく、あいまいな宗教概念や伝統に支配され、特に学問はキリスト教、カトリック教会の強大な支配
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によって幽閉され悶々としていた。それを一気に改革して今の姿にする流れを作ったのがルターの 宗教改革であり、ルターはドイツ語が科学的で論理的に明瞭な言語になるきっかけを作った。ルター の功績をべたほめ。
第2 巻 「ドイツ哲学革命の先駆者。スピノザとレッシング」
デカルトと近代哲学の父とし、近代哲学ができあがる過程を追う。なかでもルター後のスピノザとレ ッシングがドイツ哲学のキリスト教からの支配・抑圧からの脱却を確固たるものにした功績をべた ほめ。ロスチャイルドがローマカトリックを支配している実態も皮肉的に描かれ家系が銀行家で金 融情勢にも明るかったハイネらしいトピックも出てくる。
第3 巻 「哲学革命。カント、フィヒテ、シェリング」
カント、フィヒテ、シェリングの主張を眺め、ヘーゲルの台頭によってドイツから発信されていく哲 学が世界の政治や思想に大きな影響を与えていくであろう未来を展望している。
3.本書の特徴
ハイネは多くの哲学書を読みこなした知見をもとに文学的な表現でそれぞれの哲学の考え方や変 遷の流れをわかりやすく書いている。本書はフランスにいてサロンで交流を深めるハイネがフラン ス人にドイツの哲学がどう成立し今にいたっているのか。そして今後フランスにどのような影響を 与えていくだろうか?と説明しようとした本である。
長男「ジョン=ロック(英)」→唯物 人間はロボット デカルト(父) 次男「ライプニッツ(独)」→観念論
三男「スピノザ」
プラトン(観念) アリストテレス(唯物)
観念:人間に生まれつき備わっている心を認める 感覚主義
心霊主義
唯物:心は経験と感覚によってのみ認識 観念は経験以後のもの
ユダヤ人:肉体を軽くした
キリスト教:さらに肉体を不浄のものとした
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