− − − − 世界史学習の根っこにあるもの?
「グローバル化が進む現代世界では、さまざま な地域の文化を理解することが求められている」 (「明解新世界史A 新訂版」)という指摘は重要で
ある。確かに世界史は異文化理解の宝庫であり、 世界史の学習はそうした宝物を一つひとつ発見す る時間の旅でもある。
人類は世界各地で環境変化に呼応しつつ固有の 価値を見出していき、多様な結びつきを受け入れ ていった。生徒がそうした文化的な結びつきを発 見し、その多様性に共感しつつ、多角的な見方や 考え方を身につけることに誰も反対はしないであ ろう。それゆえ文化的接触による摩擦や対立を強 調するよりも、さまざまな文化の接触・交流から 豊かに生きる共生社会を学ぶ世界史学習へと生徒 を導いていくことが必要である。
本誌(2007.10)にも指摘されているとおり、中 学校社会科では世界地理や世界史の学習に十分な 時間がかけられず、内容も浅薄なものになりがち である。世界史が必修化した高校でも先般の「世 界史未履修」事件で露呈したように、世界史学習 を生徒も教師も避ける現実があった。こうした事 態について歴史地理教育を担う一人ひとりがおお いに反省すべきであり、世界史教育は21世紀の多 文化世界を生きていく生徒の礎となるべきである。
異文化理解と多文化世界
ヨーロッパ人による大航海時代以降、西欧世界 は世界の一体化という傾向を強め、その結果、非 西欧世界は西欧世界の植民地(=西欧的価値観の 及ぶ世界)へと変質させられていった。
さらに19世紀以降は近代化という名のもとに西 欧流の近代システム(政治・経済・文化システム) へと変容していった。20世紀後半から現在にかけ
てもそれらシステムは変わらず、ますます地球規 模での世界の一体化、いわゆるグローバル化が進 展したのである。
しかし、こうしたグローバル化への反発は強い。 すなわち現にあるアメリカ合衆国という国家の文 化・考え方への画一化(文明化)ととらえ、グロ ーバル化の動きが違った価値の世界に生きる人々 を押し殺そうとするように感じ、抵抗する動き(反 グローバリズム)もある。こうした反発の一例と して2001年の「9・11」同時多発テロという衝撃 的事件があったともいえる。
抗しがたいくらいのグローバル化という大きな 流れがある状況で、現代世界にはさまざまな地域、 民族、文化があって、それぞれの価値を持って生 活している、あるいは生きているのだという、多 様性を認め合い、個人を守る世界=多文化世界の 構築をめざす考え方がある。
授業展開
異文化理解・共生に関してはそれぞれの時代の 学習単元の中で扱えるものであり、あえてこれを テーマに授業を展開することはしない。この論文 では、異文化理解・共生についてどのような観点 で授業を展開したらよいかの私見を述べたいと思 う。誌面の関係で、大航海時代以降を取り扱うこ とにする。また、宗教は文化の形成には重要な要 素であるが、あえて論究していないことをご寛恕 いただきたい。
物の出会いと新たな生活文化の形成
大航海時代のヨーロッパ人によるアメリカ大陸 征服の結果、先住民は富を収奪され、文化を破壊 された。生徒はこうした強者による文明破壊には 敏感である。授業ではラス=カサスの『インディ アスの破壊についての簡潔な報告』を引用し、文 明への無理解な行為への告発を紹介しながら、世
世界史A 再考 指導計画立案のコツ
異文化理解・共生を基軸とした世界史授業
− − − − 界の一体化の一面を語るようにしている。
次に「コロンブスの交換」の説明をする。ヨー ロッパ人がアメリカ大陸にもたらしたキリスト教 や疫病と交換に、ヨーロッパに伝えられたとうも ろこしやじゃがいも・トマトなど生徒にもなじみ がある食材が、アメリカ大陸原産であることを確 認させる。それら食べ物がヨーロッパの人々を飢 餓から救ったことを説明するのである。
またヨーロッパ人の持ちこんだインフルエンザ で多くの先住民が死亡したこと、風土病の一つで あった梅毒がヨーロッパに持ちこまれ、瞬く間に 世界に広まって日本にも伝わったことなども説明 する。グローバル化した現在なら、なおさら感染 性の高いウィルスが大流行する可能性があること も付言している。
アンデス山脈の冷涼なところが起源のじゃがい もは生育期間が短く、寒さに強い作物である。し かし、じゃがいもがすぐに有用な食べ物としてヨ ーロッパで栽培されたのではない。ヨーロッパ各 地に表のようなエピソードが伝わっている。
イングランド 芋という概念がなく、 葉や茎が 食材で、中毒を引き起こした。
アイルランド 外見の不格好さから食されず。 イングランドのアイルランド征 服後、 じゃがいもが貧困なアイ ルランド人の食べ物となった。 1840年代にじゃがいもの伝染病 が広がって飢饉が深刻、 アイル ランド人のアメリカへの移民が 急増した。
フランス 一般に「悪魔の作物」 と考えら れ、 ヴェルサイユ宮殿の庭園で は花として鑑賞された。
ドイツ 冷涼な気候のプロイセンで、 フ リードリヒ2世自らじゃがいも を食べ続け、 人々にじゃがいも 栽培を奨励した。
次の事項は授業で確認しておきたい。
○ 地理的理解→じゃがいもは冷涼な気候を好む作 物。痩せ地でも育つ作物。ヨーロッパでの作付
けが可能。
○ じゃがいもへのイメージ→地中にできる悪魔の 作物。不格好で毒がある。鑑賞用植物(花)。 ○ 貧乏人の食べ物→貧しいアイルランド人は小麦
の代わりにじゃがいもで人口を増やした。 ○ 皇帝による栽培奨励→その結果じゃがいもがド
イツ料理に定着し、食文化を豊かにした。 食べ物の出会いを通して生徒の「食」への関心 を高めることにもなり、生活・文化を理解するこ とへも発展していくであろう。日本史の授業でも、 じゃがいものかわりにさつまいもを話題にして生 活・文化への関わりを述べている。
トマトやとうがらしなど作物に関わる栽培や料 理法について生徒に調べさせてみよう。さまざま な発見が生徒から報告されるであろう。
人との出会い
貧困にあえぐ人々、抑圧に苦しむ人々などさま ざまな人々が求めた「新天地」、いかに困難な船 旅であってもたどり着きたい新世界がアメリカで あった。北アメリカへの移民は、通常4つの時期 に歴史区分される。
入植・植民地時代 (17〜18世紀)
イギリス・北アイルランド・オ ランダなどヨーロッパ人 1790年のアメリカ人口 白人 イギリス人60%
アイルランド人7.8% ドイツ人7%
オランダ人2.6% 黒人 20%
旧移民 (〜1880年)
ドイツ・スカンディナヴィア・ 南アイルランド(西・北欧方面) 1870年の民族構成
ドイツ移民30%(294万人) アイルランド移民28%(276万人) イギリス移民19%(188万人)
新移民
(1880年〜第二 次世界大戦)
イタリア・ユダヤ・スラヴ(東・ 南欧)
− − − − 新新移民
(〜現在)
アジア・ラテンアメリカ 難民
アイルランドの「じゃがいも飢饉」によって多 くのアイルランドの人々がアメリカをめざしたこ とはよく知られたことである。アイルランドから のアメリカへの移民を、異文化理解を踏まえて考 えてみる。
① じゃがいも飢饉前後─アイルランド農民はなぜ 貧しかったのか。
・イギリス人地主の支配下での小作農の地位。 ・農耕から牧畜への変化で失業。
・ 1840年代のじゃがいも飢饉の結果、飢餓・病 気で100万人が死亡。
→ アイルランド農民の貧困化が人口の流出、 移民への圧力となった。
②アメリカでの生活─どのような職業についたの か。
・ 低賃金の雇用(非熟練労働、炭坑夫、沖仲仕・ 土木作業など)
・ 都市のスラム街に移り住む(アルコール中毒、 喧嘩、犯罪の都市に生きる)
③激しい差別─どのような差別を受けたのか。 ・ アイルランド人への白人からの差別(イギリ
ス系WASP)
→ 貧しい生活・異様な風習。イギリスでの非 征服民としての偏見。カトリック教徒であ ることへの嫌悪。
④ アイルランド人移民の民族的自覚の高まりはあ るのか。
・ カトリック教の教会・教区での組織化。多彩 な伝統的祝祭の開催、母国語の新聞。自警団・ 消防団など社会組織の結成。
・南北戦争で民兵を組織化し、戦争に協力。 → 彼らはアメリカの「まだ白人ではなかった」
が、徐々にマイノリティ白人として勢力を 拡大していった。
こうした民族的自覚による社会的上昇に反し て、同じように差別に苦しむ黒人に対しては、 労働現場での競合もあって、黒人への敵意を増
し、黒人排除へと傾いていった。 ⑤アイルランド移民女性の立場
アイルランドからの移民の半分は女性であり、 とりわけ若い独身女性が多かった。飢饉の時代、 手工業の衰退で仕事を失ったアイルランドの女 性はアメリカに移民し、アメリカの上・中流階 級の家庭の家事手伝いとして働いた。家事手伝 いという仕事は住居と食事つきであり、アメリ カ人の礼儀作法も身につけることができたので、 アメリカ社会への適応が可能となった。
彼女たちが働いて得た賃金はアイルランドの 故郷へと送られ、やがて家族を呼び寄せること になり、さらなる移民の増加を引き起こした。 ⑥アイルランド人の成功
・英語が話せること。
・ アメリカ市民になるにつれ政治的・経済的に 成功を収める人々の台頭。
民主党や労働組合への進出により1920年代に アイルランド系アメリカ人は経済的成功をおさ めた。またラジオやメディアの発達をうけてア イルランド文化の再生を促した。
・ 1960年のアメリカ大統領選挙にアイルランド 移民出身のケネディの当選。
アイルランド移民がアメリカ社会で支配層か ら認知を受けるまでに被った差別、自らが上昇 する過程で引き起こした黒人への差別、自文化 への自覚と自文化の再生など、人々の移動と出 会いにさまざまな曲折がある。こうして得られ た関係性を手がかりに社会のあり方を見つめる ことが肝要である。
留学生の登場
− 10 − その一方で日本の国粋文化を再評価していく動 きもおこった。岡倉天心のように日本文化を紹介 し、インドの文学者でアジア最初のノーベル賞に 輝いたタゴールと交際した人物も現れる。 ②日本への中国人留学生
日清戦争後の1896年、13名の清朝政府派遣の中 国人留学生が日本に留学し、中国人留学生は下表 のように増加した。(『中国人日本留学史』)
年度 留学生数 年度 留学生数
1901 1902 1903 1904 1905 1906 1907 1908
280 500 1,000 1,300 8,000 8,000 7,000 4,000
1909 1910 1911 1912 1913 1914 1915 1916
4,000 不明 不明 1,400 2,000 5,000 不明 4,000
表の留学生数から読みとれることを生徒に問い かけてみよう。
・生徒は日清戦争を手がかりに戦後の中国政治の 動向を復習することになる(中国の半植民地化・
戊戌の変法・義和団事件)。
・日露戦争中の1905年に留学生が急増しているこ とから、東京で結成された中国同盟会に多くの 中国人留学生が参加していたことに気づく。 さらに生徒にはなぜ留学先に日本を選んだのだ ろうかと問いかけてみよう。生徒からは、①地理 的に近く費用が安い、文字・風俗習慣が似ている、 ②日本の近代化に学んで改革への意志と中国の危 機回避の手立てを模索する、③留学するが一部知 識人にとっては自己の進路に有利に働くなどの意 見が出てくるだろう。事実留学生は日本で幅広い 分野の勉強をし、新聞や雑誌を創刊した。また、 数多くの日本の書籍を翻訳して中国に紹介したり することで中国の近代思想の発展に貢献した。中 国人留学生にとり勉学が容易であった理由は、日 本が漢字文化圏に属し、明治時代は漢文による読 み下し文が主流で、外国の参考書・専門書が漢文 調の翻訳のため内容を理解しやすかったからであ
る。日本人が苦労して外国語から翻訳した漢字用 語を、中国人留学生は中国へと持ち帰った。それ らの用語が今でも使用されているのである。
英 語 日本語
politics economy law right civilization history
政治 経済 法律 権利 文明 歴史
* 留学生は政治、経済、軍事 などの専門分野への関心 が強かった。魯迅は医学 から文学を志すようにな った。
「明解新世界史A 新訂版」p.135より
中国人留学生は、日本を介して西欧文明を学ん だ。また魯迅のように中国の新文化運動において 白話小説『阿Q正伝』を発表し、抑圧を受け入れ る人々の心理をえぐりだした文学者も留学生なの である。
結びにかえて
日本の高校に3か月以上留学した外国人は2006 年度に約1,890人に上り、過去最多となった(日 本の高校生の外国留学は約3,900人。行き先は45 か国)。また、英語以外に外国語を学んでいる高 校は2,000校余りで、異文化交流は身近になって きている。
産業界では日本企業のグローバル展開が加速し ているが、日本の現地法人は「凧の糸が切れた状 態」に陥りがちだという。それは世界の人々と深 く意味のあるコミュニケーションができるビジネ スリーダーが育っていないからだといわれる。そ れゆえリーダーには日本の歴史や文化に通暁する とともに、世界の人々と共感できる世界観や歴史 観を持つことが重要だと中谷巌氏(経済学者、多 摩大学学長)は語っている。
企業にとっても異文化を理解し、多様性を認め 経営に生かすこと(ダイヴァーシティ・マネジメ ント)が基本といえるならば、異文化理解のうえ に共生を実現できる多文化世界が望ましい世界で あろう。