− 20 − 墓碑を通じて人に会う アルメニア人の足跡をたどる 旅のなかで、これまでずいぶんといろんな人に出会っ た。出会ったのはアルメニア商人だけではない。アル メニア移民の研究や調査を行っている、いわば「アル メニア商人たちの周辺の人たち」である。本号で紹介 するカップルもその一部である。
2006年10月号でマラッカのアルメニア人墓碑を知ら せてくれた旧知の研究者にふれたが、それはシンガ ポール在住のRさんであった。実は、2002年までは直 接の面識はなかった。毎年調査に訪れるペナンの郷土 史研究者Sさん夫妻から「東南アジアの移民史跡、と くに墓碑銘については、Rさんが詳しい」と教えてく れたのである。早速、Rさんに史料・史跡の所在を問 い合わせることにした。こういう時にインターネット という手段は便利がよい。しばらく返事がなかったの だが、2002年の1月にRさんから突然「マラッカの教 会に墓石あり…」という情報がメールで入った。私は シンガポールでRさん夫妻に会い、その足でマラッカ に向かった。このようにアルメニアの教会や墓碑の調 査を通じて出会った知性豊かな人々は多い(ほかにも、 東南アジアの日本人墓碑の調査を通じて出会ったユ ニークな人たちがいるが、それは別な機会に紹介した い)。
シンガポールで会う さて、Rさんなのだが。東南ア ジアの英領植民都市におけるインド系移民、とくに囚 人労働者による建築遺跡の研究が当面の関心であると
いう。それがRさんの直接の専門とどう関連するのか よくわからない。ともかく、そういう関心からアルメ ニア人の教会や墓地についての情報を持っているらし い。彼女─Rさんはコロンボ出身のシンハラ人女性で、 パートナーのAさんは、やはり同業の建築工学の専門 家─夫妻とは、会ってすぐに、アルメニアのキリスト 教の教義論から、アルメニア人とギリシア人、アルメ ニア教会とギリシア正教との関連、オーストラリアの アルメニア人コミュニティの存在など…次々と話がは ずんだ。ギリシア正教に詳しいも道理で、Aさん自身 がギリシア人なのであった。Rさんはスリランカ・コ ロンボ大学の出身で、本業は建築工学の専門家である。 MITで建築工学修士、カリフォルニア大学(バーク リー校)で工学博士を取得した才媛である。しかし、 こうした肩書きや学歴を自ら語ることはなく、知った のはずっと後、道頓堀での雑談のときである。 シンハラ人女性とギリシア人男性の夫妻と、シンガ ポール・ラッフルズホテルのカフェで、アルメニア人 研究の話題からオーストラリアの移民コミュニティの 状況、さらには東南アジアの歴史遺跡の現状…まで、 物静かで淡々と、しかもかなり深刻な人と文化の動き を語る。ゆったりとした出会いであった。
道頓堀で会う そして、3年後の2005年正月。突然オー ストラリアのメルボルンから新年の祝状が届いた。二 人はいつの間にかメルボルン大学の教員になっていた のである。それからまた1年後の2006年6月、再び突 然、メルボルンからメールがやってきて2週間ばかり 日本に滞在する、会いたいという。夫妻は、東京・仙 台・広島・神戸・京都を回り、6月21日に道頓堀のビ ジネスホテルに滞在していた。大阪道頓堀の名所「く いだおれ」に案内し、夕食を挟んで2時間、道頓堀か ら法善寺横丁、水掛不動の大阪下町カオスめぐりに2 時間、ゆっくりと小雨の中での3人の話題は、日本の 都市システムや年金制度の複雑さ、東京滞在中に彼ら が観た「うなぎ」の映画評、今村昌平論、最近の日本 における現代詩の代表作、日本の前近代の詩歌を理解 するには何を読めばよいかという質問、それから仙台・ 広島など地方都市と東京・大阪との比較都市論…。大 阪在の大阪人と、メルボルンからやってきたスリラン カ人とギリシア人のカップルとが、大阪の代表的な下 町で、日本文化や現代文化や芸能論を、畳に座って語 り合うというのも、これまたアルメニア人のおかげと いうことであろうか。
南海寄帰内聞伝
ベンガル湾のアルメニア人商人たち
その5−シンガポール・メルボルン・道頓堀での出会い
追手門学院大学教授 重松伸司