2-3 欧州が主導する国際的な取り組み: TEEB
② TEEB
TEEBは、経済的な側面から生物多様性の保護を促すことを目的としている804。具体的には、現状のま ま、対策を取らない場合に起きるであろう生物多様性の損失が、経済的・社会的にどの程度になるかを示
803 http://siteresources.worldbank.org/INTRUSSIANFEDERATION/Resources/g8_eng.pdf
804尚、TEEBが開始された背景にはさらに、2006年に公表された、気候変動にかかわる、いわゆる「スターンレビュー」の 影響もある。「スターンレビュー」の正式なタイトルは「気候変動の経済学(The Economics of Climate Change)」といい、
すことで、生物多様性の保全の緊急性を強くアピールすること、各国の政策決定者や地方自治体、事業 者や市民に対して、生物多様性の損失対する具体的な対処方法を示すことを目指している。特に注目す べき点としては、生物多様性保全の立場から、正しい意思決定や選択ができるよう、世界中の参考となる 政策オプションや取り組み事例、ツールなどを紹介するなどの点が、盛り込まれていることである。
2008年5月には、ドイツのボンで開催された生物多様性条約第9回締結国会議(COP9)では、TEEB の中間報告805が行われ、主に以下3つの点が指摘された。
1. 生態系サービス喪失による経済的損失―生態系サービスが喪失することによる経済的損失は、
陸域をベースとした生態系だけを考慮しても毎年約50億ユーロ(6,152億円、1ユーロ=123円 換算)に相当する。現状のまま特に対策をとらない場合、生態系や生物多様性が損なわれること による経済的損失の規模は、 2050年までに控えめに見積もっても世界のGDPの7%に達する 可能性がある。
2. 生物多様性と貧困問題の関係―生態系サービスや生物多様性と貧困問題には密接な関連があ る。例えば、インドを対象とした研究では、森林の生物多様性や生態系サービスの最大の受益者 は貧困層であること、また生物多様性や生態系サービスが失われることによって最も大きな影響 を受けるのも、貧困層の収入保障や生活福祉であることが明らかにされた
3. 割引率の倫理性に関する問題提起―通常、経済評価を行う際には、将来の価値は一定の率で 割り引いた上で現在価値に換算する。しかし、例えば4%の割引率を50年間にわたって適用し た場合、現在の生態系サービスの価値が、50年後には7分の1程度にしか評価されないという ことになる。生物多様性や生態系の経済評価の分野において、こうした割引率を適用することが 倫理的観点から適切であるのか、という点が指摘された。
TEEBは2007年の中間報告に続き、2010年10月の生物多様性 COP10(名古屋会議)で最終報告が 予定されている。現在、最終報告に向けてさらに包括的かつ詳細な検討が進められている。最終報告書 の構成は、以下の通り。
参考 4 TEEB最終報告の構成
サービス分類 内容
D0:
理論編806
生物多様性の科学的・経済学的な検討。対応策を実施するための費 用や、対応策を実施しない場合のコストなどについての分析を実施 D1:
政策決定者編807
生態系サービスに対する支払い制度(PES)や、森林減少・劣化によ る排出削減(REDD)などの国レベル、国際レベルでの政策立案に役 立つ各種の政策オプションや事例を紹介
D2:
地方自治体編
地方自治体レベルの意思決定を支援するために、各種の政策オプシ ョンや各国の事例を紹介
D3:
ビジネス編
産業界向けに、生物多様性に関するリスク管理、ビジネスチャンス、
生物多様性への影響の測定と報告、といった点について各種のツー ルや事例などを紹介
世界銀行の元チーフ・エコノミストであるニコラス・スターン卿がとりまとめた。この報告書は、気候変動問題に対して対応策 をとることで得られる利益が、そうした対応策の実施に必要なコストを大きく上回るという結論を導き出し、経済合理性の観 点から、気候変動対策の実施を強く促す効果があった。
805 The Economisc of Ecosystems and Biodiversity - Interim Report 2008.
http://ec.europa.eu/images/language/lang_en3.gif
806 TEEB Ecological and Economic Foundation.
http://www.teebweb.org/EcologicalandEconomicFoundation/tabid/1018/language/en-US/Default.aspx
807 TEEB for Policy Makers - Summary: Responding to the Value of Nature.
http://www.teebweb.org/LinkClick.aspx?fileticket=I4Y2nqqIiCg%3d&tabid=1018&language=en-US
サービス分類 内容 D4:
消費者/一般市民編
報告書ではなく、ウェブサイトを通じTEEBの結果を消費者や一般市 民向けにわかりやすく伝え、また毎日の消費行動の参考になる情報 やツールを提供
注: TEEB (D0、D1については、すでに完成済み。TEEBの最終報告は、名古屋で開催されるCOP10でな される予定であり、D2-D4については、それまでに完成する見込み)
出典:各種資料を基にワシントンコア作成808
特にビジネスにとって関係が深いのは、企業を含む事業者を対象に作成が進められている D3である(参 考 4、ハイライト箇所)。これは、零細事業者から国際的に事業を展開する多国籍企業までを対象としたも ので、例えば以下のような業種など、あらゆる業種が対象とされており、こうした企業が直面する生物多様 性リスクに対処するための様々なツールが紹介される予定である。
生態系や生物多様性に対して大きなインパクトを持つ業種(鉱業、石油・ガス、インフラ関連など)
健全な生態系や生物多様性に依存している業種(農業、、林業漁業など)
投資や製品、マーケティングに影響を与える業種(銀行、資産管理、保険など)
生態系サービスや生物多様性に関連した製品を販売するような産業(エコツーリズム、エコ農業、
バイオカーボンなど等)など
また D3 では、生物多様性に関連した新しいビジネスチャンスについても紹介される予定となっている。現 在、生物多様性オフセットや生物多様性バンキング、REDD(森林減少・劣化による排出削減)といったビ ジネスとの関連性が見込まれる新たな仕組みが提案されているが、生物多様性に関連したビジネスチャ ンスについて、あるいは有機農業やエコツーリズムといった産業のマーケット規模の行方についても分析 がなされることになっている809。
また、これに関連して、気候変動における IPCCのように、生物多様性にかかわる科学的知見を深め、各 政府に政策提言を行う組織が必要であるとの考えから、生物多様性と生態系サービスに関する政府間パ ネル(またはプラットフォーム、Intergovernmental Panel or Platform on Biodiversity and Ecosystem
Services: IPBES810)の創設が検討されている。2009年10月には、同組織設立に関する第2回政府間
会合が開催されている811。2010年5月には、IPBES設立に関する第3回会合が開催され、IPBESを設 立するか否かが正式に決定される予定になっている。
2-4
主要国の政策・規制動向
以下では、欧州の中でも特に生物多様性に関する政策や規制面で取り組んでいるリーダー的な国を取り 上げる。
2-4-1 英国
① 生物多様性行動計画
生物多様性条約への批准を受け、英国はいち早く、1994 年に生物多様性行動計画812を作成した。同時 に 、 同 国 に お け る 生 物 多 様 性 保 全 の 枠 組 み を 議 論 す る た め の 委 員 会 を 設 置 し 、 同 委 員 会 は
808 http://www.fni.no/doc&pdf/090605-TEN_BRINK-TEEB.pdf
809 Joshua Bishop, Chief Economist, IUCN and Coordinator of TEEB D3. 同氏とのヒアリングによる情報。
810 IPBES. http://ipbes.net/en/index.asp
811 2nd Ad Hoc Intergovernmental and Multi-stakeholder meeting on an IPBES. 会合では、国際組織の設立という大 枠の合意があったものの、組織構成や機能といった細部では意見が分かれた。http://ipbes.net/en/2ndMeeting/index.asp
812 Biodiversity: the UK Action Plan(1994). http://www.ukbap.org.uk/library/Plan_LO.pdf
『Biodiversity: the UK Steering Group Report – meeting the Rio challenge』と題した報告書813で取り 組みの枠組み、そして保護の対象となる生物種および生息地を判断する基準を提示している。
委員会の提言は、1996 年に正式に政府に採用され814、委員会は、以後、「英国生物多様性グループ」と して、英国の生物多様性行動計画の実施に助言を行う機関へと格上げされている。2006年には、生物多 様性計画の対象となる生物種、生息地の見直しが実施され815、翌 2007 年には 1,150 種の生物種およ び 65の生息地が優先保護対象となった。同 2007年には、今後の生物多様性保全の道筋を示した報告 書816が発表されている。
また、国レベルの取り組みに留まらず、地方自治体レベルでの枠組み作成も進んでいる。英国の行動計 画、そしてイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドにおける行動計画817に加え、地方地方 自治体レベルでの行動計画の作成818も進んでおり、生物多様性への配慮が地域の開発と統合されつつ ある。
とはいえ、以上のような生物多様性の保全に向けたコミットメントはあっても、それが十分な効果を挙げて いないのが現状である。2007年には、英国の生物多様性の現状を評価するための 18の指標および33 のサブ指標が発表されているが、2009年4月に発表された最新の報告819では、33のサブ指標のうち 9 つの項目で、長期的な改善が見られると診断された一方で、11 項目が長期的な劣化状態にあるとされた。
2000 年からの変化では、13 項目が改善した一方で、7 項目が劣化しているという結果となり、英国にお いても「2010年目標」の達成が困難であることが改めて示された。蝶類保全協会の代表、マーティン・ウォ ーレン(Martin Warren)は、BBC の取材に答えて、「2010 年目標」の達成は無理だと率直に述べ、資金 不足が問題であることを指摘している820。
② 生物多様性オフセットの検討
こうした現状を受け、新たな資金メカニズムとして、生物多様性オフセットの検討も始まっている。2009 年 4 月には、オフセット導入を検討した委託研究821で、オフセットの活用が英国の生物多様性保全に効果的 であること、また、本格的な導入に向けて、数件のオフセットのパイロット実施と、導入時期や方法を定め
813 http://www.ukbap.org.uk/librarysearchresults.aspx?id=526 この報告をを受けて、391の優先生物種および45の優 先生息地が認定された。
814 The Government Response to the UK Steering Group Report on Biodiversity.
http://www.ukbap.org.uk/library/Resp_LO.pdf
815 Species and Habitat Review Report 2007. http://www.ukbap.org.uk/bapgrouppage.aspx?id=112
816 Conserving Biodiversity – the UK Approach(2007).
http://www.ukbap.org.uk/library/UKSC/DEF-PB12772-ConBio-UK.pdf
817 英国では、1998年のスコットランド法(the Scotland Act )、ウェールズ政府法(the Government of Wales Act)、そして 北アイルランド法(the Northern Ireland Act)により、それぞれの政府に多くの権限が移譲されている。国際条約の批准や EUとの交渉が英国政府の責任であるのは従来通りであるが、そこから付随する様々な行動の責任の多くは、各政府に移 譲されている。生物多様性の保全を含む環境分野での規制の実施は、各政府に移譲されているため、生物多様性行動計 画で認定された保全の責任は、それぞれの政府にある。各政府の行動計画は、それぞれの地域における生物多様性の保 全をより円滑に実施するために策定された。
http://www.ukbap-reporting.org.uk/plans/nonj.asp
818現在では200近い地方自治体が、独自の生物多様性行動計画を発表している。
http://www.ukbap-reporting.org.uk/plans/lbap.asp?S=&L=1&CO=&O=&LBAP=&submitted=1&flipLang=&txtLogout=
819 UK biodiversity indicators(3 April 2009). http://www.defra.gov.uk/news/2009/090403a.htm
820 UK biodiversity still in decline(April 6, 2009). http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/7982461.stm
821 Jo Treweek et al. Scoping study for the design and use of biodiversity offsets in an English Context, Scoping study for Defra, (April 2009),
https://statistics.defra.gov.uk/esg/reports/Biodiversity%20Offsets%20FINAL%20REPORT%20Defra%2012%20May
%202009.pdf