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はじめに
20年にわたり世界史を担当してきた者として、 ここ数年生徒たちの世界史離れが顕著になったこ とを感じている。そして高校生の世界地理的な知 識が極端に乏しいことに気がついた。私は新しい 単元に入る前に、よく扱う地域の地理的な質問を 生徒たちに行う。かつてならば、生徒たちが自分 の知っている知識で活発に答えてくれたものだ。 この導入は世界史を教える者にとっていわば「常 道」である。しかし、ここ数年はとんちんかんな 答えが返ってくるか、沈黙のままという状態だ。 世界のおもな国や首都の名称から世界の地域名に いたるまで以前と比べ知識が乏しいのだ。 これは明らかに新課程(現行)になってからの 現象である。最近、勤務校の1年生を対象に出身 中学校別(勤務校の校区は神戸第1学区=神戸東 部地区・芦屋学区と呼ばれるところ)の簡単な調 査を行った。中学校の地理の時間に世界のどの国・ 地域を扱ったか、また内容は? というものであ る。その結果、いずれの中学校でも扱っていたの がアメリカと中国で、後はヨーロッパ全般か西欧 主要国(仏・独・英・伊の何れか)の中から1国 を扱う、というものだった。予想はしていたが、 ほぼ画一的な結果に驚いたしだいである。教科書 の帝国書院『社会科 中学生の地理 世界のなか の日本 初訂版』に目を通しよくその事情がわか った。教科書の構成どおりなのである。他の地域 については、3つの地域の捉え方を参考に自分で 調べてみよう、ということだ。時間の都合もあっ て授業ではロシアという大国やアフリカ・南米と いう大陸が無視され、ヨーロッパでも東欧は除外、
オセアニア地域や本稿で取り上げる東南アジア・ 海域世界も対象となっていないと考えられる。歴 史授業の世界史部分の少なさに加え、以上のよう な地理学習を経て高校に入学してきた生徒たちに とって「高校の世界史は馴染めないもの」と映る のはいたし方ないのかもしれない。今の高校生は 「馴染みのないもの」に対する興味が欠落する傾 向が強いからだ。こういった昨今の高校生に対し ていかなる授業を展開すればよいか、試行錯誤の 日々である。
その中で帝国書院の図説『最新世界史図説タペ ストリー』の発刊は私にとって福音であった。そ れは世界史のタテとヨコ、つまり時間の流れと空 間(地域)がうまく連動した図説の登場だったか らである。何より世紀ごとの世界地図をはじめと した豊富な地図資料は、現在の高校生の欠落した 地理的知識を補いつつ授業に活用できる。ここで 取り上げる東南アジア史は、知識が皆無に近い高 校生を相手に授業しなければならない「難関」で ある。あまつさえ東南アジア史の従来教科書での 扱いは王朝や国名の羅列でいかにも教えづらい。 そこで、タペストリーを使った地理的把握をさせ る東南アジア・海域世界史の授業案作りを試みた。 まず、今回は12〜13世紀における東南アジアの独 自文化形成までを扱いたい。
1.導入 東南アジア・海域世界への誘い
このような現状の中で、世界史教育は扱うべき 対象となる地域の地理的把握とイメージを湧かせ ることが重要である、という観点から始めたい。 とくに東南アジアは、生徒たちにとって馴染みの うすい地域である。そのことから地理の授業のよ
タペストリー活用の授業案 東南アジア史・海域
世界の展開(その1)
兵庫県立東灘高等学校 矢 部 正 明
タ
ペ
スト
リー
− − − − うな導入でのぞもうと思う。
東南アジアを取り巻く地理環境を理解させるた め、タペストリーの最後に出てくる「①世界の 国々」の地図を開かせる。ここでは世界の中で東 南アジアとはどこに位置するかを大きく把握させ る。この地図から西にインド・北東に中国をのぞ み、日本とも海洋でつながった「思った以上に近 い地域であること」に気がつくようにする。 次にp.44〜45「20世紀末〜21世紀初頭の世界」 の地図を開かせる。p.45の「日本と東アジア海域」 の地図を使い、黄色に色分けされた部分が東南ア ジアであることを伝え、同時にその国名に目を向 けさせる。そして、いかに現在の日本がASEAN 諸国との繋がりが深いかを「各国における日本の 進出企業」や東南アジア諸国の輸出発展から理解 させたい。
あとはタペストリーのページをp.39・p.37・ p.33・p.29…と遡らせ、「日本と東アジア海域」を 見ていくように指示。p.28から前のページでは見 開き左下にある「ネットワークナビゲーター」の 地図も見るように指示する。これは、同一視点の 地図を使い連続的に時間を遡って見てみることに より、日本と東アジア海域が歴史的にどのように 関わってきたかを大きく把握させる目的を持つ。 さらに「ネットワークナビゲーター」を見れば、 ユーラシア南部における時代ごとの交易ネットワ ークで日本が東端に位置することや東南アジアの 位置がよく見えてくるのである。つまり導入とし て、インド洋〜太平洋〜東シナ海と連なる海域世
界全体の把握にはこの見せ方が有効ではないかと 考えている。海域ネットワークの基礎をここで理 解させるのである。
以上のようにタペストリ−を使い、東南アジア 海域世界の大まかな歴史地理的把握を行った後、 授業用プリント(B4判)を配布する。その左半 分には東南アジアと周辺海域の白地図を載せてあ る。白地図は地理の副教材(帝国書院『楽しく学 ぶ世界地理Bノート』)から抜粋したもの。白地 図には現在の国境と主要河川が書かれている。さ らに書き込みができるよう( )が施してあり、 エーヤワディー川・メコン川・チャオプラヤ川、 インドシナ半島やマレー半島の名称と各国の名称 (ベトナム・ラオス・カンボジア・タイ・ミャン マー・マレーシア・シンガポール・ブルネイ・イ ンドネシア・フィリピン)、インドネシアの主要 な島名(ジャワ島・スマトラ島・ボルネオ島・ス ラウェシ島・バリ島・モルッカ諸島に加え東ティ モールが分離独立したティモール島など)につい て書き込ませるようになっている。
「タペストリー 四訂版」p.45
「タペストリー 四訂版」p.28
「楽しく学ぶ世界地理 B ノート」p.55 日本
大韓民国 台湾
香港
フィリピン インドネシア
シンガポール マレーシア
タイ ミャンマー
カンボジア ラオス
ヴェトナム
ブルネイ・ ダルサラーム
1028 659 583 7 783 55 414 20 17 858 11 417 1250 16 572 375 881 769 2133 4211 1446 8 193 205 11 25 459
60年代 経済成長開始
経済成長 の連鎖
アジアNIES 60年代後半 経済成長開始 ASEAN
70年代後半 経済成長開始
中華人民共和国 80年代後半 経済成長開始 インド
90年代後半 経済成長開始
179
1588
各国の輸出額
(数字の単位は億ドル)
各国における 日本の進出企業
(数字の単位は企業数) (2001年現在) 1997年 1970年
日本と 東アジア海域
東アジア交易圏の復活 海外への輸出用製品の生産に重点を置いたアジアNIESも1970年代から経
済発展が本格化した。1971年のドル=ショック後の円高で,日本などの企業が進出した東南アジア 地域も,70年代後半から急速な経済発展を見せた。90年代後半には金融危機が襲い,一時深刻 な経済危機に見舞われたが,現在は回復に向かい,中国やインドの経済成長とからんで一大 経済圏を形成している。
A S E A N N I E S 日 本
中 国 イ ン ド
変 動 相 場 制 移 行
ヴ ェ ト ナ ム 戦 争
石 油 危 機
ア ジ ア 金 融 危 機 プ ラ ザ 合 意
2000 1990 1980 1970 1960年
輸入代替工業化政策 外資導入・輸出志向工業化政策 工業化成功と工業製品輸出の急成長 海外投資と投資先の工業製品の輸入急増
− − − − このあと、東南アジア史や欧米諸国による東南 アジアの植民地化や、現代史に必要な最低限の地 理的知識を文字通り「暗記」させたい。このこと から、生徒は東南アジア史に関する教師との「共 通言語」を獲得できるのである。以前より、世界 史受験を考えている生徒を対象に夏の補習では東 南アジア史の講義を行ってきた。その際、まず行 ったトレーニングがこの白地図を使った東南アジ アの地理テストであった。これを授業のときにも 応用させるのである。
さらに、東南アジア史上の2大遺跡について触 れ、日本との関わりを説明し興味を喚起したい。 タペストリーのp.122「東南アジアの文化」を開 かせる。最近日本でも観光で人気のカンボジアの アンコール遺跡群については、有名なアンコール= ワットが旧宗主国のフランスによって修復された こと、都城遺跡のアンコール=トムの中心寺院バ イヨン寺院の修復に日本が関わっていて、そのプ ロジェクトが現在も続行中であることを説明。バ イヨン寺院の写真はタペストリーにはないので、 自分で撮影してきた観音菩薩の回廊の写真を持参 し生徒に回覧させる。もう一つはインドネシア・ ジャワ島のジョクジャカルタにあるボロブドゥー ルの写真を見るように指示。この遺跡は丘の上に 土を盛り、それに安山岩のブロックを積みあげた 建造物で、相当傷んでいたが、これも修復と遺跡
公園の造園に日本の援助が大きな役割を果たした ことを語る。
2.東南アジア世界の形成(先史から1〜3世紀 の東南アジア初期国家)
「東南アジアの風土と人々」あるいは「東南アジ アの風土と社会」のところでまずおさえさせたい のは、地理的な大陸部と諸島部(島嶼部)の特徴 である。タペストリー p.120の地形図を開かせる。
大陸部ではモンスーンの影響下でおもに大河の デルタ地帯で稲作を中心に発展、諸島部は熱帯雨 林気候で海・河川が交通路となり港市が発達、赤 道直下でも高原・山間部ならば水田耕作も可能で ジャワ島・ルソン島などは平地が広がり乾季もあ ることから大規模な稲作社会が早期に発達したこ とはおさえておく。ただ、『新編 高等世界史B 新訂版』にあるように、東南アジアには前1000年 「タペストリー 四訂版」p.122
バイヨン寺院の観音菩薩の回廊
− 10 − − 11 − 頃より前に稲作は伝わったが、それに適する土地
は限られたこと、メコン川などの3大デルタ地帯 は雨季には全面水没、乾季には海水が逆流し淡水 が得られず、農耕は困難を極め、なおかつ湿地帯 で疫病も発生しやすかったため、実は全面的に開 発されたのはかなり遅い(19世紀後半)ことも説 明しておきたい。
民族構成については、従来、語族の詳細な説明 まで行ってきたが、地形が複雑、移動が盛んであ り、民族集団のまとまりが時代を追って変化した ため民族の種類が極めて多く、国家・地域を考え る場合、民族の違いというものが大きな意味を成 さないケースも多々あることから簡略な説明に留 めたい。マレー・ポリネシア(マラヨ=ポリネシア 系)、モン=クメール系(アフロアジア系)、タイ= カダイ系、チベット=ビルマ系、ミャオ=ヤオ系な どの民族の名称は「一応」あげるぐらいとする。 先史から初期国家の形成期について。前2000年 紀〜前1000年紀にかけて東南アジア各地に金属器 文化が出現したこと、その一つが銅鼓で知られる ドンソン文化である。中国の青銅器文化の影響下 にある北部ベトナムでの文化というイメージが強 いが、実際には銅鼓の分布はインドシナ半島から スマトラ島・ジャワ島など諸島部にも広がったこ とことにもふれたい。紀元前後には「海の道」に
よる東西を結ぶ交易が始まると、東南アジアはそ の中継地となると同時に特産物の輸出をするよう になった。その交易を通じた外部文明(インド・ 中国)との接触から国家形成の動きが始まったこ とをタペストリー p.11を参照させて説明する。 同時に交易ルート沿いの沿岸部に港市国家が成 立し、扶南や林邑などが港市国家群の盟主として 繁栄したことも説明。東南アジアでは交易を基盤 とした緩やかで流動的な国家が多数並び立つとい う状況がしばらく続くことなど、東南アジアの独 特な国家形成についても言及したい。そして「国 家」といえば現代の領土を持った国民国家のイメ ージを持ってしまうが、それはずっと新しい概念 であって、近代以前の世界では国境も民族につい てもより曖昧であったり緩やかな形態がほとんど であったことの説明もしておく。
3.東南アジア諸国の興亡
—東南アジアの「インド化」と独自文化の形成
4〜5世紀に始まる東南アジアの「インド化」に ついてはタペストリー p.13の地図を用いて説明す る。ここでは「インド化」されつつも、東南アジ ア地域としての独自性を持ったことに注目させた い。具体的にはインドや中国という文明圏の周辺 としてその影響下にあるだけではない、というこ
− 10 − − 11 − とだ。インドの古典文明については既習であるこ とを確認のうえ、インドの成熟したグプタ朝期の 文化であるヒンドゥー教・仏教・サンスクリット 語が取り入れられたことを理解させる。
タペストリー p.14〜17の「7世紀ころの世界」 および「8〜9世紀ころの世界」では、マラッカ 海峡をぬける交易ルート海域を支配した諸島部の スマトラ島南部の港市国家連合のシュリーヴィジ ャヤ、ジャワ島のシャイレーンドラ朝の発展を説 明。これらの国家では、インド化が進展し大乗仏 教が栄えたこと、やがてジャワ中部では大仏教遺 跡・ボロブドゥールができたことを説明する。そ してタペストリー p.17の地図上で、ジャワ島のシ ャイレーンドラ朝がインドシナ半島東部へ進出し、 チャンパーや北部ベトナムのインド化を進展させ たことを確認する。
ここで注目させたいのは、この頃伝わった仏教 がおもに「大乗仏教」であることだ。「南伝仏教」 のことばから、あるいは現代のタイやミャンマー (ビルマ)の仏教信仰から、東南アジアに伝わっ た仏教は上座仏教のみである、という先入観を入 れないようにしたい。
タペストリー p.19・21・23の「9〜10世紀ころ の世界」および「11世紀ころの世界」「12世紀ころ の世界」の地図を使い、ますます海上交易が発達
し、主要ルート上のチャンパー(インド化した林 邑の後身)やシュリーヴィジャヤ(三仏斉)など の繁栄を伝える。その一方で、農業を主体として 国力を高め、沿岸沿いや内陸ルートの交易を支配 する王朝の出現を語る。ここでは東南アジア史上 で本格的に領土を持った強大な国家が出現し、中 国文明やインド文化を消化し「独自の民族文化」を 持った国家となったことを強調したい。北ベトナ ムの李朝〜陳朝〜黎朝の大越国、アンコール朝の カンボジア(真臘)、ビルマのパガン朝といった 王朝である。このあたりはタペストリー p.21・23 の地図を使えば、歴史の流れ・概要がとてもわか りやすく説明できる。
そして12〜13世紀には、強大な王権を誇示すべ くアンコール朝の王がヒンドゥーの神々をまとい、 その富と権力の象徴であり王を祀る施設としての アンコール=ワット、都城としてのアンコール=ト ムをはじめとする建造物群を建てたこと、大陸部 の交易ネットワークのほとんどを抑え繁栄したこ とを話せばこの時代の大陸部の歴史がよくわかる。
【参考文献】
『歴史世界としての東南アジア』(桃木至朗著
世界史リブレット12 山川出版社 1996年) 『世界の歴史』13東南アジアの伝統と発展
(石澤良昭・生田滋著 中央公論社 1998年)
「タペストリー 四訂版」p.17