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ドキュメント内 真宗教学研究 第28号(2007) (ページ 145-151)

二二サ

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二二サ

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右親驚聖人員跡也

専修念仏と神祇不拝

⑤ 

教行信証

けんじゃうどはうべんくゑL

顕浄土方便化身土丈類

f華

︵﹁

定本

全集

﹂六

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ノ、

143 

くとくしゃくし人らんしふ

愚 禿 釈 親 驚 集

それもろもろの修多羅に拠りて︑真偽を勘決して︑外

A

教邪偽の異執を教誠せば︑浬般市経に言はく︑﹁仏に帰依

せば︑終にまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ﹂

と ︒

略出

般舟三昧経に言はく︑﹁優婆夷︑この一一一昧を聞きて学

ばむと欲せむ者は︑乃五十自ら仏に帰命し︑法に帰命し︑U

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比丘僧に帰命せよ︒余道に事ふることを得︑ざれ︑天を拝

することを得ざれ︑鬼神を耐ることを得︑ざれ︑吉良日を

視ることを得︑ぎれ﹂と︒巳上

また言はく︑﹁優婆夷︑三昧を学ばむと欲せば︑乃至

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天を拝し神を嗣杷することを得︑され﹂と︒略出

大智律師の一五く︑﹁神は謂く鬼神なり︑すべて四趣︑

天・修・鬼・獄に収む﹂と︒

度律師の云く︑﹁魔は即ち悪道の所収なり﹂と︒

止観の魔事境に云く︑﹁二つに魔の発相を明かさば︑

管属に通じて︑みな称して魔とす︒くはしく校異を尋ぬ

れば三種を出でず︒一つには慢慌鬼︑二つには時据鬼︑

三つには魔羅鬼なり︒三種の発相各各不同なり﹂と︒

源信︑止観に依りて云く︑﹁魔は煩悩によりて菩提を

妨ぐるなり︒鬼は病悪を起こす︑命根を奪ふ﹂o

己上

論語に云く︑﹁季路聞はく︑﹁鬼神に事へむか﹂と︒子

144 

﹁事ふることあたはず︑ 人いづくんぞよく鬼神

の日

く︑

に事へむや﹂と︒己上抄出

縞かにおもんみれば︑聖道の諸教は行証ひさしく廃れ︑

浄土の真宗は証道いま盛りなり︒しかるに︑諸寺の釈

門︑教に昏くして真仮の門戸を知らず︑洛都の儒林︑行

に迷ふて邪正の道路をわきまふることなし︒

︵日

本思

想大

系﹃

親鷲

﹂︶

⑥ 愚 迷 発 心 集 貞

A m r

︑かの仏菩薩は︑五濁の我等を救はんがため︑専ら大慈

大悲の誓願を催されて︑かの法性の都の中より出で︑

示も穣悪充満のこの土に雑る︒感応利生︑眼に遮り︑

耳に満ち︑霊神験仏︑此在り︑彼に在れども︑発すべき

の一念の道心をも請はず︑訪ふべきの二親の菩提をも祈

たず︒たとひかの霊壇に望めども︑ほとんど真実の信心

を起すころなし︒栂かに念請を麹っと難も︑持挙数競

ひ起

る︒

和光同塵の本願は︑結縁の始めそれ何ぞ︒毒酔迷乱の

我等に︑薬を授くるに便りなし︒ただし菩薩︑我等を念

じ︑愛したまふこと︑骨髄に徹す︑恒に利益せんと欲し

たまふこと︑猶し一子のごとし︒その利益何事ぞ︑いは

ゆる道心是れなり︒世間浅近の益は︑皆このための方便

なり

︵日

本思

想大

系﹃

鎌倉

旧仏

教﹄

⑦発心集︵大意︶

後三条天皇の孫にあたる花園左大臣源有仁は︑

絃に秀でた美貌の貴公子だった︒いつのことのことであ

ろうか︑何を思い立ったか︑この有仁が京から石清水八

幡宮へ︑束帯姿で七夜詣をしたことがあった︒内よ徒歩

で京から石清水まで参詣する様子をみて︑側近の者たち

は︑﹁これほどの難儀を重ねるのは︑きっと並々ならぬ

望みがあるに違いない︒世継ぎの誕生を祈つてのことで

もあろうか﹂と︑ささやきあった︒だが有仁の願いは︑

実は﹁臨終正念︑往生極楽﹂にあった︒ 詩歌管

⑧ 

釈尊入滅の後︑二千余年︑天緋一一を去れる事数万里︑わ

づかに聖教伝はり給ふといへども︑正像すでに過ぎて︑

行ふ人もかたく︑其のしるしも又まれなり︒

ここに︑諸仏菩薩︑悪世の衆生の辺卑のさかひに生れ︑

発心集

末法のO慮なさって無仏の世にまどひて浮ぶ方ならん事をかがみ給ひて︑我

が機にかなはむ為に︑いやしき鬼神のつらとなり給へば︑

かつは悪魔を従へ︑仏法を守り︑かつは賞罰をあらはし

て︑信心を発さしめ給ふ︒これ則ち︑利生方便のねむご

ろなるよりおこれるなり︒

中にも︑我が困のありさま︑神明の助けならずは︑

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らカでいかにか人民もやすく︑国土も穏やかならむ︒小田辺卑

のさかひなれば︑国の力よわく︑人の心も愚かなるべ

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あ ら

隠しては︑天魔の為に悩まされ︑顕はれては︑大国の

王に領ぜられつつ︑安きそらもなくてこそは侍らましか︒

たとひ仏法わたり給へりとも︑悪魔のさまたげこはくし

て︑濁世ぴ今にひろまり給はん事︑きはめてかたし︒

か る を

3

が 国 は

いざなみ・いざなぎの尊

専修念仏と神祇不拝

百王の今にいたるまで︑久しく神の御固として︑

其の加護なはあらたなり︒あまさへ︑新羅・高麗・支

那・百済など云ひて︑いきほひことのほかなる国々さへ

随へつつ︑五濁乱慢のいやしきも︑なほ大乗さかりに広

まり給へり︒もし︑国に逆臣あれば︑月日をめぐらさず︑

これを滅ぼし︑天魔仏法を傾けんとすれば︑鬼王として退治対治し給ふ︒ ト ﹂

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り ︑ 145 

かかれば︑里の中︑道のほとりなどに︑大きなる木一

二本も見ゆる所︑皆あやしけれど︑神のいます所なり︒

寺のほとりの草木︑いづら人の植ゑ置きける︑とがめ罵

Lるだに︑隙をはかりで︑きりほろぼす︒やや堂舎をこぼ

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ちとり︑仏の場に諸々の不浄を行ず︒まことに目もあて

られぬ事多くこそ侍れ︒げに︑神とあらはれ給はざらま

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しかば︑無悪不造のともがら︑何につけてか︑露ばかり

の縁を結び奉らましと思ひとけば︑かく榊・幣よりはじ

下干J

め︑かたくななる宜捕が鼓の音までも︑皆開楽情人の

ご用意御かまへなり︑とあはれにかたじけなくなむ侍り︒

しかればすなわち︑現世のもろもろの望みこそ︑仮の

方便とこそしらしめ給はめ︒出離生死を祈り申さんに至

りでは︑いかでか︑化度の本懐をあらはし給はざらん︑

と覚え侍るなり︒

︵新

潮日

本古

典集

成︶

⑨ 

無量寿経釈

み ぎ

この日本国にさしも貴き無上の霊地・霊験の醐りには︑

でんきょ皆ことごとく嫌はれたりと云々︒先づ比叡山はこれ伝教

大師の建立︑桓武天皇の御願なり︒大師自ら結界して︑

146 

谷を堺ひ︑峰を局って︑女人の形を入れず︒一乗の峰高

く立ちて︑五障の雲塗ゆることなく︑一味の谷深くして︑

三従の水流るることなし︒薬師医王の霊像︑耳に聞いて

眼に視えず︒大師結界の霊地︑遠く見て近く臨まず︒高

野山は弘法大師結界の峰︑真言上乗繁盛の地なり︒三

密の月輪普く照らすといへども︑女人非器の聞をば照ら

λさず︒五瓶の知日水等しく流るといへども︑女身垢織の質

には躍がず︒これらの所において︑なほその障りあり︒

しゆっかさんかいどういかにいはんや︑出過三界道の浄土においてをや︒しか

のみならず︑また聖武天皇の御願︑十六丈金銅の舎那の

前︑逼かにこれを拝見すといへども︑なほ一扉の内には入

らず︒天智天皇の建立︑五丈の石像弥勅の前︑高く仰い

でこれを礼拝すといへども︑なほ壇上には障りあり︒な

いし金峰の雲の上︑醍醐の霞の中︑女人は影をささず︒

悲しきかな︑両足を備ふといへども︑登らざる法の峰あ

り︑沓まざる仏の庭あり︒恥づべきかな︑両眼は明らか

なりといへども見ざる霊地あり︑拝さざる霊像あり︒こ

の械士の瓦磯刑赫の山︑泥木素像の仏にだにも障りあり︒

まんとくくきょっいかにいはんや衆主合成の浄土︑万徳究寛の仏をや︒こ

ことわりカんがこによって往生その疑ひあるべきが故に︑この理を鑑み

て︑別にこの願ありと云々︒ 善導この願を釈して云く︑﹁乃ち弥陀の大願力による

みようじゅうが故に︑女人仏の名号を称へて︑正しく命終の時に︑即

ち女身を転じて男子となることを得︒弥陀接手し︑菩薩

身を扶けて︑宝華の上に坐して︑仏に随って往生し︑仏

の大会に入って無生を証悟す︒また一切の女人︑もし弥

陀の名願力によらずは︑千劫・万劫・恒河沙等の劫にも︑

終に女身を得転すべからず︒或いは道俗ありて一五く︑女

人浄土に生ずることを得ずといはば︑これはこれ妄説な

り︑信ずべからず﹂と云々︒これ則ち女人の苦を抜いて︑

女人の楽を与へる慈悲の御意の誓願利生なり︒

︵日

本思

想大

系﹃

法然

一 遍 ﹄ ︶

⑩ 選 択 本 願 念 仏 集

故に知んぬ︒念仏は易きが故に一切に通ず︒諸行は難

きが故に諸機に通ぜず︒しかれば則ち一切衆生をして平

等に往生せしめむがために︑難を捨て易を取りて︑本願

ぞうぞうきとうとしたまふか︒もしそれ造像起塔をもって本願とせば︑

貧窮困乏の類は定んで往生の望を絶たむ︒しかも富貴の

者は少なく︑貧賎の者甚だ多し︒もし知日慧高才をもって

本願とせば︑愚鈍下知日の者は定んで往生の望を絶たむ︒

しかも智慧の者は少なく︑愚痴の者は甚だ多し︒もし多

ドキュメント内 真宗教学研究 第28号(2007) (ページ 145-151)

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