りの仏がおられる︑その名を﹁阿弥陀﹂という︒阿弥陀仏
は今現在もそこにましまして︑法を説きつづけている︒舎
利弗よ︒その仏の世界をどうして﹁極楽﹂と呼ぶのであろ
うか
︒それは︑その世界の人々には︑その世界では人々が
心身に苦しみを党えることがまったくなく︑たださまざま
な幸福にのみ包まれているからである︒それ故﹁
極楽
﹂と
呼ぶのである︒
れ 天 れま
空盗 は平
IJ包帯
つ 。 ぃ 極 紗た 梁I I t
附
の 升l円
楽世界は︑仏道を歩み︑党りを聞くための理想的な環境が 整っている
︒
またさらに舎
利弗よ
︒極楽世界には常に︑たとえようも
"
ないほど色鮮やかなさまざまな鳥がいる
︒白鵠
・孔 雀・
鶴
お 謝 野
鵡・舎利・迦陵頻伽・共命などの
鳥である
︒これらの鳥は
一日に六返︑優雅な声で噌りあっている
︒その鳴き声その
制 凋 柏 抑
柑
ものが五根・五力・七菩提分・八聖道分等の仏の教えを奏
でている︒
極楽世界の人々はその声を耳にすると︑みなこ とごとく仏
・法・
僧を慕う気持ちが募
ってくる︒舎利弗よ︒ そなたは︑これらの鳥について﹁生前の罪の報いとして鳥 に生まれたのだ﹂などと思
つてはならない︒なぜなれば極
楽世界には地獄・餓鬼・畜生という
三
つの悪しき娩涯は存 在しないからである
︒舎利弗よ︒
極楽世界にはそもそもそ うした境涯の名称すら耳にすることもない
︒どうして悪し
き境涯に堕ち入っているものがいょうか
︒否︑いるはずも
ない︒
これらの鳥は︑ことごとく阿弥陀仏がその教えを鳥 たちの鳴き声に託して伝えようと望み︑阿弥陀仏がみずか ら出現させたのである
︒舎利弗よ︒
極楽世界では心地よい
風がそよぎ︑さまざまな宝石で彩られた並木や︑宝石が散 りばめられ鈴のついた紗の惟(天空に浮かぶ網目のべ
l
ル)を揺れ動かし︑妙なる調べを奏でている
︒それはまる
で︑十万種もの楽器を同時に奏でているかのようである
︒
﹂の調べを聞く者は︑みなおのずと仏・法
・僧に帰依する
心が深まってくる
︒舎利弗よ︒
このように極楽世界は︑耳 にするものすべてが覚りを聞くための理想的な環境が整つ
ている︒
舎利弗よ︒
そなたはどう思うか
︒なぜこの仏を
﹁阿
弥陀
﹂
QO
F吋υ
とお呼びするのであろうか
︒舎利弗よ︒
この仏は無量の光 明を放たれ︑いかなる障害物をものともせず︑あらゆる位 界を明るく照らし出す
︒
それ故この仏を
﹁阿弥陀﹂(無量
光)とお呼びするのである
︒また舎利弗よ
︒この仏の寿命
と極楽世界の衆生の寿命は永遠に尽きることなく無量であ
る︒
それ故この仏を﹁阿弥陀﹂(無量寿)とお呼びするの
である︒舎利弗よ︒
阿弥陀仏が覚りを聞き仏と成られてか ら︑今日に至るまで︑すでに十劫という途方もなく永い時 聞を経ている
︒また舎利弗よ︒
この仏には無数の弟子がお
り︑その誰もが煩悩を滅し尽くした︑阿羅漢といわれる修
行者である︒その数もまったくもって計り知ることはでき
ない
︒大勢の菩薩たちも同様にその数は計り知ることがで
きない︒舎利弗よ︒このように極楽世界は︑あらゆる衆生
にとって覚りを聞くための理想的な環境が整っている︒
また舎利弗よ︒極楽世界に往生した人々はみな︑覚りの
境地にいたるまで決して仏道から退くことがない︒その中
の多
くは
︑
今一度生まれ変わった時には必ず仏になるまで
の功徳を積んでいる一生補処の菩薩なのである︒その数は
きわめて膨大なため︑まったくもって計り知ることができ
ない
︒唯一方法を示すならば︑永遠に尽きることなく無量
の時間をかけて数えるより他はない︒
会口
利弗
よ
︒このよう
な浄土のありさまを聞いた衆生は︑必ずや極楽世界に往生し
たいと願うべきである︒
なぜならば︑それほどに優れた聖者
たちと︑そこでともに会い集うことができるからである︒
ただし︑舎利弗よ︒往生を願ってどれほどすばらしい修
行を積もうとも︑それらでは極楽に往生するにふさわしい
功徳としてはおよそ及ばないのである︒(それではどうす れば往生が適うのであろうか︒)
舎利弗よ︒男性であれ女性であれ善良な人々が︑もしも
阿弥陀仏についての教えを聴いて往生を願い︑﹁南無阿弥
陀仏﹂と念仏を称えつづけること︑もしくは一目︑もしく
は二日︑もしくは三日︑もしくは四日︑もしくは五日︑も
しくは六日︑もしくは七日途に一心不乱であれば
その人が臨終を迎える時︑阿弥陀仏は極楽世界の菩薩をは
じめとする型なる弟子たちとともに来迎され︑その姿を現
し眼の前にお立ちになる︒それ故命尽きる時であっ
ても
︑
Qd
p同υ
その心は乱れることなく︑阿弥陀仏のお導きにより︑この
まま速やかにその極楽世界へと往生が叶うのである︒舎利
弗よ
︒私には︑このような阿弥陀仏の救いが余すところな
く手にとるように見えるからこそ︑念仏往生の教えを説く
のである︒
この教えを聴く者は︑﹁阿弥陀仏の浄土に往生 したい﹂と願いをたてるにちがいなく︑そして必ずや往生
するであろう︒
舎利弗よ︒今こうして︑念仏往生をはじめとする人知を
はるかに超えた阿弥陀仏の功徳を仰ぎたたえるのは︑私ぱ
かりでない︒
またさらに東方に広がる諸々の世界に阿閥鞠
仏・須弥相仏
・大須弥仏
・須弥光仏
・妙音仏等をはじめと
する︑ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまして︑
それぞれがそれぞれの償界において︑仏の証としてあらゆ る世界に真実を告げる広くて長い大きな舌を口から出し︑
その舌であまねく
三
千大千世界を躍うのである
︒そして次
のような畷偽りのない
真実の言
葉を述べられる
︒﹁
汝ら
諸人よ
︒こ
の
﹁あらゆる仏が念仏往生をはじめとする人知
をはるかに超えた阿弥陀仏の功徳を称讃し︑そして常に念 仏者に心を寄せ︑救い護ることを説く経
﹂
を信ぜよ
﹂と︒ またさらに南方に広がる諸々の世界に日月灯仏
・名聞光
仏・
大焔
一肘仏・須弥幻仏
・無 川
川 ﹄
精進仏等をはじめとする︑
ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまして︑それぞ れがそれぞれの世界において︑仏の証としてあらゆる世界 に真実を告げる広くて長い大きな舌を円から出し︑その丙 であまねく
三
千大千世界を覆うのである
︒そして次のよう
な峻偽りのない真実の
昌
集を述べられる
︒﹁汝ら︑諸人よ︒
﹂ の
﹁あらゆる仏が念仏往生をはじめとする人知をはるか
に超えた阿弥陀仏の幼徳を祢讃し︑そして常に念仏者に心 を寄せ︑救い諮ることを説く経
﹂を信ぜよ﹂と︒
またさらに西方に広がる諸々の世界に無蛍寿仏
・無量相
仏・無量艦仏・大光仏・大明仏
・宝相仏
・浄光仏等をはじ
めとする︑ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまし て︑それぞれがそれぞれの世界において︑仏の証としてあ
らゆる世界に真
実を告げる広くて長い大きな舌を口から出 し︑その舌であまねく
三
千大千世界を調うのである
︒そ
し て次のような嘘偽りのない真実の
言
葉を述べられる
︒﹁汝
‑60‑
ら︑諸人よ︒この﹁
あらゆる仏が念仏往生をはじめとする 人知をはるかに超えた阿弥陀仏の功徳を称讃し︑そして常 に念仏者に心を寄せ︑教い護ることを説く経
﹂
を信ぜよ
﹂
またさらに北方に広がる諸々の出界に焔 と
一屑仏
・円
収勝
立日
仏・難泊仏・日生仏・網明仏
等
をはじめとする︑ガン
ジス
河の砂の数ほどの無数の仏がましまして︑それぞれがそれ ぞれの世界において︑仏の証としてあらゆる世界に真実を 告げる広くて長い大きな舌を口から出し︑その舌であまね
く三千大千世界を覆うのである︒そして次のような嘘偽り
のない真実の言葉を述べられる︒
﹁汝
ら︑
諸人
よ
︒この﹃あ
らゆる仏が念仏往生をはじめとする人知をはるかに超えた
阿弥陀仏の功徳を紘
讃し︑そして常に念仏書に心を寄せ
救い諮ることを説く経﹂
を信
ぜよ
﹂
と
またさらに
F
方に広がる諸々の世界に師子仏・名問仏・
名光仏
・達摩仏・法陣仏・持法仏等をはじめとする︑ガン
ジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまして︑それぞれが それぞれの山界において︑仏の証としてあらゆる問料に点 実を告げる広くて長い大きな舌を口から出し︑その舌であ まねく
士 一
千大千世界を綴うのである︒そして次のような嘘
偽りのない真実の言葉を述べられる︒﹁汝ら︑請人よ︒こ
の﹃
あらゆる仏が念仏往生をはじめとする人知をはるかに 超えた阿弥陀仏の功徳を紘讃し︑そして常に念仏者に心を
寄せ︑救い護ることを説く経﹂を信ぜよ﹂と︒
またさらに上方に広がる諸々の世界に先行仏
・宿
E
仏・
香上仏・末円光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・裟羅樹・
t
仏 ・
宝華徳仏・見一
切 義 仏
・如須弥
山仏
等をはじめとする︑ガ
ンジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまして︑それぞれ がそれぞれの世界において︑仏の証としてあらゆる出界に 真実を告げる広くて長い大きな舌を口から
出し
︑そ の
舌で
あまねく二
‑千大千世界を担うのである
︒そして次のような
雌偽りのない真実の言葉を述べられる
︒ ﹁
汝ら︑清人よ︒こ
の﹁
あらゆる仏が念仏往生をはじめとする人知をはるかに 超えた阿弥陀仏の功徳を称讃し︑そして常に念仏者に心を
寄せ︑救い護ることを説く経﹂を信ぜよ﹂と︒
合利弗よ︒そなたはどう思うか︒なぜこの経が﹁あらゆ
61 る仏が念仏住生をはじめとする人知をはるかに組えた阿弥 陀仏の功徳を林讃し︑そして常に念仏者に心を寄せ︑救い
諮ることを説く経﹄と名づけられているのかを︒合
利弗
ょ︒
男性であれ女性であれ善良な人々が︑もしこれら諸仏 が林賛している阿弥陀仏の名とこの経典の名を聞くもの は︑みなともどもにあらゆる仏から心を寄せられ︑救い護 られながら︑党りに至る仏道の歩みを退転させることな く︑住生の後にはこの上ない完全なる党りの成
地を究める
のである︒それ般に舎利弗よ︒そなたたちは一人残らず