隠 岐
さ や
香
広 島
大 学
総 合
科 学
研 究
科
准 教
授
過 去
の 光
が 照
ら す
現 在
、 そ
し て
未 来
Sayaka Oki
●1975 年東京都生ま れ。東京大学教養学部 卒業。東京大学大学院 総合文化研究科を経て 10 年、広島大学総合科 学研究科へ。専門は科 学技術史。
学術 への 興味 のめ ばえ 大学 受験 の時
、文 系、 理系 の進 路 選択 でな やん だ。 私自 身は 両方 の 分野 に興 味が あっ たか らだ
。結 局、 成績 は国 語や 英語 の方 がよ かっ た ので 文系 を選 ぶこ とに なっ たが
、 この 時の 体験 から
、﹁ どう して 文 系、 理系 なん て区 別が ある んだ ろ う﹂
﹁ど うし て科 学・ 技術 は社 会の 中で こん なに も重 視さ れて いる ん だろ う﹂ とい う疑 問が 生ま れた
。 歴史 は﹁ どう して
?﹂ と問 う ため のも の 大学 に入 って から
、﹁ 文系
﹂と 呼ば れる 人文 社会 科学 の学 問に 本格 的 に触 れ、 特に 歴史 の面 白さ に目 覚 めた
。一 番の 発見 は、 歴史 が、 社 会の 中で
﹁あ たり まえ
﹂や
﹁常 識﹂ とさ れて いる こと 全て に対 し﹁ で も、 どう して
?﹂
﹁い つか らそ うだ った の?
﹂と 考え るこ とを 可能 に する 分野 だと いう こと だっ た。 た とえ ば、 どう して 学校 に行 かな け れば なら ない のか
、ど うし てハ リ ウッ ドの 映画 や日 本の アニ メで は 科学 者が よく 活躍 する のか
、ど う して 理系 には 女子 が少 ない のか 等々
、日 常に ある 小さ な疑 問に は 全て
、ひ とつ ひと つそ の背 景と な る歴 史が ある のだ
。だ から
﹁文 系﹂
﹁理 系﹂ とい う区 別が どう して あ るの かを 考え るた めに も、 歴史 は 不可 欠だ と感 じた
。そ こで 科学 技
今は画家として知られるレオナルド・ダヴィンチだが、自然科学と技術に強い関心を持ち、いつか人間は空を飛べると信じていた。
[画像:レオナルド・ダヴィンチによる「鳥の飛翔に関する手稿」(16 世紀初頭)。人工の翼を設計しようとしている。]
術史 とい う分 野を 専攻 する こと に した のだ った
。 科学 技術 史と は? 科学 技術 史と ひと こと でい って も、 実は とて もい ろい ろな 内容 の 研究 があ る。 時代 も紀 元前 から 現 代ま で、 地域 もア ジア から アメ リ カ、 ヨー ロッ パま で様 々な 場所 が 対象 とな る。 研究 者は その 中か ら 自分 がも っと も関 心を 持て るテ ー マを 選び
、今 まで 知ら れて いな か った 新し い事 実や 解釈 を付 け加 え るこ とを 目指 す。 どの テー マを 選ぶ かに よっ て、 一 緒に 学ぶ べき 知識 やス キル も違 っ てく る。 たと えば 江戸 時代 の数 学 につ いて 研究 する 人は 江戸 時代 の 日本 語が 読め なけ れば なら ない し、 原子 爆弾 開発 の歴 史を 研究 す る人 は英 語や 核物 理学 に加 えて
、 当時 の政 治や 外交 につ いて も知 ら なけ れば なら ない
。 そし て何 がわ かっ たの か? 科学 技術 史を 学ん で最 初に わか っ たの は、 古代 には 文系 と理 系の 区 別は なか った とい うこ とだ った
。 十六 世紀 あた りで もま だは っき り せず
、今 では
﹁芸 術家
﹂と して 知 られ てい るレ オナ ルド
・ダ ヴィ ン チで も、 数学 の問 題を 考え たり
、 飛行 機械 を発 明し よう とし たり し てい る。 それ が時 代が 進む につ れ
て、
﹁人 文社 会科 学﹂
︵文 系︶ や﹁ 自 然科 学﹂
︵理 系︶ に枝 分か れし てい った のだ
。 一通 り学 んだ あと で、 私は 18 世 紀の フラ ンス とい う時 代を 自分 の 研究 対象 に選 んだ
。﹁ 科学 者﹂ と呼 ばれ る職 業が いつ から でき たの か を知 りた いと 思っ たか らだ
。 過去 から 未来 へ 過去 をふ りか えっ て、 見え てく る のは 昔の こと だけ では ない
。む し ろ、 未来 への 指針 を過 去に 見つ け るこ とも ある
。た とえ ば最 近、 今 まで の私 たち の文 明の あり かた を 見直 すこ とが 必要 だと いう 話が よ くな され る。 しか し、 歴史 を調 べ ると
、実 はそ うい う議 論は くり か えし なさ れて きた こと がわ かる
。 たと えば 二〇 世紀 初頭 の日 本に は 既に
、公 害問 題や 環境 保全 に取 り 組み
、行 きす ぎた 工業 化社 会に 警 鐘を 鳴ら す人 々が いた
。水 俣病 が 問題 にな る半 世紀 以上 前の こと で ある
。最 近だ と、 原発 の安 全性 に つい ての 関心 が高 まっ てい るが
、 これ も過 去に 多く の議 論が あっ た。 今は まさ にそ の見 直し の時 期 であ る。 実際 の所
、具 体的 な事 物に 関す る 知識 が増 えた り、 生活 の中 で使 用 でき るエ ネル ギー が飛 躍的 に増 大 した りと いう こと があ る一 方、 人 間と して の私 たち は昔 から 今ま で、 実は 同程 度に 賢明 で、 かつ 愚 かで もあ る。 ただ 何故 か我 々は そ のこ とを 忘れ がち で、 忘れ すぎ た とき に問 題も 起き やす いよ うだ
。 愚か さを こじ らせ ない ため には
、 過去 を忘 れな いよ うに する こと が 一番 の得 策だ ろう
。そ のた めに
、 歴史 の研 究は 存在 する
。
1666 年にフランスのパリで創立された、自然科学のためのアカデミーを記念する絵画(H. Testelin 作、ヴェルサイユ宮殿所蔵、フランス)。同アカデミーは筆者の研究 対象でもある。
左)筆者も通ったフランス国立図書館(パリ)。現代建築の中に遠い過去の書物が眠っている。 右)アメリカで行われた人類初の核実験(1945 年 7 月 16 日)。 核の問題は、自然科学と社会の関 わりを考える上で、忘れることが できないテーマの一つである。 国王ルイ一四世(中央手前右手)の傍らに黒服の宰相コルベー ルがおり、科学者達(左側)を王に引き合わせている。 王の保護を受けることで彼らは自然科学の研究に専念するこ とができるようになった。