LOCE法案作成中から、社会労働党は政権を勝ち取ったら LOCEを廃止することを早々と 宣言していたが57、2004 年3月の総選挙で同党が第一党となり政権に返り咲くと、同年 5月 には LOCE の適用日程を延期して事実上施行停止とし、同時にこれに代わる法の制定を目指 すこととなった。これが2006年に制定された「教育に関する組織法」(LOE)である。
LOCE の否定から生まれたともいえる LOE は、多くの面で LOGSE を継承しているが、
LOCEでの改革に近い内容も一部取り入れていた。その要点は、以下の5点である。
①義務中等教育における進級の基準
LOCE と比べ、進級の基準がやや緩められている。3科目以上不合格であっ た場合は基本的に留年しなければならないが、不合格科目が3科目でも例外 的に進級を認められるとしている。また、義務中等教育機関を通じて留年は 2回までとされる。
②カリキュラム多様化プログラム
義務中等教育第1段階ですでに留年し、第2段階(3年)への進級が難し い生徒を対象に、内容をよりやさしく指導方法を工夫したカリキュラム多様 化プログラムを導入、また 16 歳で義務中等教育修了資格を取得できなかった 生徒むけに入門職業教育プログラム(programas de cualificación profesional
inicial、PCPI)を導入(場合により 15 歳からでも選択可能)。PCPI から義務
中等教育修了資格を目指す道も残されている。これらはある意味、「差別的」
と批判されたLOCEの進路分けやPIPを受け継いだ措置であるともいえる。
③高校修了資格取得試験の廃止
高等学校では全科目に合格すれば修了資格を得られる(学外で行われる資 格取得試験はない)。
④宗教教育の扱い
宗教(カトリック)教育については、LOGSEや LOCEと同じく、ローマ教 皇庁(他の宗教の場合はそれらを代表する団体)との協定に従うことだけに 言及している。一方、宗教を選択しない児童生徒向けの代替科目については 何も規定していない。
⑤新科目「市民人権教育」の導入
LOE では新科目として「市民人権教育(educación para la ciudadanía y los derechos humanos, EpC)を導入、初等教育第3段階(第5・6学年)のいずれ かの学年及び義務中等教育第1~3学年のいずれかの学年でこの科目の授業を 行い、特に男女平等について強調するとしている。また、高等学校でも「哲 学と市民(filosofía y ciudadanía)」を取り入れている。LOCE では0歳~3歳 を就学前教育とし、教育と保育を兼ねた性格を持つものとしていたが、LOE では0歳~3歳も幼児教育とした LOGSE の規定を復活させている。一方、3 歳~6歳(幼児教育第2段階)の無償化、及びこの段階からの外国語教育の 導入については、LOCEの内容を受け継いでいる。
LOE法案への批判は3年前のLOCEに対する批判のまさに裏返しで、保守派は最大野党と なった国民党、カトリック系の父兄団体(CONCAPA)、カトリック系私立学校団体をはじめ、
ほぼ全面的にLOEによる改革に反対した。その主な主張は以下の4点である。
●主張①
57エル・パイス紙2002年3月14日付報道:http://elpais.com/diario/2002/03/14/sociedad/1016060403_850215.html
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国民党の LOE に対する批判は、わずか数年前に政権与党として推進した LOCE の内容をそのまま反映したものであった。国民党は初等教育、義務中等 教育共に学外の評価試験を行い、児童生徒、父兄、学校、行政が目標達成度を 把握できるようにし、高校修了時には資格取得試験を実施すべき、義務中等教 育では全学年で留年を可能にすべきと主張した。また、義務中等教育期間中の 15 歳から職業入門プログラムに進めるようにすべきであるとしていた。その 他、宗教及び代替科目を他の科目と等しい条件で提供すること、公立学校だけ でなく私立学校を選択する自由を保証すること等を求めていた58。
●主張②
LOGSE では国(政府)が定める共通内容は最大でも授業時間の 65%(スペ
イン語以外にも公用語を有する地方では 55%)としていた。LOCE ではこの割 合は変えなかったものの、それが最大であると解釈できる表現は一切なかっ た。国民党は、LOE が再び「国が定める共通内容の最大限」を規定し、最小限 を保証していないと批判した59。この点については、法案の国会審議の中で改 められ、65%(55%)が最大であるとの表現はなくなっている。
●主張③
宗教教育の扱い、及び新科目 EpC導入については、国民党だけでなくカトリ ック教会やカトリック系団体の強い批判を引き起こした。EpCの内容は LOE可 決時点でも明らかになっておらず、LOE の条文でも男女平等教育に特に力を入 れる点にしか言及していなかったが、政府教育省は個人と社会の倫理、民主社 会の組織、男女平等、多様な文化の受容等について教えるものと説明していた
60。しかし、カトリック教会をはじめカトリック系の世論全般は、この科目が 国による一定の道徳的価値観の教化手段になるとして強い懸念を表明した。一 方、大学の哲学教授らは EpC導入により義務中等教育や高等学校の倫理学や哲 学の授業が削られることに反対し、「民主政府が一定の価値観について教育す べきと考えるのはよいが、思想の教化教育にどこまで効果があるのか」「哲学 は欧州の文化的アイデンティティの重要な構成要素であり、これが失われたら 無教養が更に広まる」と批判した61。
●主張④
カトリック系を中心とする公的助成を受ける私立学校は、常に学校選択の自 由の保証を求めてきた。これら私立学校を希望する家庭は直接学校に入学願い を出すことができたが、LOE 案では教育行政当局が受入委員会を設立し(市町 村当局、教師、父兄の代表などが参加)、各学校による生徒受入プロセスを監 督するとし、入学願いもこの委員会を通さなければならないとしていた。しか し、後述する 2005年 11月の抗議デモを経て、政府はこれを撤回し、親が受入 委員会を通さず直接学校に入学願いを出せる制度が維持されることになった。
LOE法案に対する反対運動も、3年前の反LOCE運動に劣らず激しいものだった。国民党 ももちろんであるが、最も目立ったのはカトリック系父兄団体の CONCAPAで、カトリック 教会(スペイン司教会議)もこれを支援した。2005年11月 12日にはCONCAPAを中心に大 規模な LOE反対デモが行われ、国民党の重鎮の他司教も6名参加した62。このデモがスロー
58エル・パイス紙2005年3月30日付報道:http://elpais.com/diario/2005/03/30/sociedad/1112133605_850215.html
59 エル・パイス紙2005年7月23日付報道:http://elpais.com/diario/2005/07/23/sociedad/1122069613_850215.html
60エル・パイス紙2005年3月31日付報道:http://elpais.com/diario/2005/03/31/sociedad/1112220003_850215.html
61 エル・パイス紙2005年6月15日付報道:http://elpais.com/diario/2005/06/15/sociedad/1118786411_850215.html
62エル・パイス紙2005年11月13日報道:http://elpais.com/diario/2005/11/13/espana/1131836401_850215.html
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ガンとして「教育の自由」という表現を選んでいるのは象徴的である。かつて革新派が LOCE を「反動的」「(フランコ独裁時代への)逆戻り」と評したのに対し、LOE 反対派は LOE が自由を奪う国家介入主義的なものであるとの危惧を示した。国民党は LOE を「自由 な社会にふさわしくない介入主義的な教育制度」を定めるものであるとし63、スペイン家族 フォーラムは「政府が教育を公共サービスと考えるのは非常に深刻な後退で、行政介入主義 の最たるもの。(教育が)公共サービスであるということは、市民が予め持つ権利はなく、
国家が市民に与える権利しかないとの考え方を意味している」としている64。
ただし、LOE 反対派がもっぱらカトリック系団体ばかりであったと考えるのは誤りである。
上記のデモにも参加した中等教育教員団体(APS)は、教育現場の問題として「教師の権威 失墜に対する措置が何もとられてこなかった」、「学校は思春期の年齢の子供たちを集めた幼 稚園と化し、この状況と戦うための法的手段は何もない」としているが65、これは LOGSE以 来の中等教育における問題を指摘する声と共通したものである。
教育における国の介入主義への危惧は、そのまま新科目EpCを「国による独特的価値観の 押しつけ」として拒否する姿勢にもつながるものであった。2004年に成立した当時の社会労 働党政権は、LOCE を事実上廃止にしただけでなく、外交など他の政策においても前政権の 蓄積を完全に否定しようとしていた。他方、同じ時期に多くの議論を伴いながら推進された 同性愛者間の婚姻を認める法改正では、あたかも政府がスペイン社会の従来の価値観や人間 観を変えようとしているような印象も与えた。教育制度改革やEpC導入案はこのような文脈 から決して孤立したものではなかった。実際、同性愛者間婚姻への反対運動はLOE反対運動 と重なるものでもあった。2005年6月にはスペイン家族フォーラムの呼びかけで同性愛者間 婚姻の法改正を批判するデモが行われ、教会関係者や国民党の政治家らが参加したが、デモ では家族保護政策の要求と並んで「親が子供にどのような教育を与えるか決める自由」の擁 護も求めていた66。LOE可決後の 2006年 7月、教育省は EpC内容に関する案を発表してい るが、多様性の尊重と寛容の教育の中で性、宗教、人種による差別だけでなく「性的オプシ ョン」による差別を否定し、また初等教育のうちから「様々な家族のモデル(父親が二人あ るいは母親が二人いる同性愛者家庭など)」を教えなければならないとしており、カトリッ ク系学校団体の FERE や私立学校団体の CECE の批判を引き起こした67。必須科目として導 入された EpC を履修しない「良心的拒否」の動きも見られたが、最高裁判所は 2009年、良 心的拒否は認めないが、親が科目の内容や教科書に異議を申し立てる可能性は認めるとする 判決を言い渡している68。
LOEは2006年4月6日に最終的に可決された。LOCE可決時と異なり、与党社会労働党は 国会の単独過半数を制しておらず、政権運営には常に左派少数政党やカタルーニャやバスク などの地方主義政党の支持を必要としており、LOE可決も例外ではなかった。国民党はLOE の内容が極端に左寄りであり、17 の自治州でばらばらな教育制度を認めてしまうものである と批判したが69、与党の側では左派政党や地方主義政党の要求を入れざるを得ない政治的事 情があったともいえる。
なお、財源面では大きな議論は起こらず、2010 年までの導入期間の投資額 70 億ユーロは
63エル・パイス紙2005年11月4日付報道:http://elpais.com/diario/2005/11/04/sociedad/1131058805_850215.html
64エル・パイス紙2005年11月18日付報道:http://elpais.com/diario/2005/11/18/sociedad/1132268403_850215.html
65 同上
66エル・ムンド紙2005年6月18日付報道:http://www.elmundo.es/elmundo/2005/06/18/espana/1119111135.html
67 エル・パイス紙2006年7月14日付報道:http://elpais.com/diario/2006/07/14/sociedad/1152828003_850215.html
68 ABC紙2009年1月29日付報道: http://www.abc.es/20090129/nacional-sociedad/supremo-rechaza-objecion-conciencia-20090129.html
69エル・パイス紙2006年4月7日付報道:http://elpais.com/diario/2006/04/07/sociedad/1144360801_850215.html