SONY盛田氏が注目したVWの広告 by DDB
この広告が全米で評判に
これを見た美大生だった河野透氏、SONYへの ↓ 就職を希望。思いかなって入社
河野氏が「ウォークマン」の命名をはじめ、世 ↓ 界でのSONYブランド育成を指揮
「世界のSONY」 ↓
SONYの縁
【私のブランド論:河野透 ①Sony Side Show】
自分はデザイナーとして何を目指すのか、全く見当もつかない経験や知識の浅い多 摩美の学生だった時に巡り合ったのがこの広告です。確か、1966年大学3年の西尾 忠久ゼミでの出会いである。私の人生を変えたなどと軽々には言えないが、別の言 い方をすれば、間違いなく私のソニー人生の最初の一歩を促した記念すべき広告だ。
西尾ゼミではアメリカの広告会社DDB(Doyle,Dane,Bernbach)の広告クリエイティブ を中心にした解説講座で、その中心は1959年から開始されたVolkswagenのアメリカ 参入広告の才気あふれるものだった。それは次第に若者に広告という分野を強く意 識させるものになった。このSonyの広告から受けた衝撃は、それまでテレビは家族 で見るものという生活スタイルを、完全にパーソナルなスタイルに転換させている ことに気が付いた。しかも見る個人を中心にしていることが、TVを横に倒したこと で直感的に理解できた。広告の作り方など全く分からない私にとって、こんな広告 を作りたいと言う衝動よりも、こんな製品を作っているのは一体どんな会社なん だ!という関心に移っていった。今にして思えば、製品作りと企業(ブランド)が 顧客に提供する生活価値の一貫性が完璧に具現化していることへの興味だったよう な気がする。
しかし、その当時私達が接していたソニーの広告はハード訴求(世界初、世界最小 等)全盛であった。確かに成熟したアメリカ市場には及びも付かない日本市場では、
それが大手家電メーカーに対する後発企業の強い意志と差別化と独自性を表す行為 だったのかもしれない。そんなことなどつゆ知らず、DDB小僧と化した若造は、
「私にアメリカ以上のものを作らせて」と思うようになるのである。願いが通じて 1968年ソニーの広告制作課に新人として迎えてくれたのである。寛大なソニーに感