第 2 章 西ドイツ再軍備への英外交戦略(1950-1953 年)
1 DEFE 6/2, JP (50)22
2 詳細はForeign Relations of the United States, 1950, Vol.Ⅲ, (Washington, D,C,:
USGPO,1977) pp.273-278. 以下、FRUS 1950, Vol.Ⅲと略
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ンは大西洋連合軍を考えたが閣僚に支持されず、スポフオード・プランを支持するように なった3。このような国際情勢の展開で1950年12月仏もスポフオード・プランに同意し た。
1952 年 5 月に渋る仏を英米で説得して、EDC 条約が6か国(仏、西独、伊、ベルギ ー、オランダ、ルクセンブルグ)により調印された。前日には西ドイツの主権回復を実現 するボン条約(ドイツ条約)も調印されていた。これは、EDC条約が発効した時に同時 にボン条約が発効することを意味していた。従って、西ドイツの主権回復と再軍備の統制 が一体となっていることが明らかであった4。しかし、もしこの EDC 条約が仏により批 准されてなかった場合、米国と西ドイツが西欧の安全保障体制からの離脱となる可能性 を意味した。というのも、すでにダレス国務長官より仏が EDC 条約を拒否するならば、
米は欧州大陸から駐留米軍の撤退を暗に示唆することを伝えられていたので、何として でも仏が受けいれるような対応を考えなければならない事態となった。
一方、このような西側諸国の動向は、ソ連にとって安全保障の観点から決して望ましい ものではなかった。それ故、1952年3月 10日ソ連から突然ドイツ統一中立化構想であ る「スターリン・ノート」が提案され、西欧諸国とりわけドイツ国民は、EDC条約によ り西ドイツの西欧への統合か、それとも「スターリン・ノート」構想のドイツ中立化によ る統一か、一時的に選択することを迫られたのである5。結局この提案は、西側諸国によ り拒否された。以上本章では、朝鮮戦争が欧州に与えた影響、EDC条約、「スターリン・
ノート」、などの問題を中心にして、その間の経過と英国の態度を考察する。
第1節 朝鮮戦争の欧州への影響
アトリー政権の西ドイツ再軍備に対する戦略
前述したように、英国は1950年春には防衛戦略を見直して優先順位を中東から欧州防 衛にシフトし、同年5月末までに西独が最終的にはNATOに参加しなければならないと 結論をだしていた。
ただし、英国参謀本部は、西独の再軍備には以下の問題があることを指摘した。①西独 再軍備で生じる脅威を封じるために他の西欧諸国の軍隊、特に仏の軍隊が再建されなけ
3 益田実著、『戦後イギリス外交と対ヨーロッパ政策』、(ミネルバ書房、2008年)80-81頁と 90-92頁を参照。
4 細谷雄一著、『外交による平和』、(有斐閣、2005年)119頁を参考にした。
5 清水聡著、『東ドイツと「冷戦の起源」1949~1955年』、(法律文化社、2015年)6頁。
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ればならない6。②西独での反再軍備の感情7を考慮して、慎重なアプローチが必要8。③欧 州の安全保障の問題では、ソ連を封じ込めるだけではなく西ドイツも統制する必要があ り、そのため大西洋同盟(NATO)に参加させること。(英国は西ドイツ再軍備の場合には、
NATOに加盟する必要があることをすでに1950年5月8日の閣議で承認済み9)。④ソ連 が西独再軍備に反発して予防戦争を開始する可能性。⑤軍事的に強力な西ドイツはドイ ツ統一に成功し、交渉によりドイツ占領国の全軍を撤退させ、再び欧州で強力な国家とな り、勢力均衡の決定権を握る国家となるか、あるいは進んでソ連に譲歩して、統一ドイツ を達成し、ソ連と同盟を結んでソ連の衛星国家となり西側と対峙する可能性10。などであ った。英国は以上の問題点を考慮しつつ西独再軍備に対応することになった。
そもそも英国にとって、ドイツの再軍備問題に対して、仏とは程度こそ異なるが再武装 したドイツへの懸念が以前から存在していた。すでに1944年に英軍部は、戦後に英国の 脅威となる国として、復興したドイツとソ連を挙げていた11。また、1946 年には英参謀 本部は、ソ連が復興したドイツよりも危険であり、最悪のシナリオはソ連に支配されてい る復興したドイツであるとした12。1948 年以降、冷戦の激化と共に、仏を除いた英国を 中心とする西欧諸国は、西ドイツを西欧防衛に引き入れることを考え始めたが、ベヴィン は1948 年12 月22日の閣議で、西ドイツと西欧諸国との間で将来の防衛貢献について 決定することは、時期尚早と結論を出していた13。
そして、前述したように1949年2月にべヴィンの要請により、2 月から外務省内のス トラング委員会で長期的な英外交の枠組みを検討していた。この委員会は、5 月に自立で きる第 3 勢力論を放棄することを決定していたが、最終的には 8 月 24 日に、今後の英外 交方針として米国との緊密な関係を提言することを決めた14。これは、自立した第 3 勢力 となる西欧同盟から大西洋同盟、つまり米国との関係を重視することを決めたことであ
6 DEFE 6/11, J.P. (49) 156, 15th March, 1950.
7 Ibid.アデナウアーは、1949年末の米仏の新聞社とのインタビューで西独が西欧防衛に貢献
する可能性を述べて国内から強い非難を浴びた。板橋拓己著、「アデナウアー」、(中央公論 新社、2014年)111頁。
8 Saki Dockrill, Britain’s Policy for West German Rearmament 1950-1955, (Cambridge University Press, 1991) p.12.
9 CAB128/17, C. M. (50)29, 8th May 1950.
10 DEFE 4/31, C.O.S. (50) 70, 2nd May, 1950
11 Victor Rothwell, Britain and the Cold War 1941-1947, (London, 1982) p.119.
12 CAB129/9, C. P. (46)186. 3rd May 1946.
13 CAB128/13, C. M. (4), 22nd December 1948.
14 詳細は細谷雄一著、前掲書、180-183頁参照
115 り、大戦後の英外交の重要な転換であった。
また、1949年8月のソ連の原爆実験の成功による米国の核による抑止力の低下、同年 9 月の西ドイツ政府の成立、10 月の東ドイツ政府と中華人民共和国の成立、などの国際 情勢の変化により、1949 年12月29日西ドイツ再軍備について、英参謀本部は議論し、
結論として、①今は西ドイツ再軍備に反対し、この問題の公の議論を弱めるようにすべき である。②だが、ある程度の西ドイツの西欧防衛への参加がないと、西欧は効果的に防御 することができないという事実に直面しなければならない。ソ連の脅威が継続する限り、
必然的にこの問題は我々にもあり、ソ連の攻撃が増加するにつれて、その問題がより厳し くなる。③西ドイツ世論が西ドイツの再軍備を望んでいると想定できない。従って、我々 の立場は、西ドイツの軍事協力を懇願しなければならない。④最初の重要な段階として、
我々は西側、特に仏の力を強化するためにできる事を全て行わなければならない。その間 我々は西側に西ドイツを完全に巻き込むため出来るだけのことをするべきである、など の見解をまとめた15。
さらに1950年3月8日に英参謀本部は、「西欧防衛への英国の貢献」を議論した。彼 らは、西欧防衛に英国陸軍の派遣を約束する提案に大臣達の注意を向けさせる必要性を 強調した。しかし、そのような提案は、連合国側の防衛政策の最新の見解や英国の防衛を さらにより密接に西欧防衛と関連させる変化に基づいてなされなければならないとして、
共同計画スタッフ(Joint Planning Staff)に報告の指示をした16。
その報告では、まず大きな戦争で西欧の戦略的重要性に関して、英国と西欧の防衛は一 緒に考えなければならない、戦争時の西欧防衛の基盤は強い仏である、などとした。次に、
西欧の強化に関与する際のリスクとして、英軍の派遣で英国は大陸の戦略に関与するこ とになり、さらに西欧に大規模な陸軍や戦略空軍を派遣することになる。英国は戦争時に 放棄できない中東で、平和時に責任を持っているが、最小限この足場を守るために英国か らの軍隊派遣を伴う。西欧防衛に 2 師団を派遣して強化することは、ただ中東への強化 を犠牲にしてのみ出来ることである。などと分析し、政府に対して歩兵師団 2 部隊が戦 争時に英国陸軍ライン軍団への強化として利用できるならば直ぐにそれらの部隊を提供 する約束に合意するべきである、と勧告した17。これは、英国の防衛での優先事項が中東