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O O 日)かその他日雇いに従事している︒

ドキュメント内 河 地 貫 一 (ページ 90-100)

乙の加工業の約半数は︑留居宅の主婦の日雇いによって充たされている︒

長 崎 半 島 南 端 の 樺 島 ( 野 母 崎 町 )

乙の溺れ谷の湾周辺が唯一の集落である。かつて、あぐり網全 盛期 (17統あった)の面影はなく、現在、湾の両側に張り出さ れている露台は、乙の島の基幹産業であるイリコの天日乾燥場 である。(昭和41年撮影)

樺島出稼ぎ相手地域 フ本忙 13 

13 

10 

中 四 国 5 

12 

10 

4 浜 5 

そ の 他 4 

計 72 

樺島出稼ぎ世帯主の帰島 傾向

樺島出稼ぎ世帯の留 居宅主婦の仕事

25 

15 

72 

9  16 

月 一 度 年 二 度 年 一 度 半年出稼

31 

水産加工日 雇 土建日雇

同兄 と父

頁徒︒前生るは校ょ

っ学 に

3小

表島調の樺態乙様実

5  5 

31 

商居手伝 そのイ也

ついで︑昭和三八年一

t

九月の期聞における︑平戸島の出稼ぎ調査弘夫態を分析してみようo

︿註 )こ の調 査に 当っ て︑ 出稼 ぎの 定義 が不 正確 であ った ため に︑ 昭和 三八 年一 月末

l

月一 日ま でに

︑島 外に 出て

︑職 につ いた 人 のう ち︑ 帰郷 の意 志の ある もの が殆 んど ふく まれ てし まっ た︒ 従っ て︑ 新学 卒者 の就 職離 村の 多く も︑ この 中に 入っ てい ると

考え

られ

る︒

平 戸 島 の 人 口 減 少 率

I~;担割 38年出稼ぎ 1;同年

世 帯 率 人口減少率

f1 6.7  14.2  7.2 

6.5  26.6  10.5 

5.0  31.0  6.7 

5.2  40.0  12.1 

中 津 良 5.2  40.0  7.9 

4.5  34.0  12.3 

志 々 岐 2.9  31.1  14.5 

平 戸 島 5.6  25.1  9.1 

が起

り︑

38年度人口は、出稼者を差しひいた現在の実在村人口 数によっている。

昭和三

Oi

三五年の平一戸島(全島一市)の合併前各地区の

人口減少率をみると︑都市化の進んだ北部にかえって高く︑

同三八年度のわれわれの調査した出稼ぎ世帯率は︑その人口

減少率の低い︑より後進的と思われる中南部に高くなってい

る︒ところが︑三五

i

三八年における人口減少率は︑後進地

域に︑より明かな人口減少が起ってきているといえる︒

つまり︑戦後の人口急増期と減少期との漸移する︑離島の

一時的な人口停滞の現象は︑離島内部の後進地域における人

口停滞に主な原因があり︑それら後進地域に︑人口交流があ

って

も︑

センサスでは正確に把握出来ない︑短期的な出稼ぎ

労働力の交流であったといえよう︒

やがて次第に︑より後進的な地域に及んでいくと考えられ︑ 離島でも︑まづ島内の先進地域から︑本土への明確な流出

いうならば︑本土就職において︑離島内部でも︑

後進地域ほど限界性を明かにするものである︒

離島 の人 口移

i

離島 と他 地域 との 交流 付

一七

さて︑昭昭三八年一月より同九月一日の八ヶ月間における人口流出をみると︑九月一日現住人口三.七万人中︑二︑

八五人名がこの八ヶ月間に出稼ぎし︑うち三︑六

M m

一OO名が帰島していた︒そして島内総世帯の比率からみると︑

全世帯の弘が出稼ぎ者を出している︒これは︑さきの樺島の比率には及ばないが︑しかし︑中南部の後進地域では︑

四O%に及ぷ地域がある︒またかりに都市佑の進んだ平戸地区を除くと丁度玲に当る︒更に字別に細分してみると︑

合併前の旧町村の中心地点に出稼率がや︾低いことは指摘してよく︑平戸連坦地域はさすがに︑殆んど出稼者を出て

しな し︒

乙﹀でいう出稼者には新学卒者が多くふくまれていると考えられ︑特に女子においてそう思われる︒また︑当然︑

世帯主の総出稼者の比率もひく﹀なった(総世帯の六・一形︑総出稼ぎ世帯のM円である︒昭和四O年に行った長崎県

の出稼ぎ調査では︑世帯主が︑総出稼ぎ者の九七%を占め︑かつ女子の出稼者は男子の五%にすぎなかった)︒従っ

て︑乙﹀では︑男・女および世帯主に分って考察する必要があり︑また事実︑男・女また世帯主によってかなり異質

出稼者男女数

的な傾向を示している︒

分 布カf 男 子 の

土工

大 工 の 出

z l d  

~I 平戸島

│ 2 )

i平 戸 島

c

;

. I  3) 

l

1)われわれの実態調査

2)県の実態調査

3)県の数字は、島原市、平戸

市、南高来郡、北松浦郡、

五島、壱岐、対馬の合計。

l し で も 女 子 は 両 地 域 愛 知 大 阪 に

九O 

1)昭和38 、 1~8

2)昭和40年 度

2 1  

867 

189 

まづ︑出稼ぎの相手地域をみると︑女子に

は︑極端な地域的集中の傾向がみられ︑愛知︑

大阪のみで全出稼ぎ者の五二%に及んでいる

のに対して︑男子のばあいは︑そのような傾

向もあるが︑東京都から大阪府に至る︑

t'¥ 

ゆる太平洋ベルトに分布する傾向が強く︑こ

平戸島における他出者の行き先(昭年38年 1 月 ~8 月末まで) 1

  662

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離島の人口移動1離島と他地域との交流け

女子は中京、大阪に圧倒的に多いが、男子は太平洋ベルト一帯にわたっ ている。特に世帯主にはその傾向が強いとともに、福岡への出稼ぎ者が

わづか3人であった。男子のばあい県内では、生月島への漁業出稼ぎが

多く、また男女とも佐世保が多かった。(実態調査資料より)

男子では六

O%

であ

る︒

また女子に取って︑福岡は︑かなり重要な労働需要地(女中が主)であるが︑男子に取ってはウエイトは低い︒女

子にない漁業出稼ぎは︑県内が圧倒的に多く︑その吠部分は生月島である︒ことに︑地理的に近い西岸の獅子地区で

は︑京浜︑中京を超える出稼者を生月に出している吋

平戸島における世帯主の出稼

間 数 ( 時 評 I

B/A 

I~額寄付c

3,269  468  16.8 

676  22  3.3  181  12. 

1,087  115  10.5  335  34.3 

612  38  6.2  244 

中 津 良 509  63  12.4  207  30. 

τにと 713  90  12.6  242  37.2 

志 々 岐 645  49  7.6  207  23.7 

24.Z 

出稼後の職業を︑その島内における家業との関係にみると︑女子

のばあいは︑何らの関連性がなく︑男子では︑漁業家庭から︑漁船

員出稼ぎが全漁船員出稼ぎ者の半教を占め︑職人家庭では︑半数が

大工出稼ぎである︒農業家庭では全職種に分散している︒

)次に︑世帯主の出稼ぎをみると︑その数字は︑全出稼者の六

M m

約一特に中部の後進地帯に世帯主の出稼ぎが多い︒

︑ 司 マ

讃﹁職人﹂︑﹁その他﹂家業の世帯主出稼ぎの比率は極めて高い︒

聞出稼ぎ後の職種は土工が最も多く︑漁業出稼ぎがこれについでいや

﹁職

人﹂

﹁その他﹂家業の出稼ぎは︑殆んどそれが定職化し︑そ

の他﹁中野地区︑獅子地区の生月への漁業出稼ぎ︑津吉の船員出稼

ぎ︑島内に分散する工員出稼ぎなどは︑固定佑︑定職犯している︒﹂

世帯主出稼ぎの約六

OM

を占める土工︑大工出稼ぎが︑さきに述

べた太平洋ベルトの建設工事が主な職場で︑日本経済の空間的な体

質改善とまさに照応している︒福岡は︑これら世帯主の職場として︑

平戸島における生月島への漁業出稼ぎ (昭和38.1‑8月末)

ρ 

1

5

ο  。

生月島は、資本制生産様式によるあぐり網漁業の基 地であり、島内漁業社会の階層分解が進んでいる。

その漁船乗組員として、平戸西北部からの出稼ぎ者 は、殆んど定職化している。(実態調査資料より)

なんらの意味ももっていない︒

対馬になると︑かなり事情が

ちがってくる︒その人口移動が︑

戦前型に近いことはさきにも若

の し 干 悉 た ふ 皆 厳 れ 調 原 た

幹事そ

の 与 ョ 昭 資 良 ラ 和 料 内 で 三 で 院 二 九 は ( 年

、 五 に 昭 二 実 和 戸 施

一七年以降一年八ヶ月の聞に︑

世帯主の出稼ぎはわづか八件︑

しかも︑現在出稼ぎ中のものは

二件にすぎず︑何れも﹁短期聞

に帰省の予定﹂とあった︒既に

帰省していた六件はすべて︑島内であった︒

非世帯主の離村はさすがに多く︑五二世帯中四二件あったが︑出稼ぎよりはむしろ長期離村が強い︒この期間中に

帰省したものは四二名中一一名あり︑うち五名は何れも島内の出稼ぎであるo現在離村中のもののうち半数は島内で

ある︒しかし︑一万与良内院の日一犀稼動件数は極めて多く︑公共投資の日雇い賃金が︑乙の地域の重要な収入源であ

る︒乙の収入が︑内院の人口流出をチェックしているとみるべきではなく︑農林︑或は農漁林日雇いの未分化的家業

いわゆる階級分解の結果上昇した農家││つまり自立農家が︑現在でも比較的人口流出の少い眉にあたるところの︑

離島の人口移動1離島と他地域との交流付

平戸島の出稼後の職種

=判明数に対する比%=

│ 総 ふ 帯 主 l

35% .8  60%.0 

17.0  8.1 

大工、左官 10.8  12.2 

漁 船 員 22.6  17.0  一

事 務 員 5.5  1.8  4.7 

中 一 一 34.3 

3.5  8.5 

4.8  1.8  一

看美 容護 一 一 5.5 

計 100.0  100.0  100.0 

実 数 計 1.324 274 526人

不 明 計 338  41  199 

計 1.662  315  725 

世帯主をすべて男子と仮定した。

(実態調査より)

的性格をもつものと考える︒しかし︑その家計の実態は︑またか︑るものであ

った︒戦後︑賃金水準が向上ル︑ことに︑戦前︑殆んど差のなかった大企業と

中小企業との賃金格差が生じ︑また労働攻勢が激しくなってきた︒低賃金と容

易に解雇出来る出稼ぎ労働力に依在する企業が増加し︑ことに戦後︑公共投資

が盛んになるにつれて︑技術をそれほど必要としない労働力需要が著るしく増

大してきたので︑ことに経済の限界地域である離島では︑この限界的職業の需

要に応じてくることになる︒

また︑離島社会の立場から考えると︑戦前は極めて自給的な性格の強かった

与良内院 (52世帯)の出稼、離村状況

2 i   16  18 

非 世 帯 主

47  9  本 戸

分 家 寄 留

621 

(実態調査より)

岡山県新見市における独占企業0セ メ ン ト(100)

と地場小企業S化学との賃金格差

Oセ メ ン ト

S 化 学 (地場小企業)

(拙稿:賃金と地域とに関する経済地理的法則)

計上の分類が行われているのが今日の離島の姿であろう︒

新規学卒者の動向 地域であるが︑戦後︑著るしく資本の市場佑し︑従来の自給的な零細な家業では︑その家計が成り立たなくなった︒資金蓄積の少い離島では︑当然︑労働力を販売する乙とによって得られる収入が︑家計の中心となる︒そして︑経済的なボリウムの少さい離島では︑通勤によって労働力を販売するチャンスにめぐまれない9

しかも低賃金のために家ぐるみ離村は不可能であり︑

その低収入を補助する家業が︑出稼ぎ留居世帯におい

て︑内職的に行われざるを得ない︒従って︑か﹀る傾

向は︑小離島ほど︑するどく指摘されることにな令

かくして︑かなり透明な階級分解を生じ︑実態は︑

労働力を販売する世帯でありながら︑留居宅が離島に

滞留し︑その世帯に対して︑なお農家︑漁家という統

移動する離島人口の主要な構成因子をなすものに︑壮年令の出稼ぎ労働力の外に︑

一 五

i

一九

才年令屈の若年労働力がある︒そして︑総転出人口のうちでこの年令屑の転出が最も多く︑かっ︑特に男子のばあい

は︑かなり長期ないしは永タ離村者が多く︑離島人口の減少に主役を演じる年令屈である︒

離島 の人 口移 動

1

島と 他地 域と の交 流付

ドキュメント内 河 地 貫 一 (ページ 90-100)

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