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1.絵画資料について「語られてはじめて歴史となる」といわれるが、絵 筆によってもいろいろなことが語られる。絵画資料を 読み解くことは、いまやアナール派によって歴史叙述 の大切な手法とされている。絵画にはそこに描かれて いるもの(記録)だけでなく、描き手の意図(無意識 に紡がれる心の奥の記憶)が表れる。そこから当時の 人々の心持ち(心性)をも知ることができるし、何よ り、歴史の一場面をイメージとして総合的に把握する ことができる。
2.授業をどのように構成するか −なぜ?の問い−
(1)【小単元(−アメリカ独立革命−)の目標】 大国アメリカについて、その成立史を探ることをと おして、現在のアメリカの姿について考える。 歴史をとおして、生徒に「なぜそうなるのか?」を 考えることの大切さに気づかせ、事実を再構成し自ら 歴史事象を説明することができる力を育てる。 (2)【本時の目標】
①独立戦争の経過を「植民地自治から独立への要求 へ」の流れに沿って理解させる。
②「茶法」の仕組みを理解させ、なぜ(植民地人) がこの法律に猛反対したのか考えさせる。 ③絵画資料を読み解くことで、なぜ(植民地人)が
インディアンの格好をしたのか考えさせる。 ④米独立がなぜ革命と呼ばれるのか考えさせる。 ⑤独立宣言署名者の半数近くが奴隷を所有していた
ことから、人種差別について考えさせる。 (3)【授業展開】
絵画資料を読み解くための展開方法
「ボストン茶会事件」(1773年)に描かれた当時のようす
−なぜインディアンの格好をしているのだろうか?−
佐賀県立佐賀東高等学校 堤 敏浩
■本国での生活が苦しかった人々はよりよい 生活を求めて海を渡り、新大陸に植民地を 建設した。
■イギリスの重商主義政策が緩やかだったこ とと新大陸におけるフランスの脅威があっ たので、本国の保護を必要とし、すぐには 独立しなかった。
導
入
■フレンチ=インディアン戦争後、フランス の脅威がなくなり、本国が重商主義政策を 強化すると不満が表面化した。
■印紙法、タウンゼンド諸法(茶税は残る)は 撤回されたが、1773年に茶法が制定された。
展
開
1
■東インド会社を通すと、茶の値段は市価の 半値に安くなったが、植民地人は反対し、 インディアンに扮装して、茶箱をボストン 港に投げ捨てた。
①茶の値段が安くなったのに、なぜ反対 したのか
②なぜインディアンの格好をしたのか
→シャリヴァリ?
■各地で茶会が行われ、茶を呪う歌が流行。 本国はボストン港を封鎖するなど弾圧。
→秩序は元に戻らず
■レキシントンでの武力衝突(1775年)によ り独立戦争が始まり、和解のない内戦と なったが、植民地側が勝利をおさめた。 ■独立後、1787年には、人民主権と三権分立、
連邦制をとる合衆国憲法を制定した。 ①なぜアメリカの独立は“革命”なのだ
ろうか
展
開
2
結
論 ■アメリカ独立のパラドックス→ 独立に貢献した人たちの半数が奴隷所有者だった
3.ボストン茶会事件のその他の着眼点
この事件は絵画資料の他にも、以下の点に着目する ことで、生徒の思考力を育むことができる。
(1)「ボストン茶会事件」は正しい訳なのか?
ボストン茶会事件は、実際にお茶会が開かれたわけ でもないので分かりづらい呼び名である。この事件は TheBostonTeaPartyの訳であるが、Partyには徒党 (一揆)や集団、党・政党の意味もあることから、「茶会」
ではなくボストンティーパーティー事件・ボストン茶 一揆・ボストン茶党事件などとする解釈もある。しか し「ボストン港をティー・ポットにする」というインディ アンに扮装した暴徒の叫びなどから、また優雅な茶会 とはかけ離れた事件ゆえに冗談(皮肉)で「海水で大 量の茶を入れた」「ボストン(で)茶会を開いた」とし てボストン茶会事件と呼ぶ従来の解釈も有力である。 (2)植民地側のとった行動は賞賛できるのか?
東インド会社の賠償請求に対してフランクリンは私 財をもって賠償を試みようとしているなど、この事件 は植民地人の間においても賛否が分れる
買った。東インド会社に特権を与えることは、植民 地の権利に対する本国側の勝利に他ならない。また、 タウンゼンドが発案し、いまもって残されている茶 税は、本国の軍隊や官吏の駐在に必要な経費を得る ためのもので、植民地議会の権利を無視するもので あった。この茶を飲めば関税を払ったことになると (植民地人は)考えた。
設問3 インディアンの格好をして茶箱を海に投げ込む 人々やそれに喝采をおくる人々が描かれている。
設問4 ・自らの考え(仮説)を書いてみよう。
①(目立つ格好をすることで)敵と味方を区別するため ②(インディアンの格好をすることで)インディアン
に罪をなすりつけるため
③(インディアンの格好をすることで)インディアン のもつ不思議な力を利用するため
④規範の違犯者に対し、制裁と同調の儀礼として行わ れる一種のシャリヴァリではないか
一種のシャリヴァリ(喧噪行為)ではないか。シャ リヴァリは制裁をする(辱めを与える)ことで承認 する(もう一度仲間に加える)という性格をもって いた。茶箱を海に投げ捨てるという制裁を加えるこ とで、(課税前の)もとの秩序を取り戻そうとした (願った)のではないか。
設問5 1776年月7月4日に独立宣言を発表し、13植 民地は連合してアメリカ合衆国と名乗った。開戦当 時は愛国派・中立派・国王派に分かれ足並みがそろ わなかった植民地も、1777年のサラトガの戦いで形 勢を逆転すると、1778年フランスが独立を承認して 参戦、ついでスペインも参戦し、諸国からの義勇軍 も加わった。またヨーロッパ諸国は武装中立同盟を 結んでイギリスを孤立させ、1781年ヨークタウンの 戦いで植民地は勝利をおさめた。
設問1 なぜ(植民地人は)新大陸に植民地を建設 したのだろうか?
解 答
設問2 イギリス本国が制定した茶法は東インド会 社が茶を13植民地に直売することを特許した 法律である。中間商人の搾取を排除し茶を安 く供給することができるようになり、植民地 の一般消費者には有利であったはずなのに、 なぜ(植民地人)はこの法律に猛反対したの だろうか?
解 答
設問3 この絵には何が描かれているのだろうか?
解 答
設問4 ボストン茶会事件の際、なぜ(植民地人) はインディアンの格好(扮装)をしたのだろ うか?
解 答
設問5 独立戦争はどのように展開していっただろ うか?
解 答
<別添 解答>
設問1 16世紀はリトルアイスエイジ期にあたり、 ヨーロッパの一部では本格的な小氷期の始まりで あった。17世紀はなお寒冷であって、小氷期の極で あった。この時期には、混乱を極める絶望的なヨー ロッパから逃れようとする動きもみられるように なった。実際の入植者の大部分は、本国の生活が今 日では考えられないほどに苦しかったから、それか ら脱出してよりよい生活を求めて海を渡った。新大 陸は最後の希望の土地であった。
設問2 値段(が安いの)はともかく、東インド会社 による独占の脅威というものが植民地側の反感を
《参考文献》
『岩波講座 世界歴史18 近代5』1970年 岩波書店