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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2006年 1月号

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Academic year: 2018

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− 8 − − 9 −

は じ め に

生徒にとっては、「現代史はわかりにくい」「現

代史は何をやればよいのかわからない」…。教員 仲間でよく聞く話である。3年前、北海道内有数 の進学校から本校に異動になった。本校には大学

進学に世界史を使う生徒は一人もいない。それど ころか、そもそも受験で進学する生徒がゼロの学

校である。中学時代、授業で余されてきた経験を もつ生徒たちばかりであった。彼らに世界史、と くに現代史を語ろうとするとき、何より大切にし

ようと考えたのは、「顔が見えること=手触り感」 である。筆者も顧問を務めている「国際協力クラ

ブ」1では、パレスチナ・ガザ地区ラファに常駐し

て、現地の青年たちに精神的なケアを行うNGO との協力体制を進め、資金援助活動で集めたお金

を活動資金や物資支援にあてるという活動を行っ ている。昨年春には、現地スタッフが本校を訪問 され、生徒たちとの交流が行われた(後述)。こ

うした活動の積み重ねが、中学時代、就学意欲が 低く、社会科を「暗記科目・苦手科目」として考

えてきた意識を変え、世界中の地上で起きている 様々な問題に対して彼らなりの意識を持ち、それ が活動にフィードバックされ、さらにそれが毎日

の授業への参加意欲を生んでいる。以下、本校で 使用している帝国書院『明解世界史A』と、「タ

ペストリー」を活用したパレスチナ史に関わる授

業実践について述べてみたい。

パレスチナ問題を取り上げる

20世紀半ば以降、第二次世界大戦∼21世紀の今 日に至る現代史のなかで、最も複雑で、なおかつ

国際社会において解決が求められ、そしてますま す混迷化している問題の一つにパレスチナ問題が

あげられることは、世界史の教師であれば異存の

ないところであろう。しかし、教科書においては、 記述の性格上、第二次世界大戦前、戦中のユダヤ

人虐殺、イスラエル建国、中東戦争、暫定自治の 問題がそれぞれバラバラに別々のページで記載さ れるため、本校のような生徒たちにとってはつな

がりが全く理解できないものになっている。そこ で、テーマ史的な扱いを行うことになるが、その

際にタペストリーのテーマ史ページが参考になる。 ただし授業ではそのまま使うことは生徒たちには 難しいことであろう。そのため、年表を教員側で

作成し、パワーポイントにかけ、それを教室で写 しながら資料と見合わせて通常の授業を行うとい う形になる。幸い北海道では、全教室にLAN回

線が二回線ずつ引かれており、スクリーンも全教 室に整備され、本校の生徒は全員「情報処理」を

科目として学習するので、パソコンの経験は一応 持っている生徒たちばかりである。

展  開

まず、タペストリー 238ページの年表からピッ

クアップしたものを写す。ただし、中学時代年号 暗記が全くできなかった生徒たちなので、記載を 確認するにとどめる(ちなみに考査はほとんど全

て論述式、年号記号問題は一問も出題しないこと を年度当初に生徒に約束する)。筆者の授業では 年間を通して映画教材を活用しており、出エジプ

トやイエスの刑死にしても、映画のイメージシー ンが入っている。この知識を出させながら現代史

への前提を確認する。たとえばペストの流行がユ ダヤ人虐殺を生んだことは、『ペスト大流行』(岩 波新書)や、中世教会史料を用いて話をする。次

に同ページ右上、“テーマ”の「ユダヤ人とは?」 のコラムを参考に、「母親がユダヤ人」という定

現代史の実践から−パレスチナ問題を取り上げる−

北海道当別高等学校 吉 嶺 茂 樹

タペストリ ーを使った授業案

(2)

− 10 − − 11 −

義が、実は定義を成していないことを確認する。

その母親はなぜユダヤ人か? その母親は?…と たどっていけば、「歴史の彼方」へ消えてしまうこ と、それゆえ、現在のところでは、『ユダヤ教徒

もしくは改宗したもの』という定義しか成り立ち 得ないこと、したがって記載にある「民族」という きわめてあいまいな定義が通っていることを確認

しておく2

この点をふまえたうえで、今度は同ページ右下 の“テーマ”から、ユダヤ人と映画産業の関係を

考えていく。⑩のスピルバーグの「シンドラーの

リスト」は見た生徒もいるが、授業の中で、「映画

の内容が全くわからない」という声が出た。そこで、 内容がわかるためには、ユダヤ人の問題を考える

必要があることを合わせて話した。③の杉原千畝

氏のビザ発給は、つい先月TVドラマとなり、視 聴した生徒も多かった。生徒の「先生、何で反町

隆史はあんなとこに行ったのさ?」という女子生 徒の質問が授業のスタートになった。番組HP (http://www.ytv.co.jp/rokusen/index2.html) を

スクリーンで投射して、解説しながら基本的な説 明を行ったクラスもあった。アンネ=フランクの

話は小学校時代聞いたことがある、という生徒も 多いので理解しやすい。

第二次世界大戦後になぜイスラエル建国がパレ スチナで行われたか。「そもそもユダヤ(民族名) パレスチナ(地域名)イスラエル(自称)が同じ

地域に居住する、宗教が異なる人々の別々の呼称 にすぎない、ということを理解していないとこの 問題がわからない」、ということが筆者には改め

て、先述のラファ在住で一時帰国した寺畑由美氏 と私の自宅で、あるいは本校で語り合う中で、よ くわかってきた。そういう意味で、私にとっても

「本の中、頭の中」の理解ではなく、「顔の見える 形」での理解が必要だったのである。

 「映像の世紀」(NHK)に登場する、イスラエ ル建国の模様は、中東戦争のそもそもの原因をよ く伝えている。600万の同朋を殺され、ヨーロッ

パに居られない、あるいは共にヨーロッパに住む ことを拒まれたユダヤ人たちが、「約束の地」と

してパレスチナをめざす姿、そして建国から第1

次中東戦争へと動いていく様子は、哀愁を帯びた イスラエル国歌のメロディーとともに生徒の記憶

に残っていく。⑥の「イスラエル建国」の写真、

声明を朗読するベニ=グリオンの動画も登場する。 資料で確認しながら、映像を見る。イスラエル建 国にいたる前提として、以上のような第二次世界

大戦前後の状況を話したうえで、現在のパレスチ ナの実態に迫っていかないと、生徒のレベルでは

単純に「どっちが良いか悪いか」の話になってい ってしまうからである。

第2次∼第4次中東戦争までの領土の動きに関

しても、世界史A教科書の記載地図では、4つの 地図が一枚に重なっているためわかりにくい。こ

のため、タペストリー 239ページの4枚の地図を

併用する。③の「パレスチナ分割案」では、エル

サレムが国際管理になっていたことを注記させる。

④では、ガザ地区がエジプト管理下におかれてい

たこと、および、ヨルダン川が、対岸に容易にわ たれる小河川にすぎないことを確認する。⑤では、

イスラエルが領土を3倍に増やしたこと、第4次 中東戦争では、イスラエル側が多くの犠牲を払い

ながらその領土を死守したことを確認する。この 点が、「もはや血であがなった土地をパレスチナ 側に引き渡す必要はない」という、いわゆる「ユダ

ヤ人入植地」の発想につながっていったことを確 認し付記させておく。⑥の暫定政府による自治区

案と、ガザ地区の動き、そして入植地の返還が次に 述べる寺畑さんの活動の舞台だからである。

パレスチナ・ガザ地区ラファからの便り

本校の国際協力クラブでは、山形市在住の医師・ テ ル ア ヴ ィ ヴ

レバ ノ ン

ア カ バ

ヨ ル ダ ン シ リ ア

エ ジ プ ト

ガ ザ イ ェ ル サ レ ム イ ェ リ コ

ヨ ル ダ ン 川

死 海

海 中 地

0 50km

英 委 任 統 治 領 の パ レ ス チ ナ 境 界 線

ユ ダ ヤ 人 国 家 ア ラ ブ 人 国 家 イ ェ ル サ レ ム は 国 連 管 理 下

西 半 分 − イ ス ラ エ ル 東 半 分 − ヨ ル ダ ン

テ ル ア ヴ ィ ヴ

レバ ノ ン

ア カ バ

ヨ ル ダ ン シ リ ア

エ ジ プ ト

ガ ザ

イ ェ ル サ レ ム イ ェ リ コ

ヨ ル ダ ン 川

死 海

海 中 地

イ ス ラ エ ル 国 家

0 50km

ガ ザ 地 区 ( エ ジ プ ト の 管 理 )

ヨ ル ダ ン 川 西 岸 地 区 ( ヨ ル ダ ン 併 合 )

ス エ ズ

ア ル ク セ イ マ イ ス ラ エ ル

ギ デ ィ 峠 ミ ト ラ 峠 ス ズ 運 河

サ ウ ジ ア ラ ビ ア

ポ ー ト サ イ ド ガ ザ 地区

ヨ ル ダ ン 川西岸地区 ゴ ラ ン 高原

シ ナ イ 半島

(       ) 1982年, エ ジ プ ト に 返還

テ ル ア ヴ ィ ヴ

レバ ノ ン

ア カ バ

ヨ ル ダ ン シ リ ア

エ ジ プ ト

ガ ザ イ ェ ル サ レ ム イ ェ リ コ

ヨ ル ダ ン 川 死 海

地 中 海

0 100km

イ ス ラ エ ル の 占領地 イ ス ラ エ ル に よ る レ バ ノ ン 南部 の 「 安全保障地帯 」 (1982年以降)

イ ス ラ エ ル軍 の 侵攻 ル ー ト (1967年)

ガ ザ ヘ ー フ ァ

ア ン マ ン

ア ル ク セ イ マ テ ル ア ヴ ィ ヴ

イ ェ リ コ イ ェ ル サ レ ム

レバノン

イスラエル

ア カ バ

ヨ ル ダ ン シ リ ア

エ ジ プ ト ガ ザ地区 ヨ ル ダ ン 川 西岸地区

ゴ ラ ン 高原

ヘ ブ ロ ン ベ ツ レ ヘ ム ラ ラ

ナ ブ ル ス ジ ェ ニ ン ト ル カ レ ム カ ル キ リ ヤ

ヨ ル ダ ン 川

0 50km

地 中 海

1994.5 先行 自 治 1994.5 先行 自 治

イ ス ラ エ ル 占 領 地

パ レ ス チ ナ 暫 定 自 治 区

③パレスチナ分割案 ④第 1次中東戦争 ⑤第 3次中東戦争 ⑥パ レ ス チ ナ暫 定 自治 ざんて い じ ち

(3)

− 10 − − 11 −

桑山紀彦さんの体験型プログラム「地球のステー

ジ」との協力関係を持ってきた3。桑山医師が代表

を務めるNPO法人「フロントライン」では、2003 年5月からパレスチナ・ガザ地区ラファに現地事

務所を設け、イスラエルからの攻撃によって心を 病んだ青年たち(日本の中学∼高校生にあたる世 代)の心のケア活動を行っている。この現地リー

ダーとして、ラファ地区唯一の日本人・寺畑由美

さんがいる4。当別高校は桑山氏の活動を北海道で

最初に紹介し、昨年・今年と授業の一環として「地 球のステージ」を企画している。また本校は家政 科を併置して

いるので調理 室の機材がそ

ろっており、 この施設を生 かしてクラブ

員で放課後ケ ーキを焼き、 それを売店で生徒が販売し、その益金を「フロン

トライン」に募金してきた(上写真)。

2004年5月、パスポート切り替えのため一時帰

国し、その間全国で報告会を開催した寺畑氏は、 当別高校への感謝の気持ちを表すため、その最初 の報告会を当別町からスタートしてくれた。翌日

には高校の授業へも参加してくれ、生徒たちは生 の声と映像写真、そしてモノを通してパレスチナ

の「今」を知ることができた。パレスチナの青年 たちが描く、戦車やロケット弾の絵(下写真)、 死が日常的に目の前にある中で、それでも毎日続

く変わらない 日々の生活の 姿。つかの間

の遠足、いく つもの関門所

を通り抜けた 先にある、生 まれて初めて

見る海。そして宗教上水着にはなれないものの、 初めて海を見た女子生徒の表情…。寺畑氏の活動

はある意味で「命がけ」の活動なのであるが、そ

れを優しい語り口と爽やかな笑顔で語りかけてく れた彼女の講演は、生徒たちの気持ちの中に、「顔 の見える形」での「パレスチナ問題」の「今」を

考えさせてくれたのである。パレスチナ・イスラ エル双方の若者が戦争を止めるため語り合える場 はないのだろうか?…その後の「パレスチナ支援

パンプキンケーキ」作りの間、調理室の生徒たち の間でそれが話題に上ったのはいうまでもない。

そしてその活動は今日も続いている。

お わ り に

現代史の問題は、「何をもって歴史とするか」 という哲学的な問題とも関わり難しい問題を含ん

でいることは確かである。価値判断も難しい。「歴

史的な評価が下されていないこと」を扱うことに 対する問題もあるだろう。しかし、高校生がこれ

から出て行く社会の「今の姿」を知ること、そし て共感していくことは、ある意味では歴史教育の 一番大切な要素の一つではないだろうか。本校・

国際協力クラブの活動とリンクしながら、アフガ ニスタン・アフリカ・パキスタン・南米と様々な

現代史の取り組みを続けていく中で、確実に生徒 が変わり、考え始めていくことを実感している。 「進学指導はできない」、しかし逆に「進度を気に

せずテーマ史やコラムをじっくり取り扱える学 校」だからこそ可能な世界史の授業が確かにある

と思う。大学に進まない高校生大部分にとっては、 高校が学校最後の「歴史を教わる場」である。教 師の責任は重いと思う。

1 国際協力クラブの活動については、帝国書院『地理・ 地図資料 2005年8月号』に顧問の田辺孝規先生が執筆 された「私たち北海道当別高等学校国際協力クラブです!」 を併読していただきたい。

2 本稿では詳述しないが、この点は、アイヌ民族の問題 を抱える北海道で歴史教育に当たる際、教師側が十分に確 認しておかなければならない問題だからである。 3 桑山氏は医師としての活動の傍ら、中学・高校を中心 に全国で1000回以上のステージ活動を行い、紛争地にあ る世界中の子どもたちの姿を全国の学校で伝え続けている。 その様子は最近朝日新聞にも掲載された。(朝日・2005年 10月10日付「ひと」欄)。

参照

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