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第 2 章 西ドイツ再軍備への英外交戦略(1950-1953 年)

16 DEFE 6/12, JP (50)22(S)

115 り、大戦後の英外交の重要な転換であった。

また、1949年8月のソ連の原爆実験の成功による米国の核による抑止力の低下、同年 9 月の西ドイツ政府の成立、10 月の東ドイツ政府と中華人民共和国の成立、などの国際 情勢の変化により、1949 年12月29日西ドイツ再軍備について、英参謀本部は議論し、

結論として、①今は西ドイツ再軍備に反対し、この問題の公の議論を弱めるようにすべき である。②だが、ある程度の西ドイツの西欧防衛への参加がないと、西欧は効果的に防御 することができないという事実に直面しなければならない。ソ連の脅威が継続する限り、

必然的にこの問題は我々にもあり、ソ連の攻撃が増加するにつれて、その問題がより厳し くなる。③西ドイツ世論が西ドイツの再軍備を望んでいると想定できない。従って、我々 の立場は、西ドイツの軍事協力を懇願しなければならない。④最初の重要な段階として、

我々は西側、特に仏の力を強化するためにできる事を全て行わなければならない。その間 我々は西側に西ドイツを完全に巻き込むため出来るだけのことをするべきである、など の見解をまとめた15

さらに1950年3月8日に英参謀本部は、「西欧防衛への英国の貢献」を議論した。彼 らは、西欧防衛に英国陸軍の派遣を約束する提案に大臣達の注意を向けさせる必要性を 強調した。しかし、そのような提案は、連合国側の防衛政策の最新の見解や英国の防衛を さらにより密接に西欧防衛と関連させる変化に基づいてなされなければならないとして、

共同計画スタッフ(Joint Planning Staff)に報告の指示をした16

その報告では、まず大きな戦争で西欧の戦略的重要性に関して、英国と西欧の防衛は一 緒に考えなければならない、戦争時の西欧防衛の基盤は強い仏である、などとした。次に、

西欧の強化に関与する際のリスクとして、英軍の派遣で英国は大陸の戦略に関与するこ とになり、さらに西欧に大規模な陸軍や戦略空軍を派遣することになる。英国は戦争時に 放棄できない中東で、平和時に責任を持っているが、最小限この足場を守るために英国か らの軍隊派遣を伴う。西欧防衛に 2 師団を派遣して強化することは、ただ中東への強化 を犠牲にしてのみ出来ることである。などと分析し、政府に対して歩兵師団 2 部隊が戦 争時に英国陸軍ライン軍団への強化として利用できるならば直ぐにそれらの部隊を提供 する約束に合意するべきである、と勧告した17。これは、英国の防衛での優先事項が中東

116 から西欧へと変わったことを意味した。

また、共同計画スタッフは、3月15日に「ドイツへの英国の政策の軍事的側面」につ いて、外務省からの質問を受けて、外務省と協議しながら以下のように回答をまとめた。

これは、朝鮮戦争前に英国がどのような西ドイツ政策を考慮していたのかを示す重要な 方針であり、詳細に述べてみる。

(a)ドイツでの長期的な政治目的は、西欧諸国と連携し攻撃されない民主的な中央政府 により執行される独立した統一国家であるとした。そして、次に、その手順としては、① 全ドイツで自由選挙によりドイツ中央政府を選ぶことを認めるソ連との合意。②ドイツ 中央政府と占領 4か国との平和条約の締結。③占領軍の撤退と4 か国管理の終わり。な どであった。さらに、その中央政府はソ連と協調せず、以前のように隣国を支配しないこ と、などが条件であった。

以上のことから、西側に受け入れやすい条件でのドイツ統一は、当分可能性がないので、

西ドイツへの政策を検討する、とした。その具体策とは、ドイツ分割であった。彼らの分 析によれば、現在、西ドイツにはソ連支配への広範な不安がある。しかし、ドイツ人の本 当の関心は、統一ドイツの復活である。従って、今ドイツ統一のためにソ連との交渉を申 し入れる可能性があるかもしれない、ただ、連合国側によるドイツ統一を提案するソ連へ のアプローチは、ドイツに連合国側の弱点があることを示唆し、ソ連と妥協するようにな ると受け止められる。それ故、西側は、今この提案をすべきではない。この提案の前提は、

安定し安全な西ドイツである。西側同盟国の直近の狙いは西ドイツの構築であるが、一方 では絶えずドイツ人全体に対して、民主的な政権下で最終的には統一への望みを宣言す ることである、とした。

(b)分割されたドイツでの軍事的要因に関しては、①短期的には復活したドイツよりも ソ連からの脅威の方を重視。②西ドイツが西欧に参加する場合には、西ドイツの利益を守 る保障を与える必要性。③自主的に、強い西ドイツが西側と協力して西欧防衛に貢献する こと。④西ドイツの軍隊には、ドイツ国軍の復活は認めず、ソ連やその衛星国を挑発して 予防戦争を起こすことがあってはならない。⑤西ドイツ再軍備への政策は、仏に受け入れ やすいものでなければならない。⑥欧州に米軍を維持する必要性がある。⑦ソ連は、東ド イツに国内の治安警察としての治安警察隊(Polizeibereitschaften)が存在し、武器を装備 し軍事作戦を行う事も可能。⑧ベルリンの西側諸国の立場は軍事的には脆弱。

以上のように分析して、まず、西ドイツに軍隊を構築する軍事的理由があり、そのため

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には早期の西ドイツ再軍備を認めて西欧同盟に貢献させるが、戦車や飛行機の使用を禁 止して、西ドイツ自身で攻撃的な戦争を行う事が出来ないようにする。次に西ドイツが限 定された再軍備に関する合意違反の場合には、ドイツに予防行動を取る、などを主張した。

最後に結論として、①西側諸国に受け入れやすい条件でのドイツ統一は、近い将来には 可能性がない。西側諸国は、今統一ドイツを提案することに主導権を発揮するべきではな い。②西側同盟国の直近の目標は、西ドイツを構築することであるが、一方では絶えずド イツ人全体に対して民主的な政権の下で最終的には統一への望みを宣言し続けることで ある。③全ての段階で、西側諸国は、自由で統一されたドイツを獲得する最善の機会は西 側諸国との協力であることをドイツ人に対して明らかにすべきである。④西ドイツ再軍 備に賛成する強い軍事的理由がある。しかし、しばらくの間、それに反対する強い政治的 理由もある。特に、連合国側がライン川東のドイツの実質的な地域を守る立場になるまで、

ドイツ人自身の協力を確保することは困難である。⑤西ドイツ再軍備が可能になる前に、

西欧の軍隊の士気と力が、最初に戦争抑止として行動するために構築されなければなら ない。⑥その間、西ドイツの安全保障は、西ドイツ駐留軍の存在と大西洋同盟の存在に依 存する。⑦西欧に米軍の駐留の必要がある。その存在がソ連の攻撃への抑止、西欧の士気 と軍隊の構築に重要な要因、米国の世論に西欧防衛の重要性を印象付けるのに役立つ、な どであった。⑧西ドイツに、国内の治安の維持のために治安警察部隊(gendarmerie)を招 集する権威を与える。これは、東ドイツの治安警察隊(Polizeibereitschaften)のライバル として創設されるものではない18。このように、1950年3月15日に外務省から依頼のあ った「ドイツに対する英国の政策の軍事的側面」をまとめた。要するに、英国は、西ドイ ツ再軍備について部分的賛成であり、西ドイツの治安警察隊程度の承認で軍隊レベルで はなかった。また、これはあくまでも英国外務省内での1つの考えであり、すぐには政策 決定に反映されなかった。しかし後に、この検討された大半がドイツへの政策として実行 されることになる。

次に、ドイツの英国占領地区で深刻な事態が1949年秋に生じた。前述したように、

1949年4月の占領法でドイツの西側占領地区の最高責任者は高等弁務官となった。そし て、9月に西ドイツが正式に樹立されたが、新たな問題が、ドイツで現れ始めた。とりわ け解体計画(デモンタージュ)に関する問題が、占領3か国による緊急の審議を要求す

18 DEFE 6/11, JP (49)156(Final) AnnexⅠ.

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る事態へと発展していた。つまり、ドイツの英占領地区での解体計画が、ドイツの役人や ドイツ国民から、次第に深刻な反対に遭遇していたことであった19

この報告を受けたべヴィンが、10月28日アチソンやシューマンに連絡をし、現在の解 体計画のため『ドイツでの高等弁務官と連合国の道徳的権威が急速に失墜している』と訴 えた。べヴィンに気がかりな問題は、ルール国際機間への西ドイツ政府の参加、軍事安全 保障委員会や他の重要な安全保障対策を西ドイツ政府が受け入れる事、見直しの時期が来 るまで占領法の範囲と機能について西ドイツ政府の明確な理解、ドイツとの現在の法的戦 争状態の継続に関与する諸問題、などであった。べヴィンは、これらの諸問題について英 米仏3か国で議論する会議をパリでの欧州審議会の閣僚委員会とブリュッセル条約加盟 国の諮問会議の後に開催する事、また最新の現地の情報を知り、高等弁務官の見解を聞く ために、3か国の高等弁務官に出席を求める事、などをアチソンとシューマンに提案した

20。これに対して、アチソンは10月30日シューマンに連絡して、『べヴィンが述べてい る問題は、まさに最も重要である。我々の早期の行動が、解体問題で肝要であることをベ ヴィンと同様に確信している。』と述べて、解体計画問題での英国米仏3カ国の会議をシ ューマンに求めた21。さらに、『今や、仏が主導権を発揮して、西ドイツを速やかにそし て断固として西欧に統合するために必要とされる指導力も行使する時である。』と主張し て、欧州統合への仏の主導権を発揮することを要請した22。このように、アチソンは、べ ヴィンの要請を受け入れるとともに、欧州統合についても言及し、英国ではなく仏の主導 権に期待した。ここから、米国は欧州統合に向けての主導権の発揮を英国から仏に変更し たことが明らかであり、これが翌年のシューマン・プランへと結び付くのであった。

1949年11月9日と10日に、べヴィン、アチソンとシューマンがパリで会議を行っ た。会議の議題はべヴィンの提案により、①占領法が改正される時期が来るまでのドイツ の計画、②西側世界との連携、③安全保障、④ドイツの国内問題、などであった。

解体計画問題について長時間の議論の末、この問題と安全保障問題を関連づけること が決まった。具体的には、西ドイツ政府が安全保障に必要な保障を与え、ルール国際機関 への参加に同意することで西ドイツ政府の善意を明らかにし、軍事安全保障委員会と緊密

19 CAB129/37, C. P. (49)237. 16th November 1949.

20 Foreign Relations of the United States. 1949, vol. Ⅲ, pp.618-621. 以下、FRUS, 1949, Ⅲ,と略。

21 FRUS, 1949, Ⅲ, pp.621-622.

22 Ibid., pp.623-625.

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