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竹田 環(たけだ たまき) 近代上越の政治家・思想家 上越市ホームページ

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Academic year: 2018

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たけだ たまき

竹田家の養子となる

竹田環は、1862 年(文久 2)8 月飯田村(現・上越市飯田)に生

まれ、杉野瀬村(現・名立区杉野瀬)の竹田確太郎の養子になりま

した。同家は第五代勘兵衛が酒造業を営みながら、名立川の下流に

向かって右側に用水(現・川東用水)を掘り大規模な新田開発を行

った名家でした。なお、岩の原ワインで知られる川上善兵衛は、祖

父の実家であるこの竹田家で育てられ、1881 年(明治 14)に杉野

瀬小学校を卒業しています。

養蚕振興に取り組む

明治 20 年代になると環が家督を相続し、竹田家の経営を行いま

した。当時の同家は広大な耕作地と米蔵が六つあり、1888 年( 明治

21) の所有地価額では 41, 300 円と西頸城郡内の第一位でした。1891

年(明治 24)頃、環は私費を投じて、村内の有志とともに養蚕伝

習所を設立しました。ここに福島県から講師を招き養蚕の振興に努

め、郡内有数の養蚕地の基礎を築きました。

学校施設の充実をはかる

1873 年(明治 6)、龍昌寺を仮校舎に杉野瀬に小学校本校が置か

れました。新校舎は翌年に父確太郎らの約 1000 円の寄付で作られ

ました。1897 年(明治 30)には高等科を併設して、村立下名立尋

常高等小学校と改称し校舎を増築、この校舎敷地として、環は 68

坪を寄付するなど教育施設の充実に努めました。

現在も地元では、同家の馬の訓練場が旧下名立小学校の敷地とな

ったと伝えられています。

県会議員として活躍する

1893 年(明治 26)から 1895 年(明治 28)の 2 年間、環は県会

議員として西頸城郡から選出されました。県会では改進党派に属し

て活躍しました。1897 年(明治 30)からは西頸城郡会議員として、

地元振興のために尽くした環は、1911 年(明治 44)4 月に 48 歳で

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