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吉備における古墳時代の政治構造
宇 垣 匡 雅
博 士(文学)
総合研究大学院大学
文化科学研究科
日本歴史研究専攻
平成20年度
(2008)
目 次
序章 古墳時代 吉備-研究 目的- 地域の特色
2 古墳研究の歴史
研究の目的
第 章 古墳 立地と 6 めに
2 研究の現状
前期古墳の立地 前期古墳の立地規定 中・後期古墳の立地
6 おわりに
第 章 前方部 形状 関する一試論 17 めに
2 宍甘山王山古墳の前方部
非対称を す前方部
前方部隅角の性格
第 章 竪穴式石室 研究-使用石材 分析を中心 - 23
めに
2 研究の現状
中部瀬戸 沿岸部の地質
弥生墳丘墓の竪穴式石室 前期古墳の竪穴式石室石材
6 小結-使用石材の差-
前期後半以後の竪穴式石室石材
8 畿 の石室石材
結晶片岩と白色 礫
10 結語 11 おわりに
第 章 特殊器台形埴輪 関する若干 考察 62
めに
2 研究の現状
特殊器台形埴輪を伴う古墳
特殊器台形埴輪の製作集団-胎土の検討 ら-
編年
6 筒埴輪の成立
おわりに
第 章 前期古墳 ける刀剣副葬 地域性 83
めに
2 研究史抄
副葬の位置と方向 副葬状態
弥生時代の刀剣副葬
6 副葬刀剣の少数派と多数派
儀礼の斉一化
8 おわりに
第 章 吉備南部 ける古墳時代前半期小墳 埋葬頭位 102
めに
2 前期古墳の埋葬頭位
東頭位の伝統 備前と備中 おわりに
第 章 吉備 中期古墳 動態-使用石材 検討 ら- 111
めに
2 研究史と問題の所在
使用石材
造山古墳とその年代 古銅輝石安山岩の再搬入
6 中期古墳の変遷
おわりに
第 章 周濠 地方伝播 関する一試論-吉備 事例を中心 - 129
めに
2 資料の問題点と研究の課題
吉備の古墳の周濠 周濠の地方伝播 おわりに
目 次
第 章 巨大古墳 諸要素-両宮山古墳 占める位置- 140 墳長と総長
2 二重周濠の地方波及とその意義
陪塚の空間表示
第10章 巨大古墳築造 試算 169 めに
2 古墳築造に関する研究
両宮山古墳の堆積と盛土量 築造工程と労働量
他の試算の問題点
6 おわりに
第11章 吉備 帆立貝形古墳 176 めに
2 帆立貝形古墳の特色
吉備の諸資料
各系譜における出現状況 帆立貝形古墳の性格
6 おわりに
第12章 吉備地域 ける埴輪 普及とそ 画期 183 めに
2 各時期の様相
埴輪使用の画期
第13章 後期古墳 様相 190 めに
2 横穴式石室の規模と階層
群集墳の形成 群集墳形成の特色
後期古墳出土の鉄滓の評価
終章 古墳時代政治構造 変遷 197
前方後 墳の出現
2 前期古墳の諸要素と階層
首長墳の減少と大形墳の築造 巨大古墳の築造
古墳諸要素の変革
6 横穴式石室墳の展開
目 次
吉備の古墳時代の特質
引用・参考文献一覧 208 挿図出典一覧 222 初出一覧 227
序 章 墳 時 代 備 - 研 究 目 的 -
地 域 特 色
中 国 地 方 瀬 戸 洊 側 中 央 部 岡 山 県 よ 島 県 東 部 備 呼 れ る 地 域 あ り 東 ら 備 前 美 作 備 中 備 四 ヶ 国 ら る
ら 山 地 間 盆 地 高 原 河 川 形 成 れ 規 模 地 瀬 戸 洊 沿 岸
部 形 成 れ 沖 積 端 瀬 戸 洊 島 嶼 部 地 理 的 環 境 大 変 わ る
部 山 間 恩 原 遺 跡 旧 石 器 沖 積 東 遺 跡 弥 生 集 落 瀬 戸 洊 黄 島 貝 塚 縄 文
代 表 的 遺 跡 を 列 挙 れ れ 地 域 れ 考 資 料 あ り 方 や 特
性 大 異 る 明 ら あ る
墳 時 代 弥 生 時 代 期 列 島 各 地 域 土 器 特 性 強 る 備 い
東 式 呼 れ る 土 器 型 式 成 立 や 前 方 墳 成 立 期 備 甕 通 称 れ る
直 立 縁 櫛 行 沈 線 を 甕 を 指 標 る 土 器 型 式 変 る れ ら 分 中
心 備 前 部 ら 備 中 部 沖 積 部 あ り 東 遺 跡 津 寺 遺 跡 百 間
川 原 尾 島 遺 跡 百 間 川 兼 基 遺 跡 い 大 規 模 集 落 遺 跡 形 成 れ る
墳 時 代 部 山 間 蒜 山 原 四 塚 墳 群 中 部 暻 輪 墳 沖 積 造 山 墳
島 嶼 部 喜 兵 衛 島 墳 群 資 料 備 全 域 分 る 主 要 資 料 集 中 分 中
心 を 形 成 る 瀬 戸 洊 沿 岸 沖 積 部 背 所 る 盆 地 状 群 あ る
範 を 東 備 前 鶴 山 山 墳 西 倉 敷 箭 大 塚 墳 あ り る ら 東 西 4 0 ㎞ を 測
り れ 奈 良 ら 兵 庫 県 西 宮 距 相 当 る
沖 積 部 述 地 う え 一 連 よ う え る
詳 細 見 る 少 異 る 備 部 沖 積 井 川 旭 川 高 梁 川 い う 大 河 川 れ ら
間 所 る 中 河 川 よ 形 成 れ あ る 間 大 丘 所
り 丘 よ え ら れ 定 型 形 状 を 一 部 接 れ 東 西 連
る い う 形 状 を 現 洊 岸 線 近 い 部 大 半 江 戸 時 代 ら 近 代
拓 よ 形 成 れ あ り 中 世 以 前 洊 岸 線 り 側 あ 列 島 各 地 沖
積 れ れ 景 観 現 弥 生 ン 墳 時 代 り 異 る あ 明 ら
り 一 概 比 較 る い 地 や 地 を え る 一
景 観 を 呈 る 河 や 大 和 り 異 る 言 え る
墳 研 究 歴 史
( 干 ) 備 考 学 草 創 期
備 地 域 考 資 料 墳 ら 注 目 れ 記 録 江 戸 時 代
- 平 -
る 干 台 世 紀 曒 頃 寛 政 ~ 享 和 間 記 れ 備 温 秘 録 墳 い
記 載 あ る 多 簡 記 述 あ る 七 ろ 号 墳 発 掘 状 況 よ う 破 鏡 面 い
う 詳 細 記 載 を あ る 備 前 藩 地 東 備 郡 曪 史 牟 大 塚 墳 石 室
石 棺 い 記 載 あ り 尊 貴 を 埋 葬 ら ん 素 朴 ら 理 的 解 釈
示 れ る 備 中 国 学 者 川 朊 軒 天 明 間 記 備 之 志 多 道 天 狗 山
墳 墳 丘 筒 埴 輪 よ 記 れ る 墳 丘 段 築 埴 輪 タ テ ハ ケ 示 れ
り 考 資 料 説 明 画 を 示 畿 墓 並 ん
初 期 ろ う
明 没 ン 大 時 代 日 曓 考 学 進 展 若 林 邦 勝 沢 頼 輔 和 千 清 謙 次
諸 学 よ 備 資 料 調 査 ン 検 討 れ る り わ 和 千 氏 よ る 造 山 墳 調 査 記 録 和 干 9 干 台 造 山 墳 群 基 礎 的 文 献 あ り 清 謙 次 氏 操 山 墳 群 調 査 清 干 9 0 6 考 学 史 一 部 る
大 曒 ら 昭 和 干 0 代 れ 梅 原 曒 没 氏 調 査 備 墳 研 究 基 礎 を
あ 足 跡 朱 千 駄 墳 森 山 墳 山 墳 牟 大 塚 墳 千 足 墳 宿 寺
山 墳 箭 大 塚 墳 備 主 要 首 長 墳 及 い 過 言
過 去 発 掘 関 る 聞 取 り 記 録 や 当 時 所 見 今 価 値 を 失 わ い 盗 掘
始 曒 い え 聞 え よ い 時 期 生 地 元 民 よ る 墳 発 掘 を 端 緒 る
調 査 鶴 山 山 墳 を 筆 頭 花 寺 山 墳 新 天 神 山 墳 多 り 所
見 公 表 れ 記 録 現 第 一 級 資 料 い る 岡 山 県 通 史 や 備 郡
史 結 実 る 永 山 卯 郎 氏 岡 山 県 墳 悉 皆 調 査 多 貴 資 料 を 含 ん い る
( 平 ) 戦 考 学 成 果
戦 考 学 発 展 備 墳 研 究 著 い 成 果 を ら ろ 備 墳 研 究
中 心 地 り 数 多 成 果 を 発 信 い う あ る
れ を 主 近 藤 義 郎 氏 良 山 墳 群 ン 暻 輪 墳 ン 喜 兵 衛 島 墳 群 ン 牛 窓 湾 墳 群 調 査 を 手 調 査 成 果 ら 数 多 論 考 ン 評 価 を 示 良 山 墳 群 調 査 を
示 期 群 集 墳 形 成 家 父 長 制 世 帯 成 長 あ る 論 考
近 藤 干 9 5 平 期 墳 研 究 ら 墳 研 究 多 大 影 響 を え る あ
喜 兵 衛 島 遺 跡 ン 墳 群 調 査 瀬 戸 島 嶼 部 墳 時 代 期 盛 行 土 器 製 塩 れ を 担 集 団 い 解 明 至 る あ 喜 兵 衛 島 遺 跡 調 査 団 編 干 9 5 6 う
研 究 成 果 要 因 よ ら れ あ る 山 間 盆 地 や 島 嶼 部 耕
地 少 い 湾 い 備 分 断 れ い え る 地 勢 理 解 一 よ い
ろ う
中 期 墳 い 西 川 宏 氏 よ る 論 考 あ る 備 大 形 前 方 墳 築 造 状 況 大 首 長 首 長 間 を 輪 番 的 移 動 る い う 政 没 構 造 示 西 川 干 9 6 4 考
資 料 分 析 方 法 学 ろ 大 い 氏 地 域 考 資 料 を 念 調 査 考
資 料 よ る 歴 史 叙 述 を う 西 川 干 9 可 5
序 章 墳 時 代 備
う 中 期 ン 期 墳 関 る 研 究 要 置 を 占 る 墳 成 立 を る 一 連 研 究 あ る 戦 早 い 段 階 備 前 車 塚 墳 発 掘 生 曓 墳 ら 出 土 干 干 面 角
縁 神 獣 鏡 林 行 雄 氏 よ る 笵 鏡 分 暼 関 係 論 わ 要 置 を 占 る
る 対 比 る 資 料 皆 無 近 い あ 曓 墳 備 前 期 墳 全 体 中 論 ら れ
る 少
近 藤 義 郎 春 成 秀 爾 高 橋 護 氏 ら よ 宮 山 遺 跡 ン 立 坂 遺 跡 ン 伊 部 山 遺 跡 ン 都 暻 坂 号 墓 弥 生 墳 墓 前 期 墳 都 暻 坂 号 墳 調 査 研 究 精 力 的 進 ら れ る れ
よ 弥 生 時 代 期 墳 墓 様 相 明 確 る 地 域 弥 生 墳 墓 伴 う 特 器
ン 特 壺 関 る 研 究 大 進 展 特 器 農 耕 儀 礼 用 い ら れ 器 ン 壺 儀 礼 的
象 徴 的 発 展 を あ り 墳 墓 る 首 長 承 儀 礼 用 い ら れ る 見 解
示 れ 近 藤 ン 春 成 干 9 6 可 以 降 墳 研 究 大 影 響 を え る る
以 弥 生 時 代 墳 墓 前 期 墳 相 違 り 墳 い う 問 題 い 活 発
議 論 間 壁 ン 間 壁 干 9 可 可 れ る 弥 生 墳 墓 楯 築 遺 跡 黒 宮 大 塚 遺 跡 雲 山 鳥 打 遺
跡 前 期 墳 関 七 ろ 墳 群 浦 間 茶 臼 山 墳 矢 藤 没 山 墳 調 査 進 ら
れ る り わ 問 題 面 ら 取 り 組 ん 近 藤 義 郎 氏 弥 生 墳 丘 墓 概 念 を 唱 前 方 墳 相 違 を 明 確 近 藤 干 9 可 可 ら 弥 生 墳 墓 ら 前 方 墳 変 遷 を 中 心 体 系 的 墳 時 代 論 を 示 近 藤 干 9 台 年
う 研 究 課 題 解 決 を 目 的 学 術 発 掘 別 干 9 可 0 代 ら 急 増 一 途 を
い わ ゆ る 行 政 発 掘 膨 大 遺 跡 破 壊 引 暶 え 大 資 料 を 示 る る 弥 生
ン 墳 集 落 中 心 る 性 格 旧 石 器 時 代 ら 近 世 よ 多 種 多 様 考
資 料 明 ら り 用 木 墳 群 や 殿 山 墳 群 い 墳 時 代 前 期 墳 群
あ る い 朋 井 砂 奥 墳 群 他 よ う 地 域 全 体 期 墳 群 を 調 査 例 含 れ る 入 念
理 作 業 評 価 よ 遺 跡 や 墳 意 味 追 究 れ 現 活 用 れ い る あ る
要 資 料 あ 多 埋 没 い る 少 い
干 9 9 0 代 以 降 備 中 山 間 盆 地 所 る 大 谷 号 墳 れ い 実 施 れ 定 墳
定 東 塚 墳 調 査 よ り 地 域 終 曒 期 墳 実 像 明 ら り 棺 関 る 研 究
長 足 進 展 を 示 干 9 可 0 代 半 示 れ 埴 輪 編 を 基 礎 墳 編
作 業 大 進 首 長 墳 動 態 り 把 握 る 能 り 造 山 墳 ン 作
山 墳 い 巨 大 墳 置 付 よ り 明 確
研 究 目 的
墳 ら れ る 大 特 性 共 通 性 ン 画 一 性 一 方 表 示 れ る 格 差 あ り
う 者 的 場 質 的 場 あ り れ ら 複 形 を る
前 期 浦 間 茶 臼 山 墳 墳 丘 全 長 干 年 台 m 前 方 墳 あ り 部 埋 葬 施 設 竪 穴 式 石 槨 築 れ る 一 方 前 期 坂 8 号 墳 全 長 平 可 m 前 方 方 墳 方 部 排 水 溝 を 備 え 竪 穴 式 石 槨 設 ら れ る 前 方 墳 前 方 方 墳 い う 差 あ る 前 方 部 を
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序 章 墳 時 代 備
え 竪 穴 式 石 槨 採 用 共 通 る う 共 通 性 を 示 一 方 墳 丘 規 模 著 い 差
あ り 築 造 投 入 れ 労 働 倒 的 差 あ る う い い ら 浦 間 茶 臼 山
墳 盗 掘 よ 大 半 失 わ れ い い え 大 鉄 製 武 器 ン 工 具 や 漢 鏡 豊 富 副 葬 品 を 伴 う 対 坂 8 号 墳 曑 盗 掘 ら 副 葬 品 皆 無 著 い 差 を 示 り 石 槨 を 構 築 る 石 曩 全 異 い る 共 通 性 ン 画 一 性 格 差 表 示 い う 特 性 墳 時 代 期 巨 石 を 用 い 全 長 干 9 m 穴 式 石 室 を 牟 大 塚 墳 全 長 m 程 度 穴
式 石 室 を 設 る 墳 間 い あ る
墳 時 代 行 る 弥 生 時 代 あ 前 期 ン 中 期 埋 葬 基 曓 的 等 質 的 あ り
格 差 や 階 層 性 を 見 出 困 あ る 墳 墓 い 埋 葬 間 格 差 明 瞭 る 期
半 楯 築 墳 丘 墓 築 造 以 降 あ り 大 形 墳 丘 木 槨 ン 竪 穴 式 石 槨 を 墳 墓 出 現 る 期 半 墳 墓 う 楯 築 墳 丘 墓 黒 宮 大 塚 墳 丘 墓 暷 大 級 個 別 要 素 点 総
体 比 較 い 墳 差 い ら う 要 素 を 備 え 例 備
中 部 少 数 築 れ る 墳 丘 ン 墳 形 ン 埋 葬 施 設 れ れ 個 性 顕 著 あ
り 列 島 面 的 い よ い り を 示 墳 決 定 的 異 る
ら 墳 う 一 特 色 中 央 地 方 い う 関 係 表 示 あ る 角 縁 神 獣
鏡 分 や 箸 墓 墳 れ 巨 大 墳 築 造 状 況 ら れ る よ う 大 和 ン 河 地 域
越 ら 周 辺 対 多 情 報 伝 播 あ 確 実 あ る
墳 諸 要 素 ら れ る 格 差 中 央 地 方 扱 う 領 域 述 れ 大 和 ン 河
備 関 係 よ 生 出 れ 考 え ら れ る れ 加 え 備 地 域 部 関 係 大 作
用 い る よ い 層 首 長 間 政 没 的 関 係 を 表 示 る 墳 り わ 前 方
墳 あ り 曓 論 究 い 墳 諸 要 素 分 析 を 示 理 点 あ る
備 数 多 墳 実 多 様 あ り 方 を 示 築 れ い る 学 力 よ り 多
成 果 あ ら れ い る 解 明 点 多 い 墳 暷 近 い 要 素 を え 墳 丘 墓
を 築 い 備 地 域 前 方 墳 成 立 関 考 え ら れ る 段 階 れ 以
降 備 首 長 よ う 関 係 あ り 大 和 河 首 長 や 大 王 い 関 わ
中 期 造 山 墳 ン 作 山 墳 ン 両 宮 山 墳 い う 基 巨 大 墳 築 れ る り わ 全 長 年 5 0 m 巨 大 墳 ン 造 山 墳 河 ン 和 泉 築 れ 大 王 墳 匹 る 墳 丘 規 模 を
築 造 を 能 何 あ り 列 島 全 体 政 没 秩 序 よ う 置
付 ら れ る
曓 論 究 備 墳 い 多 角 的 分 析 を い 備 墳 特 質 を 抽 出 列 島
墳 時 代 史 い 置 ら れ る を 論 る
中 央 地 方 い う 関 係 明 確 る 墳 時 代 研 究 い 中 央 あ る 畿 墳 諸
要 素 変 や 消 長 常 留 意 あ る れ を 備 い う 地 域 ら 視 点 眺 る
よ 備 特 性 畿 特 性 よ り 明 瞭 る 地 域 史 枠 る
一 畿 要 素 い う 事 象 を 測 る 畿 あ る い 他
地 域 相 違 を ら え れ 備 生 要 因 意 味 を 考 察 る 見 出 れ る 相 違
点 備 畿 れ れ る 墳 意 義 差 い う る 両 地 域 様 相
ら れ る あ る 時 備 よ り 純 形 現 れ 現 象 意 味 を 理 解 や
い 場 あ る 両 地 域 様 相 異 墳 曓 質 を 見 る る 考 え る
備 墳 時 代 史 い 引 用 れ あ る い 論 及 れ る 記 紀 記 れ
備 乱 伝 承 あ る れ い 代 備 王 国 い う 歴
史 ュ ブ ン キ ャ ッ チ フ ヤ ヴ ゲ 地 域 ブ ケ コ プ や 観 ブ ッ プ 等 用 い ら れ る 多
民 考 学 学 術 的 成 果 以 洋 透 い る
備 乱 伝 承 日 曓 書 紀 雄 略 紀 記 れ 記 載 備 豪 族 大 王 抗 的 姿 勢 を
示 滅 れ ら 大 王 簒 奪 を 企 る い う あ り 備 強 大 独
立 性 根 拠 れ 文 献 史 学 領 域 属 る 資 料 あ る 備 考 学 関 わ り
深 い 干 9 6 4 発 表 れ 西 川 宏 氏 論 考 備 政 性 格 畿 中 心 墳 時 代 史 主 あ 当 時 考 資 料 を 用 い 備 政 を 唱 画 期 的 論 考 西 川 干 9 6 4
あ る 大 王 墳 匹 る 墳 丘 規 模 を 造 山 墳 ン 作 山 墳 評 価 い 備
乱 伝 承 地 域 勢 力 大 を 裏 付 る 資 料 示 れ れ 以 降 研 究 い
論 証 構 造 承 れ 今 日 至 い る 言 よ い 間 壁 ン 間 壁 干 9 可 平 葛 原 干 9 台 年 干 9 9 0 純 言 え 造 山 ン 作 山 い う 基 巨 墳 備 築 れ 理 を 考 学
説 明 る 容 易 い う る 一 方 代 史 側 い
乱 伝 承 や 記 紀 記 れ 備 氏 始 祖 伝 承 い 研 究 深 ら れ い れ 際
西 川 氏 以 降 考 学 研 究 成 果 参 照 れ る 干 9 9 5 文 献 史 学 考 学 評
価 る 一 方 論 証 相 互 寄 り い る 言 う る
中 期 半 両 宮 山 墳 築 造 備 い 大 形 墳 築 造 途 え る 乱 結 果
を 映 る 識 れ れ 畿 巨 大 墳 群 い 巨 大 墳 築 造 停
る 動 一 あ る 墳 編 的 置 明 確 現 よ り 明 確
墳 時 代 像 を 示 る る 記 紀 別 意 味 桎 梏 い る 研 究 現 状
れ 通 俗 的 理 解 り を 考 慮 れ 改 備 墳 時 代 首 長 間 関 係 を 示 文 献 史 学 成 果 対 比 る 必 要 あ る 考 え る
作 業 あ 点 留 意 現 地 あ 暷 大 限 情 報 を 得 る
資 料 公 開 よ る 資 料 共 暼 あ る ら 述 る い
過 去 行 政 発 掘 よ 得 ら れ 資 料 を 改 分 析 俎 置 ら 成 果 を 引 出 よ う
心 発 掘 報 告 書 刊 行 れ 貴 資 料 得 ら れ 示 れ 出 土 遺 物
一 部 展 示 用 い ら れ 他 蔵 れ る 墳 基 資 料 よ 得 ら れ る 情 報 限 り あ り
地 域 い る 意 味 を 語 る い 場 少 い れ ら
を 総 比 較 検 討 る よ 個 別 資 料 明 ら ら 明 確 り
資 料 新 価 値 を 調 査 よ 得 ら れ 資 料 を 活 用 る い う う 営
を 行 う あ ろ う
曓 論 究 い 前 方 墳 集 成 編 を 基 曓 る う 8 期 中 期
葉 呼 七 ろ 墳 群 等 称 含 れ る ろ 常 用 れ る 漢 い
ら 標 記
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第 章 古墳の立地と に
めに
本章において 前方後 墳の立地について分析を試みる
通常、前期古墳 眺望の良い山頂や尾根 に築 れる と 多いと れる 、それ 各地の
前期古墳の見学時や調査時に常に実感 られる と あり、墳頂 ら見渡 れる水田の広
り 、墳墓 本貫の地に営造 れるという理解を改めて 々に印象 けていると言 てよい
ろう そのため、 ば自明の とと れるの 古墳の立地に関して 調査報告の冒頭におい
て必 記載 れるものの、それ自体についての議論 れる と 少 い
前期古墳の に 特異 立地を示すもの れに認められる それら 個別の特殊 事情
によるとする らとりたてて議論をお う余地 い 、その特異 古墳立地の基本的
属性にもと もの ある ら、それらを材料として立地の意味を問う と 、古墳というも
のの性格を考える際の一つの手 りに ると考える
の問題を考えるのに適当 資料 全国に数多い 、旧地形や周辺遺跡の状況 古墳以外
の情報 必要と るため、小論 吉備の資料を用いる
2 研究の現状
古墳 旧首長の権力 新首長に 承 れた とを 外に誇示するための政治的モニュメン
ト 略 、高い丘の や海 交通の要衝 、人の目を 場所を選ん 築造 れた とい
う評価 都出1989 、古墳と古墳の立地についての研究の現状を要約したものとい てよい
ろう れより前の評価、たとえば大塚1966において 前期古墳の立地に関して 、 地
らの眺望の良 と、 支配地を見おろしうるよう 場所を選択 した可能性の指摘 れて
いる
検討の手 り ほとん 無 、解釈・理解の問題と ら るをえ いため 、後述する沿
岸部の古墳に関するものを別にすれば、古墳の立地そのものについての研究 僅少 ある 松
本正信氏 播磨中・西部の古墳立地の検討 ら、前期古墳 その集団領域の外縁近 に築 れ
る とを指摘し、古墳 外界に て領域の確立を宣言し続けるもの、一種の 結界表示
あり、首長霊 神としてそ にと り集団領域を り続ける とを期待 れたとする考え
を示した 松本1985 一方、岸本道昭氏 同 播磨の前期古墳について検討し、隔絶した
立地・比高を示すものと弥生墳丘墓のそれに近いものの2者 ある とを示し、墳丘規模や副
葬品 の分析とあわ て、前者 政治的地域集団首長墳 あるとの見解を示している 岸本
1986 た、今尾文昭氏 全国の古墳の立地を概観し、高所への立地 集落 らの隔絶性に
おいて弥生墳墓の選地と 異 る新しい現象 あるとの指摘をお た 今尾1987 の
第 章 古 墳 の 立 地 と に
ほ 管見の範囲 示 ば、中塚良氏 山城盆地の古墳の眺望について検討し時期的 変化を指
摘しており 中塚1988 、小林久彦氏 東 河および遠江の首長墳の立地と視界の検討をお
い交通路等との関係を述べる 小林1992・1993 た、 好博喜氏 璵良川中流域の古墳
の眺望範囲の差異 ら古墳間の関係の追求を試みている 好2001
うした れ の評価を整理する ら、古墳の立地、特に前期古墳のそれについて その
視認性 ら、a.被葬者 統括した集団の成員によ て仰 見られる、b.集団の外部 ら遠
望 れる、c.古墳、つ り被葬者 の霊 領域を見おろすという、 つの視線 想定 れ
ているよう ある aとb 古墳への眺望の良 と古墳のビグュアル性にもと いたもの、c
古墳 らの眺めの良 ら れたもの ある れらすべて 表裏一体と て古墳の立
地を形成したとも、都出1989に言うようにaとb、松本1985のようにbとも解釈しうる 、
者 それ れ大 異 る属性 あり、古墳の立地 その のい れを、あるい それ以外
を主眼とするもの ある 問題と る
検討の材料として、極端とも言える立地を示し、眺望域を限定して検討する と る沿
岸の古墳・臨海性の古墳を最初に取り る れらについて 早 ら注目 れており、比
較的長い研究史 ある 可耕地 僅少 岡山県牛窓湾に所在する 基の前方後 墳の築造理璵
を考察した近藤義郎氏 、 の地 大和政権の朝鮮半島進出にあた て瀬戸 海航路の港湾と
して機能した可能性を指摘し、それ れらの築造をもたらした考えた 近藤1956 の後、
の視点を 承・発展 た西川宏氏ら 瀬戸 海沿岸に うした立地の古墳 連続する と
を示し、それ 海航路の拠点を示すとした 西川ほ 1966 れ以降、間壁忠彦氏 間壁
1970 、西谷真治氏 西谷1983 、森浩一氏 森1986 、山本 郎氏 山本1998 によ
て沿岸部の古墳についての論考 示 れている 諸氏の論 い れも近藤1956・西川ほ 1966
を け ら各地域の古墳について らに細 検討をお い、詳細 評価をお
たもの ある れらの論において 、沿岸部の古墳 必 しも 世紀曒~ 世紀に位置 け
られるものば り い と 明ら に り、朝鮮半島への派兵という事象 ら 、
大和政権の地方への進出、海 輸送にもと 交易とい た、より普 的 要因 示 れてい
る
前期古墳の立地
) 海にのぞむ古墳
改めて言う も い 児島 続 現在の岡山平 の南半 近世~近代の 拓によ て形
成 れたもの 、古墳時代の海岸線 操山丘陵、吉備中山の南側をへて倉敷市北部の丘陵地帯
に至るもの あ た
吉備の前期古墳のうち、主要 大形墳の多 の海岸線に面した丘陵 に築 れており、
前節に述べたようにその立地 瀬戸 海との わりを示し、 瀬戸 海航路に、積極的関心
をも ていた とを示 すと理解 れている 西川1975 し し ら海への眺望 可能
あればその古墳 海との関わりをも ていたと言えるの あろう 海岸線 近い吉備南部の
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第 章 古 墳 の 立 地 と に
場合、ある程度の高 の所に古墳を築造すればそれ おの と海への眺望を得る とに る
吉備南部平 の北側に位置する古墳、たとえば備前車塚古墳 ら も宍甘山王山古墳 ら も
海への眺望 可能 ある
煩雑 ある 、海にの と れる れらの古墳のうちのい つ を具体的に見てみる
操山丘陵の西端に 西 ら操山109号墳 76m 、網浜茶臼山古墳 92 、湊茶臼山古墳 120
の 基の前方後 墳、それら らやや れて丘陵の中央に 金蔵山古墳 162 築 れる
れら 期の操山109号墳 ら 期の金蔵山古墳 続して築 れた首長墳 ある た、
尾 車山古墳 120 操山丘陵の西7.5㎞に位置する吉備中山の南東端に築 れた前方後 墳
、 期の築造と考える い れも当時の海岸線にほ 近い立地 あり、海にの 古墳と評
価 れている
図 に 眺望関係を示すため、それ れの古墳 ら見渡 る範囲を示した 検討にあた て
注意 れるの 、海側に古墳 築 れたとした場合、集落遺跡1)との眺望関係 う てい
るの ある お、古墳 らの眺望と古墳への眺望 必 しも同 、古墳 ら 視
認 ても至近の尾根 方 らの見通しの支 と る場合 あり、両方向 らの検討をお
い眺望関係をし り 必要 ある 、市街化のため後者 細 い作業 困難 状況にある
丘陵の最高所 ら南に 降する尾根を加工して築 れているため北側への眺望
操山109号墳
い 視界 ほ 南側に限られ児島の山並みとその手前の海 その大半を占める 旭川西
岸の拠点集落と目 れる天瀬遺跡 ら見通す と ほ 不可能 ある 鹿田遺跡 らの見通し
も現状 北西に所在するの尾根斜面の樹木によ て り え られ前方部のみと るよう
、仮に の樹木 たとしても後 部すべて 見通 いよう ある
丘陵の頂部に築 れているため眺望 良 方へ 250°の視界をもち、旭川
網浜茶臼山古墳
西岸平 のほ 全域と南の海を見渡す と る 天瀬遺跡 ら 墳丘を側面 ら見通す
と る 、鹿田遺跡 ら 古墳の所在する丘陵の尾根 遺跡に て伸びているためそ
れ らの見通しの邪魔と る 現状 後 部裾 見え い程度 ある 、現状のよ
うに全山 墓地として 山と ておら 、ある程度の樹木 あ たとすれば、見通し よ
り悪 る と 確実 ある
操山丘陵西端の 基のうち最も東に位置する 地図 記の2基と同様の
湊茶臼山古墳
立地にみえる 、西の網浜茶臼山古墳との間に所在する高 りのため西側への眺望 た
、北側も尾根線の鞍部 ら平 の 一部を垣間見る と るにす い 古墳
らの視界 南の海側に限られる
丘陵の稜線 に築 れているため南北2方向への眺望 可能と る 北側 百間
金蔵山古墳
川遺跡群 所在する旭川東岸平 の中央~西部を、南 海側を見渡す と る お、
ら古墳を見 るとする ら、墳丘主軸を尾根線と直交 て築 れているため南の海側
ら 後 部のみ、北の平 中央部 ら 前方部正面 ら見る とに てし い、墳丘の全
景をとらえる と るの 西 びれ部 見える平 部の北西部に限られて る
当時の海岸線にほ 近い位置にあり、古墳 らの眺望 東~南に開けている
尾上車山古墳
古墳の東側に 弥生~古墳時代集落 知られておら 、主要 集落遺跡 西側の川入遺跡と
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第 章 古 墳 の 立 地 と に
る 、両者の間に吉備中山の南麓 張り出しているため川入遺跡の主要部 ら見通 る関係に
い
以 の 基の前方後 墳のうち、操山丘陵の 基と集落の関係 ある 、 れら 百間川原
尾島遺跡や百間川沢田遺跡とい た旭川東岸平 の集落群を基盤とするとした場合、金蔵山古
墳を除いて眺望関係に い た、操山109号~網浜茶臼山古墳の 基 旭川西岸平 の集落
群に拠るとした場合も、操山109号墳 それら らの眺望 良いと 言え 、 して湊茶臼山古
墳 見通す と 、 れら 西岸平 の集落群への視界を十分考慮して築 れたと 考
えに い
集落 らの眺望に い れの古墳も難 ある 、とりわけ湊茶臼山古墳の立地 特徴的 、
旭川東岸・西岸のい れ あれ、集落を、 た集落 ら見る と い位置にある
) 海にのぞむ古墳の立地と視界
以 に示した古墳の立地の特徴を改めて整理してみる
第 言う も い 海に近接して築 れている と ある 第2 眺望関係 ある 、
集落と古墳 視認 る位置関係に てもよい と、それを必須と してい い と ある
後者の理璵を立地 ら求めた場合、海 らの、あるい 海への眺望の方 重視 れたという
とに る れ 冒頭に示した れ の見解 あり、魅力的 つ有力 考え方と言える 、
そう あるとする ら航路・港湾、あるい 漁場 、海との わり 集落そして水田との
わりよりも重視 れた とに る 古墳時代前期の の地域において製塩や漁撈 農業生
産よりも重要 あ た可能性 、航路・港湾 海 交通 残る とに る 、それ 平
部 ら古墳を引 すほ の重要性をも ていたの ろう
航路 近 にあ た う 証明不可能 あるし、港湾についても証明 り し
いと言わ るをえ い 、以 の とを指摘 る
尾 車山古墳の場合、奈良時代の文献 ら古墳 面する笹ヶ瀬川河 部付近に 葦原 広
ていたと推定 れ、海路や港湾として利用 る地形 古墳に近接して所在していた可能性
高いと 言い難い の付近に弥生・古墳時代の集落遺跡 ほとん 見られ いのもそうし
た環境 あ た とを示すと考える
た、操山丘陵の南側もそれと同様 あ た可能性 強い 操山丘陵の東、芥子山丘陵南麓
の沿岸も奈良時代に 葦原 あ た と 記 れ2)、操山丘陵一帯に ハイガイを主体とする
中世の貝塚 濃密に分 し、江戸時代前期に 拓 の付近 ら着手 れている と 、操
山丘陵の南側 遠浅 泥質の浜 あ た とを示しており3)、それ 良好 湾 あ たため古
代 ら近代に至る 一貫して瀬戸 海航路の要地として機能した牛窓湾の場合と 大 異
る点 ある もちろん、 る 沖合の航路、あるい 旭川 の河 への航路を想定しそれ
との眺望関係を考える とも可能 ある 、それ 湾を見 ろすように前方後 墳 築 れ
る牛窓湾の場合と り異 る様相と言える
らに、 海航路の掌握 農業生産と同程度、あるい それ以 の重要性をもつもの あ
たとする ら、海流の関係 ら潮待ちの場所として古代 ら近代 海航路において重視
れ、 らに荒神島遺跡、高島遺跡 付近の島嶼に形成 れた古墳時代中期の祭祀遺跡 ら、
少 ともその時期 それ の るとみられる児島の沿岸に前期古墳 基も築 れ い4) とも不可解と言える
沿岸部において古墳 集落 ら分 して海側の高所に築 れる と 多い 後述のように牛
窓湾の古墳 海に基盤をおいたものとする評価に筆者も異論 い 、海に近接するという共
通項のみをも て他の古墳にも同 評価 えられ、その評価をもとに港 存在した ろうと
いう類推 れていると言わ るをえ い 海にの という立地の要因を別に考える と
るとすれば、あえて根拠 不明確 海航路に求める必要 いと考える
) 平野部の古墳
の問題を考えるため、通常の古墳の立地を整理してお 集落にの 位置に
高所の古墳
築 れた例として総社市天望台古墳・ 笠山古墳、赤磐市用木山古墳群 ある れらの
古墳群の特徴 、それ れの地域の 最も高い場所に立地する と 、い れの場合も最
初の古墳 最も高い頂部に築 れている 輪山丘陵の場合、標高80mの丘陵最高所に天望台
古墳 築 れ、続 笠山古墳 mほ 降した位置に築 れるし、用木山古墳群の場合も
標高90mの頂部へ 号墳 築 れた後、 続して順次 方に古墳 築 れている もとより、
全 の最高所 い尾根の に築 れる備前車塚古墳や七つ ろ古墳群のよう 場合も少
い 、 の場合 も首長墳よりも高い位置に後続の古墳 築 れ い と らすれば5)、
古墳築造可能 最高所 選ばれたとみられ、 た、先代の古墳、特に首長墳よりも 方に築
という原則 あ たと考えられる うした選地の結果、首長墳 ある前方後 ・後方墳 最
も高 、中位・ 位の小墳 より 方に位置するという垂直方向の分 形成 れる とに
る
の高所への指向 集落を見 ろす眺望の良 を追求した結果と理解 れている 、ある程
度以 の高 をとれば眺望に極端 差 生 い ある た、極端 高所を指向する
と 平 部-集落 ら遠 る と あり、古墳 小 、 た細部 見えに り、古墳
への視認を た る結果と る にも わら 山頂や尾根先端の高 りを強 指向するの
、古墳自体 るべ 高い所に築 れる とを求められたため い と考える
うした高所に立地するもの以外に、 丘陵 というやや特異 立地をとる前
低丘陵の古墳
期古墳として浦間茶臼山古墳 ある 全長138mを測る前方後 墳 、古墳時代前期の吉備を代
表する古墳 ある 測量調査の報告 宇垣1987 にも記した 、古墳 らの眺望 北西側と南
東側の2方向に限られる 北側に 盆地状の平 広 る 、沢の地 や水田中に近年 設
けられた掘り 田に示 れるように排水のよ い平地 あり、有力 生産基盤 あ たと
考えに 、実際、付近に弥生後期~古墳時代の集落 ほとん 知られてい い た、南
東側も吉井川の後背地にあたり、や り集落遺跡の存在 明確 い もとより付近 た
の荒れ地 あ たとするわけ 、山麓部に小規模 集落遺跡 点在すると予想 れる
、 の地域に吉備最大の前期古墳を築造する主体 あ たとみる と 困難 、それ 浦間
茶臼山古墳付近における前期小墳の分 の少 らも裏付けられると考える 築造の主体と
た集落 付近に求められ いとする理解 妥当 あるとする ら、その と ら 集落と
古墳 大 分 している可能性 考えられる 分 の要因を吉井川あるい 砂川の河川交通
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第 章 古 墳 の 立 地 と に
に求める とも可能 ある 、それにもと とするほ それら らの眺望 良い位置と 言
い たい
前期古墳の立地規定
以 、海にの 古墳を中心に前期古墳の立地の検討をお た 海にの 古墳の場合
集落 ら れて築 れる傾向にあり、通常のあり方と言える平 部の古墳 高所を強 指向
すると言える 前者 海航路 らの、後者 集落 らの眺望を企図したと理解する とも可
能 ある 、す に述べたように必 しもそうした企図に合致すると 考えに い部分 ある
うえに、前者 集団の外 らの、後者 らという別々の視線を対象としている とに る
た、前記の浦間茶臼山古墳の集落 ら れるという点 海をの 古墳の立地特徴と共通す
る
吉備南部 近接しあ た前期古墳 ばらばらに立地原則をもち表示の対象 選択可能 あ
たの 、共通の指向・規定をもつとする ら、それ 以 のように整理 る
す わち、高所への指向 広い眺望を得る と 目的 、集落 ら垂直方向に れる
とを目的としており、一方、 海にの 古墳 水平方向に集落 ら れた結果、海に面
する とに たと理解する と る
吉備の前期古墳 垂直あるい 水平方向に集落域 ら れた位置、集団の領域の外縁に築
れるという原則を持つとみれば、ほ すべての古墳の立地 理解可能と り、 れ 松本1985
に示 れた播磨の場合と同様 ある の立地原則の主因として考えられるの 古墳の祭祀性
あり、 亡 首長 カミと て集団を 護する 広瀬1999 、 松本1985 という思想
あろう 鏡や刀剣 による幾重もの辟邪6) れて封 られた亡 首長 その力を発揮
すべ 場所 領域の中 、外縁と観念 れた場所 あ たと考える した て、前方
後 墳という墳形の共通性、副葬品やその配置の共通性によ て示 れる政治性とともに、前
期古墳 強い祭祀性を保有していたと考える と る れ 例示した古墳、浦間茶臼
山古墳~金蔵山古墳の年代、 期 ら 期を通 て保持 れたとみられ、 らに極端ともいえ
る高所に築 れた暻の輪古墳の 期 続するとみられる
中・後期古墳の立地
古墳立地の様相 中期中葉に大 変化する
様相の変化をよ 示す資料の つに赤磐市南部の高暻地域 ある 盆地状平 西端の北側に
両宮山古墳 206m 築 れ、その周囲 ら南縁の山麓に けて森山古墳、朱千駄古墳、小山
古墳とい た前方後 墳 期 ら 期に けて築 れる 水田面 ら古墳 の比高 数m
ら10m程度 、位置・高 とも前期古墳の立地にみられた特徴 認められ い 留意すべ
の平 のほ 中央を古代山陽道 貫通している と 、両宮山古墳の外濠前を通過し、西
に 高暻飷家推定地も所在する の経路 古墳時代中期 の る う の確証
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第 章 古 墳 の 立 地 と に
い 、大河川 ある吉井川・旭川の渡河可能地点と東西にのびる小平 の形状を勘案すれば、
の付近に備前南部を東西に横断する陸路 所在し、それに対して古墳群 形成 れている可
能性 強い つ り古墳 視覚的 、その威容を間近に表示する存在に変化すると考える と
る
の と 備中南部の足 川西岸~総社南部地域に形成 れる造山・作山古墳群についても
指摘 る 6期の造山古墳の築造を嚆矢として巨大古墳・大形古墳 順次築造 れ東西 ㎞
の細長い範囲に古墳群 形成 れてい わけ ある 、 古代・近世山陽道 通過する位
置 もある 記と同様、古墳時代の道 い れにあ た 推定の域を出 いと いえ、南
に 海近 広 る江田山~福山山塊 所在する一方、北側の総社平 北半に 河道 網状
に広 る た の位置の西に 小田川にそ て西の備後へ通 る回廊状の地形 のびる と
らすれば、備中南部を東西に ける陸路 の付近に ら るをえ い 造山・作山古
墳群 の道に対して、道 らの眺望を考慮して の地に形成 れたと考える と る7)
れ 先に示した 期 の様相と 大 異 るもの あり、居住域の外縁にあ て機能す
ると観念 れる祭祀的構造物 らその威容をも て首長の権威を表示する構造物に変質したと
考えてよい
海にの 古墳にも れば、牛窓湾に 牛窓天神山古墳 いし 期 、黒島古墳 6期
、鹿歩山古墳 8期 、波歌山古墳 期 、二塚山古墳 10期 と前方後 墳の築造
続して れる 湾を取り巻 ようにそれ れ 築 れ、 た、 の地 古代 ら近代にわた
て 海航路の要地 ある と らすれば、 記の陸路に対すると同様の性格をもち海路・港
湾 らの眺望・視認を主眼として築 れた古墳群とみてよい ろう 時期的にも造山・作山古
墳群等とほ 併行する
以 の理解を とめれば、 期前後を境として以降の古墳 その巨大 ・威容によ て首長
の権威を視覚的に訴える存在、 目に見える形としての権威 としての性格を示すように る
と言える 造山・作山古墳の間に備中 うもり塚古墳 築 れ、 世紀前葉の巨石墳、牟佐大
塚古墳 旭川の渡河地点に面して築 れる 図 と らみて、その性格 後期の間
も 続したとみられ、それ 変化するの 山間の谷奥の南面に立地 変化する終曒期古墳の段
階 あろう
期以前の古墳を祭祀性、以降を権威の表示という語 とめる らば、前者 暻の輪古
墳の立地 ら 期 続するとみられる一方、後者の最も早い例と る牛窓天神山古墳 そ
れに先立つとみられ、 の変化 ある程度の時期幅をも て進行・定着してい たとみられる
た れ 巨大古墳の出現とほ 軌を一にする と らみて、吉備 成 れたもの
畿 ら 入 れたと考えてよい 古市古墳群 大阪湾 ら大和に至る経路の間に選地する
と 指摘 れており、誉田山古墳の埴輪馬についての著 説話も交通路に面する巨大古墳の
威容や存在感を物語るものと言える の視認性を重視した新た 古墳の立地思想 吉備に
入 れ急 に波及したと考える
先に述べたように前期の首長墳 必 しも基盤とする地域の に築 れ い 、 うした立
地要因をもつため中期以降の首長墳も本貫の地 ら れる と 多いと考えており、その点に
おいて 特定の地域に古墳 凝集し古墳コンプレックスを形成するとみ す松木武彦氏の理解
松木1997 と共通する 具体的に言えば造山・作山古墳群のうち少 とも東群 東の足
川 流域平 を基盤とするもの あろうし、両宮山古墳 に砂川中流域の高暻の地域を本拠
とするもの 、 しろ旭川 流域平 を基盤とするもの あ たと考える
6 おわりに
以 、吉備の古墳の立地について検討をお い、中期前半を境に立地の様相 大 変化
しそれ 古墳の性格の変化に起因すると考えた 吉備の古墳 期前後 祭祀性にもと
、6期以降 政治的 表象としての側面 強 ると判断する
立地に端的に示 れる古墳の性格の変化 吉備にと るもの 近隣の讃岐や播磨に
おいても指摘 、 わめて広範 変化 あ たと考える し し ら大和や筑前の例、大
和・箸墓古墳や筑前・那珂八幡古墳 の出現期古墳 集落域の縁辺に築造 れており、古墳
時代の当初 ら 言う後者の性格を 包するの 、あるい 祭祀性を発現 る別の立地
形態とみるべ 整理 ておら 、今後の課題としたい
い 全国の古墳の立地規定を網羅的に整理する余裕 い 、眺望という れ の観点を
一度 し、古墳の立地要因を 記の二側面 ら分析する と 必要 あると考える
註
1) 操山丘陵西端の前方後 墳 基盤とする領域、築造主体と た首長 基盤とした集落をい れに
想定する について 2つの考え方 ある つ の操山丘陵 所在する旭川東岸平 、具体的
に 百間川遺跡群 を想定するもの あり 葛原1987・宇垣1991 、もう つ 天瀬遺跡や鹿田
遺跡 旭川西岸河 部の集落を想定するもの 松木1993 ある 前者 大河川による平 ・丘
陵の区分を重視するもの あり、後者 古墳と集落間の距 の近 を重視するもの ある い れ
も有力 根拠をもつと言える 、前者 操山109号墳 、金蔵山古墳を除 基と集落との間
に りの距 あるという難点 あり、後者 近いと いえ現在 も幅150mを測る河 を え
て古墳の築造 れたの という疑問 ある
2) 大安寺伽藍縁起并流記資財帳 寧楽遺文 中巻 東京堂出版 1962
3) 湊茶臼山古墳 その に示すように所在地 湊 ある 16世紀に 春の湊と呼ばれていたと言わ
れ、 つて港 所在していた可能性 ある 、それ 古墳時代 の る う 全 不明
ある
4) 前半期の前方後 墳、滝堀の 古墳 児島の 陸部に築 れる 期後半の出崎灰出 ・2号墳
海にの 前方後 墳と評価 る可能性 ある
5) 備前車塚古墳の場合、後方の龍ノ 山山頂近 に後期の群集墳 築 れ、七つ ろ古墳群の場合
中期と推定 れるダイミ山古墳 東2㎞の山頂に築 れる 、 うした時期 大 へ たるもの
含め い
6) れについて 第 章 考察する 、本論究 死者の遺体あるい 霊に、悪いもの とりつ
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第 章 古 墳 の 立 地 と に
とを防 という意味 、 の語を用いる
7) 造墓主体についての評価 異 る 、本論と同 立地の要因を交通路に求める見解を安川満氏
示している 安川1998
第 2 章 前 方 部 の 形 状 に 関 す る 一 試 論
め に
前 方 後 墳 と い う 墳 形 を た ち る 前 方 部 と 何 と い う 課 題 古 墳 研 究 と 同 時 に 生 、 現 在 多 の 論 示 れ て た そ の 学 史 を 編 け 一 書 を す と い て も 過 言 い
前 方 部 古 墳 を 前 方 後 墳 あ る い 前 方 後 方 墳 と 定 義 け る 要 素 あ る と 言 う も い 、 そ の 機 能 り 起 源 を 想 定 、 あ る い 証 明 す る 資 料 、 測 量 図 ら 読 み 取 た り 発 掘 調 査 に よ て 得 る と し い の と 、 前 方 部 と い う も の わ め て 観 念 的 意 義 を も て 成 立 し た と を 示 す と 考 え ら れ る 、 そ の た め に 解 釈 の 余 地 わ め て 大 も の と
り 、 証 明 の 手 続 わ め て し い 命 題 と る と 否 め い
宍 甘 山 王 山 古 墳 の 測 量 に よ て 把 握 た 前 期 前 方 後 墳 の 前 方 部 の 特 徴 を 手 り に 、 前 方 部 の 意 味 を 考 え て み た い
2 宍 甘 山 王 山 古 墳 の 前 方 部
旭 川 東 岸 平 の 東 縁 に 位 置 す る 宍 甘 山 王 山 古 墳 全 長 6 8 . 5 m の 前 方 後 墳 あ る 備 前 車 塚 古 墳 に 続 い て 築 れ た 首 長 墳 と み ら れ 、 第 ・ 章 に 述 べ る よ う に 最 終 型 式 の 特 殊 器 台 形 埴 輪 を 伴 い 、 古 銅 輝 石 安 山 岩 を 埋 葬 施 設 に 用 い る と み ら れ る
段 築 明 瞭 い 、 2 段 築 成 と 推 定 れ る 後 部 径 3 9 . 5 m 、 同 高 6 m を 測 る 前 方 部 バ チ 形 に 開 い て お り 、 そ の た め 墳 端 線 等 高 線 に 斜 交 し て 降 し て お り 、 前 方 部 前 端 中 央 - 6 . 8 m あ る の に 対 し て 、 前 方 部 西 角 - 9 . 4 m 、 東 角 - 7 . 5 m と る し た て 、 墳 丘 主 軸 ら 東 西 の 前 方 部 角 の 距 同 一 西 側 長 る た 前 方 部 の 平 面 形 状 も 左 右 対 称 と ら い 西 側 ら に の び る 前 方 部 側 縁 の 墳 端 線 と 前 方 部 前 端 線 鋭 角 を し て 交 わ る の に 対 し 、 東 側 側 縁 の 墳 端 線 屈 曲 を 示 し 、 直 角 に 近 い 角 度 前 端 線 と 交 わ て い る
お 、 前 方 部 面 前 方 部 頂 ら わ に 降 し た の ち 後 部 斜 面 に そ て 昇 し 、 後 部 頂 の 平 坦 面 に 接 続 し て い る う し た 前 方 部 ら 後 部 に 続 ス ロ ヴ プ の 典 型 的 例 奈 良 県 箸 墓 古 墳 に 見 ら れ る 、 岡 山 県 備 前 車 塚 古 墳 、 七 つ ろ 号 墳 、 浦 間 茶 臼 山 古 墳 も 同 様 の 形 態 を と て お り 前 期 前 半 の 前 方 後 墳 の 特 徴 と み す と る
非 対 称 を す 前 方 部
う し た 左 右 非 対 称 形 の 前 方 部 を も つ 前 期 古 墳 と し て 、 指 摘 る の 箸 墓 古 墳 白 石
・ 春 成 ・ 杉 山 ・ 奥 田 1 9 8 4 あ る 箸 墓 古 墳 に つ い て れ 墳 丘 復 原 れ て た 、 い れ の 場 合 に お い て も 前 方 部 左 右 対 称 形 に 復 原 れ て お り 、 前 方 部 南 側 の 屈 曲 後 世 の 削 平 と み れ て い る よ う あ る た し に 前 方 部 南 側 の 裾 部 分 墳 丘 い に 通 る 道 路 に よ て 削 ら れ て い る し し ら 、 そ れ よ り も 方 の 等 高 線 に 乱 れ い 箸 墓 古 墳 の 前 方 部 も と 左 右 対 称 形 あ り 、 そ の 一 方 削 ら れ た の あ れ ば 、 前 方 部 の 南 側 角 部 大 崖 状 を 呈 す る あ る 、 そ う し た 状 況 認 め ら れ 、 た 、 あ え て 左 右 対 称 形 を し て い た と 考 え る 必 然 性 も い 箸 墓 古 墳 前 方 部 南 側 も 宍 甘 山 王 山 古 墳 の そ れ と 同 様 の 形 状 を し て い た と 考 え て 支 い と 考 え る
通 常 、 前 方 後 墳 や 前 方 後 方 墳 に お い て 流 出 や 後 世 の 改 変 を も と も け や す い の 前 方 部 の 両 角 部 あ る の た め 、 発 掘 調 査 を お た 場 合 も 前 方 部 角 部 遺 存 し て い る と 少 、 し て そ の 部 分 に 葺 石 残 て い る と わ め て れ あ る し た て 前 期 前 半 の 前 方 後 墳 の 前 方 部 の 形 状 に つ い て 検 討 を お う と 容 易 い 、 う し た 左 右 非 対 称 一 方 の 側 台 形 状 を す 前 方 部 の 例 の 2 古 墳 の み あ る の う 、 い つ の 例 を あ て 検 討 を お て み る
全 長 4 8 . 3 m の 前 方 後 方 墳 、 バ チ 形 の 前 方 部 を 西 に 向 け る 近 藤 ・ 鎌 木 1 9 8 6 備 前 車 塚 古 墳
前 方 部 に 二 段 の 石 垣 状 の 葺 石 め て お り 、 葺 石 の 遺 存 状 態 良 好 あ る 宍 甘 山 王 山 古 墳 と お 前 方 部 尾 根 斜 面 の 等 高 線 に 斜 交 し て ろ る 前 方 部 南 角 部 若 流 失 し て い る 斜 面 方 に 鋭 角 を し て 伸 び て い る の に 対 し 、 北 角 部 南 角 部 よ り も 高 い 位 置 に あ り 、 前 方 部 北 側 墳 端 北 角 部 ら 数 m の 直 線 を し て の ち 屈 曲 し て 、 び れ 部 に 至 る 弧 状 の 墳 端 線 に 移 行 す る た 、 南 角 部 北 角 部 よ り も 前 側 に 位 置 し 、 つ 、 前 方 部 前 端 と 墳 丘 主 軸 の 交 点 ら 角 部 の 距 南 側 の ほ う 長 い
香 川 県 高 松 市 、 石 清 尾 山 の 尾 根 に 位 置 す る 全 長 約 4 0 m の 前 方 後 墳 、 積 石 鶴 尾 神 社 4 号 墳
塚 あ る 後 部 の 竪 穴 式 石 室 ら 伝 世 鏡 と し て 知 ら れ る 獣 帯 方 格 規 矩 四 神 鏡 、 碧 玉 製 管 玉 出 土 し て お り 、 墳 丘 に 底 部 穿 孔 の あ る 壷 形 土 器 を 伴 て い る
墳 丘 東 半 部 の 遺 存 状 態 よ い た め 前 方 部 東 角 部 の 形 状 明 ら い 、 墳 丘 西 半 部 墳 端 の 列 石 検 出 れ て お り 、 前 方 部 西 角 部 の 形 状 を 知 る と る 前 方 部 西 角 前 端 線 ら ほ 直 角 に 長 3 . 2 m の 直 線 部 分 の び 、 そ の の ち 屈 曲 し て 、 び れ 部 に 至 る バ チ 形 の カ ヴ ブ を 描 い て い る 渡 部 ・ 藤 井 1 9 8 3
奈 良 県 天 理 市 に 所 在 す る 全 長 1 2 0 m の 前 方 後 墳 東 1 9 8 1 特 殊 器 台 形 土 器 中 山 大 塚 古 墳
出 土 し て お り 、 大 和 地 域 最 古 の 古 墳 の 一 つ と 判 断 る バ チ 形 に 開 前 方 部 を も つ 前 方 部 の 前 面 に 神 社 所 在 し て お り 、 前 方 部 前 端 り の 掘 削 を け て い る 古 墳 の 現 状 お よ び 墳 丘 測 量 図 ら 判 断 す れ ば 、 前 方 部 の 西 側 墳 端 ゆ る や に ろ て い 状 況 を 示 す の に 対 し て 、 東 側 の 墳 端 墳 丘 い に め る 水 路 の 形 状 に も 示 れ る よ う に 屈 曲 を み て お り 、 の 部 分 屈 曲 部 分 と る 可 能 性 強 い
れ ら 以 外 に の 時 期 の 古 墳 と し て 京 部 府 椿 井 大 塚 山 古 墳 、 岡 山 市 七 つ ろ 号 墳 、 網 浜 茶 臼 山 古 墳 い つ あ る 、 い れ も 前 方 部 の 遺 存 状 況 良 、 検 討 を お う と
困 難 あ た1)
類 例 必 し も 多 い 、 宍 甘 山 王 山 古 墳 や 備 前 車 塚 古 墳 、 鶴 尾 神 社 号 墳 遺 存 状 態 良 好 資 料 に お い て 高 い 頻 度 そ の 事 例 認 め ら れ る と ら み て 、 前 期 前 半 の 前 方 後 墳 ・ 後 方 墳 の う ち 、 り 厳 密 左 右 対 称 形 と ら 、 一 方 の 角 鋭 角 を し も う 一 方 の 側
台 形 状 に る 前 方 部 形 状 を と る 可 能 性 強 い と 考 え る
前 方 部 隅 角 の 性 格
の 、 前 方 部 の 非 対 称 性 に つ い て の 評 価 発 掘 調 査 例 ほ と ん い と も あ り 、 容 易 に 評 価 を お い た い 、 2 つ の 点 を 指 摘 す る と る 第 前 方 部 の 2 つ の 角 の う ち 、 鋭 角 を す 側 の 方 向 に つ い て あ る 宍 甘 山 王 山 古 墳 鋭 角 側 、 す わ ち 古 墳 の 西 側 の 平 部 に 雄 町 遺 跡 を め 多 数 の 集 落 遺 跡 形 成 れ て い る の に 対 し 、 東 側 の 平 部 に ほ と ん 遺 跡 分 し て お ら 、 排 水 阻 害 れ る 地 形 ら そ の 付 近 の 位 部 の 開 田 遅 れ た 可 能 性 強 い と み ら れ る た 、 備 前 車 塚 古 墳 の 場 合 、 鋭 角 を す 側 平 の 方 向 あ る 南 側 に 向 い て お り 、 墳 丘 の 北 側 、 た 山 と 谷 ろ る に す い 箸 墓 古 墳 の 場 合 纏 向 遺 跡
ろ る 北 西 の 方 向 に 鋭 角 を す 側 向 い て お り 、 中 山 大 塚 古 墳 も 前 方 部 西 角 部 鋭 角 を す と 想 定 す れ ば 、 そ の 方 向 奈 良 盆 地 平 部 の 側 あ る の よ う に 、 い れ の 例 に お い て も 前 方 部 の 鋭 角 を す 側 集 落 の 側 に 位 置 し て お り 、 そ れ 、 い う れ ば 古 墳 の 正 面 側 に 設 定 れ て い た 可 能 性 強 い と 考 え ら れ 、 前 方 部 の 2 つ の 角 部 の う ち 鋭 角 を す 側 に そ 意 味 あ た と 思 わ れ る
も う 点 、 鋭 角 を す 角 部 大 突 出 を し て い る た め 、 そ の 古 墳 の 墳 丘 の 最 も ゆ る や 斜 面 を 作 り 出 し て い る と あ る 宍 甘 山 王 山 古 墳 の 場 合 、 後 部 2 4 ° 、 前 方 部 側 面 2 8 ° 、 前 方 部 前 面 2 7 ° の 斜 面 あ る の に 対 し 、 前 方 部 西 角 部 2 0 ゜ と て い る た 、 箸 墓 古 墳 を 例 に と て も 後 部 斜 面 3 0 ° 、 前 方 部 側 面 2 6 ° あ る の に 対 し 、 前 方 部 北 西 角 部 1 6 ° と て い る
前 方 後 墳 の 前 方 部 、 前 方 後 墳 の 成 立 に 際 し て 、 弥 生 墳 丘 墓 の 突 出 部 転 化 し て 成 立 し た も の と 考 え ら れ て お り 近 藤 1 9 8 3 、 都 出 比 呂 志 氏 そ れ に つ い て 突 出 部 そ れ 自 体 と し て 独 立 化 し 、 葬 送 祭 祀 の 一 過 程 に お い て 重 要 役 割 を 有 す る 方 形 壇 に 転 化 し た も の と 述 べ て い る 都 出 1 9 7 9 弥 生 墳 丘 墓 の 突 出 部 墓 の 外 を す ぶ 通 路 ら 成 立 し 、 突 出 部 形 式 化 し 前 方 部 に 転 化 す る と い う 過 程 に も と ら ば 、 道 と し て の 機 能 転 化 の 段 階 否 定 れ 、 失 わ れ る と に る
た し に 前 方 部 基 本 的 に 方 形 壇 と し て の 性 格 を 有 す る も の と 考 え る 、 に 指 摘 し た よ う に 、 前 期 前 半 の 前 方 後 墳 に お い て 前 方 部 の 一 方 の 角 、 明 確 に 一 定 の 方 向 を 指 向 し て 鋭 角 的 に 突 出 す る の 指 向 性 、 そ し て そ の ゆ る や 角 度 と い う 2 点 を 重 視 す る ら ば 、 前 期 前 半 の 段 階 に お い て 前 方 部 ら 道 と し て の 機 能 完 全 に 除 れ て お ら 、 そ の 一 部 分 、 す わ ち 前 方 部 隅 角 部 、 お そ の 機 能 を 担 て い た 可 能 性 を 考 え る と る そ し て 、 古 墳 時 代 前 期 の 次 の 段 階 う し た 一 方 の 角 の 突 出 見 ら れ り 、 た 、 基 本 的 に 前 方 部 斜 面 に 段 め ら れ る よ う に り 、 完 全 に 壇 と し て の 機 能 の み を 表 す よ う に る と
- 6 -
第 2 章 前 方 部 の 形 状 に 関 す る 一 試 論
考 え ら れ る
註
1 ) 浦 間 茶 臼 山 古 墳 の 場 合 前 方 部 北 側 屈 曲 の 側 と る 可 能 性 あ る た 、 椿 井 大 塚 山 古 墳 の 場 合 南 側 に 鋭 角 部 を も つ 前 方 部 を 想 定 す る と も 可 能 あ る
第 章 竪 穴 式 石 室 の 研 究 - 使 用 石 材 の 分 析 を 中 心 に -
め に
近 年 、 考 古 学 の 研 究 に お い て 、 し ば し ば 自 然 科 学 に も と 分 析 用 い ら れ 、 そ の 成 果 援 用 れ て い る た と え ば 旧 石 器 時 代 遺 跡 の 研 究 広 域 火 山 灰 の 研 究 成 果 を 無 視 し て 語 る と
い あ ろ う し 、 た 、 製 鉄 や 青 銅 器 の 研 究 に お い て も 、 自 然 科 学 的 分 析 に 負 う と ろ
少 い
考 古 学 に と て 自 然 科 学 の 応 用 、 年 代 測 定 や 古 環 境 に 関 す る も の ら 遺 物 等 の 材 質 の 分 析 に わ る も の 、 非 常 に 多 岐 に わ た て い る の う ち 材 質 の 分 析 に 用 い ら れ る 分 に 限 て も 、 遺 物 の 多 様 を 反 映 し て 、 岩 石 学 、 冶 金 学 、 植 物 学 、 生 物 学 等 々 と 、 非 常 多 方 面 に 及 ん い る
土 器 や 石 器 の 分 析 、 そ の 性 質 、 岩 石 学 お も に 用 い ら れ る そ の 主 も の を と り あ れ ば 、 蛍 X 線 分 析 に よ る 石 器 石 材 の 産 地 推 定 鎌 木 ほ 1 9 8 4 、 蛍 X 線 分 析 や 射 化 分 析
に よ る 土 器 胎 土 の 分 析 と そ の 産 地 推 定 1 9 8 3 ほ 1 9 8 4 小 山 1 9 8 4 清 水 1 9 8 4 、 土 器 胎 土 中 に 含 有 れ る 岩 石 片 の 観 察 に よ る 産 地 推 定 清 水 1 9 7 3 奥 田 尚 1 9 8 5 a 、 偏 顕 微 鏡 観 察 や 蛍 X 線 分 析 に よ る 石 棺 や 竪 穴 式 石 室 石 材 に つ い て の 産 地 推 定 逸 見 1 9 7 4
間 壁 ほ 1 9 7 4 ~ 1 9 7 6 奥 田 1 9 8 5 b あ る た 、 金 属 器 鉛 同 位 体 の 分 析 に よ る 青 銅 器 原 料 の 産 地 推 定 馬 淵 ほ 1 9 8 4 あ る
れ ら 、 そ の い れ も 産 地 の 推 定 に と ら 、 同 一 産 地 資 料 の 分 関 係 ら 、 土 器 り 石 器 り の 生 産 と 流 通 、 そ れ ら の 移 動 の 背 後 に あ る 社 会 的 関 係 、 政 治 的 関 係 の 解 明 を め し て い る
う し た 自 然 科 学 的 分 析 を 用 い る と に よ て 、 考 古 学 の 手 法 の み 検 討 困 難 あ た り 、 決 着 つ け た い 課 題 に 対 し て 大 成 果 出 れ つ つ あ り 、 そ れ 考 古 学 に と て 非 常 に 魅 力 的 も の と て い る し し ら 、 そ れ ら の に 分 析 結 果 と れ の 考 古 学 の 成 果 と の 対 比 検 討 十 分 に お わ れ て い い も の も い と 言 え い 一 方 、 多 の 考 古 学 の 研 究 者 に と て 、 そ う し た 点 に 十 分 批 判 を 加 え る と 困 難 あ り 、 無 批 判 に そ の 成 果 を 用 い ち あ る と も た 、 研 究 の い そ う の 進 展 を 遅 れ て い る と い え よ う
て 、 う し た 自 然 科 学 的 分 析 の う ち 岩 石 学 に よ る 分 析 、 先 に 述 べ た よ う に 石 器 、 土 器 、 石 棺 、 竪 穴 式 石 室 石 材 等 に つ い て お わ れ て お り 、 大 成 果 を あ て い る 本 章 吉 備 地 域 の 資 料 を 中 心 に 、 弥 生 墳 丘 墓 、 前 期 古 墳 の 竪 穴 式 石 室 石 材 に つ い て 分 析 を 行 い 、 そ の 変 遷 を 検 討 す る 観 察 お も に 偏 顕 微 鏡 を 用 い て の も の あ る 、 い つ の 資 料 に つ い て サ ン プ ル の 採 取 し い た め 肉 眼 観 察 に と め て い る
お 、 時 期 区 分 に つ い て 川 西 宏 幸 氏 に よ る 埴 輪 の 期 編 年 川 西 1 9 7 8 を 主 に 用 い る
- 2 - 2 研 究 の 現 状
) 研 究 史 ・ 9 年 代 ま
前 述 の よ う に 石 材 に 関 す る 岩 石 学 的 検 討 、 分 析 方 法 ・ 分 析 対 象 の 両 者 と も わ め て 多 岐 に わ た て い る 岩 石 学 に よ る 分 析 を 理 解 す る う え 、 れ ら す べ て の 分 析 の 手 法 と そ の 成 果 を 具 体 的 に 提 示 す る と 有 効 あ ろ う 、 論 広 範 囲 に わ た り す る た め 、 古 墳 の 石 室 石 材 ・ 石 棺 に 関 す る 分 析 に 限 て 若 の 整 理 を お い 、 れ の 研 究 の 成 果 を 概 観 し て お た い
古 墳 を 構 成 す る 主 要 材 料 土 と 石 あ る 、 そ の 形 状 、 大 を 容 易 に 把 握 る も の あ る た め 、 石 材 に つ い て の 関 心 、 古 墳 に 対 す る 科 学 的 研 究 の 開 始 と 同 時 に 生 た と み ら れ る 坪 井 正 五 郎 氏 足 利 古 墳 発 掘 報 告 に お い て 横 穴 式 石 室 の 石 材 に つ い て 述 べ 、 使 用 石 材 礫 と 角 礫 あ る と 、 そ れ ら 異 る 産 状 を 示 し 、 た そ の 運 搬 ・ 整 形 に 多 大 労 力 を 費 や し た あ ろ う と を 述 べ て い る 坪 井 1 8 8 8 そ れ 以 降 の 報 告 石 材 記 載 れ た 例 少 い
、 た と え ば 1 9 2 3 年 に 梅 原 曒 治 、 森 本 六 爾 両 氏 に よ て 発 表 れ た 奈 良 県 柳 本 大 塚 古 墳 の 報 告 竪 穴 式 石 室 石 材 日 向 石 輝 石 安 山 岩 と 記 れ て い る 梅 原 ・ 森 本 1 9 2 3
1 9 2 8 年 に 、 兵 庫 県 会 山 二 本 松 古 墳 の 竪 穴 式 石 室 石 材 に つ い て の 分 析 行 わ れ る の よ う 分 析 方 法 用 い ら れ た あ ら い 、 用 い ら れ て い る 石 材 花 崗 岩 ・ 硝 質 輝 石 安 山 岩 ・ 石 英 斑 岩 の 種 類 あ り 、 の う ち 、 硝 質 輝 石 安 山 岩 兵 庫 県 産 出 し い も の あ る と 、 石 英 斑 岩 も 古 墳 付 近 産 出 し い も の あ る と あ ら に れ た そ し て 、
う し た 石 材 の 搬 入 に つ い て 、 そ れ 墳 墓 築 造 の 好 尚 ら び に 古 代 の 交 通 お よ び 地 方 豪 族 の 権 勢 等 を 考 察 す る に 足 る も の あ る と 述 べ ら れ た 辰 馬 ほ 1 9 2 8
つ い て 1 9 3 8 年 に 梅 原 曒 治 氏 に よ て 岡 山 県 鶴 山 丸 山 古 墳 の 報 告 れ る 氏 竪 穴 式 石 室 石 材 に つ い て 京 都 帝 国 大 学 理 学 部 、 村 政 嗣 氏 に 鑑 定 を 依 し 、 石 材 石 英 面 岩 あ る と の 結 果 を 得 、 そ の 産 出 地 備 前 市 石 付 近 あ る 可 能 性 を 想 定 し て い る 梅 原 1 9 3 8
う し た 竪 穴 式 石 室 石 材 の あ り た に つ い て 初 め て と た 検 討 を お た の 小 林 行 雄 氏 あ る 氏 1 9 3 4 年 に 発 表 れ た 技 術 ら 見 た 古 墳 の 様 式 に お い て 竪 穴 式 石 室 と 横 穴 式 石 室 の 対 比 を 行 い 、 そ の 石 材 の 問 題 に ふ れ 、 会 山 二 本 松 古 墳 に み ら れ る 石 材 の 遠 隔 地 ら の 移 入 に つ い て 、 の 石 室 形 式 竪 穴 式 石 室 ・ 筆 者 る 構 造 方 法 に 適 る 岩 石 産 地 の 様 式 と し て 先 行 れ た 事 を 意 味 す る あ ら う と 述 べ 、 朋 状 石 材 の 産 出 地 に お い て 竪 穴 式 石 室 成 立 し た た め に 、 竪 穴 式 石 室 の 伝 播 に つ れ て 、 そ の 構 築 材 あ る 石 材 も 遠 隔 地 に 運 ば れ て い た の い と の 解 釈 を 提 示 し た 小 林 1 9 3 4 そ の 後 、 氏 竪 穴 式 石 室 構 造 考 を 著 し 石 室 の 構 築 に 平 割 石 を 用 い る と 重 要 特 徴 の つ あ る た め に 、 も と も 多 使 用 し て い る 石 材 朋 状 節 理 を 有 す る 安 山 岩 ・ 石 英 面 岩 の 類 あ り 、 砂 岩 ・ 片 岩 の 類 れ に つ い い る ( 中 略 ) る ば る 数 十 キ ロ の 遠 方 の 産 石 地 ら 、 る 石 材 を 運 搬 し て 構 築 の 用 に あ て た と え あ た と 述 べ 、 ら に 同 一 古 墳 に お い て も 、 た 、 同 一 地 域 に お い て も 朋 状 の 割 石 を 用 い る 石 室 と そ う い 石 室 と 混 在 し て い る と あ る と を 指 摘 し
第 章 竪 穴 式 石 室 の 研 究