はじめに
本章では、窪川旭丈が布哇開教区監督として赴任した1937~41年までを対象として、戦 時体制に協力していく日本の浄土宗に対して、布哇開教区がどのような対応を取っていっ たのかという点に焦点を当てていきたい。
第二次大戦直前のハワイ仏教に、日本と同調するような動きがあることは、既に守屋友江 や高橋典史が指摘をしている。守屋は、本派本願寺開教総長今村恵猛の死後、総長になった 口羽義教が、外国人僧侶のハントを排斥し、ナショナリスティックな言説を展開させ、本派 本願寺教団が「日本化」したことを明らかにした[守屋2001:219-222]。また、高橋典史は、
移民の意識や心情をメンタリティとして把握し、今村恵猛や日系移民仏教徒のメンタリテ ィの中には、「二重のナショナリズム」と呼ばれる、「日本ナショナリズムを文化ナショナリ ズムの領域に留め、アメリカの市民ナショナリズムとは背反しない限りにおいて日本への コミットメントを確保しようとする志向性」があったことを明らかにした[高橋2014]。
これらの先行研究の指摘のように、布哇浄土宗教団は日本と同調するような動きが見ら れる。だが、結論を先取りして述べると、窪川時代の布哇開教区は必ずしも、単に日本の動 きに同調するだけではない、アンビバレントな布哇開教区、窪川の動きというものが現れて いる。現地への適応だけでもなく、日本への同調だけでもない、布哇浄土宗の動向は、日本 との独自路線を歩んだ本派本願寺の変化とは異なる様相が現れており、その具体相を明ら かにすることによって、戦前における日本の延長線上にある布哇開教区の独自性が総括さ れることになる。
第1節 1930年代以降の日系ハワイ社会における戦争支援
1930 年代から 1941年までのハワイは、日系移民社会で、日本の愛国主義が高揚した時 代であった。天長節の前後には、必ず『布哇報知』、『日布時事』共に特集記事が組まれてい る。
例えば『日布時事』は、天長節にちなんで4月 29 日が定例休刊日にあたり、前日の28 日に特集記事を組んでいる。1933年までは、第1面に日本に於ける天長節の様子などを伝 えているのみであったが、1934年以降、特集紙面が組まれるようになった。ここでは、日 本の天長節の様子や皇室に関する記事のみならず、ハワイ各地の天長節の様子や日系一世 による投稿記事など多数掲載されている。またこれらの記事と共に奉祝広告が多く出され ており、各商店や日本語学校、病院、各種団体などの名前が掲載されている。ハワイの仏教 教団も1929年に設立された布哇仏教教団連盟として、連盟に所属する6宗派の開教監督、
総長の名前も掲載された奉祝広告を出している。ただ、1938年は、1937年に勃発した第二 次上海事変の影響があり、「事変下の天長節」という東京に於ける観兵式の様子を伝える記 事のみが掲載されているが、1939年以降は、再び特集紙面が掲載されるようになっている。
また、1931年に勃発した満州事変から日米開戦まで、ハワイから慰問袋や慰問金の日本 への送付が行われた。『日布時事』の紙面上、初めて慰問金が送られたのは、1931年12月 24日に5ドルが荒木貞夫陸軍大臣宛のものであり、その後、金額は様々であるが、慰問金
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が陸軍や海軍宛に送られている。そして、1932年8月には、ハワイ移民からの慰問金など に関して、荒木陸軍大臣、岡田啓介海軍大臣からの謝辞が『日布時事』に掲載される1。
1937年7月に盧溝橋事件が勃発すると、8月中頃から皇軍将兵慰問金が集まるようにな る。『日布時事』によると8月12日にはロサンゼルスにて日本人会が献金したことを伝え ており、ハワイにおいても14日前後には日布時事社に自発的献金が集まり始めたようであ る2。この盧溝橋事件以降の献金は、記事として登場した 14日から 19日までの6日間で
6,358円が集まるなど、日系社会において大きな流れとなる。その後、献金は日米開戦まで
額の多少はあるものの、定期的に日本へと送られるようになった。
また、日本本国においても、ハワイからの献金が話題になったようである。『日布時事』
には、ハワイからの献金に対する日本側の反応が記事となって掲載される。この記事は、日 布時事の東京特派員によるものであり、日本におけるハワイからの献金のニュースが10月 2日に流れたことに対する反応である。
布哇同胞献金者に勇士の親達は感謝 挙国一致の祖国に布哇同胞の赤誠が今日ほど強 く響いたことはない
◇出征勇士の歓迎、慰問品の調達、献金、千人針、国民精神総動員―いまや銃後の衛□
し、挙国一致の赤誠の一色に塗られた祖国、その祖国の人々に、今日ほどハワイ在留同 胞の存在が徹底的に認識せられ、且つ有難く感じられたことは未だ曾てないであらう ◇今日の日本国民の協力一致と、ハワイ同胞への感謝と、それは□乍ら歴史的のものだ、
布哇在留同胞は日進、日露両役に献金と恤兵品を送り、上海満州事変にも亦同様の赤誠 を寄せた、関東大震災、三陸風水害、関西風水害、其他の天災に対しても義捐金を送つ てゐる然し今回ほどに、その誠意が全日本国民の心を打つたことはない
(『日布時事』10月17日)
この記事を見ると、ハワイの移民が継続的に多くの支援、献金を日本へと行っており、特 に日中戦争に関しては、日本の国内においてもハワイからの献金は、存在感があったという ことが判る。
このような中で、仏教教団も献金などの活動を活発化させていく。仏教系団体としては、
8月23日にワヒアワ曹洞宗婦人会が、国防費として100円を献金したのが記録上最初であ る3。その後24日には、ワヒアワ本願寺仏教婦人会が300円 4などと続々と仏教系諸団体 も献金するようになっていく。また、寺院としては、8月30日に日蓮宗別院が信徒から集 めた125ドル65セントを献金したのが最初である5。更に10月13日には、本派本願寺の 布哇仏教婦人会が中心となって作成した慰問袋 5,940 個が日本に送られるなど、仏教系団 体が中心となった献金、慰問袋送付が数多く見受けられる6。
浄土宗としては、マウイ島ラハイナ浄土宗明照婦人会が 9月23日に33ドル50セント を献金したのが初発であり、他宗に比べると初動が1ヶ月程遅い7。その後も10月6日に カウアイ島コロア浄土宗婦人会が101円70銭8、10月9日にはハワイ島ハヴィ浄土院明照 婦人会が慰問袋214 個を、同島コハラ浄土宗教会を中心としたコハラ同胞婦人会による慰 問袋133個が送られている9。
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このように、1930年代後半の日系ハワイ社会は、日中戦争への支援が積極的に行われ、
更に日本、戦線の動向が注目された時代であった。また、日本映画を放映する映画館では松 竹による軍事映画や日本帝国軍歌集、支那事変ニュース映画などが続々と放映されるなど、
日系社会の娯楽にも愛国主義的な風潮が見られた10。では、同時代の日本の浄土宗はどのよ うな戦時体制へ協力をしていたのであろうか。
第2節 当時の日本の浄土宗の動き
まず、日本の浄土宗がどのような戦時体制への協力をしていったのか、『浄土教報』から その動きを概観する。1931年に起きた満州事変以降、日本の浄土宗は様々な活動を展開す るようになる。満州事変に関する記事の初出は、1931年10月4日号であり、9月23日に 山形の寺院で満州事変戦死者と関東大震災の横死者の慰霊供養が行われたことが記されて いる11。また同号によると、10月1日には大民倶楽部主催による満州事変戦死者追悼会が 増上寺で行われている12。
翌10月11日号では、「満州事変と支那開教区」という見出しの記事が掲載され、支那開 教区の様子を知ることができる。
先づ日支軍衝突するや奉天寺は直に戦死者慰霊に努め戦死者新国六三伍長等の遺□に 守備隊と計り七日々々の追善回向をする一方、二十二日より二十四日迄慰問袋を全市 の信徒より募集、第一期二百個を得て直に守備の皇軍に配布。尚、今回の戦争に依り失 職せる数万のルンペン救済の為め、九月三十日奉天寺に各宗僧侶並に中華寺院も参加 して、日華連合仏教団の名に依つて、給食に決し市政公所より十万人分のパンを得て、
配布方法を講じ、支那人側より非常に感謝されて居る、
(『浄土教報』1931年10月11日1918号:7-8)
事変直後から戦死者の慰霊が行われ、慰問袋を現地で募り配布している。また、日本人中 国人の区別なく、仏教教団が協力して戦災者に食料の支援を行っていることが判る。また、
同記事には、陸軍京都第16師団から各宗本山宛の依頼書についても触れられている。この 依頼書では、「満州事変における帝国の増兵は自衛権の発動であつて断じて侵略にあらず
(中略)此所に貴下の護国の大我、王法護持の大勇猛心に訴へ宗教家の奮起を願いたい。」
と、事変の国としての理解を仏教教団、僧侶から伝えるよう依頼がなされていることが報告 されている。
日本国内からの慰問袋送付については、10月18日号が初出であり、ここでは、宮城教区 の布教団が慰問袋100個を作成し遼陽に発送されたことが記されている13。これ以降、『浄 土教報』では、全国の浄土宗各寺院が慰問袋を現地へと送付し始めたことを伝えている。ま た、10月25日号では、社説として「満州事変の公正なる判断」という記事が掲載される。
ここでは、日本の自衛権の発動であり、欧米の干渉は支那の虚言にだまされているのであり、
事変に対する正当なる判断を持って国民に教化すべきであるという内容が掲載される 14。 これは、先の第16師団の依頼書の内容と類似している。また、同号には陸軍大佐と陸軍参 謀本部の軍人による、満州における日本軍の行動の正当性が記事として掲載されている。こ こでも、日本による自衛権の発動や、満州は日露戦争の正当な条約の結果であること、挙国