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第 5 章 宗教教育法への対応過程

W. R. FARRINGTON, Governor of the

Territory of Hawaii.

[HONOLULU STAR-BULLETIN, LTD.1929:140-141]

成立した条文は、提出された試案とほぼ変わらない。ちなみに、同法が成立する以前の 公立学校における宗教教育はどのようなものだったのだろうか。H.Elizabeth によると、

学外活動として公立学校の教師が始業前もしくは放課後に宗教教育を週に2回各1時間半 行っていたことが判る[H.Elizabeth1939]。また、同法成立後は学外活動としてではなく、

学校の授業として宗教教育が行われるようになったことが大きな違いである。

また、『布哇報知』は、法案の和訳の他に以下のような問答も掲載している。

問答

問 宗教科とは如何なることを指すや

答 教会もしくはその他の宗教団体に於いて計画せる宗教教育が学校の正科とす 問 政教分離主義に抵触せざるや

答 然らず何とすれば政府の資金即ち税金を使用せず 加えて之時間の比例より見るも普通教育の障害とならず 問 他地方に例ありや

答 然り二十六個の州千五百個の都市に例あり 問 布哇に必要なりや

答 然り布哇学童の二割五分乃至三割は宗教教育を正科とせざる限り如何なる宗教 をも知る事なし

問 宗教を正科とせばその結果如何

答 大陸の例に依れば学童のほとんど全部出席することとなる 問 父兄の意見如何

答 然り昨年の統計十三個の学校に適用〔放課後〕したる結果三千五百の学童の出席 を父兄より要求したり

問 父兄の同意せざる子供は如何にするや

答 場合に応じて校庭に放つか若しくは修身教育をするかその場合に応じて適宜の処 置を取る事あるべし

64 問 宗教教育をなすため普通学科に影響せずや 答 大陸五十七個の学校の報告によれば然らず 問 宗教教育のため懶惰の傾向を生ぜずや

答 若しその傾向ある場合はその生徒には宗教教育を中止すべし 問 根本的主義如何

答 両親は経験ある教役者より自身の子供が教えを受くる事を要求する権利あり而し て子供の運命に関する宗教教育をなす義務あり

〔判決例〕

其他大陸の例は左の通り

一、宗教教育を施す教師は唯自宗の教理を知るのみならず普通の教員としても価値あ る者に限る

一、多くの場合学校より出で付近教会の建物内にて行ふ

以上

(『布哇報知』1929年4月17日)

この問答が、議会に提出されたものなのか、『布哇報知』が取材したものなのか、詳細は わからない。だが、同様の法律が既に当時のアメリカ本土でも施行されており、政教分離 への抵触について述べられている点は興味深い。また、本土で施行されている法律におい て、宗教教育を行う教師について、「普通の教員としても価値ある者」と教師資格が限定さ れていることが記され、ジャッド案に近い制限が本土では行われていたことが判る。

では、この宗教教育法は日系移民社会においてどのように捉えられていたのか、『布哇報 知』、『日布時事』の紙面から見ていきたい。『布哇報知』は、4月16日に「少しも心配す るに及ばぬ 他の宗教が反対」という見出しにて宗教教育法について触れている。この記 事は牧野金三郎の談話として書かれている点も留意すべきである。ちなみに、これが日系 新聞において初めて宗教教育法について記された記事である。この記事によると、最初は キリスト教の講義が学校内にて行われるという噂が流れていたことが判る。

総ての学校内にて一日1時間基督教の講義をなすべしとの法案が県会に提出されると 云ふ噂がある様子で他の宗教の人々中には心配して居る向きもあるらしいが、是れは 全く無用の心配である。

(『布哇報知』1929年4月16日)

これは、1927年までの外国語学校取締法の諸問題によって、日系社会、特に宗教界隈に 教育と宗教の問題に対する懐疑的な態度があったことが推察される。しかし、『布哇報知』

は、

正科として公立学校に(キリスト教の講義を)設けるならば第一公立学校の内部から 講義が出る。(中略)信教の自由である米国に於て学校内でキリスト教のみの講義を正 科に加へるは信教の自由を拘束するものであるとの抗議あるべきは多く説くまでもあ るまい。

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と、信教の自由によって、そのような法律が成立することは無いと否定している。また、

外国語学校には此種の法律を適用する事は憲法違反なれば絶対に出来ない事は既に日 本語学校問題に対する華盛頓大審院の判決に依りて明かなる所である。(中略)仮りに 百歩千歩を譲つて法律となつても立ち所に無効に帰せしめらるゝは絮説するまでもな い

と、外国語学校取締法が違憲であった判例から、日本語学校に適応されることもなく、仮 に法律となっても無効になるから問題ではないと述べる。『布哇報知』は翌17日の記事に おいても、

我が日本語学校には何等の関係もなく又生徒としてはいずれの宗教をも選び得との法 文なれば文面の上よりは仏教排斥でも無い

と述べており、日本語学校・仏教の両方の排斥のための法案ではないことを伝えている。

ただ、勝訴してから2年しか経過していない日系社会では、外国語学校への規制ではない か、という疑いが起きるのは当然のことであっただろう。

一方『日布時事』は、1929年4月20日の紙面にて法案が下院を通過する見込みを伝え るのみで、具体的な法案の内容や外国語学校への規制について触れていない。その後、法 律が成立した後の5月 15日に「宗教教育案愈々実施さる 信仰の自由認めた法律」とい う記事を掲載する。ここでは、ハワイ教育局局長の公立学校に向けた告示の内容が掲載さ れており、宗教教育法の実施について、①宗教教育の時間を受ける場合は、生徒を早引き させることや、②宗教教育の時間も出席簿をつけること、③宗教教育について、公立学校 教師は関わってはならず、公金の直接間接的な使用を許可しないこと、が記されている。

また、日布時事社が発行する『日布時事布哇年鑑昭和5-6年』においても、「日本人に利 害ある立法としては宗教教育法ぐらいなものであった」と一文で触れる程度であった[日布 時事社編輯局編1930:3]。これは、『布哇報知』と『日布時事』との外国語学校取締法試訴 に対するスタンスの違いが影響していると言える。先に述べたように『布哇報知』や牧野 は試訴派の中心であったが、『日布時事』や社長である相賀安太郎は、反試訴派であった。

即ち、『日布時事』では試訴について触れづらく、日系社会における誤解に対して説明をし ないなど、特別問題視をしていなかったようである。

さて『布哇報知』は、その後も宗教教育法について記事を掲載している。4月22日には、

「宗教教育法案に関し仏教徒に檄す」という題で記事を記している。この記事の中では、

宗教教育法によって「致死的打撃を基督教以外の宗教に与ふるの結果を産むに至るべし」

という日系移民の杞憂が誤解であり、検討するべきものであるという解説を改めて行って いる。そして、宗教教育の時間は水泳や音楽の時間と同様のものであり、この法を利用し て宗教心を鼓吹すべきであると論じている。特に仏教寺院・仏教徒に対しては、

公立学校生徒の大多数は仏教の子弟である。而して彼等の父兄中には子女が宗教に冷

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淡なるを慨するものが少ない故に彼等は布哇県会が所謂宗教教育法案を選定せんとす るを期として英語を以て之等の子女に仏教教育を授くべきである、之れ賢明なる仏教 徒及び父兄の当然とるべき措置ではあるまいか。

(『布哇報知』1929年4月22日)

と記し、仏教側はこの法案を期に英語で仏教教育をすべきであると提言をしている。

以上のように、日系社会を代表する二紙のスタンスの違いがありながらも、宗教教育法 自体については、特別な問題となる法律ではない、という共通した認識があり、日系社会 へもそのように伝えていた。むしろ、『布哇報知』はハワイ仏教界に対して、同法を大いに 活用するべきであるという、批判とも激励とも言える立場を取っていたのである。では、

ハワイ仏教界、特に布哇浄土宗教団は同法についてどのように対応したのであろうか。

第3節 ハワイ仏教界の対応 ―布哇浄土宗教団を中心に―

宗教教育法について、布哇浄土宗教団において取り扱われたのは、1929年4月16日の 緊急会議が初である。ここでは、

次回ノ議会ニ提案サレヤウトシテウイル宗教法案ニ対シ目下ノ突発事件デアリ学校ノ 当事者トシテ熟議ヲ要スルコトデアルトテ緊急会議ノ必要ヲ偲シテ教団重役ノ来会ヲ 請ヒルガ研究並ニ報告ヲナス所アリタウ

(『浄土宗開教院日鑑』:128)

とあり、この法案の提出は突発的事件であり、対応を行っていく旨が確認されている。そ

の後、7月22~23日にマウイ島プウネネ浄土宗教会にて行われた第8回開教使会議では、

宗教教育法案対策ノ件(本部提出)

米国法律トシテ実施ニ付キ種々論議アリシモ本部ニ一任シ各宗協調下ニ進ムコトトス

(『開教区記録1』:100)

と各宗派と協調路線を取ることが報告されている。その後、7月30日に開催された各宗監 督会に福田監督が出席したことが記されており、仏教連盟結成について協議している 4。 そして、8月20日には布哇仏教教団連盟会に福田が出席、日曜学校生徒募集方法について 話し合ったことが判っている 5。また、8月25日の教団役員会では、「宗教教育問題」と して議論されている。そこでは、

二、宗教教育問題

各宗監督会が監督ばかりの連合でなく連盟して信徒も加へて一団化となす事□□布哇 各宗仏教教団連盟となつた其の会としては宗教教育対策問題にあたる事となった、そ れには日曜学校生徒募集をして穏当に進む事になつたのであるから信徒が一□にこの 運動に助力して行きたい。

(『開教区記録1』:132)