成26年4月27日 日 に開講した 成2 年 市民学芸員講 10ヶ月 カリキュラムを全て終了し 成27年1月18日 日 たく閉講式を迎え した
. 情報発信 ループ
教育委員会文化課 ホームペー 玉手箱 という欄 市民学芸員 活動状況や 三原市内 祭 各種石碑 狛犬等 伝統行事や史跡紹介を担当 してい す 成26年 第 号 第 号 第 号 発行済 成27
年 月に 第 号 発行を予定してい す 清川教育部長
2. 収集 ループ
三原駅~広島駅開通120年を記念して開催さ た ”山陽鉄道 た ” 展 成26年7月18日~8月10日 会期 開催さ 準備ヷ受付ヷ解説ヷ 跡片 け作業 市民学芸員 延 196人 支援し した 中 収集 ルー プ 中心的に活躍し した
又 古写真班 本郷ヷ大和ヷ久井 地域に範囲を拡 て収集中 あ 宮本常一氏 古写真班 前回 展示に続く第2弾 準備中と 報告 あ
した 橋本敬一先生
. 体験 ループ
第2回三原城下町 ォーク 生涯学習フ ステ バル 甲冑を着て見 う 等々 教育委員会文化課主催 各種 ベントに いて 準備ヷ受付ヷ現地解説等幅広く支援を したと 報告 あ した
成27年 月29日に実施さ 国史跡 新高山城跡 見学会 現地解説等 支援予定と と す
4. 養成講 三 班
三 班 順番に疠場し 一年間受講 感想や現地研修 裏話ヷ苦労話等を紹介し した 皆さ 一様に 講 に 参加出来た とへ 感謝と満足感を述 てい した
養成講座三つの班の発表 橋本先生 閉会挨拶 中 市民学芸員 2年間執筆担当した広報 最終頁 親 子 学ぶ 玉手箱 陰 現地訪問者 増えたと 労い 言葉 あ した
市民学芸員活動報告 成27(2015)年3月 第11号
隆景公
成26年 各 ループ 活動ヷ感想発表 成26年 市民学芸員講座
閉 講 式
来見田 博基氏 1. 開会挨拶 ; 教育部長
2. 講演会 城下町絵図を活用した iPhone iPad アプ によ 地域学習 講師 鳥取県立博物館 主任学芸員 来見田 博基氏
3. 各グ プによ 活動 感想発表; 情報発信Gr 収集Gr全3班 体験Gr 養成講座全3班
4. 今年 講座の振り返り ; 文化課 5. 市民学芸員養成講座の修了証書授与
6. 成27年 の実践講座予定 ; 文化課
7. 閉会挨拶 ; 三原市文化財協会会長 橋本敬一先生 終了後 別会場にて 交流会
復活! 三原だるま
右 写真 広報 成27年2月号や 新聞 地方版 掲載さ した 当時
達 張子 を ぶって東町 通 を練 歩いたそう す そして 今年 ”復活!三 原 ”として三原小学校 年生等 頑張 に って 見事60余年ぶ に復活し 下 う 記念撮影 した
復活に至 足跡を 三原観光協会 克明に記録さ ていた そ 資料 一部
を紹介させていた す 昭和20年代後半に東町 撮影さ たとさ 写真
成27年2月6日 25体 を3 班総勢75人 交替 ぶ 行進した
. 復活作業開始 っ け
昨年 月 東町 元住民 方 右ㄥ 白黒写真を一枚 三原観光協会に持 込 した 三原 し 様々 ア デ アを検討中 観光協会 行事 復活に向けてた に行動に移 した
2. 復活! 実行委員会 設立
三原 保存育成会を 三原小学校 多方面 ボランテ アや県立広島大学生等 賛同と 協力 目途 た 昨年10月 復活! 実行委員会 設立さ した
3. 張子 作成 作業会場;山脇邸 三原小学校 作業開始; 成26年11月
骨組完成見本 張子 構造説明会
張子 骨組 と 竹
㆝採した竹を割って作
親子 色塗
勢揃いした張子
面相書
張子だるま行列のコー 13時10 三原小学校出発
↓
神明市露店 間を東進
↓
神明大橋東詰 ぶ 生徒交替 両脇に交替要員 大勢 カメラマン 必死に撮影
↓ 昭和園 小㆞止
ぶ 生徒交替
↓
立町通 南端 記念集合写真 クラス 位
↓ 14時20 頃
神明市東詰 神殿前 終点 昭和園 小㆞止
ク 解答
おもしろクイ
60余年ぶ に復活さ た張子 行列 多く ボランテ アに支 え て実現し した 写真 うに全て手作業 出来ㄥ 年生
勿論 先生や保護者にとって 貴重 体験に った と し う 三原 大切 財産にしたい す
さて 三原小学校 年生 2クラス 総勢75人 す 途中ㅚ回 交替 全て 生徒 一回 ぶって練 歩くた に張子 何体作成さ た し う ? ヒント 本文にあ す
( ) 10体 ( ) 25体 ( ) 75体 骨組 作成
保護者 応援
新聞紙 貼 付け
ㄥ紙 貼 付け
行列 し 県立広島大学生
大 締 大 に 児童
願いや思い 書込 っし
イ
田野浦 青葉台団地 下を川沿に奥に進 道を左に折 谷筋 細 い道をㄥっていくと 真言宗御室派 金剛寺 あ す
毎年1月半 現在 成人 日に固定 大祭 護摩法要 そ に続く 火渡 修行 行わ す 今年 1月12日 した 護摩 と サンスクリット語 ホーマ て 焚く 焼く を意 味し 真言密教 秘法 そう す 護摩法要や火渡 修行 市内 他
寺 実施さ てい す 今回 田野浦金剛寺を訪 した
と 田野浦に 田野浦八十八ヶ所霊場巡 という あ
す 江戸時代 期に田野浦村 金剛寺と痟観寺 老僧2人 四国 石段を上った山門 八十八ヶ所を巡礼した際 各寺 砂を 印として持 帰 田野浦村
全域に大師堂を建てた と 始 といわ てい す そ 大師堂を巡礼す 習わし 今 地域 人に てい す 中世小早川所領 沼田荘時代 明 時代 田野浦村 北 沼田川 南 久和喜 龍島 広いエリア した 田野浦八十八ヶ所巡礼道 金剛寺 第四十ㅞ番目に ってい す
下 駐車場に車を止 石段をㄥ と境内に出 す そ に結界 切ってあ 護摩木を井桁に組 檜葉 覆った護摩壇
用意さ てい した 屋外 行う護摩法要を柴燈護摩 さいと う というそう す
い い 法螺貝を合図に儀式 始 午前中本堂 行わ た 護摩火 柴燈護摩 壇 以下護摩壇 に点火さ した 読経 中 激しく燃えㄥ った護摩 炎 中を修験者 一気に駆け抜け
した た 湯加持 行わ 身を清 た 参拝者や 本堂での護摩法要 駐車場 車に大釜 煮えた った湯 笹 葉 ふ け
した や て護摩壇 炎 収 と護摩木 一枚一枚火中に投込 した 炎 納 と読経 響く中 無病息災 家内 全 商売繁盛 願いを込 厄除 けを祈願し 修験者や参拝者 素足 そ ㄥを歩いて渡ってい した
護摩 火 不動明王 智 慧 火 火を渡 と 本尊と一体に 念願成 就 加護を頂 さ
不浄や災難を焼 尽し て え そう す
筆者 護摩 火 パワー を頂 清々しい気持 一年 スタートを切 と 点火された護摩壇を渡 修験者 火渡りす 修験者
した
今回 前々号 ㄥ た西野町 井屋峠
い や た
を越え西に向 う 中世 街道を訪 した 干拓 進 江戸時代寛永年間に 仏ヶ峠
ほ た
を通 新街道 整備さ て利用さ うに ったた 旧街道 整備さ と く 後世に残さ とと した
し し 古く 街道を利用す 参勤交代 大 いたそう す 頼山陽 道を利用し てい す 大 く迂回す 新道 難所 あ け 井屋峠を越え 近道といったと し う
西野 地 旧街道を西進 峻険 山道を疠 ったと に
碑 立ってい す 右端 碑 昭和 39(1964)年沼田町民 宿願を受け 大改修さ た時 記念碑 す
そ 隣 地蔵菩薩像と記念碑 昭 和2(1927)年11月 中元次郎さ 遺志を簙 妻ヨシさ 発起人と
甲原交差点 道標 ってㅚ間 掘下 事をした時
す 現在 す 喘 峠越え 鎌倉 切通し を想起し そ 甘い感傷 吹っ飛ぶほ に険しい
[井屋峠大改修記念碑] 他
す 往時 山陽街道を往来す者にとって最大 難所 あった と し う
いや た
[ 四辻の道標 ]
[東を向いた面に全方向 刻まれた道標です]険しい井屋峠を越え とす 沼田川 支流 本谷川に沿って 国道ㅚ号線に向 う市道と 交差 点に立ってい す 高さ116cm 2 cm× 7cm 道標 下部 鉄板 包 てい す
そ く交差点 角に位置し 隣に防備 た 侍 せた あ う傷 け 鉄柱を見 に 過去交通 事故に 破損してい と思わ す
大正6(1917)年10月に 地元沼田下 青年団に って立て たと 面に刻 てい す 今 四差路 道 狭い割に 交通量 多い う す 車社会に 前 昭和初期
[北]沼田下 薬師さ と呼 信仰さ ていた薬師堂に参詣す 人々や [東]三原町に向 う人々や [西]佛通寺に参詣す 人々 [南]県道に出て川船を利用す 人や 沼田 硎園社や忠海に向 う人々
旧道と 言え 街道 面目を堅持していた と し う
土地 方に伺うと 秋と と佛通寺に参詣す 人々 とアリコ 行列 う っ た そう そ 人々を目当てに梨や柿を売 店 出ていたそう す
本谷川沿い 沼田に とに寺社 多く見受け す 一番北 薬師堂 南に向 って 三原市 天然記念物 ムクノキ 大木ㅚ本を擁す ㅚ位神社を 三原市重要文化財木造多門 天立像 あ 城寺 そ 奥 金吉稲荷社(金吉さ 神社 社内に 加野神社と書 た木
あ ) 大番神社 石燈籠に 黄幡神社 文字 城穀神社 今伊勢宮と い いしさ と言わ 最近 地図に 今井石神社と 記載例あ ) 熊野神社 光正寺と一見して 三寺ㅞ社を数え す 薬師堂に 三原市重要文化財 薬師如来坐像 あ 光正寺奥院と さ ていて仁王門に 金剛 力士像 に を利 せてい す ほと 社寺 10~ 軒 氏子さ や檀家さ 護持さ てい と と 地元 方々 苦労 偲 す 何処 同 く高齢化と 薄 く宗教心 護 と 難しさを感 す
石
柱
部
拡
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いや た
ぬ た
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よし
(
稗 畠)
燈籠[ 燈 金毘羅大 現] [同左 南面] 解読困難 文字 中迫 政一著 沼田町 今昔 を 参照した
燈籠 道標 す 隣にあ す 高さ 5cm 55cm× cm 柱石に刻 た 燈籠 総高さ 5 cm近くあ う す
江戸時代 金毘羅信仰 大変盛 ったそう す 燈籠 そ 世相を背景に 弘化ㅞ才甧 春 といい す 1848年江戸 期に建立さ てい す
祈 谷中 全 と側面に刻 て 毎日旗を各戸に次々回していく当番制 燈をと し 谷 中 全を祈 昭和初期 続いていたそう す
因 に 長谷 語源 長い谷 沼田下本谷川沿い 長い谷と言わ てい す 地 字 稲積 す 現在 沼田ㅚㄠ目11 という無粋 表示板 あ した
燈籠 先 芸予地震 微動 にし ったそう す 道路拡張に伴って移設さ 予定と 7 年に 亘って街道を く人々を見 続けた 誉あ 場所 引退 時 来た う す
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三原駅
卍薬師堂
ㅚ位神社
井屋峠大改修記念碑
卍卍光正寺 文沼田小
熊野神社
今伊勢宮
金吉稲荷社四辻の道標
奉燈 金毘羅大権現
大番神社
城寺
本谷川
三原 イ ス
沼田川 沼田橋
新橋
山陽新幹線
西野川 大西川
西野川
文 県立大学
仏ヶ峠
定屋大橋
呉 線
天井川
今回 沼田東町 狛犬を紹介し す 神社 甥緒説明文 広島県神社誌 等に す 22.軍神社 三原市沼田東町 広宮之内
天正15 1587 年 小早川隆景 造立とさ てい す 当社 武術賢徳 神 小早川 尊崇あ て軍量を祈 し と神社誌に記さ てい す
2 .沼田神社 三原市沼田東町本市
清和天皇貞観年間 859~877年 859年 前 創建といわ す 当時 疫病 流行し貧 困に苦し 沼田 里に 武塔神 スサノオノミコト 老翁と って現 村人に沼田川 水を引 入 て田を作 う進言 あ そ 通 にす と疫病 鎮 田 豊作と した
村人 スサノオノミコトに感謝し 地に社を建立したと伝わ す
2 .小方島神社 三原市沼田東町片島
元慶年間 877~885年 前 国造景光 くに やっ 沼田八郷 総社と称し創建し たと伝わ す 片島へ 創祀に 八幡大神 使臣 杉3本を探す うにと 告 あった 景光 そ 大樹を探し求 そ たわ に社を建てたと 伝説 あ す
[鳥居脇] [鳥居脇]
[神殿前] [神殿前]
三原にあ 狛犬
単位:cm 高さ 幅 奥行 阿形 77 37 56 吽形 81 42 61 年代 寛政 9 1797 年 5月 石工 尾道 和助
石材 花崗岩 型 座り型
単位:cm 高さ 幅 奥行 阿形 85 40 70 吽形 85 40 68 年代 天明6 1786 年 2月 石工 尾道 丈助
石材 花崗岩 型 座り型
単位:cm 高さ 幅 奥行 阿形 93 35 77 吽形 93 35 77 年代 明治15 1882 年 8月 石工 糸崎 森猪兵衛
石材 花崗岩 型 構え型
単位:cm 高さ 幅 奥行 阿形 71 37 56 吽形 72 42 61 年代 嘉永 7 1854 年 8月 石工 番佳介
石材 花崗岩 型 玉乗り型
いくさ
ぬ ま た
た し ま