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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2008年 1月号

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Academic year: 2018

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− 24 −  上海は専門外である。だが、糸口は長崎出身の 快商、梅屋庄吉(1868〜1934)とカルカッタ出身 のアルメニア人金融王サー・カチック=ポール=チ ャター卿(1846〜1926)にあった。両者が20世紀 のはじめに上海で出会ったのではという関心であ る。もっとも、私の上海滞在は2002年に1度、そ れも現地調査・資料収集ではない。ゆえにこの小 論も他の専門家の研究に依拠せざるを得ない。中 でも最近通読した古田和子氏の『上海ネットワー クと近代東アジア』(東京大学出版会、2000)と 四方田雅史氏の「戦前期日本・中国におけるメリ ヤス製造業─市場変動・需要の多様性への対応に 着目して─」(『アジア研究』53−2,2007.4)は 興味深く学ぶところが大きかった。

 1880年代から1920年代にかけて、上海を舞台と するインド・中国・日本の綿業(綿花・綿糸・綿 布産業)の変動は劇的であったという。古田本に よれば、1880年以前に内需型であったボンベイ綿 糸は、以降急速に中国・上海への輸出を増大し、 ボンベイ産の機械製綿糸は上海において世界市場 を独占する。他方、1890年代には日本綿糸がイン ド綿糸を追随して中国市場へ進出するが、1913年 以降になって初めて上海におけるインド綿糸の輸

入を追い越すことになる。ほぼ同時期、日本は上 海から中国産綿花を輸入、その綿花をもとに機械 製綿布を生産、再輸出し始める。

 概観すれば、①インド(ボンベイ)綿糸→上海 →国内・海外市場、②日本綿糸→上海→国内市場、 ③中国(上海)綿花→上海→神戸(横浜)→綿布 生産→海外市場という流れになり、19世紀末アジ ア綿業経済の要は上海であったと見られる。その 背景には、上海が19世紀アジアの市場情報と生産・ 流通システムの中心であったことによる。実は、 英国植民地支配のメカニズムがここに影響を及ぼ している。

 南京条約の結果、英国の租界となった上海は、 やはり英国の植民地都市であったボンベイとの間 に直接的・間接的なネットワークが構築された。 輸送船ルートの確保、海底電信などによる情報の 収集、英国植民地政府に随伴したインド系パルシ ー商人やユダヤ系貿易商の活躍などである。植民 地政府は、商品の出入りを支配していたが、中国 国内の在地生産・流通システムには直接的には関 与しなかった。

 後背地に上海県、寧波、通州などの綿産地を擁 する上海は、綿花集荷センターとして機能したが、 綿花生産・買い付け・輸出の各段階での気候・作 柄・生産量・価格・流通動向・取引などに関する 情報は、客商をはじめとする在地商人に独占され ていた。そのことが、「後発」組の日本商社によ る上海市場への進出を困難にしたという。四方田 論文によれば、時期は下るが1930年代における中 国の各種メリヤス生産・販路の先進性・独自性は 顕著であった。香港資本とアメリカ製機械の導入 による大工場での少品種多量生産は日本をしのい でいた。また、同業者組織・公会は、在地業者間 の契約遵守・紛争調停や政府への圧力機能を果た していたという。さらに、東南アジアなどへの輸 出は、華僑商人のネットワークを通じて行われ、 国内においては商人ネットワーク・客幇を通じて 行われた。日本の政府=商社連携体制による輸出 拡大は、この時点では必ずしも功を奏さなかった のである。

「東洋のマンチェスター」をたどる ③

世界の綿業センター

追手門学院大学教授 重松伸司

参照

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