• 検索結果がありません。

1utsumi 内海成治 「アウグスト・クローグの原則」はアフリカのフィールドワークに適用可能か

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2018

シェア "1utsumi 内海成治 「アウグスト・クローグの原則」はアフリカのフィールドワークに適用可能か"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

−  −

「アウグスト・クローグの原則」はアフリカのフィールドワークに適用可能か

(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科)

内海成治

はじめに

「アウグスト・クロークの原則」とは、研究には最も適した対象があるという原則で ある。逆に最適な研究対象があるからその研究が進むことを意味している。生物学の 世界ではよく知られている。これが私たちのアフリカの教育研究、それもフィールド ワークを主体とする研究に当てはめることが可能かを考えてみたい。

自然科学と社会科学は同じように科学的研究方法を使うとはいえ対象の選定や研究 態度に大きな違いがあり、こうした原則から大きく逸脱している。では、生物学で有 効な原則がどうして社会科学の世界ではうまくゆかないのかを、ここで考えてみたい のである。

これを考えるために素材は自分自身のことしかないので、はじめに自分のフィール ド調査について述べてから本題に入ることにしたい。

1

.ナイロビにて

私が初めてアフリカの地を踏んだのは1988年1月で、42歳だった。アフリカを 研究するには遅すぎる年齢である。私たちの若いころにはアフリカはとても遠い国で あった。

当時私は国際協力事業団(JICA、現国際協力機構)の国際協力専門員であった。ケ ニア園芸プロジェクトの短期専門家として1ヶ月半ほどナイロビに滞在した。それか らもアフリカのいくつかの国を訪れたが、それぞれマンデートのある派遣であり、基 礎調査や評価、あるいはプロジェクト立ち上げのための書類を作成するのが仕事で あった。カメルーンやマリの小学校建設案件では当時JICAにいた大阪大学の澤村信 英さんと同行したことを記憶している。自分の関心に従って調査をすることなどとう ていできなかった。

それが、JICAから大学に移って5年目の2000年6月1日から9月30日にかけて の4カ月間、日本学術振興会(JSPS)ナイロビ研究連絡センター所長として滞在する ことを許された。1年まで滞在可能なのであるが、大阪大学に籍を置き講座主任であっ たからとても1年は無理で、夏休みを入れての4カ月間ということにしてもらった。 私は講義や学生の指導に不熱心な教授であったが、やはりいろいろ気にしていたよう だ。

その時の仕事は、ナイロビ研究連絡センターを訪れる研究者のお世話で、駐在員の M君が長期で滞在していたため、時間があれば自分の研究をしてもよいと言うことで あった。50歳を過ぎてはじめてもらった自分の研究をしてもよいと言う滞在である。

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(2)

−  −

そこで、年来の念願である国際教育協力にかかるフィールド調査をしようと考えたの である。

これまでの案件形成やプロジェクト評価の調査は教育省の高官、国連機関や援助機 関の担当者と会い、時間があれば現地視察をするというのが定番である。スケジュー ルを消化しながら、プロジェクトのメニューを考え報告書の内容に沿って調査をする のである。調査には専門家と言われる大学の教員なども同行することもあるが、もと もと日本には開発途上国の教育開発政策に詳しい専門家はごくわずかであった。私自 身としてもJICAのなかで教育開発を考えてきたが教育開発にかかるフィールドワー クというのは考えにくかった。

しかし、国際教育協力が開発途上国の子どもの未来に関わることであるならば、そ れぞれの子どもの学びのニーズに即したものでなくてはならない。そのためには子ど もの生活を探る必要がある。一体、私たちが普及を目指している近代教育システムは 子どものニーズを充足していると言えるのであろうか。これまでの国際教育協力に関 わる調査は到底この疑問に答えているとは言えないであろう。子どものニーズを探る には子どものいる場所で、出来れば子どもと向かい合っての調査が必要である。それ ぞれの学校や家庭に出かけて行って、実際に子どもと出会うこと、すなわち教育の フィールドにでかけねばならない。

ナイロビの研究連絡センターはアフリカをフィールドとするさまざまな研究者が立 ち寄るところである。研究者や学生がここに立ち寄るのは、センターで研究者の車や 機材を預かっていること、ケニアの調査許可証取得の事務を行っていること、あるい は情報収集のためである。人類学、霊長類学、動物学、昆虫学、植物学、言語学、社 会学、地質学、政治学、経済学等々、日本とアフリカの様々な分野の研究者、学生と 知り合い、話すことができた。そんな中で国際教育協力における調査を行うのにどの ようなフィールドと調査方法がよいのかを考えていた。

2

.アウグスト・クローグの原則

アウグスト・クローグ(A. Krogh, 1874-1949)は骨格筋における毛細血管の制御機 構の研究で1920年にノーベル生理医学賞を受賞したデンマークの動物生理学者であ る。コペンハーゲンには彼の名を冠した研究所があるという。彼は『生理学の進歩』

(1929年)の中で次のように述べている。「研究にはその研究に適した実験動物の選択 が非常に重要である。私の恩師であるボーア1は、片肺だけのガス交換を測定する方法 を考案したが、その研究の過程で、彼はある種のカメでは、気管が頸部で2本の気管 支に分かれていることを発見した。私どもは『このカメは呼吸生理学の研究のために 創造された動物である』というジョークをしばしば言い合っていた。私は疑いもなく、 カメと同じように、生理学における特定の研究のために 創造 された多数の動物が 存在すると信じている。ただ、そのような動物の大多数は未知であって、そのような 動物の発見と入手を動物学者にお願いしなければならない」。彼のこの言葉は、クエ ン酸回路の発見で有名な生化学者のクレブス2(H. A. Krebs, 1900-81)が「アウグスト・

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(3)

−  −

クローグの原則―研究には最適な動物が存在する」という論文によって有名になった。 これまでの話は山口恒夫氏の『ザリガニはなぜハサミをふるうのか―生きものの共 通原理を探る』(2000年、中公新書)の53頁以下に出ている話である。ある研究に 最適な素材というものは確かにあるし、またそうした素材があることによりその分野 の研究が急速に進むことがある。クレブスはなぜこのような論文を書いたのか。クレ ブスがクエン酸回路(クレブス回路)の研究を行ったのはハトの胸筋に含まれるミト コンドリアである。そのミトコンドリアは他の動物のものと比べて強靭で実験操作に よっても容易に壊れないのである。クレブスがこのハトをクエン酸回路研究のために 与えられた動物であると考えたのであろう。

私がかつてある麦酒会社の研究所に勤務していた1970年ごろに、蛋白質合成にかか る転換RNAが酵母から抽出されたことから、これまで健康薬品や牛の飼料にしていた 酵母粕が研究用に大量に求められるようになって驚いたことがある。酵母は単細胞植 物であるが、核と染色体を持つ高等植物であり、核酸を中心とした分子遺伝学の材料 としては適当ではなく、私も酵母を使って細胞遺伝学的研究に従事していたのである。 このように生物学の世界で有効と思われるアウグスト・クローグの原則は、私たち の課題であるアフリカの教育研究に当てはめることができるであろうか。

3

.アフリカの教育について

当時のアフリカの教育に関する言説は、教育による国家の統合論と同時に近代教育 の不平等なアクセスによる国家内の民族の分断、あるいは教育の普及はかえってアフ リカの矛盾を作りだしているという二つの論が共存していた。例えば、1992年に出版 された日野舜也編『アフリカの21世紀第2巻:アフリカの文化と社会』(勁草書房) のなかにもそれはうかがえる。

日野は次のように指摘している。

 異なる言語を話し、習慣や考え方を異にし、かつそういう差異を互いに容認し 合って共生社会をつくりあげてきた、多くの諸部族集団を内部にかかえつつ、か つ強力に国民的合意を結集させるということは極めて難事である。国民意識を作 りあげるのに最も必要な基礎条件は、やはり教育である。(日野1992、248頁)

ここでは多様な民族集団から構成されているサブサハラアフリカにおいて国民的意 識を創成するには教育が必要であるとしている。教育による国家統合論である。一方 で、同じ本の中で「アフリカの教育」を担当した小馬はその最後の部分で、アフリカ における人口爆発は科学技術教育の直接的な結果の一つであると批判し、さらに次の ように述べている。

 アフリカ各国が、今迫られているのは、「大衆の水増し教育」かそれとも少数 のエリート教育かという報われることの少ない二者択一である。この二者択一は、

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(4)

−  −

実は、土地を初めとする生産手段及び所得の公平な分配を果たして実現できるの か、さもなければ、このまま新西欧主義路線を突き進んで、学無き大衆と少数のエ リートからなる「二つの国民」化を容認するのかの政治的選択にも繋がっている。  アフリカの独立と発展の申し子として、祝福を受けて生を受け、機能主義的教 育観という温かな産着にくるまれ、慈まれて育ってきたアフリカの教育は、今や、 はっきりと鬼っ子の相貌を呈し始めた。未成熟のままでも成長を止めず、圧し潰 さんばかりに重みを増してくる背中の愛児を振返る、母なる「国民国家」の眼差 しには、漸く困惑と懐疑の色が混じり始めている。(小馬1992、185-186頁)  

このように小馬は、近代教育は学無き大衆と少数のエリートを作り、国家の分断さ らには不安定化を導くという近代教育の失敗論を色濃く反映した論調に終始してい る。こうした近代教育に関する否定的な意見は開発経済学の方からも指摘されている

(例えばトダロ開発経済学)。

こうした近代教育に対する批判的意見は、ドーアの学歴病批判3と同様、アフリカの 教育の現状に対する反応の一つである。これは近代教育への期待が大きく、多大な投 資や支援が教育に投入されているにもかかわらず、経済発展、民族融和、民主的政治 体制が構築されないことにたいする不満あるいは不安の表れであろう。

国際教育協力の課題はEFA (Education for All)であり、近代教育システムを世界の 隅々まで行き渡らせることが主要な目的である4。そのため教育の普及が困難な地域で 近代教育の普及を阻害する要因を明確にすることが課題であった。アフリカで教育が 普及していないのは伝統的社会と都市貧困地域である。それぞれの地域・社会はアフ リカに限らず世界の各地に存在している。ただ、アフリカ特にケニアには遊牧民・牧 畜民が多く、また都市貧困地域も大きく、教育の課題もこうした社会に集中している。

2000年のJSPSナイロビ研究連絡センター滞在中に、ダルエスサラームに出張する 機会があり、当時のシェラトンホテル(今は名前が変わっていると思う)に宿泊した。 ナイロビと比べるとダルエスサラームはとても暑い。少し時間があったので、さっそく プールに出かけた。シェラトンホテルは市内にあるにもかかわらずリゾートホテルと しての機能も有しているのであろう、そこのプールは淵のでこぼこした変形プールで、 泳ぐのには向かないけれども、プールサイドでゆったりするのには楽しそうなプール であった。そこで、プールサイドの椅子に寝転んで、青い空と白い雲を見るともなく 見ていた。その時、本来水泳のために考えられたプールが目的によっていろいろな形 になるのだなと気がついた。であるならば、近代教育システムという形も、それぞれ の地域や子どものニーズによっていろいろに変っているのではないか、あるいは、ひ とつのプールをいろいろな思いで使っているのではないかと考えたのである。つまり、 伝統的社会の教育ニーズは何なのか、伝統的社会における近代教育システムの形はど のようなものであるのか、近代教育システムは伝統的社会にあってはどのようなもの として機能しているのであるか。こうしたことを明確にすることが必要だと思った。

そこで、調査のテーマを「伝統的社会と近代教育の位相」と仮に名付けた。近代教 育システムが伝統的生活様式を色濃く残している社会においてどのように受け入れら

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(5)

−  −

れているか、受け入れられていないのか。逆に近代教育システムが伝統的社会に生き る人々そして子どものニーズや生活に対してどのような配慮を行っているのかを探っ てはどうかと考えた。

このような調査を行うのにどのような調査方法があり、ケニアのどこを選べばよい のであろうか。それも4カ月の短期間、資金はない、使える人数も非常に限られている。 使えるのは時々たずねてくる私の大学のゼミの学生のみという条件である。

4

.なぜマサイなのか

ケニアで伝統的社会を探すとなるとどこがいいのであろうか。ケニアには伝統的な 生活様式を強く維持している民族が数多くある。北のツゥルカナ、レンディーレ、中 部のサンブル、東のソマリ等々である。しかし、私にはどうしてもマサイの村を訪ね たいと思ったのである。それを触発させたのは、大学生の時に読んだ伊谷純一郎の『ゴ リラとピグミーの森』のなかの次の文章ではないかと思う。この本の中のマサイに触 れた部分が強く印象に残っていたのである。この部分は伊谷がナイロビからアルー シャへのバス旅行の際の記録の中にある。

 南下するにしたがって、マサイが姿をあらわしはじめる。長身の槍を持ち、痩 身に赤土色の布ひとつまとった原野の牧民、文明にそっぽを向いた連中だ。未婚 の男は、ちょんまげのようなものを頭にゆい、赤土と脂をねったものを顔にぬっ ている。女は頭をくりくりにそり、首のまわりにドーナツを平たくしたような、赤、 黒、黄、青、白などのビーズ玉でつづった首輪を、二重にも三重にもはめている。 細長いひょうたんに水を入れて、かれらは、この焼けただれたような原野を、ウ シとヒツジの群れを追い、ロバの背にわずかの荷物をのせて、飄々とさまよって いる。(伊谷1961、16-17頁)

 かれらは、ハムの血をひいた美しい目鼻立ちをもっている。もともとは、エチ オピア高原の方からウシを連れて南下し、このあたりに住みつた連中の子孫だ。

(同書、18頁)

 それにしても、マサイを見ていると、文化の根づよさといったものを、つくづ くと感じさせられる。彼らのなわばりの中に、高速道路ができ、文明の象徴とも いうべき高級車が、ものすごいスピードで走ってゆく。にもかかわらず、かれら がこの西欧文明から吸収したものといえば、たまたま事故をおこして捨てられた 自動車の、古タイヤを切り取って作ったサンダルくらいのものなのだ。   マサイも、いまではおそらく、ウシの乳と血だけで生活しているようなことは ないであろう。しかしいまでも、牛糞でかためた背の低いにわか作りの家に住み、 ウシの群れとともに荒れ果てた原野を彷徨するという基本的な生活の様式を変え ようとしないのだ。ケニアの南の動物保護区をマサイに返したところが、わずか 二∼三年で、そこのライオンをことごとく殺してしまった、という話を聞いた。 何千年来のこの未開な生活の中に、かれらはなにものにも替えがたい、かれらな

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(6)

−  − りの誇りをもっているのだろう。(同書、19頁)

短く歯切れのよい文章を積み上げて行くヘミグウェイの文体を参考にして書いたとい われている伊谷純一郎の初期の作品である5。今から見ると若干勇み足とも思える記述も あるが、その文体も相まって若い私の想像を掻き立てるのには十分であった。

センターを訪れる日本の人類学の研究者に聞いてみると、現在マサイを研究対象と している人はほとんどいないという。つまり、マサイ自体の研究は過去のものという ことである。アンボセリ国立公園周辺のマサイを対象として、象とマサイの関係をテー マとしている研究者がいるくらいである。

しかし、アフリカを対象とした人類学あるいは社会学の研究者で教育をテーマとし ているケースはほとんど見られないのである。特に教育をテーマとして伝統的社会で のフィールドワークが行われていないことが分かった。

マサイの教育に関する研究としては、ホランド(Holand)の「Horn of Dilemma」が ナロックの奥のレメクとロイタでの調査をもとに、カナダのマギール大学の博士論文 として提出したものが、出版されていた。これをナイロビ大学のブックショップで手 に入れた。彼の研究はナロックの二つの地域での成人の面談による教育歴や教育感の 調査である。それによると、マサイにとって近代教育はマサイの文化や対して悪い影 響を与えるものと見られており、マサイは近代教育に敵対的であると結論付けていた。

マサイの教育に関して、小馬(1992)は以下のように指摘する。

 独立後、ケニア政府によって、マサイの土地のうち比較的降雨量の多い地域で, 家畜牧場化と換金作物の導入に伴う土地私有化が試みられた。同時にそこに、寄 宿制の中学校(引用者注:中等学校)が設立された。それは、最僻地の新設校で あるから、小学校終了試験の成績が劣悪でも入学できるので、マサイではなく農 耕民族や農牧民族の子弟が競って入学する結果になってしまった。結局彼等が卒 業後定住して、政府の開発計画の担い手となった。(180頁)

ケニア政府による定住化政策は2000年以降かなり強くなり、私たちの調査地の周 辺でも、土地の私有化が進み、これまでの共有地が有刺鉄線によって囲い込まれてい る。私たちのインフォーマントの一人であるマサイの教師は30エーカーの私有地を 所有し、トウモロコシや豆を栽培している。畑や牧場として利用されている土地はよ いが、囲い込まれて放置された土地は過繁茂状態に陥り、荒廃している。

新設中等学校には、ここに指摘されているような現象は私の知る限りでは見ること ができない。僻地に作られた中等学校は学力が低いため、高等教育への資格試験であ るKCSE(ケニア中等教育資格)のよい成績が期待できない。結局中等学校を中退す るか上の学校に行けないために職に就けないケースが多い。そのため、農耕民族の家 庭は優秀校への選好が高く、僻地の新設校にはマサイが進学するのである。逆にマサ イの地域の小学校に他の民族が転入・編入して、国立中等学校への割当て制を利用し て低いKCPEの成績でも質の高い国立中等学校等へ行くことを目指すのである。

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(7)

−  −

また、小馬は、マサイの教育の課題についてケニヤッタ大学のシフナ(D. N.

Sifuna)の論文をもとに次のように指摘している。

 マサイの不幸は、ケニア政府が策定した農耕=定住民の価値観に基づく開発計 画を一方的に押し付けられたことにある。シフナ(引用者注:Sifuna6)は、マサ イの社会・文化的な「移行」そのものが自己目的化されてはならず、「移行」は あくまでもマサイ社会の内的発展の手段であるべきだと主張する。彼は、乾燥地 帯に学校を建てることは必要だが、その学校には学力の如何を問わないでマサイ だけを入学させるという例外的措置を講じるべきであって、学校における「国民 統合」をここで強要してはならない、と述べている。国民国家の実質化をめざす この錦の御旗は、農耕民と共に定住化したごく少数のマサイが、広大な土地を蚕 食して、大多数のマサイを一層追い詰める口実として使われうるからである。(小 馬1992、180頁)

また、日野(1992)はアフリカの近代化を伝統的部族本位制社会から国民本位制社 会への移行であるが、新たな社会は伝統的部族本位制の諸システムが機能しており併 存していると言う。

 アフリカの伝統的部族本位制社会は、くりかえすが、部族というものを中心に 据えて、自己の帰属意識も、他者を分類する基準も、それに従って行こうという 社会である。現在の多くの独立国民社会の中でも、多くの人々は、自分がタンザ ニア人であることよりは、自分がチャガである、マーサイであるという意識が、 建て前ではともかく、心の中では今のところまだ優先していることを読み取れ る。二つの国に二分されたタンガニィカマーサイと、ケニアマーサイにとっては、 マーサイは同族であり、二つの別の国民であることは二の次である。(日野1992、 249-250頁)

このような、教育とマサイをめぐるいくつかの指摘はあるのであるが、実際にマサ イランドにおける学校の状況はどうなっているのかは、先のホランドやシフナを含め て日本の研究者もほとんど触れていないのである。それゆえ、私たちがこの時点で近 代教育とマサイの関係を実際の学校をフィールドとして調査することに意味があるの ではないかと考えた。というか、マサイこそ伝統的社会における近代教育の受容を考 えるのにふさわしい対象と考えた。

5

.マサイの小学校調査と

IST

2000年以来のナロック県のマサイの小学校でのIST法調査に関してはこれまでい くつかの論文にまとめているので、その調査結果よりも、こうした調査を通じて何を 感じたかを述べることにしたい7

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(8)

−  −

マサイの小学校の調査にあたって、国や州、地域の学校データも収集するが、とも かく実際の学校や子どもの状況を把握することを心がけた。そのため、多くの学校を 調査するよりも少ない学校の全生徒を時間をかけて調査することを選んだ。子どもの 進級、落第、中途退学を調べて精密な進級構造分析を行い、また教師や家庭のインタ ビューにより教育ニーズを把握することを目指した。ある学校の全在籍生徒を複数 年にわたって個別にインタビューしてその動向を把握する方法をIndividual Students Tracing Method(IST法、個別生徒追跡法)と名付けた。またマサイの生徒へのIST 法の実施に当たっては一人ひとりの生徒の写真も撮影した。これには二つの目的が あった。一つは名前の変化する子どもを同定するためであり、いま一つは撮影するた めには子どもと同じ目線で向かい合うことができるのである。はじめは、ナロック県の なかで優秀校と底辺校を1校ずつ選んで、2校で開始した。そのうちの1校は現在ま で調査を続けている。また数年前からは、8学年までない学校、いわゆる不完全小学 校を選んで調査を行った。

IST法によるデータから、フローダイアグラムを作成し、さらにある年を基準とし、 ある学年にいる生徒一人ひとりの進級状況を表す個別生徒フローダイアグラムを作成 した。こうした分析を通して、ナロックのこの地区のマサイの小学校の特徴として分 かってきたことは次の点である。

①小学校(ナーサリーを含む)で中途退学と留年が非常に多い:教育省では無償化以 後、落第を禁止しているというが、実際には多くの生徒が落第し、また中途退学し ている。ただ、中途退学に関しては、ひとつの学校を中心とした調査では転校が十 分把握できないために、不正確である。この点は生徒の追跡調査を行う必要がある。

②5年生生き残り仮説:カリキュラムや教育言語が小学校の前半と後半で異なるため に、5年生まで進級すると、中途退学は少なくなる。

③落第の要因:落第の要因は多様であるが、これまでの調査で最も多いと思われるの は欠席による低学力である。学力は学期末と学年末に地区別に実施される試験の成 績で判断される。テストの成績には英語力が大きな要因を占めている。経済的要因、 すなわち現金がないという理由は、無償化されていないユニフォームや靴などが購 入できないことを意味している。欠席の原因は、子どもの家庭内での労働力(老人 や幼い子のケア、水汲みなど)や小獣(ヤギとヒツジ)の世話を優先するためである。 また、中等学校に進学すると経費がかかるため卒業試験を回避して進学を遅らせる ケースもある。

④中退の要因:割礼、労働、妊娠・出産、結婚、家の移動、親の離婚、死別等の家庭 や子どもの要因、教員忌避という学校側の要因もある。

また、個別フローダイアグラムから分かってきたことは次の点である。

①生徒をマージナル・グループ(中退あるいはリピートを繰り返す)、コア・グループ(順 調に進級)、中間グループ(リピートしながら進級)として分類し同定することができる。

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(9)

−  −

②学校全体でのそれぞれのグループの割合を出すことができる。

③調査したある小学校ではコア・グループ20%、中間グループ50%、マージナル・グルー プ30%であった。このコア・グループ20%は、他の学校の調査からも、リピート 経験者が70から80%程度であることから、妥当性のある数字と考えられる。

④しかし、個々の生徒のリピートや進級の原因は、それぞれ個性的であり一概に原因 をまとめることは難しい。

こうした調査の結果、現在、考えているとりあえずの結論は次のとおりである。マ サイの社会は伝統的な生活様式や価値観を保持しているという点では強靭であり、同 時に生業である牧畜が干ばつや疫病によって大きな被害を受けること、牧畜の基盤で ある共有地が私有化によって狭隘になっていること、政府の定住化政策等によって危 機的な状況にある等々、脆弱さを併せ持った社会である。 一方、独立後に導入された ケニアの近代教育は数度の改革が行われているにもかかわらず、国の定める教育シス テムや厳格な試験制度に支えられ、教授法やカリキュラムも含めて不寛容で柔軟性に かけている。

それゆえ、マサイの社会とケニアの教育システムは固い木をすり合わせたように 様々な軋みを生じており、子どもはこの軋みのなかで切り裂かれている。また、マサ イの社会、いやケニアの社会と言ってもよいと思うが、多くの問題を抱えている子ど もの生活を保障し、その人権を守るソーシャルネットが極めて不完全である。そのた め、学校と教師は、たとえ十分ではなくても子どもの保護に関しては大きな意味を持 つ。私たちは子どもの家庭の事情も含めて教師から極めて正確な情報を得ることが多 い。実際に教師は子どものさまざまな問題を子どもの側に立って意見を言う立場にな ることが多いのである。私たちは、調査を通して、学校と教師が子どものソーシャル セキュリティーの最低限の保障を担っているという新たな側面、すなわち学校の多様 で複合的な役割を見出したのである。

また、かつてのようにマサイの社会が近代教育に敵対であるということは感じられ ない。これは小馬やホランドが間違っていたのではなく、今世紀に入ってマサイの、 いや伝統的社会の近代教育に対する見方が大きく変わってきたのではないかと思われ る。すなわち、先の述べたようにすべての子どもに教育をというEFAの目標は、現 実に追い越されてしまったのではないか。

本来EFAのためには伝統的社会が近代教育の重要性を理解し、同時に教育システ ムが人々や子どもが受け入れやすい形に変化することを求めていたはずである。実際 にはグローバル化の波に飲み込まれるかのように、伝統的社会も教育システムの受け 入れざる得なくなった。しかし、近代教育システムは受け入れられたことによってこ れまで以上に厳格に運用されるようになってきている。そのため、ソーシャルネット の不十分な社会で学校と教師は教育の担い手であると同時に子どもの保護という子ど もと社会を繋ぐ役割を担うことになったと思われる。

こうした認識に立つと、これまでの国際教育協力のあり方は根本的な変革を迫られ ていると思うのであるが、これはまた別の論点である。

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(10)

−  −

6

.とりあえずの結論

さてこうした論点を検討すると、「アウグスト・クローグの原則」は私たちの研究 には適用できないことは明らかである。その理由は二つあると思う。ひとつは私たち が対象としているアフリカの教育は動的なものだからである。ある局面を裁断してそ の構造を見ただけでは、あまり意味がないのである。事態は常に動いている。それゆ えにある瞬間の構造は、次の構造への前提、つまり、条件あるいはベクトルでしかな いのである。これは社会科学の宿命である。しかし、だからこそその分析は必要であ りやりがいがあるともいえる。つまり、私たちの研究には未来を予測することが含ま れているからである。

二つ目はフィールドワークの持つ臨床的側面である。ミッシェル・フーコーに『臨 床医学の誕生』という著作がある。フーコーの言わんとすることは私には十分に理解 できないので、この著作を含めてフーコーの邦訳や解説を書いた神谷美恵子さんの文 章を引用する。

 初期の臨床では、医師はいわばこの図表(引用者注:疾患を平面図におとした もの)を頭に入れて患者に接した。患者においては認められる症状をこの図表に 照らしあわせ、その座標によって症状の位置を決定(ルペレー)することができ れば、その症状はそのまま病徴(シーニュ)となり、患者の病気がなんであるか を物語る記号(シーニュ)となる。この場合、患者は病を担う偶発事項にすぎず、 まなざしは個人というものを知覚する構造を持っていなかった。この時期の臨床 を、フーコーは真の意味のクリニィクとは考えていない。真のクリ二ィクとは、 のちに完成するような、複雑なまなざしの構造を持ち、しかも病床の傍で師と弟 子とがともに真実を探求するという教育のかたちをも備えたもの、とする。(神 谷1972、50頁)

フィールドワークとは対象の傍らに立つことである。それは、自ら持っている図表 に対象を当てはめることではなく、自らが学ぶことである。それは医学の特徴ではな く対象が人間や社会であるあらゆる科学のもつ特徴であろう。それゆえに、私たちの アフリカでのフィールドワークを中心とした教育研究は、「アウグスト・クローグの 原則」が当てはまらないのである。

私自身この10年のケニアでの教育調査から実に多くのことを学んだ。しかし、こ うした学びも常に新たな相貌をしめして、私を驚かすのである。そして、考え方を根 底から覆されてしまうのである。調査の方法が未熟だからだとの指摘もうなずけるの であるが、それ以上に事態が大きく変化しているのだと思う。ある意味では、教育が グローバル化している現代は、人類のこれまで経験しなかった新しい事態を生みだし ているからではないかと思う。それがアフリカに集中的にそして象徴的に実現してい るのではないかとも感じている。

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

(11)

−  −

1C. Bohr1855-1901)、物理学者ニール・ボーアの父。 21953年に細胞の物質代謝の研究でノーベル生理学医学賞。 3R. N. ドーア(1978)『学歴社会、新しい文明病』岩波書店。 

4 この思いはケニアでの調査を進めてゆく中で大きく変わってゆくことになるのであるが、 当時はそう思っていた。

5 齊藤清明氏(京大山岳部OB、毎日新聞社、総合地球環境学研究所教授を歴任)のご教唆 による。ヘミングウェイのどの小説を参考にしたのか分からないが、例えば「武器よさら ば」の終わりの部分、主人公のヘンリーの恋人キャサリンが死産のあと出血が止まらずそ のまま死に、その病室に入る場面を引用してみよう。

「『いや、入る』とぼくは言った。『まだ入ることはできません』『おまえが出ていけ』とぼ くは言った。『もう一人もだ』だが、かれらを外に出してドアを閉め電気を消したものの、 何の役にも立たなかった。それは彫像にさよならを言うのに似ていた。しばらくしてぼく は部屋を出て、病院を後にし、街の中を歩いてホテルへ戻った」。

6Sifuna, D. N. (1984) Indigenous Education and Development: The Kajiado Example. Institute of African Studies, University of Nairobi.

7 内海成治・高橋真央・澤村信英(2001)「国際教育調査に関する考察―ケニアにおける調 査から―」『国際教育協力論集』3巻2号、79-96頁。澤村信英・山本伸二・高橋真央・内 海成治(2004)「ケニア初等学校生徒の進級構造−留年と中途退学の実態−」『国際開発研究』 12巻2号、97-110頁。内海成治(2004)「国際協力における調査のあり方」澤村信英編『ア フリカの教育と開発』明石書店、59-81頁。内海成治(2007)「開発途上国の教育を考える」 小泉潤二・志水宏吉編『実践的研究のすすめ―人間科学のリアリティ』有斐閣、267-269頁。

参考文献

伊谷純一郎(1961)『ゴリラとピグミーの森』岩波新書.

神谷美恵子(1972)「ミッシェル・フーコーとの出会い」神谷美恵子コレクション『本、そして人』

(2005)みすず書房.

小馬 徹(1992)「アフリカの教育」日野舜也編『アフリカの文化と社会』(アフリカの21 世紀第2巻)、勁草書房.

日野舜也(1992)「アフリカの伝統的社会と近代化」日野舜也編『アフリカの文化と社会』(ア フリカの21世紀第2巻)、勁草書房.

山口恒夫(2000)『ザリガニはなぜハサミをふるうのか―生きものの共通原理を探る』中公 新書.

3B࢔ࣇࣜ࢝ᩍ⫱◊✲SGI 

参照

関連したドキュメント

め測定点の座標を決めてある展開図の応用が可能であ

「臨床推論」 という日本語の定義として確立し

を,松田教授開講20周年記念論文集1)に.発表してある

私はその様なことは初耳であるし,すでに昨年度入学の時,夜尿症に入用の持物を用

原稿は A4 判 (ヨコ約 210mm,タテ約 297mm) の 用紙を用い,プリンターまたはタイプライターによって印 字したものを原則とする.

定可能性は大前提とした上で、どの程度の時間で、どの程度のメモリを用いれば計

AMS (代替管理システム): AMS を搭載した船舶は規則に適合しているため延長は 認められない。 AMS は船舶の適合期日から 5 年間使用することができる。

つまり、p 型の語が p 型の語を修飾するという関係になっている。しかし、p 型の語同士の Merge