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John Reynolds が 1622 年に Denys de Refuges の作法書 Treatise of Courtesy (1615)を 英訳した。

1997 年)、92 ⾴。

96 John Reynolds が 1622 年に Denys de Refuges の作法書 Treatise of Courtesy (1615)を 英訳した。

97

Michael C. Schoenfeldt, Prayer and Power, George Herbert and Renaissance Courtship (Chicago and London: The University of Chicago Press, 1991), pp.208-9. Schoenfeldt は Guazzo 等の作法書を使いハーバート作品の分析をしている。

98

アリストテレス『ニコマコス倫理学』(上)渡辺邦夫・⽴花幸司訳(光⽂社、2015 年)、281-82 ⾴。

99

⼗七世紀はまだ、⼗⼋世紀以降の都市化、商業化、産業化がおおきく進展する以前の 社会であり、専⾨家を特徴づける教育、専⾨知識、技術、社会的プレスティージ、資格化 などが整備されていく過程にあったといえるであろう。⼗⼋世紀には職業軍⼈もまた尊敬 される職種になっていく。

100

アリストテレス『ニコマコス倫理学』(上)、100-101 ⾴。

⼩林⿇⾐⼦『近世スコットランドの王権―ジェイムズ六世と「君主の鑑」』(ミネルヴ

85

名誉⾰命後は議会の重要性が⾼まるにしたがい官僚機構が急速に拡⼤して、多くの者 が政界に⼊ることになり、「宮廷はまだ影響⼒の⼤きな雇⽤主であったものの、政治的な 野⼼の集まる場としては重要度を下げた。」『ブリテン諸島の歴史 8』、53 ⾴。同時に、

「ステュアート朝初期と同様、ハノーヴァー朝初期においても、議会と政治は同義ではな かった。⺠主主義ではなく、君主政体が社会の⽀配的イデオロギーを⽣み出していたので ある」という視点は不可⽋である。J. C. D. Clark, English Society 1660-1832 , 2nd edn.

(Cambridge: Cambridge University Press, 2000), p. 89.

86

Hutchinson, p. 366.

87

社会学者ノルベルト・エリアスは階級的観点を重く⾒て、必ずしも「外⾒」ではない と⾔う。「このように威信の⽴証や儀礼作法の遵守に途⽅もない価値が認められたが、そ れは「外⾒的なこと」の重視ではなく、宮廷⼈の個⼈としての存在感にとって最も必要不 可⽋なものの重視にほかならないのである。」(159 ⾴)「礼儀作法のなかには宮廷社会そ のものが⽰されている。つまり、各個⼈が相互に際⽴ち合い、また皆が⼀緒になって、そ の社会に属さない者たちに対して⾃分たちを際⽴たせ、そのようにして各個⼈としても、

また全体としても、彼らの存在を⾃⼰価値として実証しているのである。」(163 ⾴)エリ アスは宮廷や儀礼を最終的には権⼒と⽀配の関係の中で論じる。『宮廷社会 王権と宮廷 貴族階層に関する社会学的研究/序論として「社会学と歴史学を付す」』畑⽥節夫他訳(法 政⼤学出版局、1981 年)。

88

ハーバートは外⾒重視の宮廷⾵から、聖職⼊りした後は内⾯を持つ⽥舎⾵へと変化し たという議論がある。Malcolmson は、この書簡を引⽤した後、13 年後の 38 歳のときに ハーバートがペンブローク伯爵夫⼈に宛てた書簡中の、「牧師の祝福は、宮廷⾵ではあり ませんが、しかし疑いなく、マダム、貴⽅を害することなどありません。それゆえ、主 よ、お⺟上の貴⽅様への祝福を成就させてください」Hutchinson, p.377 という⾔葉を引 き、「牧師の祝福」(ʻa Priests blessingʼ)と「宮廷⾵」(ʻthe Court-stileʼ)に着⽬し、「ハー バートはこの⼿紙を書いた⼀年前の 1630 年に『⽥舎牧師』の執筆を始めていた。このテ キストは⽥舎の牧師の流儀を成⽂化しており、ハーバートを初期の「宮廷の流儀」から明 確に異なるものにしている」と⾔う。“Herbertʼs Country Parson ,” p. 245. Malcolmson は、Stephen Greenblatt の⾃⼰成型(ʻself-fashioningʼ)論を援⽤し、ハーバートのテキス トと⼈⽣に⾒られる技巧と社会的⾃⼰を構築する際の⼈間の役割・機能の描き⽅を考察し ている。そしてハーバートの宮廷時代と牧師時代に⼤きな変化あるいは断絶があることを

⽰唆している。

89

⽊村俊道『⽂明の作法−初期近代イングランドにおける政治と社交』(ミネルヴァ書 房、2010 年)、66 ⾴。

90

Wolberg は “All Possible Art” 第四章ʻ The Country Parson and The Civile Conversation ʼ の中で⼆冊の影響関係を論じている。また Lievsay はハーバートの『異国⾵俚諺集』

( Outlandish Proverbs )のうち 50 数篇がグアッツォの⼆つの著作『洗練された交際』と

Dialoghi piacevoli に由来していると主張し、少なくとも 15 編の諺は Pettie-Young 訳

『洗練された交際』に英⽂学史上最初に⾒られ、次に『異国⾵俚諺』に⾒いだされること を発⾒した。Wolberg, p. 91. John Leon Lievsay, Stefano Guazzo and the English

Renaissance (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1961).

91

ピーター・バーク「礼儀正しい⼝ぶり、すなわち、初期近代ヨーロッパの⾔語と洗 練」『市⺠と礼儀―初期近代イギリス社会史』ピーター・バーク他編、⽊邨和彦訳(牧歌 社、2008 年)、52 ⾴。

92

Wolberg, pp. 96-97.

93

Cooley, p. 12. Cooley はアルフレッド⼤王の嘆きが⼗六-⼗七世紀の聖職者の嘆きを先 取りしていたという。

94

「何故、愚かな世の⼈たちは、⾔葉では表現できないような喜びを与える職業を⾺⿅に するのか。何故、彼らは貴族が神の家族に⼊ることを、適当なことでないと考えるのか。」

『ジョン・ダン全詩集』湯浅信之訳(名古屋⼤学出版会、1996 年)、629 ⾴。ダンの「テ ィルマン⽒へ」と『⽥舎牧師』の関係については、⼭根正弘「ジョージ・ハーバートの聖 職者になることへの逡巡」(上・下)『英語英⽂学研究』第 57、58 号(2006 年)参照。

95

Wolberg, p. 97. William Perkins, Of the Calling of the Ministrie , 2 parts. (London, 1605), part 2, p. 51.

96

John Reynolds が 1622 年に Denys de Refuges の作法書 Treatise of Courtesy (1615)を 英訳した。

97

Michael C. Schoenfeldt, Prayer and Power, George Herbert and Renaissance Courtship (Chicago and London: The University of Chicago Press, 1991), pp.208-9. Schoenfeldt は Guazzo 等の作法書を使いハーバート作品の分析をしている。

98

アリストテレス『ニコマコス倫理学』(上)渡辺邦夫・⽴花幸司訳(光⽂社、2015 年)、281-82 ⾴。

99

⼗七世紀はまだ、⼗⼋世紀以降の都市化、商業化、産業化がおおきく進展する以前の 社会であり、専⾨家を特徴づける教育、専⾨知識、技術、社会的プレスティージ、資格化 などが整備されていく過程にあったといえるであろう。⼗⼋世紀には職業軍⼈もまた尊敬 される職種になっていく。

100

アリストテレス『ニコマコス倫理学』(上)、100-101 ⾴。

⼩林⿇⾐⼦『近世スコットランドの王権―ジェイムズ六世と「君主の鑑」』(ミネルヴ

ァ書房、2014 年)、94 ⾴。E・H・カントローヴィッチによれば、「チューダー朝の法学 者の教説は、明確にパウロの表現及び、この表現のその後の展開に依拠したものであっ た。パウロの〈キリストの体〉という表現は、中世の〈教会の神秘体〉へと発展し、これ はさらに〈国家の神秘体〉へと発展していった。そして〈国家の神秘体〉は国家の〈道徳 および政治的な⾝体〉と同⼀視され、最終的には(〈威厳〉の観念によって複雑になりは したが)あらゆる修道院⻑は「神秘体」ないし「政治的⾝体」であり、それゆえ王もまた

「決して死ぬことのない」政治的⾝体である(政治的意味をもつ)と主張する標語が現れ たのである。したがって、国王⼆体論は、断⽚的に存在する様々な異教の諸概念とのある 種の類似性を有するものの、キリスト教の神学思想から派⽣したものであり、つまりはキ リスト教神学の⼀つの顕著な特徴を⽰すものなのである。」『王の⼆つの⾝体 中世政治神 学研究』(下)⼩林公訳(筑摩書房、2003 年)、293 ⾴。

102

Cooley, p. 115.

103

pater patriae の訳語はより正確には「⽗国⽗親」となる。

104

「200 年以上の間、サー・ロバート・フィルマーの名前は物笑いの典型―無意味の典 型―であった。」 Patriarcha and Other Political Works of Sir Robert Filmer , ed. Peter Laslett (Oxford: Basil Blackwell, 1949), p. 1.

105

J・G・A・ポーコック『マキャヴェリアン・モーメント フィレンツェの政治思想と⼤

⻄洋圏の共和主義の伝統』⽥中秀夫・奥⽥敬・森岡邦泰(名古屋⼤学出版局、2008 年)、

312 ⾴。

106

Laslett, Introduction of Patriarcha and Other Political Works of Sir Robert Filmer . ラス レットはフィルマーの懐疑について次のように書いているが、ハーバートの社会観を考え る際に⽰唆的である。「三⼈の思想家、ホッブズ、フィルマー、ロックの⽐較によって、

フィルマーの⼼理的想定は、ロックによってもホッブズによっても検討されず、またその 後も解決されていないことが分かる。フィルマーは、社会が意識的な思考によって創造さ れたものではなく、また意識的思考によって存続しつづけ機能し続けるものでもないこと を主張した。ホッブズの『リヴァイアサン』は完全に利⼰的で独⽴した諸個⼈からなる社 会において合意によって創造された。絶対主権を構成した者たちはそれに従った。なぜな ら、その社会が彼らを代表し、彼らの意識的必要性を完遂し、彼らの意識的な⽬的を体現 するように注意深く構築されたものだったからである。ロックの契約的な統治は、個⼈間 のより限定的な同意の上に打ち⽴てられたものだが、しかしそれでもなお、意識的思考が 具体化されたものであり、社会の素材は意識的な推論であるということを仮定していた。

ホッブズもロックも、諸個⼈はこのことができるように⼼理的に作られていることを前提 としていた。……フィルマーにとっては、社会は⼈間に対して⾝体的に⾃然なものであっ

た。社会は、⼈間の意識的思考によって成⻑するものではなく、さらなる思想によって変 更可能なものではなかった。社会は、純粋に⼈間的⾃然の⼀部だった。」Laslett, p. 42. 訳 はロバート・フィルマー『フィルマー著作集』伊藤宏之、渡部秀和訳(京都⼤学学術出版 会、2016 年)、722-23 ⾴から。ラスレットの「社会は、純粋に⼈間的⾃然の⼀部だっ た」というフィルマーの懐疑はアリストテレスの社会的動物としての⼈間の議論を思い起 こさせる。

107

Cesare Cuttica, Sir Robert Filmer (1588-1653) and the patriotic monarch:

Patriarchalism in seventeenth-century political thought (Manchester: Manchester University Press, 2012), p. 7.

108

Andrew Mansfield, “Review on Cesare , Sir Robert Filmer (1588-1653) and the Patriotic Monarch ,” in Renaissance Review , vol 29, Issue 2, p. 322-23. ある歴史家は Cuttica がフ ィルマーが何であるかを理解させることに「⾸尾よく成功した」と評価する(David L.

Smith, “review,” in History , vol 98, issue 333, 2013, p. 783)。政治学史におけるフィルマー への再評価は 1980 年代まで歴史学分野で⽀配的であった進歩主義史観の相対化と同じ流 れの中にある。ポーコックは本質的な指摘をする。「ホイッグ的な歴史は後知恵を働かせ て、帰結という観点から[1688 年の]事件に異議を付与する。……しかし、そうした歴 史叙述は[1688 年の]事件によって、そしてその事件の帰結を考察した⼈々によって⽣

み出されたこと、そして[1688 年の]事件は⾃らの意義を⽣み出した主体であったこと は否定できない歴史的事実である。そうした意味において、ホイッグ的な歴史記述は、ホ イッグ的な歴史の産物なのである。」J・G・A・ポーコック『島々の発⾒「新しいブリテ ン史」と政治思想』⽝塚元監訳(名古屋⼤学出版会、2013 年)、164-65 ⾴。歴史修正主 義による歴史解釈の⾒直し同様フィルマー解釈も客観的な⾒⽅が可能となった。曽村「柔 和なアングリカンと名誉⾰命 アイザック・ウォルトンの包括的思想を基点として」『名 誉⾰命とイギリス⽂学 新しい⾔説空間の誕⽣』富樫剛編(春⾵社、2014 年)参照。

109

フィルマー、5 ⾴。

110

フィルマー、140-45 ⾴。

111

王権神授説は、(1)戴冠式で聖油を塗られた国王の権威と権限は神から与えられたも のである、(2)世襲は覆せない、(3)王は神にのみ責任をもつ、(4)⾮抵抗と黙従は神 から課されている、という理論である。1567 年のエリザベス⼥王の『公定説教集』で明 確に⽰されたが、⼗七世紀末でも神の秩序観が⽀配的であり社会の始原は聖書にあった。

112

フィルマー、5-6 ⾴。フィルマーは、「⼈類は、⽣まれながらに全ての従属からの⾃由

を付与され、許され、好むままに統治形態を選ぶ⾃由を持ち、だれかある⼈が他の⼈に対

して持つ権⼒は、最初は、⼈間の権利によって、⺠衆

multitude

の思慮分別に従いながら